日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

文化の産業化

2021-12-30 20:15:04 | ビジネス

岸辺露伴は動かない」というNHKのドラマが、話題になっているらしい。
「らしい」というのは、拙ブログに来てくださる方ならお分かりの通り、我が家にはテレビが無いため番組そのものを見ていないからだ。
原作は、「ジョジョの奇妙な冒険」の作者・荒木飛呂彦さんだ。
どうやら荒木さん独特の世界観を持ったドラマの様なのだが、このドラマの撮影は葉山にある加地邸が使われているという。
葉山にある加地邸と言っても、分からない方の方が多いと思う。
実は私も知らなかった。
知った理由は、この「加地邸」をリノベーションした方のTwitterを偶然見たからだ。
国指定登録有形文化財:葉山加地邸

邸宅の外装の写真を見て、「フランク・ロイドライトが設計したような邸宅だな~」、というのが第一印象だった。
それもそのはず、この「加地邸」を設計したのは、ロイドライトの愛弟子・遠藤新によるものだった。
「プレーリースタイル」と呼ばれる、屋根を低くし水平にし、大地に溶け込むような設計は、旧帝国ホテルを彷彿とさせる。

しかしこれ程の建築物であっても、時代の流れには逆らえず、朽ち果てるのを待つばかりだったようだ。
そのような建築物が、リノベーションされ宿泊施設として活用されるようになるまでには、様々なコトがあったようだが、昨今の「空き家問題」の中には、このような文化的価値の高い建築も数多く含まれている。
最近話題になったのは、大佛治郎の邸宅が売りに出されていたコトだ。
週刊現代:鎌倉でひっそりと売り出された、文豪の邸宅…築90年の「驚きの値段」

大佛次郎の邸宅は、国の有形文化財に指定されていないとは言え、広い敷地に趣のある邸宅というのは、地域の文化遺産として残しておきたい、というモノだと思う。
しかし、その維持費などを捻出することができずに、取り壊されるというケースも多いのでは?と、考えている。
一度壊したものを復元する、という作業は膨大な時間とお金を要する。
壊す前に、何らかの方法を考え残していく、ということもまた重要なのでは?という気がしている。

とすれば、加地邸の様に宿泊施設にしたり、飲食店などへの貸し出し、ということも考える必要があるのではないだろうか?
このような問題は、何も都市部に限ったことではなく、むしろ地方の方が「国の有形文化財」に指定されたため、取り壊すこともできず、ただただ老朽化→朽ち果てていくのを待つだけ、という建築物があるのではないだろうか?
建築物に限ったことではないのだが、「コロナ禍」の中、音楽や演劇などの文化的な活動が制限されていく中で、「文化を産業化」する必要があるのでは?という気がしている。

「文化の産業化」というと、「文化を金儲けの手段にするのか?」と怒られる方もいらっしゃるのは重々承知だが、「文化」そのものを維持するということは、とてもお金がかかることであり、また脆弱なモノでもあると、「コロナ禍」で感じたことでもあった。
加地邸のような場所で、コンサートを開催する。
大佛次郎邸で美術展や朗読会のようなものをお茶会と共に楽しむ等、文化財という資源と文化を組み合わせ、産業化の第一歩を踏み出すことで、両方にメリットがあるような方法を考える時期に来ているのではないだろうか?



三権分立は一体どこへ

2021-12-28 20:45:44 | 徒然

今日、お昼のニュースで大きく報じられたのは、安倍元首相の「桜を見る会前夜祭」での公職選挙法違反などに対する不起訴決定だった。
日経新聞:「桜」で安倍氏の捜査終結 検察捜査と市民感覚に温度差

今日の不起訴決定の約1週間前には、元秘書の不起訴が決定している。
時事通信:「桜」夕食会、元公設秘書ら不起訴 検審議決で再捜査ー東京地検

これで、安倍さんとその秘書の方々は法的には「無罪放免」、ということになった。
ただ一連のニュースを見ている有権者は、果たしてどう思い・考えているのだろう?

安倍さんが首相をされていた頃、官邸主導で検察トップを任命しようとしたコトがあった。
任命される予定だった方は、思わぬスキャンダルで任命されることは無くなってしまったのだが、そもそも官邸主導で検察トップを任命する、ということ自体おかしな話ではある。

何故なら、日本の民主主義の基本である「三権分立」を犯すことなるからだ。
あくまでも「司法」は、政治と結びつくような関係を持ってはいけないはずなのだ。
その基本ルールを安倍さんは、自ら破るようなことをしたのだった。
これまでの安倍さんの発言の中には、「は?」と驚くような暴言も少なくない。
個人的に一番驚いたのは、「森羅万象を担当している」という発言だった。
この発言は、ある意味数々の放言・暴言を繰り返してきた、オリンピック組織委員長をされていた森喜朗元首相よりも衝撃的な発言だった。
何故なら「森羅万象を司る=神」と捉えられるような発言だったからだ。

その様に考えると、安倍さんにとって「三権分立」などは、取るに足らないコトなのだろう。
検察トップ任命も「森羅万象を担当」する安倍さんなら、当然のことだったのかもしれないし、今回の不起訴も当たり前なのかもしれない。

ただ、このような感覚の持ち主が、政治家として「国会で国の政策を決める」ことに、不安を感じている。
何故なら安倍さんは「森羅万象を担当」しているのかもしれないが、日本は民主主義の国であり三権分立によって成り立っている国だからだ。
少なくとも、日本と同盟国として名前の挙がる国々は、民主主義の国であり政治は国民の安全や生活を豊かにするための政策を議論することを当然としている。
基本的な考えが大きく違うと、どんな場所であっても日本という国が信用されなくなってしまうのでは?
今日の「不起訴」のニュースを見て、思わずそんなコトを考えたのだった。



経口薬の登場で、「新型コロナ」対策は変わるのか?

2021-12-26 21:57:09 | アラカルト

先日、「新型コロナウイルス」に対する経口薬が承認された、というニュースがあった。
毎日新聞:厚労省、コロナ飲み薬初承認 軽症、中等症むけモルヌピラビル

「新型コロナウイルス」と言っても、昨年の今頃はこれ程までに「変異株」が登場するとは思っていなかった。
ところが今年に入り、変異株が次々と登場し、その度に「感染拡大」の懸念と、春頃から始まった「ワクチン接種」との競争のような感じになってきたように思う。
「周回遅れ」と言われていた、日本のワクチン接種率も秋ごろには、接種対象とはなっていなかった子どもを除けば、70%以上を越す程になっていた。
そのような状況を踏まえ、これまで制限をされていた有観客でのスポーツ観戦やライブが、制限がなくなり少しづつ「新型コロナ」以前の観客動員が見込まれるまでになってきた。

その矢先に現れたのが「オミクロン株」だった。
この「オミクロン株」については、不明な点がまだ多いのだが、感染力が強いということの他に、同時多発的に世界で発生している、という点がこれまでの変異株と大きく違うところなのでは?と考えている。
朝日新聞:愛知でオミクロン株の市中感染を初確認。海外渡航歴なし

そのような状況の中での経口薬の登場は、「新型コロナウイルス」対策の、転換も意味しているのでは?と、考えている。
「オミクロン株」について、現在判明している点は
・感染力は強いが、重症化している患者は少ないようだ(推測)
・これまでの変異株とは違い、小学生などの子どもにも感染をする
などがあげられるだろう。
だから、これまでの変異株より重症化しない弱毒性の変異株などという気はないが、医療体制そのものを転換する必要があるのでは?ということなのだ。

たとえば、小学生などの子どもが感染をしている、という事実から総合病院の「小児科」や「小児診療所」にも、経口薬が届くようにしなくてはならない。
同時に、「感染症病棟」の中にも「小児病棟」を含める必要があるだろう。
場合によっては、一般病棟を減らしてでも「小児病棟」を設ける必要があるかもしれない。
何より、軽症~中等程度の患者に対して効果がある薬であれば、陽性者ではなく「軽症~中程度の患者を見つけるのか?」ということが、重要になってくる。

一番手っ取り早い方法は、今までのような「保健所経由の対応」ではなく、市中の診療所や医院(一般的には「〇〇クリニック」と呼ばれている)で、PCR検査を気軽に受けられるような体制にする必要がある。
イメージとしては、「インフルエンザ」のような体制だ。
「インフルエンザ」のような体制になれば、「チョッと風邪っぽい」という状態で、かかりつけ医のところへ行き、検査を受けることができるだけではなく、患者さん一人ひとりの過去の病歴を含め対応と経過を見ることができるのではないだろうか?

そのようなデータが集まり、分析と統計によって新たな対策をたてることもできるはずだ。
むしろこのような「データの集約・分析・統計」などがキチンと(←ここ重要)されることで、新しい対策を打ち出しやすくなるのではないだろうか?






「東急ハンズ」というブランド力

2021-12-23 20:30:54 | マーケティング

昨夜、「東急ハンズ」が、ホームセンターのカインズに買収される、というニュースが飛び込んできた。
讀賣新聞:東急ハンズ、カインズ傘下に…将来は名称も変更へ

このニュースを聞いた時、それほどまでに東急ハンズは経営的に厳しかったのか?と、意外な気がしたのだ。
記事にあるように、インターネット通販などで商品を購入する人達が増え、「コロナ禍」が追い打ちをかけた、という説明には納得できる部分はあるのだが、それは「東急ハンズ」に限った事ではないのでは?

その一方で「コロナ禍」によって業績が伸びた業種の一つが、ホームセンターだと言われている。
外出できない事で、DIYなどへの関心が高まり、様々な工具や材料を扱っているて、比較的安価なホームセンターで、買い物をする人が増えた、ということのようだ。
しかも今のホームセンターで扱っている商品は、プロ仕様のものもあるというのが、魅力ということなのだろう。
その視点で考えれば、「東急ハンズ」で扱っている商品とホームセンターで扱っている商品の一部は、重なるということになる。

ただ気になっているのは「東急ハンズ」という、ブランド力だ。
記事によると、将来的には名称変更も検討している、ということのようだが、それはこれまで「東急ハンズ」が創り上げてきたブランド力を捨ててしまう、ということにもなる。
新しい名前で事業を始めたとしても、多くのユーザーは「元東急ハンズ」ということを忘れてはいないだろうし、むしろ「東急ハンズ」という名前が持っていたブランド力が失われる事を、残念に思う人の方が多いのではないだろうか?

ホームセンターと「東急ハンズ」で扱う商品の一部が重複する、という点では、ホームセンターとしての「元東急ハンズ」は、アリだと思う。
しかし「東急ハンズ」は、商品を売っていたというよりも「売り場の空気感」や「東急ハンズに行くワクワク感」のようなモノを売っていたのではないだろうか?
それは文房具でいえば、ボールペンだけでも相当数の品ぞろえをし、その中から自分が書きやすい1本を見つける、というような「冒険」のような感覚があった。
しかも、新商品が数多く並べられるだけではなく、スタッフさん自身が「クラフト心」を持っている人たちが多かったので、「つくりたい気持ち」を後押ししてくれるアドバイスがあった、ということも「東急ハンズ」の魅力でもあったのではないだろうか?
「東急ハンズ」のブランド力を高めていたのは、そのようなモノ・コトだったような気がしている。

カインズ側が、「都市型のホームセンター」という考えを持っているとすれば、それは単なる買収劇で終わってしまうのではないだろうか?
生活者の多くが「東急ハンズ」に感じていた、ブランド力を十分理解し名称変更を検討しなくては、残念な結果を招くような気がするのだ。


日本の半導体 企業が壊滅的なのに、世界では半導体不足

2021-12-22 12:05:48 | ビジネス

ここ数カ月、世界的な半導体不足で自動車の生産が遅れたりしている、というニュースを聞くことが多くなった。
この半導体不足は、意外なところにも飛び火しているようだ。
朝日新聞:クリスマスなのにゲーム機が買えない 要因は半導体不足、転売も横行

今週末のクリスマスに、ゲーム機のプレゼントをサンタさんにお願いしている子どもたちも多いのだろう。
そのサンタさんでも、ゲーム機を手に入れる事ができない状況になっているようだ。
要因が「半導体不足」ということらしい。
確かに今のゲーム機は、チョッとしたコンピューター的要素を持っている。
ゲーム機を起動させるためには、半導体そのものが無ければ、できないであろう、ということは、ゲーム機を知らない私であっても、なんとなく想像がつく。
ゲーム機のみならず、今の電化された生活では、半導体そのものが無ければ使うことができなくなる、ということも分かる気がする。

「世界的半導体不足」というのであれば、日本の半導体メーカーが積極的に生産すれば、大きなビジネスチャンスになるはぞだが、何故か日本の半導体メーカーが増産している、という話を聞くことがないような気がしている。
それどころか、「日の丸半導体」の経営不振の話を聞くことの方が多いように思える。
日経新聞:日の丸半導体「あと8年」か

有料会員記事なので全文を読むことができないのだが、この記事の元となっているのは経産省が今年6月に発表した「半導体戦略(概略)」だ。
経済産業省:半導体戦略(概略) (注意:PDFファイル)

確かにこの資料の7ページの「日の丸半導体」の推移を見ていると、数年先には「日の丸半導体が、世界市場から消えそう」な勢いだ。
もちろん、この間日本政府も産業界も、放置してきたわけではない。
「日の丸半導体」に対しては、それ相当の資金投入をしてきているはずだ。
にもかかわらず、何故対応できていないのか?という点が、問題なのだ。
日本企業が、海外へ生産拠点を移した事も、影響しているかもしれない。

ただ、生産拠点の海外移転よりも大きな問題は、「半導体」というモノに対する考え方なのでは?という気がしている。
「半導体=デジタルにおける米のような存在」だと分かっているにもかかわらず、日本の「米政策」同様に方向違いな考えをしてきたのでは?ということなのだ。
それを指摘している資料が、やはり経産省が公開している資料の中にある。
経済産業省:半導体・デジタル産業戦略(概要) (注意:pdfファイル)

「半導体」というモノを「半導体」という物質で見ている限り、日本の半導体産業は消滅の一途をたどっていく可能性が高いと思う。
「半導体を使ってどんな社会が描けるのか?」という発想が、「日の丸半導体」の中に生まれてくれば、また違うことが起きるのではないだろうか?
ただ今は、クリスマスには間に合わなくても、転売などではなく正価でサンタさんたちが購入し、「ゲーム機」が子どもたちに届くことを願っている。
その時使われている半導体が、日の丸半導体であれば、なお喜ばしい事だと思う。

 


企業以外にも求められる「説明責任」

2021-12-21 20:32:15 | ビジネス

毎日新聞のWebサイトを見ていたら、「企業よりも自治体や国の方が、説明責任が求められるようになってきているのだな~」と、感じる記事があった。
毎日新聞:検証・ふるさと納税で問われる使い道「奇跡の町」から学べることとは

「ふるさと納税」については、先日にも話題があった。
Sankei Biz:「ふるさと納税で稼いでもらっちゃ困る」地方自治体の自立を妨げる”霞が関の罪深さ”

ネットサイトを見ていても、様々なECサイトが「ふるさと納税サイト」を立ち上げ、返礼品のリストを公開している。
その自治体内で生産され、市場の人気がある商品が「ふるさと納税返礼品」となっている場合が多いようだ。
一昨年だったか?返礼品として適切ではない、として、大阪の泉佐野市をはじめとする3市町村は「ふるさと納税」を募集している自治体から外されたということもあった。
最終的には、最高裁で泉佐野市の訴えを認めるという結果になったが、この時問題となったのは「ふるさと=該当自治体との関連性の有無」という点だったように、記憶している。
Diamond on-line:ふるさと納税、「国vs泉佐野市」の最高裁判所でも残った根源問題

とはいえ「ふるさと納税返礼品サイト」では、納付額に対して返礼品がどのようなモノなのか?という点に注目されたコンテンツになっているし、ネット上では「お得な返礼品情報=納付額よりもリターンが多いと感じる返礼品」などの紹介サイトが目に付く。
数多くの返礼品の中から「ふるさと納税」に選んでもらうためには、地場産業などとは関係が無くても、納税してくれる人が魅力的であると感じられる返礼品を用意する必要がある、ということを、泉佐野市などは示していたのだと思う。

そのような「納付額に対してどれだけリターンが多いの?」という価値観から、納税者の意識が変わりつつある、というのが、毎日新聞の記事なのだ。
記事を読んでいくと、いくつかのポイントがある事に気が付く。
その中でも「納付された税金の使い方」について、報告をしている、という自治体に納付額が増えている、という点は上述した「納付額に対する高リターン」への期待ではなく、「ふるさと納税」が始まった頃の「ふるさとを支援したい」という気持ちの人たちが、増え始めているのでは?と、感じさせる。

「ふるさと納税」をする人達の動機は、様々だ。
例えば、熊本で大地震が起きた時、被害が大きかった自治体に対して「返礼品不要」の「ふるさと納税」が増えたという。
このような、突発的な財政困窮状態に対して「ふるさと納税」という方法で、支援してもらえることは、自治体にとっては大きなメリットだっただろう。
それから、より社会が求めているのは「税金の使い方」について、興味が移り始めているようだ。
考えてみると、このような「税金の使い方=透明性と説明」が明快にされる事で、「自分のお金がどのように使われたのか?」という納得が重要であり、使われ方が公正であれば継続して納税しても良い、と考える人たちが増えてきているのは当然だろう。

それは「ふるさと納税」に限ったことではなく、国の税金の使い方もまた「透明性と公正さ」が求められるようになってきている、ということでもあると思う。
毎年のように会計検査院から発表される「税金の無駄遣い」に対して、どの省庁からも説明を聞いた記憶がない。
それは国民と政治の信頼関係を、政治側が持ちたくない!と表明しているように思える。
そのコトに、霞が関とその中心にいるはずの国会議員たちは、気づいているだろうか?


百貨店は、何処へ向かっていくのだろう?

2021-12-17 22:00:32 | ビジネス

定期的にチェックをする、WWDJapanに「百貨店の主役の座を明け渡すアパレル」という内容の記事があった。
WWDJapan:百貨店、「アパレル」が主役の座を明け渡す 売り場再編へ

会員向け記事なので、全文を紹介することができないのだが、掲載記事の途中までを読んでみても、今の百貨店の姿のようなモノを感じる事ができる。
ただそれは、都市部の百貨店のことであり、地方の百貨店は随分前から経営不振に陥っている。
昨年から今年にかけ、地方にある老舗百貨店の閉店というニュースを、何度も聞いた気がする。
都市部であっても、バブル期に造られた百貨店の店舗の閉店というニュースは、あったように思う。

確かに「コロナ禍」の影響は大きかったと思う。
それまで当たり前のようにできた、買い物そのものが制限をされるようになったのだ。
生鮮食料品を扱う、スーパーマーケットであれば、買い物の頻度は減ったかもしれないが、生活をするための買い物という明確な「目的」があった。

それに対し、所謂デパ地下と呼ばれるフロアー以外で扱っている商品は、急を要するモノではなかった。
出かける頻度が極端になくなれば、着る服装もカジュアルになっただろうし、リモートワークということでパジャマとは言わないが、上下ジャージで仕事をしても、誰も文句を言うことは無かった。
このような状況になると「買い物欲」そのものが、減ってしまうのでは?
少なくとも、私の場合は「服を買う」ということに対しての、興味は半減したように思う。
その中でも百貨店の売上の中心となっていた婦人服売り場は、ファストファッションの台頭と重なり、随分前から売上が伸び悩んでいたのでは?と、想像することができる。

とすれば、このWWDJapanの記事にあるように、百貨店の売り場の編成をし直す、というのは当然だろう。
より生活者が求める商品分野の売り場を拡大し、「緊急事態宣言」解除後、売り上げが伸びていない売り場は縮小されるのは、当然だろうし、そのような売り場の再編が無くては、より厳しい経営状況になっていくだろう、と予想ができる。
問題は、縮小された売り場の代わりとなるモノが、何か?という点だろう。

高級宝飾品売り場の充実を図る事ができるのは、大都市圏に限られているはずだ。
「コロナ禍」の前から、地方経済の落ち込みがあり、それに追い打ちをかけたのが「コロナ禍」だったからだ。
地方の百貨店の苦難はまだまだ続くだろうし、地方の百貨店が元気になった時、初めて「バブル経済崩壊から脱却できた」ということになるような気がしている。







海外から見ると「着物」は、コスプレ衣装なのか?

2021-12-16 19:29:47 | アラカルト

3日程前のHuffpostに「海外から見ると、こんな風に見えるのか?」と、頭を抱えそうになる記事があった。
Huffpost:ミス・ユニバース日本代表の”伝統衣装”に批判続出「せめて左前はやめて欲しかった」

問題の衣装は、ミス・ユニバースの世界大会で日本代表となった渡辺珠理さんが着た、「ナショナル・コスチューム」だった。
この衣装のデザインをしたのは、開催国であるイスラエルのデザイナー。
日本人がデザインをしていない事を考えれば、「このようなデザインもやむなし」という気がしてはくるのだが、何故「伝統衣装」という部門での衣装を、代表者の母国のデザイナーにさせなかったのか?という、疑問は残る。

日本の「着物」については、3年ほど前に米国のキム・カーダシアンが自分の下着ブランドを立ち気た時「KIMONO」という名前を付け、日本から大ヒンシュクをかった。
確かに、美しく緻密に織り上げられたり、繊細な染色が施された「着物」と、キム・カーダシアンの「下着」とでは、全く違うモノであり、日本人として「文化を傷つけられた」という気持ちになったのは当然だろう。
彼女の目的は「炎上商法」であり、世間から例え批難を浴びても注目されることで「宣伝」となった。
それは「膨大な広告宣伝費」を出すことなく、成功したということになるだろう(その後、キム・カーダシアンの下着がどれほど売れたのかは、不明だが)。

キム・カーダシアンのような「炎上商法」目的ではないにせよ、どうやら海外から「着物」や着物を着ている芸舞妓さん達のことを、海外の人たちの中には「コスプレ」と思い込んでいるような気がする時がある。
今回のミス・ユニバースのデザイナーはもちろんだが、京都の祇園界隈で芸舞妓さん達の写真を撮る人達を見るたびに、「プロのコスプレイヤー」だと思っているのでは?という場面に、何度か遭遇した事があるからだ。

今回のミス・ユニバースの日本代表の衣装をデザインしたイスラエルのデザイナーは、「着物」という衣装文化ではなく、日本発のアニメに登場するヒロインをイメージしているのでは?という気がしたのだ。
それは「プリキュア」であったり「セーラームーン」であったり、ということになると思う。
デザイナー自身が「プリキュア」や「セーラームーン」を日本の女性のイメージの一つとして、とらえているのだとしたら、この不可思議な衣装も納得がいく(気がする)。
見方を変えると、それほどまでに日本のアニメは世界で親しまれ、日本のイメージを作っている、ということになるだろう。

しかし、「伝統衣装」という部門であれば、やはりアニメのイメージで作られても困ってしまう。
説明するまでもなく「アニメのイメージ」は、「伝統衣装」ではないからだ。
とても残念な事だが、何時の頃からか世界的な「ミスコン」で着られる衣装が、突飛なモノになってきた気がしている。
特に日本の「着物」などについては、「主催者側はコスプレ衣装だと思っているのか?」と、感じる事が度々ある。
そしてそのような写真を見るたびに、日本は自国の伝統文化の発信力が弱いのだろうか?と、考えてしまうのだ。
政府肝いりの「クールジャパン」は、少なくとも「伝統衣装=着物」については、成功していないように思うのだ。





「給付金クーポン」という発想は、誰のアイディアだったのだろう?

2021-12-15 17:31:51 | アラカルト

18歳以下の子どものいる世帯に対する「10万円給付」については、当初「5万円現金、残り5万円分クーポン」という話だった。
この当初の給付内容が発表されると、給付対象の子育て世帯だけではなく、自治体の首長たちからも「10万円の現金給付」の希望が相次いだ。
そして、岸田さんはブレながらも「10万円の現金給付については、各自治体に任せる」という趣旨の話をし始めた。
朝日新聞: 「現金で全額給付OK」首相、突然の方針転換、元々の目的はどこへ

有料会員向けの記事なので全文を読む事はできないにせよ、「クーポン券」の発表直後から相次いだ、「全額現金」を希望する自治体の首長さん達の意見をそのまま反映させた、というカタチで決着がつきそうだ。
決着するのは良いし、「現金+クーポン券、現金一括10万円、現金5万円✖2(分割給付)」と、3パターンで選べるという話もあり、給付を受ける側としては「給付金の受け取り方」の選択幅ができたことは、良かったのかもしれない。

ところでこの「18歳以下の子どものいる世帯10万円給付」の目的は、何だったのだろう?
「コロナ禍」により、経済状態が厳しくなっている世帯に対する、子どもたちへの支援、だったと思うのだが「10万円給付」という金額と給付方法にばかりが話題になり、本来の目的そのものが薄らいでいるような気がする。

そのような「目的」が薄らいでいた時に出てきたのが「クーポン券」という、給付方法が出てきたような印象を持っている。
「クーポン券で給付する」理由は、昨年の給付金のほとんどが貯蓄になってしまい、消費活動に反映されなかったため、ということだが、昨年給付金が支給された時の社会状況は、「旅行・外食」などその後のGo Toキャンペーンの対象となる行動がとれるような時期ではなかった。
様々な生活の制約がある中で、生活不安が日々強くなっている時の「給付金」は、ありがたかった半面「使い方」に躊躇していた時期でもあったはずだ。

当時と現在の社会状況は大きく違う、ということを考えると「現金支給で貯蓄に回るのであれば、消費活動を促すクーポン券」と考えるのは、安易な気がする。
何より、クーポン券印刷の為に、600億ともいわれる費用が発生する、というのでは「給付対象外」の世帯にとっては「税金の無駄遣い」という気持ちが強くなって当然だろう。
と同時に、「クーポン券を使った分だけ、貯蓄に回るのではないか?」という指摘されるようになった。

「クーポン券」という給付方法によって、今回の「18歳以下の子どもがいる世帯に対する10万円給付」の目的は、当初の目的から大きく外れ始めたような気がするのだ。
「生活者にお金を与える事で、消費活動を活発にし、経済を回す」という目的だったのか?
それとも「生活困窮家庭の子ども支援」だったのか?
という「目的」そのものが、あやふやになっているということを、示したような気がしている。

「18歳以下の子どもがいる世帯への10万円給付」の目的が、明快であれば「クーポン券」で消費を促すという発想は出てこないと思うのだ。
このアイディアを出した人は、生活者を見ているのだろうか?と、疑問に感じている。



「統計学」で重要なことは何だろう?

2021-12-12 20:54:53 | マーケティング

朝日新聞のWEBサイトを見ていたら、「大人の学び」として「統計学」が注目されている、という趣旨の記事があった。
朝日新聞:いま熱い、大人が学ぶ「統計塾」データ分析は「ビジネスに必須」

マーケティングでは「市場調査」は、必須だ。
必須なのに、なぜかそのデータを読むということに関しては、余り注目されてこなかったような気がしている。
「市場調査」よりも、その「調査データ」から何を読み解くのか?ということの方が、重要であるにも関わらず「調査」で満足してしまっている事の方が多いような気がする時がある。

拙ブログで、過去何度か書いてきているのだが「数字は嘘をつく」ことがある。
正しく言うと「数字が嘘をついているのではなく、調査の目的が明確ではない調査データは、あてにならない」ということが多い。
しかも複数の数字が重なったデータを、あたかも「正しいデータ」として公表された時、多くの人は「正しい」と認識してしまう。
それが問題な訳ではない。
公表した側の意図を理解した上で、そのデータを見なくては公表した側の「思う壺」、ということなのだ。

記事で示されている「肺がんと喫煙」というデータ。
以前から「喫煙と肺がんの関連性」は、多々指摘されてきた。
しかし、この図から読み取れるのは「肺がんと喫煙の関係性は認められない」という、印象を与える。
とはいうものの「喫煙と肺がんの関連性」は、指摘されてきているし、実際科学的根拠もある。
とすれば、「このデータは、どのように見れば良いのだろう?」ということになる。

例えば、人間ドッグで早期の肺がんが見つかる人が増えれば、「肺がん患者は増える」ということになる。
その中でも特に「喫煙者が肺がん検査を受ける人達が増えている」ということになれば、「喫煙者の全体の数は減ってはいるが、早期の肺がんが見つかる人が多い」と読み取る事ができる。
他にも「喫煙歴がない肺がん患者」というデータと組み合わせると、「喫煙と肺がん」という関連性以外の要素が加わると、それまでとは違う「肺がん患者のデータ」が加わっている、ということになる。

「統計」で重要なことの一つが、複数のデータが組み合わさってつくられた調査結果であれば、調査内容そのものを把握する、ということが必要になってくる。
何より「その調査は、何を目的として実施されたのか?」という、調査目的を把握せずに「数字だけを見る」と、「数字が嘘をついている」ということになってしまうのだ。

数学的な「統計分析」となると、学生時代「数学が苦手だったから」と、尻込みする方も多くいるはずだ。
ビジネスで使う「統計」とは、その数字そのものではなく、「その数字の意味することは何か?」ということを理解するところから始まる。
今時、電卓片手に「統計数字」を出すよりも、コンピューターに数字を打ち込んで、平均値や解析をしてもらう方が早くて、正確だろう(入力ミスさえなければだが)。

そのために何が必要なのか?と言えば、その調査は一体何を目的としてされたモノなのか?ということ。
調査対象や調査項目など、データの背景となっている事柄を知り・理解することだ。
と同時に、瞬間的な数字ではなく「推移していく数字」に注目することで、同じ理由で調査された内容であれば、様々な情報を読み解く側にヒントを与えてくれるはずだ。