毎日新聞のサイトを見ていたら「風力発電機市場」で、日本勢は“不在”という状態にあるらしい。
毎日新聞:風力発電機市場 日本勢は“不在” 発電機の大型化競争で欧米に取り残され
都市部で生活をしていると、「風力発電機」そのものをほとんど見ることが無いのでは?という気がしている。
それが私の実家がある鳥取、島根に行くと、海岸沿いにいくつもの「風力発電機」を見ることができる。
そのいくつかは、風が吹いてもピクリとも動かないのだ。
おそらく、同じような光景は日本の「田舎の海岸」で見ることができるのでは?という、気がしている。
「風力発電」が脚光を浴びて、しばらく経つと様々な問題が発覚した。
一つは発電機の羽が起こす「低周波音や騒音」による健康被害だ。
もう一つは、何等かの故障が起きても修理などの対応ができないまま、放置されるという問題だ。
実際、沿岸部に設置された「風力発電機」の羽が落ち、そのままになっているという光景も見たことがある。
一説によると、日本の海風は欧州でつくられた「風力発電機」には、強すぎるらしい。
「風力発電機」の羽が受け切れず故障してしまい、撤去費用などの問題もありそのまま放置されてしまっている、ということのようだ。
そう考えると、欧米の「風力発電機」は日本の風土には合わないのかもしれない。
だからこそ、日本には日本の風土に似合った「風力発電機」が必要だろうし、「自然エネルギー」が必要ということになる。
逆に、日本のような周囲を海に囲まれた国々についても、同じようなことが言えるのではないだろうか?
インドネシアのように小さな島が点在する国では、欧米型の「風力発電機」は向かない可能性もあるのでは?
「自然エネルギー」の市場は、確かにグローバルな市場だといえる。
ドイツのように、原発を廃炉し将来的には自然エネルギー主体に切り替える、という国も今後出てくる可能性もある。
だからこそ、「国際競争力が必要」ということになるのだと思うのだが、「自然エネルギー」という名の通り、地形や風土などその土地や生活、文化などを十分加味したモノでなくては意味が無い、というのも事実だろう。
「『自然エネルギー』のグローバルスタンダードは、一つではない」という視点があれば、そのビジネスチャンスも違ってくるのではないだろうか?
昨日、乳がんの経過検診を受ける為に病院に行ってきた。
経過検診も9年目となり、この9年間で「がん」という病気そのものに対する治療の進化だけではなく、社会的変化も感じるようになった。
診察室の前の待合所に置いてあるテレビでは国会中継が映っており、丁度ある議員さんが「がん対策基本法」について、質問をしていたからだった。
この「がん対策基本法」があることで、日本のがん患者さんは「がん拠点病院」に指定されている病院であれば、「標準治療」と呼ばれる化学的根拠が確認され、適切な治療を「保険適用内」で受けられる。
もちろん「皆保険制度」があってのことだが、がんに限らず安心して「病気治療が受けられる」というメリットは、とても高い。
その中でも「がん」という病気の場合、この「がん対策基本法」という法律によって、治療以外についても様々な法的制度が拡充されている。
偶然私が見た国会中継では「がんと就労」と「がんゲノム医療」を取り上げていた。
私が手術を受けた9年前は「がんと就労」というテーマは、考えられないテーマだった。
今でも「がんになったら仕事を辞め、治療に専念すべき」と考える方は多いと思うのだが、化学療法(=抗がん剤など薬剤による治療)については、短期入院治療から通院治療へと変わりつつある。
仕事を辞めなくても、治療に専念することができるようになってきているのだ。
だからこそ、今問題となっているのが「がん患者の就労」ということになる。
ただ、自治体の多くは既にこの「がんと就労」について、既に様々な施策を取り始めているのでは?という、気がしている。
問題となるのはむしろ「傷病手当」などの制度を活用できるだけのお金がない中小企業に対して、国としてどのような対策をとるのか?という点だろう。
ただ、このような「病気治療と経済的サポート」という問題は、「がん」という病気に限ったコトではなく、治療法が分かりつつある病気の患者さんへの法的施策なのでは?という気がしている。
あくまでも「がん」という病気は、患者数が多いため「病気と就労」という問題の象徴となっているのでは?という、気がしたのだ。
そしてもう一つの「がんゲノム医療」についても、「がん」という病気が「ゲノム解析」がされるようになったことで、クローズアップされ、「遺伝子変異による病気」のフロントランナーとなっているのでは?と、感じている。
というのも、がんの場合ご存じの通り患者数も多く、「ゲノムデータ」を得やすいからだ。
「がんゲノムデータ」を集める為に、「がん登録」という制度も「がん対策基本法」の中で制定されており、多くの患者さんの「遺伝子変異となるゲノムデータ」を集めやすい環境になりつつある。
ここで問題になるのは「ゲノム解析」が、短時間に安価でできるようになり、多くの人が気軽に「自分のゲノム解析」を自由にできるようになった時、これまでとは違う社会的問題に直面する、ということだろう。
例えば、遺伝型の難病リスクが分かった場合、ゲノム解析を依頼した人にどのように・どこまで伝えるのか?という問題が起きてくる。
「ゲノム解析」には、自分の知りたくない情報も知る可能性があるのだ。
「妊娠中の遺伝子検査」により、障害児である可能性が多い場合、親としてどのような判断をするのか?という、検査を受ける側にもそれなりの知識や覚悟というモノも「ゲノム解析」には、必要になる。
「がんゲノム医療」には、そのようなリスクを医療者と患者・患者家族とどうむきあうのか?という問題が既にあり、その意味でも「がん」という病気は、問題解決のフロントランナーともいえるのだ。
あくまでも個人的な意見として、「ゲノム」については中学生~高校生の間で「生物」などの授業とは別に、「総合科目」的扱いとして教育をする必要があるのでは?と考えている。
何故なら「ゲノム解析」によってもたらされる情報は、究極の個人情報であり、その情報管理と社会的差別の対象とならないようにする必要があるからだ。
セブンイレブンの本部とFC店との間で、営業時間について対立をしている、という報道があった。
Huffpost:セブンイレブン「24時間営業限界」 FC店と本部対立
今の人手不足という状況の中で、学生アルバイトを雇うにしてもなかなか難しい、というのはFCのオーナーが言う通りだろう。
それに最近では「バイトテロ」と呼ばれる、アルバイトの不適切な動画をSNSによって拡散、最悪の場合は相当の被害を被り、閉店に追い込まれるようなこともあり得る。
そのようなリスクを抱えながら、24時間営業の為に無理にアルバイトを雇う必要があるのだろうか?という、疑問が無いわけではない。
もちろん、セブンイレブン本部側としては、営業をしていれば何らかの売り上げがありるだろうから、「売上」から決まった%のフランチャイザー料を支払ってもらうことを期待しているのだろう。
FC店の光熱費や人件費などは売上とは関係が無いので、セブンイレブン側にとっては営業時間が長ければ、何等かの売り上げがあるという目算があるため、FC店の現実と大きく乖離した「24時間営業」を強要するのでは?という気がしている。
確かに24時間営業していれば、便利(=コンビニエント)だという気がする。
しかし、その便利さの為にFC店の経営者やアルバイトだけではなく、実はもっと多くの人たちに様々な「無理」を強いているのでは?という気もするのだ。
例えば、コンビニなどで問題になる「食品の廃棄」。
お弁当やサンドウィッチ、総菜パンなどは消費期限が決まっており、期限が過ぎた商品は廃棄となってしまう。
廃棄する為の手間も大変だろうし、その分の廃棄費用も必要になる。
廃棄する商品があれば、当然仕入れられる商品もある。
コンビニオリジナルの「焼きたて」を謳うパンなどは、仕入れ時間に合わせて製パン工場で焼かれ、配送される。
実は、コンビニの24時間営業には、このような商品を提供する側、商品を配送する側にも24時間対応を強いている、ということにもなっているはずなのだ。
おそらく、コンビニ本部側は仕入先の人たちに「無理を強いている」という感覚は、無いと思う。
むしろ「そのような契約をしているのだから、契約履行は当たり前」程度に思っているのでは?
確かに「契約」としては、問題が無いと思う。
思うのだが、どこかで「膨大なロスを発生させている」という感覚もある。
何故なら、東京の繁華街であれば24時間営業の意味はあっても、地方都市の住宅地にあるコンビニに、24時間営業である必要はあまり感じられないからだ。
我が家から最寄りの地下鉄の駅周辺には、コンビニ各社のFC店がある。
地下鉄の駅近くということもあり、終電までは利用する人も少なくないはずだが、終電後はどれほどの人たちがこれらのコンビニを利用しているのだろう?
ということは、「コンビニ営業にかかる光熱費だけではなく、食品廃棄の為の人件費と費用、新に仕入れる食品を製造・配送の為の費用と人件費」など、様々なロスが発生しているように思えるのだ。
コンビニ本部が、本気で24時間営業をFC店にさせたい、と思うのであれば、全国的な立地環境のデータを基にした話をFC店オーナー側に示す必要があると思うのだ。
それは単に「時間別売上データ」というだけではなく、実際に廃棄される食品の量とそのための費用、食品の仕入れに関する取引先へのヒヤリングなど、総合的なデータが必要なはずだ。
「食品廃棄」などに関するデータは、「食品ロス対策」という意味でも必要なデータとなっているはずだ。
そのうえで、FC店オーナーといっしょに「地域から必要とされ、愛されるコンビニとは?」ということを考える時代になってきており、今のコンビニの営業を見ていると「24時間営業の自縛」のように思えてくる。
少なくとも、セブンイレブンについてはこのところあまり良い話題が無く、それがボディーブローのようにFC店に影響を与え始めていると本部が認識する必要があると思う。
シャネルのデザインを長い間手掛けてきた、カール・ラガーフェルドの訃報にとても驚いた。
VOUGE Japan:カール・ラガーフェルド、革新と挑戦のデザイナー
ファッションに詳しい方なら、今日のタイトルを見て「シャネルだけじゃない!」と思われるのではと思っている。
実際、カール・ラガーフェルドがデザインをしていたファッションブランドは、「フェンディ」や自身のブランド「カール・ラガーフェルド」などがある。
そして、それぞれのブランドで発表される作品は、カール・ラガーフェルドらしさはもちろん感じられるのだが、シャネルはシャネルらしさがあり、フェンディはフェンディらしさが感じられる作品だった。
ブランドの持っている、アイデンティティ(というべきか?)を大切にしながら、カール・ラガーフェルドらしさを付け加える、という作品といったほうが良いのかもしれない。
カール・ラガーフェルドがシャネルのデザイナーとして就任した直後のコレクションでは、ココ・シャネルが決して出さなかった「膝よりも上のミニ(場合によってはマイクロミニ)丈のスカート」を発表した時には、センセーショナルな出来事として、ファッション誌などに取り上げられた。
もちろん、それまでのシャネルファンからも、「シャネルのエレガンスさが感じられない」という反応があったように記憶している。
そんな批判を乗り越え、それまで顧客層ではなかった、若い女性(といっても、欧州の富裕層のお嬢さんたちだが)の獲得に成功をしている。
カール・ラガーフェルドという、デザイナーによって、シャネルというブランドも甦っただけではなく、新しい顧客層を獲得することになったのだ。
そしてシャネルとは違う印象を与えたのが、フェンディでのデザインだろう。
昨今の「動物愛護」の運動で、毛皮商がブランドの始まりだったフェンディの旗色が悪くなる中、カール・ラガーフェルドは「毛皮でのエレガントさ」というファッションを表現し続けた。
シャネルと同様のミニ丈のスカートを発表しても、そこにはフェンディらしさがあり、何よりも毛皮商・フェンディのイメージを大切にするデザインだったように思う。
もちろん、自身の名前で発表されるコレクションは、シャネルでもフェンディでもない、カール・ラガーフェルトというデザイナーとしての自由で創造性の高いコレクションを発表していた。
カール・ラガーフェルドの逝去で、心配なのは彼自身のブランドではなく、シャネルやフェンディといったブランドだと思っている。
何故なら、シャネルにしてもフェンディにしても、とても長い間デザインをし続けてきたからだ。
今のシャネルやフェンディのファッションイメージは、カール・ラガーフェルドが創り上げてきた、といっても過言ではないと考えるからだ。
その中でも特に、シャネルはココ・シャネル亡き後、それまでのシャネルの伝統的イメージを尊重しながらも新しさを常に与え続け、今の顧客層を獲得することになった。
デザイナーが代わることで、そのブランドイメージが変り顧客が離れてしまう、ということはよくあり、場合によってはブランド力を維持できなくなってしまう可能性もある。
カール・ラガーフェルドの訃報を知り、もう一つ心配なことがある。
それは、日本のファッションデザイナーの層の薄さだ。
日本のファッションデザイナーの中で、森英恵さんにとって代われるだけエレガントなデザインをする若いデザイナーが、どれだけいるのだろう?
今の日本のファッションは、カジュアル志向が中心で「エレガント」という言葉が似合うデザイナーが思い浮かばないからだ。
ファッションの中心である、パリコレなどのようにアバンギャルドなデザインもあれば、老舗ブランドのようなエレガントさを感じさせるデザインまで、幅広い志向のデザイナーの育成が、必要なのでは?という気もしている。
Huffpostを見ていたら、とても興味深い記事があった。
Huffpost:アレクサ、おばあちゃんにトキメキをあげて。認知症の祖母へのプレゼントが生んだ意外な効果
記事の見出しとなっている「アレクサ」とは、Amazonエコーに搭載された機能の一つだ。
この記事にあるように、認知症になると「同じことを何度も聞く」という症状(というのだろうか?)が現れる。
普段介護をしている者からすると「同じことを何度も聞く」ことに、答えるというのは案外苦痛なのだ。
実際、私の亡くなった母は、亡くなる2,3年前から認知症の症状が顕著に現れ、日に何度も同じことを訊いたり、話したりしていた。
それほど長い時間を過ごすわけではないが、とても疲れた記憶がある。
傍から見れば「そのくらい」と思われるようなことであっても、介護には苦痛となる些細な要素が、驚くほど多いのでは?という、気がしている。
そのような経験から、この青年が祖母に上げた「Amazonエコー」の仕掛けは、介護される側にとっても介護をする側にとっても、メリットの大きなものだったと思う。
上述したように、認知症の症状の一つに「同じ話を繰り返す」ということがある。
家族であっても(というよりも「家族だからこそ」かもしれないが)、「その話は、さっきも聞いた」といってしまいがちになる。
話を聞かされる家族の何気ない言葉で、認知症患者にとって「自尊心」などが傷つけられたと、感じることも度々あるはずだ。
それが、認知症などを進行させる、ということもあるのでは?と認知症の症状が出ていた母の姿を見て、感じた部分でもある。
ところが、AIなどを搭載したぬいぐるみなどは、同じような話を繰り返し聞いても、飽きずに付き合ってくれるのでは?という期待をしている。
独居老人など「話し相手がいない」という高齢者にとっても、良い話し相手になるのではないだろうか?
そして、Amazonのエコーの機能のように「カーテンを開けて」とか「エアコンをつけて」という音声による様々な操作は、体の自由がきかなくなった高齢者や身体的ハンディを持っている人にとっては、とても便利な機能のように思われる。
この音声による操作の種類が増えてくれば、自宅での快適さも増えてくるのでは?という、気がしている。
そして高齢者や身体的ハンディのある人達が、実際には動くことはできなくても自主的な活動を促すことで、認知症や身体的機能の回復を促すことになるかもしれない。
そのように考えると、AIは介護と親和性が高い可能性があるのでは?という気がしてくるのだ。
お知らせ:明日からしばらくの間、母の墓参りの為に帰省します。
そのため、ブログをお休みさせていただきます。
日経新聞のコラムCOMEMOに、面白い内容のコラムがあった。
COMEMO:バレンタインデーに”チョコレート”を考える
この記事を書いた方は、「義理チョコが大量に捨てられる」という前提で書かれているようだが、「バレンタインのチョコが大量に廃棄された」というニュースを聞いた記憶のある方は、どれくらいいらっしゃるのだろう?
おそらく、ほとんどいらっしゃらないのでは?
大量廃棄で問題になった「恵方巻」とバレンタインのチョコレートの違いは、「消費期限と賞味期限」の違いのように思う。
「恵方巻」の消費期限は、当日限りのはずだ。
「恵方巻」は「生もの」であり、衛生管理上販売される「恵方巻」は「消費期限×月×日××時」となっているはずだ。
一方、一部の「生チョコレート」を除き、多くのチョコレートは「賞味期限×月×日」となっている。
賞味期限で表示されるチョコレートの場合、「賞味期限=美味しく食べられる期限」なので、バレンタインデーに貰ったからといって、その日のうちに食べなくてはいけない、というものではない。
ハードタイプのチョコレートであれば、3ヶ月くらいの賞味期限はあるはずだ。
そうなれば、家に持ち帰り家族で食べても良いだろうし、一人で少しづつ食べても問題はない。
もちろん、テレビなどで活躍しているアイドルや俳優、スポーツ選手などの元へは、大量の「バレンタイン・チョコレート」が送られているとは思うが、多くの場合、児童施設などへ寄付されている、という話を聞いたことがある。
例え送られた本人が食べなくとも、寄付という形で使われる可能性があるのが「バレンタインのチョコレート」でもあるのだ。
その違いが、「食物廃棄」の差となっているはずなのだ。
もちろん、このコラムで指摘されているように「カカオ農家の労働環境の悪化」という点は、現実の問題となっている。
カカオの産地の多くはいわゆる途上国であるために、労働力の一部に就学児童年齢の子どもたちが駆り出される、ということもあると聞く。
当然のことながら、主な労働力が子どもたちとなれば、カカオそのものの価格は低いものとして流通することとなる。
2016年だったか?ネスレやゴディバを含む欧州の有名チョコレートメーカーのいくつかが、子どもを主な労働力として収穫されたカカオを輸入している、という指摘がされ話題になった。
ANONHQ.COM:7Famous Brands That Use Child Slaves To Make Your Chocolate
チョコレートというよりも、チョコレートの原材料となっているカカオに対して、子どもを労働力として使っている、ということや安価な価格で買い叩かれている、という問題のほうが大きく、これが「フェアトレード商品」として、チョコレートが数多く扱われる理由となっている。
今では、京都のチョコレート専門店・DariKや明治製菓の「The chocolate」のコンセプトのように、産地のカカオ農家と直接買い付け、栽培指導(だけではなく、地域の経済活性化を目指す)ような動きも出てきている。
今年のトレンドは「ルビーチョコレート」だったが、美味しいチョコレートというだけではなく、生産者とチョコレートを創る人、そして食べる人という、繋がりが感じられる「産地別チョコレート」がトレンドとなっていくかもしれない。
昨日、メディアがこぞって大きく取り上げたのは、競泳日本代表の選手として期待されている池江璃花子選手の「白血病」だった。
18歳という若さで、罹患するとは!という思いもあれば、10代で罹患するがんのトップが「白血病」があることを考えると、とても複雑な気持ちになる。
ここ20年ほどの間で、がんに対する研究は飛躍的に進歩し、成人のがんに限って言えば「生存率70%」といわれるまでになってきている。
それは「白血病」についても、同様のことが言えるというのが、現在の状況だ。
そして他のがんと同様に「白血病」といっても、様々なタイプがあり、そのタイプに合わせた治療を行う、という「標準治療」も決まっている。
ただし、他のがんと大きく違うのは「骨髄移植」という、他の人からの移植による治療がある、というのも「白血病」の大きな特徴的な治療法かもしれない。
「骨髄バンク」には、池江さんの「白血病」の発表直後から、問い合わせが殺到している、という。
多くの人が、池江さんの「白血病」告白によって「骨髄移植」に興味・関心を持つことになったのだと思う。
しかし、「骨髄移植」は献血のような手軽な方法で、提供できる訳ではない。
現在日本骨髄バンクがドナー(=骨髄提供者)として登録できるのは、18歳~54歳。
健康状態なども厳しくチェックされる。
登録後、骨髄の適合が確認されれば、骨髄移植の為に1週間程度の入院が必要になる。
「ドナーとして適合しましたから、1週間程度の入院をお願いします」といわれ、すぐに動ける人がどれほどいるのだろう?
年齢を見ていただければわかると思うのだが、対象となる人たちの多くは、「働いている人たち」ということになるのだ。
特に、健康状態などに問題が少ない世代(20代~30代)は、企業などでは中心的に働いている世代でもある。
そのような人たちに気軽に「(突然だけど)ドナーとしての休みを認める」と言ってくれる企業は、どれだけあるのだろう?
日本での「骨髄移植ドナー登録」が進まない理由の一つが、この「休みがとりにくい」からだとも言われているのだ。
登録が進まない言い訳のようにも思えるかもしれないが、今年の4月から始まる「働き方改革」の一環として「最低有休消化日」という日にちが設定されていることを考えれば、あながち言い訳でもないと思えるのだ。
もし「働き方改革」の中に「骨髄ドナーとしての有休は、優先的に取得対象とする」などの文言があれば、取得もしやすくなるだろうし、登録者数も増える可能性もあるのでは?と、思うのだ。
医薬品メーカーなどでは、「年間労働時間の何%とかを社会貢献活動に充てる」ということを推奨していると聞くが、そのような企業は日本の大企業と呼ばれる企業でもわずかだろう。
せっかく「骨髄バンク」に興味・関心が高まっているのだから、「働き方改革」の中に「社会貢献活動の一つとして骨髄ドナー休暇」という制度も考えてほしいと思うのだ。
今週の木曜日は14日、ヴァレンタインデーだ。
昨年はゴディバが「義理チョコはやめよう」という、キャッチフレーズのヴァレンタイン商戦を繰り広げた。
一方「一目で義理とわかるチョコ」を展開しているのは、「ブランクサンダー」を製造・販売しているユーラクだ。
今年も東京駅に「義理チョコショップ」を2月14日までの期間限定でオープンさせている。
アドタイ:ブラックサンダー「義理チョコショップ」東京駅で今年も開催 完売商品も
ただここ数年のヴァレンタインを見ていて感じることは、「義理だ・本命だ」と騒いでいるのは案外メディアなのでは?という気がしている。
というのも、このヴァレンタインで日本一の売り上げを上げると言われているJR名古屋髙島屋の「アムール・デュ・ショコラ」の広告を見ていると、「誰にあげるのか?」というよりも、「世界中の美味しいチョコレートを集めました」という、コンセプトのように思えるのだ。
「世界中から集まった美味しいチョコを、誰にあげるのか?」というよりも、「美味しいチョコを自分で探しませんか?」というメッセージのほうが強く感じられるのだ。
その「アムール・デュ・ショコラ」の広告などを眺めていると、今年のチョコレートのトレンドが分かる部分がある。
それは「ルビーチョコレート」と呼ばれる、「赤いチョコレート」がいくつもあることだ。
Callebaut公式サイト:ルビーチョコレートとは
写真にあるように、真っ赤な色をしたカカオから作られるチョコレートのようだ。
これまでチョコレートのトレンドはいくつもあった。
「(子供の)お菓子」としてのチョコに始まり、ゴディバのような大人向けのチョコ、「白い恋人」に使われているようなホワイトチョコ、フェアートレードのようにカカオの産地に利益還元をしながら、これまでよりもよりカカオの風味を生かすためシンプルな製法の「ビーン・トゥ・バー」などなど、ヴァレンタインのチョコレート商戦は、ハロウィンのようなイベントや「恵方巻」のようなイベント食とは違う、社会の変化を表すような「流行(=トレンド)」を創り出してきた。
一部では「ハロウィンは、経済的な部分(様々なイベント関連売上)では、ヴァレンタインを抜いた」と言われているが、ハロウィンには、ヴァレンタインで話題になるような「チョコレートのトレンド」を、創ってはいない。
言い換えれば、「ヴァレンタイン」というイベントは、社会の変化(あるいは、生活者の意識変化)を表すトレンドを見ることができるほど、日本の生活者に根付いた、といったほうが良いのでは?という、気がしている。
昨日「自動運転」のシステムについて、「スタンダード(=世界標準)」を獲得した企業が、市場の優位性を持つことになる、という内容のエントリをした。
その中で、2つ注目したいコトがあった。
一つは、半導体メーカーのIntelだ。
随分前、「Intel、入っている?」というCMを覚えていらっしゃる方もいると思うのだが、ご存じのようにIntelは、半導体メーカーだ。
「半導体メーカーだった」と、過去形にしたほうが今のIntelを表しているかもしれない。
PCの中枢機能を担っている、といっても過言ではない半導体だが、その主なメーカーであるIntelが、自動運転などの技術分野に進出している、というのが昨日のエントリの内容の一部だ。
Intelが今目指しているのは、半導体のメーカーではなく「半導体を使った情報システム」を構築する企業へと、変わろうとしている、という姿が「自動運転」事業への参入だといえるのだ。
そう考えると、今のIntelのライバル企業は、AppleであったりMicrosoftかもしれない。
そのAppleも、最新のiPHONEの不振などがあり、これまでの好調さが減速し始めている、という指摘がされている。
しかしApple自体も、手をこまねいているわけではない。
iPHONEというツールを使って、Appleミュージックなどのストリーミングサービスに力を入れ始めている。
それには、今年のアカデミー賞の候補にノミネートされている作品の中に「Netflix」と「Hulu」で配信された作品があるからだ。
WIRED:2019年のアカデミー賞、ついにNetflix、Amazon、Huluすべてが受賞候補に?
これまでのようにアカデミー賞の対象作品となるのは、映画館で上映された作品のみだった。
それが今年ネット配信サービス会社が製作した作品が、候補作として挙がったのだ。
これは、著名な俳優陣で膨大な製作費によってつくられてきた劇場映画から、生活者が「映画を楽しむ場所」が変化し、そのためのツールを提供する企業が、有名・無名ではなく演技力のある俳優を使い、配信サービスの利用による収益の中から映画作品をつくり、話題を提供しながら、配信サービスの利用者を増やしていく、というこれまでの映画産業の在り方とは全く違うビジネスモデルが、世界最高峰ともいえるアカデミー賞で認知されるようになった、ということでもある。
そのような「配信サービス」が一般化していくことを考えれば、既にiTunesなどを通じてストリーミングサービスを提供してきたAppleが、Appleミュージックなどのストリーミングサービスに力を入れ、iPHONEなどはそのためのツールという考えに変わっていくのも当然だといえる。
そのような変化を理解しているからこそ、Intelも半導体メーカーではなく、通信会社などが得意とする「自動運転技術」などへ、積極的に参入していると、考える必要があると思う。
もう一つが、昨年秋に発表された「トヨタ自動車とSoftbankのMaaS事業の提携」だ。
経済紙などに掲載されたトヨタ自動車の豊田章夫社長とSoftbankの孫社長の握手をした場面などは、MaaSという事業に関しての主役はトヨタ自動車ではなく、Softbankなのだ、という印象を十二分に与えるモノだったように感じている。
「自動運転」などによって、主役となる産業は自動車メーカーではなく、通信事業を主体とした企業なのだ。
しかもその主体となる企業の中でも、いち早く「スタンダード(=世界標準)」を勝ち取った企業の、一人勝ちとなっていく可能性も含んでいる、と考える必要があるのでは?
社会の変化と共にいち早く中心となる事業を変化させ、「スタンダード(=世界標準)」を勝ち得た企業が、これからの経済の中心となっていくのでは?と感じている。
今朝、FMを聞いていたら「自動運転」について興味深い内容の話があった。
ご存じの通り、自動車の「自動運転」については、「事故を起こしたとき、誰が責任者となるのか?」などの、法整備が急がれている。
実際「自動運転中の事故」は、運転者が運転をしているわけではないので、その責任の所在を明快にする必要がある。
と同時に、今社会的問題となっている「認知力が低下した(高齢)者に対する運転」に、「自動運転はどう対応できるのか?」などという点も、問題になってくるだろう。
そのような「自動運転に対する責任の所在」について、話題になりがちとなっているが、どうやらそれよりも前に大きな問題があるようだ。
それは「自動運転の世界標準化」という問題だという。
今「自動運転」の開発に熱心なのは、自動車メーカーだけではない。
ご存じの通り、IntelやGoogle、Softbankのように、通信会社やITの中枢を担う半導体メーカーもこの分野に進出している。
運転という技術的な面は、トヨタなどの自動車メーカーが開発をし、IntelやGoogle、Softbankのよう通信会社や半導体メーカーが、地図情報やMaaSのような「次世代交通システム」などの分野での技術開発を共同で行っている。
総務省:次世代の交通MaaS
昨年秋、トヨタ自動車の豊田章夫社長とSoftbankの孫社長が、「MaaS」の新会社を立ち上げたのは記憶に新しいところだろう。
CNET Japan:トヨタとソフトバンクがMaasの新会社「MONET」を設立ー自動運転時代を見据え
しかし、各自動車メーカーと通信会社や半導体メーカーが、共同で「独自の自動運転のシステム技術」を開発したところで、それが生活者にとってメリットとなるとは限らない。
例えば、トヨタからBMWへ乗り換えた時、トヨタとSoftbankが共同開発した「MaaS」のシステムでは、BMWとIntelの「MaaS」のシステムでは使えない、ということが起きてくるはずだ。
このような「システムの違い」によって、市場そのものが大きく変わってしまうという例は、過去にもあった。
一番身近なところでは「ビデオ」だろう。
ソニーが開発した「β方式」と現パナソニックが中心となった「VHS方式」とでは、方式が違う為ビデオテープの大きさなどが違っていた。
結局、「β方式」のほうが、コンパクトで画像なども綺麗だと言われていたにもかかわらず、映画会社などが「VHS方式」を採用したため、ソニーの「β方式」は市場から撤退せざる得なかった。
ビデオテープそのものが、市場から消えつつある今となっては懐かしい話だが、当時の「β vs HVS」というシステムの標準化をめぐる闘い(決して大袈裟な話ではなかった)は、生活者にもそれなりの影響を与えることとなった。
ビデオなどの機器の方式であれば、その問題は社会的には大きな問題とはならなかったが「自動運転」となると、そのようなわけにはいかない。
理由は「MaaS」そのもののビジョンが与える社会的影響が、とても大きいからだ。
この部分で、世界標準を獲った企業(連合)が、今後の自動車産業の主役となっていくはずだ。
「世界標準=スタンダード」を獲る、というのはそれほど企業にも社会にも影響を及ぼす問題でもあるのだ。