「精神的に辛くて働くことも出来ず蓄えも。。。
このままでは近い内に生活が出来なくなって死ぬしかありません。」
東京でのこと。
施療を任されるようになって一年を過ぎようとしていた
男性スタッフは、良い解決策を見つけ出すことが出来ずに、
クライアントにお金を貸す提案をする寸前まで行きました。
話を聞いた先生が制止し、
そのクライアントの施療を引き継いだことがありました。
クライアントの助けになりたいとの強い思いがあったとしても
金銭を貸し与えるとなると、
それはもう施療ではありません。
一人のクライアントに数ドルの金銭の援助から始まり、
最後には自分の家屋敷を売り払うまでいった
アメリカの精神科医がいたそうです。
極端な例ですが
クライアント自身が自立する力をつけないかぎり
延々と注ぎ込むことになり共倒れすることになります。
その人が立ち直ってくれるに違いないと、
とことん信頼しようとしたのか、
自己犠牲の精神を自分に強要していたのか、
何て冷たい奴だと思われるのが怖かったのか分かりませんが、
それが個人の犠牲だけで済むのなら
最終的にどのような結末と成ろうが
その個人の責任と価値観で行動したことなので
周りがとやかく言う事は余計なことなのかもしれません。
ですが、
従業員を多く抱えている経営者であったり、
家庭がある者がそれをやると話が全く違ってきます。
会社経営をしている知人から金銭の相談をされ
少なくない金額を貸し与え、その3割程度の返済を受けた時に
もう少しで会社が持ち直すと相談を受け
さらに少なくない金額を貸し与え、
最後には、大きな契約が完了したのでと
保証人になることを頼まれ、そのままトンずらされ
会社が窮地に。。。
これって、救いが無い言い方をさせてもらえれば、
自分の会社で一生懸命働いてくれている従業員の生活よりも、
自分の奥さんや子供よりも
その知人の方を大切にしたことになります。
知人ずらしてトンずらした人は、
当然のことながら責められるべき人ではありますが、
被害にあった人に
本心から「酷い目にあったな。」と言ってくれる人は、
何人くらいいるのだろうと思うのです。
善意からの行動を当り前のことと言い、
後からあんなものは納得していなかった、まだ足りないと文句を言い、
お前は許せないとざんざんにいやがらせをされたり、
足を引っ張ったりすることを何度も繰り返されたのにもかかわらず、
これからは仲良くやっていきましょうと甘い一言言われて
また同じ轍を踏む。
もうここまで来ると、私なんかはもう
自己犠牲の精神が素晴らしいとか、
人をとことん信頼する気持ちが素晴らしいとか、
そんなものは超越して、
勢い余ってひっくり返った意味でしか理解出来ません。
もはや、相手がどうこうよりも、その人に呆れてしまうし、
改善すべきはその人自身にありです。
なのですが、例外はあるにしても
このような自己犠牲的な精神を最後の最後まで変わることなく
向け続けてくれる人がいるんですよね。
「あほ!」「ぼけ!」「うるさいんじゃババア!」
なんて酷い言葉を吐かれても
「したい仕事が見つからない。」「自分を理解してくれる会社がない。」
と言い、無職で居続けて寄生されても
「お前があの時、あんなことを言わなかったら。。。」
「お前があの時、してくれなかったから。。。」
と全てをその人の所為にされたとしても、
そして、暴力をふるわれたとしてもです。
その人を信じ続け、助け続ける。
親のあの底知らないパワーは何処から湧いてくるのだろうか。
本当に凄いなと、有難いなと思うのです。
だからこそ、
自分を制約する心の御札をはぎ取ったとしても
心の底で真に恐れているそれが起きる訳もないので
時が満ちた時に、勇気を持って御札をはがし取り、
自分にフィットする価値観や考え方へと変革していきましょう。
催眠療法&心理療法 神戸ストレスカウンセリング・ルーム花時計