心の扉 神戸カウンセリング花時計

心理療法や催眠療法、ストレス解消や悩み等メンタルに関するもの、そして日常の出来事を自由気ままに掲載します。

100万ドル紙幣

2019年06月30日 | 雑感・愚見

2008年、警視庁は、偽100万ドル紙幣を預けて知人の女性を信用させ、

1億円を搾取した新宿区在住の62歳の男性を逮捕した。


また、

実在しない100万ドル紙幣への投資を持ち掛けて、

高齢の女性から600万円をだまし取った自称大阪在住の中村克隆82歳を

詐欺容疑で逮捕した。

 

男性は、2011年の8月から10月頃に、名古屋市在住の70代女性に

「100万ドル紙幣を150万円で買えば、1年以内に一枚当たり、

4500万円が受け取れる。」と嘘を言って、4口分、600万円を騙し取った。


また、容疑者の男性の知人の男らも同じ手口で、

この女性から10年に計750万円を騙し取ったとして逮捕。

この二人の男性は、

「中村容疑者に指示されてやった。紙幣は本物だと思っていた。」などと供述し、

処分保留で釈放された。

 

大昔には、10万ドル紙幣も発行されていたようですが、

現在のアメリカで発行されている紙幣の最高額は、100ドル紙幣で、

100万ドル紙幣って……。何故信じたのかが分からん。


そして、なにより理解出来ないのが、

「本物だと思っていた。騙すつもりなんてなかった。」と言ったので、

処分保留で釈放されたこと。


最近よく耳にする「そんなつもりはなかった。」を聞くとイラッとします。


喧嘩でパンチが一発ヒットして、

相手が倒れた時の打ちどころが悪くて死んでしまった。

「殺すつもりはなかった。」これは、素直に理解できます。


日々の暮らしは食べていくのがやっとで、

約束した日にお金を返したいけれども返すことが出来ない。

「騙すつもりなんてない。」これも、素直に理解できます。


しかし、

借りた本人がキャバクラ、パチンコ、旅行で贅沢三昧で、

「借りたお金は、返すつもりだった。」「騙しているつもりはない。」

刃物で滅多刺しにしておいて「殺すつもりはなかった。」


これって、私は被害者を馬鹿にしているようにしか思えないんですよね。

被害者を二度蹂躙しているように思えてイラッとするとだけを書かせてもらって、


騙すことに戻らせてもらいますが、

「○○億円分の遺産を譲ります。」の遺産ゆずります系の詐欺。

そして、

「ロト6の当選番号orジャンボ宝くじの当選番号」教える系。

突っ込みどころ満載のメールが送られてくる奴なんて、

 

私が詐欺師の親玉だったとして、

新しい詐欺の手段を企画する会議で上の様な発案が出ても、

こんな馬鹿馬鹿しい仕掛けに引っかかる奴いるはずがないと

絶対に却下するのですが本物の詐欺師たちは違います。


それが心理的に緻密に練り上げて成功すると答えをだしたものなのか、

やってみなくちゃ分からないと実行してみただけなのか分かりませんが、

やってみたら何人かから騙し取ることに成功する。ビックリします。

 

詐欺師の中心人物の発想力と実行力を裏道ではなく

正道の方で発揮できないものかと、つくづく思うのです。

正道で力を発揮してくれれば、

まだ社会に埋もれている素晴らしい製品やサービスを構築して、

社会に貢献してくれるはずと思うのは、

私の買い被りすぎかもしれませんが。

 

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偽物

2019年06月28日 | 雑感・愚見

日本に出回る有名ブランドの偽物と言えば、

中国とか韓国で製作されたものが多くあると聞きます。

そして、

中国は、有名ブランドの偽物製品だけではなく

世界の有名キャラクターも遠慮なくコピーするのも呆れますが、

本物から得られる癒しだとかファンタジー感は到底得られない出来栄えも酷い。


あれって著作権違反を少しでも避けるために

わざと崩して製作しているのかも知れませんが……。


香港旅行の時にだったか、韓国旅行の時にだったか忘れましたが、

街を歩いているときに一人のおじさんに、

高級腕時計のローレックスを買わないかと日本語で声を掛けられ、

その時計見てみると、これがまた安っぽさが感じられない出来栄えで、

「いくら?」と聞いてみたら、「千円で良いよ。」

 

「30万円。お得だよ。」と言わずに千円ですから、

もう完全にバッタもん。コピー商品宣言をしているのと同じで、

お金を騙し取ってやろうなんて気持ちが皆無なんですよね。

変な言い方ですが、

凄く良心的な偽物売りだなと感心したことがあります。


絵画の世界で、天才贋作画家とか、

世界一の贋作画家と言われるのがエルミア・デ・ホーリーで、

1946年から1967年までの21年間に

ピカソやルノワール等の巨匠たちの画を1000点近く描き続け、

世界中の美術館やコレクターに販売しました。


オリジナルの作品を描いていたが全く売れず、

生活をするために贋作を描き始めたのですが、これが本当に凄かった。


デ・ホーリーが描いたピカソの画を、ピカソ本人が鑑定したのですが、

自分が描いた画なのか、他人が描いた贋作なのかが分からなかったほどの

出来栄えだったようです。


デ・ホーリーの贋作の画を売り歩いた画商が二度ほど来日していて、

国立西洋美術館に、ドランの油絵の大作『ロンドン橋』2,238万円。

デュフィの『アンジュ湾』280万円。

そして、モディリアー二のデッサン『女の顔』を

129万円で売りつけることに成功しています。


スペインのイビサ島に住居を構え、贋作政策の最後の拠点としていたのですが、

フランスの警察がホーリーの身柄引き渡しを要求し始め、

ホーリーは、自宅で睡眠薬自殺をして生涯を終えました。


ホーリーの死後、ホーリーのオリジナル作品に人気が出て

高値で取引されるようになり、

さらにはホーリーのオリジナル作品の贋作が出回るようになります。


同じ人が描いている絵なのに生きている間は、

犯罪者が描く絵だからなのか、評価され始めても全く売れず、

亡くなった後で人気がでるという

悲しく数奇な人生を歩んだ人だったようです。

 

ひまわりの画で有名なゴッホも確かそうで、

生きている間は、全く絵が売れず、

死後に、ゴッホの弟テオの嫁ヨハンナが出した書物によって

ゴッホの作品が注目されるようになりました。


商品とか作品とか、最低限のレベルに達していることは必要ですが

同じ商品や作品でも、それに何らかの物語が添付されることで

価値が高まり、輝きが生まれることがあるようです。


人の評価はある意味いい加減で幻の様なもので、

その幻に振り回され苦しめられないようにしたいものです。

 

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珈琲

2019年06月26日 | 雑感・愚見

世界で多くの人に愛される珈琲は、最初にイスラム世界に広がり、

1600年の初頭にトルコからイタリア・ローマへと伝わりました。

 

しかし、

キリスト教徒の聖なる飲物「ワイン」をイスラム教徒は飲めないことから

イスラム教徒は、悪魔から珈琲を与えられる罰を受けているとして、

珈琲は、「悪魔の飲物」とされていましたが、

その人気は、ジワジワと広がっていきます。

 

そして、珈琲を求める人達の声を無視することが出来なくなり、

教会としての見解を出すために珈琲裁判が開かれることになり、

時の教皇クレメンス8世が味見をすることに。

 

すると、教皇クレメンスは、その味と香りに魅了され、

異教徒の悪魔の飲物として禁止するのは、あまりにも惜しいので、

反対する人達も納得させるには、どうしたものかと考えて、

💡閃いたんですよね。「珈琲に洗礼を授ければ良いんじゃねえ!」

で、珈琲に洗礼を授けてキリスト教徒の飲物として公認しました。


※悪く言うと、いい加減。ご都合主義。

 良く言うと、柔軟な思考。

 変えた方が良いものは柔軟に変えて、

 変えちゃいけないものは断固変えない。(パチパチパチ。賛成!)


教皇によって珈琲が公認されたことが、

ヨーロッパ全土に普及していくきっかけとなったようです。

 

さて、珈琲について健康に良いとする研究結果と、

死亡リスクを高めるといった研究結果があり、

本当の所はどうなのかが分かっていません。

 

こういう場合は、あれですね。

健康に良い証を求めて研究すると、それに合致するデーターが集まり、

健康に悪い証を求めて研究をすると、それに合致するデーターが集まる。

つまりは、

健康に悪い要因があったとしても、有ると言うだけ。

健康に良い効果があったとしても、有ると言うだけ。

どちらも微々たる影響しかもたらさないと言うことかと思います。

 

なので珈琲に関しては、権威ある人が健康に良いと言おうが、

健康に悪いと言おうが、「ハロー効果」に左右されずに

自分の身体が教えてくれる適量の感覚を大切にして、

愛飲すればOKかと思うのです。

 

19世紀のフランスを代表する小説家、オノレ・ド・バルザックは、

重度の珈琲依存症で、多い時には一日100杯。

20年間に最低5万杯を飲んだ計算になるらしく、


1800年代のフランスの平均寿命が40歳前後らしいのですが、

浴びるように珈琲を飲んだバルザックは、

当時としては長生きとなる51歳で生涯を終えたようなので、

バルザックと珈琲の関係は、健康を害するどころか

健康に良い影響をもたらしたようにも捉えることができます。


珈琲に限らず私達が口にする何かには、

何らかの害があり何らかの効用があるのだと思うのです。

1の害を100の害のように流布したり、

1の効用を100の効用のように流布したりと、

世の中には色々な発信源から0か100。全か無の情報が垂れ流されています。

 

頑固者の私なんかは、そのような発信者に踊らされるのが

かなり嫌いですし悔しいんですよね。


もしあなたが社会生活の中で理不尽な攻撃を受けていたとしたなら、

最後の最後の所、ガリレオの精神「私は間違っていない。」。

あるいは、「おい、そこまで悪くはないぞ!」を見失わないで欲しいのです。

 

そして、あなたの周りにそんな被害を受けている人がいたら、

あなただけは、味方となって助けてあげて欲しいと思うのです。


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コパ・アメリカ

2019年06月25日 | ライフ

コパ・アメリカに招待されたサッカー日本代表が、

グループ・ステージを0勝2分け1敗となり、

準々決勝の戦いに進むことが出来ませんでした。


ハイレベルのチームが集うコパ・アメリカに

まだまだサッカー後進国の日本が参加するのですから

全敗も有り得たわけですから0勝2分け1敗の成績は、

よく検討したと言えるかもしれません。


試合内容となると健闘どころか、南米のチームを相手にして

勝ち負けの争いをしたと言えるほどの内容だったかと思います。


初戦のコパ・アメリカを二連覇中のチリには0-4で敗戦しましたが、

試合内容は、点差程の差は感じられませんでしたし、


2試合目の世界の強力2トップを有する優勝候補のウルグアイ戦は、

2度リードしたものの追い付かれて2-2の引き分け。


3試合目のエクアドル戦は、これも先制点を奪取したものの

追いつかれて1-1の引き分け。


他会場で行われたウルグアイ/チリの一戦は、

日本代表に0-4で勝利したチリが、

日本が引き分けたウルグアイに0-1で敗れています。


この大会に参加するにあたり日本代表のチーム編成は、

選出したい選手を思うように招致できずに、

オリンピック世代の選手が多く含まれるチーム編成だったので

誇りあるコパ・アメリカに日本は、

2軍チームを派遣したと言う声もありましたが、

3試合を終えた日本代表の評価は、賛辞の声の方が多かったようです。


今大会を観させてもらっての感想は、

将棋で言うと序盤、中盤の力が付いてきているけれども、

強いチームと比べると終盤力(詰将棋)が、

まだまだ足らない感じでしょうか。


ただサッカーは、個人が競う将棋とは違って団体戦なので、

あのメッシでさえも所属クラブのバルサのような

破壊的な活躍をするまでに至っていないことからすると、


個人の技術を少々上げてもチームとしての機能性が高くなければ、

得点力・決定力に結びつかないのだと思います。


コパ・アメリカに参加した日本のオリンピック世代にとっては、

東京オリンピックでメダルを本気で狙える自信を得たと思えますし、

チームとして、個人として、さらなる成長のための答えも得れた

素晴らしい経験となったと思います。

 

何より自分より強い者の本気との戦いを

最高に楽しめたのではないでしょうか。本気で目指そう金メダル!

 

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ロマン

2019年06月24日 | 雑感・愚見

子供の頃の私と言うか同級生の間で、

ネッシーであるとか、UFOであるとかを扱った番組に影響を受けて、

時々数人で集まり空を見上げて小一時間、

「ベントラ。ベントラ。」って本気でUFOを呼ぼうとしていました。


そんな同級生の中から

本当に見たのか、想いが強すぎて見た何かをUFOだと思い込んだだけなのか、

「昨日、UFOをみたぞ!」何て奴が現れると、

休み時間に話を聞こうと人が集まり、ちょっとしたヒーロー誕生です。


しかし、テレビで新たな情報が幾度となく流れても

ロマンと現実との距離が一向に近づくことはなかったので、

それらの殆どのものに対して自然と興味が薄れていきました。


しかし、私の中には唯一つ。今も尚です。

少しも色あせることがなく輝いているものがあります。


もう40年以上前のことになるんですよね。

当時、色々なテレビで報道され、新聞に大きな紙面を割いて取り上げられ、

世間を大いにざわつかせた出来事があります。


1977年4月、日本のトロール漁船「瑞洋丸」が、

ニュージーランドの沖合で巨大な生物の死骸を引き上げました。


その死骸は、太い胴体に長い首と頭を持ち、

全長約10m、体重は2トン以上もあったようで、

酷い腐敗状態と酷い腐敗臭のため、漁獲した魚への影響を心配し、

船員によって写真撮影とスケッチされた後に、再び海へと投棄されてしまいました。


その写真とスケッチが報告されると、

「首長竜、発見か!」と日本の新聞、テレビ、世間は大騒ぎ。


私なんかは、

「なんで海に投棄するかなあ。馬鹿じゃないの!」、

「ここは商売よりも世紀の大発見を優先でしょう!」って、

かなり怒っていたことを記憶しています。


随分と後に、絶滅したと思われていたシーラカンスが

発見されたニュースが世界を駆け巡った時がありましたが、

私としては、「あの首長竜の方が遥かに凄いっしょ。」と思ったものです。


この生物の正体を明らかにすべく1980年にロンドンに渡り、

調査をしたヤスダ博士の報告によると、

現在地球上に存在し分類されている生物に当て嵌まらないとの報告がされました。

 

その後、東京水産大学、国立科学博物館、東京大学海洋研究所の

調査メンバーが調査、解析した結果はと言うと、

繊維組織から検出されたアミノ酸から

サメの一種「ウバザメ」の顎などが腐敗によって剥がれ落ちたことで

首長竜に似た姿になった可能性が高いと報告されたことで

大きくざわついたテレビ、新聞、世間の興味が急速に薄れていくことになります。


しかし、しかし、しかしです。

最終報告書にはウバザメの一種の可能性が高いとしているだけで、

生物の正体については『ウバザメ』とは断言されておらず、

ウバザメ説、爬虫類説、未知の生物説等が述べられていたにもかかわらず、

ウバザメ説だけに飛びついたことになります。


トロール漁船「瑞洋丸」の船員の矢野道彦氏が

残したスケッチと証言には後ろ足があったことがハッキリと述べられていて

それらのこともウバザメでは説明がつかないことから報告書の結論は、

ヤスダ博士の調査報告と同じ、正体不明とされています。


そして、魚のプロである漁師が、この死骸は普通ではないと感じたからこそ、

写真とスケッチを残したと言うことは何を意味するかです。


私の中では、首長竜に決定しているんですが、

例え首長竜でなかったとしても、UFOや他の雪男やネッシーのような

るのかいないのか良く分からない未確認生物ではなく、

初めてロマンと現実が重なった瞬間でした。


矢野道彦 写真とスケッチ


 

令和になって、私が生きてきた昭和、平成を振り返った時に、

私の記憶のレーダーが、いの一番に捉えたことが、

これってのは、どうなんだろうって思ったりもしますが、

でも、これって凄くないですか?

 

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お見送り

2019年06月23日 | ライフ

東京の友人が帰国じゃなかった、東京へ帰るので

朝早く起きて元町までお見送りです。

 

 

神戸元町喫茶 サントス

 

 

神戸中華街ストリートマップ

朝早いので殆どのお店は開店していませんが、

東京へと出発する前に神戸南京町に立ち寄りました。

 

あずまや

まだまだ開店が先なのに、もう十数人の人達が

南京町の超人気店『老祥記/ろうしょうき』の豚まんを求めて待っていました。

いや~これ凄い。驚きました。

 

 

西安門

腰を下ろして少し話をしてお別れの時です。

友人は笑顔で手を振りながら歩きだし、西安門の向こう側に姿が消えていきます。

アディオス!また逢う日まで 逢える時まで~♬

 

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瑠璃光院

2019年06月22日 | 名所めぐり(京都)

京都河原町の花見小路にある喫茶『NOEN』から数分歩いて

四条大橋の袂にある京阪本線の祇園四条駅。

 

京阪本線の祇園四条駅から出町柳駅で叡山電鉄に乗り換えて、

八瀬比叡山口駅までやって来ました。

 

 

 

八瀬比叡山口

 

駅公舎に掲げられている文字が

八瀬比叡山口で無いのは何故なんだろう?

それはともかく、

ここ八瀬比叡山口駅から高野川に架かる橋を渡り、

瑠璃光院へと向かいます。

 

瑠璃光院の拝観は、一般公開される春と秋の期間のみで、

現在は、2か月強の春の一般公開期間です。

 

 

 


 

瑠璃光院は、京都の人気の観光スポットの一つで、

秋の一般公開の時には、驚くほどの人が押し寄せて

2時間待ちは当たり前と聞いています。

 

 

 

高野川

 

高野川の澄んだ水が緩やかに流れる音と、

バーベキューをしている人達の楽しげな声が静かに響きます。

 

拝観終了時刻の5時には、かなり余裕があるのですが、

2時間、3時間待ちとなると話が違ってくるので、

現在の状況を知ろうと喫茶『NOEN』から

瑠璃光院に電話をしてみたのですが、

録音された音声が流れるだけで全く状況を確認できません。

 

とにかく行くしかないでやって来たので、

瑠璃光院が近づくにつれて期待感と不安で鼓動が高くなります。

 

 

 

瑠璃光院

 

瑠璃光院の山門の前には、

写真撮影をしている十数人程度の人達の姿が見えるだけで

どうやら待ち時間無しで拝観出来そうです。

春の一般公開は、秋の一般公開と比べて

人気の度合が違うのかもしれません。

 

 

 

瑠璃光院 山門

 

 

 

 

この地に京都の実業家の別荘が建てられたのが最初で、

茶室は、『喜鶴亭』と名付けられました。

大正末期から昭和にかけて建物の大改築が行われ、

2005年に寺院に改められ瑠璃光院となったようです。

 

 

 

山露路(やまろじ)の庭

 

山門から玄関までを『山露地の庭』と言い、

石段の参道と池、樹木、苔、石組によって構成されています。

ここの感じは少し詩仙堂と似ています。

 

 

 

 

石段の参道を登り切り、

中門を潜った所には苔むす庭と石塔があり、

ここが山露地の庭の撮影ポイントなのか、

十数人の方が、この庭を腰を据えて撮影していました。

 

瑠璃光院素人の私は、ここでの撮影はそこそこにして

鼻息を荒くして建物内へと向かいます。

 

 

 

 

瑠璃光院玄関手前の池で泳ぐ鯉。

多くの寺院で見られる建物や周りの景色を

写しだすための緑色の池ではなく、

瑠璃光院の池の水は、高野川と同じで綺麗で澄み切っています。

 

 

 

 

 

 

玄関

 

 

 

玄関にある衝立と『喜鶴亭』の扁額

 

瑠璃光院の拝観は、多くの人を惹きつけてやまないものを鑑賞できる

書院二階から始まります。

 

 

 

瑠璃光院 書院 八瀬の眺望

 

 

 

書院二階

 

 

 

 

瑠璃光院の人気の最大の理由が、この床もみじと机もみじ。

 

書院二階の外に広がる青もみじと、

ピカピカに磨き上げられた床と黒塗りの天板に

反射した青もみじ一体化した光景が

素晴らしく美しいのです。

 

大人気の秋の紅葉が、この青紅葉よりも美しいとなると

いやはやもう何と言って良いのか……

ただ秋の紅葉の場合、

最高潮の期間が一週間程度だと思うのですが、

青紅葉は、一般公開期間中は安定した美しさを

堪能できるのが優位な点です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少しづつ撮影場所を変えたり、少し上から撮影したり、

少し上を向けて撮影をしたり、少し離れてみたりと、

かなりの枚数を撮影しました。

 

 

 

 

 

 

書院一階『瑠璃の庭』

 

瑠璃光院の庭内の苔は自生する苔で、

その中の苔の一種が光を受けて瑠璃色に輝いたことから

瑠璃光院と名付けられました。

また、仏教語で瑠璃は、浄土世界を意味するそうです。

 

 

 

 

 

 

 

抹茶を注文すると最前列の座布団の特等席で

瑠璃の庭を鑑賞できます。

 

 

 

瑠璃光院 床もみじと抹茶


 

緑色の空気が溶け込んだ抹茶と和菓子がまた美味しい。

抹茶があってこその和菓子のあの味。

和菓子があってこその抹茶のあの味なんだと思う。

 

 

 

 

書院二階の床もみじも素晴らしいのですが、

書院一階で鑑賞する『瑠璃の庭』もまた素晴らしいんですよね。

何故、瑠璃光院が人気があるのかが

実際に訪れると十二分に理解できます。

 

 

 

 

 

 

書院内 屏風

 

 

 

書院内 掛け軸

 

私達の後から拝観する人達にスペースを譲るためにも

名残惜しいですが瑠璃の庭にお別れをします。

 

 

 

仏堂(左)

 

この時、私は十二分に満足して、

やり終えた感満載の心理状態になり、

瑠璃光院の三番目の庭『臥龍の庭』『八瀬のかまぶろ』

完全に忘れてしまっていて

気分はもう瑠璃光院の出口へと向いています。

 

 

 

山露地の庭

 

少し気になった箇所を簡単に撮影しながら、

 

 

 

 

 

 

臥龍の庭

 

臥龍の庭に出くわすも、この時点では瑠璃の庭の延長かと思って、

撮影したのは、二枚程度。完全なる失態です。何たる不覚。

 

 

 

喜鶴亭

 

喜鶴亭も、なんか茶室ぽい空間があるなと一枚だけ撮影。

 

瑠璃光院の境内、建物の規模を考えると

一日に受け入れることが出来る拝観者に限りがあると思われるので

あれだけ人気が高くなると拝観料を2000円に設定して、

拝観者数を自然調整をしているのかと思います。

 

そして、気持ちは大満足、大満腹、ご満悦で

瑠璃光院を後にしたのですが、

神戸に帰ってからパンフレットを見て

『臥龍の庭』を失念していたことに愕然。

 

 

 

叡山電鉄

 

私達が乗車した叡山電鉄のユニークな車両。

前面の輪は何を表しているのだろうか。

出るはずの風切り音を、どのように無くしているのだろうか。

 

 

 

四条大橋から 鴨川

 

仲の良い男女が等間隔で並ぶ鴨川名物の風景。

羨ましくなんか全くない。全然です。

ほんと。全く。ちっとも。はははははは。

 

 

 

東華菜館

 

神戸に帰還する前に東華菜館の川床(初)で

軽く北京料理を頂くことに。

ビヤガーデンとは、また違う雰囲気なんですよね。

 

 

 

炒飯&酢豚

 

炒飯は、他の料理を邪魔しない軽い味に

仕上げられていながら美味い。

酢豚は、肉も柔らかくて、甘酢の餡を友人は最高評価。

そして、価格もリーズナブル。

 

 

 

&杏仁豆腐

 

コンビ二の崩れそうに柔らかい杏仁豆腐も美味しいけれども、

この杏仁豆腐の固形感が本格さを感じさせてくれます。

 

恩返しと言ってくれる東京の友人から随分なおもてなしを受けて、

今回の京都巡りを終えた時の私の気分は、

国賓で来日したトランプ大統領が帰国する際の気分と同じですね。

 

皆さま、今回も私の趣味&東京の友人との交流記に

お付き合い下さってありがとうございました。

 

 

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甘茶

2019年06月21日 | 雑感・愚見

 

京都建仁寺塔頭の霊源院で

初めて甘茶を頂いたので甘茶について少しだけ。

 

甘茶は、『アマチャ』と言われる植物の葉を摘み取り、

天日で干し、霧吹きで水を吹きかけて発酵させ、

手で揉み込んで天日で干して乾燥させて茶葉を作ります。

 

甘さは、砂糖の主成分のスクロースの

400倍~1000倍と言われていて、

(数値の幅が有り過ぎないか?)

あれだけの甘味を感じるのにカロリーは、なんと0。

 

内臓の機能を改善したり、血行を良くしたり、

抗アレルギー作用があるので

花粉症の改善にも期待できるとのことです。

 

一方で毒性のある成分は検出されたことはないのですが、

濃すぎる甘茶を飲むと中毒を起こして

嘔吐する可能性も報告されています。

 

 

 

花祭り

 

甘茶と言えば、やっぱり4月8日に行われる

お釈迦様の誕生日を祝う仏教行事の『花祭り』。

 

お御堂を綺麗な花で一杯にして、

お釈迦様の誕生仏の上方から甘茶を流しかけるあれを、

私達が訪問した霊源院では、4月8日ではないけれども

花祭りの仏教行事を初体験をさせて頂きました。

 

お釈迦様は、ネパール南部のルンビニ花園の無憂樹の下で生まれ、

誕生の際に9匹?9頭?の龍が現れて

甘露の雨を降らしたと言う伝説を模したものです。

 

余談ですが、ムエタイの二大殿堂の一つ、

ルンビニ・スタジアムは、

お釈迦様の生誕地のルンビ二花園が由来となっています。

 

甘露の雨を浴びたお陰なのか、

お釈迦様は、生まれてすぐさま「よっこらしょ。」とは言わないで、

無言で立ち上がり、野生の動物のように7,8歩歩いて、

「あば、あば」とか「うんま、うんま」とは言わず、

一方の手を天に、一方の手を地を指して、

「天上天下唯我独尊」と唱えたと言われています。

 

天上店が唯我独尊の意味は、

この世に個として存在する

「我」より尊い存在はないということです。

 

「我」は、お釈迦本人を意味するのではなく、

世の一人一人の存在が尊いことを意味するもので、

人間の尊厳をあらわしている言葉だそうです。

 

私はこれを最初に聞いた時に、

「我」はお釈迦本人だと捉えてしまい

もし私が、生まれてすぐの子からこんなことを聞いたら、

「生意気なことをぬかすな!」と

頭を一つポカッっと小突きてしまうなと

思ったことを思い出します。

 

こんなの絶対にあり得ないけど話としては面白いですね。

伝説がどうであれ、

お釈迦様を尊ぶ気持ちは揺らぐことはありません。

そして、京都名所巡りは続きます。

 

 

 

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建仁寺塔頭 霊源院

2019年06月20日 | 名所めぐり(京都)

建仁寺塔頭 両足院の拝観を終えて、

次に向かったのは、

甘茶の庭『甘露庭』の特別公開が行われている

建仁寺の塔頭寺院、霊源院です。

 

 

 

建仁寺 茶碑

 

建仁寺の境内にある栄西禅師の茶碑。

建仁寺の開山栄西(ようさい)禅師が、

宋から持ち帰った茶の種を栽培し、

その栄西から茶の種を譲り受けた高山寺の明恵は、

宇治で茶の栽培を行いました。

 

それが『宇治茶』の始まりなり、

日本の茶祖としても尊崇されています。

 

 

 

 

建仁寺勅使門の近く、

建仁寺専門道場と書かれている石柱の奥に続く参道を進みます。

 

 

 

建仁寺塔頭 霊源院

 

桶狭間の戦いで有名な今川義元公のお墓は、

愛知県の豊川市にあったと思うので、

ここ霊源院と何の関係がと思ったのですが、

今川義元公とか一休さんも当院でも修行していたとのことです。

 

 

 

甘茶の花

 

門を入って直ぐの所に咲いていた甘茶の花。

 

 

 

玄関(拝観入り口)

 

玄関の『関』の文字が書かれた玄関の衝立がお出迎え。

 

 

 

臨済宗の僧侶 中巌円月の木像(霊源院ホームページより)

 

実に生々しくて見事な彫刻で、製作者は判明していないようですが、

1996年に、この木像から体内仏が発見され、

それが有名な仏師、運慶(うんけい)の

息子の湛慶(たんけい)の作であることが判明しているそうなので、

この木像も根拠が何か見つかればといった所でしょうか。

 

 

 

毘沙門天立像(霊源院ホームページより)

 

体内仏の毘沙門天立像の左手の水晶の中にはめ込まれている

仏舎利を拝見することが出来ます。

 

小さな水晶玉には、色々なものが写り込んでいて、

仏舎利がどのようなものかも知らない私が目を凝らしても

どれが仏舎利なのか分かるはずもなく、

困惑している私を感じ取ったのか、

 

霊源院の関係者の方が、

もう本当に丁寧に手取り足取りで、仏舎利発見を助けて頂き、

仏舎利と称されるものを肉眼で拝見することが出来ました。

これ、私の中ではかなり面白い体験なんですよね。

 

 

 

甘茶

 

仏舎利の初拝見の興奮がさめやらぬままに

本堂内にある茶室『也足軒』で甘茶を頂きました。

 

私は、今まで甘茶を飲んだことが全く無かったので、

これが甘茶の初体験となります。

 

私は何故か甘茶は、とろみが強くて

砂糖のような甘味料を入れて

甘くしたお茶と勝手に思っていたのですが、

実際の甘茶は、まるで違っていました。

 

さらっとしていて自然な甘みが和菓子と凄く合います。

私の持っていたイメージと全く違っていたので、

甘茶を出してくれた人に、「これが本当の甘茶なんですね。」と

何度か確認してしまいました。

 

 

 

甘露庭

 

 

 

 

 

 

 

甘茶の庭『甘露庭』には、

アジサイに似た甘茶の青い色の花がかなり咲いていました。

甘茶は、ユキノシタ科の低木アジサイの変種だそうで、

栽培が難しく100本植えても花が咲くのは僅かだそうです。

 

 

 

『甘露庭』の菩提樹と無憂樹(むゆうじゅ)

 

お釈迦様は、無憂樹の下で生まれ菩提樹の下で悟り

沙羅双樹の下で涅槃に旅立たれたと言わていて、

夢想樹と菩提樹と沙羅双樹が仏教三聖木と言われています。

 

正面奥が菩提樹。

写真では分かりづらいですが、

正面手前の甘茶の花の中に苗木の無憂樹があります。

 

 

 

『甘露庭』の沙羅双樹

 

右の細長い木が沙羅双樹の木。

 

仏教三聖木が揃っている庭って記憶にないんですよね。

ただ見落としてきただけなのかも知れませんが。

そして、お釈迦様が生まれた時に

降ったと言われる甘露まで揃っています。

 

『甘露庭』は、お釈迦様の一生をモチーフにして

作庭されているとのことで、

今年は、霊源院で修行を積んだ今川義元の

生誕500年にあたることから

甘茶を約500株まで増やされています。

 

霊源院では、初体験の甘茶、初体験の甘茶の花、

初体験の仏舎利と

多くの初体験をさせてもらいました。

 

 

 

花見小路 喫茶 『NOEN』

 

『NOEN』に立ち寄るのは、今回で三度目になるんですよね。

今の時点で『イノダコーヒ』『六角堂』『両足院』『霊源院』と巡り、

私的には満足感を得ているのですが、

早い時間から活動したお陰で拝観する時間は十分に余しています。

 

なので友人と協議の結果、とりあえずもう一ヶ所となり、

現在特別公開を行っている寺院に向かうことにしました。

 

 

 

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井岡一翔選手

2019年06月19日 | ライフ

 

WBO世界スーパーフライ級2位の井岡一翔選手が、

同級1位のアストン・パリクテを破り、

日本人初の世界4階級制覇を達成しました。


日本人初の四階級制覇、おめでとうございます。

やっぱり井岡選手は上手かった。


これまで通りに井岡選手のボクシングは、

これからボクシングを始める人が手本であり教科書とすべきと思うほど、

素晴らしい技術を駆使したボクシングでした。


そして、試合運びも抜群に上手かった。

持てる技術を駆使して、やや優位から優位、優位から優勢、

優勢から勝勢、そして、相手を詰める。

将棋を見ているようでした。


ただ相手の選手の身体と比べてみると、

スーパーフライ級の身体(筋肉)が付いてきて

フライ級で戦い続けるのが厳しくなったので

スーパーフライ級にあげたようには見えなかった点が、

今後の防衛について心配になる所です。


違う言い方をすれば、まだ強くなる要素があるとも言えます。


あの時に何があったのか分かりませんが、

一年半かのブランクの期間が本当に勿体ないなあと

いまさらながらに思います。


年齢も30歳となり、力衰えず現役として戦える期間が

どれ位になるのか分かりませんが、

防衛しながら筋肉を付けていって欲しいと思います。


これからも応援させてもらいます。


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