「いただきます」と「ごちそうさま」のエントリーにコメントとトラックバックを下さった、「時事を考える」のマルセルさん、埼玉県和光市会議員(以下略:すみません)の松本たけひろさん、ありがとうございました。
マルセルさんのエントリーにもありますが、「躾」という部分での問題は大きいと思います。残念なことに「躾」が「虐待」になってしまう根っこは、同じなのかも知れません。
もう一つ気になることは、「ありがとう」という言葉を余り聞かなくなったことです。
私が子供だった頃、家の手伝いは当たり前のことでしたが、それでも母は私に「ありがとね」と、言ってくれたように思います。
松本たけひろさんのエントリーにあるようなことも、一因かも知れません。
昔は「結婚をして、子供が出来て一人前」という、社会認識がありましたから。
そして、マルセルさんから連続でコメントをいただいた「ピンクリボン~」について、訂正があります。
ミニー・リパートンのMCは「Another moment with Minnie」でした。
実は、日本での乳がんの検査ではマンモグラフィーよりも触診のほうが、まだまだ一般的なのです。
そして、乳がんだけではなく、子宮ガンなどの婦人科系の検査の担当医が、男性だと受け辛いという気持ちがあります。
こういう部分でもサポートが出来れば、婦人科へも行きやすくなるのですが・・・。
昨夜、プロ野球セリーグ優勝を決めた阪神タイガースファンのみなさま、おめでとうございました。
野球ファンではないのですが、昨夜は岡田監督の胴上げシーンだけはテレビ中継でチェックしていました。
その胴上げシーンを見ていて、フッと思ったことがある。
実は、その胴上げシーンを見る前まで、他局の番組をボンヤリと見ていた。
そこへ「ニュース速報」のテロップが流れ、阪神の優勝を知り急いでチャンネルを変えたのだった。
テレビという道具が、市場に現れて50年以上経つ。
当時は「貴重品」以上の扱いのモノで、長い間「テレビの居場所」は居間などの「家族が集まる場所の中心」だった。
それが、80年代に入ると「一家に一台」ではなく「一人に一台」という時代がやってくる。
今では、一人に一台どころかパソコンでも携帯電話でも、テレビが視聴できるようになってきている。
そればかりか、今後地上デジタル放送なども携帯電話やカーナビで見られる時代が、早晩やってくる。
とすれば・・・今現在テレビ局の人たちが一喜一憂している?「視聴率」の意味が、30年前と違っているのではないだろうか?
おそらく視聴率を調査するための器具?は、一世帯に一台設置されているのではないだろうか?
でも設置されている家庭には、複数のテレビもしくはテレビが視聴できるパソコンなどがあるはずだ。
すなわち、リサーチから漏れている視聴のほうが、遥かに多いのではないだろうか?
NHKの集金の方は、「視聴率に左右されない『公平で公共性の高い』番組制作」ということを盛んに言っている。
でも、その根拠となる視聴率そのものがとてもあやふやな状況に陥っているとしたら、NHKの解釈も大きく揺らぐはずなのだ。
「公平で公共性の高い番組」ということを、本気で考えなくてはいけないのはNHK自身にあるのではないだろうか?
もう一つ、新聞などのテレビ紙面をよくよく見ると、昼間の民放は再放送が目立つ。
ところが、NHK総合には再放送という文字が殆ど見当たらない。
国会中継や大相撲中継などがあるにしても、その数は極端に少ない。
民放が、昼間の時間帯に再放送をするというのは、見逃した人のためという理由もあるのかも知れないが、むしろ費用面の問題もあるのではないだろうか?
それだけではない、「昼間テレビを見る生活者が減ってきている」という現実もあるような気がしている。
「NHKに非ずは、テレビ番組にあらず」というくらいのNHK大好き?だった、父なども今では殆どNHKを見ることが無い。
NHKどころか、テレビそのものを見ることが減ってきているように感じる。
膨大な費用を掛けて番組制作をする意味は、どこにあるのだろう?
先日、NHKは「受信料未払い者に対して、法的手段も辞さない」と、言っていた。
一番考えなくてはいけないのは、「テレビの視聴スタイルの変化」と「テレビをみない生活者が増えている」という、現実なのではないだろうか?
そして「公平で公共性の高い番組」というのは、決して大河ドラマや朝の連続ドラマ、「プロジェクトX」ではない、ということに気がつくべきなのだ。
マルセルさんのエントリーにもありますが、「躾」という部分での問題は大きいと思います。残念なことに「躾」が「虐待」になってしまう根っこは、同じなのかも知れません。
もう一つ気になることは、「ありがとう」という言葉を余り聞かなくなったことです。
私が子供だった頃、家の手伝いは当たり前のことでしたが、それでも母は私に「ありがとね」と、言ってくれたように思います。
松本たけひろさんのエントリーにあるようなことも、一因かも知れません。
昔は「結婚をして、子供が出来て一人前」という、社会認識がありましたから。
そして、マルセルさんから連続でコメントをいただいた「ピンクリボン~」について、訂正があります。
ミニー・リパートンのMCは「Another moment with Minnie」でした。
実は、日本での乳がんの検査ではマンモグラフィーよりも触診のほうが、まだまだ一般的なのです。
そして、乳がんだけではなく、子宮ガンなどの婦人科系の検査の担当医が、男性だと受け辛いという気持ちがあります。
こういう部分でもサポートが出来れば、婦人科へも行きやすくなるのですが・・・。
昨夜、プロ野球セリーグ優勝を決めた阪神タイガースファンのみなさま、おめでとうございました。
野球ファンではないのですが、昨夜は岡田監督の胴上げシーンだけはテレビ中継でチェックしていました。
その胴上げシーンを見ていて、フッと思ったことがある。
実は、その胴上げシーンを見る前まで、他局の番組をボンヤリと見ていた。
そこへ「ニュース速報」のテロップが流れ、阪神の優勝を知り急いでチャンネルを変えたのだった。
テレビという道具が、市場に現れて50年以上経つ。
当時は「貴重品」以上の扱いのモノで、長い間「テレビの居場所」は居間などの「家族が集まる場所の中心」だった。
それが、80年代に入ると「一家に一台」ではなく「一人に一台」という時代がやってくる。
今では、一人に一台どころかパソコンでも携帯電話でも、テレビが視聴できるようになってきている。
そればかりか、今後地上デジタル放送なども携帯電話やカーナビで見られる時代が、早晩やってくる。
とすれば・・・今現在テレビ局の人たちが一喜一憂している?「視聴率」の意味が、30年前と違っているのではないだろうか?
おそらく視聴率を調査するための器具?は、一世帯に一台設置されているのではないだろうか?
でも設置されている家庭には、複数のテレビもしくはテレビが視聴できるパソコンなどがあるはずだ。
すなわち、リサーチから漏れている視聴のほうが、遥かに多いのではないだろうか?
NHKの集金の方は、「視聴率に左右されない『公平で公共性の高い』番組制作」ということを盛んに言っている。
でも、その根拠となる視聴率そのものがとてもあやふやな状況に陥っているとしたら、NHKの解釈も大きく揺らぐはずなのだ。
「公平で公共性の高い番組」ということを、本気で考えなくてはいけないのはNHK自身にあるのではないだろうか?
もう一つ、新聞などのテレビ紙面をよくよく見ると、昼間の民放は再放送が目立つ。
ところが、NHK総合には再放送という文字が殆ど見当たらない。
国会中継や大相撲中継などがあるにしても、その数は極端に少ない。
民放が、昼間の時間帯に再放送をするというのは、見逃した人のためという理由もあるのかも知れないが、むしろ費用面の問題もあるのではないだろうか?
それだけではない、「昼間テレビを見る生活者が減ってきている」という現実もあるような気がしている。
「NHKに非ずは、テレビ番組にあらず」というくらいのNHK大好き?だった、父なども今では殆どNHKを見ることが無い。
NHKどころか、テレビそのものを見ることが減ってきているように感じる。
膨大な費用を掛けて番組制作をする意味は、どこにあるのだろう?
先日、NHKは「受信料未払い者に対して、法的手段も辞さない」と、言っていた。
一番考えなくてはいけないのは、「テレビの視聴スタイルの変化」と「テレビをみない生活者が増えている」という、現実なのではないだろうか?
そして「公平で公共性の高い番組」というのは、決して大河ドラマや朝の連続ドラマ、「プロジェクトX」ではない、ということに気がつくべきなのだ。