日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「バリアフリー」って、何だろう?

2014-08-20 20:44:06 | 老親介護

お盆で帰省中、父と何度かJRを利用した。
この春、自動車免許を返納した為にJRで出掛けることとなったのだが、その時「高齢者になること」ということを実感した。
と同時に「バリアフリー」の意味を、考えてしまったのだった。

実家の父は、母が亡くなった後「独居老人」状態でもひとりで家事をし、ご近所づきあいも積極的にしてきた。
免許を返納した後は、電動アシスト自転車でスーパーへの買い物をし、地元のバス会社の「高齢者向けパス」を使い、病院や月命日のお墓参りなど、クルマのない不便さをカバーしてきた。
ひいき目かも知れないが、ご近所の同世代の高齢者と比べても、行動的で自立した生活をしていると思っている。

そんな父が、JRの自動券売機の前で「固まって」しまったのだ。
何故だろう?と、父の姿を見ていると、自分が行きたい先の切符の値段が瞬時にわからないのだ。
それだけでは無く、自動券売機で切符を買うシステムが判っていないらしい。
直ぐに私が券売機で切符を購入したのだが、「何故、固まってしまったのか?」と考えたときに「バリアフリーって何だろう?」と、思ったのだった。

父が固まった理由の「行き先の切符の値段がわからない」というのは、券売機の上にある路線図が良く見えていないことが要因だったようだ。
高齢者になると、券売機の上にある路線図そのものを見ることが、一仕事となってしまっているのだろう。
実際、名古屋の地下鉄の券売機でも高齢者(に限らずだが)が、券売機の前で路線図を眺めながら困った表情で固まっている姿を見かけることがある。
それから、行き先の切符の値段がわかり、お金を入れようとしてもとても入れにくそうなのだ。
「慣れ」と言う部分も大きいとは思うのだが、もう少し「買いやすい券売機」という発想があっても良いのでは?と言う気がしている。

例えば、券売機の画面に路線図が表示され、表示された駅名をタッチすれば料金が表示される、とか硬貨の投入口もやや大きめにしたり、お札を入れるタイミングなどもゆっくり入れても「料金を入れて下さい」と自動音声が流れないなどの工夫があれば、随分買いやすいのでは無いだろうか?
私なども名古屋市交通局や名鉄が発行している電子マネー「manaca(マナカ)」のチャージをする時、わずかなタイミングのズレで「料金を入れて下さい」という自動音声が流れると、焦ってしまうことがある。
高齢者となれば、ますます焦ってしまうのではないだろうか?

これまで「バリアフリー」というと、段差が無いとか通路が広い、エレベーターやエスカレーターが設置されている、といったことを指すコトが多かった。
確かに、車いすやベビーカーを利用している人が動きやすいと言うことも「バリアフリー」だと思うのだが、「高齢者が自立した生活がし易い」ということも「バリアフリー」なのではないだろうか?
少なくとも、比較的経済的余裕のあるシニア~後期高齢者が、気軽に乗り物を使って出掛ける為のハード面での充実という視点も必要だと思う。
「高齢化社会」と言われて久しい日本だが、「健康高齢者が、生活し易い社会」という視点での「バリアフリー」を考える時期にきている様な気がする。


遠距離介護の味方?-高齢者世帯生活見守りシステム-

2007-10-29 21:26:07 | 老親介護
先日、日経新聞の地方版に、「東邦ガスなど、高齢者見守りシステムを実証実験」という記事が、掲載されていた。
拙ブログでも、何度かエントリさせて頂いているのだが、我が家にも遠距離独居老人=父がいる。
父が元気でいることを確認するには、電話という手段位なのだがそれでも心配なことは多い。
父を一人実家に残しておくことに、最初どうしたら良いのか?考えることがあった。
真っ先に思い浮かべたのは、象印マホービンの「みまもりほっとラインi-Pot」だった。
システムとしてはとても良いのだが、夏場はポットの熱いお湯でお茶を飲むというコトがない実家の父には、「夏場はどうする?」という点で問題があった。
そこが、サービスを受けるか否かという検討のポイントでもあった。
もう少し、日常的に使えるモノ・コトでその安否が分かるような「見守りシステム」があれば、もっと充実したサービスとなるだろうと思っていたのだ。

その意味で、このサービスは都市ガス・電気の使用状況を「見守りシステム」の中心としているので、シーズン的な問題もなく利用できるサービスのような気がする。
問題なのは、我が家のように東海圏以外に老親がいる場合だ。
全国でのネットワークというには、まだまだ超えなくてはいけない問題点がある。
と同時に、使える携帯電話会社がドコモ1社というのも・・・。
auやソフトバンクに対して「反撃」を開始しているはずなのだが、その「反撃」効果がみられない。
ドコモだけのサービスから、今後新規参入を予定している携帯電話会社総てで利用できると、もっと使いやすいのではないだろうか?

携帯電話そのものも「高齢者向け」というと、文字や音設定がやや大きいという程度。
子供向け携帯電話は、見せたくないインターネットコンテンツやメール制限、防犯ベルが標準装備されているのに、高齢者向けとなると心拍数や血圧といったデータがかかりつけ病院などに転送されるようなシステムや、出先で倒れた時の防犯ベルのような緊急ベルがついているわけでもない。
実は、このようなシステムや装備が「高齢者向け携帯電話」には必要なのではないか?と考えている。
他にも、認知症が進み徘徊などの症状のある高齢者には「Losewayサービス」=GPS追跡システムなどがあれば、より安心だろう。

このようなシステムを立ち上げる時、様々な検証がされているはずだがもう一歩踏み込んだ「遠距離老親介護者」のアイディアを積極的に取り入れることがポイントなのではないだろうか?
といってもこの「見守りサービス」は、まだまだ実験段階。
これから、より良い使い勝手の良いサービスとなってくれれば、と期待している。

遠くの親戚より・・・-高齢者と地域コミュニティー-

2007-08-26 22:05:50 | 老親介護
今日の毎日新聞のWEBサイトに、中越沖地震:入居2週間「仮設だってご近所さん」と言う記事が掲載されている。
以前、新潟を襲った「中越地震」や12年前の「阪神淡路大震災」などでは、高齢者の孤独死が問題になった。
その反省から、「仮設住宅であっても地域コミュニティーを作る」というコトに、配慮をした仮設住宅入居がされているようだ。

この「地域コミュニティー」と言う考えは、老親介護でも必要なのではないだろうか?と考えている。
と言うのも、昨年母が亡くなり、高齢の父がひとり田舎で生活をしていると言う状況が、我が家でもあるからだ。
一昔前なら、独身でもある娘(=私)が実家に戻り、父の面倒を看ると言うのが当たり前だっただろう。
実際、今でも周囲からは「実家に戻って、お父さんと生活をされたら?お父さんが、寂しがっていらっしゃるわよ」と、言われることもしばしばある。
しかし、私には私の生活と言うモノがあり、簡単に実家に戻ると言うことができない。
まず第一に、生活基盤である仕事をどうするのか?と言う問題がある。
「実家に戻ったら?」と言われる方は、私の仕事や生活基盤というコトよりも、「高齢の父がひとりで可哀想」と言う点でしか、みていないように感じるのだ。
「突然倒れて誰に見取られることもなく、孤独死を迎えたらどうするのだ!」と言う意見もある。
だからこそ、どうすれば高齢者の父がひとりで快適に生活をし、もし万が一のサポートを考えなくてはいけない、と常々考えている。

そこで考えついたのが、「地域コミュニティーの力」だった。
田舎と言うこともアリ、ご近所の付き合いはそれなりにある。
何よりも、町内の敬老会の人たちとは、毎日どこかのお宅で「お茶飲み会」が行われているようだ。
とにかく敬老会やご近所の方々とは、毎日のように父の姿を見てもらうコトが、万が一の時にプラスになると思い、ご近所付き合いのキッカケ作りが必要と考えたのが、毎月お菓子や旬の果物などを送ることだった。
もちろん、母の月命日のお供えを送るという目的もある。
その効果と言うわけではないのだが、お盆で実家に帰ったときご近所の方々からは「お父さん、元気ですよ」とか「心配されることありませんよ」と言う言葉とともに、普段の様子を知ることができた。

「遠くの親戚より近所の知り合い」とは、正にこのことなのだ。
ところが周囲に聞くと、このような発想は女性にはあるようなのだが男性からは余り聞かれない。
男性の場合「身内で問題解決」と言う思考が、強いような気がする。
それには「迷惑をかける」と言うことがあるようなのだが、「迷惑をかける」と言うのは、それこそ死後何日も経ってから孤独死として発見されることなのではないだろうか?
地域のコミュニティーでの生活は、生活価値観の違う子供やお嫁さんとの生活よりも快適なのではないだろうか?
言い訳かも知れないが、もっと地域のコミュニティーの力を信じ、上手に使うコトを考えることも「老親介護」としては、必要なのではないだろうか?




現場だけが頑張る介護でいいのか?

2007-06-06 22:02:08 | 老親介護
昨日起きた「コムスン」の指定介護業者停止という厚生省の通達は、1日過ぎてまた新たな動きを見せている。
グッドウィルグループ内の同じ介護企業へと譲渡することで、サービスの維持を図るということなのだが、既に各方面から反発の声が出ている。

そんな中、たまたまテレビのチャンネルを合わせたNHK教育テレビで、「福祉ネットワーク」という番組に目が止まった。
NHK総合などは、大掛かりな番組作りばかりが目に付きまず見ることはないのだが、NHK教育は時々良質な番組を提供しているという印象をもっている。
そして、以前から予定されていたとはいえ、このタイミングで「介護保険や介護事業者の問題」を取り上げていた番組の再放送というのは・・・。
番組の主な内容は「介護保険」の問題点だったのだが、その中でゲストの方が「一生懸命、受益者である人たちのことを考え、事業を細々とやっている地元の小さな事業所が潰れ、儲かりそうな事業だからという理由で大きな企業が、参入し(現場の努力など関係なく)儲けを優先させることが多くなってきている」と言っていたことだ。
機会があれば、見ていただきたいとおもうのだが、残念なことに、この番組がWEBサイトなどで見ることができない。

番組を見ていて感じたことなのだが、政府も事業者も「現場の頑張りだけに頼っている」という、現実だ。
現場で一生懸命にホームヘルパーやケアマネージャーとして仕事をしている人たちは、誇りを持ち、担当している要介護者に対して接している。
だからコムスンのヘルパーさんなども、サービスを受けている人たちから「困ってしまう」という声があがるのだろう。

一方、今回の件でグッドウィル・グループという企業のもう一つの顔が、浮かびあがってきている。
それが「コムスン」と譲渡先として名前の挙がった「日本シルバーサービス」という企業は、グッドウィル・グループが事業を買い取った企業だということだ。
「人材派遣」というキーワードで、(儲かりそうな)事業を次々と様々な企業を買収してきたことだ。
その一つが「介護」という分野だったのだ。
それは、老人介護という分野だけではなく、「障害者サービス」という分野も含めての事業なのだ。

「障害者サービス」といった場合、経済的自立を目指すことを目的している授産施設などが一般的だが、こちらは生活自立支援を目的としていて、高齢者介護と似ている。
そして同じことが、この障害者サービス事業でも行われていたようなのだ。
私が、福祉事業の法的内容を知らないためでもあるが、ある意味、福祉事業の盲点を突いているような印象がある。

「福祉を食いモノにしている」というのは、とても簡単なことだ。
本当の問題は、儲けを優先する事業体だけではないはずなのだ。

遠距離介護

2006-11-25 21:57:47 | 老親介護
朝日新聞のWEBサイトに、「一人暮らしのおじいちゃん、近所と交流なし24%」という記事が掲載されていた。
中日新聞などでは、2、3日前に掲載されていたと思うのだが・・・。

今年2月、母がくも膜下出血で倒れそのまま息を引き取った。
その後、鳥取の田舎で1人暮らしを続けている父なのだが、幸い「まめ男×3」さんということもあり家事全般を無難にこなしているようだ。
とは言うモノの、遠くに住む子どもとしては心配がないわけではない。
特に「寂しがり×5」位の父は、家事よりも気持ちが心配なのだ。

この新聞記事にあるように、大分前から男性の1人暮らしの問題点として言われているのが「近所付き合い」だ。
父はもちろんなのだが、兄達を見ていると「男の人って・・・」と思うことがある。
それは「~しなくてはならない」という、考えが強すぎることだ。
言い換えれば「頑固」ということなのかも知れないのだが、自分の考えや感情にこだわりすぎる傾向があるように感じるのだ。
「もっと柔軟に考えれば・・・」と思うこともしばしばあるのだが、加齢とともに思考や感覚が硬化していくように思うのだ。
結局、他の考えや感覚を受け入れる事もできず、ご近所から「頑固で近所づきあいのないおじさん」と思われるようになっていってしまうのではないだろうか?
他にも、「自分の価値観を押し付ける傾向は、何とかならないだろうか?」と思うことがある。
こちらの都合などお構いなしに、「自分の考えが正論」とばかりに押し付けてくる。
それが、仕事であれば「落しどころ」を見つけようとするのに、日々の生活ではそれができない。
本当に不思議なコトなのだが、それが今回のような調査結果の背景にあるように感じる。

で、私の場合。
毎月母の命日前後に、お菓子や果物、お花などを送っている。
届け物があれば電話が必ずあるし、お菓子や果物はひとりで食べきれない為、ご近所に配り歩くことになる。
今度は、ご近所の方から頂きものがある。
そうやって、ご近所付き合いの機会を遠くから創るようにしている。
ある意味、近くに住んでいないコトに対する「免罪符」的行為なのだが、遠距離介護を考えた時、父が元気な今できることは何だろう?と考えた結果なのだ。

遠くにいる子どもより、まずはご近所力。その力を借りることが、老親介護のスタートのような気がしている。

計画とおりにはいかない、介護の現実

2006-10-25 22:53:00 | 老親介護
讀賣新聞のWEBサイトをチェックしていたら、とても気になる記事があった。
療養病床削減計画、実施すれば「介護難民」4万人にだ。

厚生労働省が「療養病床削減計画」を発表してから、親介護をしている友人などは不安を口にしていた。
というのは、厚生労働省が発表した計画と現実が大きく違っているからだ。
例えば「脳梗塞」等の疾患でリハビリが必要となったとき、3ヶ月で回復するコトは患者それぞれで大きく違う。
個々の症状も違えば、介護をする家族が期待する回復した姿もそれぞれ違うためだ。
でも、計画の上では一律の回復が出来ることになっている。

実家の母の場合、くも膜下出血で倒れそのまま亡くなってしまったのだが、同じくも膜下出血で倒れても3割程度の人たちは、助かるといわれている。
しかし、その後現れる身体的障害と度合いは1人として同じではないといわれている。
だからこそ、個々の患者さんにあったケア・プランが必要なのだ。
でも、それを考えてしまえば、厚生労働省の考えるような病床削減プランなど出来なくなってしまうのは、目に見えている。

「机上の理論」と「現場で起きている事実」は、大きく違う。
現実に直面していない時には「計画とおり」が当たり前であっても、現実は「計画とおり」ではない。
産婦人科の統合によって、地元で出産できない女性が全国的に増えている。
これも「机の上では、合理的で費用削減」なのかも知れないが、「現実には非合理的で、費用が膨大にかかる」という例ではないだろうか?
紙の上では見えないモノ・コトを、まず最初にみてほしい、と思うのは介護をしている多くの人たちの思いではないだろうか?

認知症と付きあう

2006-03-11 21:49:52 | 老親介護
今日の毎日新聞WEBサイトにどうにか、こうにか:父が認知症になった時/5 幻の家と言う記事が、掲載されている。
昨年の今ごろ、私も老年性認知症の症状が現れ始めた母と向かい合っていた。

私たちは、五体満足で記憶も意識が明快であることが、「健常」と思っている。
むしろ、確信していると言ってもいいのかも知れない。
それが本当に「健常」ということなのだろうか?
そんな疑問を持ったのも、母の認知症と付き合ってからだった。
もしかしたら、健常と思っていることは一種の思い込みであって、様々な不足が少しあることが「健常」なのかも知れない・・・そんな気がしたのだ。
それを補う「心」があって、「人を思い遣る」とか「寛容」ということが、理解ではなく行動となっていくのでは?という気もする。

「理解は頭、納得は心、腑に落ちるは行動」と言われる。
老親介護とは、頭ではなく行動によって初めて付き合えることなのかも知れない。
そして、「バリアフリー」も同じコトなのではないだろうか。
(上手くまとまらない文で申し訳ない)



様々なアプローチ-老年性認知症-

2005-09-19 18:51:44 | 老親介護
衆議院選挙関連のエントリーにコメントを下さった、Stellaさんありがとうございました。
「自民圧勝」というよりも「小泉圧勝」という状況の中、見落としがちな「有権者と政治家」という関係は、自分自身を含めて考えなくてはいけないことだと思います。
それだけではなく、有権者としてのプライドを持って、「政治家に物乞いをしない精神」をもちたいですね。

実家の母が、老年性認知症の症状が現れて2、3年になる。
最初は「あれ?」という感じで、話がすれ違う程度だったのだが、年を追うごとに「痴呆?」という状態へと変わっていった。
状態としては、安定をしていることや実生活を父に任せているところもあり、安心しているところがある。
ただ、この春認知症の母と面と向った時、一つの疑問が浮かんだことがある。
それは「政治家」と言われる人や、自営業などに携わっている人たちには、比較的「痴呆」とは、無縁のような気がしたのだ。
特に「政治家」と言われる人たちは、「老いてますます元気!!」という気すらする。
どうしてなのだろう?と思いながら、今回の衆議院選挙を見てみると「執着」という言葉が思い浮かんだ。
「権力に対する執着度」というのは、私などが想像する以上にあるような、気がする。
もちろん、それだけではないだろう。
「コミュニケーション」という意味では、様々な人が「陳情」にやってくるのだから、同世代の高齢者よりも遥かに多いだろう。
もしかしたら、「高齢政治家のライフスタイルと思考」に「認知症」への対処法があるかも知れない・・・とも思うのだ。

そんな中、毎日新聞のWEBサイトに認知症:脳を活性化、CDで予防 和歌山県医大・板倉教授ら制作という記事があった。
ラジオなど「音」だけによる情報は、「映像」があるテレビよりも、脳が一生懸命活動するようだ。
少し遅い「敬老の日」となってしまうが、このようなプレゼントもあるのかも知れない・・・と思っている。


企業と介護

2005-05-10 11:35:06 | 老親介護
今日の朝日新聞のWEB版asahi.comに介護必要な家族いる従業員への転勤命令に無効判決という記事が掲載されています。

これまでは「辞令一枚で、どこでも転勤」というのが、企業と社員の関係でした。
高度成長期だった頃は、日本の社会全体も若く、それこそ「辞令一枚で海外へも」ということが当たり前でした。
「辞令に背く」ことは、「会社を辞める覚悟が必要だった」時代でもありました。
しかし、社会全体が高年齢化し始めると「辞令一枚でどこへでも」というわけには行かなくなって来ました。
おそらく、団塊の世代よりもやや下の世代の人たちにとって、頭痛の種となっているのは「遠く離れた老親の介護」ということではないでしょうか?
「会社の定年退職までには、まだ少し時間がある。でも、認知症などの症状が現れた老親の介護は待ったナシ」という状況だからです。

実際、私が実家に帰っている間もそのことが問題でした。
転勤族だった父と一緒に様々な土地を渡り歩いた母ですが、父が定年退職後に建てた家に住んで20年余り、すっかりその土地が自分の棲家になってしまっているのです。
いくら認知症の症状が現れて、現実と思い出の狭間を行き来しているような状態であっても、住み慣れたところを離れ、私の生活の場へとつれてくることの利点よりも、マイナスとなることの方が多いような気がしたのです。
幸い、父が元気なので、母のことは暫く先送りということになりましたが・・・。

そういった時代変化とともに変わってきた「老親介護」のあり方を考えると、今回の判決はとても「生活者寄り」の内容だったと思います。
時代にあった判決とでも言いましょうか。
これからの企業は、社員の「老親介護」ということにも気を配ることが、必要になってくるのでしょうね。
むしろ、社員の抱える問題を企業の問題と捉え、「問題解決の発想」から新しいビジネスチャンスを生み出すことが出来るようになるかも知れません。
そのような視点が、企業にとっても社会や生活者にとっても「しあわせな関係」となるのでは?
もちろん、「老親介護」だけではなく「少子化対策」も同じだと思いますが。



新発想?の老人ホーム

2005-03-29 11:43:19 | 老親介護
今日の西日本新聞(九州)のWEB版に歓楽街に老人ホーム 飯塚市 ビジネスホテル改装 という記事がありました。
歓楽街に老人ホーム・・・なんとなく違和感がありますが、案外ポイントをつかんでいるかも知れません。

実家に帰って認知症の症状が出始めた母と一日を過ごすことで、分かってくることがありました。
それは「とても寂しがり」ということ。
父と二人っきりの生活が20数年続いて、その父が入院をしているのですから当然といえば当然です。
それだけではなく、認知症的な症状の中でも普通に戻る時が、家族以外の誰かと会っているときだったのです。
家族との会話よりも、ご近所の方と話すことの方が話し方もシッカリとしていますし、話そのものも辻褄の合うモノでした。
外から受ける刺激というのは、認知症に対して効果的な部分があるように思いました。

それだけではなく、街中にこのような施設を作ることで「入所者の家族が行きやすい」という気がします。
日本の場合、老親介護に対して「何とか家族で面倒を見るのが、一番」という考えが優先的にあります。
しかし、その為に介護をする家族の方が疲れ果ててしまい、その行き着く先が「姥捨て山」的に老人医療施設ということが少なくないような気がします。
そして、週に一回顔を見せればいいほうで、預けたら預けっぱなしという状況になってしまう、ということを聞いたことがあります。
このようなことが、一番老親にとっては不幸なのでは?
新しい試みだと思いますし、是非成功して欲しいと思います。

それと・・・高齢者の時間感覚ということにも、触れておきたいと思います。
今回の件で感じたことなのですが、年齢が高くなるとどうしても動きが遅くなってしまいます。
本人もそのことに気付いて、ジレンマを感じていています。
そこに「早く」という言葉を言ってしまうと、余計ストレスとなってしまい、コミュニケーションを取ることが難しくなります。
1日の時間が24時間ではなく36時間くらいのつもりで、こちらが余裕を持って接することが大切な気がしました。
実際、食事の支度が整って「さぁ、食べましょう」と言ってから、箸を取り、一口目のご飯を食べるまでに5分近く時間がかかりました。
おそらく、本人にとっては1.2分の時間感覚なんだと思います。
その時間感覚のズレを理解することも、大切なのだと感じました。