心の扉 神戸カウンセリング花時計

心理療法や催眠療法、ストレス解消や悩み等メンタルに関するもの、そして日常の出来事を自由気ままに掲載します。

四天王寺

2019年09月03日 | 名所巡り(大阪)

住吉大社からの帰りに同行の友人が撮影した

南海電車の鉄仮面のような電車。


私達が住吉大社の次に向かったのは、

聖徳太子ゆかりのお寺として有名な四天王寺です。


日本各地に聖徳太子が建立したとされる数多くの寺院があり、

その中でも特に聖徳太子と所縁のある寺院とされているのが、

聖徳太子建立七大寺です。


普通に考えると昔の平均寿命、財力、交通手段等々を考えるとあり得ない話で、

その多くは聖徳太子の名前を借りているだけのようで、

今後の調査研究結果が変わる可能性はありますが、

現在、聖徳太子が建立したと考えて間違いないとされているのは、

奈良の法隆寺と、ここ大阪の四天王寺となっています。

 

四天王寺 石鳥居

JR天王寺駅から四天王寺の石鳥居までは、徒歩で十分程度で到着です。

大阪の有名寺院と言えば四天王寺なので、

前々から一度は訪れておきたいと思っていました。


四天王寺の石鳥居は、高さ8.5mで、鳥居の扁額には、

「釈迦如来が仏法を説く所であり、ここが極楽の入り口でっせ。」

と、書かれているようです。

 

西大門(極楽門)

西大門の内部には、仁王像ではなく

山越阿弥陀如来と観音製紙菩薩が描かれています。

 

門柱には、転法輪と言われるハンドルのようなものがあり、

参拝者がそれを回転させ直接法門に触れることにより、

洗心の功徳を積むことが出来るとのことです。


すでに反り橋を渡り、手水舎で身を清め、

清流の如しの私が、さらに転法輪を回した私の身体は、

もはや光を放っていたと思われます。

 

見真堂

浄土真宗の祖である親鸞聖人を顕彰し建立されたお堂で、

親鸞聖人像が設置されています。

見真堂の近くの大師堂の北側には、弘法大師修業像も設置されていましたが、

理由は特になく今回は、写真には納めず。

 

「義経鎧掛け松」と五重塔

源頼朝と不仲となり都を離れた義経が、

吉野山に逃れる途中で四天王寺に立ち寄り、

この場所にあった松の木に鎧をかけたとのことです。


義経が身に纏っていた鎧を脱いで松にかけたら後世まで伝えられ、

私が着ているTシャツを脱いで松にかけたら

追い出されるか、逮捕されるかだと思いますが、

えらい違いですわほんま。

 

南大門

この南大門の奥に中門があり、中門の両側には仁王像が安置されていることから、

南大門が四天王寺の正門だと思われます。

しかし、

石鳥居から直線上に続く西大門(極楽門)、中心伽藍、太子奥殿から考えると、

四天王寺には、正門が二つあるようにも思えるんですよね。

 

中門

南大門を潜ると中門があり、中門の屋根の上に五重塔が見えます。

 

中門と仁王像

中門の両側には、赤色と青色の仁王像が安置されています。

赤と青は、鬼のイメージがあるのですが、

仁王像と鬼は、何らかの関係があるのだろうか。

 

赤色の仁王像

 

青色の仁王像

 

中門から中心伽藍

四天王寺の中心伽藍の建造物は、雷や室戸台風や火災によって何度か壊滅し、

第二次世界大戦の空襲でも壊滅して、その都度再建された現在の建物は、

法隆寺のような創建当時のものではないのが残念ではあるのですが、

何もない広い敷地だけよりも創建当時に想いを馳せやすくなります。

 

鯨鐘楼(げいしょうろう)

 

 

太子井戸屋形

 

聖霊院

聖徳太子をお祀りしているお堂(天王寺のご廟)で、

正式には「聖霊院(しょうりょういん)」と言います。

 

太子殿(手前)と太子奥殿(奥)

太子殿には、十六歳像・太子二歳像・四天王。

太子奥殿には、太子四十九歳像が祀られています。

一般の私達は、ここまでしか入ることが出来ません。

 

太子奥殿(左)太子殿(右)

太子奥殿は、法隆寺の夢殿と似ていますが、

四天王寺のそれは、6角形の屋根の下の壁は、

法隆寺の夢殿とは違って円形になっています。

 

四天王寺 中心伽藍 金堂と五重塔

西重門より中心伽藍敷地内へと入ると

最初に目に飛び込んでくるのが、二つの建物。

金堂と五重塔です。


中心伽藍の伽藍配置は、「四天王寺式伽藍配置」と言われており、

南から北へと向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、

それを回廊が囲む形式で日本で最も古い建築様式の一つです。

 

龍の井戸

この井戸は、四天王寺の創建当初からある金堂基壇下にある青龍池が水源で、

井戸を覗くと天井に描かれている龍の絵が水面に写り込み、

その龍に祈ると厄災が除かれると言われています。

 

そのような意味がある井戸とは知らず覗いたら、

龍は見えず、いや見えていたのかもしれませんが、

井戸に投げ込まれているお賽銭に目が奪われました。


看板には、井戸の中にお賽銭を投げ入れないでと書かれています。

でもなあ。看板の文字が施設や建物の説明書きと思って

読まずにスルーしてしまうと、ついお賽銭を投げ入れてしまうかも。

 

講堂

 

金堂(手前)五重塔(中)中門(奥)

 

五重塔(手前)と金堂(中)と講堂(奥)

金堂、講堂の内部を拝観させてもらい、

五重塔は、内部の階段を上がれるようになっていたのが驚きました。

しかし、

この時点で暑さと疲れで気力がかなり溶け出してしまっていて、

靴を脱いで登ることになる狭い階段を見て

「まあいいか。」と登らずでした。


中心伽藍拝観受付の方が言うには、

殆どの建物の中に入れたり、中を見れたりするので

是非、拝観していって下さいとのことです。


でもなあ。ありがたいんだけどなあ。

四天王寺は広いし、お堂の数も多いし、拝観出来る建物を全部となると、

今日の私には「こち亀」全200巻を一気読みするレベルに感じて、

簡単じゃないんですよね。


中心伽藍の拝観を終えて、中心伽藍を出てすぐの所にあった

エアコンがきいた休憩所で、

自販機のアイスと冷たいお茶を購入して30~40分の休憩。

 

黄鐘楼(おおしきろう)

黄鐘楼(北鐘堂)の鐘の音は、

祇園精舎の鐘の音と同じ響きを持つとされています。


この日、ベトナムのアオザイに似た衣装を纏っていたので、

タイかベトナムか中国か台湾かの僧侶の方々だと思われるのですが、

堂宇を物凄く丁寧に、敬い参拝している姿を見て、

有り難いやら嬉しいやら、なんか素敵な気持ちになれました。

 

天王寺駅で、四天王寺までの道順を説明してくれた

中国人か台湾人の駅員の最高に気持ち良い対応も体験して、

つくづく人となりは国で決まるのではなく

人だなと感じた日になりました。


六時礼讃堂と石舞台

昼夜6回、諸礼讃をするところから六時礼讃堂の名がつけられています。

そして、六時礼讃堂の前にある石舞台は、日本三大舞台の一つです。


前に訪問していた厳島神社の板舞台と、

今日の住吉大社の石舞台」「四天王寺の石舞台」の二つの舞台を合わせて、

日本三大舞台の全てを思いがけずに制覇することが出来ました。


六時礼讃堂

 

中心伽藍の受付の人曰く、この建物が四天王寺で一番古い建物だそうです。

この建物より南側は、空襲で殆ど壊滅し、後に再建。

 

六時礼讃堂と大寺池(亀の池)

 

仏足石

 

仏足石については、今まで数回取り上げさせて頂いているので、

説明は割愛させて頂くことにして、

この辺りの僅かに残っていた気力が完全に溶けて消えてしまい

極楽浄土の庭等、まだまだ見所があったのですが帰宅することにしました。


予定では、四天王寺を参拝した後に

あべのハルカスの展望台にも上がるつもりだったんですが。。。

 

現在の四天王寺は、街中の寺院となっていますが、

昔は、四天王寺の直ぐ下まで海が迫っていて

石鳥居の向こうにある大阪湾に沈む夕日を見る最適の場所だったようです。

 

沈み行く太陽の彼方の「西方極楽浄土」に向かって

読経を行う日想観が行われる春分の日の3月20日には、

極楽門から石鳥居の参道には大勢の参拝者に埋め尽くされるようです。


帰りに立ち寄った天王寺駅手前の

立ち食いうどん屋さんの店員のお姉さんと話が弾み、

「この出汁美味しいですね。」なんて話したら、

「内緒よ。」って出汁を2杯分も継ぎ足してくれました。


まさか、こんなに早く御利益が発動されるとは。。。

ありがたや。ありがたや。


皆さま、私の趣味にお付き合い下さり、

ありがとうございました。

 

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反り橋を訪ねて

2019年09月01日 | 名所巡り(大阪)

新世界から南海高野線で次の目的地の最寄り駅で下車。

もう目に見えている目的地に足を踏み入れる前に、

喫茶「ランバン」で水分とエネルギー補給。

 

喫茶「ランバン」

 

 

夏の熱さの峠は越えたとは思うのですが、

快晴のこの日は、なかなかの暑さで身体が涼と水分を求めます。

 

サンドイッチ、美味かったですねえ。

卵の感触が淡雪のようにふんわり。

最近は、コンビニとかスーパーで販売されているものしか

食べていなかった所為なのか、すこぶる旨いと感じました。

 

シャキっとしたキャベツに丁度良い酸味のドレッシング。

サラダも美味い。バケツ一杯分位は食べたくなる感じ。

 

住吉大社

ここ住吉大社は、全国に2300社ほどある住吉神社の本社で、

名所巡りなんて興味が全く無かった頃より

住吉大社の名前を知っていた位に有名かな。

 

西大鳥居(一の鳥居)

大阪は、万国博覧会が決定したり、仁徳天皇陵古墳が世界遺産に登録されたりと、

世界から注目を浴びていますが、私としては世界遺産の古墳群よりも

住吉大社の方が興味があった場所なんですよね。

 

 

石灯籠と絵馬所

住吉大社の境内には立派な石灯籠が600基もあるそうで、

その殆どが、江戸時代の廻船業関係者から奉納されたものだそうです。

 

反橋

住吉大社の象徴の反り橋

高さが4.4m、最大傾斜が48度。


周りの景観とマッチしていてすごく良い感じで、

この反橋を渡るだけで罪や穢れが清められると言われています。

この住吉大社の反り橋が凄くお気に入りで、

住吉大社を訪れる第一の目的が、この反り橋を実際の眼で見ることでした。

 

住吉大社には、海から生まれた神様をお祀りしていて、

海も見えず、潮の香も感じない陸地で「海の神を祀る?」とも思ったのですが、

かつては反橋の辺りまで海だったそうで、

地図で確認すると住吉大社から海まで割と近いんです。

 

反り橋からの景観

実際に目で見た反り橋は、思った通りに魅力的で、

この反り橋の上で家財道具一式を準備して生活をしてみたい位です。

 

反り橋と神門(幸寿門)

それまで反り橋によって見えていなかった神門が、

反り橋を登るごとに次第に見えてくるのが憎い演出です。

 

高さの4.4mと最大傾斜48度を感じるのは、反橋を下る際です。

私の手が横の欄干を自然と求めます。

「そろり~。そろり~。」

 

手水舎

反り橋を下ると手水舎があります。

住吉大社の手水舎には、一般的な龍や亀ではなく兎がいます。

このことは、第四本宮の御祭神「神功皇后」を

卯年の卯月の卯日に祀ったことによるものだそうです。

 

反り橋を渡り我が身を清め、手水舎でも我が身を清めたので

今の私の身体は、清流の如しのはずです。

 

神門(幸寿門)と角鳥居

神門の前にある鳥居は、柱が円形ではなく角がある珍しい形をしていて、

「住吉鳥居」とも呼ばれています。

 

横から観ると柱に角があるのが分かります。

住吉鳥居を潜り、神門を潜ると、

国宝に指定されている4つの本殿があります。

 

住吉大社 本殿【国宝】

住吉大社には、第一本宮から第四本宮の異なる4つの本殿があり、

本殿の建築様式は、「住吉造り」と言われ

日本最古の神社建築様式の一つだそうです。

 

本殿は全て西(大阪湾)に向いていて、

第一宮から第三宮までは直列に配置され、

第四宮は第三宮と並列に配置されています。

 

屋根の上にある交差している柱の先端が、

直列に並ぶ第一本宮から第三本宮は、地面に垂直の断面で、

第四本宮の断面だけが地面に水平になっていて、

それは女性の神様の印なのだそうです。

 

第三宮と第四宮の拝殿

 

 

第三宮と第四宮の本殿

住吉造りと呼ばれる直線的な屋根をした本殿。

 

第二本宮本殿

この空間にいると神話の世界にタイム・スリップした気になります。

 

第一本宮

第一本宮の敷地が一番広く設けられているようです。

 

第一本宮拝殿

 

第一本宮から第四本宮まで四つの本宮がありますが、

参拝の順序について特に決められてないようです。

 

石舞台【重要文化財】

この石舞台は、豊臣秀頼によって奉納されたもので、

「四天王寺の石舞台」と「厳島神社の板舞台」と並び、

日本三大舞台の一つと称されているのだそうです。

 

石舞台横の景観

 

五所御前(五大力)

この場所は、約1800年前の創祀ゆかりの地として伝わる神聖な場所のようで、

囲いの内にある多くの小石の中から

「五」と「大」と「力」と書かれている石を探し、

それぞれの石を柵の隙間から内に手を伸ばして合計三つの石を拾い、

授与所にある専用のお守り袋に入れて持つことで、

体力、智力、財力、福力、寿力の5つの力を授かることが出来るのだそうです。


御礼参りは、お守りとして持ち帰った3つの石と、

地元で拾った3つの石に「五」「大」「力」と書いた合計6個の石を

囲いの中に返すのだそうです。

 

 

夫婦楠

奥に見えるのが樹齢約八百年の御神木の夫婦楠。

 

反り橋

最初とは反対側からの反り橋の景観。

 

最後に反り橋の前で記念撮影。


住吉大社の境内は広くて見所も沢山あったのですが、

時間の関係上、全てを拝観して回ることが出来ませんでしたが、

次回の拝観の際の楽しみとしてあえて残したと考えることに。

 

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ニュー・ワールド

2019年08月30日 | 名所巡り(大阪)

今回、私達が神戸を朝に出て向かったのは、

京都でもなく奈良でもなく、

どこだと思いますか。

 

ここまでで分かる人は、なかなかの通かも。

 

 

私達が訪れたのは、大阪の新世界です。

写真は、「ビリケン」と言う大阪では有名な幸福の神様なのですが、

実は、アメリカの女性芸術家が夢で見た幸福の神様をモデルに製作したものが起源で、

大阪発祥の神様ではないようです。


明治42年頃にアメリカからやって来て日本中に広まったそうです。

大阪以外では、千葉県の利根運河、神奈川県の箱根湯本駅、

神戸兵庫区の松尾稲荷神社でその姿を見られるようです。

神戸兵庫区?あれ?地元ですね。

 

大阪 新世界

こてこてやで。


坂田三吉碑

 

通天閣

まだ朝も早いので、数多くの串カツ店も開店前で人の姿もまばらです。


通天閣 天井装飾


ここ新世界は、大阪の学生時代の4年間に何度か足を踏み入れて、

私の師匠である仲山和輝氏が関西のテレビ番組に出演した際にも

番組のロケ地となった通天閣を催眠の助手として訪れているのですが、

写真に一枚も残してはいなかったんですよね。


天王寺駅周辺には、2019年の現在、

日本一の高さを誇る「あべのハルカス」もあり、

私の記憶にある新世界は、もっと怪しい雰囲気が漂っていたのですが、

現在の新世界は、道頓堀と遜色ない鮮やかな街になっていました。

 

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大阪名勝庭園 普門寺

2018年03月30日 | 名所巡り(大阪)

 

今回の名所巡りのメインの高槻市の普門寺は、

摂津・普門寺城跡とも言われています。

 

昭和52年1月に方丈が、国の重要文化財に指定。

昭和56年8月庭園が、国の名勝に指定。

平成12年12月、境内のほぼ全域が国の名勝

追加指定されました。

 

 

 

 

普門寺は、

明徳元年(1390)設厳(せつがん)によって開かれ、

永禄4年(1561年)に

元管領・細川春元を隠居させるための城郭として築城され、

 

同9年には、足利義栄(よしひで)が

普門寺で14代将軍の宣下式を行い滞在しました。

 

その頃の普門寺の敷地は、

6千坪とも9千坪とも推測されていて、

その広大な敷地には、見事な堂や塔の伽藍が立ち並び、

堀も巡らせていました。

 

 

 

普門寺

 

拝観には、事前予約が必要になります。

 

私達は、予約時間に門前に到着したのですが、

門が閉じていて受付所のような所も見当たらず、

まさか奥に見える建物に向かって

門外から叫ぶ方式のはずもないので少し焦りましたが、

電話で連絡が無事に取れて拝観となりました。

 

 

 

 

この一件を、勝手に想像をさせてもらえば、

境内全域が国の名勝指定を受けたことで、

インターホンはもちろん新たに拝観受付所を設けることも

勝手に出来ないのかも知れません。

 

 

 

普門寺  三門【国指定名勝】

 

先ほどの本照寺の敷地も三輪神社の敷地も

かつては普門寺の敷地で、

三輪神社は、普門寺の鎮守社(ちんじゅしゃ)であったと

伝えられています。

 

 

 

普門寺  石畳【国指定名勝】

 

隠元禅師作と伝えられる黄檗式石畳は、

国指定名勝に登録されています。

 

明暦元年(1655年)に龍渓が、

中国・明の高僧・隠元禅師をこの寺に招き、

約7年半をこの寺の住持として滞在しました。

 

隠元禅師が普門寺の住持となったことで

後水尾上皇を始め、各地から僧が集まり、

仏殿、鐘堂、石庭などが整備され大いに栄えたそうです。

 

 

 

隠元禅師筆の「獅林の額」

 

獅林は、獅子林の略で禅の修行の場の意。

 

 

 

普門寺  方丈【国指定名勝】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

御本仏の釈迦如来

 

御本仏の釈迦如来は、唐時代のもので仏師・范道生作。

 

 

 

普門寺  方丈 襖絵

 

襖絵は、狩野安信の水墨画。

 

 

 

お茶とお菓子

 

方丈の縁側に腰を下ろし、注ぐ暖かな太陽光の元で

呼ばれのお茶とお菓子を頂きながら

方丈前庭園をゆったりと拝観する至福のひととき。

 

これ、最高す。

 

 

 

普門寺  方丈前庭 枯山水庭園

 

白砂と石畳みの境界にある網の様なものは、

猫が庭園に入り込まないようにするための道具だそうで、

あれが有る無しでは随分と違うそうです。

 

網の間にある小さな丸い石は、

人間が庭園に入らないようにするための

これより先は進入禁止を表す結界の石。

 

 

 

 

今日は、天候が良かったので、

白い砂に太陽の光が反射して、

白い砂がより一層に白く映えていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

普門寺  方丈内 西面

 

 

 

普門寺  方丈北面の苔庭

 

 

 

普門寺  心字の庭

 

方丈の西面にある心字の庭は、

古庭園研究家 森蘊工学博士による昭和の庭園。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

普門寺  方丈【国指定名勝・国の重要文化財指定】

 

普門寺の書院造の美しい方丈からは、

二条城、天竜寺、京都御所が思い出されます。

 

 

 

 

室町幕府が滅びた後も普門寺は、

重要な軍事拠点として活用され

有名な秀吉の「中国大返し」の際には、

この普門寺で全軍が落ち合い軍議を開きます。

 

普門寺を本陣として明智光秀を倒すべく

織田信長の弔い合戦、山崎の合戦に突入していきます。

 

 

 

普門寺  梅と方丈

 

 

 

普門寺  観音補陀落山の庭(玉淵坊作)

 

普門寺の観音補陀落山の庭は、

国指定名勝・国の重要文化財指定に登録されています。

 

 

少しズームして

 

 

さらにズ~ム

 

中央奥の縦に立つ石が滝、

真ん中の平たい石が橋、

苔が生えていない部分が川を表しているとのこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

細川晴元の墓 宝篋印塔

 

観音補陀落山の庭の奥にある

細川晴元の墓と伝えられる宝篋印塔。

 

細川春元(ほそかわ はるもと)は、

室町時代末期の戦国大名で、

将軍に次ぐ重要な役職の管領に就任しましたが

家臣の三好長慶の反乱で没落し、

実権を持った管領としては最後の管領となりました。

 

かつては広大な敷地を要していましたが

現在の普門寺は、拝観するには丁度良い広さの敷地に、

異なる4つの庭園、美しい方丈があり、

京都や奈良に匹敵する位に満足できる場所でした。

 

最後に、私達を心よりお迎えして頂いた

普門寺の方々に御礼を申し上げます。

 

 

 

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高槻市 三輪神社

2018年03月27日 | 名所巡り(大阪)

 

本照寺は、阪急京都線の富田駅から

徒歩7~8分の所に建立されていて、

その本照寺から徒歩3~4分位の所にあるのが

三輪神社になります。

 

 

 

三輪神社

 

三輪神社の御祭神は、

大和国三輪山(奈良県桜井市)の大神神社から

大己貴命を祭神として勧請し創建したと伝えられています。

 

人間生活の守り神様であり、富田酒、酒造の守護神です。

 

 

 

三輪神社 境内

 

酒造の最も盛んな寛永年間に再建されて、

現在に至っているそうです。

 

 

 

三輪神社 拝殿

 

三輪神社は、江戸時代に酒造りで隆盛を極めた

富田にあって信仰を集めました。

 

 

 

拝殿と狛犬

 

 

 

境内末社  天神社、八幡神社

 

絵馬殿の奥に、境内末社の天神社と八幡神社があります。

ちょっと面白い造りです。

 

 

 

三輪神社 手水舎

 

三輪神社の手水舎には、

神社でよく見られる龍の姿はなく

穴を開けられた竹から水が供給されていました。

 

本照寺のお寺の手水舎に龍があり、

神社の手水舎には龍が無い。何か逆のような。。。

 

 

 

境内末社 稲荷神社

 

ここまで来ると今回の名所巡りのメインが

大阪府にある5つの指定名勝の内の一つ、

普門寺であることに気付かれた方もいるかと思います。

 

しかし、大阪府の国指定名勝が5つとは、

ちょっと少なすぎる気もするのですが。。。

 

遷都された歴史もあり、

太閤さんの時代には、政治・経済の中心地、

元禄文化が大阪中心に花開く等、

数多くの歴史遺産や文化遺産があるはずなのに、

5つだけとは、何でだろう。

 

 

 

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高槻市 本照寺

2018年03月24日 | 名所巡り(大阪)

 

名所巡りを始めてから京都、奈良、神戸、

大阪、和歌山と近畿の名所を巡りましたが

私の二番目の故郷である大阪で巡ったのが

大阪城のみとなっていたので今回は、大阪高槻市を選択。

 

学生時代に4年間過ごした大阪。

現在の地元神戸から少しだけ遠い大阪。

いつでも行けるの心理が働いているんだと思います。

 

 

 

本照寺

 

本照寺は、高槻市富田町にある浄土真宗・本願寺派の寺院で、

富寿栄山(ふすえざん)、

もしくは、富山と号し富田御坊とも言われます。

 

 

 

本照寺 山門

 

室町時代の1427年(応永34年)、

本願寺第7代法主在如(蓮如の父)によって

建立され当初は光照寺と称しました。

 

本照寺の山門は、平成17年6月14日に、

市の有形文化財に指定されています。

 

 

 

本照寺 山門と本堂

 

 

 

本照寺 本堂

 

大きくて立派な本堂は、

平成2年4月に市の有形文化財に指定。

 

本堂の造りが、どことなく京都本願寺に

似ているような気もします。

 

 

 

本照寺 本堂

 

 

 

本照寺 本堂

 

土足厳禁。火気厳禁。いつもニコニコ現金払い。

私は元気。

 

 

 

本照寺 本堂

 

 

 

本照寺 本堂 前庭

 

本堂の前には、綺麗に整えられた庭園。

 

寺院の威厳ある伽藍は、致し方ないとしても、

仏教の精神に反するような

美しく立派な庭を作庭することについて

如何なものかと思っていました。

 

 

 

本照寺 本堂前庭

 

檀家の人達を導き救う僧侶達が、

慎ましく暮らす檀家の人達を泣かして、

僧侶達が潤う構図の印象を持っていたのですが。。。

 

 

 

本照寺 本堂前庭

 

当時の寺院は、戦等で武士の大軍勢が遠征する時、

本陣を構える場所として、

また、大軍勢を収容できる

宿泊施設としての役割を果たしていて、

 

その武士の一団を、お迎えする寺院側が、

宿泊される武将をもてなすためのものとして

庭園が作庭されたようです。

 

そして、作庭の費用としては、

檀家からのものだけではなく

常宿としていた大名から

寄進されたものを当てていたと思われます。

 

おもてなし精神、これって、

現代でも、ちょっと大きなホテルや旅館に行くと、

宿泊客をもてなすために

綺麗な庭が作庭されているのと同じですね。

 

 

 

本照寺 東門

 

平成17年6月14日に市の有形文化財に指定された東門

 

 

 

本照寺 手水舎

 

本照寺の手水舎は、一匹?一頭?一竜?が、

清めの水を提供。

 

 

 

本照寺 鐘楼

 

平成17年6月14日に市の有形文化財に指定された鐘楼

 

本照寺の境内には、

かつて国の天然記念物に指定されていた

富寿栄の松(ふすえのまつ)という

樹高27m、東西東西35m、南北25mに

広々と枝を広げた樹齢およそ700年になる

巨木の黒松があったそうです。

 

ですが、残念なことに

1968年(昭和43年)頃からマツ材線虫病によって枯れ始め、

1971年(昭和46年)3月に天然記念物の指定を解除されたのちに

枯れ死してしたそうです。

 

 

 

保存された富寿栄の松の根株

 

根株のみが境内に保存されている

富寿栄の松(ふすえのまつ)。

 

私の田舎にも、天然記念物に指定され、

根株の直径はこの樹の倍はあった

樹齢850年と推定された

千手の松と呼ばれる見事な松がありましたが、

同じように松くい虫の被害で失われてしまいました。

 

 

 

鬼瓦

 

 

 

境内に育っていた見事な双子の樹

 

この木、なんの樹、気になる樹で、

名前が出てきません。私の本照寺一番のお気に入りです。

 

 

 

本照寺を囲む石垣

 

 

 

 

そして、今回の大阪高槻市への名所巡りは、

ここがメインの目的地ではなく、

メインはこの後になります。

 

 

 

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春の大阪城(花見)

2017年04月14日 | 名所巡り(大阪)

この日、大阪で午後5時より開催される絢香のイベントに行く友人が、

午前中に出発して「さくら名所100選」にも選ばれている大阪城の桜を

楽しまないかとのお誘いを受けて大坂城へと向かいました。

 

私には、いつの記憶か分からないのですが、

木が立ち並ぶ公園のような場所をどこかの目的地に向かって

歩いている時に左側に出現した楠木正成公の騎馬像を見上げて

「なんで大阪城と楠木正成公が関係あるんだろう?」と

思った記憶がありまして、


その記憶からすると

あの楠木正成公の騎馬像があった場所は

大阪城公園に違いないと処理していたんですが、

何故ゆえに大阪城に楠木正成公の謎が解けないままになっていて、

今回、その記憶の謎を解く目的もあります。

 

大阪城公園駅に到着。

さて、若かりし頃4年間過ごさせてもらった懐かしの大阪。

その頃には無かった大阪城公園駅を出て

その頃には無かった大阪城ホールを横目で見ながら

西の丸庭園を目指して進みます。

 

大阪城 現在の外濠

大阪城では、「ほり」に堀ではなく濠の文字を使っています。

堀は、土地を溝状に掘削した防御構造物を意味して

掘削しただけのものは空堀、そこに水を張ると水堀。

濠は、水を張ったもののみに使用するので上の写真は、

外堀でも外濠でもOK。

なので水を張っていない空堀を空濠とは表記しないとのこと。

 

青屋門

 

大阪城 現在の内濠

 

極楽橋

豊臣秀吉がこの地に築城する前には

浄土真宗の寺院(石山本願寺)があり、その石山本願寺時代にも

同じようなあたりに橋があって、

その橋が、本願寺の御本尊(阿弥陀如来)のいます御堂への通路にあたっていたことから

極楽橋という名称になったようです。

 

極楽橋から観る天守閣

 

おしゃれな3匹の犬との出会い

極楽橋を渡った所で三匹のおしゃれな犬と出会いました。

スタンダード・プードル?

「クロ。シロ。田吾作。権左衛門。亀吉。およね。」と呼んでみても

全く反応が無かったので、それ以外の名前だと言うことが判明しました。

 

山里口門跡から観る天守閣

しかし懐かしい。大阪城天守閣をこの目で観るのは何年振りだろう。

 

 

大道芸

素晴らしい技術と演出、そして、楽しい話術で大勢の人を集めていました。

 

天守閣

大阪城は、ちょっとややこしい歴史があり、

石山本願寺を潰して豊臣秀吉が築城した大阪城を、

徳川が壊して盛り土をし、

その上に徳川が大阪城を再建したので、

豊臣秀吉の大阪城の遺構は地下に埋もれています。


現在の天守閣は、市民の寄付(現在の700億円相当)で再建されたもので

その額は何と僅か半年で集まったそうです。

大阪市民、凄いぞ!凄すぎる!


天守閣は、白漆喰の壁の階層が徳川時代風、

上層部は黒漆に金箔で虎や鶴を描き豊臣時代風で再建されているので

今の様な天守閣は歴史上一度たりとも存在していないことになります。

私、黒漆喰の部分を垂れ幕だと最近まで勘違いしていました。


徳川風で再建するのか豊臣風で再建するのか、

話しに話して、考えに考えて、決着がつかず

「じゃあ両方で。」

何だかなあとも思いますし、一番良い形のような気もします。

 

 

 

内側から観る桜門

 

桜門内側の蛸石

大阪城には巨大な石が数多く使われていますが、

一番大きなものが畳36畳分ある蛸石と言われるこの石?もう岩ですよね。

今の時代でもあれだけの巨石を運ぼうと思ったら

普通の重機や車両では無理のように思えるので

当時、どうやって運んだんでしょうねえ。

 

外側から観る桜門

 

桜門の空堀と桜

 

桜門と通路

 

桜門と桜

 

石山本願寺推定地

これを見ていたら一人の初老の男性が話しかけて来てくれて

その男性と大阪城の歴史について楽しい話をすることが出来ました。

 

まずは大手門へ

 

桜満開だああああ。

 

本当に綺麗なものを間近に観るとゾワゾワすると言うか、

溶け合うと言うか、吸い込まれていくような感じがして

たまらなく気持ち良いんです。

この感じは、無意識がそれと一体になることを求めているんだと思うのです。

 

多聞櫓を内側から観る

この大きな多聞櫓の土台にも巨石が使われているのが分かります。

右側の方なんか2段積みで完了させています。

 

多聞櫓を外側から観る

 

大阪城 大手門

大阪城では大手門、名称を追手門とするところもありますが、

お城の正面のことを大手と言い、

大手門も追手門もお城の正面から入る門のことです。

 

大手門から観る教育塔

 

大阪城 大手門

 

西の丸庭園へ

 

西の丸庭園入り口

入場料350円。いつも?花見シーズンの時期だけ?

 

西の丸庭園の桜

 

西の丸庭園の桜と空堀

 

 

 

西の丸庭園から観る大阪城・天守閣

 

花見を楽しむ大勢の人達

 

 

 

 

 

 

 

西の丸庭園 大道芸猿回し

子供達がキャーキャー喜んで盛り上がっていました。

 

西の丸庭園の出口へ

 

 

西の丸庭園を出て

 

 

豊国神社へ

 

豊臣秀吉像

 

 

 

豊國神社 秀石庭(太閤庭)

 

 

 

再びの天守閣

せっかくなので天守閣に登ってみようと戻って来たんですが、

受付には、なが~~~い行列が。。。前の姫路城と同じですね。

天守閣は断念しました。

 

最近はこのような乗り物があるようです。

 

大勢の人が桜を楽しむ中で

花より団子よろしく10人以上の花より鳥の人達がいました。

野鳥の会?

 

南無阿弥陀仏の石柱

友人は、絢香のイベントに出発して一人になったので

ここから思う存分に楠木正成公の騎馬像を探してみることに。


簡単に見つかるだろうと高をくくっていたのですが、

これが大変なことに。。。


木が立ち並ぶような場所から場所へと歩きに歩いて見つからず、

ならばと地元民らしき人を見つけ次第に尋ねたけれども(地元民的中率100%)

誰も像の存在は知らず、

何人目かの人に大阪城パークセンター(施設管理)の存在を教えてもらい、

おっちらおっちらとパークセンターに到着。


施設の人は本当に親切に時間をかけて調べてくれて

答えは「大阪城公園には楠木正成公の像はない。」

で愕然として、

「しかし、連絡を取って頂いた学芸員の情報では

バス・ターミナルの辺りに勘違いしても仕方ない像はある。」

の情報を得て元気、気力が復活。

バス・ターミナルに向かって再び出発進行。


もう葉桜になり始めている桜

 

バスターミナル周辺

すぐに見つかると思っていたら全く見つからず、

バスターミナルの交通誘導員の仕事の合間に尋ねた3人目の方から

「この辺りで像を見たことはないけど、

外濠沿いに歩いた所にあるタクシー乗降場近くに

騎馬像かどうか分からないけれども間違いなく像がある。」

の有難い有力情報をゲット!

で、また歩く、歩く、歩く。


桜の枝に飛び乗り写真を撮ろうとしていた外国人を発見してしまったので、

注意をしない訳には行かず、「ノー!ノー!ゲット・ダウン!」と言ったら

通じたのか不思議なことに降りてくれました。

あの場合、立てた人差し指と顔を横に振りながら、

「チッチッチッチッ、ゲット・ダウン!」の方が良かったかと反省。

 

途中で見つけた教育塔

1934年の室戸台風で殉職した教員や死亡した児童が多数出たために

1936年に教育に関する殉職者、殉難者の慰霊を目的に建設された塔のようです。

 

 再びの大阪城・大手門

 

大阪城・大手門

 

ようやくタクシー乗降場到着、そして、あっあった!あれだ!

ついに像を発見か!喜び勇んで近づいてみると。。。



ちっちっ違~~~う。私の記憶にある像とも完全に違うしいいい。

学芸員さんが教えてくれた像でもない。絶対に違~~~う。

この馬上の人を楠木正成公と勘違いする訳がない。

おっぱい出てるし。誰が勘違いすんねん。

もうバスターミナルに戻る体力も気力も完全消失で帰宅モード突入。

しかしながら、ここは大阪城公園駅の真反対の場所で、

大阪城公園駅までは大阪城公園を半周しなければなりません。

 

西外濠

 

 

おっちらおっちら

向こうに見えるビルがはめ込んだCGの画像の様に見えたのでパチリ。

 

筋鉄門跡

 

大川と水上バス

 

ミニ水上バス?

 

大阪城公園駅に到着

正午に大阪城公園駅に到着してから午後5時半まで

歩き通しの一日となりました。

5時間半は今までの最長不倒でK点越えです。


期待した西の丸庭園の桜は、

庭園の真ん中が広場で桜は庭園の外周に集中していた所為か、

必見と言うほどの感じはしませんでしたが、


広い広い大阪城公園全体を覆うように

数えきれない桜が咲き乱れているので、

西の丸庭園にこだわらずとも

桜を楽しむのには絶好の場所だと思います。


大阪城公園が何故桜名所100選に選ばれているのかを

西の丸庭園と天守閣だけで終わらずに

歩き回ったお陰で実感することが出来ました。


後は、有名な造幣局の桜の通り抜けが未体験のままなので

来年以降、何とか体験したいと思っていますが、

醍醐寺の桜、東寺の桜、吉野一目千本桜等々、

目白押しなのでどうなることやらです。

 

催眠療法&心理療法 神戸ストレスカウンセリング・ルーム花時計

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15分間のフライト

2010年02月28日 | 名所巡り(大阪)





土曜日の仕事を終えて、天保山大観覧車に行ってきました。

イルミネーションによる時報や明日の天気予報を発信しているそうで、
しかも観覧車の回転輪直径100メートル、地上高112、5メートルは、
なんでも世界最大級とのことです。

一周に要する時間は約15分。
阪神高速3号線に乗り入れ向かいましたが、
途中西宮付近の渋滞に巻き込まれたり、なんやかんやで、
到着したのがチケット販売最終10分前。
危うくアウット!のところでした。

私は高い所が苦手なくせに、
そこでしか味わえない楽しさを求めたりするんですよね。

ちょっとドキドキしながら乗籠の中へ、
いよいよ15分間のフライトの始まりです。
エレベーターや飛行機とは違う独特の体感覚と共に、
それは、ゆっくりと静かに上昇を始めます。

時間にして15分の楽しみ。
たった15分とも言えるかもしれません。

でも、本当に不思議なんですよね。
大切な人がそこにいれば魔法が掛かる。
冷たいガラスと鉄で囲われた空間がファーストクラス以上の空間に、
気心知れた友人がいれば、カーニバルの空間と変わってしまう。

欲張らずに、魔法が解けることなど考えずに、
ただ、その時の魔法を目一杯、楽しめる自分であり続けたい。

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