心の扉 神戸カウンセリング花時計

心理療法や催眠療法、ストレス解消や悩み等メンタルに関するもの、そして日常の出来事を自由気ままに掲載します。

大阪名勝庭園 普門寺

2018年03月30日 | 名所巡り(大阪)

 

今回の名所巡りのメインの高槻市の普門寺は、

摂津・普門寺城跡とも言われています。

 

昭和52年1月に方丈が、国の重要文化財に指定。

昭和56年8月庭園が、国の名勝に指定。

平成12年12月、境内のほぼ全域が国の名勝

追加指定されました。

 

 

 

 

普門寺は、

明徳元年(1390)設厳(せつがん)によって開かれ、

永禄4年(1561年)に

元管領・細川春元を隠居させるための城郭として築城され、

 

同9年には、足利義栄(よしひで)が

普門寺で14代将軍の宣下式を行い滞在しました。

 

その頃の普門寺の敷地は、

6千坪とも9千坪とも推測されていて、

その広大な敷地には、見事な堂や塔の伽藍が立ち並び、

堀も巡らせていました。

 

 

 

普門寺

 

拝観には、事前予約が必要になります。

 

私達は、予約時間に門前に到着したのですが、

門が閉じていて受付所のような所も見当たらず、

まさか奥に見える建物に向かって

門外から叫ぶ方式のはずもないので少し焦りましたが、

電話で連絡が無事に取れて拝観となりました。

 

 

 

 

この一件を、勝手に想像をさせてもらえば、

境内全域が国の名勝指定を受けたことで、

インターホンはもちろん新たに拝観受付所を設けることも

勝手に出来ないのかも知れません。

 

 

 

普門寺  三門【国指定名勝】

 

先ほどの本照寺の敷地も三輪神社の敷地も

かつては普門寺の敷地で、

三輪神社は、普門寺の鎮守社(ちんじゅしゃ)であったと

伝えられています。

 

 

 

普門寺  石畳【国指定名勝】

 

隠元禅師作と伝えられる黄檗式石畳は、

国指定名勝に登録されています。

 

明暦元年(1655年)に龍渓が、

中国・明の高僧・隠元禅師をこの寺に招き、

約7年半をこの寺の住持として滞在しました。

 

隠元禅師が普門寺の住持となったことで

後水尾上皇を始め、各地から僧が集まり、

仏殿、鐘堂、石庭などが整備され大いに栄えたそうです。

 

 

 

隠元禅師筆の「獅林の額」

 

獅林は、獅子林の略で禅の修行の場の意。

 

 

 

普門寺  方丈【国指定名勝】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

御本仏の釈迦如来

 

御本仏の釈迦如来は、唐時代のもので仏師・范道生作。

 

 

 

普門寺  方丈 襖絵

 

襖絵は、狩野安信の水墨画。

 

 

 

お茶とお菓子

 

方丈の縁側に腰を下ろし、注ぐ暖かな太陽光の元で

呼ばれのお茶とお菓子を頂きながら

方丈前庭園をゆったりと拝観する至福のひととき。

 

これ、最高す。

 

 

 

普門寺  方丈前庭 枯山水庭園

 

白砂と石畳みの境界にある網の様なものは、

猫が庭園に入り込まないようにするための道具だそうで、

あれが有る無しでは随分と違うそうです。

 

網の間にある小さな丸い石は、

人間が庭園に入らないようにするための

これより先は進入禁止を表す結界の石。

 

 

 

 

今日は、天候が良かったので、

白い砂に太陽の光が反射して、

白い砂がより一層に白く映えていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

普門寺  方丈内 西面

 

 

 

普門寺  方丈北面の苔庭

 

 

 

普門寺  心字の庭

 

方丈の西面にある心字の庭は、

古庭園研究家 森蘊工学博士による昭和の庭園。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

普門寺  方丈【国指定名勝・国の重要文化財指定】

 

普門寺の書院造の美しい方丈からは、

二条城、天竜寺、京都御所が思い出されます。

 

 

 

 

室町幕府が滅びた後も普門寺は、

重要な軍事拠点として活用され

有名な秀吉の「中国大返し」の際には、

この普門寺で全軍が落ち合い軍議を開きます。

 

普門寺を本陣として明智光秀を倒すべく

織田信長の弔い合戦、山崎の合戦に突入していきます。

 

 

 

普門寺  梅と方丈

 

 

 

普門寺  観音補陀落山の庭(玉淵坊作)

 

普門寺の観音補陀落山の庭は、

国指定名勝・国の重要文化財指定に登録されています。

 

 

少しズームして

 

 

さらにズ~ム

 

中央奥の縦に立つ石が滝、

真ん中の平たい石が橋、

苔が生えていない部分が川を表しているとのこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

細川晴元の墓 宝篋印塔

 

観音補陀落山の庭の奥にある

細川晴元の墓と伝えられる宝篋印塔。

 

細川春元(ほそかわ はるもと)は、

室町時代末期の戦国大名で、

将軍に次ぐ重要な役職の管領に就任しましたが

家臣の三好長慶の反乱で没落し、

実権を持った管領としては最後の管領となりました。

 

かつては広大な敷地を要していましたが

現在の普門寺は、拝観するには丁度良い広さの敷地に、

異なる4つの庭園、美しい方丈があり、

京都や奈良に匹敵する位に満足できる場所でした。

 

最後に、私達を心よりお迎えして頂いた

普門寺の方々に御礼を申し上げます。

 

 

 

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高槻市 三輪神社

2018年03月27日 | 名所巡り(大阪)

 

本照寺は、阪急京都線の富田駅から

徒歩7~8分の所に建立されていて、

その本照寺から徒歩3~4分位の所にあるのが

三輪神社になります。

 

 

 

三輪神社

 

三輪神社の御祭神は、

大和国三輪山(奈良県桜井市)の大神神社から

大己貴命を祭神として勧請し創建したと伝えられています。

 

人間生活の守り神様であり、富田酒、酒造の守護神です。

 

 

 

三輪神社 境内

 

酒造の最も盛んな寛永年間に再建されて、

現在に至っているそうです。

 

 

 

三輪神社 拝殿

 

三輪神社は、江戸時代に酒造りで隆盛を極めた

富田にあって信仰を集めました。

 

 

 

拝殿と狛犬

 

 

 

境内末社  天神社、八幡神社

 

絵馬殿の奥に、境内末社の天神社と八幡神社があります。

ちょっと面白い造りです。

 

 

 

三輪神社 手水舎

 

三輪神社の手水舎には、

神社でよく見られる龍の姿はなく

穴を開けられた竹から水が供給されていました。

 

本照寺のお寺の手水舎に龍があり、

神社の手水舎には龍が無い。何か逆のような。。。

 

 

 

境内末社 稲荷神社

 

ここまで来ると今回の名所巡りのメインが

大阪府にある5つの指定名勝の内の一つ、

普門寺であることに気付かれた方もいるかと思います。

 

しかし、大阪府の国指定名勝が5つとは、

ちょっと少なすぎる気もするのですが。。。

 

遷都された歴史もあり、

太閤さんの時代には、政治・経済の中心地、

元禄文化が大阪中心に花開く等、

数多くの歴史遺産や文化遺産があるはずなのに、

5つだけとは、何でだろう。

 

 

 

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藤井聡太さん

2018年03月26日 | 雑感・愚見

藤井聡太六段が詰将棋選手権で

大方の予想通り4連覇を達成したようですね。


問題の中には39手詰めもあるとか、

39手詰めですか。。。


私なんかは、5手詰めで座り直し、

7手詰め、9手詰めになると

必死でトライして解けたり解けなかったりですから、

39手詰めなんてフェルマーの定理クラス。


これはもう詰将棋の問題と言うより

作者の芸術作品と言えるレベルで、

作った方も作った方で、解く方も解く方で、

私からすると神々の所為です。


藤井聡太六段は、プロ棋士の中でも

すでにトップクラスの実力があることは、

これまでの棋戦で証明していますが、

まだ成長段階とのことで末恐ろしい限りです。


たからと言って

羽生さんのようになるとか、

羽生さんを越えていくかと言うと

まだまだ未知数です。


羽生さんの真の凄さ、素晴らしさ、恐ろしさは、

トップの実力を長年に渡り維持し続けてきたこと、

いや、強くなり続けたことです。


勉強でも、ダイエットでもそうですが、

短期間集中することは、そう難しくないのですが、

持続することが一番難しい。


これから恋愛をしたり家庭を持ったり、

そこでのゴタゴタで集中力が削がれたり、


年がら年中将棋を指していると、

いくら好きな将棋でも

今日は将棋を指す気分ではないなんて日もあったり、


この先、タイトルをいくつか奪取したりして

ある程度の成績を残した時に

本人も予想していなかった満足感、達成感によって

将棋への、勝負への情熱、意欲が涌いてこなくなることが

あっても不思議ではありません。


将棋ファンの一人として、

今話すと笑い話になるようなストーリーを

藤井聡太さんが、

現実の世界に実現していく過程を

見れるのではとワクワクしています。


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高槻市 本照寺

2018年03月24日 | 名所巡り(大阪)

 

名所巡りを始めてから京都、奈良、神戸、

大阪、和歌山と近畿の名所を巡りましたが

私の二番目の故郷である大阪で巡ったのが

大阪城のみとなっていたので今回は、大阪高槻市を選択。

 

学生時代に4年間過ごした大阪。

現在の地元神戸から少しだけ遠い大阪。

いつでも行けるの心理が働いているんだと思います。

 

 

 

本照寺

 

本照寺は、高槻市富田町にある浄土真宗・本願寺派の寺院で、

富寿栄山(ふすえざん)、

もしくは、富山と号し富田御坊とも言われます。

 

 

 

本照寺 山門

 

室町時代の1427年(応永34年)、

本願寺第7代法主在如(蓮如の父)によって

建立され当初は光照寺と称しました。

 

本照寺の山門は、平成17年6月14日に、

市の有形文化財に指定されています。

 

 

 

本照寺 山門と本堂

 

 

 

本照寺 本堂

 

大きくて立派な本堂は、

平成2年4月に市の有形文化財に指定。

 

本堂の造りが、どことなく京都本願寺に

似ているような気もします。

 

 

 

本照寺 本堂

 

 

 

本照寺 本堂

 

土足厳禁。火気厳禁。いつもニコニコ現金払い。

私は元気。

 

 

 

本照寺 本堂

 

 

 

本照寺 本堂 前庭

 

本堂の前には、綺麗に整えられた庭園。

 

寺院の威厳ある伽藍は、致し方ないとしても、

仏教の精神に反するような

美しく立派な庭を作庭することについて

如何なものかと思っていました。

 

 

 

本照寺 本堂前庭

 

檀家の人達を導き救う僧侶達が、

慎ましく暮らす檀家の人達を泣かして、

僧侶達が潤う構図の印象を持っていたのですが。。。

 

 

 

本照寺 本堂前庭

 

当時の寺院は、戦等で武士の大軍勢が遠征する時、

本陣を構える場所として、

また、大軍勢を収容できる

宿泊施設としての役割を果たしていて、

 

その武士の一団を、お迎えする寺院側が、

宿泊される武将をもてなすためのものとして

庭園が作庭されたようです。

 

そして、作庭の費用としては、

檀家からのものだけではなく

常宿としていた大名から

寄進されたものを当てていたと思われます。

 

おもてなし精神、これって、

現代でも、ちょっと大きなホテルや旅館に行くと、

宿泊客をもてなすために

綺麗な庭が作庭されているのと同じですね。

 

 

 

本照寺 東門

 

平成17年6月14日に市の有形文化財に指定された東門

 

 

 

本照寺 手水舎

 

本照寺の手水舎は、一匹?一頭?一竜?が、

清めの水を提供。

 

 

 

本照寺 鐘楼

 

平成17年6月14日に市の有形文化財に指定された鐘楼

 

本照寺の境内には、

かつて国の天然記念物に指定されていた

富寿栄の松(ふすえのまつ)という

樹高27m、東西東西35m、南北25mに

広々と枝を広げた樹齢およそ700年になる

巨木の黒松があったそうです。

 

ですが、残念なことに

1968年(昭和43年)頃からマツ材線虫病によって枯れ始め、

1971年(昭和46年)3月に天然記念物の指定を解除されたのちに

枯れ死してしたそうです。

 

 

 

保存された富寿栄の松の根株

 

根株のみが境内に保存されている

富寿栄の松(ふすえのまつ)。

 

私の田舎にも、天然記念物に指定され、

根株の直径はこの樹の倍はあった

樹齢850年と推定された

千手の松と呼ばれる見事な松がありましたが、

同じように松くい虫の被害で失われてしまいました。

 

 

 

鬼瓦

 

 

 

境内に育っていた見事な双子の樹

 

この木、なんの樹、気になる樹で、

名前が出てきません。私の本照寺一番のお気に入りです。

 

 

 

本照寺を囲む石垣

 

 

 

 

そして、今回の大阪高槻市への名所巡りは、

ここがメインの目的地ではなく、

メインはこの後になります。

 

 

 

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駐輪

2018年03月22日 | 雑感・愚見

一時期、各メディアで頻繁に報道されていた

駅前の放置自転車や違法駐輪問題ですが、

最近は、とんと耳にしなくなりました。


駅前で空を見上げて

叫ぶ一人のおじさん。


「ちょっと止めてただけやんけ!」

「ありえへん。」

「わしにどないせえっちゅうね。」

 

ある私鉄の駅前で違法駐輪をすると

とんでもない目にあうようです。


真面目な話、これって自転車屋の看板でもなさそうだし、

今の所は、正体不明です。


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一遍上人

2018年03月21日 | 名所巡り(兵庫)

清盛塚の近くにある真光寺は、

時宗の開祖・一遍上人が亡くなった由緒ある寺で、

一遍上人の廟所があります。

 

一遍上人は、

自分の寺を持たず、最低限必要なものだけを持って

念仏を唱え、踊り、念仏札を配り、

諸国を遊行し続けた人です。

 

 

 

一遍上人           空也上人

 

 

一遍上人が師と仰いだのが空也上人で、

一遍上人の名前とか、右上の空也上人の立像は、

教科書かどこかで見た記憶があると言う人も

多いのではないでしょうか。

 

 

 

真光寺 大檀林の碑

 

檀林(だんりん)は、

仏教寺院における僧侶の養成機関、学問所のことだそうです。

 

 

 

通用門にある石碑

 

 

 

真光寺境内

 

 

 

本堂

 

 

 

鐘楼堂

 

 

 

観音堂

 

建物が全体的に新しいのは、

戦災や震災で被災したからかもしれません。

 

 

 

光明殿

 

 

 

平清盛公 御膳水の井戸

 

平清盛公が当寺に弁才天を勧請した時に、

僧がこの井戸の水でお茶をたてて献上したとの

立て看板の説明書きがありました。

 

清盛公が飲んだ水と言うよりも

そんな昔からある井戸ということの方に

付加価値があるような気もするのですが。。。

 

 

 

御詠歌碑

 

 

 

無縁如来塔

 

 

 

一遍上人御廟所

 

五輪塔のある玉垣内は、文化財として県史跡に指定。

 

 

 

扉にある「折敷に三文字」

 

一遍上人が開祖の時宗の寺紋の「折敷三文字」(おしきにさんもじ)

 

 

 

一遍上人御廟所 五輪塔

 

時宗は、太鼓や鉦をならして踊りながら

念仏を唱える「踊念仏」が有名で、

踊り念仏を元に盆踊りや阿国歌舞伎などが

生まれたそうです。

 

京都、奈良は別格にしても

こんなに身近な所にも

歴史的に楽しめる場所があったとは

これまで知らなかったんですよね。

 

何とはなしに近所の散策を思い立ち、

その結果、それまでさほど興味が無かった

平清盛に興味が湧き、

新たに楽しめる要素が加わりました。

 

まいったな。これじゃ日本国中、

楽しい場所ばかりじゃないか。

 

 

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兵庫津 清盛塚

2018年03月19日 | 名所巡り(兵庫)

 

兵庫津散策の続き。

新川運河のプロムナード(遊歩道)を西側に

最後まで歩いた大輪田橋のたもとに住吉神社があります。

 

 

 

住吉神社

 

兵庫の津は、古来風浪を避ける場所がなく、

大風浪時には船を避難させることが出来ずに

地元民が難儀していたところ、

 

明治10年に新川が完成し船の通運が安全になり、

地元住民の熱望によって

海の守護神と仰ぎ奉る住吉大神を

浪速の住吉大社より御勧請することなったそうです。

 

 

 

住吉神社境内

 

この地のお目当ては、住吉神社ではなくて清盛塚。

 

 

 

清盛塚

 

清盛塚は、住吉神社の一角にあります。

この塚は、清盛公の墓所として伝えられていたそうですが、

調査の結果、お墓ではなく

供養塔であることが判明したそうです。

 

となると能福寺のものが

本物の清盛公の墓所である可能性が少しだけ高まります。

 

 

 

清盛塚と琵琶塚

 

 

 

清盛塚

 

清盛公供養塔の

十三重の石塔は、鎌倉時代の執権北条貞時が

平清盛の冥福を祈り建立したもので、

県の指定文化財に指定されています。

 

 

 

平清盛像

 

 

 

琵琶塚

 

琵琶の名手である平経正にちなんだ

琵琶塚(琵琶の形をした古墳)が建てられていますが、

私は本物の歴史好きではないので、

平経正とはどんな人物なのだろうかとまで

興味が湧かないのは致し方ない所です。

 

兵庫駅の海側に足を踏み入れたら

清盛くん、清盛塚、清盛墓所と

清盛が満載の地でした。

 

神戸と清盛の関係を知るにつれ、

ちょっと興味が湧いてきているので、

今回だけでなく神戸での清盛の遺構を

探して訪れてみようかと思うようになりました。

 

 

 

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春の便り

2018年03月18日 | ライフ

業務の合間を縫ってカウンセリング・ルームで使う

日用品を買い出しに出かけます。

 

この日、いつもとは違うルートを気まぐれで選択したら、

軒先に綺麗な花が咲いているのを発見。

 

桜に似てはいるけど、桜にしては時期が少し早いし、

梅にも似ているけれど梅でもなさそうだし、

この花、なんだ?

 

しばらく立ち止まって眺めていたら、

幸運にも遭遇した家人に、杏の花だと教えてもらいました。

 

 

杏の花

 

杏と言えば、杏飴で、

杏の樹、杏の花との初めての出会いです。

家人によると満開になる少し前が

色合いが鮮やかで一番綺麗とのこと。

 

 

 

 

花に詳しく人なら、「これは杏の花だ。」と

すぐに分かるかもしれませんが、

この花、桜の花にも梅の花にも見えますよね。

 

 

 

 

杏の花がこんなに綺麗なものだとは知りませんでした。

日本の春は、ピンク色の綺麗な花が

こんなにも有るんですね。

 

 

 

桃の花

 

 

 

 

 

 

木蘭の花

 

この花は、白木蘭(ハクモクレン)の花で、

これも初めての出会いです。

 

杏の花を見つけた時に、この界隈に

まだ綺麗な春の花があるかもと

辺りをキョロキョロと見ながら帰っていたら

発見することが出来ました。

 

 

 

 

枝に白い百合に似た花が咲いています。

さすがに「あっ百合の花が咲いている。」とはならず、

「この花は何だ?」と、しばらく眺めていると、

これまた家人に遭遇し木蘭だと教えて頂きました。

 

帰ってから白木蘭のことをネットで調べると

咲いて2,3日したら枯れるとあったので

見れたのは凄く幸運だったと思います。

 

東京では桜が開花し始めたそうで、

ちょっと早いような気もしますが、

いよいよ春の主役が登場してきますね。

 

 

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兵庫津 散策

2018年03月17日 | 名所巡り(兵庫)

 

能福寺を後にして兵庫津の散策をします。

 

ちなみに、「津」は、

船置き場とか港の意味があって、

津々浦々で、全国のいたる所を意味します。

 

 

 

札場の辻跡

 

札場とは幕府が設置した高札場があった場所のことで、

高札場とは、町人が守るべきこと、してはならぬこと、

その他幕府からの布達を掲示する場所のことです。

 

 

 

札場の辻跡の道標

 

ここに札場の辻跡であったことを示す

道標がからくも残っていて。。。

保存するのならもう少しマシにと思うのですが、

殆どが埋まった状態です。

 

とにかく、この辺りが兵庫の中心であったようです。

 

兵庫県名の由来は、この近くに建築されていた

兵庫城に役所が置かれたことによるもので、

兵庫城に役所が置かれたのは、

ここにある兵庫港(旧称、大輪田泊)が

古くから国際貿易港として

開港していたことからのようです。

 

 

 

古代大輪田泊の石椋(こだいおおわだのとまりのいわくら)

 

1168年、平清盛は、日宋貿易の拠点とするために

奈良時代に、ここ大輪田泊りを大修築し、

日本からは好物や材木、

宋からは宋銭や書物、香料などが交易されました。

 

そして、1180年6月、平清盛の強い意向で

神戸兵庫区に道路を通し、

親平家派の一部の人々に邸宅が与えられ、

11月には、皇居に似せて造られた

清盛の私邸が天皇に提供されました。(福原京)

これを福原遷都と呼びます。

 

1952年(昭和27年)に新川運河の拡張工事の際に、

清盛の大輪田泊の大修築工事が行われた遺構と思われる

松丸太の棒杭、二十数個の巨石が発見されました。

 

 

 

清盛くん

 

大輪田泊は、国内で第一の港として賑わい、

明治元年には兵庫港が開港され、

今日の神戸港発展へと繋がっていきます。

 

「清盛がいなければ現在の兵庫の発展はなかった」として

平清盛を地域のシンボルとしてPRすることを決めたそうです。

 

 

 

新川運河(兵庫運河)

 

 

 

兵庫城跡

 

兵庫津と兵庫城の大規模な遺跡発掘調査が行われ、

その遺跡の上には、現在イオンモールが建っています。

 

 

 

新川運河

 

 

 

新川運河 キャナルプロムナード(遊歩道)

 

 

 

大輪田橋(おおわだばし)

 

神戸空襲で、この辺り一体の殆どの建物が

壊滅状態だったにもかかわらず、

大輪田橋は壊れずに残り、

空襲による茶色に変色した焦げ跡を

今も橋に観ることが出来ます。

 

さらに、阪神大震災では

親柱4本中3本が崩落する大きな被害を受けたそうです。

 

 

 

「大輪田橋戦災・震災復興モニュメント」

 

阪神大震災の被害で残った1本の親柱を復興して、

倒れた欄干を利用した「戦災・震災モニュメント。」

ブロンズ製のカタツムリの装飾がされていて

夜になると上部が赤く光ります。

 

秀吉と秀頼が、方広寺に造ろうとした19mの大佛は、

造っても造っても壊れたり、壊されたりしましたが、

この橋は、危機を何度も耐え抜いたようです。

 

神戸(兵庫)には、源平合戦の地が数多くあり、

兵庫津を散策して、大輪田の港、日宋貿易、平清盛、

遷都の歴史を思い起こすと清盛の墓所があっても

何ら不思議なことではなくなりました。

 

私の学生時代の歴史の修学程度をさらすようですが、

一時期、神戸に遷都されたことを知ったのは、

名所巡りを始めてからのことで、

 

神戸遷都(福原遷都)は、教科書で習ったかなあ。

もし習ったとしたなら見事に記憶から抜け落ちていました。

 

 

 

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神戸・能福寺

2018年03月15日 | 名所巡り(兵庫)

 

私のカウンセリング・ルームは兵庫駅の山側にあり、

山側で必要なものは殆ど手に入るので、

海側には、殆ど足を踏み入れたことがありませんでした。

 

そのままなのも如何なものかと思って

ちょっと調べてみたら面白そうな場所があることを発見。

 

なので我が町の海側、未知の領域を散策することに。

 

 

 

兵庫津宝積山 能福寺

 

JR兵庫駅から徒歩で約15分程度の所にある

能福寺は兵庫七福神の一つで、

境内には、兵庫大仏と呼ばれる大仏があります。

 

 

 

初代の兵庫大佛

 

兵庫大仏は、戦前まで

奈良・東大寺の大仏、鎌倉・高徳院の大仏に並び、

日本三大大仏の一つに数えられていたそうですが、

戦時中の金属回収令により国に供出されたことで

その姿はなくなりました。

 

 

 

再建された現在の兵庫大佛

 

現在の大仏は、兵庫大仏は、

1991年(平成3年)に再建されたものだそうです。

 

初代の大佛は、頭でっかちの個性ある御尊顔。

再建された大佛は、身体と頭部のバランスも良くなっていて

御尊顔は、奈良や鎌倉の大仏と似ているように思えます。

 

大佛と初対面の私個人の印象としては、

初代の方が面白味があって良いような気もします。

 

他でも拝める御尊顔よりも、ここでしかの希少性ある方が、

檀家以外のリピーターが増えるのではないかと思えるのです。

 

 

 

 

像高11メートル、地上から18メートルの大仏様です。

 

ちなみに鎌倉の大仏は、

像高約11.39メートル(台座を含め高さ13.35メートル)

奈良の大仏は、

像高14.98m、台座3.05m、(台座も含めた高さが約18m)

 

なので、奈良と鎌倉の大仏と比べても

遜色はないようです。

 

 

 

平相国廟(平清盛廟)

 

平安末期、平清盛公の薨去によって

能福寺寺領内に墓処として

平相国廟が造立されたといわれているようです。

 

 

 

 

私の記憶(知識)に間違いなければ、

確か京都で生まれ、京都で亡くなったと記憶しているのですが、

平清盛の墓所が兵庫にあるのは、どういうこと?

 

鎌倉幕府の前半を扱った歴史書「吾妻鑑」では、

清盛の遺骨は、播磨山田法華堂(神戸市垂水区西舞子町付近)に

納めたとあるようですが、

清盛公の墓所は定かになっていないようです。

 

ただ、大河ドラマの清盛役の松山ケンイチさんが、

クランク前にここを訪れて番組の成功を

祈願しているようです。

 

その謎に一応の納得できる答えが

今日の海側の散策で得ることが出来るのですが、

この時点では、まだ謎のままの状態です。

 

 

 

 

 

 

月輪影殿

 

本殿は歴代皇族の墓所として知られる

京都東山御寺と呼ばれる泉涌寺の月輪御陵の拝殿で、

歴代天皇が参拝なさった由緒ある建物といわれます。

 

 

 

ジョセフ・ヒコ英文碑

 

ジョセフ・ヒコ 本名は浜田彦造。

新聞の父と言われていて、我が国最初の英文碑だそうですが、

あまり興味が湧かないのが悲しいところ。

 

 

 


 

大佛様の迫力もそうなんですが、

それ以上に、平清盛の墓所が本物なのかどうなのか、

気になるところです。

 

大佛様に見送られて

謎を胸に抱えて好奇心を胸にたぎらせて

能福寺を後にします。

 

 

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