将棋の棋士は、厳しい戦いを勝ち抜き4段となると
晴れてプロ棋士となり対局料をもらえるようになります。
4段はプロ棋士に成り立てで、
最高峰の名人や8段の方々と比べれば
手を読む力や詰め将棋の力等、
その実力には差がありそうなのですが、
実はそんなに差はないのだと、
故、大山名人が話していたと記憶しています。
一流とそうでないものを分けるのが何かと言うと
大局観がいかに優れているかどうかだそうです。
大局観とは
細部の局面に気持ちを奪われることなく
全体を把握する力とでも言いましょうか。
「泣いて馬謖を斬る。」と申しましょうか。
「敵は本能寺にあり。」と言いましょうか。
「木を見て、森を観ることも忘れず。」とでも言いましょうか。
路上にボールが転がり出たとしても
走行する車の存在を忘れない心構えとでも申しましょうか。
とにかくそこに差が表れるのだそうです。
現在の将棋界の第一人者である羽生善治名人には、
その場にいるプロ棋士の誰もが発見出来なかったような
5二銀のような伝説的な一手と称賛されるものが沢山あります。
他の棋士が見落としてしまうような手や、
簡単に発見することが出来ない手を
限られた短い時間の中で発見する実力もまた
優れた大局観によって導き出されるものだと思うのですが、
それらは、指されてみるとプロの棋士なら「なるほど」と
理解できるような「コロンブスの卵」的な手です。
羽生氏等の一流の棋士の方々と
失礼ながらそうではない棋士とのもっと大きな違いは、
今は、攻めるべきか守るべきか。
どの手を選んでも遜色のない時の選択力の違い。
対局後の感想戦おいても
あの一手が勝敗を分けたと指摘できるようなものではない
全く派手さがないような手にこそ
真の恐ろしさ、強さが潜んでいるように思います。
一流棋士の方々のその独特の感覚的な能力は、
研究しようにも研究しようがありません。
一流一歩手前の方々にとっては、
そこをなかなか埋められない越えられません。
努力しても埋まる保証はありませんが、
ちょっとでも何とかするには
知識や技術力を高め、経験を積むしかありません。
私達の日常では
+コミュニケーション能力や人間力を高めることでしょうか。
パートナーが働きもせずに酒塗れで暴力三昧、
それでも「私がいなければこの人は。。。」と
パートナーが金遣いが荒く、家事、育児もせずに放蕩三昧、
それでも「この人を愛しているから。。。」は、
大局観の欠如、麻痺と言えるかもしれません。
旅行会社の社員がバスの手配を忘れていたことを誤魔化すために
遠足を中止するように学校を脅迫するとか、
会社から与えられた携帯電話を無くしたことを誤魔化すために
ひったくりにあったと警察ざたにするとかも
大局観の欠如、または胆力の欠如と言えるかもしれません。
妻や彼女に絶対に言えないようなことをしてしまうことを
大局観の欠如、麻痺であり、忘却。
妻や彼女に隠し事をしていたものが
怪しまれ追求された時に、
その窮地を一発で救うような
天才的なひらめきの一言は、伝説の一手と言えるかもしれません。
で、このケースの場合の優れた大局観はと言うと、
怪しまれ追及されるまでに至らないようにするための
日頃からの何気ない言葉や行動を自然と選ぶことが出来る能力とでも
言っても良いのかもしれません。
とは言うものの、このような場合において
備えておくべき一番大切なものは、
大局観や天才的なひらめきというような戦略的に優れた能力よりも
誠実さであるのは間違いないようです。
(ちゃんちゃん♪)
催眠療法&心理療法 神戸ストレスカウンセリング・ルーム花時計