またまたイワシ君の登場ですが、
自分の思いようによって何でも尊いものになるという意味である、
「イワシの頭も信心から。」と言う言葉があります。
本来の意味は、前にも書きましたがこの言葉は、
他の人から見ると下らないと思えるものを、
ありがたがっている人を揶揄する言葉です。
少しだけニュアンスが違いますが、
不快な感情の下には、その感情に見合う考えやイメージがあります。
そして、何かの場面で、同じような感情を繰り返して感じるには、
ただ、何かの考えやイメージが浮かぶだけでは、
そうはなりません。
その考えやイメージを、
そうであると断定し、断定したものを信じ込んでいるからこその繰り返しです。
電話機についている番号のボタンも、新商品では電卓かもしれませんが、
私達は、それについて書いてある説明書なんて読まないで使うのと同じです。
強く尊敬し、信じ、ファンになった人が、
何かとんでもないことをしたとしても、可愛そうとか、そんなはずはないとか、
何かの陰謀であるとか、陥れられたんだとか、
その真実をはなから見ようとしなかったりもします。
それと同じようなことが起きているのです。
「私は駄目だ。」「私には魅力が無い。」等をイワシの頭にしていると、
それに合う行動をします。それに合う話し方をします。
それに合う服装をします。それにあった人と付き合います。
そして、自分の考えの正しさをどんどんと強化していきます。
何か成果を上げるようなことがあっても、
「たまたまでしかない、だって自分は駄目な奴だから。」と、
その事実をそのまま見ないで、内面で信じている観点からその事実をみます。
誰かに褒められても、誰かに告白されても、
褒められた自分の位置に自分を置くことは苦痛ですから、
無意識に失敗をしでかしてバランスを取ろうとすることもありますし、
告白されても断ってしまったり、例え、付き合ったとしても、
魅力があると感じられている立場から、
魅力が無いと感じられるために、さらに下がった位置へと
自分を置こうと心が動いたりすることもあります。
これらは、自分の心に強く断定し信じている自分と、
自分の外で起きていることとのギャップに戸惑い、
空中に浮かんでいるような感じで居心地が悪いことから、
足が地についている感じを求めて元の状態に戻そうとする働きです。
そして、失敗したり、別れたりして、「やっぱり。」と
自分が信じていることを強化してしまいます。
その他にも、
「人から嫌われることは、恐ろしいことだ。」
「人と仲良くしなければならない。」
「人から悪く言われるような行動、言葉を使ってはならない。」
「自分の感情を自由に感じてはいけない。」等など。
それらの断定し信じているものを基軸として考え、判断し、
そして、感じて、行動します。
また、感じて、感情に合った考えをして、
自分の行動や態度を決めます。
催眠療法&心理療法 神戸ストレスカウンセリング・ルーム花時計