心の扉 神戸カウンセリング花時計

心理療法や催眠療法、ストレス解消や悩み等メンタルに関するもの、そして日常の出来事を自由気ままに掲載します。

常識

2016年01月09日 | 見方、捉え方


常識を辞書で調べると

「健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、

普通の知識や思慮分別。」



まあ、このことから

専門的、マニアック的な知識を知らなかったとしても

常識を知らないと言われることはなさそうです。



知らなかった知識や技術を学んだ時(無から有)にも

喜びがあるのですが、



私の場合、

自分が常識だと思っていたことが

そうではなかったことを知った時には、

正から誤、そして新たな正にご対面となる訳ですが、



「えっえっえっええええ。」と声が出て、

身体のどこかがプルプルッと震えて、

頭が二つに割れて、花火が打ちあがるような

衝撃の嬉しさを体験することに。



木の形は、円柱とは限らず、

四角柱の木もあることを知った時なんかもそうでした。



そして、

今年はサル年なんですが、

今回紹介させて頂く動画も

私にとって衝撃の面白さ。



お猿さんがいて、

タオルを水に浸してっと、

そして、

濡れたタオルを絞っているるるるるる。

これって、どうなん。

誰かが教え込んだ芸とした思えないのですが。。。






次の動画がまた凄い。

お猿さんが自分で布をハンモックにして

休むと言うか、遊んでいるんですが、


大きな布を取って、

その布の端を檻の隙間に通して

(まあ、このあたりはしてもおかしくないか。)

で、


それから、

檻の隙間に通した布の端を

結んでと、ん?ん?ん?

えっえっえっええええ。

結んでいるだとおおおお。






これって、

人間が中に入っているように見えないし、

CGにも見えないし、

へえ~、こんなに猿に似た人間がいるもんだなあ

なんて現実逃避するわけにもいかないし、



動物学者さんや動物園の飼育員の人からすると

これって常識なんでしょうかねえ。



ちなみに

猿と人間のDNAの違いはわずか1%しかないなんて言われると

お母さんが妊娠中に3回ほどクシャミすると

間違ってサルとして生まれてきてもおかしくない思えるので

「お母さん、人間に産んでくれてありがとう。」

って言いたくなります。



この動画のお猿さん。

あと、30年もすると

ネクタイ締めて会社に行くようになっても

おかしくないと思ったりするのですが、



人間とバナナのDNAの違いは、

50%しかないと言われると、



1%、されど1%、この1%の差は

非常に大きな差なんでしょう。



お猿さんたちに

「わはははは。お前達よ、

まだまだ道は遠く険しいぞ!」

と勝ち誇りたくなるのは

私だけなのでしょうか。



最後に

常識とは、正しいこととは限らない。




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バランス力

2014年04月05日 | 見方、捉え方




今回の捕鯨についての裁定のニュースで

正義ってなんだろうと考えてみたのですが

数学の問題を解くように

一つの答えをスパッと導きだせたら

カッコイイのですが、

そうはなりませんでした。



その答えが見つけられなかったで

終わらすことは簡単すぎるので

ぐちゃぐちゃした流れを

恥ずかしげもなく書くことに。



正義のままだと難しいので

平等を乱す行為、又は乱そうとした行為を悪で

乱された側がそれを正したり、

それを防ごうとする行為を善であるとしたのですが、

平等、これがまたややこしい。



理由もなく殴られたので

殴り返したとか、

泥棒を見つけたので

ボコボコにして捕まえたと言うのも

最初に殴った方や泥棒の方が悪で、

被害を受けた方が善と言うような

分かり安い平等も

社会正義の枠を外せば

はたしてそう言えるのかどうなのか。



まったく勝手な個人の判断でしかないけれども

やられる前にやったなんて言う

自分の身を守るための正義を

持っていると考えてみたり、



泥棒の場合も就職が叶わず、

嫁、子供を餓死から護るため何て言う

その人なりの正義の言い分があったとしたなら

互いの個人の枠だけで考えると

正義と正義の旗が互いに立つことに。



時間さえも平等に与えられていないので

始めから平等は崩れていて

時間を与えるのは神だとすると

神は悪だとなって変なことになって、



正義も平等も何らかの枠で考えると

わりと簡単になるのですが、

その枠がなければ

途端にややこしくなってしまいます。



大昔の風土や風習や文化を同じくする者同士でさえ

違う枠組みで交差して、

大なり小なりの正義と正義がぶつかり

トラブルが発生するのですから



交通網、情報網が発達した現在では、

違う風土や風習や文化を持った人達とも

実際的に、情報的に

交差する機会が多くなったなかで

正義や平等が保たれていると感じられている時が

あったとしたなら

絶妙で繊細なバランスを保っている

状態なのかもしれません。



であるなら、

完全なる正義や平等はないと考えた時、

この世に存在しないものを

追い求め過ぎると

ちょっとした傾きにも

気持ちが反応するだろうし、



無いのだから、

ある程度の理不尽だと感じることや

不平等さに触れることがあっても

なんらおかしくは無いと考えた場合、


ちょっとした傾きがあったとしても

ヤジロベエの如く揺ら揺らと揺れるだけで

気持ちは動じないだろうから、

多くの時間を気持ち良く過ごすためには

後の方のあり方がより良いように思うのです。



とは言え、頭で考えたことを

そのまま自分のあり方に出来るような

心境には至ってはいないので

ハンドルをそちらにきり、

少しずつでも近づいて行こうかと思ったりします。



その心境に到達した時には

バカボンのパパの「それでいいのだ。」のセリフが

心から自然と言える魅力的な人物に

なれているような気がするのです。



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影響

2013年11月21日 | 見方、捉え方




私達は、心が魅了されると

それ以外のものが存在していないかのように

ピンポイントで見てしまったり、

また逆にピンポイントで見ようとしても

それ以外の影響を受けて

見る目を曇らせてしまうことがあります。



例えば、こんな感じの映像と



こんな感じの映像では



同じ手形の映像ですが、

受ける印象は、全く違ってきます。



(ちょっと映像のチョイスは良くないのは

御勘弁のほど宜しくです。)



このような広く情報を得ようとする能力は、

一部を知って、それが全体であるかのような

危うい判断をしてしまうことを防ぐことができます。



逆に、

高級な服を着てや高級な車な車に乗っている人、

立派な肩書、立派な地位、

正しいことをすると思われている職業が

本質を覆うものとして利用されたり、

(詐欺師、詐話師等は大抵そう装っています)


さらに、聴覚情報から

その人達からの言葉巧みに欲望を刺激する上手い話や

ある目的の方向に誘導するための話しを聞くと、

ますます本質を見謝る可能性が高まります。



少し前にニュースになった料亭吉兆の問題を

他山の石としていなかったのか

今年、数多くの食材偽装が発覚しました。



阪急阪神ホテルズを皮切りに

出てくるわ出てくるわで、

有名ホテル、有名百貨店などの名前が

ずらりと並び驚きを隠し得ません。



日本には、世界に類が無い

創業100年以上というお店が

2万6000社もあるそうです。



このようなことは、

経営者だけでなく、そこに働く職人が

ユーザーからの信頼を裏切らず、

ユーザーの期待にそうだけのレベルを維持し、

さらに向上を長年の間続けることで

成せることだと思うのです。



人を裏切らない、人を騙さない、

騙すより騙された方がマシと、

名誉や誇りを大切にしてきた日本の国民性に

じわじわと拝金主義が浸食してきているようです。



世界で一番だとか、みずみずしいとか、

誰だれも絶賛とか、最高の環境で育てたとか、

複雑で深みがある味だとか、

皆様に愛され続けて100年とかの

言葉や視覚効果は、

主役である商品を引きたてる役割の範囲で

許容されるものだと思いますが、

今回の食材偽装の件は、

それとは全く違います。



今回の件を良く調べた訳では無いので

あれなんですが、

ニュースを見る限りでは、

ガラス玉をダイヤモンドの値段で売りつけた訳では無く

ダイヤモンドなのにこの安さ的な感じがしたのが

せめてもの救いかなと思っています。



私なんかは、

価格にボリュームと上手さがある程度がマッチしていて、

健康を害さないものであるなら、

芝エビだろうが、車エビだろうがどうでも良いので、

今回のような、

自らが自らの名をおとしめるような食材偽装行為は

愚かとしか言いようがありません。



ここで話を元に戻して

私達が持つピンポイントでものを見る能力や

全体で物事を見る能力は、

ケースバイケースで使いこなすことで生きる能力です。



私達が何かに対して持った印象が

プラスにしてもマイナスにしても、

それは、そのもの以外の何らかの影響を受けたものであることを

忘れないでいるならば、

それらの能力をより上手く使いこなせることに

つながると思うのです。



そして、我が身の方は

馬子にも衣装的なのは良いとしても、

実よりも虚飾の方に力を入れ過ぎた陳腐な装いで

自分の魅力や格を陰らせてしまわないように

したいものです。



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意味付け

2013年11月11日 | 見方、捉え方




「自分の身の回りに起きる

全ての出来事には意味がある。」

と言うような話を聞くことがあります。



私は思うのです。



自分の身の回りに起きる一つ一つの出来事に

何らかの意味があるとか無いとかは

どうでもいいことで、



大切なのは、

出来事にポジティブな意味付けを

自然と出来るような

自分であり続けることだと思うのです。


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卵が先か鶏が先か

2013年11月08日 | 見方、捉え方




「卵が先なのか、鶏が先なのか。」

生命誕生に関係する重要なことだからかどうか分かりませんが、

こんなことを長年に渡って研究していた方々から

鶏が先との結論に至った発表があったようです。



誠に失礼かと思うのですが

私にとっては、

どっちが先でもどうでも良いようなもので

お寿司を何から食べて何で締めたら

満足度が高まるかの方が気になる所です。



さてですが、

パニック障害も、摂食障害も、その他の多くの問題も

突き詰めれば

対人への不安や恐れが

その基になっていたりします。



これを、卵が先なのか鳥が先なのか的に考えると、


人と接することに不安や怖さを感じるから

「自分は駄目だ。」「自分は受け入れてもらえない。」

「大切にしてもらえるような人間ではない。」

と言った自己イメージを持ってしまったのか、



それとも、

「自分は駄目だ。」「自分は受け入れてもらえない。」

「大切にしてもらえるような人間ではない。」

と言った自己イメージを持っているから

人と接することに不安や恐れを抱いてしまうのかとなります。



しかし、悩みの状態にいるその人にとっては、

どっちが先かよりも

その不安や恐れを抱くことになる心のパターンを

崩すためには「何が」の方が

遥かに重要ことなのは言うまでもありません。



その個人にとっては

過去がどうであったよりも

現在、未来がどうであるのかの方が大切なはずです。



そして、過去がどうであっただろうと

現在をそれほど悪くないと思えていたり、

未来に期待を持てるような現在であるなら

その過去があったから今があるなんて思えたり、

その過去を思い返すこともなくなります。



逆に、現在が結構酷いと感じてたり、

未来に期待が持てないような状況だと

どんな素晴らしい過去を過ごしてきたとしても

親に甘やかされた所為だとか、

あんなことがあったからだとか、

あんないい想いをした所為で

調子に乗り過ぎてしまったとか

過去を悪く捉えてしまいがちです。



因果の法則からすると

現在の結果は、過去に起因するのは

間違いが無い所なのですが

現在を酷い状態のまま続けさせるのか、

終わらすのかのカギを握っているのは

自分が現在とどう向き合っているかです。



どっぷりと心を過去に住まわして

過去の出来事を悔み続けたり、怨み続けても

現在を好転させることに繋がることはありません。



心を過去に向かわせるにしても

それは、現在の酷さにお墨付きを与えるためではなく、

現在をより良くするために

心を過去に向かわせるのでなくてはなりません。



全ては現在、未来のためにです。


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安全と危険の間に

2013年10月20日 | 見方、捉え方




遊園地に付き物と言っていいのが

お化け屋敷や絶叫マシン。



人間は、ひとつの刺激になれると

より刺激を求めて行動するものですから

お化け屋敷も絶叫マシンも

各遊園地が競い合うように

そのレベルが高まっています。



あれは何なんでしょうか。

私個人の勝手な統計では

男性よりも女性の方が

あの強烈なハラハラドキドキ感を好きな人が

多いように思うのです。



私なんてのは、

東京ディズニー・クラス以上の乗り物を

求める気持ちはないで

東京で遊園地デートと言えば

ディズニーで勘弁してもらっていました。



絶叫マシンは、

とてつもない危うさ(怖さ)を感じさせることと、

絶対的な安全を両立することで

成り立っています。



これは、テレビゲームもスポーツの試合も

格闘技も同じで

クリアと失敗、

勝利の喜びと負けの悔しさの双方が

同時に存在するところに

自分の身を置くことで

あのハラハラドキドキを楽しめます。



ヨコ線の左端を完全なる安全として

右端を破滅的、壊滅的な危険とすると、



真ん中あたりがハラハラドキドキの地点で

その左側がワクワクドキドキの地点で

その右側が恐怖のレッドゾーンとしていいかと思います。



何も、本当に興味のないものや、やりたいと思わないものに

一歩踏み出すこともないと思いますし、

そして、興味があったとしても、

やらなくてはならないとしても

レッド・ゾーンやハラハラドキドキ・ゾーンであるようなものに

勇気を振り絞り、目を見開いて

えいやと足を踏み入れなくても良いと思うのです。




しかしながら、一歩踏み出すことになるゾーンを

ワクワクドキドキ・ゾーンであると頭で理解しているのに

心が、ハラハラドキドキ・ゾーンまたはレッド・ゾーンと

認識をして行動にブレーキをかけている場合は別です。



こんな時に、死に物狂いで

一歩踏み出すことも有りといえば有りなのですが、

相当な勇気と決断が必要ですから結構大変です。



自分では踏み込めなければ

良かれと思った誰かが背中をドンと押してくれたり、

その状況に身を置くように仕向けられていたりすると

いやがおうでもその状況に対処しなければならなくなります。



この時、必死こいてやってみると

「おっ俺もやれるもんだな。」なんてこともありますが、

悪くすると

心が、状況がさらに悪化したと判断して

パニックになり、

パニックになったことを経験値として学びとり、

同じ状況に対して、

心の身構え方がさらに強まることも

考えられます。



どっちに転ぶかわからないのでは、

ギャンブル的な取り組みとなります。



しかし、本来は、ワクワクドキドキ・ゾーンなのですから

一歩踏み出すその地点の隅に追いやっている安全性を確認し

心の真ん中に持って来れた分だけ危険性が薄まり、

心のブレーキを弱めることができます。



ワクワクドキドキ・ゾーンをそのまま

ワクワクドキドキ・ゾーンとして認識する数が増えただけ

自分の持てるものを発揮することができる場が増えますし、

自分の可能性を広げ、高めることに繋がりますし、

自分にとって楽しめることが増えるというのが

なによりだと思うのです。



そのために何が必要なのか、

何をどうすれば、そう感じられるのか、

その部分を

相談に来て頂いた方と共に検討し、

相談者が目的を成し遂げれるように

協力させて頂くこと、

それが、私達の仕事です。


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情報選択

2013年10月13日 | 見方、捉え方




催眠が介入すると

膝の上においた手が上に上がったとしても

本人が、それに気がつかなかったり

自分の父親が有名人だと信じ込んだり、

青色のボールを赤色だと見てしまったり、

幽霊だって見せることは可能で、

五感情報が暗示の影響を受けてしまうのを

はっきりと確認することができます。



このような現象は、

私達の脳のポテンシャルを催眠で作為的に引き出しているに過ぎず、

催眠ほどあからさまに起きないにしても

私達の日常生活の中でも起こり得ることです。



私達は、すこぶる優秀な感知能力を持つ五感で捉えた

数多くの情報を脳に伝えますが、

私たちの脳は、

見るべきものだけを観て、

自分が観たいように見て

聞きたいものだけを聴き、

自分が聴きたいように聞き、

感じるべきものだけ感じ、

感じたいように感じます。



そして、それが客観的に見てどうであれ

本人にとっては、それが事実として認識され

記憶されます。



同窓会で、左側に座った同級生に

「あの時に君に助けてもらったことは

すごく感謝している。ありがとう。」

なんて感謝を言うと、



「それ俺だから。」

と、右側の同級生。



あの人に、両親に

あんな酷いことをされた、言われたという記憶も

真実は、違っていたなんてことは

心理療法の場では少なくはありません。



今後、もしです。私が事件の目撃者となり

証言を求められるようなことがあったとしても

とてもじゃないけれども

自分が見て記憶にとどめている情報の正確さに

自信を持てそうにありません。



だからといって、

自分の五感情報を全て疑ってしまうと

もう何がなんだかややこしくなって

生きづらくなってしまいます。



ですから、

自分の五感情報を信じるのと同時に

間違った時には間違ったことを認めるだけの

強さと言うのか、寛容さと言うのか、

自分への優しさと言うのか、

そんな気持ちを持つことが大切かなと思うのです。



そんなことに関連する面白い映像として

以前は、バスケットの映像をご紹介しましたが

今回は、また別の映像を発見したのでご紹介します。



「道を訪ねた人が途中で入れ替わったらどうなる?」を

試している映像です。


最初は、よく似た人が入れ替わっていますが、

予想以上に上手くいったので

製作者がどんどん調子に乗ってしまい

男性から女性に、さらには白人から黒人にと

尋ねている人が入れ替わっているのですが

尋ねられた人は、何も起きていないかのように

道を教えています。



こんな映像を見せられると

これだけ多くの人がそうなのだから

自分が同じ事をしでかしたとしても

自分を愚かだと責める必要などないことを

知ることが出来るのではないでしょうか。






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リフレーミング

2013年08月09日 | 見方、捉え方

心理療法の技法の一つに

リフレーミングと言う認知の枠組みを変えて

気持ちを改善する技法があります。



意味のリフレーミングは、

あることに対しての意味付を変えます。



思うような結果を出すことが出来なかった時、

「失敗した。」「自分は劣っている。」というような

ネガティブな意味付をしているものを

「貴重な体験をした。」「あれでは上手く行かないことが分かった。」

と言うようなポジティブな意味付に変えることで

それに対する気持ちを改善する取り組みです。



状況のリフレーミングは、

意味付ではなく状況を変える取り組みです。



初めてのお寿司屋さんで

壁に掛かっているお品書きの値段の表示が

全て時価になっている時に

財布の中身が1万円しか入っていない時と、

5万円入っている時では

精神状態が微妙に違ってきたり、



「あなたしか考えられません。結婚してください。」

って、酔って電信棒に告白するのと

シラフの時に本人に告白するのでは

行動が同じでも結果が違ってきます。


まあ、結果は同じであったりすることもありますが。。。


次のような場合は、

意図したリフレーミングではありませんが、

逆の効果を生み出してしまったリフレーミングですね。






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事実と真実

2013年07月01日 | 見方、捉え方



真実は、嘘偽りのないこと、本当のこと。

事実は、現実に起きたこと。


真実と事実は、

同じことであるはずなのですが

現実は、そうならないことの方が多くあります。



真実は、嘘偽りのないこと、本当のことですから

真実は、一つしかありません。



一方、事実には

嘘偽りとまでいかなくとも

個人の認識の仕方の違いの数だけの事実が存在します。



例えば

「今、雨が降っている。」は、

その個人にも誰かにとっても事実であり、

真実でもあるのですが、



「今、激しい雨が降っている。」は、

その個人がその雨をどう認識しているかであって

他の誰かも同じような認識をしているとは限りません。



その認識が個人の認識に基づくものに近づけば近づくほど

事実と真実がより同じものに近づき、

集団が大きくなり認識の数が増えれば増えるほど、

事実と真実が同じものから遠ざかる可能性が高まります。



より大きな集団の共通した認識であるほど

その認識の真実度が増しますが、

あくまでも増すだけであって

それが真実とは限りません。



ガリレオの「それでも地球は回っている。」で

自分の認識が大衆の一人という立場であったなら

自分の認識は多くの人と共通していますが

その認識は真実ではありません。



自分の認識が大衆の共通した認識と違っていたとしても

ガリレオの立場であった場合には、

その認識が真実となります。



ゆえに、何が真実であるのかを判断することは

大変難しいと言わざる得ませんから

絶対的な真実は存在しないと

言ってしまっても良いのかもしれません。



さてですが、

何らかの出来事に対して

個人の解釈をします。



住んでいる家が全焼した。

会社が倒産した。

大好きなあの人と別れた。



このような出来事にどのような解釈をしようと

その解釈が事実であろうと真実であろうと、

最終的には、その出来事に何らかの形で区切りを付けて

次へ向かって歩き始めるしかありません。



出来事(入口)→個人の解釈による感情→次へ歩き出す(出口)

私たちは入口となる出来事を

完全にコントロールすることはできませんが、

個人の解釈をコントロールすることはできます。



入口と出口の狭間で苦しみや辛さに

長く留まることなくできるだけスムーズに

出口に向かうために

個人の解釈を

いかに上手にコントロールする力や

自然と生産的な気持ちを持てるような

心の規則を準備しておくことが大切です。



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身体と心の温もり

2013年05月04日 | 見方、捉え方



単独で生きる動物と

集団で生きる動物がいます。



何故、このような違いがあるのかについては

色々と言われていますが、

あくまでも人間が観察し

人間の頭で考えた理屈であって

直接動物たちに話を聞いた訳では無いので

本当のところは分かりません。



私達人間は集団で生きることを選択し

集団で生きるメリット(1ぷらす1が2以上に)を

大きく活かし繁栄と発展を遂げてきました。



集団が上手く機能するには

何らかの価値観を個が共有し

助け合い、協力することで可能になります。



そのために不可欠なものとして

自分以外の個を尊重し、信用し、

信頼する力ではないでしょうか。



それらが方策や方針といったレベルだと

感じさせるようなものではなく

その人の筋肉、神経、心の深い所から

つまり、無意識レベルから

発しているものであるなら

それらはその人そのものとなり

不変の印象を与えることになります。



そのことが他人に安心感や心地良さを生み出しします。

その安心感や心地好さに人が自然と集まります。

穏やかで暖かだと感じる世界を広く感じます。



騙してやろう、利用だけしてやろうとする人から

過剰に防衛的になることもなく、

悪戯に信用したり信頼したりすることなく

嗅ぎ取り見極める能力を高めることが出来ます。



これらの力は、

幼い頃に養育者との関係の中で

抱きしめられ、触れ合うことであったり、

暖かな言葉や柔らかな表情を向けられることで

感覚的に身に付けていくものです。



それらがあまりにも不充足であると

大人になっても過大にそれを求める気持ちが強くなり

それ以外のことが見えなくしてしまうことや

尊重、信頼、信じることは

心を不安にさせ過剰に防衛的になることで

深いレベルでの交流を結ぶことを

難しくしてしまう事があります。



優しく抱きしめられることや触れあうこと、

自分に向けられる暖かな言葉や柔らかな表情は

大人になってからも体験することが出来ますが、

「私は愛されるだけの存在ではない。」

「私には存在価値が無い。」

のような信念が存在すると

催眠的に言うとそのようなイメージを

心に持ったままでは

その体験をありのままの体験することを

難しくさせてしまいます。



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