今朝のニュースで、オーストラリアが国の法律として「16歳未満のSNS利用禁止」を議会で可決した、と報じられていた。
CNN:オーストラリア、16歳未満のSNS禁止へ 世界初
これまで米国やEUが、TikTokの利用禁止などを訴えてきた、ことはあったが、SNS全般の利用禁止、ということは度々ニュースなどで取り上げられてきたが、あくまでも法的な規制ではなかった。
その理由として、TikTokなどから個人情報が流失するのでは?という懸念があったからだ。
個人情報の流失というだけでも問題なのだが、流出する先が中国である、ということがより問題視された、ということはご存じの通りだ。
その一方で、10代におけるSNSの利用は精神的な問題となる、という指摘が再三されてきた、ということもまた事実だろう。
日経新聞:SNSの太陽「若者に重大なリスク」米公衆衛生トップ
この日経新聞の記事は、昨年掲載されたモノなので、今回のオーストラリアにおける「16歳未満のSNS利用禁止」の一つの方向性を決めるモノとなったのではないだろうか?
もちろん、日本でも若者のSNS利用についての問題が、様々に指摘されている。
一つは、「いじめ」という問題だ。
LINE等で、クラスメートの間で自分の知らない間にネガティブなやり取りがされ、それが同じ連絡網の中で噂が大きくなり、最終的にターゲットになってしまった子どもが、自死を選ぶような結果を生み出している、という事件はここ10年ほどで目立つようになってきたように思う。
それ以外にも、いじめの延長にいじめの現場を動画撮影し、拡散させる、あるいは拡散させると脅すという行為も、「いじめ」の一つだろう。
動画撮影され、ネット上に拡散されたモノは、「デジタルタトゥー」として、ネット上の半永久的に残ってしまう。
いくら「ネット情報に踊らされないで」などといったところで、大人であっても裏どりがされていないネット情報を信用している人たちは数多くいる。
そのような社会状況を聞きかじっている程度の若者に、いくら「危険だからやめるように」といったところで、説得力はない。
このようなコトを考えると、オーストラリアの若者の利用禁止は、当然の成り行きだったのかもしれない。
そして注目すべきは、オーストラリアのSNS禁止の対象が、利用者である若者ではなくサービスを提供する事業者に対して、という点が大きく違うところだろう。
おそらくアカウント登録時に、本人確認資料の画像添付を義務付ける、等の方法を取ることで、年齢確認をするのでは?と、想像するのだが、抜け道はいくらでもあるような気がしている。
というのも、携帯電話が普及し始めた頃、派遣社員として一時期携帯電話の利用者登録のデータ入力をしていた事があった。
その時、不思議に思ったのは契約者は親なのに、支払い者は高校生のこども、というケースが少なくなかったからだ。
最初は不思議に思っていたのだが、利用者である高校生が親を契約者としてしているのだ。
だから、支払いは利用者本人である高校生であり、親は名義を貸していたようなモノだったのだ。
今では、スマホの契約自体本人確認資料の提示など、厳しくなったのでそのようなことは無くなったと思うのだが、そう考えるとスマホそのものにSNSアプリをインストールできなくする、ということも必要になってくるのかもしれない。
衆議院選挙の頃、立候補者の多くは口々に「生活者の収入を増やす」ということを、公約の一つに掲げていたと思う。
選挙後、この動きが具体的になってきているようだ。
と言っても「収入を増やす」と、一概に言えないのでは?という気がしている。
それが「106万円の壁」だ。
朝日新聞: 「106万円の壁」収入条件を撤廃へ 厚労省方針 労使の負担変更も
ご存じの方も多いと思うのだが、この「106万円の壁」のまえには「103万円の壁」がある。
主婦がパートなどで収入を得る為には、「乗り越えなければならない壁」が、いくつもあるのだ。
「乗り越えなくてはならない壁」と言っても、「乗り越える壁」の中には世帯主の扶養控除という制度と関係してくるので、パート主婦だけの問題ではない、という点も忘れてはいけないだろう。
厚労省が発表している資料を見ると、この「106万円の壁」は手取りに影響する「壁」ということが分かる。
その一方で、正規雇用で結婚・出産後も働き続けている女性からは「社会保障などのただ乗り」という、批判もあることは事実だろう。
給与が少ないのだから、当然という考えもわかるのだが、昨今のようにパートで働くシングルマザーが増えてくると、世帯収入は一般的なパート主婦は多く、社会保障費などは世帯主の負担となり、パートで得られた「個人の可処分所得」は多い、ということになる。
もちろん、「パートで収入を得る」ということは、子どもの習い事代の為であったり、生活費の補填という動機があるはずだが、パートで働くシングルマザーとは、そもそも生活環境が大きく違う。
離婚時に養育費などを請求しても、支払わない場合が多いという現実もあるのだが、パート主婦の税優遇がある、というのは事実だろう。
その理由は、「世帯主である夫が働き、妻は家庭で家事をする」という、長い間使われてきた「モデル世帯」を基本としてきたからだろう。
その「モデル世帯」そのものが、今の社会とはかけ離れたモノとなり、多様な家族形態が一般的になりつつある現在、「パート主婦だけを優遇するような制度」の見直し論が出てくるのは、当然かもしれない。
もう一つ、今回この話題が出るようになった背景には、「社会保障費の増大」の対応策、ということもあるのではないだろうか?
ただし、この106万円という額は勤め先となる企業に対する負担も発生するため、「106万円の壁」を無くすためには、中小企業の理解も必要となる。
もしかしたら、社会保障費の負担増となる中小企業の抵抗の方が、パート主婦よりも強いかもしれない。
「106万円の壁」は、様々な政府の思惑があり、単純な「年収アップ」という訳ではない、ということを理解しつつ、「社会保障費負担の不公平感」や多様な家族形態によって起こっている経済格差、ということにも目を向け政策を考える必要があるのではないだろうか?
梅雨が明けた東海地方。
梅雨明け直後から、連日の猛暑が続いている。
梅雨の中休みの時の、最高気温40℃に迫るような暑さではないが、それでも37℃近くあれば、何もしたくない!という気持ちが出てくる。
まぁ、私が怠惰なだけなのかもしれないが…。
何とかこの暑さから逃れる方法は?と考えていたら、Huffpostの記事が目に入った。
米国で実施されているという「サマーフライデー」という、働き方だ。
Huffpost:夏の金曜は働かなくてもいい、アメリカで浸透する「サマーフライデー」は、企業にもメリットがある
この「サマーフライデー」という働き方、米国で1960年代に始まり、現在では55%くらいの企業に浸透しつつある「働き方」のようだ。
記事を読むと、ニューヨークなどのビジネスマンたちが、ニューヨーク近郊にあるリゾート地に行くため、自然発生的に生まれた「働き方」のようだ。
確かにニューヨークの近郊には、リゾート地と呼ばれるところがいくつかある。
随分前に読んだ、物理学者のリチャード・ファインマン博士の自伝「ご冗談でしょ、ファインマンさん」の中に、夏の間子どもと母親は近郊のリゾート地で過ごし、毎週末父親がそのリゾート地にきて、一緒に過ごす、という場面があった。
子ども達は、自然豊かな場所で遊び、週末は父親と自然観察を楽しむ、という中から「既成概念にとらわれるのではなく、物事を観察することでその本質を知る」ということを、父親から教わった、という趣旨のことが書いてあった。
勿論、ファインマン氏が子どもの頃ということは、1930年代の頃のアメリカの中産階級の暮らしぶり、ということになるだろう。
(ご存じの方もいらっしゃると思うのだが、ファインマン氏は「原爆開発計画・マンハッタン計画」に、生来有望な物理学者として、20代前半に参加している)。
そう考えると、米国のニューヨーク州などに住むビジネスパーソンは、元々このような「サマーフライデー」のような生活習慣があったのでは?と、考えることができる。
では、日本で「サマーフライデー」を導入するとなると、どうなのか?ということを考えてみたい。
まず、暑すぎる夏から何とか逃れたい!という気持ちが、あるはずだ。
とすれば、夏の間だけ避暑地で仕事をする、ということを励行してもよいのでは?
「コロナ禍」で、リモートワークも経験しているビジネスパーソンにとって、このような季節限定の2拠点生活は、決してハードルが高い働き方ではないと思う。
特に、バブル期に開発され、現在「限界リゾート地」となってしまった、リゾート地は関東を中心に、いくつもあるはずだ。
特にひどい限界リゾート地となってしまったのは、軽井沢周辺だと聞いたことがある。
とすれば、そのような場所を活用して、家族そろって避暑生活と「サマーフライデー」という働き方を提案してみてるのも、一興のような気がするのだ。
「中学受験」を目指すお子さんがいるご家庭であれば、学習塾丸ごと避暑地移転ということを考えてもよいかもしれない。
とにかく「受験」に向け、暑い都市部から逃げて勉強する環境を整える、という発想も必要かもしれないからだ。
「地球沸騰化」と呼ばれる現在、自然の涼を求めて移動する暮らし方によって、環境に優しい暮らし方にしてみる、ということも必要な時代になってきているような気がする。
今日、Windowsを搭載したPCが、トラブルを起こす、という事件があった。
既にトラブルの原因は、ある特定のセキュリティーソフトによって引き起こされたもの、ということが判明しているが、問題なのは、その影響を受けたPCが世界規模である、という点だろう。
朝日新聞: 【随時更新】トラブルは世界各地に影響 Windows異常停止
このようなシステムについて、知識があるわけではないので、理解が違っているかもしれないのだが、このような事態が発生すると、現代社会は全世界で連鎖的に機能不全に陥ってしまう。
今回の場合、ある特定のセキュリティーソフトをインストールしているWindowsに限定されている、ということだが、今のセキュリティーソフトそのものが、ネットワークを通じて個々のPCにインストール、アップデートをされるようになっている。
そのことを考えると、問題となったのは1つのセキュリティーソフトであったかもしれないが、そのセキュリティーソフトをインストールしている・していないに関わらず、ネットワークでつながって、仕事をしている人達にも影響を与えた、と考える必要があるのでは?
事実、朝日新聞の記事にあるように、飛行機の搭乗などに影響が出て、20便が欠航するという事態に発展している。
と考えると、特定のソフトウエアの問題だけとは言えない、というのが現在の「ネットワーク社会」ということになる。
問題となったセキュリティーソフトの名前を聞いても、ピンとこなかったのだが、インストールをしているWindowsユーザーは多いのだろうか?
気になって、問題のセキュリティソフトを提供している企業のサイトを見て見ると、どうやら個人向けのセキュリティーソフトを提供しているのではなく、企業向けに展開をされているようだ。
逆にその為に問題がこれほど大規模になり、深刻な状況を招いてしまったのだろう。
とはいえ、サイバー攻撃のような理由で問題を起こしたのではなく、プログラムの修正で対応ができる問題、ということのようだ。
この点については、一安心といったところなのだが、今回のような「セキュリティーソフト」によって、このような問題が起きてしまうと、セキュリティーソフトそのものの信頼を、考えるようになってしまう。
例えば、先日米国が発表したロシアのPCセキュリティーソフト企業「カスペルスキー」の使用を停止する、という発表をしたからだ。
この背景には、ロシア企業だから信頼がおけない、という米国の判断が大きいのだと思うのだが、中華PCと呼ばれる中国製PC(やスマホ)、SNSの一つであるTikiTokなどから、中国が国ぐるみで利用者の個人情報を吸い上げている、という指摘が再三されてきている。
特に若い世代で人気のあるTikTokなどは、欧州諸国でも米国の判断を支持・追従する動きを見せている。
おそらく20年ほど前であれば、このような事件やセキュリティーの考えはなかったのでは?と、考える。
理由はそこまで個人が情報端末を持ち歩き、気軽にネットワークを通して世界中に繋がる、という社会ではなかったからだ。
今では、PCやスマホなど世界とつながる様々なツールは、生活インフラの一つであり、だからこそ高いセキュリティーが求められるし、その運用についても慎重でなくてはならない、ということだと思う。
現在政府は、マイナンバーカードと健康保険証との紐づけに躍起になっているが、果たして今回の事故のようなコトをデジタル庁は想定しているのだろうか?
何か一つ不具合が起きれば、システムそのものが全面停止してしまい、社会機能が不全に陥る、という現実をしっかり受け止めて欲しい。
先日、出生率の発表があった。
その数字が、1.20人だった。
第一生命経済研究所:少子化の危機をよく見よ!~コロナ禍後急加速~
ご存じの通り、出生率というのは、一人の女性が生涯を通して出産する子供の人数のことだ。
中でも東京都は0.99人と、1.0人を下回るという数字となった。
1人の女性が、その生涯で出産する子供が1人いない、ということになる(実際は1人と考えるべきだろう)。
このような数字が出ると、「女性がもっと子供が生みやすい環境にすべき」という議論が出てくるのだが、実は既婚女性が出産する子供の人数というのは、大きく変化している訳ではない、と言われている。
国立社会保障・人口問題研究所:夫婦調査の結果概要 2.夫婦の出生力
このレポートの中から、夫婦の出生力のみを抜き出した表が↓だ。
3人以上のお子さんがいる世帯は少なくなってきているが、2人という世帯は大幅な減少が見られない、ということが分かる。
ということは、非婚者が増えたために、出生率が下がってきていると、考えるのは当然のことかもしれない。
そこで東京都が考えたのが、東京都内の独身者向けの婚活アプリ(=マッチングアプリ)だった、ということだろう。
NHK Web News:東京都が婚活支援 独自のマッチングアプリ 夏頃本格実施
これまでも、若年現役世代の結婚サポートとして、自治体が「婚活パーティー」等を開催したりしていたが、これまでの自治体が主体となる「婚活支援」と、東京都の「婚活支援」とでは、分母となる若者の人数が圧倒的に違うという点と、「出会いの場」となる場所も違う、という点だろう。
これまで地方自治体が主体となる「婚活支援」は、「出会いの場が無い」とか「当事者である若者自身にも結婚の意志がそれなりにあった」等の理由があった(はずだ)。
それに対して、東京は婚活対象となる若者も多く、出会いとなる場所も多い。
ただ「結婚したい」という意志を持つ若者が、多いのか?という点だろう。
東京での生活が、独身者にとって快適で、結婚することでその快適さが感じられない、ということであれば、いくら「婚活支援」のマッチングアプリを開発したところで、利用者が劇的に増えるとは思えない。
特に、経済的に自立をし、キャリアを目指す若い女性にとって、「結婚」そのものがネガティブと感じる要素の方が、高いのでは?と感じている。
例えば、結婚後苗字を替えるのは、多くの場合女性だ。
仕事をする為に旧姓で通すことは、珍しいことではないが、その為に係る労力と時間等の負担は大きい。
それは、企業側にとっても負担の様で、昨日経団連が「選択咳夫婦別姓」導入を、政府に提言している。
NHK Web News:経団連が「選択的夫婦別姓」導入を求める提言 経団連として初
そう考えると、東京都の「婚活支援マッチングアプリ」は、「東京都という自治体が管理するマッチングアプリ」という信頼等、ある程度有効かもしれないが、だからと言って根本的な「少子化対策」となるわけではない、ということが分かる。
もう一つの懸念が、既に民間企業が展開をしている「婚活支援(マッチングアプリも含む)」に影響を与えないか?という点だ。
「民業圧迫」と、言われる可能性もある。
果たして5億円という税金を投入して実施する「東京都婚活支援マッチングアプリ」、対費用効果のほどは?
ご無沙汰しておりました。
GW前に、母の弟である叔父が急遽入院。大学病院のICUで治療を受けていましたが、先日亡くなり、葬儀やその後の対応の為、帰省をしていました。
と同時に、独居老人状態である父のこともあり、週末やっと名古屋へ帰ってきた次第だ。
亡くなった叔父も高齢であったため、亡くなったことに対する悲しみよりも「叔父の人生を全うできたのではないか?」という、思いが強くある。
そう思えるのも、生涯現役という姿勢で、仕事をし続けることができたからでは?と、感じている。
とはいえ、世間では「生涯現役」として、仕事をし続けることができる人は少ない。
多くの人は、企業や公的機関に勤めながら、人生の多くの時間を過ごし、定年退職という区切りをつけ、新たな生活時間を創っていかなくてはならない。
その「新たな生活時間」の中で、「生涯現役」と思えるようなモノ・コトと出会え、向き合うことができれば、それはまた充実した人生の送り方なのだと思う。
ただ、今の日本の社会でそのような生き方ができる方が、どれほどいらっしゃるのだろう?と、叔父の葬儀中に考えていたからだ。
「人生100年時代」と言われるようになってきたが、それは「寿命」という観点でのコトだ。
「自分らしく過ごせる年齢(=ウェルビーイング)」となると、その時間はおそらく100歳という年齢に達することができる人は、多くないのでは?という気がしている。
2019年の厚労省の調査では、「健康寿命は男性の場合72.68歳、女性の場合75.38歳」というデータとなっている。
「コロナ禍」前の2019年の調査なので、現在はもう少し違う結果となっているのかもしれないが、実際の「平均寿命」と「健康寿命」とは違う、ということが分かるはずだ。
そう考えると、「健康寿命」と言われている間に、自分の「終活」を完了させておく必要があるのでは?という気になってくる。
というのも、今回叔父が亡くなったことで父の「終活」の一環として、実家の片づけを始めたからだ。
親元を離れ40年以上経つと、知らない間に両親が貯めていた様々な物があふれていることに気づかされる。
高齢となった父に、それらを片付けさせるということ自体、体力的にも判断力にも無理があることを、実感したのだ。
結局「断捨離第一弾」として、片づけをしてきたのだが、あとどれくらいすれば良いのか?と、困惑するばかりだ。
一時期流行した「ミニマリスト」だが、子育てが終了した頃から「程よいミニマリスト」を目指す必要があるのかもしれない。
日経新聞のWebサイトを見ていたら、「やはり、太陽光発電に対する考えが変わりつつあるのだな~」と、感じる記事があった。
日経新聞:オーストラリア、屋上太陽光発電が拡大、全電源の11%に
日本では、未だに山を切り開いて太陽光発電パネルを設置する、メガソーラーが話題になっている。
ただ、話題になる内容も、「メガソーラー発電が設置された」という事業的な話題だけではなく、風光明媚な場所や国立公園にほど近い場所に建設され、反対運動が起きている、という相反する話題になっているような印象を持っている。
特に都市部から離れた、北海道や九州といった場所は、都市部の大手メディアで取り上げられるというよりも、SNS等で話題になる傾向があるように感じている。
西日本新聞:阿蘇にメガソーラー次々、狙われる草原、放牧廃れ・・・「景観では1円にもならない」
このような記事を見る度に感じることなのだが、地域資産の考え方がとても安直なのでは?という気がしている。
今や地方における「自然や景観は、(観光客を含む)人を呼び込む地域資産」という、視点がないような気がするからだ。
確かに、「人を呼び込む為」には、様々なアイディアと仕掛けが必要なのだが、一度失われた自然や景観を回復・復活させるためには、それよりも膨大な時間と費用が掛かる。
メガソーラーを設置し、売電によって収益を上げることは、わかりやすく簡単な方法だが、いつか行き詰ってしまう。
というのも売電価格が、年々下がっているからだ。
「1円にもならない」と言っても、売電価格が下がり続ければ設置にかかった費用回収という点で、さほどメリットがあるとは思えない。
これが、景観の良い場所ではなく1970年代に開発され塩漬け状態になっている工業団地用地等であれば、売電価格が下がってもそれなりのメリットがある。
しかし、地域資産として価値がある場所を目先の儲け話で、失うことは地域経済にとっても大きな損失のような気がする。
そしてオーストラリアで進む「屋上太陽光発電」の方が、遥かにメリットが高いのでは、ないだろうか?
ご存じの方も多いと思うのだが、電力は、送電等によって失われる電力量が失われる。
発電した電力をロスを減らして使う、ということを考えれば「地産地消」が一番効率が良いのだ。
その視点で考えれば「屋上太陽光発電」は、理にかなっているということになる。
それだけではない。
電力料金の価格高騰やSDGsという観点からも、「電力の地産地消」はメリットがある。
現在の各地域にある電力会社側とすれば、経営にも影響する話なので、手放しで推進するということにはならないと思うのだが、電力の管理・メンテナンス専業の関連会社を、行政と協力しあうことで経営をする、ということも可能だろう。
何より、現在注目されている「ペロブスカイト太陽光発電」等の実証実験には、協力する必要があるだう。
この「ペロブスカイト太陽光発電」が実用化されれば、都市部での高層ビルやマンションそのものが「メガソーラー発電」の設置場所となることになる。
何も景観の良い場所を切り開いて、メガソーラー発電をする必要は無くなるのだ。
日経のオーストラリアの記事の話に戻ると、注目すべき点は「全電源の11%」という占有率の高さだ。
自然エネルギーとしては、風力発電のほうが優位だが、それでも全電源11%という数字は、無視できないほどの普及率を示している。
そう考えれば、景観の良い場所(=送電ロスの多い場所)にメガソーラーを設置することの意味を、考え直す切っ掛けとなるのではないだろうか?
現在のX(旧ツイッター)のおすすめポストに、変わった投稿が表示されるようになった。
その「変わった投稿」というのは、NHKがかつて夕方6時頃に放映をしていた「人形劇」の動画だ。
先日は、「ひょっこりひょうたん島」のオープニングだった。
その前は「プリンプリン物語」。
これらの番組を知っている方は、50代~60代だろう。
特に「ひょっこりひょうたん島」の放映が始まったのは、1956年。
それから約8年ほど続いた、今でいうなら長寿番組かもしれない。
放映時間も確か15分程度だったような記憶がある。
この「ひょっこりひょうたん島」の放映を切っ掛けに、夕方6時台は子供向け番組が組まれるようになったような記憶がある。
その中でも「ひょっこりひょうたん島」の大ヒットにより、後継番組は「人形劇」だったように思う。
しかも今にして思えば、豪華な制作スタッフだった。
「ひょっこりひょうたん島」の脚本を書いていたのは、井上ひろしさん。
オープニングアニメーションは、イラストレーターの九里洋三さんという、新進気鋭というか次の世代の表現を創りだした人達が、携わっていたのだ。
その後も「新八犬伝」では、人形作家・辻村ジュサブローさんが手がけていた。
この「新八犬伝」のヒットにより、辻村ジュサブローさんは人形作家としての地位を確立したと言っても過言ではないかもしれない。
このような毎日夕方になると、NHK総合では子供向け番組として「人形劇」が放映されていたのだ。
NHKアーカイブによると、「ひょっこりひょうたん島」以前に放映されたモノを含め1985年まで、夕方に放映されていたようだ。
NHKアーカイブ:人形劇リスト
そう考えると、1980年代半ごろまでは夕方6時くらいになると、多くの家庭の夕飯の時間帯であり、家族そろって食卓を囲む時間であった、ということになるだろう。
それが今現在、この夕方の時間帯は民放も含めニュースの時間帯となっている。
「人形劇」を見ていた子供たちは、塾等に通う為に人形劇等を見ることが無くなり、同時にそれは「(都市部を中心に)中学受験」が一般化し始めた、とも考えられるのではないだろうか?
それどころか、今の新聞のテレビ欄を見ると「子ども達が見る番組」そのものが、とても少ない、ということに気づく。
働くお母さんが増えたことで、朝放映されていた幼児向け教育番組は無くなり、代わりに登場したのが「情報番組」だろう。
今や子ども達の多くは「テレビを見ない」というだけではなく「子ども向け番組」そのものが、なくなってきているのだ。
昨今のテレビ(の視聴)離れの背景の一つに、「みたい番組・(親が)見せたい番組」そのものが、激減したことで「テレビを見ない生活」が当たり前になった、ということのようにも思えてくるのだ。
今後「ひょっりひょうたん島」のような、人形劇はもちろん情緒性のある物語を基にした番組がつくられることは、ほとんどないだろう。
何故なら、テレビ番組もまた「生活者の時々のライフスタイル」を反映しているからだ。
連日ニュースで報道されている、小林製薬が発売している「紅麹入りサプリ」の健康被害の問題。
このサプリを飲用したことで亡くなられた方が、いらっしゃるということで、「健康被害」を訴える人が今後も増えていきそうだ。
時事通信:株主総会で社長が謝罪 紅麹健康被害、4人死亡でー小林製薬
そして今回初めて、この「紅麹」を様々な食品会社が提供を受けていた、ということも驚きだったのではないだろうか?
ネット通販で「紅麹」を販売しているショップサイトを見ると紅麹の健康効果だけではなく、食紅のような使い方もされてきたようだ。
この「紅麹」の使い方が、サプリメントと食品添加物としての2つの使い方があったために、今回の問題が食品会社にも大きく影響したことが分かる。
食品添加物として使われるの出れば、その量は微量なはずだが、サプリメントとして使われるのであれば、濃縮したような状態で「紅麹」を飲むことになる。
過度に濃縮されたために、健康被害を起こさせたとも考えられるのでは、ないだろうか?
いくら体に良いと言われるモノでも、一時的に高濃度になったモノを摂取すれば、体にかかる負担は大きくなるだろうし、その為の副反応が出てもおかしくはない。
そう考えると、「紅麹」だけではなく、「サプリメント」そのものの付き合い方も考える必要があるのでは?という、気がしてくる。
「サプリメント大国」と言われる、米国ではどのようになっているのかは分からないが、ドラッグストアーの「サプリメントコーナー」に行くと、数多くの商品が並んでいる。
ビタミン剤等はおなじみだが、馴染みのない名前のサプリメントも数多くある。
その為、メーカー側は効能がわかりやすいようなネーミングをつけ、販売をしている。
今回の小林製薬の「紅麹」も「(悪玉)コレステロールを下げる」という効果を謳っていたのは、効能をわかりやすく伝える為だったのだろう。
マーケティング担当者であれば、よく知っていると思うのだが、小林製薬の商品のネーミングは他社製品に比べ「効果がわかりやすい・生活者に伝わりやすい」ようなネーミングがされていた。
だからこそ、手に取りやすいという特徴があったのだ。
ドラッグストアに並ぶ、数々のサプリメントを見ながら「健康の為」という思いで、様々なサプリメントを生活者が購入する理由を考えてみた。
そこにあるのは「健康診断の数値」が、関係しているのではないだろうか?
特に今回問題になっている「紅麹サプリ」は、上述した通り「コレステロール値」に関係してくるモノだっが。
「コレステロール値」や「腹部周り・血圧」等は、健康診断で指摘されやすい項目でもある。
基準値を外れると、即不健康のようにとらえられ、健康指導がされる場合もあるはずだ。
この「健康診断」で、重要視されるからこそ、何とか数値をコントロールしたい、という思いでサプリメントを利用する人がいても、おかしくはないだろう。
先ごろ、この「健康診断」における「メタボ数値」が一部変更された。
それが「腹囲」だ。
朝日新聞:「女性の腹囲90センチ→77センチ」メタボ基準を新たに提案
この記事を読んだ時「中年女性の半数はメタボなの?」と思ってしまった。
記事をよく読んでみると、対象年齢は17歳から始まる「全年代」を対象にしている。
この「全年代」というのが、問題なのだ。
ワコールが女性の体形変化を示している図がある。
この図の示す通り、10代の体形はお腹も出ておらず、スッキリとしている。
それが年齢を経るごとに、お腹が出てくるのだ。
これは、男性についても同じだろう。
血圧等についても、同じだ(先日、健康診断で血圧が高いと指摘された時、その血圧基準を保健婦さんに確認したところ「全年代」と確認をしている)。
骨格そのものも一人ひとり違う。
それを、一括りで数値化することに、どれだけの意味があるのだろう?
コロナ感染の時にも感じたことなのだが、人の健康にかかわるデータであれば、きちんとした統計学を基にすべきなのだ。
このような、数値に振り回され、サプリメントで健康被害を受ける、そのようなこと自体、問題のような気がするのだ。
朝の支度をしながら、FM番組を聞いていたら「ふたご自転車」という、商品の話が合った。
初めてきく名前の自転車だったので、「どんな自転車?」と、疑問を持ちながら話を聞いていた。
そして、この「ふたご自転車」が誕生した背景には、様々な問題があり、その問題解決の一助なのか?という、気がしてきたのだ。
実はこの「ふたご自転車」が誕生した背景には、日本の出産・育児という問題が隠れている。
今から40年以上前、「多胎児出産」ということが話題になった。
覚えているからもいらっしゃるかもしれないが、双子ではなく五つ子の赤ちゃんが誕生するという時期が、一時的にあったのだ。
勿論、五つ子ともなると母体にも胎児にも危険が伴う為、十月十日を待たずに帝王切開で出産をする、ということになる。
何故五つ子のような、多胎児が誕生したのか?と言えば、「不妊治療」が本格的に始まったからだ。
「不妊治療」が悪いわけではなく、多胎児となりやすい=母体と胎児にリスクが高い、ということもあり、「不妊治療」そのものがネガティブにとらえられていた時期もあったのだ。
その後「不妊治療技術」が進んだことで、五つ子ほどの多胎児が誕生することは無くなったが、双子は増加傾向にある、と言われている。
日経新聞:双子が30年で2倍に 不妊治療が影響 世界でも同じ傾向
流石に30年で2倍、という数字には驚くのと同時に、「不妊治療」が特別なものではなくなりつつある、という見方もできる。
高額な治療費を負担しても、子供が欲しいというご夫婦は、多いということだろう。
そして授かった子供が双子であった場合、様々な費用が単純に倍かかるということになる。
当然、日本のように母親が「ワンオペ育児」をしている、という社会環境の中での「双子の育児」は倍以上の負担が母親にのしかかる、ということになる。
それだけではなく、多くの「双子用ベビーカー」は、赤ちゃんが横並びとなるため、幅が広くなり歩道やスーパーの売り場では、他所様に迷惑がかかるのでは?ということになる。
そのような経験をされたふたごのお母さんが、自転車メーカーに掛け合ってもなかなか動いてくれず、結局チャイルドシートを製造・販売している企業がつくることになったという。
OGK技研:ふたごじてんしゃ
この自転車を開発していく中で、現在の「ママチャリ」の問題点も浮かび上がってきたという。
それは一般的に子ども用の座席は、お母さんの前・後ろに設置される。
その結果、自転車を操作する時にふらつき易くなるだけではなく、安全性を高めるため相応の重量が自転車にかかるため、車輛そのものが重たくなり、相当の脚力・腕力を必要とする、と言われている。
これでは、子供を自転車に乗せ走らせるだけでも、一苦労だ。
そして家では「ワンオペ育児」が待っている。
このような「女性から見た育児環境」は、過酷だと言わざる得ないだろう。
「ふたごじてんしゃ」は、今の日本が抱えている「妊娠・出産・育児」というトータル的な問題点のいくつかを示しているようにも思えるのだ。
それは「女性のライフイベント」として、片づけてよいのか?ということでもある。
これからのモノづくりは、様々な暮らし方をしている生活者の問題を解決するという視点が、ますます重要になっていくのではないだろうか?