心の扉 神戸カウンセリング花時計

心理療法や催眠療法、ストレス解消や悩み等メンタルに関するもの、そして日常の出来事を自由気ままに掲載します。

和歌山 養翠園【国指定名勝】

2019年05月27日 | 名所巡り(和歌山)

琴の浦 温山荘園の鑑賞を終えて

私達が次に向かったのは、

温山荘園の近くにある養翠園です。

 

本日の代表的な訪問地は、養翠園で4か所目となり、

拝観可能時刻も残り少なくなっていることと、

午前中にあれだけ晴れていた天候が、

かなり怪しくなってきているのが気になるところです。

 

 

 

和歌山 養翠園【国指定名勝】

 

養翠園の名称は、松の緑を養う園を意味し、

紀州徳川家第十代藩主の徳川治宝(とくがわ はるとみ)により

清遊の場、外来者の接待の場として

江戸末期に8年の歳月をかけて作庭された庭園で

平成元年に国指定名勝を受けています。

 

 

 

 

根来寺、十禅律院に登場した

徳川治宝の名前がまた登場しました。

 

これだけの立派な庭園を作庭し、十禅律院もって。。。

それと他の藩主の名前が登場しないのは何故なのか。。。

 

そして、徳川御三家の一つである紀州徳川家が55万5千石で、

さきほど拝観してきた根来衆の拠点の根来寺は、

寺領72万石ですから私は根来衆に言いたい。

あんたら本分を踏み外し取るやんけ!」

 

 

 

御茶屋「養翠亭」

 

外来者は、駕籠にて正門より来園し、

養翠亭「御次座敷」で暫時休息した後に

殿様の居る「御座の間」へ案内されるようですが、

「御次座敷」と「御座の間」を結ぶ渡り廊下がちょっと変な感じ。

 

畳敷きの渡り廊下は、

かなり左斜め上に傾いた特異な構造のため、

畳や障子などは全部菱型になっていて、

このような遺構は全国で唯一のものだそうです。

 

何故、そのような構造にしたのかを知りたくて

少し調べたのですが分かりません。

まさかと思いますが、建築ミスだったら面白いんですけどね。

 

 

 

養翠亭 あやめ池

 

 

 

汐入の池

 

先ほど訪れた琴の浦 温山荘園の

現在の敷地面積は、18,000坪。

ここ養翠園の現在の敷地面積は、7,000坪。

 

どちらの池も海水を取り入れた

汐入りの池による池泉回遊式庭園ですが、

養翠園は、敷地7000坪の半分を池が占めていて、

池が主役の庭園のようです。

 

 

 

 

 

 

中島と太鼓橋

 

 

 

 

この画像だけを見たら、ただの湖だと思う人がいても

何ら不思議ではありません。

 

 

 

三ツ橋

 

 

 

三ツ橋の上から

 

雲行きが、かなり怪しくなっています。

 

 

 

三ツ橋

 

中島からの三ツ橋の景観。

 

 

 

中島の守護神

 

池の中島には、守護神として稲荷社、弁天社が祭られています。

 

 

 

太鼓橋

 

この小さな太鼓橋が有るか無いかで、

庭園全体の印象が全く違ってくるように思います。

 

 

 

 

全てが池を映えさせるためにあるような感じで、

ここまで池にこだわった庭園は珍しいのではと思うので

私の中にある疑惑が浮上。

 

それは、養翠園の釣り堀疑惑。

海水を取り入れた汐入の池、池の周りは釣りのポイントが一杯。

釣りを楽しむために作庭されたのでは。。。

さすがにそれはないか。

 

 

 

園路

 

 

 

 

 

 

刈り込み松

 

この松は、園内の松のスペアとして育てているのかと思いましたが、

盆栽風の松として園内を飾るものだそうです。

 

 

 

養翠亭

 

 

 

 

養翠園の御茶屋「養翠亭」からの景観。

 

ここからだと、どうしても庭園の眺めというより、

よく手入れされている池を眺めている感じになってしまいます。

この景観を眺めながら飲むお茶は、どんな味になるのだろうか。

 

 

 

湊御殿(奥御殿)

 

 

 

 

 

 

 

この湊御殿は、観覧可能だったはずなのですが、

残り時刻とぽつぽつと降り出した雨が気になったので

残念ですがスルーすることにしました。

 

 

 

 

今回の和歌山名所巡りで実感したのは、

和歌山には京都、奈良に負けない

素晴らしい名所が数多くあることです。

養翠園は、これで終わりです。

 

今回の和歌山の旅で訪問したかった所が

一つ残っているのですが天候、現在の時刻を考えると

慌ただしい鑑賞となるのは明白なので

友人との協議の結果、近くから撮影だけをすることにして

がっつりと鑑賞するのは次回の機会にすることになりました。

 

 

 

番所庭園

 

2011年に国指定名勝を受けた和歌の浦は、

万葉集にも詠われた古くからの景勝地になります。

 

番匠庭園は、和歌浦湾に突き出た

岬「番所の鼻」にある芝生庭園で、

江戸時代に紀州藩の海上への見張り番所が

置かれていた跡地を整備したものです。

 

右側奥の大島(男島)、中央奥の中之島(女島)、

左奥の双子島、

中央手前の一見、ゴルフ場のように見えるのが番匠庭園で、

 

海の青と木々の濃い緑と芝生の淡い緑の組み合わせが美しく、

夕陽の名所としても知られています。

 

番所庭園自体は、名勝庭園ではないけれども

名勝地の一翼を担っているのは間違いありません。

 

 

 

 

今回は、番所庭園を遠くから鑑賞しただけなので

機会を作って緑の地に足を踏み入れてみたいと思います。

 

今回の名所巡りは、ここ番所庭園で終了となります。

私達の旅が終わるのを待っていたかのように、

天候は大荒れとなり激しい雨となりました。

 

帰路の車内で私達の日頃の行いが

良いお陰だと話していましたが私は心の中で、

「いやいや、私の日頃の行いのお陰でしょう。」って

思っていたことは内緒にしておこうと思っています。

 

皆さま、私の楽しみ、趣味に

お付き合い下さりありがとうございました。

 

 

 

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琴ノ浦 温山荘園

2019年05月25日 | 名所巡り(和歌山)

根来寺の拝観を終えて次に訪れたのは、

和歌山県海南市にある国指定名勝の琴ノ浦 温山荘園です。

 

琴の浦 温山荘園は、

明治21年に日本で初めて動力伝導用革ベルトを製作し、

世界有数のベルトメーカーとなった

新田帯革製造所(現ニッタ株式会社)の

創業者 新田長次郎翁により大正初期より造園されました。

 

潮入式池泉回遊庭園で、主屋を中心にして

海から水を引くことで潮の干満に応じて

水位が上下するという汐入の池が3つ配されていて、

その池の周囲には茶室や座敷があり、

庭園の面積は、日本全国で17位、

個人庭園としては日本最大の庭園です。

 

 

 

琴ノ浦 温山荘園【国指定 名勝庭園】

正門【重要文化財 附指定】

 

洋風のコンクリート造りの門柱に鉄扉の正門の横に

拝観受付所があります。

 

平成22年に文化庁より国指定名勝を受け、

建造物は重要文化財に指定されました。

私達が拝観受付を終えると、庭園の管理責任者が有難いことに

私達の庭園のガイドをしてくれました。

 

 

 

園路

 

現在の琴の浦 温山荘園の敷地面積は、18000坪で、

作庭当時の敷地面積は、50,000坪だったようです。

 

50,000坪の敷地を要した琴の浦 温山荘園は、

紀州の名園として名高くなり、

しばしば皇族や政府高官が訪れていたようです。

 

正門から主屋、潮入式池泉回遊庭園までの

静かで長い園路が期待を高まらせてくれます。

 

 

 

新田長次郎翁銅像

 

この方は、事業の成功者というだけでなく

社会貢献も沢山しているようで、

昔の方にはそのような人が多かったような印象があります。

 

最近、社会貢献どころか日本に税金さえ収めたくないから

本社を外国に移すと宣言した会社がありましたが、

この違いはなんなんでしょうかね。

 

 

 

伴待部屋【重要文化財】

 

人力車夫のための控え場所&休憩所で

主屋の玄関の隣に建てられています。

 

佇まいから建物内を観れなさそうな雰囲気がありましたが、

管理責任者の案内により当たり前のように私達は建物内へ。

 

この建物内と主屋には隠し扉があり、

その奥にはテロリストが強襲してきた時のための

脱出用の下へと続く階段があります。

 

明治維新から大きく社会構造が変わるなかで、

旧武士の人達の中には、廃刀令、帯刀令に背いて

日本刀を隠し持っていた人も多かったようで、

まだまだ物騒な世の中だったようです。

 

 

 

主屋【重要文化財】

 

主屋には、日本海海戦の海軍司令部長の東郷平八郎元帥他、

政府家の直筆扁額を拝見することが出来ます。

そして、

主屋にも隠し扉&脱出用通路が施行されていて

先ほどの伴待部屋の地下脱出用通路と繋がっています。

 

 

 

温山荘園 主屋 室内

 

右側の扁額「琴乃浦 温山荘」は、

温山荘の名付け親でもある東郷平八郎の直筆で、かなりの達筆です。

 

管理責任者曰く、東郷平八郎元帥は頼まれれば

二つ返事で書いていたので、

東郷平八郎元帥の書は、全国で沢山あるはずとのことです。

 

温山荘園の主屋のように立派ではないにしても、

私の子供の頃は殆どの家が日本家屋だったので

障子、ガラス戸、雨戸がある家屋を見ると

懐かしさが込み上げてきます。

 

 

 

 

窓の外、左側の小高い所にある黒くて四角い小さな建物は、

この庭園の設計事務所として使用されていたもので、

今まで台風で3、4回ほど屋根が吹き飛んだそうです。

(直近は昨年の台風で)

 

 

 

 

主屋のこの場所から観る庭園が一番美しいと言われています。

ガラス戸ありの庭園の景観。

 

 

 

 

ガラス戸無しの庭園の景観。「美しいやないか~い!」

多くの松が植えられた広い庭園に落ちている松葉が見当たらないほど

手入れが行き届いています。

 

管理責任者曰く、風が強く吹いた後、特に台風の後、

軽トラック10台分以上の松葉が散り落ちるようで、

その掃除が一番大変のようです。

 

 

 

北冠木門(きたかぶきもん)

 

主屋を出て、潮入式池泉回遊庭園の回遊です。

この北冠木門を潜れば、東池エリアです。

 

 

 

東池

 

 

 

主屋

 

庭園側から観る主屋。

主屋は一応、瓦葺木造平屋建とされていますが、

斜面に建っているため、鉄筋コンクリート造の半地下室があって

ダンスホール、ビリヤード場、台所等があるそうです。

 

 

 

 

庭園の多数ある燈籠の中には、

江戸時代のキリスタン禁制時に

隠れマリア様を燈籠に彫り込み祈りを捧げたという

マリア燈籠、十二支とハートマークが彫られた燈籠等があるそうで、

 

春日大社の春日大明神と彫られている

特別な石灯籠を探すよりも簡単なので

温山荘園を訪れた際には、探してみてはどうでしょうか。

 

 

 

 

主屋の東側にある二つの池を東池と言います。

ちょっとややこしくなるのですが、

こちらの池は、東池の北側の池。

 

 

 

 

こちらの池は、東池の南側の池。ね、ややこしいでしょう。

 

 

 

 

こちらも東池の南側の池。東池の対岸に茶室が見えます。

 

 

 

 

天候が少し怪しくなってきているのが気になるところ。

 

 

 

茶室「鏡花庵」【重要文化財】

 

東池の真ん中に茶室「鏡花庵」へ続く園路が延びていて、

ここを渡らなくとも茶室へと行くことが出来ます。

でも、んなのを見ると普通は、渡りたくなりますよね。

 

で、渡って茶室へ到着です。

 

 

 

茶室「鏡花庵」

 

大正9年の築。

瓦葺の屋根の上に茅葺の屋根が乗っかっています。

 

 

 

 

 

 

石塔

 

多くの場所で見られる十三重の石塔の十三の数字は、

仏教では仏舎利を表す良い数字とされていますが、

西洋では13の数字は忌み数とする国もあり、

ところ変われば何とやらですね。

人の悩みも、ものの見方や捉え方一つで違ってくるのと同じですね。

 

 

 

西池

 

 

 

浜座敷【重要文化財】

 

大正2年築。海を眺望するのに最も適した場所として

温山荘園で最初に建築されました。

現在は、浜座敷眼前の海は埋め立てられて

運河がその名残を残しています。

 

 

 

 

 

 

長寿橋

 

この西池に浮かぶ島に渡されている二つの石橋があり、

主屋に近い方が紀州青石、写真の石橋が四国の青石です。

 

どちらも名石として名高い石で、

この庭園に使われている二つの巨大な一枚岩、

特に紀州青石の石橋は大きく、長さ約9m、幅約2.2mで

現在の価値は、億の値が付く代物だとか。

 

 

 

西池 渡り石

 

海水と淡水が入り混ざる池で、

この渡り石は満潮時には水没する面白い構造になっています。

 

 

 

西冠木門(にしかぶきもん)

 

 

 

主屋(西側)

 

主屋の西側に回ると二層建てであることが良く分かります。

 

 

 

ダンスホール(元)

 

主屋一階には、元ダンスホールとして

使用されていた空間があります。

現在は、床板は外されて空間だけが名残を残しています。

 

第二次世界大戦において

和歌山中心部への十数回に及ぶアメリカ軍の空襲から

避難してきた多くの人を温山荘園は受け入れて

戦災に見舞われた人たちの

避難所となっていたようです。

 

 

 

 

琴の浦 温山荘園、

今回の訪問で全てに足を踏み入れていないのですが、

私のお気に入りに登録決定しました。

 

手入れが行き届いた庭園の美しさはもちろんですが、

海から池に入り込んだ魚が時折飛び跳ねる音も

鹿威しとは違った風味があり、

主屋でゆっくりと寛げる感じがまた素晴らしかった。

 

この先、庭園の人気が爆発すれば、

私達が訪問した際に味わえた感じを

同じように味わえるかどうか分かりませんが

 

今までの和歌山の名所巡りの中で、

心地良さ、居心地の良さを加味して、

温山荘園が私のランキング1位にランクインです。

 

 

 

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根来寺

2019年05月23日 | 名所巡り(和歌山)

粉河寺の次に私達が向かったのは、根来寺です。

戦国時代において根来寺は、

鉄砲で武装した強烈な僧兵を有して、

雑賀衆と共に歴史にその名を遺しています。

 

 

 

新義真言宗 総本山 根来寺 

大門【県指定文化財】

 

大門は、1850年に再建されたもので

高さ16.88m 横幅17.63m 奥行6m。

京都平安神宮の大鳥居のように

入山受付所からそこそこ離れた場所に建築されていて、

その当時の広い敷地と権勢を感じ取れます。

 

 

 

大門前の不動明王像

 

 

 

 

左右に仁王像、上層には釈迦三尊と十六羅漢像が安置されています。

それにしても立派な門です。

 

 

 

大門 仁王像

 

 

 

 

 

 

新義真言宗 総本山 根来寺石標

 

室町時代になると根来寺は、院九十八、僧坊二千七百、

寺領七十二万石僧兵一万余を擁する一大勢力となり、

門前町は商工業の町となり

漆器や鍛冶の職人が集住するようになります。

 

根来の僧侶は、熊野船に乗って

紀州と種子島との航路を往来し商業取引を盛んに行うなかで

種子島の島主から得た鉄砲一丁を根来に持ち帰り、

驚くことに翌年には紀州第一号の鉄砲が誕生しました。

 

鉄砲の生産を産業化し、根来衆は武装化を推し進め、

新兵器の鉄砲に練達した傭兵集団として各地の大名に雇われ

戦に出るようにもなり、根来寺一帯は城塞化が進められ、

五メートルの濠を設けた西山城を造営するまでになりました。

 

 

 

根来寺 境内

 

サツキ?ツツジ?が境内の参道を彩ります。

 

 

 

鐘楼門

 

 

 

聖天池と聖天堂と行者堂

 

すんばらしい景観。この聖天池の景観が

名勝庭園の指定を受けているとの情報があるのですが、

根来寺のホームページでは特に記載がないので混乱しています。

 

 

 

 

名勝に指定されていようがいまいが、

この景観は、根来寺の見逃し厳禁の場所です。

 

 

 

手水舎

 

 

 

光明真言殿(光明殿)

 

1804年に落慶し、

開山興教大師覚鑁のご尊像を安置しています。

 

 

 

 

光明殿正面外から御堂内を拝見することが出来ますが、

光明殿の中に足を踏み入れることが出来るので、

ここは後の楽しみとします。

 

 

 

 

 

 

本坊・寺務所

 

住職が住む建物であり、根来寺の寺務を総括する場所で、

ここから「光明殿」「行者堂」「聖天堂」、

そして、私達の第一のお目当ての

名勝「根来寺庭園」を拝観することが出来ます。

 

 

 

根来寺庭園 【国指定名勝】

 

名勝庭園の指定を受けている根来寺庭園は、

自然の滝と池を取り入れた

池泉式蓬莱庭園の池庭(江戸時代作庭)と

枯山水の平庭(江戸時代作庭)で構成されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

名草御殿

 

 

 

 

 

 

 

御殿の縁側に腰を下ろして名勝庭園を鑑賞。

 

 

 

滝と池庭

 

 

 

 

 

 

 

 

 

光明殿

 

 

 

名草御殿

 

 

 

 

根来寺庭園は、コンパクトでまとまりがある綺麗な庭園です。

江戸時代に作庭されたとのことですが、

平成に作庭されたと言われても違和感がありません。

 

 

 

光明殿

 

開山興教大師覚鑁のご尊像を安置し、

左右には歴代藩主・座主の位牌を始め信徒の位牌が祀られています。

 

 

 

光明殿と行者堂を結ぶ廊下

 

 

 

 

廊下の一角にあった井戸?

 

 

 

行者堂内

 

役行者を祀りするお堂で、仏法興隆のための行場となっています。

 

 

 

聖天堂から観る聖天池

 

 

 

聖天堂内

 

聖天尊をお祀りするお堂。

 

名勝庭園のあるエリアから

国宝の大塔があるエリアへ向かいます。

二つのエリアの境には、小さな門があります。

 

 

 

大師堂【重要文化財】

 

真言宗を開宗された弘法大師・空海像を

本尊として祀られています。

 

 

 

大塔【国宝】と大伝法堂

 

 

 

大塔【国宝】

 

本尊・胎蔵大日如来。高さ40m、幅15mの

木造では日本最大の多宝塔です。

 

この国宝指定されている大塔の大きさと迫力はかなりのもので、

見た瞬間に「oh my God!」と声が出てしまいました。

 

 

 

 

 

大塔の規模は、高野山の根本大塔(鉄筋コンクリート製)に

匹敵する位の大きさで、大塔の内部は12本の柱が円形に立ち、

そのなかに四天柱が立っていて、

国宝の大塔内に入って参拝できます。

 

また大塔内には、秀吉に攻められた際の

火縄銃の弾痕が残されています。

 

 

 

 

広々とした敷地に巨大な二つの建築物、

大塔【国宝】と大伝法堂。

 

名勝庭園のあるエリアと大塔エリアとは

雰囲気がガラリと変わります。

 

 

 

手水鉢

 

 

 

大伝法堂(本堂)

 

根來寺の本堂で、本尊は大日如来、

脇仏は金剛薩埵(こんごうさった)、

尊勝仏頂(そんしょうぶっちょう)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奥の院

 

 

 

興教(こうぎょう)大師・覚鑁(かくばん)上人の御廟所

石標から御廟所までの参道は、

高野山の奥の院の雰囲気と似ていました。

開山の覚鑁(興教大師)は、

元々高野山の僧侶のようなので似ても不思議ではないですね。

 

 

 

 

 

 

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和歌山 粉河寺

2019年05月21日 | 名所巡り(和歌山)

5月某日、混雑するであろうゴールデン・ウィークを避けて、

いつもの友人と恒例の名所巡りに出発しました。

 

今回、私達が名所巡りの目的地に選んだのは和歌山。

和歌山の場合は、車の方が何かと都合が良いので

友人の車で向かいました。

 

車の運転は、いつも友人。私は、助手席で、

「いいよ。」「凄い!」「運転、完璧!」と

声での応援にまわります。

 

 

 

西国第三番 風猛山 粉河寺(ふうもうざん こかわでら)

大門【重要文化財】

 

今回の私達の名所巡りは、和歌山 粉河寺から始まります。

この粉河寺の大門は、

和歌山県では高野山、根来寺に次ぐ大きさのようです。

 

お陰様で道中、渋滞に巻き込まれることも無く、

粉河寺の開門時刻よりも少し早く到着することが出来たので

大門周辺を少し探索することに。

 

 

 

粉河蛭子神社

 

粉河寺の大門の直ぐ近くにあるのが粉河蛭子神社。

小さな神社のようですが十日恵比須の日には、

なかなかの賑わいとなるようです。

 

 

 

粉河大神社

 

この神社の社号は大神社で、

あの藤堂高虎が氏神として崇敬した神社のようです。

 

境内の規模は小さく、

その境内の大半を樹齢1000年以上と言われる

大きな楠木が占有しています。(かなり迫力あります。)

 

 

 

 

今回の名所巡りの目的地は、

時間が許せば5か所を訪れるつもりなので

時間配分とデジカメの撮影限度枚数を

考えながらの拝観となります。

 

 

 

粉河寺 大門 仁王像

 

粉河寺は、西暦770年に創建。

仁王像は、春日仏師の作(春日仏師って誰?)

 

この立派な大門の近くには、江戸時代の藩士の住宅で

紀州藩の鷹狩りの準備を行う「餌差(えさし)」と呼ばれる役人が

居住していたと考えられている旧南丘家住宅があるのですが、

そちらは一般公開をしていないようです。

 

 

 

石畳の参道

 

粉河寺の主だったお堂は、

この境内奥に伸びる一筋の石畳みの参道沿いにあるようなので

見過ごしてしまう心配はないようです。

 

 

 

 

 

 

本坊

 

 

 

仏足石

 

仏足石とは、釈迦の足跡を石に刻み信仰の対象としたもので、

両足を揃えたものがより古い形式で、

片足のものは比較的新しく紀元後のものとのことです。

 

古代インドでは仏像を造る習慣がなく、

仏足石や菩提樹等を用いて

釈迦やブッダを表現していたようです。

 

 

 

出現池

 

出現池と呼ばれる正面の祠には、

石像の千手千眼観世音の化身といわれる

「童男大士」の石像が安置されています。

 

「童男大士」が、この池から柳の枝を手に持ち、

白馬に乗って現れたと伝えられています。

「普通の考えると、まあ、あり得ない話ですわ。」

 

普通ではあり得ない話ではあるのですが、

神官であったとしても僧侶であったとしても

宗教に真剣に関わっている人の場合には、

 

何らかの宗教儀式で精神がトランス状態に

入ることもあったと思われるので、

上の様な体験をしたとしても

何ら不思議ではないんですよね。

 

そして、それを体験したと言う人が、

何故故にそれを観たのかを解き明かそうとする場合には

夢分析的にアプローチをすれば

何らかの答えが見つかるように思いますが、

それは野暮ですよね。

 

 

 

念仏堂

 

 

 

太子堂

 

聖徳太子をお祀りしているお堂です。

日本各地に聖徳太子が建てたとされる寺院が沢山見受けられますが、

聖徳太子の名を借りただけで、

聖徳太子は関わっていない寺院も数多くあるようで、

奈良の法隆寺と大阪の四天王寺は、

聖徳太子が関わったのは確実なようです。

 

 

 

大畑才蔵翁彰功之碑

 

この方は、小田井と藤崎井の水路を造り、

橋本市から和歌山市の間に広がる

水田地帯を開発した江戸時代の先人のようです。

 

 

 

無縁塔

 

 

 

 

 

 

手水舎

 

粉河町指定文化財 美術工芸品に指定を受けている

銅製で蓮葉を象った手水鉢。

 

 

 

放生池

 

 

 

 

 

 

中門【重要文化財】

 

大門と遜色がない立派な中門には、

四天王像が安置されています。

 

大門、中門、いや~奈良や京都と比べても遜色がありません。

中門に掲げられている「風猛山」の扁額は、

紀州十代藩主・徳川治宝候の直筆です。

 

 

 

中門 四天王像

 

中門には、四天王の多聞天、広目天、持国天、

増長天が安置されていて、写真は、多聞天。

 

 

 

中門

 

本堂側から観る中門には、

持国天と増長天が安置されています。

 

 

 

丈六堂(じょうろくどう)

 

丈六堂内に安置されている阿弥陀如来像。

 

 

 

国指定名勝 粉河寺庭園

 

私達の粉河寺のお目当てが、

この国指定名勝を受けている粉河寺庭園です。

 

崖地を補強する石垣とするところを

只の石垣で終わらせなかった感じで、

このような造形の庭園があることを初めて知りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本堂【重要文化財】

 

西国三十三ヶ所最大級の御堂で、本尊は千手観音菩薩。

 

 

 

 

この仏像が過去に公開された記録は一切なく、

失防止などの理由から

本堂の地中に埋められているのだそうです。

 

 

 

 

 

 

六角堂

 

 

 

千手堂【重要文化財】

 

本堂の西側に隣接して建てられている「千手堂」の祭壇には、

歴代の紀州藩主と、その所縁の人々の位牌が安置されています。

 

 

 

粉河 産土神社

 

 

 

鐘楼

 

写真には納めなかったのですが、この鐘楼の直ぐ近くにも

粉河大神社でみたような大きな樹木(御神木)が繁茂していました。

 

これで粉河寺の拝観を終わりかなと思っていた所、

鐘楼、御神木の奥に新たな門を発見したので足を伸ばしてみました。

 

 

 

十禅律院 築地門 【和歌山県指定有形文化財】

 

粉河寺の本堂から北東に隣接して建つ

十禅律院(じゅうぜんりついん)は、

元は粉河寺の塔頭だったそうですが、

 

江戸時代後期に紀州藩10代藩主の

徳川治宝(とくがわ はるとみ)が、

十禅律院を余程気に入ったのか、

天台宗の寺院に改宗したことで粉河寺の塔頭ではなくなりました。

 

 

 

十禅律院 境内

 

築地門から境内へ入ると、広いとは言えない境内であるのに

まるで時代劇等で悪役が身を隠している

錆びれた古寺のような感じで

一目で手入れが行き届いていないのが分かったので

名園の文字と拝観入り口の看板を発見しなければ、

引き返していたと思います。

 

 

 

庫裡 拝観受付所【和歌山県指定有形文化財】

 

拝観受付所の庫裡玄関には人の姿が無く、

建物内に向かって声をかけると60代半ば位でしょうか、

一人の女性が現れて無事に拝観受付を済ませると、

その女性が拝観案内と丁寧に説明をしてくれました。

(拝観料は200円。)

 

十禅律院の築地門、本堂、護摩堂、庫裡は、

和歌山県指定有形文化財を受けているようです。

 

 

 

庫裡内

 

寺の成り立ちから檀家がないそうで、

建物や庭園の維持管理がかなり大変のようです。

 

 

 

着座の間

 

徳川治宝が訪れた際に使用した座敷で、

床の間の掛け軸の文字「薦福殿」は徳川治宝の直筆

興味深いのが色落ちが激しい襖と同じ模様の壁紙で

壁、天井が装飾されています。

江戸時代に壁紙文化があったってことになります。

 

 

 

十禅律院 洗心庭

 

市指定庭園の座視式の枯山水の庭「洗心庭」

左には本堂と特徴ある光取入れ窓が施されている花頭丸が観えます。

 

築地門すぐの境内の様子から

庭園も手入れが行き届いていないだろうと

さほど期待していなかったんですが、

庭園は見事に手入れされていました。

 

 

 

 

和歌山県と大阪府の境にある和泉山脈を借景としていて

広々とした開放感ある庭を

庫裡の縁側に腰を下ろして眺めることが出来ます。

心落ち着き気持ち良い庭です。

 

庭自体は小さな庭なんですが、

借景が抜群に庭を輝かせているように思います。

借景という素晴らしいアイディアを

最初に考えたのは誰なんでしょうかね。

 

 

 

釣り鐘

 

 

 

境内と築地門

 

十禅律院には、徳川の家紋「三つ葉葵」が着座の間以外にも

調度品や幕等、あちこちに観ることが出来ます。

 

徳川御三家の一つに縁あるお寺?避暑地?であるので

このまま朽ち果ててしまうのは残念なので、

近くにお住まいの方は、どんどんと拝観に訪れて欲しいし、

元々の粉河寺の塔頭に戻ることは出来ないのかなと思ったりします。

 

 

 

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世界遺産 和歌山編

2015年06月12日 | 名所巡り(和歌山)

熊野三山の残りの一つ

熊野那智大社に足を踏み入れます。


本来は一ノ鳥居から二ノ鳥居を通って

境内に入るのが正式なのだと思うのですが

(しかも一ノ鳥居の所まで行ってるし)

もう一度、那智山 青岸渡寺まで戻ってから入ることに。



このようなルートを選択したのかについては

特に意味はないのですが、

昔、ドラクエの迷路の攻略法として

私が採用していたものと似ている気がします。




青岸渡寺に隣接している那智大社の入口

外国の方も沢山来ていました。




門をくぐると直ぐにある那智の大楠

この大楠は樹齢800年を超えていると言われていて

平重盛が参拝の際に手植えしたものと伝えられいます。


地面に近い所は物凄く太く、(おそらく大人8人位で手をまわしても足らない位)

その少し上から幹がいくつかに分かれて面白い姿をしています。




真下から観た大楠




熊野那智大社 拝殿








今回は、凄いです。和歌山と私は相性が良いのか

写真にまたまた巫女さんをゲットしています。


熊野速玉大社の時にもゲットしていますし、

玉置神社と本宮大社は撮れてはいませんが、

その時も、まるで私が写真を撮るのに合わせるように姿を現してくれたんですよね。



こっこっこっこれは!

もしかして。。。



那智の道案内に天照大神は神武天皇の元に八咫烏を御遣わしになった。

そして、

神は、私の元へ巫女さんを御遣わしになったのかもしれない。



社殿と八咫烏の像







宝物殿




二ノ鳥居と手水舎




那智大社の手水舎




手水舎を今回沢山見かけたのですが、これは。。。


青岸渡寺に一つあったのは青岸渡寺に御参りする用としても

那智大社の一ノ鳥居をくぐった所と写真の二ノ鳥居をくぐった所にもあるのは

二度、清めることを求めているのでしょうか。謎のままです。



二ノ鳥居から下を見るとこんな風景です。




丁度、この階段を上がってきた人がいたので尋ねてみたのですが

随分としたまで続くそうです。


私達は、防災道路を通って一番上まで来たので

那智大社への正式な参道を通って来ていません。


この階段を息を切らして自分の足で上がってきた人は、

私達が観ていない素敵な景色を観ることが出来たり、

私達が体験していない何かを感じることが出来るのだと思います。



私達は一日数カ所の強行軍?で回るので

(バスツアーよりはゆとりがあると思いますが)

一カ所に時間をかけ過ぎることを避けることになります。



同じ理由で私達は歩いていませんが、

大門坂という古道のロマンを味わえるルートもあるので

再度の訪問する機会があれば歩いてみたいと思っています。



熊野那智大社を後にして

飛瀧神社(ひろうじんじゃ)、那智の滝へと向かいました。




飛瀧神社は、

那智大社の別宮で元々那智大社はこの場所にあり、

その昔に現在の場所に移転したようです。


那智の滝自体が御神体として祀られているので

本殿も拝殿もありません。


瀧そのものが御神体として祀られている

まさに神道の自然信仰。







那智の滝へと続く階段




階段を降り切ると




那智の瀧



ど、ど、ど、どーん。

日本三名瀑の一つ

133メートルもある大滝なので物凄い迫力です。



那智の滝は、日本の最大級の滝の一つですが、

世界の滝と比べるとその規模は、

大人と子供、猫と虎くらいの違いがあり、

日本の滝はしょぼいと言う人もいるかと思います。



でもなのです。私なんかは、

ナイアガラやイグアスは、あれはもう滝ではありません。

滝のレベルを超えちゃってもう別物扱いをしています。



さて、この滝の飛沫に触れることによって、

延命長寿の霊験があるそうす。



つい最近、世界不思議発見のレポーターが番組内で

ニュージーランドでレポートした滝に

滝の飛沫に触れると寿命が延びると言う言い伝えがあると紹介していましたが、

随分と距離の離れた外国の地、そして、文化も違う地で

日本と同じような言い伝えがあることは正に不思議発見です。



300円だったか、お金を納めると那智の滝にもっと近づけるので

飛沫に触れにいきます。




何日か前に近畿地方に大量の雨が降ったので水量も十分。

その昔、瀧の岩肌に千手観音が彫られていたそうですが、

今は崩れ落ちたのか見つけられません。


しかし、誰がこんなに水が流れ落ちる所に

どんな風にして彫ったのか、信じられません。


写真の左側に写っているのが

延命長寿のお瀧水、

右に写っているのも同じなのかどうか分かりません。



お瀧水の右隣にある水口(これも延命長寿のお瀧水かもしれません。)



古代の人々が133メートルもの瀧を観て

神が降臨する御柱と観えてもおかしくないだろうし、

龍の姿として観てもおかしくないだろうと思います。


龍の字と瀧の字が良く似ているのも

そのようなことと関係があるとは思うのです。



そして、龍神は、雲や雨を司る水の神様で、

水は私達が生きて行く上で必須のもので、私達の命の源泉。



私達が身を清めるための手水舎に注がれる水が、

龍の口から出ているのも

それらの考えから来ているのだと思います。



ちょっと面白い話で友人曰く

もともと日本では水と瀧と龍との関係で

水道の水口は、

龍口と言われていたようですが、



後に私達一般の住居の水口を神様に敬意を払って、

龍ではなく蛇、つまり蛇口と言うようになったそうです。



何故、蛇とすると敬うことになるのかと言うと

「海に千年、山に千年すんだ蛇は龍になる。」という言い伝えがあり、

蛇は、龍に成長する前の姿となります。



階段を上って




ここは?




瀧に近づいてきました。




ここまで来ると、瀧の飛沫を少し浴びることが出来ました。

水量は、毎秒一トンと言われていますが

その水が流れて行っているだろうと思われる下へと目をやると

さほど水が流れていません。


一体、どこに流れているのだろうか。

ブラックホール、あるいは神様の世界へ流れているのでしょうか。




瀧のズ――――ムア―――ップ!




もう一つ、ズ――――ムア―――ップ!




マイナスイオンの影響なのか、ドドドドド―ッと響き渡る音の影響なのか

聖域が放つ何かを感じとっているのか

いつまでもここに留まりたくなる位に気持ちが落ち着きます。

この感じは、仁和寺、龍安寺と他少ししかありません。



なのですが、そうはいかないので

踏ん切りを付けて那智の滝を後にします。





私は子供の頃だったか、いつだったか岬公園に2度ほど行った記憶と

学生の時に南海電車で和歌山深日港経由で帰省した位で

深く和歌山県に足を踏み入れたことはないくせに、

和歌山に持っていたイメージは、特に見所がない所でした。



当然のことながら和歌山に関する映像や写真は、

これまでも見たこともあったのですが、

私の持つイメージは変わることがありませんでした。



しかし、

実際に足を運んでみると面白いもので

あっさりとイメージが書き変わるんですよね。



これで和歌山の世界遺産を制覇したと思ったのですが、

帰ってから訪問した場所に関して調べていると

何と言うことか、ひとつ見落としていたことを発見。

「補陀洛山寺」

う~ん。またやってしまっていたのです。



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世界遺産 和歌山編

2015年06月09日 | 名所巡り(和歌山)

朝~。



7時30分起床で朝食に向かいます。


昨日、母親にと速玉大社で購入した御札と御守り




朝食




私たちの他には一組の外国の方だけで、

他の宿泊客の皆は、まだ寝ているのかなと思っていたのですが、

昨日の夜に6台ほど停車していた車が一台もない所をみると

もう出発したようです。


私達が遅いのか、皆が早いのか、

もしかすると旅行ではなく出張なのかもしれません。





朝9時頃、御世話になったホテルを出発して

今日の予定、熊野三山の最後の一つ熊野那智大社へと向かいます。



しばらく県道車を走らせると、山道に突入。

ホテルから熊野那智大社まで25分。(グーグル調べ)


ナビに従いマイクロバス以上の車両は通行できない防災道路(有料道路)を通り

那智山 青岸渡寺(せいがんとじ)と那智大社の直ぐ近くに到着しました。



ちなみに那智大社と那智山 青岸渡寺は、

同じ敷地に建てられているかのように隣合わせで、

共に世界遺産登録がされています。



駐車場に隣接した納骨堂




三重塔

駐車場から一段下に降りた所にあります。

2階と3階は、展望所になっているそうです。




那智山 青岸渡寺の本堂に向かいます。




鐘楼




下の写真には、灯篭のようなものが写っていますが、

宝篋印塔と言い、現在は供養塔、墓碑塔として建てられていますが、

元々の目的は違ったものだったそうです。

この宝篋印塔は、1322年の造立とされていて

重文に指定されているようです。




那智山 青岸渡寺 本堂




これまた物凄く朽ちた感じが独特の味わいを感じます。

最初、厳島神社の時にあった千畳閣(豊国神社)のように

今は使われていないのかなと思ったくらいです。




本堂の前の庭と言うか広場




灯篭の横からの景色

三重塔と那智の滝




今日は、気候も天気も良く

標高500メートルから見る景色も絶景でした。



実際に見た時の感じが上手く映し撮れないことを嘆いていたのですが、

ここにきてあることに気が付きました。


写真を大きなサイズで見ると

その時に見た感じに結構近づくので、

腕の良し悪しやカメラの性能の違いが全ての原因では無かったようです。




現存の本堂は、織田信長の軍勢によって焼き打ちされた後に

豊臣秀吉が弟秀長に再建させたもののようなのですが、

以前訪問した延暦寺も信長に焼き打ちされていて、

ここも焼き討ち。



当時、いくつかの宗派は

高利貸しを行い返済出来ない人の田畑を取り上げたり、

妻、娘を売り飛ばす。

酒を飲み女を抱くなどの悪行三昧を繰り返したりと

もう本来の仏教の姿では無くなっていたようです。



しかも、

ちょっとした大名どころか朝廷にさえも圧力をかけるほどの

強大な兵力を持つ武装集団と化していたようで、

そうなると天下統一を進める信長と一戦交えることになるのは

自然な流れとも言えます。



堕落した宗派を本来の姿に戻すために成敗したと言う人もいれば、

信長の命令に従わない天下統一の邪魔になる集団だから

成敗したと言う人もいて本当の所はどうなんでしょうかね。




は、天下を統一する寸前で亡くなりましたが、

何故ゆえにあのような事件が起きることになったのかは

未だハッキリとしたことは分かっていません。



仮に信長側には大義名分が成り立つ行動であったとしても

その手法が力技過ぎると強い敵愾心を生み出し

己の敵対勢力を生み出すことになるので、

あのような結果を呼び込んだのかもしれないと思っています。



後に天下を取る



そんな気性の激しい信長と折り合いを付けて仕えていたのですから

二人の懐の広さはかなりのものだったのではと想像します。



私なんかは懐がそんなに広くないので

到底無理で袂を分かつことになること間違いありません。



大きくて沢山のものを入れるには大きな入れ物が必要であるのと同じで

沢山の人の協力がなければ成し得ないことをやる場合、

様々な人を懐に受け止めるだけの大きさがないまま強引に突き進んでも

どこかで破綻してしまうのかもしれません。



ちなみに、



は、人たらしの能力に相当長けていて



は、「鳴くまで待とう」の忍耐力にプラスして

信長並みに相当気性が荒かったという説もあるようです。




100円だったか200円だったか

私が購入した線香が中に写っています。




ここ那智山 青岸渡寺は、西国三十三か所の一番札所になっています。


日本には観音様をおまつりしたお寺を巡礼する習慣が

室町時代に始まったようで、

その最古のものが近畿一円に点在する

「西国三十三箇所」への巡礼とのことです。


他に、関東地方の秩父三十四ヶ所と坂東三十三ヶ所の三つ全部お参りすると

合わせて100になることから百観音の巡礼と言うのだそうです。




観音様の仏像




手水舎




階段の下の方に山門が見えましたが

ここは何となくスル―して




この違う階段を下りてみると




尊勝院



宿坊とあったので一般の人はどうか分かりませんが

宿泊出来るかもしれません。


さらに先へと下って人がいる所に行ってみると




さきほど上から見下ろしていた

青岸渡寺の山門がありました。

本来ならこの階段を上って入っていくのだと思います。




いつもなら山門の金剛力士像を写真に収めに行くのですが

今回は何となく止めました。



写真でも分かるように、

珍しいことに金剛力士像が設置されている場所が

金網以外の素材で囲われています。


そこにいた人達は、ガラスに囲われていると言っていましたが、

実際に真近で観ていない私が言うのも何ですが

強度面から考えてアクリル樹脂だと思うのですがどうなんでしょう。。。



先ほどの山門を見上げることが出来る場所のすぐ左に

那智大社に通ずると思われる鳥居があります。




鳥居をくぐって前には階段

直ぐ左に手水舎が




手水舎




そして、

手水舎の左手前には、橋と庭と奥に階段がありましたが

足を踏み入れていないので

この先に何があるのか確かめていません。



私は階段を上って大社には向かわず、

青岸渡寺の方へと一旦引き返しました。





次は、熊野三山の残りの一つ

熊野那智大社に足を踏み入れます。




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世界遺産 和歌山編

2015年06月05日 | 名所巡り(和歌山)

午後4時30分に熊野速玉大社に到着。

正しいのか、唯の思い込みなのか

この時、拝観は午後5時までと思い込んでいるので

後30分で果たして見て回れるのだろうかと

ちょっと焦っていました。


熊野速玉大社 正面




鳥居の色合いがちょっと濃い目の赤です。




神門




扉には大きな菊の御紋




拝殿

神門をくぐると直ぐ正面に拝殿があります。




違った角度から観た拝殿




拝殿の奥には、複数の社殿があります。




拝殿の右側にある鈴門




左が新宮神社で右が恵比寿神社




残り30分でしたが、

敷地はそんなに広くなかったので主要なものは、

観ることが出来た様に思います。

ここにも八咫烏神社があり、天照大神が祀られていました。


熊野三山とは、

熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つの総称です。

明日は、残りの一つの熊野那智大社に向かいます。


今回の旅では、できるだけしっかりと参拝しようとしたので

その参拝回数が半端ありませんでした。


玉置神社では、4か所で参拝して、

熊野本宮大社では、5か所。

熊野速玉大社では、6か所。


それでも参拝を見送った所があります。


写真のように参拝所が並んでいるのですが、

これまでの訪問した所では、

同じような所は、なかったような。


でも、これまでは、

しっかりと参拝できる所の全てを参拝しようとする気持ちが

弱かったせいで記憶が飛んでいるだけなのかもしれませんが。。。



初日に予定していた3か所を予定通りに拝観することが出来、

いよいよネットで予約していたビジネスホテルに向かう事に。



これがまた、ナビがビジネスホテルの裏側に案内したことで

発見に少し手間取ったりと一混乱があったのですが、

無事にチェックイン。



一人一室で、なぜかベットが二つのツインルーム。

料金は、朝食付きで6,500円。


御風呂は、提携といったか親会社と言ったか忘れましたが

そのホテルで温泉の無料入浴券付き。


無料で温泉に入れるのですから入らない選択はありません。

夕食の前にホテルへGO!




温泉をおよばれしたホテルのロビー




温泉に向かって進みます。




おっこの先がそのようです。




さすが銭湯とは違って男ではなく殿とあります。

女子の方は何て書いてあるのだろうか。姫かも。

変質者と間違われて大事になる恐れがあるので確かめていません。




人がいなかったので脱衣所の写真を取りました。




内風呂の大浴場と露天温泉もありましたので

時間をかけて両方をじっくりと味わってきました。


御湯加減がばっちりで、たまらなく気持ち良かった。



東京で生活している時には近くに銭湯があったので

銭湯を良く利用していて、

その時には何故人は温泉に行きたがるのか不思議でした。


おそらく料理を楽しみに行くのだろうと思っていたのですが、

ここ何年間は家風呂が続いて、

「あ~足をゆっくりと伸ばして御風呂に入りたいなあ。」

と言葉がこぼれた時に温泉を求める気持ちの理解完了。



そして、温泉の良さは、

足を伸ばして浴槽につかれることだけではなく

あの気持ち良さと疲れの取れ方は、

家風呂はもちろん銭湯では感じることが出来ない様な気がします。


一体、何が違う事によって起きているのだろうと思うのです。

湯の成分の違いで、あれだけの違いが起きるのでしょうか。


でも何々温泉とか言う粉をバスタブに入れても

同じ感じは得られないんですよね。




どれ位温泉にいたのだろうか、

気が付けばあたりは夜の帳が下りていて

食事をするには良い時間となりました。



和歌山と言えば日本有数のマグロ漁港なので

やはりマグロを食べようということで

私達が宿泊したビジネス・ホテルでもらった

食事処を紹介したパンフレットの中から選んだお店に。




海鮮丼やマグロ丼を押しているお店と迷ったのですが

ここは刺身系よりも料理系を選択。


左は、マグロの身のそぼろ料理

真ん中は、マグロの刺身

右は、マグロのかつ

奥は、鉄板焼き用のかじきマグロとご飯

で、1600円。


左奥は、友人は車の運転があるので私だけが注文したビール

そして、定食とは別オーダーしたまぐろの塩かま焼きが1000円。


塩かま焼きは、一人に一つ注文しようとしたのですが、

店主が一つで十分な量があると言ってくれたので一つだけ注文。




私達が注文した料理が出てくるのを待っている時に

地元の情連客が注文したであろう

それはもう美味しそうなピンク色をしたマグロの刺身系の料理が盛り付けされた小皿が

カウンターに並べられました。



店主に、料理の内容を聞くと

本マグロの頭の身の部分、かまトロ、大トロ等、とろづくし。

値段を聞くと一皿3000円とのこと。



マグロと言えば、本マグロ。

私達の料理には、本マグロがいないので

せっかく和歌山のマグロ漁港にきているのだからと

ここは一つ、奮発してと思ったりもしましたが、

経費節減で思い留まりました。



私達は最初、新宮市で宿泊出来る所を探したのですが

全て満室で予約不可で、

勝浦でようやく予約が出来たのですが、

和歌山も人気があるようです。




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世界遺産 和歌山編

2015年06月02日 | 名所巡り(和歌山)

玉置神社から熊野本宮大社まで車で約一時間。


この時は、全ての神社が午後5時までだと思い込んでいるので

今日の予定の後二つの大社を拝観できるかどうかが気になっていました。


大社と言うからには広い敷地で見所が多いかもしれないので

それぞれの拝観にある程度の時間を要することになります。

だとすると

予定通りに二つの大社を今日中に回れないかもしれません。


今日中に回れないとなると明日にスライドすることになり、

明日にスライドすると帰りが随分と遅くなってしまう。



とか思っているのに

山から平地にまで降りて来た時に

大きな瀧を発見!

看板には「十二瀧」の文字。

立派な滝だったのでスル―することが出来ずに

停車して急いでパチリ。(停車時間5分)



十二瀧




結構な高さがあるのが分かります。




十二瀧もかなり大きな滝だと思うのですが

明日は、那智の滝を訪問する予定で、

以前に一度だけ那智の滝を訪問したことがある友人曰く

那智の滝とは迫力が比べ物にならない位だそうなので

非常に楽しみです。



車の中で友人とバスツアーではないので

時間や予定を優先せずに

じっくりと観てまわることを優先しようと意見が一致。



色々と話をしている内に熊野本宮大社に到着です。




大社の鳥居なのに小さめ。

だけれども歴史を感じさせるものがあり、

その奥へと続く参道を取り囲むように杉の木が立ち並んでいます。


世界遺産なのに人が少ないなあと思いながら奥へと歩いて行くと

最初に出迎えてくれたのは

八咫烏(やたがらす、やたのからす)の黒ポスト




八咫烏は、3本足のカラスで

日本サッカー協会のシンボルで

日本代表のユニホームにも描かれています。



その昔、熊野の険しい山の中で道に迷った神武天皇の軍を

天照大神が道案内として八咫烏を送り先導させ、

奈良県に大和朝廷を開き初代天皇に即位したということから

八咫烏は、熊野三山に共通する「導きの神鳥」として信仰されています。



以前、京都下賀茂神社でも八咫烏が祀られていましたが

下賀茂神社に祀られている「賀茂建角身命」は、

神によって八咫烏に化身した人となります。



拝殿




熊野本宮大社 総門




総門をくぐると檜皮葺(ひわだぶき)の社殿が姿をあらわしました。

神社と言えば朱塗り、しかし、ここでは見かけません。

その所為なのか歴史の重みが伝わってきます。


朱塗りではないのは何故なのか、申し訳ありませんが調べていません。




参拝する箇所が5か所あります。







参拝を終わり、次の目的地に向かおうと総門を出たら

正面に下へと続く長い階段を発見。

ん?

この様子から判断するとこの階段を下りて行った所に

表玄関の鳥居があることが想像するのは簡単で、

こうなったら降りて行くしかありません。



私達が到着した所は

正面玄関ではなく裏口または勝手口、前門ではなく後門。

友人の車に搭載されているナビはどう言う訳なのか

度々と裏の方へと案内します。何故なのか。



手水舎

拝礼の前に身を清めるための手水舎ですが、

今回は裏に到着したので順番が逆になってしまいましたが、

玉置神社で身を清めているのでお許しをして下さるはずです。




これが正面の鳥居で先ほどの鳥居とはやはり違います。




そして、長い階段を降りたら

今度は登らなくてはなりません。




全部で158段あるそうです。

158段なんて大したことはないのですが、

玉置神社プラス158段プラス歩いた距離なので

じわじわっと堪え始めています。




ここ熊野本宮大社は、元々別の場所にあって

その大昔に洪水でその多くが流されたので

現在の場所に移転したそうです。



次の目的地、熊野速玉大社に向かうために熊野本宮大社を出たらすぐに

境内で紹介されていた黒色の大鳥居が目に飛び込んできました。





行くのか行かないのかと友人共々迷ったのですが、

この時は、大きくて凄いんだぞアピール・イメージしかなかったのと

時間のことを考えて大鳥居は、

訪問せずに速玉大社に向かいました。



ところがです。

後で分かったのですが、

そこが熊野本宮大社の元々あった場所とのことで

行っておくべきだったと少し後悔しています。



私達の遠出は、中途半端なリサーチの結果、

こんなことばっかを繰り返していますが、

ものは考えようで

やり残したことがあることで、

また訪問する時の楽しみを残しておいたことにもなると。




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世界遺産巡り 和歌山編

2015年05月29日 | 名所巡り(和歌山)

玉置神社の最初の鳥居をくぐって




こんな感じの平坦な参道を




奥へ、




しばらく歩いて



そして、さらに奥へと歩くと




次なる鳥居の出迎えがあり




鳥居をくぐって進むと、また鳥居があって




そこから先は狭い下りの道を




さらに進むと




見えてきたのが大きな杉の木




木の形状から樹齢は相当なものだと思われます。




大きな杉の木を横目に見ながら先へと進むと

また鳥居があり、その先には玉置神社の本社らしき建物が見えてきました。

いよいよ到着したようです。




建材の朽ち方をみると年代を重ねているのがありありと見えます。




この神社が創建されたのは

古事記、日本書紀に記されている第10代天皇で、

現代の日本の学術上、実在可能性が見込める初めての天皇と言われる

崇神天皇の時代だそうです。

崇神天皇が崩御年は、西暦で言うと確かな所は分かりませんが、

ネット調べで西暦15年~20年位とのこと。



そんな古いものが

修繕、建て替えしながらとは言え

今日まで現存しているのは驚嘆します。




社務所と台所




社務所内部は、杉一枚板の板戸及び板壁60枚余りで仕切られていて

全てのふすまに幕末の狩野派の絵師らによる

花鳥図が描かれているそうですが観ることは出来ませんでした。

と言うより観れそうな案内板もなく観れそうな雰囲気がなかったので

私達は尋ねなかっただけなので、もしかすると見れるのかもしれません。


摂社・三柱神社の鳥居




拝殿?本殿?




拝殿?本殿?の横を通って奥へと進むと




出雲大社玉置教会の拝殿?本殿?があります。

ここで参拝をしたおりに学びが一つ。


いつものように2礼(拝)2拍手1礼(拝)で参拝を行ったのですが

タイミングよくいた巫女さんから

ここは出雲大社系なので2礼4拍手一礼が正しい参拝の仕方だと

教えて頂き、参拝を正しい作法で参拝のやり直し。(綺麗な方でした。)




そして、その奥に末社・玉石社への参道が続きます。


さきほどの巫女さんから約20分と教えられていたので

せっかく来たので訪れてみようと歩みを進めたのですが

膝を胸のあたりまで持ち上げて登っていくような階段が

のっけから続きます。



待てと、ちょっと待てと

この感じが20分続くとすると足の筋肉がへろへろになること間違いないと

今日、ここで終わりであるなら決行するのですが

後2か所を訪問することを思うと体力的、時間的にも難しいと判断し、

10段位上った所で、時間にすると15秒か20秒程度で引き返すことに。


はたしてこの判断が情けないのか、もったいないのか、賢明な判断なのか。

この判断の評価は、後の歴史家に任せることにします。




奥の二つが御神輿殿のようです。




その一つの扉には菊の御紋。




そして、御神輿殿の後ろ側から

御神木を近くで見ることが出来ます。


玉置神社境内は、3万平方メートルもあるそうで

永らく聖域として伐採が禁じられていたため

樹齢3000年と言われる神代杉等の巨樹林となっています。


夫婦杉




神代杉

最初の写真の杉は、神代杉でした。




神代杉のアップ




写真には収めていませんが

まだまだ他にも太く大きな杉の木が沢山あります。

ちょっとした屋久島気分を味わえます。


子供の頃に両親と旅行した箱根にも

太くて大きな杉の木が沢山立ち並んでいた記憶があるのですが、

何分記憶が古いので実際はどうだったか。



温泉や神社仏閣や自然を体感する喜びや楽しみなんて全くなく

遊園地やゲームの方が遥かに興味があり、

自然は、遊び場の一つでしかなかった子供の頃に

「静かで良い所だなあ。」と思った位ですから

箱根は相当良い所のはずなのです。


最近、噴火しそうだと言われているので

今は亡き父親との思い出の地でもある箱根が

ぐちゃぐちゃになりはしないかと

かなり心配なのです。



玉置神社は、

標高千メートルの山の中、しかも道が狭くてくねくねの所為なのか、

この日、私たち以外に参拝に来ている人達も多くありませんでした。


だけれども、写真では捉えきれていない

独特の良い雰囲気が漂っていて、

足を運んだ甲斐があったなと思える所でした。



さて、玉置神社、確か2時間ちょっと滞在して、

降りてきた階段を気合を入れて登って

次の目的地、熊野本宮大社へと向かいます。




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世界遺産 和歌山編

2015年05月26日 | 名所巡り(和歌山)

世界遺産巡りは、日帰り可能な京都、奈良から始まり

これまで随分と訪問してきましたので

近場は残す所は、僅かとなりました。



とは言っても京都、奈良には

世界遺産登録以外にも訪れてみたい所はまだまだあります。



なのですが今回は、それらは後にして

連休を利用して一泊をしなければ行程がきつくなる所に

行ってみることにしました。



一泊と言うことは

石見銀山か平泉か日光東照宮かと思われるかもしれませんが

前回の和歌山の残りの世界遺産を選択。



和歌山といえども立てた計画は、

ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参拝道」の

構成資産・大峯奥駈道の一部の玉置神社(行程3時間50分グーグルマップ調べ)

からの

世界遺産 熊野本宮大社(行程約1時間)

からの

世界遺産 熊野速玉大社(行程約50分)


で合計 約5時間40分の車の旅となるので

一泊も仕方がないところです。


そして、二日目は、熊野那智大社と那智の滝。






朝の7時に出発して

最初は、有料道路でスイスイと気持ち良く

そして、国道168号線に入ると

それはもうクネクネとうねりくねった道でしかも狭い。

度々にコーナー付近で対向車のために停車するような道となり、

(山深い景色と空気は最高でした。)




いくつもトンネルを超えて




景色があまりに綺麗なので

ところどころで停車して写真撮影しながら




食事処を見つけたので

休憩を兼ねてちょっと早めの昼食を取ることに




が、なんと定休日の看板。

しか~し、写真には写っていないですが

写真の真反対側のもう一件のうどん屋さんが営業中。


その時のお腹の感じが、うどんの感じでは無かったのですが、

致し方ないと入店することに。



そして、オ―ダ―したのが

肉シメジうどんと




煮込みコンニャク




うどんの方も出汁が独特で美味しかったのですが、

それよりもなによりも、

良い意味で期待を裏切ってくれたのが

煮込みコンニャク。


食べる前は、おでん的なものかなと

味にそう期待もせずに注文した煮込みコンニャクがほほ~~。

美味い!


ほぐれるように噛み切れて

しかも、出汁とプラス何かの味と唐辛子的な辛みが

中まで完全にしみ込んでいて

今まで食べたことのない食感と味で大満足。


お腹も落ち着き、一休みも出来たので

再びの出発進行。

予定外の停車(40分。)


相変わらずの狭く、くねくねとした道を通り、

友人は、運転席で神経を使って

私は助手席で綺麗な景色を見て楽しんでいると







面白そうな案内板が目に飛び込んできました。

で、またまた寄り道の途中下車することに。


何か日本一と書いてあります。




恐怖をあおる文字が踊りますが

私は絶叫マシンは大嫌いですが

こんなのはラクラク渡れるだろうと思って




5分の2位進んだでしょうか。

もう駄目でした。


だってです。

足元に渡してある板がふにゃふにゃとタワムことタワムこと。

私の場合

日頃、何かがあった時の為にと

コツコツと身体に備蓄した体脂肪があるので

普通の人達よりも板をたわませます。


それでもまだよかったんです。板がたわむぐらい。


だけれども

真ん中の板の両側には金網が張ってあって

金網の上に板が敷かれていると思っていたのが、

板の下にはそれが全く無いことに気が付いた瞬間から

足元に信頼をおけなくなり、

板がタワムたびに板が「バキ!」と折れて谷底へのイメージが。。。


で止めました。







自己催眠で突破?

そこまでして渡る意味がないので止めました。はい。


駐車場の管理をしているおばさんに

板をもっとしっかりしたものにしないのかと話をしたら

ニヤニヤしながら

独特の地元の話し方で

「そんなことをしたら怖くなくなるよお。」

「まんなかへんまで行ったら、もっと揺れて怖かったろう。」


恥ずかしながら私は、真ん中まで行けていないのです。

後、3キロ体重が軽かったら行っていたのにと

心の中で良い訳をして慰めたのでした。

(途中リタイヤのため滞在時間 短めの約20分から30分 ちなみに友人は最初から拒否)



またまた再出発で


こんな道や




こんな景色や




こんな景色を助手席で見ながら





ようやく辿り着きました。


最初の目的地の玉置神社。

玉置神社は、なんと標高1000メートルにあります。




ここに来るまでの道路が狭くて大変な道で

しかも標高1000メートルですから

きっと穴場で訪れる人は多くないかもしれないと

私たち以外にはいないかもなんて思いつつも



労多しの時には

それは良いものだと思ってしまう心理作用が働くと言います。

はたして。。。





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