東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花
あるじなしとて 春を忘るな
名所巡りで京都を訪れるのは
石清水八幡宮に参拝して以来なので
もう半年近くも前になります。
私の感覚では、『この前』とか『少し前』、
実際の時は、半年近くも流れている。
速い時の流れをラフティングで楽しむように
乗りこなしてやろうと思っとります。
さてですが
今回の京都名所巡りの最初の目的地は、
前々から一度位は観賞しておきたいと思っていた
北野天満宮のもみじ苑の紅葉です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/08/30927e624b4175a4d9c7b0a5a968faab.jpg)
北野天満宮 一ノ鳥居
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/6a/4073845845471b82432861c20159f97b.jpg)
北野天満宮は、二度目の拝観となるので
境内の写真は、軽くだけ撮ろうと思っていたものの
あれもこれもと撮影することに。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/3a/4424af2dfdd1d96e4c0c6774cf5f8b0e.jpg)
京都・北野天満宮は、
学問の神様として知られる菅原道真公を主祭神として
お祀りしている全国約1万2千社の天満宮・天神社の総本社で、
福岡県の太宰府天満宮と共に天神信仰の中心です。
1587年、豊臣秀吉によって北野大茶湯が
催されたことでも知られています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/cc/f81ce566b424d4be9d5c0adbd3f6a262.jpg)
今でこそ北野天満宮の主祭神の菅原道真は、
学問の神様と敬われ讃えられ信仰されてと人気がありますが、
菅原道真公を陥れた左大臣藤原時平を呪い殺し、
口車に乗って左遷を決定した醍醐天皇と皇太子までも
病にかけて弱らし殺し、京の都を落雷でボコボコに攻撃したりと
とんでもなく恐ろしくお人なんですよね。
なので不敬で不遜な態度で境内に足を踏み入れると
なにかの災いに見舞われるかも。くわばら くわばら。
北野天満宮 ニノ鳥居
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/4b/e0c02360cbe96290fdc33d5bda6d4aa0.jpg)
2017年1月の初参拝のことを懐かしく思いつつ
新鮮な気持ちで参道を歩きます。
北野天満宮では、
主祭神の菅原道真の誕生日と命日の25日には、
天神さんの日として毎月、縁日が開催されています。
キリストの誕生を祝う日も25日。
これはもう菅原の道真公は
キリストの生まれ変わりに間違いない。知らんけど。
北野天満宮 三ノ鳥居
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伴氏社(ともうじしゃ)
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三の鳥居の手前にある伴氏社。
主祭神の菅原道真公の母を祀っています。
蓮の台座の石鳥居は、『蓮の鳥居』と呼ばれ
国の重要美術品に指定されています。
太閤井戸
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北野大茶湯で水を汲んだとされる井戸。
北野天満宮 楼門
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菅原道真公を称える『文道大祖 風月本主』の扁額が掲げられ
両脇には、平安時代に貴族の護衛を務めた官人『随身』の像が
門を守護するように安置されています。
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楼門 随身
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/03/6be86a6203bbe2a7c4cff1a71f39f4df.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/3a/90ea9d52598a13a314e1541b49e2c9cb.jpg)
北野天満宮 手水舎(梅香水)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/8e/3bc0cc0562b9b3cfc94c7f5e08f0d828.jpg)
コロナ禍の影響で不特定多数の人が使用する手水舎を
使用中止とする神社や寺院が増え、
その代わりに目で見て心を清めてもらうことを目的に
手水鉢に花を飾る神社や寺院が増えました。
コロナ禍が終わると花手水も無くなるのだろうか。
北野天満宮 絵馬所
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元禄12年(1699年)に建てられたもので
規模、歴史は現存する絵馬所の中でも随一とのことで
京都市指定有形文化財。
絵馬所の内外には、時代を感じられる絵が
多数掲げられているのでかなり楽しめます。
北野天満宮 三光門
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多くの神社の参道は、鳥居から本殿まで真直ぐで
北野天満宮の参道は、絵馬殿の所で左にクイッとズレています。
これには何らかの理由があるんでしょうね。
北野天満宮 撫牛
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全国の天満宮・天神社にお馴染みの臥牛像。
北野天満宮において神使は牛とされていて
境内には、数多くの臥牛像があります。
境内の牛の像が立ち姿ではなく
座り込んでいる姿になっているのは、
大宰府で生涯を閉じた菅原道真公は、
『人に引かせずに牛の行くところに留めよ。』
との遺言を残します。
その遺言通りに道真公の御遺骸を牛車で運んでいると
ある場所で牛が座り込んで動かなくなったため
近くの安楽寺に埋葬されることになったという
故事にちなんだもの。
北野天満宮 三光門
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御本殿前の中門は、江戸時代初期1607年に
関白・豊臣秀頼によって建立されたもので
1898年12月に国の重要文化財に指定されました。
三光門は、日・月・星の彫刻があることから
三光門と呼ばれているのですが
どうした訳か星の彫刻だけが見当たらず
星欠けの三光門とも言われています。
一説によると、星は彫刻ではなくて
実際に天上に輝く北極星とのことらしい。
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門柱の間隔に比べて大きな屋根が印象的だったので
私の場合、北野天満宮と言えばと問われると
真っ先に浮かぶのが三光門なんですよね。
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三光門に掲げられている勅額「天満宮」は、
後西天皇の宸筆。
北野天満宮 拝殿・本殿
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現在の北野天満宮の本殿と拝殿は、
1607年(慶長12年)に豊臣秀頼の寄進により
造営されたもので国宝に指定されています。
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北野天満宮の神使である牛の像の殆どが臥牛像ですが
拝殿の欄間にだけ立ち姿の牛が彫られています。
その理由は、謎だそうです。
北野天満宮 宝物殿と神楽殿
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宝物殿は、まだ入ったことがないので
次の拝観では歴史的に貴重な品の数々を
拝見させてもらおうかと思っています。
神楽殿
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社務所
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/6f/62bd1afab8387df0f56d5f74c0bd47c6.jpg)
拝殿 東廻廊
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北野天満宮 本殿
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本殿の東側。右奥に見える朱色の社は地主神社。
御后三柱(裏の社)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/a3/e6cbbed4e658af46d7284dcc0ef9582f.jpg)
御后三柱(裏の社)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/40/16fabcdb689045396277e3d9b0d8ba5a.jpg)
本殿の祭神・菅原道真公の神座の真後ろに
背中合わせの北向きに建てられている社で
天穂日命、菅原清公卿、菅原是善卿の三神をお祀りする社。
文子天満宮
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菅原道真公が大宰府で没して40年後の942年に
巫女の多治比文子に菅原道真公の神霊より
『我が魂を現境内地の右近の馬場に祀れ』とのお告げがあり
文子の自宅に道真の御霊をお祀りしたのが
北野天満宮の発祥とされています。
老松社(右)と十二社(左)
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老松社の御祭神は、島田忠臣は道真公の家臣。
一説には、夫人の父とも言われている人物で
太宰府天満宮の老松社では、
道真公の父君『是善卿』と母君『伴氏』として
お祀りしています。
絵馬掛所
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学業成就、合格祈願などの願いが込められた絵馬は、
毎年数十万枚にも及ぶそうで
まるで藤の花のように絵馬が掛けられています。
これ京都の神社の中でも一番多いんじゃないかと。
北野天満宮 石の間
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一段低く建てられ本殿と拝殿を繋いでいます。
本殿西側 四社・七社
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北野天満宮 紅梅殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/dd/b4878963dcf6e73e210edf645ba16999.jpg)
1916年(大正5年)に調理所として建築。
大宰府に左遷されることになった
道真公が京との別れを惜しんで
東風吹かば にほひをこせよ 梅の花
あるじなしとて 春を忘るな
と詠んだ御邸宅の『紅梅殿』の名を付けられた建物では、
ご祈祷や神前結婚式や曲水の宴等を行います。
北野天満宮 船出の庭
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2015年(平成27年)に作庭された紅梅殿『船出の庭』は、
道真公の邸宅に実際にあった庭園を
北野天神縁起絵巻等を参考に再興されたました。
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北野天満宮 摂末社
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北野天満宮の初拝観の時を懐かしく思い出しながら
境内の主だった場所を一通り巡り終えて
いよいよ、今回の目的のもみじ苑へと足を踏み入れます。
催眠療法&心理療法 神戸ストレスカウンセリング・ルーム花時計