日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

誰が価値を決めるのか?

2017-06-30 20:45:05 | マーケティング

Huffpostを「見ていたら、「価値は誰が決めるのだろう?」と思う記事があった。
Huffpost:プラダの゛2万円クリップ”が物議⇒商品ページがアクセス不能に

一瞬、事務で使うゼムクリップかと思ったら、マネークリップだった。
スターリングシルバー製なので、ある程度の価格になってしまうのは仕方ないと思う。
ただ「2万円」するマネークリップを、どのような人が買うのだろう?と、気になった。

一体どのような人が購入するのか?と想像した時、
①「プラダ」というブランドが好きな人
②マネークリップを普段使っていて、買い替えを検討している人
③話題の商品を買いたい!と思っている人
④ゼムクリップのようなマネークリップに2万円を出せる人
などが、思い浮かんだのだ。

ただ「2万円」という金額を出しても良い!という人は、どのような人だろう?と考えると
ノーブランドでスターリングシルバーの2万円のマネークリップでも、欲しい!と思う人は、いらっしゃると思うのだが、おそらく多くの人にとっては「いくらスターリングシルバーと言っても、ゼムクリップのようなデザインに2万円を出すのは、二の足を踏む」という感覚なのでは?
Amazonなどで探してみると、ゼムクリップ型のマネークリップを発見したが、価格は130円程度。
素材はシルバー製だった。
とすれば、このようなマネークリップを購入する人は、「プラダ」というブランドに高い価値観を持っているからこそ、「購入したい」と思うのではないだろうか?

日本の場合、「有名ブランド」に対して高い価値観を持っているように感じる。
一昔前の言葉でいうなら「ブランド信仰」のような、「ブランド品=良質な商品=高い価値がある」という感覚が強くあった。
反面、普段の生活で必要なものの多くは、ブランド品のような「価値」ではなく「価格」が、購入の動機となっている。
そのために起きるのが「価格競争」と言われるモノだ。
「安ければ良い」というわけではないし、日本の生活者は商品に対する要求が高いため、ある一定以上の品質の商品やサービスが提供されている。
しかし多くの場合、購入をするとき生活者が真っ先に考えるのは「価格」だと思う。
正しく言うなら「価格と自分の生活に合っているのか?必要なものなのか?」というコトだと思う。

紹介したHuffpostの記事の最後に、グッチのうちわが出てくる。
私にとって「うちわ」は、暑い時、風を送るための道具なので、どんなものでも良いと思っているし、生活の中で使う道具という点で「価値がある」とは思えない。
しかし、グッチファンにとっては「グッチが作ったうちわ」という点で、高い価値があると感じているかもしれない。
「うちわ」という点での価値なのか?「グッチがつくった」という点での価値なのか?それを決めるのは、生活者側にある、ということをよく表しているように思う。


小さなほころびが、大きな痛手を負う?

2017-06-29 17:18:53 | ビジネス

昨日の日経新聞に、気になる記事があった。

日経新聞:米の車販売、金融から逆風 ローン焦げ付き急増

記事内容を全て読むためには、会員登録が必要な記事なのだが、見出しだけでも十分内容が伝わる記事だと思う。
この見出しを見て、思い出すことはないだろうか?
2008年に世界の金融を揺るがした、「リーマンショック」だ。

リーマンショックの時に問題となったのは、低所得者層が組んだ無理な住宅ローン(=高リスクなローン=サブプライムローン)だった。
元々ローンの返済能力に疑問がある低所得者に対して、言葉巧みに「住宅購入」を持ちかけ、債権化。
焦げ付きが判明すると、ヘッジファンドがデリバティブを含む債権や株など様々な金融商品を売却したために、株価が暴落した、という「金融ショック」だった。
結果、米国の失業率が上がり、GDPの減退などアメリカの実体経済が悪化した。
その影響はご存じの通り、日本だけではなく世界中に影響を与えた。

そして今再び、同じようなコトが起きているようだ。
「リーマンショック」の時は住宅だったが、今回は車のローンの焦げ付きだ。
住宅よりも安い(と比較するものではないが)ローンの金額だと思うのだが、逆に考えれば住宅よりも少額の車のローンが焦げ付いている、ということはアメリカ実態経済の悪化が、想像よりも悪いのでは?という気がするのだ。

何よりも、今回の車のローンの焦げ付きが、「リーマンショック」の時と同じような構図となっているように思える。
トランプ政権になってから、大企業に対する税制の見直しがされ、優遇されるようになってきた。
皮肉なことに、トランプ大統領を誕生させた支持層には、ほとんど恩恵がなく、今回のような「車のローンの焦げ付き」状態となっている可能性が高い。
元々共和党の政策が、大企業や富裕層に対して税制優遇という傾向はある。
「リーマンショック」が起きた時の政権は、(息子の)ブッシュ大統領の時だった。
この時も、法人税をはじめとする税率は低く抑えられ、その恩恵にあずかれなかった層が、「サブプライムローン」の対象者だった。

これから先、注目すべきことは、トランプさんがどのような経済対策を打ち出すのか?という点だろう。
「リーマンショック」を教訓に、素早い対応をしないと「リーマンショックの再来」となってしまう可能性もある。
「リーマンショック」が起きた時、米国では保険最大手であるAIGや政府系住宅金融会社に対して、税を投入し批判を買った。
同じようなコトを2度するということを、米国民が納得するのか?

この記事は、「小さなほころびを放置すると、大きな痛手を負う」ということを、警告しているように思えるのだ。








小林麻央さんの訃報で考えること。亡くなったことよりも、生きたことにフォーカスしたい

2017-06-27 21:43:03 | 徒然

先日小林麻央さんが亡くなり、ご主人である海老蔵さんが記者会見をされた。
奥様を亡くされた直後の記者会見での姿は、見ている側にとっても辛いものだったように感じている。

ご存じのように小林麻央さんは「乳がん」に罹患され、闘病を続けていらっしゃった。
公表された時には、既に転移が見つかっており「乳がん」の進行状況はステージⅣだった。
「ステージⅣ」という状況を知って、「余命がわずかなのでは?」という憶測もあったように記憶しているのだが、今のがん治療において「余命宣告」そのものはあまりされない、と言われている。
理由は、「余命宣告」にあまり意味がない、と言われているからだ。

「がん」という病気は、進行状況だけで余命がわかるような病気ではない。
「余命3カ月」と告げられてから、3年以上元気に過ごされ、その方らしい最期を迎えられた方を、何人か知っている。
ある方は、余命宣告後海外旅行をし、夢だったアロマサロンを開き、がん患者さんやそのご家族の悩みを傾聴する、「ピアサポーター」として活躍をされていた。
「生きる」目的を持つコトで、余命そのものが大きく変わってくる、というのが「がん」という病気の特徴でもあるのだ。
その意味で、小林さんがほぼ毎日のように更新をされていたブログは、小林さんにとっては「生きがい」のような存在になっていたのかもしれない。
もちろん、小林さんのブログを読んで勇気をもらった人たちも、多かったのではないだろうか?

一つ残念なことがあるとすれば、治療の最適な時期を逃してしまった、ということのように思う。
小林さんの場合、「授乳期に乳がんが見つかった」ということも、進行を速め、治療効果が思ったような結果にならなかった原因ではないかと思う。
日本乳癌学会 乳癌治療ガイドライン:妊娠期・授乳期の乳癌は予後が不良か
「授乳期」という、特殊な時期での「乳がんの疑い」というのは、考えたくない出来事だったと思う。
「でも、もしその時に、治療を始めていれば・・・」という、残念な気持ちはある。

小林さんのように、フリーアナウンサーとして活躍をされ、その後梨園の妻としてご主人の海老蔵さんを支えるようになられても、マスコミは小林さんを追いかけていた。
そのような活躍をされていた時の「乳がん」というニュースは、衝撃的であったしマスコミの注目にもなった。
そして今回、亡くなられたことでマスコミは「亡くなった」ということを、報道し続けている。
海老蔵さんが頻繁にアップされるブログについても、批判的なコメントがあったようだ。

最愛の家族を失った時の感情は、人それぞれだと思う。
「慟哭」というカタチで、悲しみを表す人もいらっしゃれば、日々の生活を当たり前に過ごすことで、喪った哀しみをやわらげようとする人もいる。
その表現の仕方に、家族でもない私たちがアレコレ言うことではないと思う。
むしろ「亡くなった」ということではなく、小林さんが生きてきたことにフォーカスし、小林さんの生き方をシッカリ受け止める必要があるように思う。
何故なら、小林さんご自身が自分の社会的スタンスを理解した上で、積極的に様々な情報をブログというカタチで発信し続けてきたからだ。

私は小林さんのブログの読者ではなかったが、自宅での「在宅治療」に切り替えられた理由を考えたり、乳がんという病気そのものを知る切っ掛けになれば、それが小林さんが生きてきた証なのだと思う。
「人の死」はいつか忘れられていく。
そのことが悪いとは思わない。
「死」にフォーカスするあまり、前に進めないこともある。
前に進むためには、「忘れる」ということも時には必要なのだ。
だが、亡くなった人が生きていたにフォーカスすることで、その思いを引き継ぐことのように思うのだ。







活字よりも、音声、音声よりも画像・・・印象の強さ

2017-06-24 21:49:25 | 徒然

今週、話題となった豊田真由子議員。
理由は、説明するまでもないと思う。
彼女に罵倒され、殴られた秘書の方には、1日も早い心と体の回復を願うばかりだ。

この話題が一気に拡散し続ける理由の一つに、殴られた秘書の方が「音声を録音していた」ということにある、という指摘がある。
実際、テレビやネット上で公開された「音声」を聞くと、その罵倒や暴言の凄さを実感する。
これまでも、議員さんの失言が音声としてテレビやネットで流れたということはあったが、これほど衝撃的な「音声」は無かったように思う。
録音された内容だけではなく、音声そのものがハッキリしていたことで、衝撃度が増したのではないか?という、気がしている。
だからこそ、テレビ(の情報番組)で次々と流れ、それがネット上にリンクされ、ご本人が思うよりも早い速度で拡散したのだとおもう。

「人の情報処理」において一番インパクトがあるのは、やはり「画像・映像」ということになると思う。
実際、東日本大震災が起きた時、ニュースで何度も同じ津波被害の映像を見た人達が、一時期PTSDになったという報告があった。
それだけ「画像・映像」による、心理的影響は大きく印象として強く残るということだと思う。

一方、活字となるとその印象は随分変わってくるはずだ。
まず「読む」という行為から、「その意味を理解し、想像する」という、情報処理を頭の中で行う必要があるからだろう。
様々な情報処理をしたうえで、必要な情報だけが「印象やイメージ」として残る、ということなのかもしれない。
そのため、自分に興味のあることであれば残りやすく、逆に興味がないと記憶として残りにくい、ということになるのだろう(と、想像する)。

昨今のように、画像や映像が情報発信の中心となってくると、私たちの「情報処理能力」の限界を超えているのでは?という、気がしてくる。
それが良い・悪いのではなく、社会全体がそのような「情報に溢れた状態」になっている、ということなのだ。
その溢れる情報の中から、自分にとって必要なモノ・不要なモノを選び出す力というのは、物凄くエネルギーが必要なことのように思える。
だからこそ、逆に「自分にとって興味のあるモノ・コト」や「自分が共感できるモノ・コト」、あるいは「自分にとって都合の良いモノ・コト」を中心に情報を選びだしている社会になってしまっているような気がしている。

それが「自分の意に反するモノ・コト」に対して、強烈な反発が起きやすくなっているのでは?
些細なことで、激昂し攻撃するような人は昔からいたと思うのだが、そのような人が増えているように感じるのは、そのような情報社会の変化にも関係しているのかもしれない。

それにしても、豊田議員の暴言・罵倒は凄まじいく、あのような言葉を吐く人物が「精神的理由」で入院をするとは思えないのだが・・・。


スタバ人気に影?

2017-06-22 18:21:27 | ビジネス

ITmediaに、コーヒーショップ(カフェ)の顧客満足度についての記事が掲載されていた。
ITmediaビジネス:スターバックス「顧客満足」ランク外に

これまでカフェや喫茶店などの「顧客満足」の高いお店として常に名前が挙がっていたのが、スターバックスだった(ように記憶している)。
今回の調査でも、「顧客満足」以外の「顧客期待」や「知覚品質」、「推奨意向」などは1位を獲得している。
にもかかわらず、企業にとって一番気にしている「顧客満足」という点で、ドトールなどよりも低い評価となっている。

ネット上でのコメントを見ると、「価格が高い」とか「コーヒーだけなら、コンビニコーヒーで十分」という内容が、いくつも見られる。
中には「スタバはフラペチーノ」というコメントもある。
既に「スタバでコーヒーを飲みたい」という人が、減りつつあるのでは?と、感じるコメントがいくつもあるのだ。
むしろ安価な価格で人気となっているドトールや、名古屋発の昔ながらの喫茶店・コメダ珈琲店のほうが、評価が高い。
コメダ珈琲店のコーヒーは、飛び抜けて美味しいのか?と言われると、「・・・???」という気がしているのだが、「お店でゆっくり過ごせる」という点での満足度は高いかもしれない。
実際、名古屋では「半日コメダで過ごす」という、コメダファンは多い。

本当に、それだけでスタバの顧客満足が低下しているのだろうか?
昨年4月のBusinessJournalには「スタバ、深刻な顧客満足度低下…格安ドトール以下に転落『うるさい』、『客が鬱陶しい』」という記事が掲載されている。
スタバ人気が低下し始めたのは、何も今年からではなく徐々に下がってきていたのだ。
しかも低下の理由の一つが、顧客の態度によるもののようだ。
そう考えると、ドトールに来店する客とスタバに来店する客が違うのかもしれない。
ドトールの場合、コーヒー(と軽食)をひとりでサッサと飲食する人が多いように思える。
滞留時間そのものが、短いのだ。
ドトールとは全く逆のコメダ珈琲店にしても、長居をする客は多いがひとりか二人くらいで、皆さん静かに過ごしている。
BusinessJournalの記事にあるように、「店内でPCを使い長居をする客」となると、一番近いのはマクドナルドかもしれない。
近所のマクドナルドは、コンセントが設置されFreeWi-Fiが使えるため、PCをテーブルに置き作業をしている人の姿を多く見かける。
ただ、店内はとても静かだ。

コーヒーの味だけで顧客満足が低下しているのではなく、スターバックスというお店の在り方(というよりも顧客層かもしれない)も、今に合わなくなってきているのかもしれない。
そのキーワードとなるのが「静かさ」であったり「ひとりで過ごしやすい」、ということなのかもしれない。


何故「おとう飯」に、ズレを感じるのか?

2017-06-21 12:09:04 | アラカルト

1週間ほど前、内閣府が「おとう飯」というキャンペーンを始める、というニュースがあった。
内閣府男女共同参加局:「゛おとう飯”始めよう」キャンペーン

ここまで政府肝いりのこのようなキャンペーンは、お金をかける割りに、残念な結果に終わっているような印象がある。
最近でいうなら「プレ金」だろうか?
2月スタートとなった「プレ金」だが、余りにも唐突すぎて「プレ金って?」という感じだった、という印象があった。
3月は当然のことながら、年度末の一番忙しい時期と重なり「プレ金どころではない」状態だったのでは?
4月はGWが始まる前日。5月になると「そんなこともありましたね?!」程度の認識になってしまったのでは?
果たして今月6月は、どうなるのだろうか?

そして今回の「おとう飯」キャンペーンだ。
確かに、日本の男性の家事参加率は、先進諸国の中でも最低に近いと言われている。
戦後70年の間に、男性と女性の社会的仕事の分担化が進み、結果としてこのような数字になってしまったような気がしている。
社会的仕事の分担化が良い・悪いのではないと思う。
そのような役割分担を求め、専業主婦として家庭を支えることに意欲を感じている女性も、少なからずいると思うからだ。

流れが変わったのは、「男女雇用機会均等法」の施行以降だろう。
企業が求めたのは、働く女性の待遇改善ではなく、「女性も男性と同様に働いてほしい」ということだった。
「男性の働き方に女性も合わせる」という実態の結果、働き続けたい女性は「結婚も出産も子育ても一人で頑張れ!」という状態に陥ってしまっているように感じている。
そこへ「男性も育児に参加しましょう」ということで使われ始めたのが、「イクメン」という言葉だろう。
しかし、実態はどうなのだろうか?
今でも日本男性の育児時間は、諸外国に比べ随分少ない。
「育児や家事を手伝っている」と、ドヤ顔されてもその実態は乏しい内容だと感じている女性は多いのでは?

そこへ「おとう飯」と言って、男性も食事を作りましょう!という、キャンペーンだ。
サイトを見ると「(おとう飯なら)見た目が悪くても美味しければ良い」という文がある。
「女性だから、料理を作ることが苦痛だと感じていない」とか「毎日の食事メニューを考えるのが得意」だと思い込んでいるとすれば、それは大間違いだ。
「料理が苦手で、日々の食事のメニューを考えるのが億劫だ」と感じている女性が多い、という現実を知らないのでは?
そこに「(おとう飯なら)美味しければ良い」なとど言われては、毎日苦痛を感じながらも、孤軍奮闘で食事を作っている女性側の気持ちは「やってられない!」だろう。
女性の気持ちを逆なでしているとしか思えないような、文という気がするのだ。

キャッチとしての「おとう飯」という言葉も、ダジャレ感覚のネーミングのつもりなのかもしれないが、今時「おとう」という言葉を日ごろ使っている人が、どのくらいいるのだろう?
ストレートに「パパごはん」などのほうが、親しみもあったのでは?と思っている。


冒険心と情報収集

2017-06-20 21:06:50 | アラカルト

北朝鮮で拘束され、脳に重い障害を受け昏睡状態に陥っていた男性が、亡くなられた。
Huffpost:北朝鮮から解放されたワームビア氏が死亡 脳に損傷を負った大学生

日本では、北朝鮮という国が近く、いまだ解決を見ない「拉致問題」などがある為、北朝鮮という国に対しての警戒感が高い。
それに比べ、米国にとっては「北朝鮮による拉致問題」や「ミサイル発射」という出来事そのものが、とても遠い国の出来事のように感じていたのだろう。
亡くならた学生が利用していた、旅行代理店が今回の事件で「北朝鮮ツアーの米国人受け入れを中止する」と、発表をしている。
AFP通信:北朝鮮ツアーを扱う旅行代理店、米国人受け入れ中止 米学生死去で

実際このようなツアー会社がある、ということ自体びっくりしたのだが、「母親が訪れてほしくないと思っている場所」へ連れていくツアーというのが、このツアー会社の「セールスポイント」だったようだ。
そのコンセプトにたがわず、ツアーの行き先にはイランなどがあるという。
気になったのは「冒険心のある」ということと、「政治的身の危険を冒す」ということが、一緒になっていることだ。

一般的に「冒険心があるツアー」というのは、エベレストやマッターホルンのような山に登るとか、北極横断のような「過酷な自然に挑戦する」ようなツアーを指すのではないだろうか?
日本(もしかしたら、私の)基準なのかもしれないが、「過酷な自然に挑戦する冒険」と「政治的身の危険がある場所へ行く」ということとは同じではないと思うのだ。
にもかかわらず、このようなツアーに参加してしまう、というのは「興味半分」と「周囲の人が行ったことがない場所へ行った自慢がしたかった」という、本当の「冒険」とは違う動機があるような気がしてならない。
何故なら、ツアーの中にあるスキューバーダイビングなどは、何も北朝鮮まで行かなくてもできるスポーツだからだ。

もう一つ気になるのは、米国と北朝鮮は国交を結んでいたのだろうか?という点だ。
日本は北朝鮮とは国交を結んでいないため、観光目的で渡航することはできないと記憶しているのだが、実は欧州の国々の中には北朝鮮と国交がある国は、案外多いと聞いたコトがある。
随分前の話なので、今はどうなのかは知らないが、北朝鮮製の製品が欧州で売られていることも当たり前のようにある、という話を聞いたのだ。
そのようなこともあり、欧州では北朝鮮という国に対して、危機感のようなものが無かったのかも知れない。
実際、今回のツアーを企画したのは中国で起業した英国人だったようだ。
しかし、国交を結んでいない国への渡航はできなかったのでは?
中国経由で北朝鮮に入国するようなスケジュールであったため、見過ごされたのかもしれないが、ツアーに参加する以上そのような情報を参加者として収集する必要があったのではないだろうか?
「国交がない」という意味くらい、大学生であれば十分理解できたと思うからだ。

いずれにせよ、見知らぬ土地に行く時に必要なことは、出かける先の国の情勢などの情報収集だろう。
亡くなられた大学生やご遺族に対して、「死者に鞭打つ」ようなつもりはない。
ただ「冒険心」の意味の取り違えや、情報収集をツアー参加者としてしていたのか?何より、ツアー会社はそのような情報提供をしていたのか?という点で、疑問を感じているのだ。
ツアー会社側としてこのような事態が起きた時の補償は、一体どうなっていたのかも気になる。
トランプさんが、北朝鮮に対してどのような対応をするのか?という点とは別の問題として、考える必要があると思う。


元スマップメンバー3人の独立に思う

2017-06-19 20:42:00 | 徒然

今朝4時に一斉に報道された(らしい)、元スマップのメンバー3人の事務所退所のニュース。
今朝5時過ぎに朝刊を見た時には既に、記事となっていたので4時が「報道解禁」という時間だったのだろう。

スマップに関しては、解散騒動から「公開処刑」とまで言われた冠番組での生放送。
昨年暮れ、解散イベントもなく解散をした。
ファンにとっては、なんとも悔しいやら残念という気持ちの残る、解散だったのではないだろうか?
メンバーの中でも今回退所する3人は、以前から事務所を辞めるのでは?と言われ続けていた。
その点で考えると、事務所を辞めるのは既定路線という気がする。
一部では、解散騒動の要因となったメンバーの育ての親であったマネージャーは、新しい事務所設立に動き始め、他のスタッフも既に事務所を辞めている、という報道もある。
当事者ではないので、どこまでが本当なのかはわからないが、退所するメンバーが今後活躍するためには受け皿となる事務所は必要だろう。
その目途が立った・・・ということかもしれない。
ただ、正式な事務所となっていないため、10月以降の番組オファーが出し辛い状況かもしれない。

一連の報道で気になっていることがある。
それはジャニーズ事務所という芸能プロダクションが、テレビ局に対して絶大な力を持っている、と言われていることだ。
どれだけのアイドル達が所属しているのか?気になって調べてみると、SMAP以前の男性アイドルグループというのは「少年隊」だけだ。
後のグループは、SMAP以降に活躍し始めたアイドルグループばかりだ。
しかも、最近ではドラマやバラエティ番組での視聴率が、低下し始めているという指摘もある。
逆にゴシップ記事が、随分増えているような気がする。

バラエティ番組はまだしも、フジテレビが相当な力を入れて制作した「貴族探偵」などのドラマに関しては、散々な結果に終わっているように思える。
確かに、事務所側の圧力というモノがあるかもしれないが、視聴率が稼げないアイドルタレントを使い続けるほど、テレビ局に余裕があるのだろうか?
まして今回の「解散騒動」で、ジャニーズ事務所のイメージは大きくダウンしてしまった。
テレビ局側としては、視聴率が稼げないアイドルを使い続けるリスクと、事務所の圧力に屈してしまったテレビ局、というネガティブなイメージを視聴者にもたれるリスクを考えると、事務所の意向(あるいは最近流行りの「忖度」)で番組を製作するコトに抵抗感があるのではないだろうか?
むしろ積極的に、退所するメンバーを使うことのほうがテレビ局にとってはメリットが高いような気がする。

10月以降の番組編成で、彼らがどのような活躍をするのかは分からない。
ただ一つ言えることは、辞めたマネージャーやスタッフのいる事務所に移るというのであれば、彼らにとって一番心強いと思うし、ジャニーズ事務所側にとっては大きな痛手なはずだ。
少し芸能界という世界から離れ、それぞれが自分らしさが発揮できる場所を見つけ、再び活躍できればそれがファンにとっては一番良いことだと思う。





AKB48の総選挙に思う

2017-06-17 21:16:56 | アラカルト

今年のAKB48の「総選挙」は、大雨のため「無観客中継」となったようだ。
お天気のことなので、仕方ないと言えば仕方ないことだと思うのだが、そもそもテレビ中継をするようなことなのだろうか?
数年前?までは、総選挙の結果をNHKまでニュースとして取り上げていたような記憶があるのだが、ニュース性のある出来事なのだろうか?
ファンの方には申し訳ないのだが、アイドルの人気投票なのだ。
ファンではない人にとっては、興味も関心もない出来事だ。
それをネット配信ではなく、テレビ中継をしたりする意味は、どこにあるのだろう?
もちろん、ネットでも逐次投票結果を流しているようだが、ネットの場合「サイトにアクセスする」という、手間がある為、アクセスをする人達というのは、ファンが中心ということになると思う。

それに対して、一般のニュースは不特定多数の人たちが視聴している。
ファンではない人たちにとっては、「それって、わざわざニュースとして扱う内容ですか?」という、疑問を抱くのではないだろうか?
むしろメディアなどが、AKB48を紹介するときに使う「国民的アイドル」という枕詞は、メディアによって作られたイメージのような気がしている。
メディアが「国民的アイドル」と言い続けることで、「国民的アイドルなんだ・・・」ということが刷り込まれ、いつしか定着したイメージとなってしまっているように感じるのだ。

そもそも今回の「総選挙」に参加するために「CDのオマケ付き、総選挙参加権」のようなCDの販売は、CDという音楽ツールの市場を拡大させているのだろうか?という、疑問を持っている。
今では、音楽を聴くツールそのものがCDからストリーミングやダウンロードへと変化してきている。
昨年一番売れたCDは、AKB48だった。
他の部門で圧倒的に売れたのは、他のミュージシャンだったのだ。
CDと他のストリーミングやダウンロードとは一緒にする必要はないはずだが、CDを購入する人と他の方法によって音楽を聴くようになりつつある。
問題なのはCDを購入する人の動機だ。
「イベント参加権のオマケ」としてCDを購入しているとすれば、それは「音楽を聴くために購入した」ということにはならない。
その傾向が顕著にあるのが、AKBとその姉妹グループになる。
そう考えると、メディアが好んで使う「国民的アイドル」という枕詞は、違っているのでは?という気がしてくるのだ。

AKB48を仕掛けた秋元さんは、30年以上前「総選挙」の中継をしているフジテレビで「おニャン子クラブ」という女の子のアイドルグループを仕掛け人気になった。
その縁もあっての中継なのかもしれないが、CDを購入した人達を中心とした情報発信の方法があっても、良いのでは?
「国民的アイドル」という枕詞を外し、本当のファンが観たい・知りたい情報発信の在り方を考える時期に来ているような気がするのだ。



「共謀罪」採決と「加計学園問題」調査報告が、同じ日だった違和感

2017-06-16 19:15:48 | 徒然

昨日、与党が強行採決をした「共謀罪」。
そして同じ日に、かねてから問題になっていた「加計学園」に関する、何等かの圧力があったのか?という調査報告が発表された。
このような重要なことを同じ日にするなんて、タイミングを計ったのか?という、印象を持った方は多いのではないだろうか?
「加計学園」問題をクローズアップさせることで、「共謀罪」の強行採決の印象を薄めたい。
あるいは、逆に「加計学園」問題を「共謀罪」の強行採決で、薄めたい・・・という意識的な官邸側の思惑があったのでは?ということだ。

今朝、FMを聞いていたらある政治評論家の方が、違う意見を話されていた。
その方曰く「国会の会期は、実質的には今日(6月16日)に閉会する。その後、国会は開かれないので、なるべく会期を遅らせて国民が『加計問題』を忘れてほしい、という意思があったのではないか?同様に、ギリギリで強行採決すれば『共謀罪』もそこから先、審議をするコトができなくなる、という意思があったのでは?」ということらしい。
確かに、このような考えも一理あるだろう。
いずれにしても、安倍さん側としては自分が不利になる前に、幕引きをして国会という場で追及されないようにした、という点では、一致するだろう。

しかし、本当にこのような幕引きが、安倍さんにとって良かったのか?という、疑問は残る。
むしろ、悪い印象を与えてしまったのでは?という、気すらしている。
「共謀罪」にしても「加計学園問題」にしても、与党内から強い反発があったからだ。
与党内から反発がある、ということは「自民党内に反安倍がいる」ということにもなる。
安倍さんが「(改憲については)読売新聞を読んでくれ」という趣旨の発言をして以来、石破さんは、安倍さんのスキャンダルや強硬姿勢に対して、ことごとく反発や疑問を呈する発言をしている。
にもかかわらず、突き進んでしまう安倍さんの姿を見ている選挙民は、どう思い・感じているのだろう?
安倍さん自身は「リーダーシップを発揮している」と思っているのかもしれないが、本当にそのような見方を選挙民がしているのだろうか?

「加計学園」の前に起きた「森友学園」の問題も、うやむやにしてしまった感がある安倍さん。
リーダーシップどころか、自分の都合が悪いことになるとあの手この手で、逃げまくり自分の為に「共謀罪」を強引に採決させたのでは?という、印象を持つ人のほうが多いのでは?
「共謀罪」そのものの規定があやふやなことを考えると、安倍さんの心づもり一つで適用される可能性がある。
安倍さんにとって都合の悪いことを言ったり、文章を残したりしているだけでも適用される可能性だってあるのだ。
そうして、独裁者が作られていくということを歴史は教えてくれている。
そのような危機感を持つ人が多いのだろう、時事通信の調査では内閣支持率が、4カ月連続で支持率が低下している。
時事通信:内閣支持率、4カ月連続減=不支持3割超
不支持率が3割超というのは随分低いのでは?という、印象があるのだが、今回の「共謀罪」と「加計学園」の問題が、ボディブローのように効いてくるのかもしれない。