日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「コロナ禍」後の自社の姿を考え、ブランドを構築する

2021-02-28 20:53:06 | ビジネス

Huffpostをチェックしていたら、なかなかユーモラスな「絵」が、目に留まった。
Huffpost:ブランド・アクティビズムとは?企業に求められる5つの理由

トップに登場する絵を見て、どう思われただろうか?
バーガーキングのキャラクターが、マクドナルドのキャラクターにキス(しかも挨拶程度のキスでは、なさそうだ)をしている。
言わば「ライバル関係である2社が、キスをしている」のだ。
しかも右下には小さく「LOVE CONQUERS ALL」とある。
「Love conquers all=愛はすべてに打ち勝つ」というわけである。

タイトルの「ブランド・アクティビズム」の意味を含め、記事を読んでいたただきたいのだが、「新型コロナ」ウイルスの感染が世界的規模で広がったことで、生活者だけではなく企業そのものも「生き残り」をかけ、様々なコトを行わなくてはならなくなった。
利用者が激減したJALやANAのキャビアテンダントは、関連企業だけではなく「サービスを提供する企業」を言う視点で、異業種への派遣を決めたり、受け入れ先もまた「キャビンアテンダントのサービス提供のノウハウを知る」機会として、受け入れた。
それが可能だったのは、JALやANAというブランド力だけではなく、「キャビンアテンダント」という職種のブランド力もあったからだろう。
その意味では「アクティビズム=積極行動主義」のあらわれだろうし、企業がこれまで育ててきた「ブランド力」の活用ということになるのではないだろうか?

他にも、アパレル企業の下請けをしていた縫製会社が「医療用ガウン」を作ったり、市販のマスクを作ったりした。
そこには、企業が蓄えてきた「技術力」の高さやファッションという視点があり、「衛生用品だから」という視点ではない「着心地や着け心地」といった違う価値が加わったように思う。

それらは「コロナ禍の生き残り」としての対策だったと思うのだが、それらの技術や技術に裏打ちされたブランド力は、新しい価値をつくり出すことに成功したのではないだろうか?

元々「ブランド力」というモノは、「目に見えない財産」と言われている。
だからこそ、「目に見えない財産」を積極的に再構築し、創り上げるという作業は、何かしらの大きな切っ掛けが無くてはできない、という点がある。
その「見えない財産」を見直し、ブランドの再構築をするためには「100年後の企業の姿」はどうあるべきなのか?という、視点を持つ必要があるのだと思う。

これまで、短期的利益を求められてきた企業だが、短期的利益を上げることで、人も市場も大きく痛めつけてしまったのではないだろうか?
それが拙ブログでも指摘してきた「これまでの資本論」の読み方であり、「これまでの資本主義」のような気がしている。

さて、トップのバーガーキングとマクドナルドが抱擁し、キスをする絵の下にある「LOVE CONQUERS ALL=愛はすべてに打ち勝つ」だが、なんとなく「市場支配に気をとられて競争するのではなく、互いに社会の問題に目を向けるために協力しよう」ということを訴えているのかもしれない。
それは「ハンバーガー」という「ファーストフード市場」を、リニューアルしていくためには必要なことはなにか?、というメッセージなのではないだろうか?





ジェンダーギャップを埋めるためには、女性の意識改革も必要

2021-02-25 19:43:56 | ビジネス

今日、経団連の副会長にDeNAの南場さんが選ばれたという経済ニュースがあった。
Huffpost:経団連の副会長のDeNAの南場智子会長 女性の就任は初

このニュースを聞いた時、どのような感想を持たれただろうか?
東京オリンピックの前森会長の騒動以降、日本のジェンダーギャップが世界から注目されるようになった結果として、DeNAの南場さんが選ばれた、という印象を持たれた方もいらっしゃるのではないだろうか?

確かに、東京オリンピックの前森会長の発言は問題だったと思うし、その後のゴタゴタを見る限り、橋本聖子さんを会長に選び、オリンピック担当大臣として丸川珠代さんをあたて、というのは対外的な「ジェンダーギャップ解消」というイメージ戦略のように感じられた方も多いのではないだろうか?

実はこの人事をニュースで知った時、「お飾り会長に、お飾り大臣」という印象を持った。
このような表現をすると「女が女の足を引っ張り合っている」と、思われる方も多いと思う。
だが、彼女たちの足を引っ張るつもりなどサラサラない。
ないのだが「お飾り」と表現したのには、理由がある。

それは、彼女たちが「政治家として過去どのようなビジョンを持ち、実績を積んできたのか?」という点が、全く見えなかったからである。
元々何故国会議員になろうと思ったのか?という、動機すら見えてこないのだ(選挙区が違う、という理由も大きいかもしれない)。
名前が売れたスポーツ選手と元人気アナウンサーを、自民党が票稼ぎのために引っ張りだしてきた、そして全森会長が「女性」に対する差別的発言をしたため、女性を会長や担当大臣にあてた、という認識しか持てなかった、というのが「お飾り」と感じた要因でもある。

そして今回のDeNAの南場さんだが、彼女はビジネスパーソンとしての実績も十分にあり、その実績を評価されての経団連副会長なのだ、という気がしている。
ただ残念ながら、女性の起業家は数々誕生しているのだが、南場さんほどの成功を収める人物はほぼ皆無だ。
元々女性のビジネスが、スモールビジネスであるということにも関係しているとは思うのだが、女性自身がそれほど企業を大きくしたい、という気持ちが無い、ということもあるのでは?という気がしている。

それどころか、名古屋の場合「女性が起業する」という発想すら、ほとんどないのでは?という気がしている。
一つは保守的な地域である、ということもあるのだが、女性自身が「医者・トヨタ自動車勤務の男性と結婚するのが、幸せ」という刷り込みを持っている、という傾向が強いのがここ名古屋でもあるのだ。
「ビジネスパーソンとして、ステップアップをしていきたい」という意欲そのものが、低い傾向がみられるのだ。
都市部の中でも、名古屋はそのような傾向が強いと言われているが、大なり小なりそのような「安定志向」の女性は多いのでは?と、感じているし、地域社会もそのような認識になっているのでは?という、気がしている。

「女性の活躍」ということを言われた時、「人財不足」という指摘がされるのは、女性がキャリアを積むコト自体難しいということだけではなく、女性側の意識もキャリアを積むコトよりも、「夫という人」に養われることを望んでいるのではないだろうか?
もちろん「出産・子育て・老親介護」という場面では、男性の主体的行動が求められると同時に、女性側も「ライフビジョン」の中に「仕事とスキルアップ」を組み込むような意識改革が必要のような気がしている。


「行動変容」の一つかもしれない‐ファストファッションから新しいファッション志向ー

2021-02-24 19:54:41 | ビジネス

Huffpostに、ファストファッションへのアンチテーゼのような記事があった。
Huffpost :「毎年買って、毎年捨てる」をいつまで続けますか?アパレル業界が挑む「安さ」以外の価値

先日、ユニクロとGUを展開しているファーストリテイリングが、ZARAを抜いて時価総額が上回ったという記事があった。
Bloomberg:Fリテイリが埋めた「ZARA」との差ー日経平均で放つ圧倒的存在感ー

Bloomgergの記事は、あくまでも日経平均での話であって、事業そのものではないという部分はあるのだが、業績に反映して株価も動くということを考えれば、ファーストリテイリングそのものの業績も好調である、と考えても良いと思う。
そしてファーストリテイリングそのものは、いわゆる「ファストファッション」という分野で業績を伸ばしてきたファッションメーカーでもある。

「コロナ禍」によって、既存のアパレルメーカー各社は大変厳しい状況に追い込まれている。
海外のファストファッションブランドが、2,3年前あたりから次々と日本から撤退したり、破産というニュースがあったことなどを考えると、今のファストファッションブランドは、「H&M」と「ZARA」そして「UNIQLO(とGU)」ということになるのかもしれない。
その中でもファーストリテイリングが好調というのは、ある意味「ファーストリテイリング一人勝ち」のような印象を持ってしまうのは当然だろう。

ファストファッションの魅力は何と言っても、その時の流行の服を手ごろな値段で買うことができる点だろう。
その代わり、猫の目のように移ろい変るファッションの世界では、昨年の流行した服は今年着ることに抵抗がある、という理由で捨てられる場合もある。
もっとも、生産過剰で捨てられる未着用の服(=「アパレルロス」とでもいうべきか?)ある、ということを考えると、「1年で捨てられる服」そのものが悪い訳ではないのかもしれない。

しかし、Huffpostの記事にあるように「ファッションは、流行を追わなくては!」という、思い込みから「ファッションビクティム」と呼ばれる、ファッションの奴隷となっている人たちもいるはずだ。
そのような人たちに対して、一つの疑問を呈しているということにもなるのかもしれない。
と同時に、タイトルのあるようにアパレル業界としても変革の時期に来ている、ということを示しているようにも思えるのだ。

Huffpostが取り上げた3人のデザイナーは、若手デザイナーでりファッション業界全体への影響は、まだまだだと思う。
ただそのような声を上げた若手デザイナーがいる、ということが重要なのだと思う。
何故なら、日本のファッション業界そのものが一般社会と同じように「高齢化」が、進んできているからだ。
フランス・パリで活躍する川久保玲さんや山本耀司さん、三宅一生さんなどは既に70代になっているはずだ。
次ぎの世代へとバトンタッチをしていかなくては、ブランドそのものの存続に関わる問題となってくる。
その視点で考えれば、今回の若手デザイナーの動きは、今後のファッション業界に影響を与える可能性は高い。

この動きの前から、パリコレクションをはじめとする欧州のコレクションでは「サスティナブル」が、キーワードだった。
世界のファッション業界そのものも「環境に配慮する」ということを、考えなくてはならないということになる。
もちろん、業界としては毎年新しいものを買い、古いものを捨ててもらう方が、商品などの回転率などを含む「利益」としては良いのだと思う。
しかし今のような社会状況の中では、「いかに自然との共生をするのか?捨てられないファッション。捨てても自然に帰りやすい環境づくり」ということを考えなくてはならない、ということだとすれば、ファッションの世界では既に「行動変容」の機運が生まれ始めている、ということになるのだろう。

果たしてこのような機運の中で、ユニクロはどのような戦略をたて、ファストファッションから抜け出すのだろう。


 


資本論と社会的公平性ーアフター・コロナ社会を創っていくもの‐

2021-02-22 19:18:20 | ビジネス

先日、マルクスの「資本論」について拙ブログでエントリさせていただいた。
この時は、ミヒャエル・エンディの「モモ」に登場する「灰色の男」の存在が、今の資本主義社会の歪みの一つである、という内容を書いた。

NHKの「100分de名著」の「資本論」では、これまでの「資本論」で述べられている内容とは別のことが書かれている。
それは、マルクスが今の「SDGs」に近い考えを持っていた、という点だ。
この内容については、マルクスが遺したメモや研究ノートなどに書かれていた内容で、MEGAというマルクスの研究チームによって追加されることになるようだ。
私たちが知っているマルクスの「資本論」とは、異質な考えをマルクス自身は持っていた、ということになる。
ただ、マルクスが考えていたものは「SDGs」よりも、もっと踏み込んだ「公平性のある社会」ということのようだ。

そんな時、科学系の本「ブルーバックス」のサイトの記事が、目についた。
ブルーバックス連載読み物:コロナ禍の今こそ、全世界に「行動変容」のムーブメントを

「新型コロナ」という感染症は、これまでの生活スタイルを大きく変えざる得ない状況をつくり出した。
例えば「リモートワーク」は、「会社に出社しなても、仕事ができる」ということを、ある程度示すことになった。
もちろんこれは「3密を避ける」という、「新しい生活様式」に求められるようになった結果から生まれた「新しい働くスタイル」だと言えるだろう。
それがもっと発展した「ワーケーション」と呼ばれる、働く(ワーク)と休暇(=バケーション)を合わせたような働き方まで、言われるようになってきた。

「100分de名著・資本論」で興味深かったことは、「資本主義が人を破壊し、自然を破壊している」という指摘をしていたことだ。
そしてブルーバックスの「行動変容」もまた、同じ指摘をしているのでは?という、気がしたのだ。
だからと言って、これまでの便利な生活を手放すということは、おそらく難しいだろう。
24時間いつでも買い物ができるコンビニ。
「深夜ネットのECサイトを見てポチった商品が、翌日に届く」等というサービスは、本当に便利なのか?ということ見直す必要があるのでは?という指摘なのだ。

24時間いつでも買い物ができるコンビニしかり、深夜ポチった商品が翌日届くサービスしかり、そこには様々な人達が介在し出来上がっているシステムであり、そのシステムの便利さによってエネルギーや人に無理をさせているのではないだろうか?ということなのだ。

1970年代、オイルショックによってテレビの放送時間が0時で終了する、ということがあった。
0時になると、NHKは日の丸の旗がはためく映像と君が代が流れ、放送が終了した。
だからと言って、不便だったのか?と言えば、さほど不便さを感じることは無かった。
おそらくそのようなコトなのだと思う。
行き過ぎた便利さに慣れてしまい、行き過ぎた便利さが無くては生活ができない、と思い込んでいるだけで、深夜ポチった商品が翌日届かなくても、さほど支障をきたすようなことはないはずなのだ。
むしろ、今は「自己欲」に振り回され、自分の言う通りになることが当たり前だと、勝手に思い込んでいるのではないだろうか?

「100分de名著・資本論」の解説をした斎藤幸平さんは、マルクスが指摘した「資本論」の中には「(人は)際限のない欲に振り回されている」という趣旨のことを書いていた。
「際限のない欲」を少し手放すことが「行動変容」につながるのでは?
そんな気がしている。


「インバウンド」という機会を失った結果の大バーゲン?

2021-02-19 20:22:53 | ビジネス

facebookには、様々な広告が表示される。
今日、自分のFacebookを見ていたら、やたらと百貨店のバーゲンの広告が目に付いた。
「そごう」や「髙島屋」、「大丸」といった百貨店のバーゲン広告。
しかも、海外の有名ブランドが撤退するための「在庫一掃セール」という内容だ。
よくよく見ると「免税」という文字がある。
どうやら、中国などからの爆買い観光客をあてにしていた百貨店が、「新型コロナ」の感染拡大により来店・購入者の回復が見込まれずに、撤退するためのバーゲンのようだ。

facebookで広告しているのも、このご時世のため「オンライン購入」に限る、というわけだ。
「オンライン」であれば、百貨店の店舗がある地域に広告を出す必要もないし、何より「3密」を避けるためには「オンライン」での販売、ということになるだろう。
セール期間は3日間という、短さもブランドイメージを大きく崩さないための、配慮かもしれない。

昨年の「新型コロナ」の感染拡大により、小売業の多くが打撃を受けているというのは、ご存じの通りだ。
飲食店やエンターティメント業など、小売業よりも打撃を受けている業種はあるが、百貨店をはじめとする小売業の場合、単なる「新型コロナ」の感染拡大が、海外の有名ブランドの撤退や撤退の為のバーゲンが理由ではない。
その前から、百貨店の売上はバブル経済の頃と比べ、落ち込み方が酷かった。
いつの頃からか、百貨店は「場所貸し業」となってしまい、本気で「モノ・コトを売る」という業態ではなくなっていた。
百貨店そのものが「小売り」という業態ではなくなっていた、ということだと思う。

「場所貸し業」となってからの百貨店の売上の中心となったのは、海外の有名ファッションブランドからの賃貸料だったのかもしれない。
そして中国などからの富裕層が日本で「爆買い」と呼ばれるような、買い物を百貨店でするようになると、百貨店の多くは「爆買いをする外国人観光客」を、顧客層として見るようになっていったような気がしている。
政府も「インバウンド」という名称で、アジアの富裕層と言ってもその多くは中国からなのだが、観光誘致に積極的になっていった。
昨年の今頃は「新型コロナ」の感染拡大が懸念される中、「春節インバウンド」を期待するような対応が、世間から批難を浴びるようになったことは、記憶にある方も多いだろう。

その後の日本国内での「新型コロナ」の感染拡大により、昨年の春から初夏にかけては百貨店を含む小売業の多くは、一斉休業に追い込まれた。
「インバウンド」どころの話ではなく、それまで百貨店で買い物をしていた日本人ですら、百貨店での買い物ができない、という事態になったのだ。
一時期的に好転したかのように思えた「新型コロナ」の感染拡大だったが、「Go Toキャンペーン」の開始と共に、今度はそれまで感染者数が少なかった地域にまで飛び火し、「全国規模」の感染拡大となってしまった。
結果として「インバウンド」どころか、国内での人の移動すら難しい状況になってしまった、というのが現状だろう。

今回の海外有名ブランドのバーゲンセールを見ていて感じることは、「百貨店の顧客は誰だったのか?」という点だ。
確かに「インバウンド」で「爆買い」をする中国人観光客は、魅力的だっただろう。
それは見方を変えると「顧客」ではなく、「一過性の買い物客」でしかない。
一時に落ちるお金は大きくても、ただただ過ぎ去るだけの客を、あてにし過ぎていた結果なのではないだろうか?

百貨店に限らず、「インバウンド=一過性の買い物客」という視点で見れば、自分たちの顧客となるべき人達は、別にいるということになるはずだ。
facebookに表示される百貨店の海外有名ブランドのバーゲン広告を見ながら、「顧客とは?」という当たり前のことを考え直すことが重要なのだ、と気づかされた気がしている。


「ウイルスは変異し続ける」と理解する必要がある

2021-02-18 21:39:44 | アラカルト

朝日新聞のWEBサイトに、これまで話題となっていた「新型コロナウイルス」の変異株とは違う変異株が、多数見つかった、という趣旨の記事があった。
朝日新聞:ワクチン効果薄れる?新たな変異株、国内で90例以上

記事そのものは、有料会員向けなので全体を読むことはできなくても、国内で既に90例以上の「新型コロナ変異株」が見つかった、という点は衝撃的なコトだと思う。
思うのだが、ブラジル変異株や英国変異株などがメディアで取り上げられる一方、一時期話題になっていた「東京変異株」の話が無くなっていたことが、とても気になっていた。

「東京変異株」というのは、「Go Toトラベル」を利用した人が移動し、移動した先で「新型コロナ」を発症した人がいたために判明した、という変異株だ。
この変異株が確認されたコトで「Go Toトラベル」によって、東京で感染し無症状のまま移動し、移動した先の地元の人が「新型コロナ」を発症し、「Go Toトラベル=人の移動」によって、感染拡大となっている、という裏付けとなった変異株でもある。
その後、ブラジル変異株や英国変異株が見つかったことで、メディアなどは「東京変異株」を取り上げることが、無くなっていた。

「新型コロナ」に限らず、一般的に「風邪ウイルス」と呼ばれるモノは、数が多く変異しやすい、と言われている。
以前から「風邪の治療薬ができたらノーベル賞」と言われるゆえんは、そのためである。
※市販薬のパッケージを読むとよくわかるのだが、「風邪薬」は、風邪の諸症状の緩和を目的としている。
そのことを考えれば、感染力や後遺症などの差はあれど「新型コロナ」が風邪の一種だと考えれば、変異しやすいということがわかるはずだ。

そのように考えると、90例以上の変異株が見つかったこと自体、驚くようなことではないということになると思う。
だからこそ、朝日新聞の扱いも大きな扱い、とは言い難いのかもしれない。
問題となるのは、昨日から接種が始まった「ワクチン」による効果が不明である、という点だろう。
「もし、接種が始まったワクチンが効果が無かったら…」ということになると、社会的不安はより一層増すことは、暗に想像ができることだからだ。

その一方で既に他の病気予防のために使われている薬に、効果があるのでは?という指摘もされている。
同じ朝日新聞の「論座」というコラム記事にある「イベルメクチン」に関する内容だ(こちらも有料会員記事なので、全文を読むコトはできないが、無料範囲でも概要は分かると思われる)。
朝日新聞 論座:大村博士発見のイベルメクチンにコロナパンデミックを終息させる可能性

他にも日経新聞が、東京都医師会が使用を検討するように厚労省に提言をしている、と報じている。

大村博士が発見した「イベルメクチン」と聞いて「あぁぁ~、ノーベル賞を受賞した薬」と思い出される方も多いと思う。
アフリカで蔓延している「線虫の経口駆除剤」として多くの人を救った、というだけではなく、一部では「ノーベル平和賞」でも良かったのでは?と言われるほど、「平和的にアフリカ経済を支える薬」とも言われている。
もちろん、副作用などのリスクも少なく薬価そのものも高くはない。

「イベルメクチン」に関しては、アフリカ諸国だけではなく、インドなどでも投与され始めていることを考えれば、副作用そのものが少なく、様々な変異株にも効果がある可能性があるのでは?
「変異株が見つかった、大変だ!」というのではなく、「新型コロナ」に限らず「風邪ウイルス」が変異しやすコト。
そして、希望が持てるような報道も併せてすることで、生活者の心配や不安は随分変わると思う。






地方からの反旗、東京はどう考えるのか?

2021-02-17 19:28:45 | スポーツ

今朝Yahoo!のトピックスに「島根県知事、聖火リレー中止を検討」という、見出しが出た。
毎日新聞:島根県知事が聖火リレーの中止検討 政府や東京都のコロナ対策に不信

何となくだが、地方の中でも人口そのものが少なく、人口構成も高齢者が多い自治体などでは「新型コロナ対策」が最優先で、オリンピックの聖火ランナーの為の予算を「新型コロナ対策」に回したい位だろう。
まして「東京オリンピック」という名の通り、オリンピックは「都市開催」であって、国開催ではない。
自治体として、メリットが感じられないイベントに付き合わされる感が、あっても当然かもしれない。

確かに1964年の時は、日本そのものが高度成長期の時で、日本全体が「戦後からの復興」という大きな目標に向かう社会的雰囲気があった。
実際、新幹線や高速道路などが整備され、人・物の移動が大きく変った時代でもあった。

ところが今回の「2020東京オリンピック」は、「東日本大震災からの復興」と位置付ける方もいらっしゃったが、被災地の復興が進んでいるのか?と言えば、オリンピック開催の為に人をとられ進んでいる、とは言い難い地域もある、と聞く。
何より、拙ブログでも何度か指摘させていただいている通り、「福島第一原子力発電所事故」は10年経過しようとしている今でも、排水処理の問題や焼け落ちたウラン材料など、ほとんど手つかずの状態、と言っても過言ではないと思う。
誘致の時点で、そのような状況が十分考えられたにもかかわらず、誘致の際「コントロール下にある」と大見えを切ったのだ。
このような状況で「東日本大震災からの復興オリンピック」と言って良いのか?という、疑問がわいてきても当然だろう。

このような要因がありながら、つい先日にはオリンピックの総責任者ともいえる森さんが、辞任した。
世界各国からの批難の嵐では、辞任せざる得なかったとは思うのだが、その後のドタバタ劇を見ても、「火中の栗を拾う」覚悟を持っている人材が、東京オリンピック関係者にいるとは思えない。

政府が打ち出した「新型コロナ対策」にしても、今日やっと医療者を対象にワクチン接種が始まったばかりだ。
島根県下を走る聖火ランナーが、ワクチン接種できるようになるまでのロードマップも見えない状態では、不安が増すばかりだろう。
当然聖火ランナーが走るとなれば、人は集まってくるだろう。
累計でも300人にも満たず死亡者も出ていない島根県としては、何とか今の状態を保って「新型コロナ」を乗り切りたい、という気持ちもあるだろう。
まして、島根県のように県財政そのものが豊かとは言い難い自治体で、9000万円の負担は余りにも多すぎる。

「2020東京オリンピック」の開催でインバウンドが期待できるのは、東京周辺の地域に限られるコトを考えれば、東京から離れた地域になればなるほど、「負担ばかりでメリットが無い」と感じられるようになっても仕方ないかもしれない。

「島根県はオリンピックに協力的ではない」と見る向きもあるが、上述したようにオリンピックは「都市開催」であって「国開催」ではない。
地方にメリットが無いばかりか、リスクを負ってまでオリンピック開催を喜べる財政も気持ちも無くなり始めているのは、島根県だけではないと思うのだ。



「火中の栗を拾う」覚悟がある人材はいるのか?

2021-02-14 21:19:08 | 徒然

2020東京オリンピックの会長であった、森氏が辞任をした。
辞任をする際に、後継者としてJリーグやBリーグなどのチェアマンを歴任し、自身もオリンピックの出場経験のある、川渕氏を指名し、川渕氏自身も内諾したと報道があった。
しかし、この川渕氏の会長就任にIOCや政府からの難色があり、川渕氏はあっさりと内諾を断る、というドタバタが続いている。

この間に話題になったのは、川渕氏自身が84歳と森氏よりも年上である、ということだった。
「手腕は確かだが、年齢が高すぎる」という、批判だ。
他にも「女性を起用すべき」とか「若い人を選ぶべき」という、声が様々なところで言われるようになる。
確かに、オリンピックの組織委員などをはじめ「女性理事」等の人数の少なさに、IOCが苦言を呈するのは分からないでもない。
実際、日本の社会は「男性優位」の社会である、ということには違い無いからだ。

その一方で、「女性を起用すれば良い、という問題ではない」という指摘もある。
それもまた、正論だと思う。
性差ではなく、個人としての資質を問い、その結果として選ばれなくてはならない、というのは当然だろう。
そう考えると、日本のジェンダーギャップの状況を考えれば、有力な女性候補が中々見つからない、と言われればそうかもしれない。
何故なら、日本の場合「大きな組織の決定権者」になっている女性そのものが、ほとんどいないからだ。

そのような現状を踏まえた上で、改めて「会長職」を誰にするのか?ということを考えた時、オリンピック開催まで約5カ月程度の時間では、経験のない女性や若手の起用は、逆にリスクがあり過ぎるのでは?と、考えている。
「新型コロナ」の感染者数が、減少に転じ始めているという報道もあるようだが、それは東京を含む感染者が多く発生している地域での「自粛要請」の効果によるもの、ということが考えられる。
とはいうものの、「医療体制」が好転しているのか?と言えば、疑問符が付くという状態が続いている。
まして、昨夜遅く福島県沖で震度6強を記録する地震があったばかりだ。
「東日本大震災からの復興オリンピック」と位置づけ、誘致の際には安倍さんは「(福島第一原発事故の処理は)コントロール下にある」と胸を張っていったが、現実は「コントロール下」ではなかった。
そこに、新たな地震が発生した(「東日本大震災」の余震である、という指摘もある)のだ。

このような日本の状況の中、海外からオリンピックに出場するトップアスリートたちが、来るのだろうか?という疑問も出てくるのではないだろうか?
場合によっては「2020東京オリンピック中止」という、選択も迫られる可能性もあるはずだ。
様々な困難な状況が続く中で、「火中の栗を拾う」覚悟がある人が、森氏の後任になる必要がある、ということでもある。
今のJOCの理事や事務局の偉い方の中に、果たして「火中の栗を拾う」覚悟がある人材がいるのだろうか?



「モモ」と「資本論」

2021-02-12 20:55:28 | ビジネス

テキスト読みをしている、NHKの「100分de名著」。
先月は、カール・マルクスの「資本論」だった。
学生時代、経済原論で少しだけ「資本論」を学んだような、記憶がうっすらとある。
それから30年以上たって話題になったのは、トマ・ピケティの「20世紀の資本」だった。
ご存じの方も多い分厚い本で、書店の店頭に並んでいる時点で、挫折した本でもあった。
この頃から、マルクスの「資本論」そのものが、再注目されるようになった気がする。
しかし…マルクスの「資本論」は、やはり手ごわかった。
そこで「100分de名著」に頼った訳だ。

解説をしている斎藤幸平さんの解釈が、アバンギャルドというか、容赦ない「資本主義批判」となっているのに、やや驚いた。
特に、コンサルティングなどの仕事に関しては「ブルシット・ジョブ(クソどうでもよい仕事)」と言い切られており、マーケティングという仕事をしている手前、「クソどうでもよい仕事と、言われてもな~」という、なんとも複雑な気持ちになった。

「クソどうでもよい仕事」は別にして、フレデリック・テイラーが提唱した「科学的管理法」を基にした「マネジメント」が、今の「資本主義」を支える考え方であり、「マネジメントの父」と呼ばれたドラッカーの「マネジメント」とは一線を期すものである、ということと同時に、日本ではテイラーの「マネジメント」の考えによって、今の社会の歪みが生まれているのでは?という気がしたのだ。
(ドラッカーの「マネジメント」とは違う考えであるために、今回の100分de名著では、ドラッカーの名前は全く出てこない)。

テイラーの「マネジメント」とは、いかに安い賃金で最大限の利益を生み出すように管理をするのか?という、人事管理の発想だ。
労働そのものを単純化し、時間を競わせるコトで、生産効率そのものが上がるような「管理」だ。
これは、チャップリンの映画「モダンタイムス」にも描かれている。
正に今の工業化は、仕事を分断し、機械を使って単純化させることで作業効率は各段にアップした。
作業効率が上がることで、大量生産が可能となり結果「手ごろな価格で、価格以上の品質を持つ商品」を手に入れることができるようになった。

この内容を読みながら、思い浮かんだのがミヒャエル・エンディの「モモ」だったのだ。
灰色の男たちから「時間を盗まれた人たち」は、単純化させた仕事をひたすら続ける事で、自分の時間を得たような気がしているが、その多くは自分の時間を得たのではなく、自分らしく過ごす時間を失ったに過ぎなかった。
灰色の男たちが、モモのいる街の人たちを説得する時に使うのは、今の生活がいかに無駄な時間を生み出しているのか?ということだ。
「無駄な時間を有益時間(=働く時間)に置き換えれば、もっとあなたは儲かる仕事ができますよ」と、囁き「時間銀行」に預けさせる事であたかも「余裕のある生活を積み上げさせている」ようにしているのだ。
街の人たちが手にするはずだった、自分らしく過ごす時間は、灰色の男たちのタバコの材料となり、灰色の男たちが勝手に消費しているのだ。

「モモ」の灰色の男たちが、テイラーの考える「管理システム」だとしたら、それは「資本主義」の負の部分ではないだろうか?という気がしたのだ。
それだけではなく、街の人たちが創り出したはずの「生産したモノ・コト」の多くは、灰色の男たち(=資本家)の手の中にある、とも読み取れるようも思えたのだ。

「コロナ禍」の中、リモートで仕事をするようになり問題となりつつあるのは「リモートによって、部下たちが本当に仕事をしているのか?」という点だと言われている。
確かに、「管理する社員」が目の前にいれば、管理はし易い。
しかし「リモート」のような働き方になってしまうと、その仕事の成果を判断する「勤務態度管理」ができなくなってしまう。
逆に言えば今までの「人事管理」の多くは、「仕事の内容」ではなく「勤務管理」によってされてきた、ということなのかもしれない。

「資本主義」は、決して完璧な経済活動ではない、とコトラーも指摘している。
完璧ではないからこそ、改善の余地はあり、改善するのは「モモ」となりうる私たちなのだと思う。

 


崇高な理念と利権。森氏の発言で露わになったオリンピックの裏側

2021-02-10 20:30:33 | スポーツ

これまで森喜朗氏の発言を容認していたはずのIOCが、一転批判を始めた。
「謝るよりも、批判をする側についた方が、都合が良い」と考えたのが、IOCということになるだろうか?
朝日新聞:「得意の手のひら返し」IOCに恨み節も 森氏発言巡り

IOCが「手のひら返し」が得意だったとは知らなかったが、「手のひらを返した」理由はスポンサー企業からの声があったからだろう。
その一つが、最大スポンサーの1社であるトヨタの豊田章夫社長の「遺憾である」というコメントだろう。
スポニチ:【コメント全文】トヨタ社長、森会長女性蔑視発言は誠に「遺憾」五輪・パラ最高位スポンサー

1984年のロサンゼルスオリンピック以来、オリンピックはスポーツの祭典だけではなく、様々な利権が絡むスポーツビジネスと化した、と言われている。
例えば、オリンピックの聖火ランナーなどは、スポンサー企業がランナーを募集したり、ランナーそのものを有料参加募集をしたりするようになった。
一番大きな収入源となったのは、「放送権料」だ。
しかも、大会ごとにその「放送権料」は高騰するだけではなく、複数大会を一括購入するようなシステムになっているはずだ。
そうすれば、IOC側は将来的な「放送権料」を、確実に獲得することができる。
同様にスポンサー企業との契約も、複数大会の契約だったと、記憶している。
開催都市からすれば、開催期間中海外からの観光客も増え、ホテルや交通機関などの利用が増えることで、都市全体の収益アップも期待できる、と目論見もできた。

何故これほどまでに、ビジネス中心のオリンピックになったのか?と言えば、オリンピックを開催すると開催都市が大幅な赤字を抱えるようになったからだ。
競技種目が増え、当然のように参加者が増えれば、それだけ会場整備や選手が宿泊する施設の建設などが必要になる。
施設の建設ラッシュは、大会終了後の「負の遺産」として残ってしまうのが、それまでのオリンピックだったのだ。
そのため、開催都市に手を挙げる都市がほとんどない、ということまで言われていたはずだ。
その状況を打開し、「儲かるオリンピック」というビジネスモデルを創り上げ、成功したのが、1984年のロサンゼルスオリンピックだったのだ。

「儲かるオリンピック」となると、当然のことながらそこには「利権」が発生する。
それまでの「利権」は、施設建設など分かりやすい(というべきか?)だけだったが、今ではスポンサー企業との契約金やテレビの「放送権料」等、目に見えない「巨額な利権」が絡むスポーツビジネスと化したのだ。
おそらくそのような「スポーツビジネス」において、森喜朗という人はIOCにとっても使いやすい人物だったのかもしれない。
まして日本は、「オリンピック大好き」という傾向が強い。
「新型コロナ」の感染拡大が無ければ、昨年の7月~8月ごろはIOC側に支払われる「巨額な放送権料」等のことなどは気にせずに、日本人選手の活躍に一喜一憂しながらテレビ観戦をしていただろう。

ところが今回は「新型コロナ」の世界的感染拡大により、オリンピックそのものが延期となった。
延期決定までに関しても、相当な時間が必要だったこともあり「JOCとIOC、そして各国のスポーツ選手たちの受け止め方のズレ」のようなモノが、露わになった。
そこへ森氏の発言が加わり、ご本人は「何故こんなに世界から、自分が批難されなければならないのだろう?」という思いがあっただろうし、IOC側も「日本国内のことだから、上手におさめてくれよ」と、高をくくっていたら、今度はIOCにも矛先が回ってきたことで、慌てて批難声明のようなことになったのだろう。

これまで殿様商売のようにスポンサー料を吊り上げてきたIOCにとって、スポンサー企業が下りるということになれば、IOCという組織そのものが、立ち行かなくなるほどのことだからだろう。
1984年から続く「スポーツビジネス・オリンピック」が、今回のことでリセットされることになるかもしれない。
とすれば、オリンピック憲章が掲げる崇高に近づく可能性は「0ではない」気がしている。