2004年 アメリカ・ヒューストンで
60歳の男性が職場から帰宅中に
列車に撥ねられて救急車で運ばれました。
だが搬送中に今度はその救急車に車が衝突し、
別の救急車によって搬送されることになりました。
一刻を争うなかでの事故となりましたが、
男性の命が危うくなることもなかったようです。
普通に行動していれば、
まず電車に撥ねられることは無いですし、
搬送されている救急車が事故を起こすって
ヒューストンの男性は、不運としか言いようがない
かなりレアなことに見舞われてしまったようです。
私にも同じようなことがあっただろうかと
海馬を掻きまわし揺さぶっても思い当たる記憶がなくて
しいて言うなら、
温泉旅行でもとコツコツと別枠で貯めて
目標額寸前で家電が壊れ、車が故障して
修理費で見事にぶっ飛んだこと位でしょうか。
これ私には良くあることで
お金に余裕が無い時には
要り様になることが起きず、
お金に余裕がある時に、要り様なことが
多々起きていたような気がするんですよね。
あくまでも感じですが。
まあツイていると考えることも出来るし、
ツイていないと考えることも出来るので
海馬を掻きまわして出て来たのが、
小石を一個投げ込んで出来る
波紋程度の出来事ですね。
まあ色々なことがどこかで繋がっているので
何か一つ不具合が出ることで
別の不具合が出たとしても
不思議なことではありません。
不幸なことが重なった場合に、
「最悪だ。」「神様に見放された。」
「どうしてこんなことが。」とか悲観し過ぎると、
その理由付けを探すことに脳が働くことになります。
原因を知ることも大事ですが
悲観し過ぎると不幸な世界の住人になり
一番重要で優先すべき
その事態を乗り越える術や立ち直る方法とか
アイディアを生み出す脳の部分に
コンタクトが取れなくなります。
なので出来るだけ事実の部分のみを
捉えることが大切かと思うのです。