8月末ごろ、ネットで知り合った知人からお子さんの「夏休みの宿題」について、アドバイスを求められた。
なんでも、夏休みの宿題の作文が書けずに困っているらしい。
終わっていないのは、作文だけではなく読書感想文もある、というメッセージがきた。
気心の知れている方なので、私からいくつかのアドバイスを書き出し、メールで送信をしたのだが、どうやら学力的な問題ではなく、文章を書くのが苦手、という方は案外いるのかな?と、その時感じたのだった。
その後も、違う方から「文章を書くのって、苦手」と言われたので、同様のアドバイスをしたのだが、その時「作文教室」を開いてくれればいいのに…と、冗談なのか本気なのかわからない言葉を頂いた。
考えてみれば、「文章を書く」という作業は、案外大変な作業だ。
頭をフル回転させ、言葉を選び、文と文を繋げ、話を創っていくのだ。
では、何故文章を書くコトに対して、苦手意識を持ってしまうのだろう?と、考えると「最初から、良い文章を書くことを目指している」からなのでは?という気がしたのだ。
「良い文章とは何か?」と問いかけると、多くの人は「わかりやすい文章」だと答えるだろう。
では「わかりやすい文章とは?」と、掘り下げると「平易な言葉で書かれている」と言われる方は多い。
ということは「良い文章」とは、「平易な言葉で書かれている文章」ということになる。
ところが「良い文章」と言った時、ある一定数の方は「難しい言葉を使っている」とか「流行りのカタカナを使っている」というような、イメージを持たれているように感じている。
「読書は好きだけど、文章を書くのが苦手」という方も、「書かれている文章と文章の間にある、作者の思いや考え」を掬い取ることができれば、「読んだ本に対して、何を感じ・共感をし・あるいは疑問に思ったのか?」ということが、読書と同時進行で頭の中で整理されている。
それをアウトプットする作業が、「読書感想文」なのだ。
「面白くない」とか「作者に共感できない」と感じ・思うことは自由だし、そこに正解はない。
問題なのは、「面白くない。共感できない」等、作品に対してネガティブな言葉を使うと、往々にして学校の先生は良い顔をしないし、評価も与えてくれない。
評価者である担当教員が付ける点数で、内申点等が決まってしまうので、自分の思いとは別の賞賛するような言葉を書かなくては!という、強迫的観念にとらわれてしまいがちになってしまい、それが結局「読書嫌い、作文嫌い」の要因になってしまうのでは?と、考えている。
ところで「平易な言葉」を、沢山見つけることができる場所が、身近にある。
それは、書店だ。
書店には、難しい言葉で書かれている専門書から、児童書や絵本までそろっている。
幼児教育として「読み聞かせ」をされる親御さんは多いと思うのだが、「読み聞かせ」の次のステップは、「自分で読んてみたい本を探す」ということなのではないだろうか?
その場所として、書店はぴったりな場所なのだと思う。
勿論、図書館でも良いのだが、図書館は静かに過ごす場所であって、「知識や情報のアウトプットの場」ではない。
「どこで、何を感じたの?」という、問いかけを重ねることで、その本を読んだお子さんの中に「読書の楽しさ」とは別に「読書の奥深さと、自分の思いを伝える」を実感するのでは?
「問いかけがしやすい」という場となると、図書館よりも書店の一角のザワザワとした周囲の中で、過ごすことの方が、本から得られる情報とは違うモノも得られるのでは?と、考えるのだ。
書籍のデジタル化やAmazon等の書籍通販等の充実により、今や町の本屋さんは風前の灯となっている。
しかし「書店」の存在そのものが、その街の文化や情報の発信地であり、学びの場だと視点を変えることで、町の本屋さんの存在は全く違う物になっていくのでは?
知人から声を掛けられた「作文教室」のコトを考えながら、どんな場所だったら子ども達が文章を書く楽しさを体験できるのか?と思いめぐらしたとき、「町の本屋さん」の存在に、改めて気づいたのだ。
日経新聞のWebサイトに、企業の利益は働く人に還元されないのだろうか?と、心配になるような記事があった。
日経新聞Webサイト:日本企業、たまる賃上げ力 労働分配率は49年ぶり低水準
日経新聞の記事は、有料会員向けなので全文を読むコトができないのだが、同様の記事がBloombergのWeb版に掲載されていた。
Bloomberg Web版:日本の労働分配率が2年連続低下、過去最高益でも従業員に恩恵薄く
Bloombergは、日本の報道会社ではないので、記事の内容がやや厳しい書かれ方をされているように感じる。
対して日経新聞は、企業経営者も多く読む一般紙なので、「忖度」が働いたような印象の見出しだ。
Bloombergの記事では、2年連続低下とあるが、今年の春闘では賃金そのものは上がっているはずだ。
しかし「労働分配率が低下している」ということは、企業には賃上げ以上の利益があった、ということになる。
このような状況は、2年前からではなく「アベノミクス」によって、「バブルが崩壊した時のような、金融不安が起きた時の為に」という理由で、多くの企業が「内部留保」を増やし続けてきたことから始まっている、と考えている。
「アベノミクス」そのものの目的は、企業に対して手厚い政策を行うことで、賃金等を引き上げ、生活者の可処分所得を増やし経済を動かす、という「つもり」だったはずだ。
しかし、その思惑は当初から崩れ、企業の内部留保だけが増え続け、実質賃金は下がる一方、当然生活者の可処分所得は増えることが無い、というマイナスのスパイラルが起きていた。
それが表面化したのが、今回の「労働配分率の低水準」ということになるのでは?と、考えている。
日経の記事にある49年前と言えば、日本は「オイルショック」にあえいでいた頃だと思う。
石油が高騰し、街中からトイレットペーパーや洗剤等が消え去るような、パニックが起きていた。
そのような状況でありながらも、生活実感としては今よりも「明るさ」があったような、気がするのだ。
確かに、テレビの放送時間は夜11時半くらいで終了し、街中のネオンも早々に消えてしまう、という状況だった。
そのような、国民全体のエネルギー消費の切りつめ(というべきか?)何とかしようとしていた。
そんな状況の時に登場したのが、田中角栄という人物だったのだ。
田中氏の「日本列島改造論」はインパクトがあり、余剰となるお金のある人達や企業は、不動産投資に走ったのも事実だろう。
結果として、日本経済は持ち直す切っ掛けとなったのでは?という、印象を持っている。
(その後の、バブル経済を引き起こすコトになった不動産投資は、この時の経験も要因の一つなのでは?と考えている。勿論、「プラザ合意」後の急激な円高も大きく影響しているはずだ。)
今現在の岸田総理を見ていると、田中角栄氏のような力を感じることは無く、「これ」と言った経済政策のテコ入れもされているとは言い難い。
そのような状況の中で「労働分配率が下がり続けている」という状況は、日本経済にとってマイナスというだけではなく、「企業富て、民貧する」状況を打開しない限り、「失われた30年」の年数が伸びていき、日本経済そのものの地盤沈下となってしまうような気がする。
日経新聞のWebサイトに、岸田総理が発表した「資産運用経済特区」についての記事があった。
日経新聞:資産運用特区、札幌・東京・大阪・福岡 海外勢を誘致
岸田政権前から、政府は「年金に頼らず、自分で自分の老後資金をつくってください」というニュアンスのことを、言い始めていた。
その一環として登場したのが、iDeCo(確定型拠出年金)やNISA(少額投資非課税制度)という、新しいタイプの投資方法だ。
この2つの投資方法は、いずれも少額で始められるという点や非課税ということもあり、「年金支払い額に対して、十分な年金支給が期待できない」と感じる世代や、今の金利状態では銀行等に預けていても利息が期待できない、少額から始められる等の理由で「投資初心者向け商品」として、人気になっている(ようだ)。
そして今回、岸田総理は米国・ニューヨークで現地の投資家向けに「海外、特に米国の運用会社を誘致したい」という趣旨の講演をした。
その一環として出てきたのが「海外運用会社誘致・経済運用特区」という訳だ。
この中に、名古屋が含まれていないのはなぜか?気になるところだが、何故今海外の投資運用会社の誘致を進めるのだろう?
Diamondon-line:首相がいまさら「資産運用特区」をぶち上げるトホホな日本
この記事を書かれた方は、元々証券会社出身の方なので「積極的投資」を謳うのは分かる。
上述した通り、今の日本の0%金利と呼ばれる通り、預貯金をしても利息は付かない、という状況がここ10年余り続いている。
多くの生活者は、「0金利政策」そのものに慣れてしまい、金利を期待して預貯金をしているというよりも、日々の生活の為に銀行にお金を預けている、という状況なのでは?という、気がしている。
投資そのものは、元本保証がされているわけではないため、多くの日本人にとっては「抵抗感の有るお金の増やし方」だと言われてきた。
もう一つの理由があるとすれば、「お金の話をする」ということ自体、タブー視されるような社会的雰囲気が日本にある。
そのようなこともあり、海外に比べ「資産運用」の割合として、投資は預貯金や国債等に比べリスク商品というイメージが定着している。
特に、今回の経済運用特区から外された名古屋は、その傾向が強いということなのかもしれない。
ただこの岸田さんの「海外の運用会社の誘致」について、不安な感じを受けている。
その理由の一つが、日本の生活者のお金が海外に流れるのでは?ということだ。
投資先が国内の企業であれば、投資をすることによって新たな産業や市場が、国内で生まれるというチャンスはあると思う。
しかし海外の投資会社となれば、どれだけ日本国内の企業に投資されるのだろうか?
日本の生活者のお金が海外に流出してしまうことで、日本の経済が良くなるのか?
という不安を感じたのだ。
日本の企業は「横並び」する傾向がある。
いわゆる「護送船団方式」と呼ばれる、国に守られながら大きな一団で動く考えだ。
金融等はその最たるものだ。
その為、業界内での「競争が生まれにくい」とも言われている。
それを打破する、というのだろうか?
とすれば、まず国内における金融の「護送船団方式」のようなやり方を替え、業界内で特色のある競争をするような政策を実施する方が先決なのでは?
もう一つは、「経済運用特区」を設けたところで、ネット証券等が躍進している中、このような「特区を設ける」ことの意味があるのか?ということだ。
ネット証券であっても、金融庁の認可が無くては営業ができない(と理解している)。
であれば、金融庁の認可さえあればどこで営業をしようと、資産運用会社の自由なのでは?ということなのだ。
もちろん、私の理解不足ということも十分あるとは思っている。
岸田総理になってから、効果的な経済政策が出された記憶がないこともあり、今回も・・・???という感が否めない。
今日、Yahoo!トピックスにあった「ジャニーズファンの購買力」のようなテーマ記事に、目が留まった。
デイリー新潮:「企業はジャニーズファンを甘く見ないほうがいい。10‣2”社名変更記者会見”を見守るベテランテレビマンの本音
故ジャニー喜多川氏の「性加害者」の問題が、様々な波紋を呼び、今でも続いている。
この状況なら、10月2日の「社名変更記者会見」が終わっても、まだまだ続きそうだ。
そもそも10月2日の記者会見は「社名変更記者会見」という内容で、報じられているが、ジャニーズ事務所側はそのような発表を事前にしているのだろうか?
この見出しタイトルは、ややセンセーショナルな気がする。
日本の芸能界、特にアイドルと呼ばれる人たちが所属している芸能事務所は、ジャニーズ事務所だけではない。
確かに「ジャニヲタ」と呼ばれる、ジャニーズ事務所に所属しているグループのファンは、数多くいるだろう。
このような問題がクローズアップされて初めて知ったのだが、所属事務所が管理している各アイドルグループのファンクラブ会費だけでも、相当額が事務所の収益になっていて、その額は他の芸能事務所よりも多いのでは?と、暗に想像がつく。
だからこそ、この記事のインタビューに答えたテレビマンは、次々と取りやめられ契約見直しを表明した企業に対して「その場しのぎのようなジャニーズタレントの降板や契約打ち切りは、デメリットばかり」というニュアンスの話をされたのだろう。
事実、「X」に投稿されるポストには「推しジャニーズのCM降板になったから、そのCMの商品を買うのをやめましょう」という、「不買運動」を呼びかける内容のモノもあるようだ。
この「不買運動」から、「生活者は、一体何を基準で商品やサービスを選び・購入するのだろう?」という、当たり前のことを考えさせられたのだ。
確かに、自分が推しているアイドルがテレビCM等に起用されれば、嬉しいいし、同じ分野の商品で価格もさほど変わらない場合は、推しが登場するCMの商品を購入するかもしれない。なぜならそれが「ファン心理」というモノだからだ。
しかし、その商品を購入するのは「ジャニヲタ」と呼ばれる、ジャニーズファンだけではない。
むしろ、ジャニーズファン以外の人達の方が、多いのではないだろうか?
とすれば、今一度「生活者の購買心理」というモノを、学び直す必要があるのではないだろうか?
マーケティングの基本「4つのP(売り場・価格・製品や商品・広告)」が揃うことで、商品やサービスはおのずと売れていく、という考えを示したのはドラッカーだった。
もちろん、この4つのPが揃ったとしても、商品やサービスが自然に売れていくわけではない。
ただ、この4つのPの中で上げられる「広告」は、1/4の重要なモノである、ということには変わりない。
だからこそ、「ジャニーズファンが不買運動をすることで、商品やサービスの売り上げが減少するのではないか?」というのが、おそらくインタビューに応えたテレビマンの意図するところなのだろう。
逆に考えれば、「広告」に影響されるのは全体の1/4なので、「安直な広告に頼る必要がないほどの製品やサービスの提供、その商品やサービスに似合った価格、届けたい生活者がいる場所」ということが、重要になるということでもある。
「所属タレント・アイドルは被害者であって、加害者ではない」というのも、一理だ。
であれば、事務所を離れ自力で自分の選んだ世界で、活動をしそのポジションを得る努力をしなくてはならない。
ジャニーズファンは「ジャニーズ事務所にいたからファンになったのか?それとも推しがたまたまジャニーズ事務所に所属していただけなのか?」その違いを問答してみた方が良いかもしれない。
と同時に、同じことを安直にCMやテレビ番組に起用し続けた企業や代理店も問答をする必要があると思う。
今朝、FM番組を聞いていたら「パートタイムで働く主婦の年収」についての話題が、取り上げられていた。
この「パートタイムで働く主婦の年収」というのは、いわゆる「106万円の壁。130万円の壁」と言われるモノで、ある一定額を超えると「扶養から外れて、社会保険料や健康保険料等を支払わなくてはならない為、実質手取り額が減ってしまう。その為に、わざわざ扶養控除内で働くパートタイム主婦」のコトを指している、ということはご存じだろう。
この「扶養控除の壁」に対して、岸田さんが2年間の猶予を与えるといった趣旨の話が、出ている。
日経新聞:「年収の壁」で1人最大50万円助成 岸田首相が明言
日経新聞:「年収の壁」130万円超でも2年まで扶養に 10月から
確かに、実質の手取り額が減ってしまう為に、パートタイムの勤務時間調整をしている、という主婦の話はとても身近な話題として毎年のように聴いている。
特に、これから11月くらいの間は、サラリーマンの「年末調整」書類の提出と重なる為、9月10月は、扶養内に収めるため「欠勤届」を出して調整をされる主婦も少なくないだろう。
ただ、このようなニュースを聞く度に思うことなのだが、元々女性の労働賃金は男性の7割と言われており、今の時代、シングルマザーとして働く女性の生活そのものはとても厳しい状況になっている。
「日本人の子どもの7人に1人は、満足に食事を食べられる環境にない貧困家庭」というシングルマザー家庭の生活困窮を訴えるNPOのネット広告が表示される。
一人親家庭に対しての様々なサポートはされているのかもしれないが、それがまだ十分ではない、と感じさせる広告でもある。
一人親家庭の中でもシングルマザー家庭が、経済的困窮に陥りやすい理由は、上述した通り女性に対する賃金の安さだ。
そのような困窮状態で生活をしている一人親家庭の平均年収はパート主婦の世帯年収よりも随分低い。
上述したように、一人親世帯における経済的困窮が、日々の生活の問題だけではなく、子ども達の進学選択の機会を奪うということにも結びついている、という指摘は再三されてきた。
だからこそ、「世帯収入によって、社会保障費等を負担すべきではないか?」という、指摘なのだ。
この問題に目を向けることなく、単に「パート主婦にしっかり働いてもらい、社会保障費等も払ってもらいましょう。その為の暫定的助成を出しましょう」という、バラマキ型政策に疑問を感じるのだ。
何より、この「バラマキ型政策」の原資となっているのは、税金である。
困窮する生活の中から、支払っている一人親からすれば、納得がいく方法なのだろうか?
このような話が出るたびに「自己責任」ということを言われる方がいる。
確かに、離婚をし一人親家庭を選んだのは、その人本人であることには違いない。
しかし、一人親家庭を選んだ人にも様々な理由があるはずだ。
それは「パート主婦が扶養内で年収を収めたい」という理由と、どれほどの違いがあるのだろうか?
むしろ、一人親家庭を選ばざる得なかった人の方が、深刻な問題を抱えた上での選択だったのでは?
自民党は「モデル世帯」に固視するあまり、今現在の「様々な家庭の姿」を見ていないという気がする。
と同時に仕事をしている人の多くが、「源泉徴収」と「年末調整」という方法によって、税を徴収・調整されている為「自分が支払った税金の行方」に興味を持たないようにしているようにも感じている。
「税の無駄遣い」は再三指摘されながら、一向に減らないのは納税者自身が「その税の使い方、おかしいでしょう!」と、指摘をする前の興味。関心の無さによるのでは?
「所得と税、扶養控除による不公平感」を、考える時にきているのではないだろうか?
Huffpost を記事をチェックしていたら、「あ~~~、AIに勝る人って、こういうことなのか!」と、感じる記事があった。
Huffpost:死亡した元NBA選手を「使い物にならなくなった」。失礼すぎる訃報が物議。AI使用の疑いも
元NBA選手の訃報を掲載したのは、マイクロソフト社のMSNだったようだ。
日本でも比較的信用度の有るニュースサイトとして、MSNの記事を読まれる方も多いのでは?という気がしている。
特に海外からのニュースになると、AFPやReuters等がメインとなり、次いでWashingtonPostやBloombergといった米国のニュースメディアということになると思う。
今回のように、元NBA選手となると日本ではNBAファンなら、その活躍を知っていてもNBAファンではない人達にとっては、「あ~~NBA選手の訃報だ」程度にしか思われないかもしれないので、問題となった英文見出しも興味がないと思う。
そのような状況だからこそ、日本では話題にならなかったのだと思うのだが、一歩引いてこの見出しを読むと、亡くなられた選手に対して失礼過ぎる暴言の見出しだ。
この記事を書いたのが、AIなのでは?と気づく要因となったのは、署名記事ではあるが、署名者名が無かったということだろう。
「エディター=著名者」というを考えれば、署名記事がまだ書けない記者なのか?という印象も持たれるが、人が書いた記事であれば、もっと他の表現をするだろう。
何故なら、見出しを含め記事全体から感じ取れるのは、亡くなられた選手に対する敬意というモノが、感じられないからだ。
数年前から「社会のAI化が進むみ、将来AIに奪われる職業」ということが、言われるようになってきている。
それに加え今年あたりからはチャトGPTという「生成AI」が話題になってきている。
この「生成AI」の登場によって、より「人とAIの差が縮まるのでは」と言われているが、本当にそうなるのだろうか?
その答えの一つがこの元NBA選手の訃報記事なのでは?という、気がしている。
AIにしてもチャットGPTにしても、基本はコンピューターだ。
「1と0」の集約でしかない。
すなわち数値化できないコトに関しては、苦手というか、できないコトになる。
もちろん、その「数値化できないコト」を過去のデータから、状況分析(というデータ分析)をし、ある程度の未来予測をする、ということはできるだろう。
それはもしかしたら、ドラッカーの言った「未来を予測する為には、過去のデータを分析するコトで、ある程度分かってくる」ということと、同じかもしれない。
ドラッカーは、よく人口統計をもとに話をされていたが、10年前出生した子ども達の人口は、現在の10歳の人口よりも多くはならない、ということだ。
したがって、現在10歳の子ども達の10年後である20歳の若者たちの市場規模は、現在10歳の子ども達の市場規模よりも大きくはならない、という考え方だ。
そんなことは当たり前だ!と思われるかもしれないが、この視点がマーケターにはとても重要なのだ。
そこに加えるのは「感性や感情」と言った、「人にしか持ちえない感覚」だ。
その「人にしか持ちえない感覚」がないからこそ、MSNの訃報記事がAIによる生成記事なのでは?という指摘がされているのだ。
言い換えれば、「AIでは勝てない人の力」というのは、「人の気持ちや感情を敏感に受け止め、寄り添う力」なのではないだろうか。
そのような感性と力を身につける為の努力が、これからのビジネスパーソンに求められる能力となるかもしれない。
円安が進み、ガソリン1ℓ当たり200円近くまで高騰している地域もあるようだ。
私自身は、運転免許を持っていない為、直接的な「高騰の実感」はない。
しかし、ガソリン価格が上がるということは、物流コストも上昇するということになる。
物流コストが上がる、ということはスーパー等で購入する食品や日用品等の価格も上がる、ということに繋がる。
ネット通販等を利用するにしても、送料そのものが上がってしまう。
ネット通販サイトに出店しているショップ側としても、すぐの値上げ対応はできず、その分の補填を考えなくてはならない。
単純に商品上乗せする、という訳にもいかない。
そのような状況にあるのが、日本の物流や小売りの現状なのではないだろうか?
それはとりもなおさず、生活者にとって日々の家計を圧迫する要因となる、ということでもある。
そのようなガソリン高騰を受け、岸田政権が打ち出した対策は「補助金」だった。
石油元売り会社に対して「補助金」を出すことで、市場のガソリン価格を抑える、という考え方だ。
一見よさそうに思える対策だが、その「補助金」の原資となっているのは、私たち生活者から得た「税金」だ。
日本の財政が「赤字がつづいている」と言われながら、「少子化対策」や「増え続ける社会保障費」等に充てる財源の問題に対しては「消費税を上げる」ことで、カバーしようとしている。
これでは、国民の生活そのものを圧迫するだけで、一人ひとりの生活者が自由に使えるお金そのものを減らし、日本経済そのものを立ち行かないようにしている(ように思われる)。
そのような状況の中、(いわゆる)業界団体から「ガソリン税の一部廃止」という提言が出されて始めているようだ。
朝日新聞:ガソリン税の一部廃止「英断すれば消費者にメリット」石油連盟会長
ここで注目すべきは、「ガソリン税の暫定税率分」という点だ。
この「暫定税率分」は、2010年に既に終わっている。
それが、「恒久化」しているだけではなく、当初の「道路維持管理」という目的税から、なんでも使える一般税になっている。
ガソリン=自動車とは関係のない目的で税を使うのであれば、その分を撤廃すべきではないか?ということのようだ。
この石油連盟会長の提言は、物流業界はもちろん小売り団体等も賛同するのではないだろうか?
理由は、上述した通りガソリン価格は、生活のあらゆる場面で大きな影響を与えるからだ。
岸田政権は何かにつけ「補助金」を活用するのがお好きなようだが、「補助金」を特定の業種や業界にばらまくのではなく、生活者全体にメリットが感じられるような「経済政策」の方が、効果的な気がする。
何故なら、生活者が自由に使えるお金(=可処分所得)が増えることによって、「暮らしの豊かさ」を実感するコトができるからだ。
まだまだ連日のように報道され続けている、「ジャニー喜多川氏の性加害問題」。
既にCM等に、ジャニーズ事務所所属のタレントさん達の起用を取りやめ、見直しを発表した日本企業が、数多くある。
その対応について、「起用タレントの問題ではないのに、可愛そう」という同情的な意見もあれば、「タレントに非はなくても、長い間そのような行為があり、暴露本等も出ていたのだから、その時点で起用を止めるべきだった」という意見もある。
様々な考えや意見があるのは、当然だと思うし、このような意見が出ることで「これからのCMタレント起用」を考える、一石となるのでは?と、考えている。
そして、日本に支社を置く2つのグローバル企業の対応の違いもまた、考えさせられる。
朝日新聞:P&G社長「責任ある広告主でありたい」 ジャニーズを起用し続ける意図
朝日新聞:元ネスレ社長「ジャニーズ性加害のうわさ知り、起用しなかった」
同じ朝日新聞のWeb版に掲載されている記事である、というのも興味深いのだが、P&Gもネスレも世界的企業である。
P&Gは、洗剤等の日用品からペットフード、食品を扱っている。
ネスレは、スイスに本社を置く、世界一の食品会社だ。
扱い商品の幅の広さから考えれば、P&Gの方が、市場規模の大きな企業ということになる。
ただ、ネスレは食品という分野に関しては、売上はもちろん展開している国においても世界一だろう。
いずれにしても、CM取りやめ・CM降板を決めた日本の企業よりも、様々な国における、市場と生活者についての情報を持っている企業であることには、違いないだろう。
特に、P&Gのマーケティング力は「マーケティングの教科書」とも言われるほど、優れたものがある。
まぁ、反面とんでも無い人が在籍していたこともあるのだが…。
日刊ゲンダイ:吉野家常務は"シャブ漬け”発言で解任・・・大企業に人気「P&G」出身マーケターのお粗末ぶり
今回P&Gが取った対応は、再発防止策等についての詳細な計画書提出を求める、というモノだった。
タレントが起こした問題ではないので、事務所が今後どのように考え、改善をし、社会的に認められる企業となる、というチャンスを与えている、とも受け取れる対応だろう。
見方を変えれば、ジャニーズ事務所に甘い対応と受け止める人もいるだろう。
一方、ネスレは「社会的な問題がある、といううわさがあったので、最初から起用しなかった」という、リスクマネージメントとしてはお手本となものだった。
ここで注目する必要があると思うのは、ネスレという企業が取り扱っている商品群だ。
「ネスレ」と聞いて、最初に思い浮かぶネスレ商品は何だろうか?
「ネスカフェ」、「キットカット」、「マコーミック」等が多いのでは?と、想像する。
これらの商品に共通しているのは「家庭・家族」と言った「親しい関係の人たちと食べる場面」ではないだろうか?
すなわち、性犯罪と一番遠くにあるべき商品なのだ。
だからこそ、「噂」の段階で起用をしない、という方針となったのだろう。
この2社の対応から考える必要があるのは、今後日本の企業が「CM起用をやめました」ではなく、「CM制作において、どのような基準でタレントを起用するのか?」という明確な社会的メッセージである。
何故なら、「CMは企業が提供する商品と生活者が初めて出会うツール」だからだ。
Yahoo!のトピックスに「X(旧Twitter)を課金制にする」というニュースがピックアップされていた。
BBC:マスク氏、「X」をすべて課金制にする可能性を示す
マスク氏は、Twitter社を買収した頃から「課金制」について、話していたような気がする。
その為「課金制」の可能性を示唆したことに関しては、特段の驚きはない。
BBCの記事を読むと、「本音と建て前」のようなモノを感じるのだ。
その理由は「課金制にするのは、bot対策」と話しているからだ。
「bot」というのは、「特定のタイミングや行動に対して自動的にツイートするアカウント」のコトを指すようだ。
何となくだが、地震や台風等の自然災害が起きた時、広く情報を集める、等の場合には有効なのでは?と、感じている。
確かに「X」の「おすすめ」に表示される中には「bot」アカウントのツイートは時々見かける。
見かけるのだが、「bot」に限らず自分と関係のないような内容については、「スルー」もしくは「削除」をしてしまっている。
「bot」アカウントだからと言って、マスク氏が問題にするほど「X」内に氾濫しているのだろうか?というのが、私の個人的印象だ。
私の場合、フォローもフォロワーさんも100人もないので、「bot」アカウントそのものの表示が少ないのかもしれないが、おそらく多くの「X」ユーザーはそのような感じなのではないだろうか?
とすれば、マスク氏の目的は別にある、と考えるべきだろう。
というのも、上述した通りマスク氏は「Twitter社を買収した頃から課金制」を言っていたからだ。
「課金制」を言い始めた時にあげた理由が、「収益性」だったと記憶している。
確かにTwitter社は、収益的に厳しい状況が続いていた。
だからこそ、マスク氏は大企業を含め膨大なユーザーがいるTwitter社を買収し、「企業用向け・個人向けの有料化」を目指したのではないだろうか?
残念ながら、この話が出た時企業を含めたユーザーからの反発があり、結局「承認マーク」の有料化になった。
それまでのある一定のフォロワー数を持っているアカウントに対してつけられていた「青マーク」を、フォロワー数とは関係なくお金を払えば「承認マークを付ける」という戦略に変更したのだ。
その後、新たに発表されたのが「金融を含めた総合的プラットフォーム化」だった。
「X」のアカウント一つで、「X」関連の金融取引(おそらく仮想通貨を想定していたのでは?と考える)等の構想だった。
この発表後、具体的に進んでいるような印象はないのだが、元々ユーザー数の多い「X」側としては、ユーザーアカウントを管理している、という時点で、それなりの個人情報を得ている、と考えてもよいだろう。
それはSNSを運営している企業であれば当然で、何か社会的問題をユーザーが起こした時の対応策でもあり、SNSとしての社会的信頼を得る一つの方法でもあるからだ。
このようなマスク氏の「X」の動きの中で、Meta社はTwitterに代わる長文投稿が可能な「Threads」を発表。
発表直後の1週間で、登録者数は1億を超えたという報道もあったが、実際の利用はまだまだという状況になっている。
もちろん、マスク氏に追われたジャック・ドーシーの分散型SNS「Bluesky」は、招待制ということもあってか?登録者数が飛躍的に伸びている、という状況ではない。
「X」が課金制を打ち出せる理由を考えると、それはフォロー数やフォロワー数の多いユーザーにとって、他社のSNSに乗り換える時にかかる手間の多さだろう。
乗り換えを機に、フォロワー数が減ってしまう可能性は高く、インフルエンサーのような活動をしている人達にとって、フォロワー数の減少は、手痛い。
インフルエンサーでなくても、そのような手間はユーザーであれば同じかもしれない。
そう考えると、今の「X」のユーザーの中には「乗り換えの手間が大変だから」という消極的な理由で利用している、というユーザーが多いのではないだろうか?
逆にマスク氏が強気なのは、ユーザー数の多さを背景にこのようなことが言えるのでは?という気がしている。
今日は「敬老の日」だ。
私が小学生低学年だった頃、毎年この時期には「おじいちゃん、おばあちゃんにお手紙を書きましょう」というテーマで、作文を書いたような記憶がある。
父が転勤族であったため、一度も「おじいちゃん、おばあちゃん」と生活をしたことが無く、毎年帰省するようなコトも無かったので、どこか他人事のような気持ちの中で、「らしきもの」を書いていたような気がする。
当時は、今よりも「高齢者は敬うべき人達である」という、社会的認識が強かったように思う。
それから時代は変わり、日本の総人口に対して65歳以上の占める割合は30%弱となり、今や日本は「高齢者社会」と言っても過言ではないかもしれない。
「敬う人」という特別感は無くなり、「身近にいる人」位の感覚になっているかもしれない。
総務省統計局データより
国が検討をしている「少子化対策」も、どこか的外れ感があり「結婚をして子どもを持ちたい」という若い世代は、都市部を中心に減少傾向にある(と言われている)。
それだけではなく、日本の政策は「子どもと子どもに接する人」に、政策の中心をおいていないような気がする。
「結婚すれば、自然にこともが生まれる」という時代ではない、という認識がないというべきか・・・。
とはいっても、今ある現状を見る限りでは、「高齢者になっても現役世代と同じように生活をしたい」という、希望をされる方も多いはずだ。
それを示すように、高齢者(65歳以上)で仕事をしている人は、年々増加の傾向にある。
総務省統計局より
仕事をする理由は、様々だろう。
「生活の為」という方もいらっしゃれば「孫の小遣い位は稼ぎたい」とか「趣味の充実の為」、あるいは「健康の為」「ボケ防止」という方もいらっしゃるだろう。
労働人口が減少していく中、高齢者の労働力はこれからの日本にとって「重要な労働力」となっていくかもしれない。
とはいえ、「働くため」に必要なモノは「体力・気力・脳が衰えていない」だろう。
先日、VOGUE Japanに面白い記事があった。
それは「脳の老化」というテーマだ。
VOUGE Japan:アラフォーが脳の曲がり角。人生100年時代に脳を老化させないため、今日からできること
私たちは「65歳」という年齢を一つの区切りとして「高齢者」と統計上とらえているが、その実65歳になっても30歳くらい年下の方以上の記憶力や認知力、発想力を持っている方もいらっしゃる。
逆もまたアリで、30代でも「固定観念に縛られ、前時代的な考えを持っている」人も、一定数いる。
それだけ「脳」は個性的で、それまでの生活環境等に影響されている、ということかもしれない。
これまでの「敬われる老人」という存在ではなく、様々なカタチで社会参加にし、次世代に良い影響を与え続けられる人が「敬われる老人」となっていくのかもしれないし、その一つが「働く高齢者」であれば良いと思う。