日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

いつから「新学期」が、辛い日になってしまったのだろう?

2017-08-31 19:17:27 | 徒然

明日から、新学期が始まる地域も多いコトだろう。
そして、長い休み明けの初日、特に9月1日は自死を選ぶ子供たちが多い日でもある。
昨年、ある図書館が「学校が嫌なら図書館においで!」という趣旨のことを呟いたところ、様々な反響があった。
もちろん「学校に行かないことを肯定するのか?!」という内容のコメントから、「学校に行きたくないくらい悩んでいる子どもたちにとっては、良いメッセージ」という意見まであったように記憶している。

どの意見も、大切な考えを述べていると思う。
いじめに合い、学校に行くコトに辛さを感じている子どもたちにとって、「新学期」は大きく変化することを期待する半面、変化がなかった(=いじめが継続されていた)場合、本当に落胆するのはわかる気がする。
学校という狭い社会の中で「逃げ道がない」と感じると、その狭い社会から逃げ出す方法が見つからず、見つけた方法が自死というのであれば、それはとても悲劇的なことだからだ。

ただ一つ気になっていることがある。
「新学期」というのは、毎年やってくる日だ。
私が子供の頃にも「新学期」はあった。
しかし、自死を選ぶ子供たちは今よりも遥かに少なかったのでは?という、ことなのだ。
私の小学生時代と今の子供たちを取り巻く環境が、同じだとは思わない。
「昭和の頃は、子どもたちがのびのびとして良かった」などと、ノスタルジックなことを言う気はない。
思わないが、「なぜそのようなことが起きる社会になってしまったのか?」という、コトに目が向けられていないような気がするのだ。
様々な複合的要素が重なり、何より社会の変化スピードが速く大人が付いていけなくなってしまっている、ということもあるとは思うのだが、「なぜ?」という原因となるモノが分からなければ、本当の意味で子どもたちを救う手立てとはならないのでは?という、気がするのだ。

ネット上では、「学校に行きたくないなら、逃げなさい」ということが言われている。
昨年ヒットしたドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」の中の台詞にあったように、「どんなに恥ずかしい逃げ方だったいいじゃいか。大切なのは生き抜くことで、その点においては異論も反論も許さない」ということは、真を突いていると思う。
「自死を選ぶ程なら、逃げなさい!」と私も伝えたい。
「ただ、自分の人生からは逃げないで欲しい」と思っている。
でも、それで終わらせることにも、疑問を感じるのだ。



今だからこそ、考えたいこと

2017-08-30 17:04:28 | 徒然

昨日書店へ行った時、目にとまったテキストがあった。
NHKのE-テレで放送される「100分で名著」だ。
9月からの放送予定のハンナ・アーレントの「全体主義の起源」だった。

トランプ大統領登場前後から、なんとなく世界各地で感じる「自国ファースト志向」に、息苦しさのようなものを感じているのは、私だけではないと思っている。
その「息苦しさ」の要因の一つが、「全体主義」と言われる「排他的社会」なのでは?という、気がしている。
何より私に興味を引かせたのが「エルサレムのアイヒマン」の著者であった、という点だった。

ご存じの方も多いと思うのだが、「アイヒマン」という人物は、「全体主義」の象徴ともいえるヒットラーを支えたナチス親衛隊の中佐だ。
ヒットラーの命令に従い、ユダヤ人大虐殺を行った中心的人物でもある。
南米へ逃亡するも、逮捕をされエルサレムの裁判で死刑を言い渡され、絞首刑となるのだが、エルサレムで行われた裁判では、常に冷静で凡庸な普通の人物であり、「自分は命令に従ったまでである」という主張をした人物でもあった。

テキストを読み進めていく中で、今感じている「排他的社会」が「全体主義」へと発展していく過程の一つであり、それを推し進めるのは、政治家ではなく大衆である、ということに気づかされる。
それは「国の成り立ち」とも大きく関係し、第二次世界大戦以前から続く「民族と国、あるいは帝国主義」による、異質な人(人種、宗教、イデオロギーなど)を排除し支配関係をつくりあげる、という視点で書かれている。
それがいまだに解決することなく続き、今のシリア問題、場合によってはダーイッシュ(IS)の台頭を生み出す結果となっているのでは?という、気がしてきたのだ。

ただ、昨日ミサイルを打ち上げた北朝鮮については、「全体主義」的な体制であるとは思うのだが、アーレントが指摘しているほどの複雑さを持つ「全体主義」的なモノは感じてはいない。
単なる「気まぐれな独裁者」が、国内においては恐怖政治をしき対外的瀬戸際外交を続け、言葉での主張(=外交)ができない為に、力で自分を誇示しているように見える。
随分前にも取り上げた「カミナリグモ」の「王様のミサイル」という、楽曲そのものが今の北朝鮮の姿なのでは?という気がしている。

もちろん、共通している点はある。
それが、アーレントが指摘した「考えることをやめるとき、凡庸な「悪」に囚われる」ということだ。
その象徴であり具現化した人物こそが「アイヒマン」その人であり、今の社会は「第二のアイヒマン」を生み出す環境が整い始めているのでは?と、感じる部分でもある。

「考えること」の一つは、他者との関係から生まれてくることだと思う。
「異質なモノ・コト、何よりも人を受け入れる」ということはエネルギーだけではなく、自分自身を考える力が必要になる。
「自国ファースト」が声高に言われる今だからこそ、「考えること」が必要だと思う。




窮地に立たされるトランプ大統領

2017-08-28 13:12:45 | アラカルト

バージニア州で起きた、白人至上主義と反対派による衝突事件。
事件直後、トランプ大統領の「衝突事件は、双方が悪い」という趣旨の発言をしたため、米国社会全体から批判が起きるという結果になっている。

トランプ大統領の「人権意識」が取り沙汰されている最中、ある人物の恩赦をトランプ大統領は発表をしている。
Bloomberg:トランプ大統領が恩赦、差別的取締で有罪の元保安官
人種差別の問題で、全米が大きく揺らいでいるこの時期に、この恩赦はないだろう、と思う人は多いようだ。
事実、トランプ大統領の支持母体である共和党からは、相当の非難の声が上がっている。
それだけではなく「アメリカン・ファースト」を掲げるトランプ大統領にとって、米国の名だたる企業のトップからの支援は、必要不可欠だと思われるのだが、その企業トップからも批判が出ている。
特に、女性CEOからの発言は、トランプ大統領に対して厳しいものになっている。
日経新聞:米企業トランプに反旗 女性CEO乱を呼ぶ

おそらくトランプ大統領自身、このような批判が起きることを、ある程度予想をしていたのではないだろうか?
というよりも「予想していた」と思いたい。
というのも「白人至上主義」を謳う人達の多くは、「ホワイトワーカー」と呼ばれるトランプ大統領にとっての一番の支持層だからだ。
彼らに対して批判的な発言や行動は、即支持率低下を招く。
既に低い支持率なのに?と思われるかもしれないが、支持率が低いからこそ、彼らの支持はトランプ大統領にとって、「大統領である」という自信につながっているのでは?

彼ら「白人至上主義」の中には「ネオナチ」と呼ばれる「ナチズム」を標榜する人達もいる。
特に「ネオナチ」と呼ばれる人たちは、人種(特にユダヤ系)や性的少数者(=LGBT)に対して排除・排斥の主張をする人達が多い。
一方、トランプ大統領の娘婿でトランプ政権を支えているクシューナ氏は、ユダヤ系だ。
トランプ大統領の周辺の要職者には、ユダヤ系の人物が多いとも言われている。
トランプ大統領は、自分の強い支持母体の思想と、相反する人達を身内に抱えている、というある種の「二重構造」の中にいる、ということになる。
自分の強力な支持層にいい顔をするために、不可解な恩赦をするのもそのような事情があるのだろう。

しかし「アメリカン・ファースト」を掲げ、アメリカを経済面でも世界一にする為の最大の協力者であるアメリカの名だたる企業が、トランプ大統領に「NO!」を言い始めたのは、多くの生活者が今のトランプ大統領の「人権」に対する考えに「NO!」と言っていると知っているからだ。
もちろん、「女性CEOの乱」の当事者である女性CEOは「ガラスの天井」を呼ばれる、男性優位の社会を生き抜いてきた人たちだ。
「女性だから」という、差別を受けてきた側として当然の事だろう。
企業の場合、CEOの発言や態度によって株価が急落することがある。
株価だけではなく、商品そのものを買ってもらえなくなる場合も出てくる。
そこまでの「リスク」を負ってまで、トランプ大統領の政策についてく必要はない、と判断しているのだ。

大統領就任以来、目だった実績や政策がなされないまま、時間だけが過ぎていった感がある。
そしてバージニア州での「衝突事件」は、トランプ大統領をこれまでにない、窮地に追いやったのかもしれない。


「夏休みの宿題」に時代を感じる

2017-08-26 20:27:42 | アラカルト

随分前から、「夏休みの宿題代行」という商売がある、ということは知っている。
それが最近では、メルカリなどに出品をして「完成した宿題が売買される」ようになってきているようだ。
Huffpost:メルカリで「夏休みの宿題:数百円で買える 母親「一緒にやる時間がない」

以前から「読書感想文」は、意味がないと思っているので、そのようなサービスに飛びつきたくなるのはわかる。
「読書感想文」というと「読後感想をまとめる」と思いがちだが、その実「読書感想文」は「書評」と同じだからだ。
相当の読書家の方でも「書評をする」というのは、大変なことだ。
まして、小学生に「書評」を書かせるというのは、ハードルが高すぎるように思っている。
それだけではなく、「推薦図書=読書感想文を書かなくてはならない本」は、興味が引かれないモノが多く(今は違うのかもしれないが)、読んでいて「つまらない」と感じることが多かった。
推薦図書に選ばれた作品が、「つまらない」のではない。
理解力の問題もあっただろうし、興味が引かれない本なので、「面白い」と感じられないだけなのだ。
だからと言って「面白くありませんでした」などという、「読書感想文」は書けない。
何とか先生受けのよい「読書感想文」を書こうとしたとき、このような代行サービスを利用したくなることが、分かるのだ。

しかし、Huffpostのタイトルのように「親といっしょに宿題をする」ということに、時代なのかな~と感じたのだ。
夏休みの宿題に限らず、長期の休みの宿題というのは、休み前の学期学習の復習という目的があったような気がするのだ。
当然のことながら、宿題の多くは子供自身の力でやるものだ、と思っていた。
自由研究などは、親の力を借りることも必要なこともあるかもしれないが、通常の教科の宿題は子供が自分で取り組むものなので、親は宿題を見る必要はないのでは?という気がしたのだ。

夏休みの一番の頭痛の種となる「自由研究」にしても、最近は企業のサイトなどを見ると「自由研究の材料」となるモノを、積極的に提供している。
「研究のテーマを自分で見つけ、そのテーマに沿って資料や材料となるモノを集め、分かり易いようにまとめる」という、一連の流れは大人でもなかなか大変なことだということが分かる。
ただ、そのような一連の流れを自分で行うことで、様々な力が身に付くはずだ。

何より、親が忙しいのは、今に始まったコトではないような気がする。
私が小学生の頃は、「鍵っ子」とよばれる児童がクラスに何人かいた。
「鍵っ子」とは、学校から家に帰っても両親が仕事のために不在にしているため、自分で家の鍵を開ける児童のことだ。
「親が忙しいから子供の宿題をみてもらえない」という子供たちは、随分前からいたはずなのだ。
今とは違うのは、その当時の子どもたちは、自分で何とかしなくては宿題が片付かなかった、というだけのことだと思う。

最近の親御さんも、もう少しお子さんの力を信頼してみてはいかが?
メルカリで完成した宿題を買わなくても、お子さんたちは自分で宿題を片付ける力を持っているのでは?と、思うのだ。


小売とは何か?ということを考えさせる、ルミネ会長のインタビュー

2017-08-24 19:38:34 | ビジネス

Huffpostに、新宿ルミネの広告と会長さんのインタビューが掲載されている。
Huffpost:バーゲンで人生を無駄にしない ルミネ会長の゛理想の買い物”レベルが高すぎる
     ZOZOで服が買える時代、リアル店舗のルミネに行く意味あるの?

残念ながら、私はルミネで買い物をしたことがない。
地方出身で今現在も名古屋に住んでいる私としては、ルミネはとても遠い存在なのだ。
しかし、インタビューを受けている会長さんの言葉は、十分理解できる。
「ルミネ」という店舗ではなく、「実店舗」と読み替えれば、それは多くの小売業に共通することだからだ。

考えてみれば、百貨店で洋服を買ったのはどのくらい前だっただろう?と、思い起そうとしても、思い出せない自分がいる。
百貨店ではなく、ファストファッションの雄であるユニクロなら、1カ月ほど前にパジャマ替わりに着る予定でTシャツとイージーパンツを買った。
洋服をどこで購入したか?と言えば、ベルメゾン(千趣会)かランズエンドだった。

何故百貨店ではなく、通販で洋服を購入したのか?と言えば、今の百貨店には私が着てみたい!と思うような物がないからだ。
不思議に思うことなのだが、百貨店の売り場は大体「世代別」で構成されているように感じている。
ところが「世代別」そのものが、意味をなさなくなっているのが「今」だと思っている。
むしろ「ライフスタイル」や「ファッション志向」で、売り場構成をして欲しい、と感じている。
何より、百貨店そのものが「売り場貸し」が事業の中心になってしまっている為に、「小売り」そのものを重視しているとは思えない部分もあるように思う。

百貨店ではなく、「小売り」という切り口で考えた時、大切なことの一つは「買い物の楽しさ」ということではないだろうか?
販売をする人の豊富な知識、ファッションのトレンドなど、販売をする人が多角的な視点で「私」を見て提案をしてくれる、それが「実店舗」で購入する楽しさなのだと思う。
多くのお客様は、「私の話を聞いて、提案をしてくれる」ということを期待しているのでは、ないだろうか?
対面で一人ひとりの購入者と対話することで、見えてくる市場もあるはずなのだ。

ファストファッションでは、そのような「会話」の期待はほとんどない。
まして通販となれば、皆無と言って良いだろう。
最近では数多くの通販サイトでは「チャットで相談」というサービスを展開しているが、この「チャットで相談」こそが、実店舗で当たり前に行われてきたことなのだ。

もう一つ言うなら、通販のように欲しい物を検索すると、数多くの似たような商品がPC(やスマホ)の画面に表示される。
それだけで購入者は、混乱している場合も多いはずなのだ。
何故ならどれを見ても「同じ」ようにしか見えないからだ。
結局何を基準に選ぶのか?と言えば、「価格」と「レビュー評価」になる。
「自分の欲しい物」とは限らないのだ。
そのような「生活者の不安」を実店舗側は、積極的に取り組むことができれば「価格」や「レビュー評価」ではない、「生活者が欲しかったもの」を提案することができるのでは?

ルミネ会長の「バーゲンで人生を無駄にしない」という言葉は、センセーショナルだがその本意は小売り実店舗の当たり前のことのように思える。


牛乳石鹸のCMで感じる、本音

2017-08-23 12:23:16 | ライフスタイル

牛乳石鹸のCMが、話題になっているらしい。
Huffpost:「さ、洗い流そ。」牛乳石鹸のPR動画に困惑が止まらない・・・゛珍説"も登場

テレビCMに困惑する必要など無いと思うのだが、受け止め方によっては、随分不快と感じる方もいらっしゃるようだ。
「不快と感じる方」は、「子どもの誕生日に、部下と飲んで帰ってくるなんて信じられない!」とか「ゴミ出し程度で、家事を手伝っているみたいに思われてもね」という内容のコメントまで、様々だ。

個人的な感想は、「今時のお父さんたちの本音だろうな~」だ。
私の親世代(=昭和一桁~昭和10年代前半)は、働き盛りの頃が高度成長期だったこともあり、「仕事が一番、二番も仕事」という思考が強かったと思う。
だからと言って「家庭を顧みない」訳ではなく、家族に対する思いは強かったように思っている。
表現の仕方が、今とは違うだけだという気がしている。

おそらく主人公の父親も、似たような感覚を持った父親だったのだろう。
CMの設定年齢から考えると、主人公の父親は「団塊の世代」だと思われ、私の親世代の生き方や考え方を反面教師のようにし、比較的家族の時間を大切にしてきた世代だと考えると、「ズレ感」を覚えるのだが、「父親と遊んでもらえなかった」という、寂しい思いを子供の頃にしたことから、父親の姿を反面教師にしてきた、というストーリーは十分理解できる。
ただ、主人公である男性も父親と同じ位の年齢や会社でのポジションになってきたことで、「父親の気持ち」が分かり始めのでは?という気がしている。
だからこそ、それまで「反面教師」として見てきた父親の姿と、家族に優しく物分かりのよい父親を演じることに、疑問を持ち始めただけなのではないだろうか?

確かに「子どもの誕生日に部下といっしょに飲みに行く」というのは、✖かもしれない。
兼業主婦として、「ゴミ出し」程度で家事を手伝っていると思われるのも、不満なのもわかる。
でもそれは、女性側からの思いであって、主人公である男性の気持ちではないはずだ。
実際、CMでは主人公である男性は、不満を言ってはいない。
心の中で「思いを呟く」だけだ。
その「思い」が、私には「今の(物分かりのよいやさしい)お父さんたちの本音」のように聞こえるのだ。
「本音が言い合えない」コミュニケーション不足、ということになるのかもしれないが、もしかしたら「本音」を言わせなくさせているのは、案外女性側にもあるのでは?という気もしている。
何故なら「ケーキお願い」とか、「プレゼントも買ってきて」と仕事中にメールで連絡をしたり、「どうして、みに行くかな~」と一方的に話しをし、主人公である父親側に口を挟ませない(もしくは、口を挟ませない雰囲気を出している)のが、母親側だからだ。

CMで表現したかったことは「日常生活の中にある辛いこと・不満も、お風呂に入って(体の汚れといっしょに)洗い流しましょう」ということなだけだと思う。
それを難しくしてしまった、という点ではCMとして難があるかもしれないが、今という時代の空気感を感じさせる、という点では考えさせられるCMだと思う。



残業で生活を支えている?

2017-08-21 19:07:08 | ライフスタイル

Yahooのトピックスに、ややセンセーショナルな見出しの記事が紹介されていた。
Yahooトピックス:残業規制で所得8.5兆円減=生産性の向上が不可欠 大和総研
大和総研:第194回日本経済予測(注意:PDFファイル)の14~15頁の内容だ。

実は、日本の国民総生産=GDPは、アメリカ、中国に次いで第3位、ということはご存じの方も多いはずだ。
ところが、一人当たりになると、その順位はぐっと下がってしまう。
世界の一人当たり名目GDP 国別ランキングによると、22位になり同じアジアの国であるマカオ(4位)やシンガポール(10位)、香港(12位)よりも下位になってしまう。
国全体では、生産力は高いが労働者一人ひとりは、決してそうではない、ということなのだ。
もちろん、ドルベースで推移しているので「円高・円安」などによる影響は、少なくない。
それを割り引いてみても、「国民総生産」と「一人当たりの国民総生産」とでは、随分違っているのが現状だ。
確かに、マカオやシンガポールなどは「ものづくり」による経済というよりも、「金融中心の経済」なのだが、それにしてもこのギャップを知ると、ガッカリされる方も多いと思う。

そして今回の大和総研のレポートを見ると、もしかしたら日本人のビジネスパーソンは「残業によって生活を支えているのでは?」という、気がしてくるのだ。
もちろん、この数字の中には「サービス残業」などは、含まれてはいないと思う。
それでも8兆円を超える金額が、残業代として支払われている。
当然の事ながら、残業をしない分誰かが、その残業分の仕事をしなくてはならない。
AIなどが導入され、仕事そのものの見直しが将来的にはされるとは思うが、今の状況では「誰が残業分の仕事をするのか?」という問題をこのレポートでは、指摘をしている。
すなわち、フルタイムで働く人を増やす、ということだ。

それだけで、問題が解決するのか?というと、決してそうではないような気がしている。
上述した通り、「残業代が、生活を支えている」というビジネスパーソンが、少なからずいるのでは?ということだ。
そしてその8.5兆円が、日本の内需を支える一部となっているのでは?ということなのだ。
8.5兆円分の、仕事をする人=新たに収入を得る人が増え、可処分所得が増えるのであれば、さほど国内消費に影響はないかもしれない。
もしそうでなければ、国内消費は冷え込んでしまうのでは?という、懸念が起きる可能性はある。

基本給が全体に上がり、残業代に頼らなくても生活ができる、という人が増えることが一番であることに、変わりはない。
この残業代の金額をどうとらえるのか?
とらえ方次第で、生活者の姿が違って見えるかもしれない。




自然と遊ぶことは、贅沢なことなのかも知れない

2017-08-18 22:43:27 | ライフスタイル

昨日、実家のある米子から帰ってきた。
全国的に、雨の多いお盆休みだったようだが、拙ブログに来てくださる方はどのようなお盆休みを過ごされたのだろうか?
公務員の方や小売り、サービス業の方々にとって、「お盆休み」というよりも、個々の都合に合わせて「夏季休暇」を取得すると思われるので、「お盆休みは関係ない」という方も実は多いのかもしれない。

名古屋から米子へ帰省するとき、高速道路などの渋滞を考えJRを利用した。
帰省した米子駅で、見かけたポスターに目が留まり「なるほどな~」と思ったのが、今日のタイトルだ。


「『じゃない方』の、浦安」というキャッチコピーから、世間的な「浦安」は、千葉県にあるあの有名な「夢の国」を指している、という自虐ネタのようなキャッチコピーだ。
写真を見ても、見るからに「田舎の無人駅」という佇まいの駅舎だ。
そのポスターのキャプションには
「浦安駅(鳥取県)」は、鳥取県東伯郡琴浦町にあります。
夢のある遊園地はありませんが、自然のアトラクションがいっぱいで、たくさん遊べます。
とある(写真の撮り方が悪く、ピンボケとなってしまい申し訳ない)。

このキャプションを読んだとき、もしかしたら「自然と遊ぶ」ということそのものが、贅沢なことなのでは?という気がしたのだ。

この「浦安駅」がある、琴浦町は昨年鳥取県中部地震の震源地にほど近い。
元々、過疎が進む田舎なので大地震があったときでも、大きくニュースに取り上げられることはなかった(という印象がある)。
とはいうものの、地震によって被害が無かったわけではない。
産業の中心は、農業や漁業といった「一次産業」だ。
だからこそ、自然の豊かさを実感できる所でもある。

関西方面から、海水浴にこられる方などはご存じかも知れないが、鳥取県から島根県にかけての海水浴場となる海岸はとてもきれいな水質で、波と共に岩場に打ち上げられた魚の泳ぐ姿を観察するコトができる。
何よりこのポスターで訴求している「自然のアトラクション」というのは、遊ぶ人が遊びを考え、遊びつくすことになる。
遊園地のように、用意されたアトラクションではない、「能動的遊び方」と、言い換えられるかもしれない。

そのような「遊び方ができる場所」そのものが、今は限られているのでは?という、気がしたのだ。
言い方を変えるなら、「自然を遊ぶ」為には、都市ではなく田舎まで出かけなくては難しい、ということにもなる。
「自然と遊ぶ」為に、地方に出かけ能動的に遊ぶ・・・そのような遊び方が、今では贅沢なのかもしれない。



慰霊の月に思う

2017-08-11 11:25:59 | 徒然

8月は様々な意味で、「慰霊の月」だと思う。
一番身近なところでは、「お盆休み」ということになるだろう。
亡くなったご先祖様を家にお迎えをし、またあちらの世界へと送る・・・というお盆行事をされるお宅も多いのでは?
私もそのために、実家に帰省しお墓参りやお迎えの準備+片づけをすることになっている。

そして、お盆の中心となる15日は「終戦記念日」でもある。
昨年、昭和天皇の「玉音放送」の完全版(というべきか?)が、各メディアで公開され、反響を呼んだ。
そこで感じたことは、「昭和天皇は、東アジアを中心としたアジア諸国の自主独立と平和を目的としていたのではないか?」ということだった。
と同時に、驚くほど強い口調で原爆を投下したアメリカに対して「許される行為ではない」と、批判している。
「戦争」という選択をしたことは、決して良いことではないと思う。
だからこそ、昭和天皇をはじめ今上天皇の「慰霊の旅」が続いているのでは?という、気がしている。

何より忘れてはならないのは、「玉音放送」の中でも昭和天皇が強い怒りをもって話されている、「広島・長崎への原爆投下」だろう。
広島に原爆が投下されたことで、日本は世界で唯一「兵器による被爆国」となった。
8月6日、9日と行われる広島・長崎の平和式典。
この式典で繰り返し語られるのが、「二度と核兵器による戦争を起こしてはならない」という言葉だ。

安倍さんが首相になってから、この式典で述べられる言葉が毎年のように「話題」になる。
以前話題になったのは、前年の焼き直しという指摘だった。
そして今年は、「核兵器禁止条約を批准しなかった」にもかかわらず、「核兵器保有国と非核保有国への橋渡しになりたい」と、述べたことだった。
朝日新聞:安倍首相、核兵器禁止条約に言及せず「原爆の日」式典
もちろん、このことに対して被爆者団体などは大反発をしている。
毎日新聞:長崎原爆の日「あなたはどこの国の総理ですか」

それだけではなく、「原爆の日」を前に、オバマ大統領時代の「核軍縮政策」を阻んでいたのは「アメリカの傘の下にいる日本の存在であった」ということだ。
核情報:核軍縮に向けた日本の新政権の緊急課題
リンク先の記事は、2009年のものでオバマ大統領が「プラハ演説」をした後に書かれた内容だ。

「兵器による唯一の被爆国・日本」と「アメリカの傘の下で守られてきた戦後」という事実は、これから先の「日本と平和」を考える上で、重要なポイントとなるはずだ。
そしてそれは「慰霊の月」となる8月だからこそ、じっくり考える必要があるのかもしれない。

お知らせ:明日12日からしばらく、お盆の帰省の為拙ブログをお休みさせていただく予定です。
再開は18日ごろになります。
楽しいお盆休みを!お仕事の方も、心だけはのんびりとお過ごしください。


ネーミングは重要。「日本ファーストの会」に感じること

2017-08-08 17:31:08 | 徒然

東京都知事の小池さんが中心となって立ち上げた、「都民ファーストの会」。
先月行われた都議会選では、圧勝という結果になった。
それだけ、小池さんに対しての期待が高かったのだと思う。
小池さんに対する期待感が、「都民ファーストの会」の議員さんを当選させた、と言っても過言ではないはずだ。

その小池さんが中心となって作った「都民ファーストの会」が、国政選挙に進出するようだ。
流石に「都民ファーストの会」という名前は使わず、「日本ファーストの会」となるようだ。
朝日新聞: 「日本ファーストの会」設立 政治塾、初回講師は小池氏
この「日本ファーストの会」というネーミングに、なんとなく違和感というか嫌な感じを受けるのは、私だけだろうか?

昨年行われた、米国大統領選。
大方の予想を裏切って(?)、当選をしたのはトランプさんだった。
トランプさんの選挙の時のキャッチフレーズが「アメリカン・ファースト」だったことは、記憶に新しいところだと思う。
当選直後から、トランプさんはTwitterを使って米国に生産工場を持っている日本企業に対して「もっと、米国人を雇用しろ!」とメッセージを送ったり、「メキシコに工場を造ること」を見直しをさせたりした。
トランプさんの「アメリカン・ファースト」という言うのは、「アメリカのエゴ」のような印象を次々と与えるだけのメッセージ・キーワードのような気がしている。

そして「日本ファーストの会」という、政党団体名はそのトランプさんのエゴを思い出させてしまうのだ。
少なくとも、私にとっては「日本の都合を諸外国に押し付ける政党」のように、見えてくるのだ。
もちろん、そのような気はないと思うし、そのような感覚を持って政党名を付けているとすれば、問題だと思う。

ただ、このような「自国ファースト」の思考は、欧州でも広がりを見せている。
欧州だけではなく、世界的な流れなのかも?と、感じることも多くなってきている。
「自国ファースト」ということが、何が何でも悪いとは思わない。
たとえば、医療政策や社会保障政策などは、自国ファーストでなくてはならないし、自国ファーストであることは当然の事だ。
何故なら、政策の対象となるのが自国民だからだ。

それでも「自国ファースト」というネーミングに違和感というか、嫌な感じを受けるのは「エゴ」のようなものを感じるからだろう。
トランプさんのこれまでの行動や発言、欧州各地で起きている「自国ファースト」を叫ぶ人達の姿など、「自分さえ良ければ」という、思考と行動のように感じるからだ。

経済だけではなく、政治も「グローバル化」し、一つの国だけで問題を解決するコトができなくなってきている。
特に環境問題などは、一つの国だけで解決できる問題ではないはずだ。
しかしトランプさんは、自国の産業の為(しかも「衰退産業をテコ入れをし、復活させる」と言っている。その産業に関わる人たちが、熱狂的トランプ氏の支持者でもある)、パリ協定には参加しないと明言をし、降りてしまった。
このような「自国エゴ」を押し通すという印象が、「自国ファースト」というネーミングにはあるのだ。

「日本ファーストの会」が、そのような「自国エゴ」を押し通す為の会だとは思いたくないが、ネーミングからそのようなイメージを起こさせてしまうのは、残念に思う。