日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

NHKと視聴率

2005-09-30 20:20:50 | アラカルト
「いただきます」と「ごちそうさま」のエントリーにコメントとトラックバックを下さった、「時事を考える」のマルセルさん、埼玉県和光市会議員(以下略:すみません)の松本たけひろさん、ありがとうございました。
マルセルさんのエントリーにもありますが、「躾」という部分での問題は大きいと思います。残念なことに「躾」が「虐待」になってしまう根っこは、同じなのかも知れません。
もう一つ気になることは、「ありがとう」という言葉を余り聞かなくなったことです。
私が子供だった頃、家の手伝いは当たり前のことでしたが、それでも母は私に「ありがとね」と、言ってくれたように思います。
松本たけひろさんのエントリーにあるようなことも、一因かも知れません。
昔は「結婚をして、子供が出来て一人前」という、社会認識がありましたから。

そして、マルセルさんから連続でコメントをいただいた「ピンクリボン~」について、訂正があります。
ミニー・リパートンのMCは「Another moment with Minnie」でした。
実は、日本での乳がんの検査ではマンモグラフィーよりも触診のほうが、まだまだ一般的なのです。
そして、乳がんだけではなく、子宮ガンなどの婦人科系の検査の担当医が、男性だと受け辛いという気持ちがあります。
こういう部分でもサポートが出来れば、婦人科へも行きやすくなるのですが・・・。

昨夜、プロ野球セリーグ優勝を決めた阪神タイガースファンのみなさま、おめでとうございました。
野球ファンではないのですが、昨夜は岡田監督の胴上げシーンだけはテレビ中継でチェックしていました。

その胴上げシーンを見ていて、フッと思ったことがある。
実は、その胴上げシーンを見る前まで、他局の番組をボンヤリと見ていた。
そこへ「ニュース速報」のテロップが流れ、阪神の優勝を知り急いでチャンネルを変えたのだった。
テレビという道具が、市場に現れて50年以上経つ。
当時は「貴重品」以上の扱いのモノで、長い間「テレビの居場所」は居間などの「家族が集まる場所の中心」だった。
それが、80年代に入ると「一家に一台」ではなく「一人に一台」という時代がやってくる。
今では、一人に一台どころかパソコンでも携帯電話でも、テレビが視聴できるようになってきている。
そればかりか、今後地上デジタル放送なども携帯電話やカーナビで見られる時代が、早晩やってくる。

とすれば・・・今現在テレビ局の人たちが一喜一憂している?「視聴率」の意味が、30年前と違っているのではないだろうか?
おそらく視聴率を調査するための器具?は、一世帯に一台設置されているのではないだろうか?
でも設置されている家庭には、複数のテレビもしくはテレビが視聴できるパソコンなどがあるはずだ。
すなわち、リサーチから漏れている視聴のほうが、遥かに多いのではないだろうか?

NHKの集金の方は、「視聴率に左右されない『公平で公共性の高い』番組制作」ということを盛んに言っている。
でも、その根拠となる視聴率そのものがとてもあやふやな状況に陥っているとしたら、NHKの解釈も大きく揺らぐはずなのだ。
「公平で公共性の高い番組」ということを、本気で考えなくてはいけないのはNHK自身にあるのではないだろうか?

もう一つ、新聞などのテレビ紙面をよくよく見ると、昼間の民放は再放送が目立つ。
ところが、NHK総合には再放送という文字が殆ど見当たらない。
国会中継や大相撲中継などがあるにしても、その数は極端に少ない。
民放が、昼間の時間帯に再放送をするというのは、見逃した人のためという理由もあるのかも知れないが、むしろ費用面の問題もあるのではないだろうか?
それだけではない、「昼間テレビを見る生活者が減ってきている」という現実もあるような気がしている。
「NHKに非ずは、テレビ番組にあらず」というくらいのNHK大好き?だった、父なども今では殆どNHKを見ることが無い。
NHKどころか、テレビそのものを見ることが減ってきているように感じる。
膨大な費用を掛けて番組制作をする意味は、どこにあるのだろう?

先日、NHKは「受信料未払い者に対して、法的手段も辞さない」と、言っていた。
一番考えなくてはいけないのは、「テレビの視聴スタイルの変化」と「テレビをみない生活者が増えている」という、現実なのではないだろうか?
そして「公平で公共性の高い番組」というのは、決して大河ドラマや朝の連続ドラマ、「プロジェクトX」ではない、ということに気がつくべきなのだ。

「ピンクリボン」とミニー・リパートン

2005-09-29 18:29:41 | ライフスタイル
今日、ブログのテンプレートを変えた。
来月一杯、このテンプレートを使用します。
テンプレートにある「ピンクリボン運動」というのは、「乳がんの早期発見と治療」を目的とした、活動のこと。
時折、拙ブログにきてくださる男性諸氏にとっては、恥ずかしい感じがするかも知れませんが、よろしくお願いします。

「ピンクリボン運動」といっても、余り馴染みが無い方が多いかもしれない。
私が、初めて知ったのは今から4、5年前だったと思う。
いくつかの化粧品会社が、この運動に参加していたからだ。
企業の社会活動として、注目したのが始まりだった。
当時は、「ボディーショップ」や「エステローダ」といった海外の化粧品メーカーが中心で、この季節になるとショップの人たちの胸に可愛らしいピンクのリボンをモチーフにしたピンバッチが着けられていた。
今では、「ワコール」など、日本の企業も参加するようになってきた。
これらの企業の背景には、「女性を対象とした商品を扱う」ということがあるからなのだが。
ただ、ビジネスという意味だけではなく「女性を対象とした企業が出来ること」という「企業の社会的役割」という点では、評価できるのではないだろうか?

そのような運動を知った時、ある女性シンガーを思い出した。
1979年の春に亡くなった、ミニー・リパートンである。
名前は知らなくても「Lovin' you」という楽曲は、テレビCMなどだけではなくいろいろな女性アーティストがカバーしているので、知っている方は多いのではないだろうか?
彼女は、5オクターブ以上の広い音域と情感溢れる女性ソウルヴォーカリストとして、注目を浴びていたその時、乳がんの治療により一時活動を停止している。
その乳がんは、相当進行していたようで乳房を総て切除という状態だったようだ。
それだけではなく、自分が乳がんであること。
そしてその治療に専念し、経過を公表するということを、彼女はしている。
その行動に対し、時の大統領は「最も勇気ある女性」として、ホワイトハウスに招待したという記憶がある。
その後、復帰した彼女を待っていたのは放射線治療だったのだが、3年後に最悪な状態で癌が再発するのだ。
それでもステージに立ち、レコーディングをし続けるのだが・・・それはとても、壮絶なシンガーとしての生き方だったような気がする。
もちろん、一人の女性としても(彼女のアルバムプロデュースと作曲は、ご主人のリチャード・ルドルフ氏であり、ご主人との間には男の子と女の子のお子さんがふたりいた)。

彼女が亡くなってから発売された、「The Best of Minnie Riprton」に収録されているライブ録音「Lover and Friend」のMCで、「人は、『リンカーネーション(輪廻転生)を信じて』って、言うけど・・・なかなかいい響よね・・・私は、「今」この時をみなさんとすごし、歌うことが一番なの」と、言っている。
「今」という時間を大切にするために、この運動を知って欲しいと思います。

「いただきます」と「ごちそうさま」-崩れる日本の生活美意識-

2005-09-28 19:22:38 | アラカルト
「ソニーの行方」と「ホワイトバンド、LOHAS・・・流行に注意」に、トラックバックを下さった、「時事を考える」さん、ありがとうございました。

そのブログに「キレル小学生の教育は親の責任か?」という、エントリーがありました。
そのトラックバックに、「Pagan(異教徒)の説話」という方の「私たちは、「いただきます」と言わせないで!という親を、納得させられる言葉を持っているのか?」がありました。
まるで「箍の外れた社会」のような気がした。

給食で「いただきます」というのは、当たり前だと思ってきたし、両親も当然のコトだと躾けてきたと思う。
それは「お金を払う」のではなく「ご飯を食べるための、様々なモノ・コトに感謝する」という、日本人の豊かで謙虚な生活観から自然発生的に出来上がった「生活美意識」だったのではないだろうか?
そのような「生活美意識」は、むしろ万国共通のモノなのではないだろうか?
それが、通用しないのが今の日本の社会だとしたら・・・。
そして、「何故『いただきます』が、大切なのか」説明できないとすれば・・・。

「いただきます」と対をなす「ごちそうさま」についても、レストランで食事をしていれば、サービスをした人たちにする必要は無い。という感覚にも驚かされる。
それも、それなりの年齢を経た女性からというのには・・・。
サービスを提供する人は、何もレストランの人だけではない。
その食材を集める人、農業や漁業、畜産業など本当に様々な人が一生懸命になったモノが、私たちの口に入るのだ。
その人たちへの「感謝」を含んだ言葉が、「ごちそうさま」になっていたのではないだろうか?

「お金を出す=買っているのだから、「いただく」訳ではない」、「食べ物を注文したのだから、「ごちそうさま」ではない」というのは、「言葉として正しい」ということなのだろう。
その感覚って、人生を「勝ち組み・負け組み」といともたやすく分けてしまう、乱暴さを含んでいるのではないだろうか?
「感性の乱暴さ」というのだろうか?
そんな人たちが、「LOHASだ、スローライフだ」といったところで、底の浅い一時的な流行でしかない。
とは言うモノの、そういう人たちが流行モノとして「LOHASだ、スローライフだ」といって、乗っているという現実もあるのだが・・・。

日本人の生活美意識って、「お天道様が観ている」というような自戒と八百万の神様への感謝、自然への畏怖というものだったような気がする。
でも、それが「生活の基本」だったはずなのだが・・・。

兵どもが夢の後-愛知万博-

2005-09-26 20:53:31 | トレンド
「ホワイトバンド、LOHAS・・・流行に注意」のエントリーに、コメントを下さった「お疲れ」さま、ありがとうございました。
「ロハス・メディカル」からすれば、「安心できる医療サービスの提供」という目的があると思うのですが、利用者である患者サイドからすれば当然のことだと思うのです。
とすれば、医療サイドが患者に対して「ズレ」が、あるということなんですよね。
こういう指摘をすることも、マーケティングの仕事だと思っています。
決して金儲けというだけではなく、「ソーシャル・マーケティング」という視点もあるので。

昨日、半年に及んだ「愛知万博」が終わった。
今日の新聞などでは、会期間中毎日通ったという主婦や、海外パビリオンの備品などがネットオークションなどが、取り上げられている。
そして、今日の夕刊になると閉幕から一夜、リニモはガラガラ 前途多難?(毎日新聞より)などの記事へと変わってきた。
今回の万博で「名古屋経済が元気」というイメージが、全国的に根付いたような気がするのだが、実のところブログで何度か書いている通り名古屋の経済は決して元気ではない。
元気なのはトヨタ自動車とその関連会社に代表されるように、極々一部の企業なのだ。
その実、「何とか万博が終わるまでに再就職をしないと・・・」と、不安げに話をしていた友人もいたし、名古屋市内でも一番古く繁華街にある「ダイエー」も、営業不振により来月の撤退が決まっている。
名古屋名物?地下街でも、「リニューアル・店舗改装中」という紙が張られている店舗がいくつもある。
現実は、そんなものなのだ。

何よりも、「万博」が果たした役割りはこれから検証がされていかなくては、膨大な費用を掛けた意味が無い。
「一体、何を世界に発信をし、世界が何を感じたのか?」ということが、なければ単なる「企業の技術発表会と、万国物産展」で終わってしまう。
そして、入場者数についても「数字のマジック」に、騙されてはいけないのではないだろうか?
「入場者数が、目標よりも多かった」と言っても、リピーターが多かったはずだ。
「期間パス」によって、上述したようなリピーターが多かったというのも、今回の万博の特徴だからだ。すなわち、「入場者数=延べ人数」ということなのだ。
単純に、「つくば万博の入場者数を超えた」、「目標人数を超えた」と言っても、その根拠となる数字が「延べ人数」なのか?否か?
一番問題になってくるのは、会場となった場所の跡地利用。
「さつきとメイの家」等一部は、そのまま保存されたりすることが決まっているだけだ。
当初計画のように団地が作られるとは思わないが、「自然の叡智」というテーマを掲げた万博だったことを、自治体は考えて欲しいものだ。

それにしても・・・既に「リニモ」の負債を抱えるようになるのかも知れない現実って・・・。

ホワイトバンド、LOHAS・・・流行に注意

2005-09-24 21:14:51 | アラカルト
毎日新聞のWEBサイトに無料医療誌:受診のコツ掲載 医師と患者団体協力し発行という記事が、掲載されている。
ここで気になることがある。
それは「LOHAS」という言葉だ。
最近、各所で「LOHAS」という言葉を聞く。
そのことは、先日のエントリーでも書いている。

今回の記事内容をよくよく読むと・・・「いかに心地良く治療を受けるのか?」というのが、テーマとなっているようだ。
でも、これって当たり前のことなのでは?
私たちは、どうしても「お医者様」というと、特別な存在にみがちだ。
そして、「大学病院などの総合病院なら、最新医療が受けられる」と思って、5分診察ということが分かっていながらも、半日がかりで行っているということは無いだろうか?
特に高齢になればなるほど、その傾向は強くなってはいないだろうか?
結果、5分診察どころか3分診察で、山のような薬を貰って安心をしているのでは?
これが本当の「医療」の姿なのだろうか?
その点では、今回の試みは新しい医療のあり方だと思う。
思うのだが、マーケティングという視点で観れば「やっと医療施設でも、当たり前のことが考えるようになった」としか、思えないのだ。

もう一つ、最近やたらとテレビで見かける「ホワイトバンド」。
テレビに登場するタレントやアイドルのみなさんだけではなく、最近では国会議員さんもつけている。
まるで「セレブの証」と言わんばかりだ。
それって「ホワイトバンド」の本来の趣旨だろうか?
「カッコ良い」とか、「流行」でしかないような気がするのだ。
「ホワイトバンド」については、それ以外にも問題がある、と指摘がされている。
それは「貧困国に対する、経済支援」というよりも「貧困国があることをPRし、啓蒙するため」という、ぼやけた目的だからだ。
世界の貧困国の抱える問題は、食糧問題だけではなく、教育や政治不安、民族紛争など多岐に渡る。
現実を情報として提供し、啓蒙することは大切なことだが、それを目的として「セレブ」と言われる人たちを使い、グッズを販売するコトとは別なのではないか?という指摘である。
もちろん「ホワイトバンド」の原価の一部は、フェアートレードによるものである。
だからこそ、フェアートレードに積極的な「ボディー・ショップ」なども、積極的に支援しているのだろう。

こうやって見ると、「流行」というモノにノルのは「オシャレ」なことかも知れないが、その本質を確かめる必要もあるのではないか?
マーケターが、こういうことをいうのは「本末転倒」かもしれないが・・・。





ソニーの行方

2005-09-22 18:42:16 | ビジネス
今日の経済紙だけではなく、テレビのニュースでも取り上げられた「ソニー1万人リストラ」
ソニーのHPでもソニーグループ 中期経営方針(2005年度~2007年度) エレクトロニクス事業復活を軸に経営体質強化というプレスリリースを発表している。

これまで、ソニーという企業は「先進性」と「楽しさ」を追求してきたイメージがある。
その企業の生き方が「ウォークマン」や「プレステ」を、生み出してきたのではないだろうか?
それだけではなく、「ソニー」という企業の持つ魅力は、そのまま「ソニー」というブランドの価値を高めてきた。
それが、多角化によって魅力が薄まってしまった、という感はある。
やはり「映像」や「生活の楽しさ」という提案力が、「ソニー」らしく「ソニー」という企業に対する生活者の「ワクワク・ドキドキ」感、だったのではないだろうか?

しかし、飛躍的に「ソニーブランド」をつくりあげたテレビについては、かつての「トリニトロン」という技術に固執したために、シャープなどの薄型テレビから遅れをとってしまった。
その結果、ソニーの得意分野と考えられていた「映像画面」を、韓国企業から供給を受けることになってしまった。
ある意味、ソニーとしては屈辱的な選択だったのではないだろうか?
それだけではなく、ソニーという企業の足枷となったのは「保険事業」等の金融事業への進出だったように思われる。
この金融事業については、既に売却計画を発表している。
と同時に、インターネット事業「so-net」の売却も。

実は、「so-net」の売却の話には、やや驚きがあった。
というのは、インターネットの世界ではブロードバンドが一般化しつつあり、インターネットと映像・音楽は「ハードとソフト」という関係になりつつある、と感じていたからだ。
「ソニー」は、かつて「β対VHS」というビデオの分野で、映画などのソフトの供給ができず、完敗をすることになってしまった。
それを教訓として、「ソニー」は映像ソフト分野に対して積極的だった。
それが最終的にはDVDへとつながり、「so-net」利用者への特化したサービスへと発展していくと考えていたからだ。
それだけではなく、「アップルiPod」との「携帯音楽再生機器」という分野でも「so-net」は、重要なツールだと考えていたのだ。

とすれば・・・「ソニー」という企業は、「エンターテイメント企業」を目指しながら、その価値を挙げる一つを手放すのだろうか?
まだまだ、「ソニー」の迷走は続きそうな気がする。


東京オリンピック?!-東京再開発-

2005-09-21 18:59:42 | スポーツ
昨日、石原東京都知事が「2016年の夏季オリンピックに立候補する」と、記者会見をした。
今更「東京オリンピック」という、気がしない訳でもない。
とは言うモノの、夏季大会について言えば日本から立候補した都市は、ことごとく負けている。
1988年のソウルに敗れたのは、名古屋だった。
そして、次のオリンピック北京に負けたのは、大阪だ。
今回2016年に立候補している国内の都市は、東京だけではない。
実は札幌や福岡も立候補を検討しているようだ。

石原都知事が記者会見で「現在の国立競技場を中心に、明治神宮周辺の再開発」、ということを話していた。
結局、オリンピックを利用した「都市再開発」が目的なので無いだろうか?
穿った見方かも知れないが、そんな気がする。

ところで、先週まで岡山で「国体」が開かれていたのをご存知だろうか?
岡山県民以外で、興味を持って情報を集めていたのは国体関係者か参加選手の関係者くらいなのでは?
「国体」と言っても、いまやその使命そのものが問われはじめている。
国体開催のために、他府県にいる開催県出身者を呼び寄せ「優勝県」となるようにしたり、競技場建設などの「ハコモノ」目的となったりしているからだ。
実は、先のW杯の試合会場の一つとなった「静岡スタジアム(通称エコパ)」も、W杯を目的として建設されたものではなく、翌年の「静岡国体」のために建設されたものだった。
国体にしても、オリンピックにしても「スポーツ振興」ということを、考えた時「ハコモノ」ではなく、「指導者などの人材育成や競技人口を増やす」ということが、最優先なのではないだろうか?

実は、日本のスポーツの多くは東京ではなく、地方の企業が支えているという部分もあるようなのだ。
「企業スポーツの栄光と挫折」に、一部詳しく書かれているのだが、確かに昨年の「アテネオリンピック」で一躍注目を浴びることとなった「女子ホッケー」などは、一宮市~岐阜市にかけて盛んなスポーツ。中心のメンバーも「ソニー一宮」の社員だったはずだ。
それだけではなく、かつて男子マラソンで活躍した「宗兄弟」は、今でも宮崎県延岡市にある「旭化成」で、指導をしている。
「東京」は、アスリートとして「発表の場」なのかも知れないが、彼らの日常は地方都市にあるのだ。

「東京」は、日本の顔の一つかもしれない。
でも、何でも「東京」である必要は無いと思う。
まして、「東京再開発」のためにオリンピックを誘致したい、というのは時代的に違うような気がするのだ。

やっと終わる・・・-愛知万博-

2005-09-20 19:36:50 | アラカルト
「LOHAS(ロハス)的生活?」にコメントを下さった、U-1さんありがとうございました。
拝見させて頂いた、ブログのコメントに「湖水地方が、イギリスの水俣」という言葉に、驚きました。
それだけではなく「ナショナルトラスト」に対する嫌がらせ?のような行為が、平然とされていることも。
「風光明媚」、「ピーター・ラビットの牧歌的イメージ」とは、だいぶかけ離れた現実があるのですね。

その「自然」や「エコロジー」を謳って開幕した「愛知万博」が、今度の日曜日にやっと終わる。
私の周囲の人たちは「3回行った」、「5回行った」という、話題で盛り上がっていた。
で、私ですが・・・行っていません。行く気もありませんでした。
一つは、謳い文句の「エコロジー」や「自然」ということを、感じえない実態があること。もう一つは、30年以上前の「大阪万博」と、その考えがまったく変わっていないこと。結局のところ、人気パビリオン=企業パビリオンの展示内容は、「先端技術の発表会」であり、各国のパビリオンの多くは「産業物産展」的な感じだったからだ。
「行かないのに、どうしてそんなことがわかるの?」と言われるかも知れないが、この地域に住んでいる限り、毎日好き嫌いに関わらず、新聞、テレビ、ラジオなどメディアと言うメディアから何らかの情報が発信されているのだ。
確かに、異国文化に触れるということは、貴重な経験だろう。
しかし、「観光気分」で触れることと、相手の国が置かれているネガティブな部分の現状を知り、その中で「環境問題」を考えるとでは、まったく違うと思う。
そのような事に触れないまま、異国文化発表会というのでは・・・。

その万博が終わる直前に、意外な話題が登場している。
「偽り万博キャラクター」だ。
「万博のキャラクター」といえば、「モリゾーとキッコロ」なのだが・・・。
こういうことが、話題になっても万博関係者はカリカリせず「これも万博効果」と笑い飛ばしてくれると、嬉しいのだが。

そして、この時期になると、パビリオンや展示物の取り壊しが問題になる。
殆どは、ネットオークションなどで「販売」をする、予定になっているようだ。
こういうところが、質屋のイメージを変えた「米兵」を生んだ名古屋的というのだろうか?
もう一つ話題になった「さつきとメイの家」は、そのまま残る事が決まっている。
折角、移築をせずに残るのであれば、映画「となりのトトロ」のような風景を再現して欲しいものだ。
話題になった、トヨタグループ館のロボットたちは・・・個人的予想では、万博会場近くにある「トヨタ博物館」で見られるのではないか?と思っている。

私の唯一の万博体験が、先日あった。
それは、セネガル館のスタッフが近所の小学校へ訪問するという企画でもあったのだろう。
地下鉄の駅から降りてきた、セネガルの人たちに「元気?」と声をかけられたことだった。

様々なアプローチ-老年性認知症-

2005-09-19 18:51:44 | 老親介護
衆議院選挙関連のエントリーにコメントを下さった、Stellaさんありがとうございました。
「自民圧勝」というよりも「小泉圧勝」という状況の中、見落としがちな「有権者と政治家」という関係は、自分自身を含めて考えなくてはいけないことだと思います。
それだけではなく、有権者としてのプライドを持って、「政治家に物乞いをしない精神」をもちたいですね。

実家の母が、老年性認知症の症状が現れて2、3年になる。
最初は「あれ?」という感じで、話がすれ違う程度だったのだが、年を追うごとに「痴呆?」という状態へと変わっていった。
状態としては、安定をしていることや実生活を父に任せているところもあり、安心しているところがある。
ただ、この春認知症の母と面と向った時、一つの疑問が浮かんだことがある。
それは「政治家」と言われる人や、自営業などに携わっている人たちには、比較的「痴呆」とは、無縁のような気がしたのだ。
特に「政治家」と言われる人たちは、「老いてますます元気!!」という気すらする。
どうしてなのだろう?と思いながら、今回の衆議院選挙を見てみると「執着」という言葉が思い浮かんだ。
「権力に対する執着度」というのは、私などが想像する以上にあるような、気がする。
もちろん、それだけではないだろう。
「コミュニケーション」という意味では、様々な人が「陳情」にやってくるのだから、同世代の高齢者よりも遥かに多いだろう。
もしかしたら、「高齢政治家のライフスタイルと思考」に「認知症」への対処法があるかも知れない・・・とも思うのだ。

そんな中、毎日新聞のWEBサイトに認知症:脳を活性化、CDで予防 和歌山県医大・板倉教授ら制作という記事があった。
ラジオなど「音」だけによる情報は、「映像」があるテレビよりも、脳が一生懸命活動するようだ。
少し遅い「敬老の日」となってしまうが、このようなプレゼントもあるのかも知れない・・・と思っている。


お月見と・・・

2005-09-18 09:17:57 | アラカルト
今日は、中秋の名月。
以前は、友人と一緒に「観月会」へ出かけたり、「お月見会」を催したりしていた。
今でも、スーパーマーケットで「きぬかつぎ」によさそうな形のよい里芋や、お月見団子用の「上新粉」等を買い求めたりしている。

老年性の認知症の症状が現れた母だが、今年のお盆もそれなりにキチンとしていたようだ。
そしておそらく、今日の「お月見」も張り切って準備をしているのではないか?と思っている。
母の手料理といっても、余り料理の上手ではなかったところもあり、「お袋の味」というのとは無縁の家庭だった。
ところが、なぜか「行事食」と言われるものだけは、欠かしたことが無かった。
お正月のおせち料理に始まり、節分、お雛様、春のお彼岸、端午の節句・・・そして、「お月見」・・・それを、私が引き継いだカタチとなっている。

ところが、最近この「お月見」をやらない家庭が、増えてきているようだ。
それに反して、雑誌「サエラ」に代表されるような「大人の男性」を対象とした雑誌では、毎年のように特集が組まれる。
かつては、家庭の季節行事だったものが「趣きある特別なコト」のようになってしまったようで、私などは心寂しいところがあるのだが・・・。

一昨日のエントリーで「LOHAS(ロハス)」ということを取り上げたが、このような日本の慎ましやかな季節を楽しむ行事を創りだす生活こそ、「LOHAS(ロハス)」的なのではないだろうか?
お月見の支度をしながら、お月見という行事の話を毎年のように母はしていた。
そして、お団子などの準備が出来ると薄(ススキ)を取りに園芸バサミと軍手を持って、近所の土手へと行き、お月様が見える軒下に小さなテーブルを引っ張り出して、毛氈を引き「お月見の設え」をしていた。

高度成長真っ只中の時代、まだまだ日本の社会全体が今ほど豊かではなかった頃の、地方都市の季節の風景だ。
様々な季節行事の設えを手伝い、食事をつくりながら聞いた話には失われかけた「豊かさ」があるような気がしている。

どうか、今夜はお月見の設えをして、名月を眺めてください。
きっと、忘れてきた何かを感じ取れると思います。
ファーストフード店のメニューで、お月見を知るなんて悲しすぎます。

昨日、コメントを下さったstellaさん、ありがとうございました。
明日、キチンとお返事をさせて頂きます。
なんとなく、ヘビーな内容になりそうな気がしていて・・・今熟考です。
そして、「LOHAS的生活?」にトラックバックくださった「炎と水の物語」さん、ありがとうございました。
「湖水地方」という接点でのトラックバックでしたが、観光ガイドブックでは知ることの出来ない「今の湖水地方の環境と政治」という切り口には、勉強させていただきました。