日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

美容意識と多様性、過去からの考察

2019-08-29 21:49:57 | ビジネス

定期的にチェックをするファッション誌・VOGUE Japan。
その中に「VOGUEにしては、珍しいくポイントを押さえていないのでは?」という印象の記事があった。
VOUGE Japan:「美白」はもう古い? 肌は「多様性」

「珍しいな~」と感じたのは、美容の世界では「美白ブームが続いてきた」という視点で書かれているからだ。
ライターをされている方が、私の子どもくらいの年齢の方なので仕方ないのかもしれないが、「美白ブーム」というのは古くからあるモノではない。
例えば1970年代~1980年代前半、アメリカのセレブと呼ばれる人たちは「小麦色の肌」が、人気だった。
理由は、長期のバカンスを昼間は海辺の海岸や湖のほとりのリゾートでゆっくり過ごすことができる、一つの象徴が「小麦色の肌」だったからだ。
背景には、欧米では年間を通して日照時間が短い為、「小麦色の肌=日焼け」する時間と経済的余裕が、富を表す一つとなっていたからだ。
その後「皮膚がん」などの発症の警告があり、「日焼けをする」こと自体がステイタスの象徴ではなくなっていった、という経過がある。
日本では、昨年引退をされた安室奈美恵さんの健康的な肌に憧れる若い女性が「日焼けサロン」に通っていた、という時代もあった。

もちろん、この記事にあるようにアジア特に東アジアでは「肌が白い」ことが、一つの富みの象徴のような受け止め方がされていたことがあるとは思う。
日本でも「色の白いは七難隠す」という言葉があるように、「色白である」ということが一つの美容価値という価値観が、長くあったことも事実だ。

だが、今の「美白ブーム」というのは「色白にする」ということが目的なのか?と言うと、それもまた違うのでは?という気がしている。
むしろ「シミやそばかすを防ぐ」ということが目的であって、「自分本来の肌の色を白くする」という目的ではないのでは?と、考えているからだ。
実際、様々な美白商品がテレビだけではなく、通販やネット通販などで見ることができるが「美白」と謳ってはいるものの、そこには「シミ・そばかすを防ぐ」とか「本来の自分の素肌」と言ったキャッチコピーがついている。

言い換えれば、単純な漂白的美白を目指すのではなく「自分らしい肌色美白」を目指しているのが、今の日本の女性の意識なのではないだろうか?
それが「一人ひとりの個性」として表現されたのが、資生堂の「My Crayon Project」という企業CMであり、今年カンヌライオンズという広告コンペティションで、評価されたのではないだろうか?

もっともこの記事を書かれた女性が、日本人ライターではないということを考えると、日本の美容事情というよりもアジアの美容事情として書かれたのかもしれないのだが、女性の「美容意識」そのものは、女性の社会進出と地位の変化、経済力などによって時代とリンクしながら大きく変わってきている、という過去からの考察を含めた内容であれば・・・と思うのだ。




原点回帰の「ストロー」

2019-08-28 11:13:49 | ビジネス

「ふるさと納税」と言えば、その返礼品が楽しみにしている、という方も少なくないだろう。
理由を改めて説明するまでもなく、納税をした自治体の名産品がもらえるからだ。
もちろん、納税額に合わせて贈られる品々も変わるが、その自治体ならではの名産品、特に農水産物はとても魅力的だ。
自治体側も、何とか魅力的な返礼品にしようと様々な商品を提供しようとしているようだが、泉佐野市をはじめとするいくつかの自治体の返礼品が「返礼品としてふさわしくない」と、指摘されるような事例も出てきている。

そんな「ふるさと納税の返礼品」だが、福井市がチョッと変わった返礼品を新しく加えて話題になっている。
中日新聞:福井市のふるさと納税返礼品 大麦ストロー加わる

今年になってから、海洋汚染の元凶と指摘されているプラスチック製品から他の製品への切り替えが話題となっている。
その中でも特に「プラスチックストロー」は、海洋汚染の主役のような扱われ方をされスターバックスをはじめとするいくつかの飲食店は「紙製ストロー」への切り替えなどを発表している。
これらの報道を読んだとき、どこかモヤッとした感じがあった。
海洋汚染で問題になっているのは、「プラスチックストロー」よりも「マイクロプラスチック」と呼ばれる、目に見えるか見えないかというサイズの粒子状のプラスチックだからだ。
例えば冬場活躍するフリースなどを洗濯することで、汚れといっしょにフリースのプラスチック繊維が削られ(という表現が良いのか分からないが)、排水といっしょに海洋に流れ出て、それが汚染していると言われているからだ。
そして「紙製ストロー」と言っても自然分解されるのか?という、疑問もあったからだ。

そんなモヤッとした感じを、この「大麦ストロー」が解消(と言っては大袈裟だが)してくれた。
「ストロー」の由来が、「麦わら」ということを思い出したからだ。
そしてプラスチックストローが普及する前、「大麦ストロー」を当たり前に使っていた、ということも思い出したからだ。
いうなれば福井市の「ふるさと納税」の「大麦ストロー」は、ストロー本来の素材に戻っただけなのだ。
何も「紙製ストロー使用」と謳って、エコ企業アピールをする必要などは無いのだ。

確かに、現在の六条大麦の生産量とストローへの加工ということを考えると、「高いストロー」となるだろう。
夏の飲み物として定番の「麦茶」を、通年の飲み物へと変えていくアイディアが必要だろう。
子どもの頃「麦茶+牛乳+砂糖」という組み合わせで飲んだ「コーヒー牛乳もどき」ではなく、「麦茶ラテ」という名前に変更することで、新しい「麦茶ファン」を獲得することができる可能性もある。
コーヒーとは違い、カフェインなどが含まれていないので、子どもや妊婦さんなども気軽に飲める飲み物という、位置づけもできるかもしれない。
麦茶の消費量をあげるコトによって、「大麦ストロー」の生産量を上げていく、という一つのアイディアだ。
それが、古くなったと思われていた地域産業の活性化に、つながる可能性もある。

今はやりの「タピオカドリンク」やマクドナルドのシェイクには向かないかもしれないが、「大麦ストロー」は環境に優しいというだけではなくストローの原点回帰と言えると思う。




キム・カーダシアンの「KIMONO」騒動に思う

2019-08-27 22:26:34 | ビジネス

2カ月前、日本で話題となった一つに、キム・カーダシアンの「KIMONO」商標登録騒動があった。
少なくとも今の日本社会や日本のビジネスパーソンの間では、話題にも上らなくなった「騒動」だった。
そして今日のHuffpostには、この「KIMONO」から新しいブランドネームを発表した、という記事が掲載されている。
Huffpost:ブランド名「キモノ」が物議をかもしたキム・カーダシアン、新名称を発表

「KIMONO」という名称については、7月1日時点で使用しないと明言をしていたので、日本では一気に収束した騒動だったのだがキム自身はこの時商標登録を取り下げる、とは一言もいっていなかった。
むしろ問題なのは「KIMONO」という商標登録を取り下げない、ということだったはずなのだが「ブランド名変更」で、人の関心が薄れてしまったのは、とても残念な気がした。

だが、関心を持っていた方がいらっしゃったようだ。
Yahoo!:キム・カーダシアンがブランド名KIMONOを変更すると共に商標登録出願も放棄

キム側が商標登録出願を放棄したことで、日本の着物産業関係者の思いは通じた、ということになるのだが、今後このような騒動を起こさない為にも、着物だけに限らず着物産業に関わる全ての人達が主導的に「KIMONO」という商標出願を考える必要があると思う。
その意味では今回のキム・カーダシアンの「KIMONO」騒動は、良い教訓となったのではないだろうか?
もし、日本の関係者がここで日本文化と密接に関係がある「KIMONO」関連の商標登録出願に動かなければ、第二・第三のキム・カーダシアンが登場するだろう。
だからこそ、今という機会を「日本の衣装文化」を世界に発信し、商標登録などの法的保護が必要なのではないだろうか?

と同時に、本当にキム側は「KIMONO」の商標登録出願を放棄するつもりだったのだろうか?という、疑念も感じている。
というのも「KIMONO」の商標登録放棄がされたのが8月21日だったからだ。
おそらく、新しいブランド名が決まり、商標登録などの準備ができたので放棄したのでは?という気がしたからだ。
そのように考えると、キム・カーダシアンという女性は、相当したたかなビジネスセンスを持っている、ということになると思う。
「KIMONO」騒動によって、自分の新しい「補正下着ブランド」を炎上商法によって宣伝をし、世間がこの時の騒動を忘れた頃に騒動が無かったかのようにシレっと新ブランド名を発表する・・・もともとの戦略としてこのようなコトを考えていたのでは?という気すらしてくる準備の良さを感じる。
それだけではなく、今回も自分の名前「KIM」を入れていることを考えると、自己愛の強い女性という印象を持っている。

ところで、肝心な「補正下着」だが・・・写真で見る限り「補正」というよりも一般的なボディースーツ(というブラジャーとウェストニッパー、ガードルが一体になった下着)やブラジャーやガードルなどの下着と変わらないような印象だ。
確かにブラジャーやガードルなどは、ファッション用語では「服をきれいに見せる下地」という意味の「ファンデーション」と言われているが、ワコールやトリンプなどのメーカーであれば、もっと柔らかな補正機能がある「補正下着」が作れるのでは?という気もした。

 


視聴率とチャリティー番組

2019-08-26 21:34:10 | 徒然

毎年、8月最終の土曜日の夜に放送される番組がある。
日テレ系の「24時間テレビ・愛は地球を救う」だ。

我が家にテレビがあった頃から、この番組を見ることが無く、一体いつ頃から見なくなったのだろう?と、思い返しても記憶にたどりつけないほど随分前から見ない番組になっていた。
見なくなった理由を考えるのだが、考えられる理由は「なんとなく、おもしろくなさそうだから」しか思い浮かばないのだ。
すっかり忘れそうになっていた番組を思い出させたのは、NHKのE-テレ「バリバラ」だった。
そして今年も、キッチリ!(というべきか?)裏番組を生放送でしていたようだ。
NHKE-テレ バリバラ:2.4時間テレビ愛の不自由、

E-テレの「バリバラ」が、24時間テレビに疑問を呈したのは「チャリティーを感動ポルノにしているのでは?」という、指摘からだった。
「感動ポルノ」の要素には、障害者に対する健常者の「上から目線」だとか「他人事でしか見ていない」などがある、という指摘だったような記憶がある。
人間というのは、自分勝手なところがあり「自分とは関係が無いからこそ、安心をして他人の不遇からの脱出」に、感動を覚えるということだ。
この指摘については、「ごもっとも!」としか言いようがない。
何故なら、私自身がこのような感動を得やすいところがあるからだ。

このE-テレが問題提議をしたことによって「24時間テレビ」という「チャリティー番組」そのものに向けられる生活者の視点が変わった、というのも事実だろう。
その一つが、「チャリティー番組なのに、出演者はギャラをもらっている」という指摘だ。
「ボランティアでの出演ではない限り、出演依頼があれば仕事としてギャラが支払われるのは当然」という考えもあれば、「チャリティーを目的としているのなら、その趣旨に賛同をしてボランティアとして出演すべきだ」という考えもある。
そのどちらが正しくて、もう一方が間違っている、と言い切ることは難しいところだと思う。

しかし、このような「チャリティー番組」に視聴率というものまで、関係しているのだとしたら「どうなのだろう?」と、思ったのだ。
今日のYahoo!のトピックスに、「3冠危うく視聴率稼ぎ 24時間テレビ『不要論』日テレ内外から」という記事があったからだ。
元となっているのは日刊ゲンダイなので、どこまで信憑性があるのかは疑問なところが無いわけではないのだが、もし、本当に「視聴率」というものを重視していたのだとすると、E-テレが指摘をしていた「感動ポルノ番組」と指摘されても仕方ないのでは?という気がする。

チャリティーを目的とした番組であれば、提供スポンサー側からも何らかのCMなどの放送料とは別に何らかの協賛金のような提供があるのでは?
逆に言えば、視聴率とは関係ないからこそ、通常のテレビ番組では取り上げにくい身障者の方々や社会的に問題を抱えている人たちを取り上げ、社会的理解を求めるということができるのではないだろうか?
チャリティー番組とは、そのようなものであってほしい、と思っていたのだが、放送局側としては「視聴率稼ぎの番組」の一つだと考えていたようだ。

「視聴率を重視」ということになると、もはや「チャリティー番組」という社会的目的が変わってしまうのでは?
確かに視聴率が高ければ、スポンサーに対して次年度のCM放送などの営業はしやすくなると思う。
思うのだが、それだけでスポンサー企業は協賛しCMを流しているわけではないはずだ。
「チャリティー番組にCMを流す=社会的問題にも意識が高い企業」という、イメージ付けを生活者にしやすいというメリットもあるはずだからだ。

もし、「24時間テレビ」の視聴率云々をテレビ局側がするようであれば、それはとりもなおさず「感動ポルノを提供しています」という、事になるのではないだろうか?


よりローカルな地域資産が、地域の活性化のトレンド?

2019-08-25 20:26:30 | ビジネス

お盆休みで帰省していた実家(鳥取県・米子市)から、名古屋へ戻る時はJRを利用した。
そして在来線(=伯備線)が、時折遅れることがある為通常の乗り継ぎよりも1本遅い新幹線の座席指定を購入していたのだが、予定通り岡山駅に到着した為、前日の台風10号の影響で大混雑の岡山駅構内でも少しお土産品販売のコーナーを見て回ることができた。

そのお土産品販売のコーナーの一つが、とても小さなブースで立ち止まって商品を見る人も少なかったので、どんなお土産を販売しているのだろう?と思い、覗いてみるとなかなかの名産品が並んでいた。
JR西日本の岡山支社とのコラボでつくられた「おつまみ」の数々だったのだ。
JR西日本岡山支社 ふるさとおこしプロジェクト:岡山の美味しいおつまみ
店頭には「おつまみ」だけではなく「おやつ」もあり、どれもが美味しそうだった。

そしてパッケージを見て気づいたのだが、岡山と言っても岡山県内の様々な地域の名前+キャッチフレーズが付けられているのだ。
今回私が購入した「高梁(「たかはし」と読む) 雲海ドライピオーネ」は、JR伯備線の「備中高梁」が最寄り駅となると思うのだが、山間の小さな駅で、車窓からは典型的な日本の田舎の風景が見えるところだ。
確か「備中松山城」という山城があったように思うのだが(上下線のすれ違いの為、停車時間が長く、車窓から観光案内の看板を読んだりする楽しみがある駅でもある)、おそらくその山城の風景を含め「雲海」が見られるのだろう。
その「雲海」という言葉がキャッチフレーズとして使われると、単なる「セミドライのぶどう」がいきなり旅情感あふれるものになる。
使われているぶどうが、ぶどうの中でも高級とされるピオーネということもあり、高級感というか特別感が出てくる。

他にも「岡山の名産」ではなく、個々の産地の名前+αの商品名にすることで「特別感(最近の言葉を使うなら「プレミアム感」か?)」が出てくる。
と同時に、「産地に行ってみたい」とか「加工されていない果物や海の幸・山の幸を食べてみたい」、という気持ちがわいてくるのでは?
生産地と生活者の心理的距離をグッと縮めるだけの魅力が、この「ふるさとおこしプロジェクト」にはあるような気がするのだ。

何より、このプロジェクトをサポートしているのがJR西日本の岡山支社ということも注目すべき点だと思う。
かつて鉄道は、日本の物流の中心だった。
それが全国各地に高速道路が整備されるようになると、トラック輸送に取って代わられた。
それは物流というだけではなく、利用客という点でも同じだろう。
確かに東海道・山陽新幹線は、乗降客の多い路線だが、在来線の多くは厳しい状況に陥っている。
その在来線利用者の活性化をする一歩として、在来線沿線の名品の加工品を駅構内で販売をする、というのは挑戦的な試みかもしれないが、埋もれてしまった地方を知ってもらう良い方法だと思う。
何より、生産者の顔が見え、車窓を眺めながらポケットサイズのウィスキーを飲むという、昔ながらの旅情感も楽しめる。

駅の構内で販売をするから、大量生産する必要があるのか?と言えば、1日の販売数量は多い必要はないと思う。
むしろ、毎日数量限定で販売されることで「あの時は買えなかった」という悔しさ(と言うと大げさだが)と「今日は買えて良かった!」という、気持ちを起こさせるはずだ。
地方の小さな地域だからこそ、このような地域活性化という方法もあるのではないだろうか?


役に立たないからこそ、役に立つ

2019-08-24 21:28:10 | アラカルト

昨日、某大学主催の「サイエンスカフェ」に出かけてきた。
今回の「サイエンスカフェ」のテーマだが、「ゲノムとエピジェネティックス」だった。
テーマとなっている「ゲノム=遺伝子情報」である、ということはご存じの方も多いと思う。
注目したいのは「エピジェネティックス(もしくはエピゲノム)」と呼ばれる、ゲノムに多様性をを与える物質だ。

お話しそのものはとても興味深く、マーケティングとは全く関係のない話であっても、これから先に起きてくるであろう「ゲノムビジネスと倫理感」という問題なども見える内容だった。
と同時に、DNAをRNAに転写をし最終的にはタンパク質となる為のステップのうち、生物として複雑になればなるほど転写をしない「ノンコーディングRNA」が多い、という話もあった。
いうなれば「何をしているのか?役に立っているのか分からないRNAが多いほど、生物としては複雑である」ということのようだ。
「役に立っているのかいないのか分からない」理由は、「ノンコーディングRNA」がすべて解明されていない為だが、この話を聞きながら思ったことは、人間そのものだけではなく社会や文化形成に似ているのでは?という気がしたのだった。

思考がシンプルな時代であれば、人は一つにまとまりやすい。
どのような時代でも登場する「独裁政治」と言われるものや「全体主義」と言われる社会だ。
このような社会は、一つの方向に引っ張られ「戦争や紛争を起こしやすい」社会とも考えられる。
ところが、「役に立つのか立たないのか分からない」という考えや人が存在する社会というのは、多様性に富み、寛容性が必要な社会でもある。
なにより「平和な社会」なはずだ。

とすれば、人そのものが「(細胞レベルで)多様性に富んでいる」存在であり、唯一無二である、ということになると思う。
それは「一卵性双生児」という、同一のDNAを持って生まれた人であっても、その後RNAに転写されていく過程で違った存在になっていく、という。
年齢を経ることによって、その違いは細胞レベルでも大きく違っていくこともわかっている、という話もあった。

細胞よりも小さなサイズであるDNAですら、それほど複雑で多様性に富んでいるとすれば、人そのものが複雑で多様ということであり、その複雑さと多様性を認め、興味や関心・好奇心を持つことが、ますます必要な社会になっていくのでは?と思いながら、講演を聞いていたのだった。



 



 

 


韓国の迷走が止まらない

2019-08-22 20:07:02 | 徒然

夕方、韓国が日本との軍事協定を破棄した、というニュースが飛び込んできた。
韓国側が破棄した「軍事協定」の内容そのものを十分理解していなくても、この「協定破棄」というニュースはいささか驚いた。
韓国側の意図は「ホワイト国」から外された、ということに始まった対抗策ということのようだが、「ホワイト国」を外す原因となったのは、日本側の問題ではなく、韓国側に問題があったためだ。

「ホワイト国」から外すと言っても、輸出を止めるというわけではなく、これまでよりも提出書類などが増えるため時間がかかりますよ、という内容だったはずだ。
それまで韓国国内にくすぶっていた「反日(運動)」が、一気に「日本製品の不買運動」などへと広がっていったことは、ご存じの通りだ。
ここまでの韓国国内の動きを見ていると、対米貿易摩擦の時のような「問題の明確さ」というものは感じられず、感情論だけで突き進んでいた感がある。
拙ブログでも以前指摘した「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」的な、やや見当違いのような感情論という印象なのだ。

それが「軍事協定破棄」というところにまで発展するとなると、経済の問題ではなくなってくる。
これまで日米韓共同で行ってきた、軍事訓練などを含め「安全保障」という点の問題も含まれるのでは?と考えるからだ。
忘れてはいけないと思うのだが、朝鮮半島で起きた「朝鮮戦争」は終結した訳ではない。
あくまでも「停戦」という状態が、続いているだけなのだ。
そして「朝鮮戦争」が起きた頃と今とでは、朝鮮半島を取り巻く軍事的環境も大きく変わってきているはずだ。
特に北朝鮮のバックについていると言われている対中国との関係は、経済面では友好的であっても軍事的には日・米にとっては決して友好的だとは思えない。
実際、国名は伏せてながらも中国の軍艦や偵察機などが、日本を脅かすという状況が、ここ数年ますますひどくなってきている(ように感じている)。
その点からも「日・米・韓による、軍事演習」などは、ある程度の抑止力となっていたのでは?
そこから韓国が自ら外れるとなると、北朝鮮だけではなく中国にとっても韓国を取り込むチャンス、と捉える可能性も高い。
何故なら、韓国一国で中国と一戦まじえるほどの力があるとは思えないからだ。

なんとなくだが、今の文政権は「国内向けポーズ」に必死になるだけで、国際政治とかグローバル経済という視点が欠けているのでは?という気がしてくる。
確かに「ホワイト国」から除外されたことで、韓国の主要産業である半導体産業はダメージを受けるだろう。
しかし、上述した通り「輸出取りやめ」という意味ではない。
「輸出はしますが、時間がかかりますよ」という意味なのだ。
しかも「ホワイト国」から除外された理由が、今回の軍事協定破棄に関連するような内容となると、韓国そのものが問題の本質から目をそらし、勘違いも甚だしい解釈により、世界的な安全保障の意味すらも理解せずにいる、ということを示しているような気がするのだ。

最悪な場合、同盟国であるはずの米国から安全保障のグループから切られる可能性もあるのでは?
そこまで考えた「軍事協定破棄」なのか?
韓国政府の迷走は、文政権と共に続くのだろうか?




AIの時代が到来するからこそ、人について考える

2019-08-20 20:18:13 | ビジネス

定期的にチェックをしているサイトの一つに、広告代理店の博報堂のサイトがある。
博報堂が調査し、まとめたレポートが読めるので、よく利用させていただいている。
その博報堂のサイトに、今年のカンヌライオンズ(=世界で一番大規模な広告の賞)で、博報堂が行ったセミナーの内容がUpされていた。
博報堂special:カンヌライオンズ2019レポートVol.6  博報堂セミナー「人間について語ろう」レポート

このレポートを読みながら、AIの登場によってますます「ひとの力」がクローズアップされてくるのでは?という、気がした。
その理由の一つが「感情」だ。
「人は感情」によって行動を起こす、ということは随分前から指摘さえていることだと思う。
だからこそ、日本の広告は「性能などの具体性」よりも、「感性に訴える」広告が多いと言われている。
特にバブル経済の頃は、この「感性に訴える広告」が多すぎて、逆に「何を言いたいのか分からない」という広告も多かった。
バブル経済崩壊後は、その反動を受けたかのような「性能・機能重視」の広告が目立つようになったのは、実感としてあるのでは?

このレポートでは、そのような「感性に訴える広告」という視点ではなく、AIが苦手とする分野は何か?そこから見えてくる「ひとの力」という内容になっている。
例えば、今後AIの独壇場になるのでは?と言われている(?)健康診断などの分析。
確かに、分析を行うことにかけては人間よりもAIのほうが、的確だろう。
ただし、的確な分析・判断をするためには、人が行ってきたデータの蓄積があってのことだ。
何より、健康診断の結果を通知されるだけなら、AIでも十分だと思うが、対面で結果を知るという場面になれば、やはり医師からの丁寧な説明がを受けたいという方は多いのでは。
逆に言えば、医師だからこそ患者の揺れ動く気持ち(=感情)を察知し、的確な言葉を選びながら話をする力が必要とされる時代であり、そのような力がある医師が求められるようになってきている、ということになると思う。
違う言葉を使うなら「信頼関係をつくれるか否か」ということが、求められる時代になるということになると思う。

ルーティンに近い作業や情報の提供などは、AIが得意とすることだろう。
しかし人と人との繋がりの中から生まれる「信頼」や「安心」などは、AIが苦手とするところだと考える。
社会が殺伐とする中においては、尚更「人との繋がり」が大きな安心となり、信頼をつくっていくはずだ。
そのような社会形成の為に、何が必要なのか?
そのようなことを真剣に考える時代が、今なのかもしれない。



ボンヤリとする時間をつくろう

2019-08-19 20:10:02 | 仕事のコツ

今年も、酷暑というよりも殺暑と言ったほうが良いのでは?というほどの暑さが続いている。
このような殺暑の中のお盆休みとなった訳だが、帰省する電車や高速バスの中でフッと思ったことがある。
それは「思考力と読解力」ということだった。

ここ2,3年人の話を聞いていて「え!」と思うことがあった。
それは「本を読む」ということと「考える」ということが、結びつかないという方が案外多いということだった。
「本を読みながら、考える」と言ったほうが、分かりやすいかもしれない。
人にはそれぞれの読書スタイルがあるので、どのような読み方が一番良いと言い切れるわけではない。
ただ、「本なり新聞(最近はネットニュースなど)を読みながら考える、あるいは考えながら本や新聞(ネットニュース)を読んでいる」という人が、少ない(あるいは少なくなってきている)のでは?という気がしたのだ。

今から40年以上前、受験生だった私はこの時期「英語の長文読解」に、悪戦苦闘をしていた。
教科書に掲載されている英文が受験に出ることは無いので、とにかく長文を読みこなすことが受験の近道と言われていたからだ。
そうすると、英文を読みながら日本語を考え、分からない単語が出てきても前後の単語や文全体から理解する必要となる。
分からない単語一つに、躓いている場合ではないのだ。
元々、現代国語の授業でも文章全体を読み、その内容の概略的なものを理解した上で、文をバラバラにし、分かりやすいように組み立て直す、ということをしてきたので、もしかしたらそのような思考で英文の長文を読んでいたのかもしれない。
ただ、ぞのころに身に着けた「読みながら考える、考えながら読む」という習慣が、思考力と読解力を鍛えたように思う。

そしてこの「思考力」を単発的なもので終わらせない為の作業が、「思考を重ねる」ということになる。
「思考を重ねる」というと、どこか難しそうな印象を持たれるかもしれないが、「単発の思考を広げ・重ねる」ことで、より思考力は深まっていく。
一つのアイディアを広げる為に、キーワードをノートに書き足していくのと同じ作業を繰り返すのだ。
それをノートに書き起こすのか?自分の頭の中で展開するのか?の違いなだけなのだ。
ノートに書く方が、忘れることが無いのでお勧めしたいのだが、移動中のバスや電車の窓からボンヤリと風景を眺めている時に、思い浮かぶことが多い為、とりあえず頭の中で展開することになるのだ。

しかしこの「読みながら考える(あるいは考えながら読む)」ことが苦手な方は、ボンヤリとした時間を持つことも苦手なようで、すぐに正解を求める傾向があるようだ。
確かに、様々な情報が飛び交い判断力を求められることも多い現代社会だが、案外瞬時の判断力が求められる時というのは、ルーティンでは対応できないような時のほうが多いのでは?
とすれば、ルーティン以外のことをしている時は、時々ボンヤリする時間を積極的につくり、自分なりの「思考力を鍛え、思考を重ね、思考の文脈」をつくるようにしてみてはいかがだろう?

「AIが活躍する時代だからこそ、ボンヤリする時間をつくる努力が必要なのでは?」と、高速バスの車窓から見える夏雲を見ながら思った、お盆休みだった。




お知らせ

2019-08-11 21:16:15 | Weblog

このところの猛暑で、思考力が激しく低下。
テーマを見つけることもできず、お休みをしていました。
そして明日から今週いっぱい、お盆の為実家に帰省します。

再開は今週末の予定ですが、台風10号の進路予想が名古屋へ帰る予定の日に直撃となっているため、名古屋へ帰ることができるのか?不安な状況。

今年のお盆休みは最長9日。
海外で過ごされる方も多いようですが、仏様が帰る家の方はお迎えと送りの準備でアッという間のお盆休みでしょう。
暑さに無理をせず、ゆるりとしたお盆休みをお過ごしください。