心の扉 神戸カウンセリング花時計

心理療法や催眠療法、ストレス解消や悩み等メンタルに関するもの、そして日常の出来事を自由気ままに掲載します。

他力本願

2012年12月27日 | 雑感・愚見


いよいよ今年も残りわずかとなりました。

除夜の鐘を聞き、

それが終わると初詣。



もう今年の初詣の予定を

立てている方もおられると思います。



初詣は、神前でその年の

自分がどのような行動を起こすのか、

自分がどう在るのかの誓いを立てたり、

神様に昨年のお礼や報告をしに訪問するもので、

何かしてもらおうとお願いするものではないんですよね。



せめては、

今年、自分はこのような行動を起こしますから

見守って下さい的なものまでで、

「どうか与えて下さい。授けて下さい。

私は何もしませんがお願いします。」の

他力本願が過ぎるようなら、

噂では、叶える順番を後ろの方にすることを

天空の神様の会議で決まっているようです。



であるのに関わらず、

昨年は賽銭を100円にケチったからに違いないなんて

つぶやきながら千円札を投げ込んでいたいた面白い人を

見たことがありますが

真っ当な神様にとってはお金に興味がある訳が無く、

それが1万円であろうが百万円であろうが同じです。



そんな人の元にやってくるのは、

決って貧乏神が「こんちは。」とやって来るもので、

何年も前からその人の元に、

貧乏神が張り付いているのではと

思ったりします。



毎年、神様にお願いしても叶えてくれないと

思っている人は、

もしかしたら。。。


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サンタさん

2012年12月24日 | 雑感・愚見



恋人がサンタクロース何ていう歌がありましたが、

サンタさんは姿を変えて

誰の元にもやって来ているそうで、

時には恋人、時には両親の心の中に入り込んで、

あるいは、何かの出来事として。


その姿、そのプレゼントに

気が付くかどうかは、

その人次第だそうです。



そして、

あなたが誰かに優しい気持ちになったり、

何かを与えてあげたり、

優しい言葉をかけてあげたりしたのは、

あなたの心の中に

サンタクロースが訪れていたのかも知れません。


だとしたら、そのまま逃がさないで

ずっとそこに居てもらいましょう。


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メリー・クリスマス

2012年12月24日 | 雑感・愚見

メリー・クリスマス

明日はクリスマス・イブですね。

皆さんはどんなイブの予定でしょうか。



いつ頃からか、

イブの夜は恋人と過ごすなんて流れとなっていますが、

(ホテル業界、外食業界の陰謀?)

私達の子供の時代?私の周りだけかも?

クラスの友達が集まってクリスマスパーティなんて

想像すらしたこともなく、

都会ではどうだったか分かりませんが、

私達の町では、町がクリスマスの飾り付けで

彩られることも無かったように思います。



なのですが、私が物心ついた頃から中学生まで

じいちゃんの友人が毎年、クリスマスケーキと

どこから取ってきたのか、

1メートルくらいでしょうか、

本物のもみの木を持って来てくれまして

一家で飾り付けをしていました。



色とりどりの電飾がピカピカと点滅、

飾り物も電飾の光に反射してピカピカと点滅、

他にも、親戚からなのか

ケーキのプレゼントがあり、

毎年ケーキの合計は、4、5個。



普段は殆ど食べることが無いケーキが

ホールで5個、

親は何日か前から冷蔵庫の中の食材を使い切る作戦を

決行しプレゼントしてもらったクリスマスケーキを

冷蔵庫に入れるスペースを確保。



そして、

一家でこれを腐らせる前に食べ切らなくてはなりません。

だけれども、一回でそう多く食べられるものではないので、

毎日がケーキ、ケーキ、ケーキ、

クリスマスが終わってもケーキ、ケーキ、ケーキ。



親はケーキが好きだったのかどうかは分かりませんが、

私と妹にとっては

間違いなく絵本で読んだお菓子の国に舞い込んでいました。



そんな刷り込み記憶があるので、

私にとってクリスマスの夜は、

しめやかでおごそかな夜というより、

美味しくて楽しい夜の方がしっくりきます。



あなたは、王子様と過ごす?天使と過ごす?

ホットな友人達と過ごす?

家族と過ごす?一人で過ごす?

今年こそはとさんまさんに電話する?

トナカイと空を飛ぶ?

とにかく、メリークリスマス。




天使と悪魔

2012年12月21日 | 見方、捉え方



私達の心の中には、

天使の自分と悪魔の自分が同居しています。



大きく心が動く

何かの出来事が起きた時、

私達はその出来事を自分の主観で解釈したものを

記憶に残します。



そして、

それが喜びの体験であったなら

その喜びを再び得るために、

それが悲しみの体験であったなら

二度と体験しないために、

その一連の諸条件を方法として

脳裏に焼き付けます。



しかし、

それが裏切りや虐待や失望等で

あまりにも大きく心が動いた時、

その大きな悲しみが恨みとして

残された時に、

ねじれた行動を取ってしまう時があります。



例えば、男性の場合は、

母親から無償の愛を与えてもらえるのではなく、

罵倒されたり、虐待されたりしたことで

父親や母親への怨みが

優しそうな女性や優しく接してくれる女性に

向けられることがあります。



男性や女性を攻撃し、又は信頼させ裏切り、

あるいは、とことん駄目な自分を演じて

その女性の悪の部分をさらけ出させようとします。

その男性の悪の部分をさらけ出させようとします。



そして、それに成功すると

「ほら、いくら良い人ぶっても所詮そんなものだ。」

と満足するのです。

これがその人にとっての復讐となります。



「私なんか愛される人間ではない。」と

自分が信じていることを

証明するかのように、

異性に無理難題をふっかけたり、悪ぶったりして

愛されないように努めます。



また、愛されたとしても、

それを喪失する恐れから

その現実をそのまま受け入れずに

何度も無茶苦茶な自分を演じ続けて

その愛を確かめ続けようとしますが、

最後には、破局を迎えます。



その人にとっては、

愛されるはずの無い自分が

愛されているという現実が怖いのです。

それを受け入れた時に

それを喪失した時のショックに耐えきれるとは

思えないのです。



孤独も強く感じるのですが、

その孤独感を埋めようとして、

自分を本当の意味で愛してはいないと感じる人、

自分が本当の意味で愛せない人を

パートナーとして選び孤独感を紛らわせようとします。



このような恨みや恐れや

正しくない自己評価を心に抱えたまま、

幸せになれるはずがないのです。



その出来事がどのようなものであれ、

自分が望み求めていたものを与えられなかったからと言って、

自分の何かが問題ではなく、

その誰かの問題であったかもしれません。

よしんば、

自分にもその原因の一端があったのだとしても

その全ての責任を自分一人が負う必要など無いのです。


自分一人で責任を負う必要が無いのですから、

その出来事と信じ込んでいるものとは

別のものであることを確認し切り離し、

そして、

自分が信じているものを

止める決意。

その人からは手に入らないものを

その人から手に入れようとするのを

止める決意をすれば

その魔法は解けて無くなります。


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残像

2012年12月19日 | 感情



私達が持つ感情は

その時体験している出来事に対して

純粋に反応しているとは限りません。



まだしっかりと終わらせることが出来ていない

過去の出来事が関係していることもあるのです。



特定ものに対してなんか嫌な感じを持ってしまう。

人の言葉が自分を責めているように感じてしまう。

人の目線が自分を非難しているように感じてしまう。



必要以上に腹を立て、必要無い怒りを持ち、

そうでないと言い聞かせながらも、

恐れ、不安に感じてしまう。



こんな時、その感情に深く関係する過去の出来事を探し、

その出来事をもう過ぎ去った事だと忘れようとしたり、

映像をモノクロに変えたり、遠くへ押しやったり、

動きを止めたり、音を消したり、

ポジティブな見方をしようとしたりしても、

上手く行かないことがあります。



何故なら、その出来事は、最早残像なのです。



私達は、一つの刺激によって

笑ったり、泣いたり、恐れたり、怒ったりしますが、

その時の感情は、

打ち鳴らされた鐘の音が自然と消えさるように

放っておいても自然と治まります。



そうであるはずのものが、

心の中で何年もの長きに渡り

その力を殆ど弱めることなく

威力を発揮し続けるているのは、

出来事そのものではなく、

その出来事によって損失したと信じているものを

過去の出来事と結び付けて

取り戻そうと執着していることが原因です。



それは、無力感、劣等感かもしれません。

喪失したもの、

それは、誰かから与えられていた

楽しさや喜びであるかもしれませんし、

汚れの無い綺麗な自分なのかもしれません。



その感情を維持させているのは、


自分は劣った人間だ。駄目な人間だ。

だから、何とかして違う人間にならなければ。


あの楽しさや嬉しさを

また何とか手に入れることは出来ないだろうか。



あいつが悪い。あいつの所為だ。

だからあいつを懲らしめてやれば、

私の無力感や劣等感は無くなるに違いない。



あれの所為で、あんなことがあった所為だ。

あんなことさえなければ私はもっと幸せだったのに。

私が幸せになるためには、

もう一度やり直さなくてはならない。



しかし、喪失したと信じているものは、

そのままの姿で自分の心の中に存在し続けるし、

歎き悲しみ続けても、それはその人からは、

もう手に入りらないのです。



であるのに、

その失ったものを求め続けていることで

その思いが怒りとなり悲しみとなって、

心の鐘を鳴らし続けるのです。



よしんばその誰かをやっつけることが出来て、

喪失したものを一見取り戻したと思えたとしても、

また、同じような事があると

再び、同じ気持ちを持って苦しむことになります。


それを与えてくれる別の人が

再び現れたことで喜びや安心を手に入れることが

出来たとしても、

また、その人がいなくなれば

再び、同じ気持ちを持って苦しむことになります。



そのきっかけとなったのは

誰かかもしれません。

そのきっかけとなったのは

その何かかもしれません。



しかし、それらの出来事は

本当は、自分が潜在的に持っていた

無力感や劣等感を浮き彫りにさせてくれる

きっかけとなった出来事でもあるのです。



自分が幸せになるには、

何かの出来事が必要だ。

何かが維持され続けることが必要だ。

誰かがいてくれることが必要だ。

周りの人が自分を大切に、慎重に

扱ってくれることが必要だ。



このような自分が幸せになれるかどうかは、

自分以外の何かがある状態であるかどうか、

誰かの接し方がどうかによって

決るという心の構えでいると、

どっしりとした心の安定が得られなくなります。



何も誰かを求めたり、何かを求める気持ちを

否定する訳ではありません。

自分以外のものから与えてもらえるものには、

自分だけでは得られない喜びがあります。



ですが、それを求める前に

誰かが自分を幸せにしてくれるのではなく

何かが自分を幸せにしてくれるのでは無く

自分を大切に扱い、

自分が自分を幸せにするんだという心の構えが

まず必要です。



終わらせてしまいたい感情、

無くしてしまいたい感情を維持させているのは、

誰かでもなく、何かでもなく、

それを掴んで離さない、

そこから目を逸らさない自分に責任があると

考えて、執着しているそれに

さよならをする決意をすれば、

魔法が解けてそれは姿を変えます。



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年末年始のお知らせ

2012年12月16日 | お知らせ



年の瀬も押し詰まってきました。

皆様もお忙しくされている事と思います。

さて、

誠に勝手ながら年末年始のカウンセリング・ルームの営業は

次のとおりとさせて頂きます。



今年一年、一緒に目標の達成に取り組まさせて頂いた方々には

感謝申し上げますと共に、皆様方が素晴らしい人生を

築き上げてもらえることを願い信じています。



年内営業は、12月28日(金)まで

年始営業は、1月6日(日)より


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長田名物

2012年12月15日 | ライフ



今日は、

仕事終わりに長田発祥と言われるそばめしを

食べに行ってきました。



私が子供の頃に近所のお好み屋さんで

焼き飯にそばを入れてもらって食べていたものと

同じ感じかなと思っていたのですが、

ちょっと違っていました。



最近は、お皿に乗ったお好み焼きを箸で

食べるお店が増えてきたように思いますが、

そこは、昔ながらの熱々の鉄板の上で

コテで、ハフハフしながら食べる方式。



味は、かなり控えめでいて旨味があり、

程良くスジ肉入っていて、

そして、最終の味付けは、それぞれのお客さんが

ソースをかけて好みの味に仕上げる。



特にあのそば飯には、

あのお米の固さ加減が絶好でした。



9割をお店の人が完成させて

最後をお客さんに任す。

これって、

子供に自信を付けさせ方と同じですね。



子供が分からない事、出来ない事を

両親が9割助け、最後の締めを子供にさせて完成させる。

そして、出来たら「凄いね~。」「よく出来たね~。」

なんて褒めてあげるやり方です。



あるいは、

どうやってみても、

それは森になることは決定している状態まで

やっておいて

最後の部分は子供の自由にさせてあげることで

自分の考えや判断を認めてもらえる経験、

自分なりの考えや判断を自由に持って良いんだと思える

学びの経験となったり、



自分がその完成品に参加したことで、

その完成品に愛着を持ってもらえることが出来たりする

効果が期待出来ます。


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不平不満

2012年12月12日 | 見方、捉え方



私達はそう易々と出来た人間になれないもので

時には、誰かに愚痴を聞いてもらったり、

文句を言ってしまうのも

ストレスのガス抜きのようなもので、

いたしかたありません。



なのですが、

ガスを抜いても抜いてもスッキリせず、

不平不満のガスを生産する刺激が、

そこらじゅうにあると感じているとしたなら、

ただのガス抜きのレベルではありません。



自分が辛くなるだけではなく、

それが態度に現れたり、

周りにぶちまけていたりすると

次第に色々なものが壊れて行きます。



このような状態を立て直すためには、

自分が気持ち良くなるには、

誰かや組織等の、自分以外のものが

自分の思うようなものでなくてはならない、

つまり、

変わるのはあなたであって

私ではない。と言った気持ちについて

見つめ直す必要があります。



物事は思うようになる事よりも

ならない事の方が多ですし、

人はあなたを幸せにするためだけに

生まれてきた訳ではありませんし、

あなた組織の長でない限り、

組織を想うように動かすことなど出来るわけがありません。



「変わるのはあなたであって私では無い。」は、

待ちの構えです。

組織、あの人が変わるまで待つ。

自分がどのような道具を持っていようが、

能力を持っていようが、

それが始動することはなくなります。



ゆえに、待ち続けている間、

そのガスは生産され続けることになりますし、

力づくに自分以外のものを変えようとすると、

周りとの対立が激化してますますガスの生産に

拍車がかかることになります。



これは相手だけを変えようとしていることで

問題がややこしく困難なものになっているもので、

まずは、自分が変わる事が出来るものを変えてみる。

自分が変わったら相手も変わったりするものです。



子供の頃の「お前がやれば俺もやるよ。」とか

「お前がやらないんだから俺もやらない。」とか、

「あいつが謝らないから俺も謝らない。」ではなく、



「まず俺がやるから、その後は任せた。」の精神で

ちょっと頑張ってカッコイイ大人をやってみると

それだけで物事が上手く行き始めたりするものです。



ちょっとカッコイイ大人になることを

どうしても拒否する気持ちがあるようなら、

それは、劣等感や無力感の衣をまとった

自己イメージが邪魔をしている可能性があります。

そうなると、それを個人で打破するのは難しいかもしれませんので、

近くの専門家の力を貸してもらう必要があるかもしれません。



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ハイブリット

2012年12月07日 | 雑感・愚見


飛び魚は、不思議な魚。

あれを水面を飛んでると言うのか、

滑空していると言うのか分かりませんが、

とにかく他の魚のようなジャンプではなくて飛行で、

何でも400メートルも飛んでいた記録があるとか。



その羽の見た目は昆虫のような羽で、

昆虫は身体が軽いので強度としては十分かもしれませんが、

トビウオの身がぎっしりと詰まった重い身体を

あの羽で空中へと浮かび上がらせる。



私は生物学者ではないのであれなんですが、

凄まじい羽ばたきとそれに耐えうる強度を

持っていなければ不可能だと思うのです。



車の世界ではハイブリット車が

人気を博しているようですが

飛び魚は、昆虫と魚のハイブリット魚と言えるかもしれません。



一人の人間は、多くの知恵や知識や経験やパワーといった

資源を蓄え、能力を宿していますから

それらを上手くハイブリットさせると

面白いことが起きるかもしれませんね。



例えば、集まりで積極的に話すことが苦手だとする部分と

カラオケで積極的に歌う部分を持って来て入れ換えてみるとか、

仕事では遠慮がちに成ってしまう部分を、

草野球での積極的な部分を持ってきて入れ替えてみるとか、

これについては忍耐強くやれるけれども

あれについては辛抱がないとか、



何故、そのような違いがあるのかは、

ちゃんと理由があるはずですが、

細かな理由は違っていても

試してみると案外やれたりするかもしれません。






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無味無臭

2012年12月05日 | 雑感・愚見



「愛の反対は、憎しみではなく無視すること。」

これ、マザーテレサが言っていた言葉だったと思うのですが、


これと同じように幸せな人生の反対は、

辛いことや苦しいことが振りかかる人生ではなくて、

辛いことや悲しい事、心配事や大変な事すら

全く経験しないまっ平らな人生のことと、

考えることも出来るかもしれません。



安心安全の中に居座り続けることは

生まれることを拒否して母親の胎内に留まり続けているのと

同じことだと言えるかもしれません。



しかも、安全安心の中に居続けることにも

頑張りが必要です。

そして、得られるものは

無味無臭の料理のようなもの。



そこには不味いも美味いも無し。

そんな料理を食べ続けることは、

生きて無いのに近いのではと思えるのです。



今、不味い料理を食っていると感じている人は、

例え負け惜しみでも何でも良いから、

「もう無味無臭の料理なんてまっぴらごめんだ。」

叫んでみると力が湧いてくるかもしれません。


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