心の扉 神戸カウンセリング花時計

心理療法や催眠療法、ストレス解消や悩み等メンタルに関するもの、そして日常の出来事を自由気ままに掲載します。

高台寺 塔頭『圓徳院』

2024年04月22日 | 名所めぐり(京都)

 

高台院(ねね)は、秀吉の菩提を弔う寺院の建立を発願し

それを徳川家康も支援したことで高台寺が建立されました。

 

高台院は、高台寺の西側に自らの屋敷(高台院屋敷)

甥の木下利房の屋敷を造営し、

伏見城にあった北政所化粧御殿とその前庭を移築します。

 

高台院は、高台院屋敷から高台寺に日参して

秀吉公の菩提を弔い、秀吉公を偲んでいたそうです。

 

1624年9月6日に高台院は、

19年間過ごした高台院屋敷でその生涯を終え、

1632年高台院屋敷は、木下利房によって

高台寺の三江紹益を開山として高台寺の塔頭・圓徳院に改められます。

 

 

 

圓徳院 長屋門

 

高台寺塔頭の圓徳院は、

高台寺の境内へと通じる台所坂の真向かいあって

拝観入り口長屋門は、やや南側にあると言っても

まあほぼ真向いと言っても良いかな。

 

圓徳院の正門は、警護の侍の詰め所が付属する

武家屋敷様式長屋門となっています。

 

長屋門寺院の正門に用いることはありませんが、

これは高台寺の塔頭『圓徳院』となる前の

高台院の邸宅だった頃の名残です。

 

 

 

庫裡と前庭

 

京都の多くの寺院は、施設内の拝観入り口は、

庫裡のことが多いのですが

圓徳院も高台寺と同じく施設内の拝観は、

方丈からとなっているのは、何か意味があるのか無いのか。

 

 

 

唐門

 

唐門の扁額には『圓徳』の文字が掲げられています。

 

因みに何度か名前が出ている木下利房は、

高台院(ねね)の甥で関ケ原の合戦の時に西軍で戦い敗北し、

処刑される所を高台院が徳川家康に働きかけて

無罪放免となった人物で、圓徳院の寺号は、

木下利房の戒名の院号『圓徳院』を寺号としています。

 

 

 

圓徳院 方丈

 

圓徳院の方丈(本堂)は、

1605年に木下利房により客殿として建てられたもので

1632年に高台寺の塔頭となった際に方丈とされました。

 

高台院の屋敷には、ねねを慕う多くの大名や夫人、

禅僧、文化人らが訪ねて来ていたようです。

高台院は、訪ねて来た客人を客殿(現方丈)に招き入れて

積もる話を楽しんでいたとのことです。

 

 

 

南庭

 

南庭は、1994年の方丈の解体修理の際に

現代の作庭家 森蘊(おさむ)氏の指導、北山安夫氏の監修により

奥村宗悦氏が作庭したものなので、かなり新しい庭ですね。

 

 

 

 

2024年は、高台院(ねね)の没後400年を迎える年で

2024年限定の装飾が施された南庭の白砂には、

銀閣寺の向月台のような周りに砂紋が描かれ

方丈縁側の緋毛氈に合わせた赤色の市松模様の飾り物が配置。

 

 

 

 

高台寺と比べると拝観者の数が少ないからなのか

高台寺の方丈では腰を下ろすことは禁止されていましたが

圓徳院では、問題なし。

 

なので方丈の縁側に腰を下ろして

2024年限りの南庭の装飾をじっくりと観賞することが出来ます。

 

 

 

 

1994年頃に南庭が作庭される以前、

この場所には何があったのだろうか。

 

 

 

上間の間 襖絵・雪月花

 

秀吉好みの色彩で描かれた襖絵は、

歴史が刻まれたものではなく近現代に描かれた襖絵。

 

 

 

 

部屋の前には、立ち入り禁止とは書かれていましたが、

有難いことに撮影は禁止ではないようなので

見事な襖絵を撮影させてもらうことが出来ました。

 

 

 

下間の間 襖絵・松竹梅

 

 

 

 

 

 

展示物 襖絵

 

初拝観の時、この場所には圓徳院で有名な

長谷川等伯筆『山水図襖絵(冬の絵)』の襖絵の複製が

展示されていたように記憶していたのですが………

 

 

 

展示物 掛け軸

 

高台寺の霊屋には、秀吉公と高台院の座像が、

圓徳院には、掛け軸に描かれた秀吉公と高台院が並んでいます。

 

 

 

方丈裏の坪庭

 

圓徳院の坪庭は、

南庭と同じ北山安夫氏によって整備されています。

 

 

 

渡り廊下

 

 

 

 

渡り廊下は、方丈と北書院を結んでいて、

渡り廊下から下を眺めると、石堀小路とねねの道を結んでいる

ねねの小路と呼ばれる道が通っています。

 

 

 

無尽蔵

 

渡り廊下の突き当りにある『無盡蔵』と書かれた土蔵があり

扉の奥が展示室になっていて蔵内に入ることは出来ますが、

土蔵内は、撮影禁止となっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

北書院・北庭

 

元々の北書院は、

1605年に伏見城の北政所化粧御殿を移築したものでしたが

現在の北書院は、

1795年に北政所化粧御殿高台寺の小方丈として

高台寺に移築された後に新たに建てられたものになります。

 

 

 

 

圓徳院の北書院の『北庭』【国指定名勝】は、

伏見城の北政所化粧御殿の前庭であったものを圓徳院に移設したもので

賢庭による作庭といわれ、のちに小堀遠州の手が加えられたとのことです。

 

伏見城にあった時には、池泉回遊式庭園であったものを

この地に移設する際に枯山水庭園に変更しています。

 

 

 

 

200石以上の庭石が配置された圓徳院の北庭は、

私のお気に入りの庭園の一つです。

 

綺麗だとか、華やかだとかもそうではあるのですが

何より落ち着くんですよね。

 

 

 

 

私の隣に微笑む高台院が着座していて

高台院(ねね)と一緒に景観を眺めているのを想像すると

何とも言えない気持ちになるんですよね。

 

 

 

 

亀島と鶴島が配置されている所を良く見ると

窪みの中に亀島と鶴島が配置されているのが分かります。

 

伏見城時代の池泉回遊式庭園であった時には、

この窪みに水が湛えられていたと思われます。

 

 

 

 

北書院の静寂を破るちょっとした出来事が起きました。

 

外国人観光客が連れていた一人歩きをし始めた位の幼い女の子が

北書院の淵から柔道の背負い投げを喰らったかの如く、

綺麗に一回転して転落して姿が消えました。

 

その時北書院にいた全員が驚いて声を上げて心配しましたが

両親に引き上げられた女の子は、泣きながら母親の胸に飛び込み、

何故だか心配した父親が近付くと怒って叩いていました。

 

母親には素直に甘えて、父親には天邪鬼な甘え方、

父親は、理不尽な怒りを向けられて少し困惑気味でしたが

大きな愛情で優しくなだめてあげていた姿が微笑ましかった。

 

父親も母親と同じ様に

素直に甘えて欲しかったのではとも思いますが、

どっちの甘え方も可愛かったなあ。

 

 

 

桧垣の手水鉢

 

桧垣の手水鉢は、

宝塔の笠石を横にした面を凹字型に切り取ったもので

珍しい形の手水鉢です。

 

 

 

三面大黒天

 

京都御苑から移築された堂宇には、

豊臣秀吉の念持仏であった三面大黒天像の写しが祀られています。

 

三面大黒天とは、三つの顔を持った大黒天のことで

正面が大黒天(福の神)。右顔が毘沙門天(勝利と子宝の神)。

左顔が弁財天(学問と教養の神)。

 

 

 

歌仙堂

 

歌仙堂は、圓徳院を創建した木下利房の異母兄の

和歌の天才と謳われた木下勝俊(木下長嘯子)をお祀りしています。

 

 

 

ねねの道

 

圓徳院の拝観を終えた頃、ねねの道を照らす陽は、

赤い色を帯び始めています。

 

この僅かな時間帯のちょっと寂しげな雰囲気って

寂しがり屋なくせに割と好きなんですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祇園下河原『 ひさご』

 

神戸に帰る前に事前に調べておいた

親子丼が美味しいとの『ひさご』で夕食をと立ち寄ったんですが、

定休日じゃないはずなのに暖簾が出ておらず何やら様子が変………

 

 

 

 

急ぎ携帯で調べてみたら、営業時間が午後4時まで。んが。

 

これからの稼ぎ時の前に営業が終了するとは夢にも思わなかった。

こうなると『ひさご』を訪問するのは、

高台寺の小方丈お披露目の1年半後になりそう。

 

 

 

 

もう少し桜の見頃は続きますが、

今年の桜は、おそらくこの桜で見納めとなります。

 

 

 

神座 祇園四条駅前店

 

阪急河原町駅に向かって歩いていると、

あの有名な大阪発祥の『神座』を発見。いつできたのだろうか。

東京で食べて以来の毎日食べても飽きがこない神座。美味かったあ。

 

後から私の隣の席に座った外国人が

店員に一言話した日本語の発音が良かったので

日常会話がぐらいは出来ると思ってパリクソ日本語で話しかけたら

日本語が全くダメだと分かった時は、終わったと思いました。

 

でも不思議なもので、

京都は3日目で神座に3回来店しているとか、

餃子を一つどうぞと勧められたり、

京都人なのかと聞かれ神戸からと言うと

オー神戸ビーフと目を輝かせたり、

 

ちゃんとしたお箸の使い方を教えてくれとか、

それでいて教えることが出来たりと

日本語と英語の会話が何となく成り立つという

何とも不思議な時を過ごしました。

 

 

今回も私の趣味、名所巡りにお付き合い下さり

ありがとうございました。

次回は、いつになるのか未定ではありますが

その際には、またお付き合い下されば嬉しく思います。

 

 

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京都 高台寺

2024年04月21日 | 名所めぐり(京都)

 

高台寺は、十年ほど前の初拝観で十分に堪能していたので

ねねの道を通り高台寺に通じる台所坂が目に入ったとて

せっかくなのでと高台寺の拝観に舵を切ることはなかったのですが

今回は、この季節にだけ見ることの出来る風景を観賞するために

高台寺を訪れることにしました。

 

 

 

高台寺 鐘楼

 

 

 

高台寺 湖月茶屋

 

今日は、空が晴れ渡ったり雲が覆ったりと

空模様は安定しておらず朝早くは肌寒さも感じましたが

次第に気温は上昇中です。

 

高台寺の主だった堂宇がある敷地内へと入る前に

茶屋にお邪魔して一休憩。

 

因みに湖月茶屋の店名は、

高台院の法名『高台院湖月心公』に倣ってかと思われます。

 

 

 

高台寺 天満宮

 

高台寺天満宮は、

1606年に高台院(ねね)が崇拝していた網敷天満宮から

御祭神の菅原道真を勧請して鎮守社としたものです。

 

 

 

なで牛

 

高台寺天満宮の前に鎮座する小さくて可愛い『なで牛』は、

沢山の女性の参拝者に人気があるようで

先ほども綺麗な女性達に沢山撫でられていたので

御満悦な表情を浮かべています。

 

ああ生まれ変わったらなで牛に生まれたい。

 

 

 

高台寺 庫裡

 

高台寺庫裡の玄関前は、なにやら工事中。

京都の多くの寺院は庫裡の玄関口に参拝受付があるのですが、

高台寺は、庫裡建物の西側の参道に参拝受付があります。

 

 

 

高台寺 景観

 

参拝受付を終えて参道を奥へと進むと遠景に大雲院・祇園閣が見えます。

高台寺の初拝観の時に「絵になるなあ。」と興味津々に眺めていましたが

大雲院・祇園閣の拝観を体験した後に見ると印象がまた違います。

 

 

 

茶室・遺芳菴(いほうあん)

 

大きな丸窓が特徴の田舎家風の茶室『遺芳庵(いほうあん)』は、

明治41年に京都市上京区の灰屋紹益氏の旧邸跡から移築したもの。

 

豪商であり諸芸に通じていた灰屋紹益氏が、

夫人の吉野大夫を偲んで建てたものとも言われていますが、

今は、建築様式の点から後世の人が

二人を偲んで建てたものと推定されています。

 

 

 

 

壁一面の大きな丸窓、このような窓を吉野太夫に因んで

吉野窓というようです。

島原の花魁だった吉野太夫は、知性と美貌を兼ね備え、

別格の存在だったようです。

 

 

 

高台寺庭園 開山堂と偃月池

 

高台寺庭園【国指定史跡・名勝】は、小堀遠州の作庭と伝わります。

 

庭園の中心に開山堂【重要文化財】を配置して

開山堂の西側の苑池『偃月地(えんげつち)』

開山堂の東側の苑池『臥龍地(がりゅうち)』からなる

桃山時代を代表する池泉回遊式庭園です。

 

 

 

高台寺庭園

 

偃月地には、開山堂に楼船廊が渡されていて

楼船廊から北側の偃月地には、亀島が配され

南側には、鶴島が配されています。

 

また楼船廊の中央に設置されている観月台【重要文化財】は、

高台院(ねね)により伏見城から移築されたもので

亡き秀吉公を偲びながら観月台から月を眺めたそうです。

 

 

 

方丈『波心庭』 勅使門と枝垂れ桜

 

今回の高台寺の二度目の拝観は、

高台寺方丈庭園『波心庭』の枝垂れ桜を観賞することが目的です。

 

私は、桜の開花を待ち焦がれるほど好きという訳じゃありませんが

昨年の東寺の五重塔と不二桜のように

風情ある建物や自然と桜が溶け合った風景は、堪らなく好きです。

 

 

 

唐門と枝垂れ桜

 

高台寺の方丈庭園『波心庭』の勅使門、唐門の白壁、

白砂、苔の緑色、そして、一本の枝垂れ桜。

 

どれもが主張し過ぎず全てが溶け合っていて

身体が打ち震える位に美しく感じます。堪らんなあ。

 

 

 

 

私的には、枝垂れ桜が加わった方丈庭園『波心庭』は、

国指定名勝の高台寺庭園から主役の座を奪っています。

 

 

 

 

方丈庭園『波心庭』の主張し過ぎていない苔と岩組も

品があると言うのか、雅と言うのか。

 

贅沢を言わせてもらうと

先ほどまで青空が広がっていたのに

あれよあれよと一面雲に覆われてしまったんですよね。

 

 

 

 

 

 

重関門・中門

 

 

 

開山堂【重要文化】

 

開山堂は、1605年に高台院(ねね)によって建立されました。

元来は、高台院の持仏堂でしたが

その後、中興開山の三江紹益の木像を祀る堂となりました。

 

開山堂内へ立ち入りは可能なので

秀吉公の御座舟の天井高台院の御所車の天井を用いて造られている

開山堂の天井は、経年劣化で色落ちはしていますが

それでも首が痛くなるまで観賞しても良いかもね。

 

 

 

臥龍廊

 

臥龍廊(がりゅうろう)は、開山堂と霊屋を結ぶ屋根付きの階段で

長く伸びた瓦屋根が龍の背に似ているところから

臥龍廊と名付けられています。

 

高台院(ねね)は、毎日この臥龍廊の石階段を通って霊屋に通い

亡き秀吉公を偲んでいたようです。

 

ねねと秀吉公は、人目をはばからずに度々喧嘩をしていたようですが

秀吉公は、高台院に心より愛されていたんですね。

 

それはそうと臥龍労の石階段の幅が、

踵がはみ出てしまう位に狭いのは何故なんだろう。

 

 

 

臥龍池

 

 

 

開山堂臥龍池

 

 

 

 

 

 

霊屋(おたまや)

 

霊屋【重要文化財】は、

開山堂と同じ1605年に高台院によって建立されました。

 

霊屋の内部には、中央に大随求菩薩像が安置されていて

その向かって右側には、豊臣秀吉公の座像

左側には、高台院(ねね)の片膝立ちの木像が安置されていて

高台院は、高台院の像の約2m地下に埋葬されています。

 

 

 

臥龍廊

 

今回の拝観では霊屋内部に入ることが出来ませんでしたが

初拝観の時には、確か入ることが出来たと記憶しています。

 

この霊屋に安置されている秀頼公の座像は、

安置する前に高台院が確認をしているはずなので

実際の秀吉公に一番似ていると思われます。

なのでもう一度、肉眼で観ておきたかったんですが叶わずです。

 

 

 

 

今回の高台寺の拝観は、霊屋までと思ったりもしましたが、

折角なのでとあと少しの石段の参道を登ります。

 

 

 

茶室・傘亭

 

茶室『傘亭』【重要文化財】の正式な名称は、安閑窟。

 

高台院により伏見城から移築されたものとされていて

茶室内部の竹で組まれている天井の形が

唐傘に似ていることから傘亭とも言われています。

 

 

 

 

 

 

土間廊下

 

土間廊下【重要文化財】は、

茶室『傘亭』と茶室『時雨亭』を繋ぐ屋根付きの廊下で

高台院が二つの茶室を現在の場所に移築させた時に付加されたもの。

 

 

 

茶室・時雨亭

 

茶室『時雨亭』【重要文化財】は、傘亭と同じく

高台院により伏見城から移築されたものとされていて

茶室としては珍しい2階建てになっています。

 

 

 

 

なかなかの下り坂の参道の先には竹林があります。

 

 

 

竹林

 

初拝観の時には、方丈庭園と竹林に色とりどりの和傘が

飾られていましたが、今回は見当たりません。

私的には、方丈も竹林も余計な装飾が無い方を好みます。

 

 

 

 

竹林を通り抜けていく風の音と木漏れ日だけで

竹林の装飾は、十分かな。

 

 

 

龍頭

 

初拝観の時にも見かけたこの龍の頭について少し調べてみたら

2012年に方丈庭園『波心庭』で行われた

夜間特別拝観のために専属の庭師に依頼して製作したものらしく

かなり新しいものです。

 

初拝観の時にもこの場所に龍の頭は置かれていたのですが

『恋人達の聖地』と記された立て看板が新しく加わっていました。

高台寺は、高台院(ねね)と秀吉公の聖地とも言えるので

恋人たちの聖地としては相応しい場所ですね。

 

 

 

高台寺 臺所門(だいどころもん)

 

高台寺の拝観を終えて台所門から台所坂を下ります。

 

高台院(ねね)がこの道を通って高台寺に日参し、

そして、使用していた台所に続く道であったことから

石段の坂道が台所坂門が台所門と呼ばれるようになったとのこと。

 

 

 

台所坂

 

高台寺の創建当初の小方丈が焼失した後に

塔頭の圓徳院の北書院(伏見城の北政所化粧御殿)

小方丈として移築しましたが1863年に放火で再び焼失

 

現在、進行している小方丈(北政所化粧御殿)の再建計画

順調に進めば、なんと2025年9月30日頃に完成し、

翌月の10月1日にお披露目予定とのことです。来年っす。

 

なので初拝観から二度目の拝観には十年の月日が流れましたが

三回目の拝観は、割と早くなりそうです。

 

高台寺の拝観を終えると、やっぱ圓徳院にも立ち寄らなければ

なんかこう中途半端な感じがするので、次に圓徳院に向かいます。

 

 

 

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高台寺『利生堂』・霊山観音

2024年04月20日 | 名所めぐり(京都)

 

二軒茶屋での軽めの昼食を終えて石掘小路を通り抜けてねねの道へ。

 

以前、石堀小路での撮影は可能でしたが

現在は、撮影禁止となっています。

 

石堀小路は、

明治末期から大正初期にかけて造られた風情ある場所で

貸席を兼ねた高級貸家街の間を縫うように通る細い路地の

石垣を高くし、石畳が敷き詰められています。

 

京都の風情が感じられる場所として石堀小路が話題になったことで

撮影をする観光客が押し寄せたことで観光被害が起き、

通り抜けは今も出来ますが撮影は禁止となっています。

 

石堀小路以上に有名な花見小路の私道は、

日本人と外国人観光客がわんさかと押し寄せたことで

私道の撮影どころか通行も禁止するとか言われていましたが

どのような結論になったのだろうか。

 

建屋から出てきた舞妓さんを強引に呼び止めて

撮影を強要するなんてことはもっての外ですが

然程問題ではなかったはずの行為も人の数が増え過ぎると

観光被害と言われるレベルに………

 

外国人観光客の人達が古き良き日本の風情の良さを

日本人の私達と同じ様に感じてくれるのは嬉しい限りですが

難しいところです。

 

 

 

ねねの道

 

石堀小路を通り抜けてねねの道に出ると多くの観光客の姿が。

八坂の塔がひょっこりと顔を出すねねの道沿いには、

高台寺公園の土手の桜並木。京都風情を楽しめる良い場所です。

 

これから高台寺に向かうのですが

一般的な台所坂からではなくて展望所から拝観に向かいます。

 

 

 

高台寺 石標

 

この立派な石標、高台寺って刻まれているのですが

高台寺って読めますぅ。二文字目がなあ。台より室に近いっす。

 

なので最初にこの立派な石標を見た時は、

この周辺に高台寺の他にも立派な寺院があるんだと思って

地図を何度も確認したり眼を見開いて周辺を見渡したりと

そこそこ時間をかけて探したりもしたんですよね。

 

 

 

高台寺 展望所

 

この瓦屋根が並ぶ遠景には八坂の塔が見えます。

 

この風景の中に八坂の塔が有る無しで、

またコンクリートのビルの姿が有るか無しかで、

美しさも満足度もかなり下がってしまうだろうな。

 

 

 

高台寺 利生堂

 

高台寺礼拝聴聞室『利生堂』は、

2016年12月17日に落慶を迎えた比較的新しい施設で、

死から逃げることなく命を直視して静かに瞑想をし、

心の安らぎ得るための場所となることを望んで建立されたもの。

 

 

 

 

 

 

利生堂 天井画

 

利生堂の天井と壁一面には、高台寺所蔵の南北朝時代に描かれた

八相涅槃図を写し撮ったものが描かれています。

 

八相涅槃図とは、お釈迦様が入滅する場面の周りに

下天託胎・誕生・競試武芸・四門出遊・出家・山中苦行・

降魔成道・初転法輪が描かれています。

 

 

 

利生堂 大涅槃壁画

 

堂内での撮影は、フラッシュを使用しなければOK。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

霊山観音 山門

 

無宗派単立の霊山観音は、

昭和30年に第二次世界大戦戦没者の慰霊の為に

帝産グループ創設者の石川博資氏によって建立されました。

 

本堂内に十一面観音と仏舎利、

観音像胎内には十二支の守り本尊が安置されています。

 

 

 

霊山観音像

 

東山を背景にして鎮座する高さ24mの巨大な観音像は、

彫刻界の元老・山崎朝雲氏に原型が作成され昭和30年に開眼。

本堂は、この巨大観音像の台座部分。

 

この巨大観音像がある霊山観音には今回、初めて訪れたのですが

境内の雰囲気が日本の一般的な寺院とは違うんですよね。

なんかこう遊園地のような、何と言うのか………

 

 

 

鏡池

 

この鏡池も真ん中辺りに噴水があってもおかしくない感じ。

これ以上好き勝手に言うと怒られそうな気もしますが、

感じたままの素直な気持ちなんですよね。

 

 

 

 

 

 

手水鉢

 

 

 

願いの玉

 

この如意宝珠の玉に触れて心の中で願い事を念じながら

周囲を回ると願い事が叶うとされています。

 

 

 

護摩堂

 

霊山不動尊を御本尊に安置して毎月8日、18日、28日に

本山修験宗山伏達によって国家隆盛、交通安全、家内安泰の

護摩焚きが行われています。

 

 

 

高射砲二十二連隊戦友の碑

 

 

 

十八期の碑

 

 

 

 

高台寺の近くにある霊山観音には、

巨大な観音像があることは知っていましたが、

巨大観音像は、写真や映像から

鉄筋コンクリート製であることは分かっていたので

高台寺拝観の流れで一度位は拝観できたらと思っていました。

 

今回も特に拝観の予定はしていなかったのですが、

数ある京都の寺院の中で異彩を放つ霊山観音の山門が

利生堂前の広い駐車場に隣接していたので

せっかくなのでと拝観することにしました。

 

次は、高台寺の主だった堂宇がある敷地に足を踏み入れます。

 

高台寺の拝観は、今回で二度目の拝観で

前回の初拝観がいつ頃だったかと見返してみたら………

なんと2014年11月前後で驚きの十年ぶりで

感覚的にはそんな前ではないんだけどなあ。

 

 

 

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黄台山 長楽寺

2024年04月19日 | 名所めぐり(京都)

 

次の目的地の黄台山 長楽寺は、

大谷祖廟の北門を出ると直ぐ右側(東方向)に続く参道があるので

その参道を少し歩けば長楽寺に到着です。

 

長楽寺のお目当ては、相阿弥作の苑池

室町時代に相阿弥が室町幕府八代将軍の足利義政の命により

銀閣寺の庭を作る時に試作的に作庭したと伝えられています。

 

本工事に入る前に建築模型を造ることは現代でも見られますが、

次の本番の銀閣寺の庭は、こんな感じの庭と

模型ではなく実際に試作の庭を作庭するなんてことは

経費を使い過ぎじゃないのって思ったりしますが、

たまたま同じ時期に長楽寺から庭の作庭を依頼されていたのかも。

 

足利義満金閣寺の舎利殿を建立する際に

参考にしたのが鹿王院の舎利殿と言われています。

 

鹿王院の舎利殿は、金閣寺の舎利殿の試作として

建立されたものではありませんが、

足利義政は、足利義満に憧れていたので

義満の手法を参考にしていたのかも知れません。

 

 

 

黄台山 長楽寺

 

長楽寺は、西暦805年に桓武天皇の勅命によって創建されたお寺で

安徳天皇の生母である建礼門院(平徳子)が壇ノ浦の戦いの後に到来し、

当寺の法然の弟子について出家しました。

 

長楽寺の元々の敷地は広大でしたが

徳川幕府第8代将軍の徳川吉宗が1万坪の境内地を没収し、

隣接する先ほど拝観した大谷祖廟に寄進されました。

 

さらに明治4年、境内の大半が明治政府に没収され

明治14年に円山公園に編入されます。

 

 

 

長楽寺 山門

 

 

 

長楽寺 本堂

 

山門の前から続く長い石段の先にあるのが本堂。

本堂は、安土桃山時代に建てられた伏見城の御殿の一つとのこと。

 

天井板(血天井)に使用している板は、

伏見城が落城した際に戦死した武士たちの血の跡が付いた板とか、

京都でも兵庫でも伏見城から移築されたものとか良く聞くのですが、

 

伏見城の多くの建造物は、戦いの中で

かなり破壊されたり燃やされたりもしたはずなので

残された物を移築して再利用するにしても

損傷程度が軽度な建築物が多すぎる感があるのですが、

どうなのか。

 

 

 

 

 

 

本堂・鐘楼

 

 

 

建礼門院御塔

 

中央の十三重の石塔『健礼門院御塔』は、

安徳天皇の生母『健礼門院』の毛髪が埋められているとされています。

 

 

 

平安の滝『名水 八功徳水』

 

相阿弥の築とされる平安の滝

流れ落ちる水が相阿弥の苑池に流れ込むようになっていて

滝石組みの一部には石仏が使われているようです。

 

苑池の水に僅かでも流れがあると

その分だけ夏場に蚊等の発生を抑えられますからね。

 

 

 

収蔵庫

 

長楽寺の収蔵庫は、一度火災にあっていて

その際、懸命の働きで

全ての寺宝は運び出されて無事だったそうです。

 

 

 

 

で、長楽寺のお目当ての相阿弥の庭苑ですが、

………御覧の通り書院も客殿も何も無し

住職から説明を聞いて解体修理中であることが判明しました。

 

長楽寺の堂宇の殆どが解体修理中であっても

相阿弥作の苑池と書院が健在ならば満足できましたが

なかなか訪れるようにならなかった長楽寺の拝観を

ようやく実現したと思ったらこれですわ。

私が小学生の頃ならもう間違いなくグレてますね。

 

 

 

 

相阿弥の苑池が解体修理中であることを知った時に、

世界から色が失われ、音さえ消え失せて

長楽寺の山門まで戻ったのかの記憶がない位に

私は、落ち込んでいたようですが参道辺りで、

そこまで凄い庭園じゃないからと自分に言い聞かすことで

全てを取り戻したので、次の目的地へと朗らかに向かいます。

 

 

 

レンタルきもの 岡本

 

次の目的が着物で京都東山を散策する訳じゃなくて

レンタルきもの 岡本の敷地に目的の建物があります。

 

 

 

芭蕉堂

 

芭蕉堂は、江戸時代中期から後期の俳人『高桑蘭更(たかくわらんこう)』

松尾芭蕉を偲ぶために建てたもので、堂内には松尾芭蕉の像が祀られています。

松尾芭蕉を祀る祠のようなものと考えて良いのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

西行庵

 

西行法師は、平安時代末期の僧侶で新古今和歌集の代表的歌人の一人。

鳥羽上皇の北面の武士でしたが出家して諸国を旅し

全国の風光明媚な自然を和歌で詠みました。

 

西行庵のあるこの地は、西行の終焉の地であったと伝えられていて

建物は荒廃していましたが明治26年に

富岡鉄斎らの働きかけにより再建されました。

 

 

 

 

西行庵は、母屋『浄妙庵』と茶室『皆妙庵』からなり、

茅葺きの母屋『浄妙庵』は、大徳寺塔頭『真珠庵』の別院を移したもので

もう一つの建物『皆妙庵』は、北野の久我別邸より移されたもの。

 

 

 

 

こちらの建物が『皆妙庵』だと思うのですが………

 

 

 

双林寺 花月庵

 

 

 

花月庵

 

花月庵は、室町時代初めの頃に西行法師像を祀るために建立されたもので

現在の花月庵は、1731年に大阪府池田の李孟寺の天津禅師によって

再建されたもの。

 

 

 

 

松尾芭蕉は、西行法師を心の師として

西行法師を慕って諸国を旅をしたと言われているくらいなので

かなり有名な方のようですが、例によって私は全く知らなんだあ。

 

 

 

八坂神社 石鳥居

 

八坂神社の正門の南楼門まで戻ってきました。

 

 

 

八坂神社 南楼門

 

何故ゆえに戻って来たのかと言うと、

南楼門前にある二軒茶屋で提供されている田楽豆腐を食べるためです。

 

前々から二軒茶屋の田楽豆腐を食べてみたかったんですよね。

これまで八坂神社には午前中に立ち寄ることが多くて

二軒茶屋の営業が始まる頃には、別の名所の拝観へと向かっていて

これまで食べることが出来ていませんでした。

 

 

 

二軒茶屋

 

その昔、八坂神社の表参道に二軒の茶屋が向かい合い

『二軒茶屋』と呼ばれて慕われてきました。

 

最初は、茶屋として営業をしていましたが

参拝者らに軽い食事を提供するようになり

次第に本格的な京料理のお店『中村楼』へと発展していきます。

 

当時、二軒茶屋で提供されていた田楽豆腐(祗園豆腐)は評判が良く

京都を訪れた武士や商人らが、せっかく京都に来たのだから

八坂神社(祗園社)田楽豆腐(祗園豆腐)を食べないで

帰る訳にはいかないと言う程、京都の名物となっていたようです。

 

 

 

祗園豆腐

 

当時は、お砂糖が手に入れにくく高価でもあったので

お味噌の甘味をお砂糖の代用にしたとのこと。

豆腐の上の味噌は、確かほうれん草だったか入っています。

 

 

 

鯛茶漬け+おばんざい

 

この先、さすがに昼食が田楽豆腐だけでは燃料切れになるので

贅沢であるけれども鯛茶漬けも一緒にご注文。

 

現在の二軒茶屋では、軽い食事以外にも

あんみつや抹茶はもちろんのこと珈琲やパフェ等も提供されているので

喉を潤したい所ではあるのですが

 

八坂神社の門前にあるお店ということもあってか

ちょいと値段がお高め感がありこれ以上の注文をするとなると

庶民の私としては踏み切れなかったあ。

 

 

 

 

昔のままの製法で作られている田楽豆腐(祗園豆腐)は、

正直、そこまで美味しくは感じませんでしたが

美味いかどうかは問題ではなくて

昔の武士や商人らが食べたものと同じものを食べるのが

第一の目的なので歴史を隠し味にした田楽豆腐を堪能しました。

 

美味しさだけで言うと鯛茶漬けが旨かったあ。

 

使われている鯛は、安っぽい感じが無く

料亭『中村楼』で提供されているのと同じだと思えるほどで

御飯の上に隠し味程度に添えられたお味噌に注ぐ

出汁との相性が抜群でした。

 

そして、隣の席の兵庫県から京都に嫁いできた女性と話が弾み

楽しい時間を持てたことも良かった。

 

その女性曰く、京都の人は案外と京都の名所を訪れないし、

よって一度も訪れたことが無い所もかなりある人が多いようです。

 

私もかなり多くの名所を訪れていますが、

その女性は、兵庫出身なので数多くの京都名所だけじゃなくて

全国各地の名所を巡っているようで四季折々の京都の名所だけでも

訪れていない所はないんじゃないかって思う位に

巡っていたので名所巡りの大先輩ですね。

 

 

 

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祗園しだれ桜

2024年04月18日 | 名所めぐり(京都)

 

今年のちょいと遅めの桜の開花が始まったので

どうしても見ておきたい二つの桜を観賞するために

早朝に神戸を出発して京都へと向かいました。

 

前回、京都を訪れたのが昨年の5月なので

なんとまあ一年近く遠ざかっていたことになります。

感覚的には納得していないのですが………

 

 

 

祇園白川

 

祇園白川の桜は、今回のお目当ての桜ではないけれども

道中にあるので、せっかくなのでと立ち寄ることに。

 

京都の桜の名所の一つに上げられている祇園白川は、

早朝にもかかわらず多数の人が桜を撮影していました。

 

 

 

 

祇園白川は、京都での私のお気に入りの場所です。

 

祇園白川の桜の風景がお気に入りということではなくて

祇園白川を初めて訪れた時に見た京都らしい町並みと

白川沿いを彩る柳の枝が風に揺れる風景が凄く良かったんですよね。

 

 

 

八坂神社

 

八坂神社でお参りを済ませて

お目当ての桜がある円山公園にあります。

 

 

 

円山公園 祇園枝垂れ桜

 

この桜が今回の目的の一つ目の桜です。

円山公園の他の桜よりも一足早く咲き始める祗園しだれ桜

樹高12m、幹回り2,8m、枝張り10m。

 

祗園しだれ桜の満開情報が出てから僅か数日後に訪れたので

最高の状態を見られるに違いないと

物凄く楽しみに、そして期待もしていたのですが

 

強い雨が降ったのか、強い風が吹いたのか、

早くも桃色の中に混ざって緑色の葉が見える散り始め状態で

祗園しだれ桜の荘厳さを感じられるギリギリの感じだったかと。

 

散り始めるには早すぎるとネットの満開情報を疑って

「これまだ満開前ですか、それとも散り始めですか?」

と近くにいた地元の人に確かめずにいられなかった位です。

 

 

 

 

昨年に観賞出来た満開状態と思える東寺の不二桜は、堪らなく美しかった。

なので円山公園の祗園枝垂れ桜の絶対的な満開状態を観賞して

これが祇園枝垂れ桜なんだと写真と脳裏に記憶として残しておきたいんですよね。

なので再度訪れようかと思っていますが、どうなるか。

 

 

 

円山公園 日本庭園

 

円山公園の他の桜は、満開。またはこれから満開を迎える感じです。

早朝故か人の姿は、疎らです。

 

円山公園に池泉回遊式庭園が作庭され

現在の形に整えられから約110年ほど経過しているので

醍醐寺のように目立つ大きな桜が複数あっても良いように思うのですが

祇園枝垂れ桜だけなのは何故なのか。

 

 

 

 

 

 

大谷祖廟 参道入り口

 

東本願寺の飛地境内の大谷祖廟は、親鸞聖人の御廟所(墓所)で

本願寺の歴代、全国各地の寺院、門徒の方々の遺骨が納められています。

 

 

 

 

これまで気になりつつも何度も通り過ぎてきた大谷祖廟ですが

今回、初めて訪れることが出来ます。

 

 

 

大谷祖廟 総門

 

石畳の長い参道の奥には、立派な総門が建立されています。

 

 

 

 

まだ多くの寺院の拝観開始時刻にはなっていない朝早い時間で

拝観に訪れる人の姿もまばらです。

 

この時期の大谷祖廟は、お釈迦様と親鸞聖人の御生誕を祝う仏事として

色とりどりの草花で飾った花御堂を本堂前に設置し、

その中にお釈迦様の像(誕生仏)を安置しているようです。

 

つまりは、お花まつり期間中なので

これからの時間は、拝観に訪れる門徒の方で境内が込み合いそうです。

 

 

 

庫裡

 

 

 

庫裡・本堂

 

大谷祖廟は、基本墓所なので庭園は、

本堂と庫裡の前に小規模の庭園があるだけです。

 

 

 

本堂

 

 

 

花文字伝道

 

親鸞聖人の御廟に供えられた仏花を用いて作成された花文字。

 

 

 

 

 

 

親鸞聖人 御廟

 

朝早い時間帯なので拝観に訪れる方も少ないので

御廟前の拝所でお参りを済ませてから他の拝観者が途切れた時に

御廟の撮影をさせてもらいました。

 

大谷祖廟の次は、此処大谷祖廟の近くにある

前々から気になっていたけれども

これまで拝観出来ていなかった寺院に向かいます。

 

 

 

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京都 西本願寺Ⅱ

2023年05月27日 | 名所めぐり(京都)

 

今回の京都巡りは、

西本願寺の書院、飛雲閣の特別公開に来たようなものなので

虎の間玄関の前に出来た列に並んでいる間も

開始時間を今か今かと胸の高まりが止まりません。

 

吊り橋効果で手当たり次第に恋をしてしまうかも。

 

 

 

西本願寺 虎の間玄関【重要文化財】

 

書院へは、この虎の間玄関から入場します。

 

特別公開は、書院から拝観するのも良し、

飛雲閣から拝観するのも良しで

どこから始めるのかを自由に選ぶことが出来て、

しかもこれまた無料なんですよね。

 

私の気持ち的には、撮影禁止の書院よりも

撮影が出来る飛雲閣が主役なので、

今回の特別公開のトリを飛雲閣に飾ってもらおうと

まずは書院の列に並びました。

 

建物内は撮影禁止なので画像は、西本願寺のHPの画像です。

 

 

 

西本願寺 書院 対面所【国宝】

 

書院の虎の間玄関から建物内に入って直ぐに

壁?襖?に虎が描かれている広い室内がお目見えし、

もう圧倒され、いくつかの部屋を通り抜けての対面所

 

対面所は、主室の透彫りの雲とコウノトリの欄間から

『鴻の間』と呼ばれていて

広さは下段のみで162畳、上段を含めると203畳となり

天井は、格天井となっています。

 

天井から柱から欄間から襖絵から

何から何まで全てが一級品。

 

 

 

西本願寺 書院 雀の間

 

 

 

西本願寺 白書院【国宝】

 

手前が白書院三の間(孔雀の間)、その奥が二の間で

さらに奥に三の間(紫明の間)があります。

 

特別公開日の白書院の各間に置かれた行灯の柔らかい灯りに

襖絵や欄干が照らされていて

白書院の雰囲気を一層素晴らしいものにしていました。

 

 

 

西本願寺 白書院一の間(紫明の間)

 

二条城の二之丸御殿だったか他の所で見たのか、

殿様が座る上の間の右横の襖の奥には、

警護の侍が控えている部屋の造りと同じ雰囲気があるんですよね。

 

 

 

西本願寺 書院 虎渓の庭【特別名勝】

 

虎渓の庭は、大きな庭ではなく画像で見る限りでは

特別名勝に指定されるだけの魅力を感じてなかったのですが、

実際に肉眼で見た虎渓の庭は、いや~素晴らしかった。

 

庭園の存在感が半端なく凄くて

さすが特別名勝に指定されているだけのことがあるなと。

 

それと書院の建物の全体の造りや装飾が

寺院的じゃなくて武家的で、

特別名勝の虎渓の庭には、確か桃山時代前後に

大名、武家庭園で好まれた蘇鉄が多くみられます。

 

多くの僧兵を要して織田信長の軍勢と張り合っていた

石山本願寺の頃ならまだ分かるのですが

豊臣秀吉の軍門に下って現在の西本願寺の地に移ったのですから

あのような無骨さを感じる造りは、不自然な感じがします。

 

なので豊臣秀吉の伏見城の遺構と言う説があるのも理解できます。

伏見城の遺構でなく西本願寺が建築したものなら

自分達が使用することを目的にしたのではなくて

皇室関係や豊臣秀吉が訪れた際に使用するためにと

西本願寺が自らが建築したのか

 

散々戦ってきた本願寺の中に

豊臣秀吉の存在をドーンと入れ込んで

誰が上なのかを知らしめておくために

豊臣秀吉が命じて建築したようにも思われます。

 

とにかく凄かったし良かったあ。

写真画像で見る書院よりも実際に肉眼で見る書院の方が

圧倒的に素晴らしく大満足の書院拝観となりました。

 

 

 

 

大感動、大満足の書院を出て、飛雲閣の拝観の前に

唐門へと向かいます。

 

 

 

西本願寺 中雀門

 

 

 

西本願寺 唐門【国宝】

 

西本願寺の唐門は、書院(対面所)への正門で

20年に一度修復される唐門の直近の修復は1,2年前らしく

西本願寺初拝観の際に拝見した時と比べて

明かに鮮やかさと輝きが違っていました。

 

この唐門は、華麗過ぎるので伏見城の遺構とか、

豊国社から移築されたものと言われたりしているようですが

どれも確証はないようです。

 

 

 

 

西本願寺の唐門は、特別公開でなくても通常に拝見できるので

西本願寺の拝観の際に見過ごしてしまうのはもったいないかな。

 

 

 

 

有名な二条城の唐門と肩を並べそうな位に

絢爛豪華な装飾がされています。

 

 

 

 

 

 

西本願寺 特別公開 飛雲閣拝観入り口

 

今回の特別公開では、摘翠園と飛雲閣の外観が

ネット情報では撮影可能となっていたからこその

西本願寺の拝観ではあるのですが、

 

これまでネットの情報と

実際が違っていることも多々あったので

ドキドキの入場となりました。

 

結果は、有難いことに撮影OK!

 

これで今回の京都名所巡りの主たる目的、

願望、期待が叶ったので

ここを終えたら神戸に帰っても良い位の達成感。

 

 

 

西本願寺 飛雲閣【国宝】

 

滄浪池(そういろういけ)を中心とした庭園、

『滴翠園』(てきすいえん)【国指定名勝】の中に

飛雲閣(ひうんかく)【国宝】は建てられています。

 

飛雲閣は、西本願寺に残る文書に

豊臣秀吉の遺構だと記されていることから

聚楽第の遺構だとも言われていますが確証はないようです。

 

 

 

 

全体的に柱が細く、多くの障子の白色から

空に浮かぶ雲のようだとして飛雲閣と名付けられたこの建物は、

金閣(鹿苑寺)、銀閣(慈照寺)と並んで京都の三閣と呼ばれています。

 

金閣寺、銀閣寺、銅閣寺(大雲院)の括りは、

また違う括り方なんでしょうね。

 

 

 

摘翠園 黄鶴台【重要文化財】

 

飛雲閣から渡り廊下で結ばれている黄鶴台(おうかくだい)

黄鶴台の別棟には唐破風をもつ蒸風呂と鉄釜の浴室があります。

 

 

 

 

 

 

 

詳しいことは何にも知らず、事前調べもせずに訪れた

西本願寺の初拝観の際に、

たまたまタイミング良く開いていた扉の向こう側に

西本願寺の他の建物とは異質な飛雲閣を発見したことを

友人に教えてあげようと名前を呼んでいたら

 

私に一人の僧侶が近づいてきて申し訳なさそうに

「ここは事前予約してもらった人のみだけ。」

と優しく言われて締め出されてしまったんですよね。

 

その時に活躍していたガラケーには

不鮮明な飛雲閣の写真画像が一枚だけ記録されていたのですが

今回ようやくあの時にやり残した続きが出来ました。

 

 

 

摘翠園 あずまや

 

 

 

摘翠園 鐘楼【重要文化財】

 

摘翠園を出て、再び休憩所で無料のお茶を頂きながら

しばし余韻に浸り、次の特別拝観が行われている場所へと向かいます。

 

 

 

 

西本願寺の阿弥陀堂門を出て、御影堂門の前の堀川通を渡ると

あるのが西本願寺の総門。

 

 

 

西本願寺 総門【重要文化財】

 

1711年に南総門として造られました。

 

 

 

本願寺伝道院【重要文化財】

 

1912年(明治45年)に

真言信徒生命保険株式会社の社屋として建てられたもので

現在は、僧侶の強化育成の道場『本願寺伝道院』となっています。

 

突き当りまで真直ぐと進んで

来た時には通らなかった東本願寺の北面を通ります。

 

 

 

東本願寺 内事門(長屋門)

 

何でだろう。今日の天候、気温の影響なのだろうか。

足腰の疲れというより身体が酷く疲れる。

たまらず内事門の石橋の欄干に腰を下ろして一休み。

今日は、いつもより一休みが多い。

 

 

 

 

ここまで来て、西本願寺の阿弥陀堂と御影堂に上がり

廊下や廊下からの境内の景観を観賞することを

完全に忘れていたことに気が付きました。

 

東本願寺の方は、あえて両堂には上がらなかったのですが

西本願寺の方は、大きなことをやり終えた所為なのか

完全に失念していました。

 

まあお陰で再び西本願寺に拝観する際の

楽しみが残ったことになるので良しとするしかありません。

 

 

 

東本願寺 十三窓土蔵(なまこ壁)

 

倉敷の美観地区を思い出させる東本願寺の『なまこ壁』。

 

烏丸線の五条駅から鞍馬口で下車して

えっちらおっちらと歩いて次の目的地に到着しました。

 

 

 

京都 妙覚寺

 

妙覚寺は、安土桃山時代に本能寺と共に織田信長の宿舎となっていて

本能寺の変の際には、妙覚寺には信長の嫡男・信忠が宿泊していました。

 

ただ1583年に豊臣秀吉の命によって

現在の場所に移っているので

織田信長らが宿泊した妙覚寺とは別物かなと思っています。

 

 

 

京都 妙覚寺 大門

 

なので私的には、織田信長らが宿泊したお寺としての

歴史的価値は感じられないのですが、

綺麗な庭園があるとのことなので

前々から一度位は拝見させて頂こうと思っていました。

 

実は、この妙覚寺の大門の前に立つのは2回目で

応仁の乱に関係する箇所を色々と巡る際に

妙覚寺の前を通ったので立ち寄ったのですが

庭園がある区域は、通常は非公開だったようで

お目当ての庭園を拝むことは出来なかったんですよね。

 

 

 

 

で本堂前庭『法姿園』の特別拝観を実施しているとのことなので

烏丸線の鞍馬口からえっちらおっちらと歩いてやって来たのですが、

特別拝観の受付時間が終わっていました。

 

ああ何と言うことでしょう。私の勘違い。

最終受付時間だと思っていた15時30分は拝観終了時間で、

最終受付時間は、15時で、私が到着したのが15時15分。

拝観終了時間が早い~。

これで妙覚寺からの2度目の門前払い。縁がないのかなあ。

 

疲れた身体を奮い立たせながら

鞍馬口からおっちらおっちらと歩いてきての門前払いで、

今日の完全に名所巡り継続の気力が失せてしまったので

まだ少し時間が早いのですが、もう神戸に帰ります。

 

なので今回の京都名所巡りは、

東本願寺と西本願寺だけとなってしまうのですが

一番の目的だった西本願寺の書院・虎渓の庭・飛雲閣を

拝観できたことだし、念願の飛雲閣の撮影が出来たので

私的には満足な一日となっています。

 

今回も私の名所巡りにお付き合い下さり、

ありがとうございました。

 

まだまだ訪問したい所は数あるのですが、

次回の予定も拝観先も何一つ決まってはおりませんが、

その節にはまたお付き合いを願えれば嬉しく思います。

 

 

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京都 西本願寺Ⅰ

2023年05月26日 | 名所めぐり(京都)

 

東本願寺を出て七条通りを西におっちらおっちらと歩いて

堀川通まで来たら堀川通を北側へと少し歩けば

東本願寺のお隣さんの世界遺産の西本願寺です。

 

 

 

京都 堀川通

 

西本願寺の方は、のぼり旗が沢山立てられていて

慶讃法要を凄くアピールして特別感をだしています。

東本願寺も慶讃法要の期間中は、

同じ様にのぼり旗が沢山立てられていたのかも知れません。

 

 

 

西本願寺 御影堂門【重要文化財】

 

御影堂の正面にある御影堂門は、西本願寺の正門

 

正門にしては規模が小さいと感じるかも知れませんが、

東本願寺の御影堂門を見たことの影響を受けているだけで

なかなかどうして立派な門です。

 

 

 

 

正門の御影堂門から境内に入らず、一旦通り過ぎて

そのまま堀川通沿いを北へと少し歩いていきます。

 

 

 

西本願寺 阿弥陀堂門【重要文化財】

 

阿弥陀堂の正面にある立派な阿弥陀堂門のお目見えです。

 

 

 

 

西本願寺は、今回が二度目の拝観で

初拝観が2013年の6月の終わりか7月の初めの頃。

 

その日、東寺、西本願寺、二条城と巡ったのが

今に続く名所巡りの出発点となっていて

この阿弥陀堂門の前の石橋の欄干に寄り掛かり

写真を撮ったのが西本願寺での最初の一枚だったんですよね。

 

 

 

西本願寺 太鼓楼【重要文化財】

 

1760年に再建された太鼓楼は、北集会所と共に

幕末の際には新選組の屯所となっていました。

 

北集会所は、1873年(明治6年)に

兵庫県姫路市亀山の本徳寺の本堂として移築されています。

 

 

 

御影堂【国宝】と目隠塀【重要文化財】

 

通称『目隠塀』と呼ばれる一文字塀は、

大通りに面した格式のある神社や仏閣に設けられることが多く、

大通りから境内を覗かれるのを防ぐためのものです。

 

 

 

西本願寺 御影堂【国宝】

 

西本願寺の御影堂は、1636年に再建されたもので

南北62m、東西48m、高さ29m。

 

 

 

西本願寺 大銀杏【京都市指定天然記念物】

 

御影堂の前にある見事な枝振りの銀杏の木。

 

 

 

 

樹高は、それほど高くありませんが枝振りが見事です。

栄養が幹より枝に多くいっちゃったみたいで

私が知る銀杏の木って

こんなに枝が太くなって横に広がらないんですよね。

 

銀杏並木のやつは、枝を剪定しているからああで

自然の形は、こうなの………いや、違うよね。

 

 

 

 

 

 

西本願寺 手水舎【重要文化財】

 

 

 

 

西本願寺と東本願寺の手水舎手水鉢の形状も似ていて

違うのは龍の像だけのように感じるんですよね。

 

巨大な木造建造物の阿弥陀堂と御影堂の形状も配置もほぼ同じで

違うのは建物の名称が逆なだけ。

何だかセブンイレブンの隣にヘブンイレブンが有るって感じで

仲違いをして分立した東本願寺が

ここまで西本願寺に似せたのは何故なのか。

 

 

 

 

 

 

阿弥陀堂【国宝】(奥)と御影堂【国宝】(手前)

 

境内の隅々にまで法要の読経の声が届いています。

 

 

 

西本願寺 阿弥陀堂【国宝】

 

西本願寺の阿弥陀堂は、1760年の再建

南北45m、東西42m、高さ25m。

 

東本願寺の御影堂と阿弥陀堂は、重要文化財、

西本願寺は、国宝に指定されているんですよね。

 

 

 

西本願寺 経蔵【重要文化財】

 

重要文化財の経蔵は、1678年に再建。

経蔵には、あの天海僧正の開版された天海版一切経(大蔵経)

656函、6323巻が納められています。

 

 

 

西本願寺 安穏殿(ブックセンター)

 

安穏殿が建つこの場所には、

新選組が太鼓楼と共に屯所として使用していた北集会所がありました。

 

 

 

 

 

 

 

法要が行われている阿弥陀堂には、沢山の人が。

 

 

 

西本願寺 天邪鬼

 

西本願寺の建物には、

建設に関わった職人の遊び心がちらほらと見られ、

御影堂の正面の天水受けでは、天水受けを背中で支える

天邪鬼と呼ばれる二頭身の石像を見ることが出来ます。

 

仏教では天邪鬼は、人間の煩悩を表す象徴として

四天王等に踏みつけられている悪鬼なので

月に代わってじゃなくて四天王に倣ってお仕置きよ!かな。

 

 

 

御影堂門と目隠し塀

 

 

 

西本願寺 慶讃法要休憩所

 

西本願寺の特別公開の時間まで少しあるので

特別に設置されていた白洲休憩所で一休憩。

 

 

 

 

この休憩所では、ファミレスのドリンクバーのような装置で

温かいお茶か冷たいお茶を無料で頂けたのが有難かったあ。

 

 

 

西本願寺 龍虎殿

 

 

 

西本願寺 虎の間玄関

 

普段の西本願寺 虎の間玄関は、こんな感じでひっそりと、

今回の特別拝観の虎の間玄関は、沢山の人の列が。

 

 

 

西本願寺 虎の間玄関

 

午前の法要に参加した信者さん達や私のような一般の参拝者らや

バスガイドさんが引き連れた団体さんらが列に並びます。

 

今回の京都名所巡りは、

西本願寺の書院と飛雲閣の特別公開を目当てに来たので

これさえ拝見し終えたら神戸に帰っても良い位なんですよね。

 

五月は、他の場所を訪れるつもりだったのですが

西本願寺の書院、飛雲閣の特別公開を発見して予定変更。

 

しかも今回の特別公開では、公開されても撮影禁止の場合もある

飛雲閣の撮影ができると聞いたので

もう五月の京都名所巡りは、西本願寺を中心に組み直したんですよね。

 

 

 

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京都 東本願寺

2023年05月25日 | 名所めぐり(京都)

 

世界遺産の京都西本願寺では、

2023年に宗祖親鸞聖人が誕生して850年、

浄土真宗が開かれて800年を迎えることから

「宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要」

2023年3月29日から5月21日まで催され、

その法要に合わせて特別拝観が実施されます。

 

で、今回の京都名所巡りは、

その西本願寺の特別拝観をお目当てに京都に向かったのですが、

せっかくなのでと、これまで一度も拝観していなかった

西本願寺のお隣さんの東本願寺に少し立ち寄ることに。

 

烏丸線の五条駅から烏丸通りを真っすぐ南方向へ

えっちらおっちらと歩くと見えてくるのが

1911年(明治44年)再建された東本願寺の玄関門

 

 

 

東本願寺 玄関門【国登録有形文化財

 

西本願寺は、世界遺産に登録されているのですが

東本願寺は、世界遺産に登録はされていないんですよね。

 

その辺りの詳しい事情は全く知らないのであれですが、

主だった建築物が明治時代に再建され

比較的新しいのでということなんでしょうか。

 

でも明治の職人は、優れた仕事する人が多いんですけどねえ。

 

 

 

 

 

 

東本願寺 菊の門(勅使門)【国登録有形文化財】

 

徳川家康が寄進した勅使門は、

門扉に菊の紋があることから菊の門とも呼ばれています。

 

勅使門(菊の門)は、他の建物と同じく度々火災で焼失し、

現在の勅使門(菊の門)は、1909年に起工し、

1911年の2月(明治44年)に再建されたもの。

 

再建の際に門扉の菊の紋章について宮内庁に伺いをしたところ

江戸時代から門扉に菊の紋が使用されていたことが認められ

菊の紋の使用が特別に許可されました。

 

 

 

 

菊の門からもう少し烏丸通を南進すると

東本願寺の象徴とも言うべき御影堂門が右手に見えてきます。

 

 

 

烏丸通 御影堂門と京都タワー

 

東本願寺の御影堂門は、でっかいですよお。

 

 

 

東本願寺 御影堂門【重要文化財】

 

誰が言ったのか京都の三大門は、

知恩院の三門、南禅寺の三門、仁和寺の二王門。

 

東本願寺の御影堂門は、正面21m、側面13m、高さが27m

京都どころか世界最大級の木族建築の山門であるのですが

京都の三大門の一つには数えられていないのは何故なのか。

 

京都の三大門は何々と、誰が言いだしたのか

いつ頃に言われ出したのか分かりませんが、

この御影堂門は、1911年(明治44年)に再建された

比較的新しい門なので京都の三大門云々と言われ始めた頃の

元々の門は、ここまで大きくなかったのかもね。知らんけど。

 

 

 

 

東本願寺の御影堂門は、とにかくデカい。

なので歴史的価値や建築時期を考えなければ

京都の三大門の一つには

東本願寺の御影堂門が入るのは間違いないところです。

 

 

 

 

西本願寺から分立し西本願寺の後に建築された東本願寺の建造物は、

この御影堂門の他にも阿弥陀堂、御影堂なども西本願寺のそれらよりも

少し大きな建造物となっているのが面白いところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

巨大な門を支える柱の根元が傷まないように巻かれた柱根巻きに

装飾された32体の獅子の内一体だけ眠り獅子がいるようです。

 

東本願寺西本願寺宗祖は同じなので

「宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要」

2023年3月25日から4月29日まで行われていたようです。

 

 

 

東本願寺 鼉太鼓(だだいこ)

 

私が東本願寺を訪れたのは、

東本願寺の慶讃法要の期間がすでに終了しているはずの

5月の中頃だったのですが

まだ何かの行事が行われていたのでしょうか。

御影堂門の所に設置されていた鼉太鼓が撤収の最中でした。

 

龍の彫刻が施された三つ巴の太鼓は、すでに撤収済みで

ギリギリの滑り込みのタイミングで

二つ巴の太鼓を拝見出来たのは、運が良かったのか悪かったのか。

 

太鼓の周りを宝珠形で装飾された鼉太鼓は、

1000年以上前から伝承されている

世界最古の音楽文化として国の重要無形文化財にもなっている

雅楽や舞楽の演奏に用いられる太鼓で、

 

三つ巴の太鼓の周りを龍の彫刻で囲み、

頂上に金の日輪を飾る唐楽に用いられる太鼓と

二つ巴の太鼓の周りを鳳凰の彫刻で囲み、

頂上に銀の月輪を飾る高麗楽に用いられる太鼓とで一対を成します。

 

 

 

東本願寺 慶長撞鐘(けいちょうつきがね)

 

慶長撞鐘は、慶長7年(1604年)

徳川家康公から京都烏丸六条に寺地の寄進を得た教如上人が

同9年の御影堂の造営に合わせて鋳造したものとのこと。

 

 

 

 

高さ256㎝、口径156㎝で慶長以前の鐘としては、

全国でも5番目の大きさだったようです。

 

撞鐘の真ん中部分の池の間には、鳳凰図が描かれていて

鳳凰図の向かい側には飛天図が描かれています。

 

 

 

東本願寺 鐘楼【重要文化財】

 

現在の東本願寺の鐘楼は、

1894年(明治27年)に再建されたもので

撞鐘は、2010年(平成22年)に400年ぶりに新調されたもの。

 

 

 

東本願寺 手水屋形【重要文化財】

 

手水鉢の上に据えられた銅製の竜の口から水が注がれています。

再建は1895年(明治28年頃)とされています。

 

 

 

 

またこれも大きくて迫力満点の龍の像。

大きさと迫力で言えば、これまで観てきた中で一番かも。

 

 

 

 

 

 

阿弥陀堂【重要文化財】と御影堂【重要文化財】

 

右奥の建物は、東本願寺の御影堂で

宗祖の親鸞聖人の御真影を安置しています。

 

現在の建物は、1880年(明治13年)に起工して

1895年(明治28年)に再建されたもので

正面76m、奥行き58m、高さが38m

世界最大級の木造建築物で

2019年に国の重要文化財に指定されました。

 

 

 

東本願寺 阿弥陀堂

 

御影堂の南隣りに建つ阿弥陀堂は、

御本尊の阿弥陀如来を安置するお堂。

 

御影堂と同じく1880年(明治13年)に起工し

1895年(明治28年)に再建された阿弥陀堂は、

正面52m、奥行き47m、高さ29m。

 

 

 

東本願寺 阿弥陀堂門【重要文化財】

 

阿弥陀堂門は、1911年(明治44年)に再建されたもので

江戸時代中頃には、唐門として建てられました。

 

東本願寺の建物は、4度も火災に遭っていて

4度目の火災は、1864年の7月に起きた禁門の変によるもので

一条通りから七条通りの東本願寺まで広範囲にわたり延焼しました。

 

禁門の変で起きた大火災による東本願寺の被害が

どのようなものだったかは、

現在の東本願寺の多くの建造物が明治になってから

再建されていることから伺えます。

 

阿弥陀堂門から東本願寺の境内を出て西本願寺へと向かいます。

 

 

 

 

東西の本願寺は、主立った堂宇の姿と

その配置までもが似ているので西本願寺を拝観すれば

東本願寺も拝観したのと同じかなと思っていたので、

今回は、世界最大級の御影堂門と阿弥陀堂と御影堂だけを

軽く撮影をして西本願寺へのつもりだったのですが、

 

大同小異とでも言いましょうか、

以前に拝観したことのある西本願寺とは

境内の雰囲気が違っていたこともあり、

ついつい撮影箇所が増えて長居をすることになりました。

 

ただ御影堂と阿弥陀堂には、あえて上がらずに

次回に東本願寺に興味を持つ友人と

再訪した際の楽しみに残しています。

 

 

 

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京都 第一旭

2023年04月10日 | 名所めぐり(京都)

 

東寺からおっちらおっちらと歩いて

近鉄京都線『東寺駅』まで戻り、

近鉄京都線『東寺駅』から京都駅で下車。

 

 

 

近鉄京都線

 

別に鉄道オタクと言う訳じゃないけれども

普段目にすることが無い車両に興味惹かれて撮影。

 

本当なら京都駅から乗り継いで

少し離れた場所にある寺院にまで足を運ぶつもりでしたが、

拝観時間が無くなったので諦め、桜咲く祇園白川

評判が高い円山公園の桜の観賞に向かいます。

 

朝のあの時間に阪急嵐山駅に到着しておきながら

主要な拝観場所が二ヵ所で終わったのが想定外で、

これまで拝観してない名所をせめて一か所位は、

巡っておきたかったんですよね。

 

でなければ京都名所巡りの一周目が

いつまで経っても完了しなくなるのでね。

ですが泣く子と拝観時間にはどうしようもありません。

 

 

 

京都タワー

 

京都駅から京阪本線の七条駅を目指して歩きます。

目の前には高さ131m、展望室の高さは100mの京都タワー。

 

京都タワーのデザインは、和ローソクを模したものだと思っていたら

京都市内の町屋の瓦葺を海の波に見立てて灯台を模したものだそうで

また、公営だと思っていたのが民間の京阪グループ

自分が勝手に思っていたとはいえ何一つ合ってなかったあ。

 

京都タワーの展望台にも一度位は登っておきたいのですが

どうしても後回しになってしまいます。

 

 

 

 

この京都駅の建物が外国人に評判が良いようで、

京都駅を見るために訪れる人がいるようです。

 

以前に夜の京都駅を散策して楽しんだ時に

陽が落ちると京都駅は、デートスポットとしても

利用できそうな雰囲気にもなりますからね。

 

 

 

 

京阪七条駅に行く前に小腹が空いていたので

京都駅に来たこの機会にまだ食していない

第一旭に立ち寄ることにしました。

 

 

 

京都 第一旭

 

前回は、第一旭からの暖簾分けと聞いている

神戸ラーメン第一旭は、何度か食べているので

二つが同じ味だったら京都でわざわざ食べなくてもと

前回は、第一旭の並びの人気店の新福菜館をチョイスしました。

 

なので今回は、京都で人気の第一旭を選択したものの

結構な人数の行列を見て躊躇しましたが、

この機会をスルーすると今度はいつになるか分からなくなります。

 

止まない雨は無いのと同じで

順番が巡ってこない行列はないと言い聞かせて

その時を辛抱強く粘り強く待とうと行列に加わります。

 

 

 

 

列の中には外国人の姿もちらほらで

後から第一旭を目当てにやって来た男女の外国人が

行列を見ながら何やら英語らしき言語で会話。

 

「私、行列に並ぶのいややわ~。」

『京都で美味いと評判のラーメンだぞお。』

「こんなん待ってたらお腹と背中がくっつくわあ。」

『絶対、思い出に残るって。』

「お腹減り過ぎて私、死んでも良いのん。」

『そんなん嫌やあ。死んだら泣いちゃう。』

てな感じで諦めて引き返す姿を何組か見ました。

 

時折、行列の後ろを振り返ると

私の後ろに長い行列が出来ているのを見ると

我慢強く辛抱強く待った成果が目に見えて

待つことを精神的に助けてくれます。

 

 

 

 

まだ明るかった外は、あれよあれよと夜の景色へと変わり、

もう立って待つのが身体的にも気持ち的にも

限界を迎えそうな時にタイミング良く入店。

 

 

 

 

神戸第一旭と本家の第一旭との違いは、はたして。

まずはスープからゴクリ。美味~い。

麵を啜って、チャーシューをパクリ。

 

確かに味は似てはいるのですが、

神戸第一旭よりも旨味と甘みがハッキリしていて、

美味かったあ~。

 

かなり歩いた後に食べた影響もあるかも知れませんし、

最高の調味料、空腹効果もあっただろうし、

神戸第一旭の記憶の味と本家第一旭の現実の味

比べているので正確とは言えないのですが、

この時に感じたままが神戸第一旭より美味い!

 

ただ行列がもう少しお手柔らかであって欲しいなあ。

 

 

 

 

で、なんで祇園白川じゃなくて円山公園でもなくて

前に京都タワーが有るのかと言うと

長いこと並び、お腹も満たされ、夜の景色を見ると

今日はもう十分かと、今日はもういいやと、

気持ちが切れてしまったんですよね。

 

なので京都駅の夜を楽しむこともせずに

京都駅から神戸に帰ることにします。

飲んだ後の〆がラーメンと言うのは良くありますが、

名所巡りの〆がラーメンと言うのも面白いかなと。

 

皆様、今回も私の名所巡りにお付き合い下さり

ありがとうございました。

次回の名所巡りも是非とも一緒に楽しんで頂けたら

嬉しく思います。

 

 

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京都 世界遺産 東寺Ⅱ

2023年04月09日 | 名所めぐり(京都)

 

東寺の拝観有料エリアどころか境内に足を踏み入れたのが

2013年の7月頃の初拝観の時だったので

もう早や8年も前になります。

 

その8年前の東寺の初拝観、西本願寺の初拝観、二条城によって

今に続いている本格的な名所巡りが始まったのですが

まさかここまで嵌るとは思っていませんでした。

 

 

 

有料拝観エリア 茶店前の床几

 

拝観有料エリアに入ってすぐの所の茶店で

折角なのでと何か頂こうと思ったのですが

多くの商品が売り切れ状態だったので

自動販売機で飲物を購入して茶店前の床几に腰を下ろして

五重塔を眺めながら一休憩。

 

 

 

 

東寺の象徴、五重塔に負けず劣らずの不二桜が満開です。

 

 

 

東寺 不二桜

 

東寺の樹齢約120年、樹高約13m八重紅枝垂れ桜は、

元々は岩手県の旧家の庭に植えられていたもので

その後、秋田県、三重県を経て平成18年に

弘法大師帰朝1200年を記念して植樹されたものです。

 

東寺は史跡なので地面を掘って植樹するには

色々とややこしい手続きがいるので

ならばと盛土をして植樹されたと聞いています。

 

この八重枝垂れ桜の名称『不二桜』は、

弘法大師の『不二の教え(事物は絶対に一つ)』から

名付けられています。

 

 

 

 

この不二桜の美しさは、圧巻でした。

五重塔と不二桜の組み合わせは、もう完璧です。

 

そうそう桜を見て感動することはありませんが、

これぞ雅の世界、幽玄の世界、日本の風景。

この不二桜を見たらもう感動………

いや感動と言うのか、感嘆と言うのか、興奮と言うのか、

 

不二桜を見て思わず出た私の「わあー!」

私の隣にいた外国人の「ワオー!」とがハーモニー。

 

 

 

 

よくもまあこれだけの桜を

岩手県、秋田県、三重県、京都の東寺へと

枝折れすることなく枯らすことなく

移植した関係者の人達の技術と労力には、ほんと感心します。

 

 

 

 

この時に感じていたものを

何とかそのまま記録しようと頑張ったのですが、

肉眼で見るそれには及ぶことができません。

 

撮影技術が高くなると、肉眼で見たままの画像を残せて、

さらに技術が高くなると肉眼で見た以上の画像を

残すことが出来るのだと思いますが私にはまだまだ遠い。

 

 

 

 

東寺庭園では、不二の桜と五重塔の組み合わせの他にも

ソメイヨシノと五重塔、瓢箪池と五重塔等の景観を

楽しむことができます。

 

 

 

東寺 五重塔と瓢箪池

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

講堂前の広場の向こうには、本坊の勅使門が見えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東寺のソメイヨシノは、全体的に仁和寺の御室桜のように

低木が多くて桜の花弁に埋もれるように観賞出来ます。

 

 

 

東寺 五重塔と藤棚

 

 

 

東寺 東大門(不開門)【重要文化財】

 

東大門(不開門)【重要文化財】は、

1336年6月に新田義貞に攻められた足利尊氏が

この門を閉めて難を逃れたと伝えられていることから

不開門(あかずのもん)と呼ばれています。

 

 

 

東寺 五重塔【国宝】

 

東寺の五重塔は、東寺を象徴する建物というだけではなくて

京都のシンボルとも言える建造物で

木造建築の五重塔では、約55mで日本で一番高い五重塔。

奈良の興福寺の五重塔が約50mで第2位で、

京都の法観寺の五重塔(八坂の塔)が約46mで第3位。

 

 

 

 

このような巨大な木造建造物を見ると

毎々のことながら昔の職人達の技術の高さ、凄さを思い知らされます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東寺庭園 瓢箪池

 

 

 

東寺 金堂【国宝】と桜

 

時間的にゆとりがあったはずなのですが

あれよあれよと時間が経過してしまい

金堂と講堂の仏像を観賞する時間が取れなくなりました。

 

 

 

東寺 金堂【国宝】と講堂【重要文化財】

 

初拝観の時に残した写真画像は、不鮮明なガラケーの写真だけなので

写真撮影が禁止されている仏像観賞よりも

画像を記録に残せすことを優先したいんですよね。

 

 

 

東寺 金堂【国宝】

 

 

 

東寺 講堂

 

 

 

東寺 講堂

 

 

 

 

午後6時よりの夜間特別拝観の準備のため

午後5時に一旦拝観を終了させて頂きます。

 

とのアナウンスが流れ始めたので

許される拝観時間は、後僅かとなってしまいました。

急げ。急げ。急げえ。

 

 

 

東寺 食堂

 

江戸時代に再建された食堂は、1930年(昭和5年)に火災で焼失。

現在の食堂は、1933年に再建されたもの。

食堂内には、本尊の十一面観音像と火災で黒焦げた痕が残る

3mを越える日本最大級の四天王像が安置されています。

 

 

 

 

食堂の中には、納経所があるようです。

 

 

 

食堂と手水場

 

 

 

 

平野神社の手水舎の手水鉢には、水と手酌が復活していましたが、

東寺の手水場には、まだ水も手酌もないようです。

 

 

 

 

 

 

東寺 北大門【重要文化財】

 

 

 

蓮池(亀池)と大元橋

 

初拝観の時の記憶では、

北大門を出て直ぐの所にある川と言うか堀には、

黒くて大きな鯉か大きな亀が沢山いたんですよね。

名称が亀池となっているので沢山いたのは亀ですね。

 

大元橋の袂には、初拝観の時にも拝観を見逃している

観智院があって拝観できるようなのですが

残念無念で次回の拝観時の楽しみとして残ります。

 

 

 

 

 

 

東寺 宝蔵【重要文化財】

 

平安時代後期建立の校倉造りの倉庫で、

東寺最古の建造物

 

 

 

 

 

 

東寺 慶賀門【重要文化財】

 

夜間特別拝観(夜間ライトアップ)の拝観入り口となる

慶賀門には、もう多くの拝観希望者が並んでいました。

幻想的な景観に酔いしれるだろうなあ~。

 

 

 

 

いや~東寺は、素晴らしかった。

今回の拝観で、東寺の初拝観の時に持っていた印象は、

完全にひっくり返りました。

 

しかし、あんなに素晴らしい東寺庭園のことを

初拝観の時の記憶には殆ど残っていないのが恐ろしい。

 

次に東寺を訪れる時は、滞在時間を半日位割り当てて

金堂、講堂、食堂の仏像はもちろん他の諸堂まで

がっつりと観賞したなと思えるような拝観にしたいと思います。

 

 

 

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