2012年、2月20日、
光氏母子殺害事件の差し戻し審判決で、元少年の死刑が確定しました。
この裁判での弁護側の主張には、呆れかえりましたが、
死刑反対の考え方については、そういう考え方も理解出来ます。
また、何の落ち度もない人を殺すつもりで殺した人に対して、
自らの死をもって償うべきだと言う考えも何らおかしなことではないとは思います。
どちらが正しいのか何て、私には答えを出すことは出来ませんが、
自分が本村さんと同じ立場になった時には、
死刑を求めることに何ら迷いは無いところです。
しかし、人が殺められたり、回復困難なほどに傷つけられたりした場合、
例え、加害者がどのように罰せられようと元には戻りません。
判決後の記者会見で本村さんが言っていた、
『犯罪が起きた時点で皆が敗者である。」の言葉には痛く納得する次第です。
さてですが、
カウンセリングの場は、それまでの自分を変えるための場だと思っています。
自分を変えると言うのは、自分を窮屈にしている心の規則を変えることで、
その人の何かの欠陥を治したり、劣っているものを治したりするものではありません。
ところが、訪れて頂く方の中には
いかに自分が被害者であることを訴え、自分の周りの加害者に対して怒りに満ち、
いかに酷い人達で有るかを訴えることが中心となる方がいます。
その方の言うことは真実なのかもしれません。
しかし、それが真実であろうとも、自分が被害者であることを勝ち取ろうとするかのように、
私に裁判長の役割を求められても、私は裁判長の役割を果たすことはありません。
何故なら、その裁判でその方が勝利を勝ち取ったとしても、
その方の心の規則はそのままですから、
それ以降も同じ悩みを持つことになる可能性が大となります。
それだけでなく、それまでの心の規則にお墨付きを与えるような結果となってしまうと、
心の規則を変えることをより難しくしてしまう可能性があるからです。
同様に、いかに自分が悲しいか、辛いかだけを訴える方にも、
その方が感じている悲しみや辛さについて理解し、知ろうとはしますが、
弁護士の役割になり、ただ味方になったり慰めて終わることはありません。
当然、判事の役割を担うこともありません。
もちろん、最初は、その方の今の気持ちについて理解し知るために
そのままお話を聞かせて頂きますが、
その後、誰が悪いか、誰か正しいのかではなく、
今の問題を解決するためには、自分の何を変える必要があるのか、
それについて話をします。
しかし、
自分が被害者であることを勝ち取ることがメインであるかのような方、
慰めや癒しがメインであるかのような方には、
自分が何かを変えるための話となると、
まるで自分が悪いから自分が変わらなくてはならないと
言われているように感じ、不満を持ったり怒りを向けてくる方もいます。
そうなることを恐れ、避けるために、もっと受容、共感、尊重の時間を長く、
そして、施療回数をかけて良いのかもしれませんが、
それが長すぎると、その方の心が満足してしまい
精神分析論で言う所の感情転移欲求の充足が起きてしまい、
変えるための取り組みに入る前に施療が終了してしまうこともあります。
ですから、少しは不満や怒りを向けられたとしても転移欲求が満たされない内に
することになるのですが、一人一人にとってのベストのタイミングは永遠のテーマです。
そして、私の考え、「カウンセリングの場は、癒しや慰めの心の休憩所ではなく
心の規則を変えるための場であり、それがその方にとって本当に役立つことになる。」は、
訪れた方にとって、それが本当に正しいのかどうかは言い切れるものではありませんが、
それを信じて、これからもやっていくつもりです。
催眠療法&心理療法 神戸ストレスカウンセリング・ルーム花時計