日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

マンガやアニメだけではない「COOL JAPAN」

2011-07-30 21:29:21 | アラカルト
7月も下旬になり、各地では「夏祭り」が開催されているだろう。
我が家の近所でも、町内会のお祭りがあったようだ。
私もお散歩ついでに、チョッと離れたお寺の参道の夏祭りに出かけてきた。
そのお祭りでは、盆踊りなどは無くイロイロな市民参加の音楽や踊りのイベントが開催されていた。
その中で私が楽しみにしていたのは、「津軽三味線」の演奏。
初めて生で聴く「津軽三味線」は、とても迫力があるだけではなく、「津軽」という地方の世界観のようなモノも感じられるモノだった。

音楽がお好きな方はご存知だと思うのだが、意外にも「津軽三味線の演奏」は海外、特にニューヨークなどで評価が高いといわれている。
その中心となっているのは、「吉田兄弟」
いわゆる「民謡を演奏する津軽三味線」ではなく、「津軽三味線」という楽器を使った音楽というアプローチで、世界で活躍をしている。
実際、私が聴いた「津軽三味線」の演奏も、民謡もあればオリジナル楽曲もあった。
それでも「津軽三味線」という楽器の演奏法が、「津軽」という地方の人たちが持っているエネルギッシュで、力強い生命力のようなモノを感じさせた。
実際、最前列で観ていた外国の方などは、ノリノリでリズムを取っていらっしゃった。
その姿を見て「ここにも、COOL JAPANがあるじゃない!」と、感じたのだった。

それだけではなく、明日予定されている「エイサー」なども、「COOL JAPANなのでは?」と思っている。
残念なことに「エイサー」は、生で観たことが無いのだが、沖縄の陽気さと影のようなモノが色濃く表現されているように思っている。
と言っても、私の印象はあくまでも随分前にテレビで見ただけの印象なのだが・・・。

「津軽三味線の演奏」や「エイサー」だけではなく、日本全国各地にはその土地独特の文化をあらわした音楽や踊りがあるはずだ。
そして、それらは私たちが見逃している「COOL JAPAN」かもしれない。
「COOL JAPAN」と言えば、マンガやアニメだと思い込んではいないだろうか?
あるいは「歌舞伎」や「能・狂言」、「文楽」と言った、古典芸能か。
でも、日本という国の文化を創ってきたのは、全国各地の「民衆芸能」も含まれているはずだ。
とすれば、もっと全国各地の「民衆芸能」を世界にアピールしても良いと思うのだ。
「津軽三味線」をノリノリで聴いていた外国の方を見ていて、教えられたような気がしたのだった。




「安全神話」の作られ方

2011-07-29 21:18:37 | 徒然
今日の新聞各紙のWEBサイトに、「保安院、中部電力にやらせ」という内容の記事が掲載されている(紹介記事は、中日新聞)。
夕方になると、この「やらせ」は中部電力だけではなかったことが発覚している。

先日、九州電力での「やらせ問題」が発覚し、社会から大きな反発が起きた。
今回の保安院が中部電力に対して「やらせ協力」を依頼したのは、「フクシマ」以前のこと。
とすれば、九州電力の「やらせ問題」よりも、問題が大きいように感じる。
というのも、九州電力の「やらせ問題」は、現在停止状態にある原発再開に向けての「やらせ」だった。
ところが今回の保安院の中部電力に対する「やらせ」は、「プルサーマルは、安全で将来的には必要な電力事業である」というコトへの「やらせ」だからだ。
違う言い方をすれば、保安院が、安全神話のストーリーを作っていた、というコトになる。
元々「安全である」と言い切れ、住民にもわかりやすく説明が出来れば、なにも中部電力に「やらせ依頼」をする必要は無いと思う。
ところが、あえて「やらせ依頼をする」というのは、言うほどの安全性について、最初から無かったのでは?という疑問が起きてしまう。

「安全である」という、確証の無い大前提を崩さず、事業を推し進めたいという考えの現れだと思うのだ。
そして、「安全であるのか?」というコトを調べ・監督する立場である保安院が、そのようなことを依頼・指導していたコトに、「原発の安全神話」そのものが絵空事だった、と受け止められるのだ。

まさに、保安院だけではなく原発関係者にとってこのような事態が、一番恐れていたことなのではないだろうか?
それだけでは無い。
保安院が発表してきた、これまでの「フクシマ」のデータそのものを、生活者の多くが信頼・信用しなくなってしまう、という可能性がますます高くなってしまったのだ。
それは、これまで「大丈夫ですよ」と言ってきた、人たちの発言さえも信用できないモノとするのに充分な出来事だと思う。

その結果として、小さなお子さんをお持ちのお母さんや周辺の農家・酪農家を巻き込んで、もっと風評被害が拡大し、ヒステリックなまでの「放射線拒否反応」が起きる可能性がある。
ここで「放射線拒否反応」としたのは、いわゆる「医療放射線」という意味だ。
健康診断で使われる「レントゲン」や最近話題となっている「PET検査」など、医療の現場では「放射線」を使った検査が極一般的に使われている。
それだけではなく、治療という面でも一般的になってきている。
最近生命保険のテレビCMで知られるようになってきた「重粒子線治療」などの高額医療だけではなく、消化器系以外のがん治療ではとても有効な治療法になっている。

いくら「放射線治療専門医」のみなさんが、イロイロなところで「正しく使われる放射線は、体に害はありません」と言っても、そのこと自体信頼されなくなってしまう。
その事実も保安院は、受け止める必要があるのではないだろうか。

3Dの行方

2011-07-28 20:45:10 | ビジネス
今日の新聞各社のWEBサイトに、「任天堂、3DS値下げ」という記事がUpされている。
値下げ理由の一つに、この春鳴り物入りで発売した「3DS」の不振があるようだ。

この記事を読んでフッと思ったことがある。
それは、「3Dテレビ」のことだ。
先週末までは、「地デジ対応は大丈夫ですか?」という、「地デジ」駆け込み需要を見込んだ家電量販店の折込チラシが目立っていた。
そして、その主流となっていたのは「3Dテレビ」ではなく、これまでの「薄型テレビ」だった。
もちろん、「3Dテレビ」もキチンと掲載されているのだが、そのスペースよりもこれまでの「薄型テレビ」の方が大きく扱われていた。

家電量販店側としては、「地デジ化を進め、その後3Dテレビなどへグレードアップ」というコトを考え、本格的にはこの冬のボーナス時期を見込んでいるのかもしれない。
だが、今年春までの「エコポイント制度」で昨年11月までに、相当の家庭が地デジ対応の薄型テレビを購入してしまっている。
現在3Dテレビの主流となっているサイズは、どちらかといえば、リビングなど「家族が集まる場所向き」なのでは?
とすれば、「エコポイント制度」との兼ね合いから考えれば、そう簡単に「3Dテレビ」への買い替え需要は期待できないような気がする。

何より今現在、一般的放送で3D番組は無いのでは?
むしろ、地デジの特性を活かした「データ放送」に力を入れているのではないだろうか?
その「データ放送」にしても、始まった当初は「テレビを見ながら、買い物が出来る」と言われたりしたが、どれだけの人が「データ放送」利用しながら、買い物をしているのかは疑問なトコロがある。
何となくだが、テレビの視聴スタイルそのものは大きく変わってはいないように感じるのだが、違うのだろうか?
むしろ、「テレビ離れ」というコトのほうが、今のテレビ局各社の悩みのタネとなっているような気がしている。

そして「3Dテレビ」だが、もしかしたら「ゲーム」という視点で考えると、そのメリットは大きいのかもしれない。
任天堂の「3DS」は不振だったが、それは「ゲーム機」という画面の小ささなども、影響しているのではないだろうか?
というのも、「3D」が人気となったキッカケは、映画だったからだ。
ある程度の大きな画面で見る臨場感や迫力などが3Dの醍醐味なのでは?

3Dという新しいテレビ技術は、これからの生活を豊かにするかもしれない。
だが、今はまだその技術が生活の中で活躍する場所が無いように感じる。
ただ、もし「Wii」のような「家族で楽しむ」というゲームコンテンツに、3Dが加われば、もっと楽しさが実感できるようになる可能性はあるように思う。


WWFと原発

2011-07-27 21:20:15 | CMウォッチ
しばらく前から、時折ポルターサイトなどに登場する広告が気になっていた。
それはWWFの「原子力発電所、段階的廃止署名お願い」の広告だ。

ご存知の方も多いと思う、世界的動物保護団体・WWFだが、これまでは「野生動物の保護」などが活動の中心だった。
その象徴として、パンダが使われているというコトも有名な話だと思う。
それが、今回は「原発の段階的廃止」という、やや違う方向性の広告を打ってきている。
それも、ネットでの署名活動だ。

「ネット署名」というと、思い出すのは楽天が中心となった「医薬品の通信販売継続署名活動」だ。
確かに、今までのような街頭での署名活動というのは、人手も時間もかかる。
それに比べると、ネット署名というのは人手もあまりかからず、活動時間の制約もない。
インターネットのメリットが高い、方法だとも言える。
そのことを考えれば、ネット署名というコトはわかるのだが、違和感を感じるのは「何故、原発の段階的廃止」なのか?という点だ。

確かに、今回の「福島第一原子力発電所事故」によって、人の生活だけではなく自然界への影響も甚大なモノがあると思う。
だからと言って、何故WWFが「原発廃止」の署名活動をするのか?という点で、疑問というか不思議さを感じてしまうのだ。

「原発」が問題というのではなく、「化石燃料主体のエネルギー政策と温暖化」が問題だとすると理解できるし、本当の主旨はソコにあるように感じている。
その象徴的なコトとして「原発廃止」というコトだとしても、これまでのWWFの活動からすると、相当挑戦的というか、ややかけ離れた感じを受ける。
というのも、これまでWWFの活動の中では余りというか殆ど、エネルギー問題を扱っていなかった。
これまでの活動の中心は、熱帯雨林などの自然保護や砂漠化などに充填が置かれていたような気がしている。
そのために、いくら「温暖化問題」を「エネルギー政策」として取り上げることに、唐突感があるのだ。

もちろん、「フクシマ」の事故は一刻も早く収束させる必要があるし、そのためには様々な考えや意見、政党を超え全力をあげるべき点だと思う。
だが、WWFのネット署名の広告は、これまでの活動や広告などからすると、随分と印象が違いすぎる。
だからこそ、「この広告を出す(ネット署名を募集する)背景には、何があるのだろう?」と、考えてしまうのだ。

技術の問題?運用の問題?

2011-07-26 20:47:33 | ビジネス
日曜日に起きた「中国高速鉄道脱線事故」。
イロイロな意味で、驚くことが多い事故だったような気がしている。

その一つが、事故を起こした高速鉄道が様々な国の技術を集めたモノであったということ。
この点だけでは驚くほどのことは無いのだが、「張り合わせ技術=オリジナル技術」と考えていた節があるという点で、驚くのだ。
それも高速鉄道先進国である、日本の技術+欧州の技術の「良いトコ取り」だったはずが、統一性の無い「チグハグ技術」で終ったいたにも関わらず「世界一」と国内外に発表していた。
かの国のやりそうなことではあるのだが、その「技術」を本当に自国のモノとして使うには程と遠い状態であったというコトだ。

確かにかの国は「面子を重んじる国」だし、「日本や欧州に追いつき・追い越せ」という意気込みでやってきたこともわかるのだが、何となく「面子」というか国内外に対する「顔」ばかりを重視したために、中身が追いついていなかったのではないだろうか?
そしてかの国の鉄道関係者も、中身が追いついていないと薄々感じていたのでは?と、思うのだ。
それが実際の行動となって現れたのが、事故直後の対応だ。

おそらく日本や欧米だけではなく、それなりの国であれば、事故発生直後に、事故車両を埋めるというようなことはしないと思うのだ。
もちろん、営業再開に向けての事故処理はすると思うが、それは「事故調査」と平行して行われるはずだ。
ところが、かの国では事故発生直後に、事故車両を埋めてしまっている。
まるで「事故隠し」のような感じがする。

そのような行動を見ると、もしかしたら関係者自体は事故の規模云々ではなく、何らかの事故が起きるのでは?と、予測していたような気がしてくるのだ。
だがそれも「体面・面子重視」という発想のもとでは、事故は隠すしかなかったという印象を受ける。

となれば「技術的問題」というよりも、「運用上の問題」という意味を含んでくる。
そして「運用上の問題」となれば、尚のこと「隠す必要」があるのでは?
なぜなら、運用上の問題こそがかの国の高速鉄道システムが充分では無い、というコトを示してしまうからだ。
いくら技術が高くても、それを運用するコトが出来なくては、その技術はまったくと言ってよいほど役には立たない。

ただ、「福島第一原子力発電所事故」が起きてしまった今、決してかの国だけの問題では無いような気がする。


地デジ化と生活者意識

2011-07-24 21:23:43 | アラカルト
今日の正午を持って、テレビの「アナログ放送」が終了した。
ネット上で見られる新聞社やテレビ局のニュースを見ると、正午にあわせて一斉に画面が変わり、地デジ放送についての案内電話番号などがテレビ各局表示したようだ。

そして、Yahooのトピックスを始め新聞各社のWEBニュースなどを見ると、今日1日で7千500人程度の問い合わせがあったようだ。
この問い合わせ数字を多いと見るか、少ないと見るかは人それぞれだと思う。
ただ個人的には、1日の問い合わせとしては多いような気がする。
それだけではなく、今年3月で終了した「エコポイント」の関係もあり、既に90%以上の家庭が地デジ化されていたはずなのに、ここに来て駆け込み需要が相当あったようだ。
事実、先週何日間か近所の量販店に出かけた時、日に日に地デジ対応の薄型テレビが完売していっていた。
薄型テレビを見ていたお客さんの中には「2台目」という方も少なくは無いだろうが、案外本当の駆け込み客も多かったのではないだろうか?
というのも昨日~今日にかけて「地デジチューナー」が、量販店で完売状態となっているからだ。

そんなニュースを聞きながら、思ったことがある。
それは「地デジのお知らせ」って、随分前から始まっていたのでは?というコトだ。
おそらく、「地デジ化告知CM」そのものは、4、5年前から始まっていたのではないだろうか?
それもほぼ毎日テレビをつければ、そのCMを見ていたような気がするのだ。
ところが「エコポイント」効果で、一気に「地デジ対応テレビ」が普及したはずなのだが、実はまだまだ「地デジ化」していない家庭があった、というコトなのでは?

とすれば、長期間にわたる「地デジ化告知CM」の効果、よりも「エコポイント」の方が効果的で、尚且つそれでも「地デジテレビを購入せず、今日に至った」という人が、多かったということだ。
何故「頻繁に流したテレビCM」よりも、「エコポイント」の方が効果的だったのだろう?
一つは「CMの流し聞き」があったのではないだろうか?
数多くの商品・サービスの「テレビCM」と同様に、聞き・見逃されてきたということだ。

もう一つは「いつかの話」で終っていた、という点だ。
「自分に関係ない」という訳では無いが、「テレビそのものに対する親しみ度」が30年ほど前から大きく減り、テレビ以外の映像を楽しむ方法が増えたため、「地デジ化」が現実的な問題として、多くの人が認識さしないまま今日という日を迎えたというコトのような気がするのだ。
逆に言えば、それだけ「テレビ」が「映像文化の主役」ではなくなってきた、というコトかもしれない。

さてさて、今日から「地デジ放送」が本格的にスタートした。
問題なのは「これからのテレビ番組」かもしれない。
テレビCMを含め「これからのテレビ」を考えなくては、他の「映像メディア」に生活者の興味は持っていかれてしまうのでは?
そんな危機感と意識をもった、テレビマンたちがどれだけいるのか?気になるトコロだ。

夏休み、お子さんたちと一緒にWチャンピオン体操はいかが?

2011-07-23 18:38:29 | 徒然
YahooのトピックスにもUpされていた、「なでしこジャパンのかわいい体操」。
正しくは、NHK教育(現Eテレ)で放送された、子供向け番組の中で放送された「アルゴリズム体操」。
それが、NHKのHPのNEWSとして掲載されている。

「なでしこと一緒にアルゴリズム体操」

確かに見てみると、体操そのものは難しいとは思えないのだが、二人一組となってやるとなると、案外呼吸が合わないと難しそうだ。
と言っても、子供向け体操なので一度覚えれば楽しく出来そうな体操という気がする。

夏休みに入ったばかりだからこそ、子供たちと一緒に「アルゴリズム体操」をするのも、楽しいコミュニケーションとなるのでは?
何よりも、「Wチャンピオンと一緒に体操が出来る」のだ。

ちなみに、こんなところにも「テレビを見なくても、映像を楽しむことが出来る、という事実を放送局も考えなくてはいけないのでは?
何もテレビ番組をダラダラと見る必要は無い。
私のように「自分の見たいテレビを、オンデマインで自分が見たい部分を見れば充分」という生活者も決して少なくないと思うのだ。


地デジとラジオ

2011-07-23 06:56:29 | ビジネス
いよいよ明日の正午から、「地デジ放送」が被災地以外の地域で始まる。
で、肝心の我が家といえば、今だに「地デジ化」していない。
実は、今まで使っていたブラウン管テレビが完全に壊れてしまい、節電努力というコトもありここ1ヶ月以上テレビを見ない生活をしている。
慣れてくると、「テレビを見ない生活が当たり前」になり、「テレビを見る必要性って?」と感じる程なのだ。
個人的趣味兼仕事の「CMウォッチ」が出来ないことは、残念というか問題だと思うのだが、テレビ番組そのものを殆ど見ていなかった私にとって、3.11以降のテレビ番組がとても虚しいモノのように感じていた。
もちろん、3.11以降のテレビCMも見直しがされなくてはいけないはずなのだが、相変わらず・・・という内容も多く、「生活者との共感性」を探るようなCMに殆ど出会えないことを残念に思っている。

そして、朝の一時をFMラジオを聞きながら過ごすのは変わらないにしても、夜ラジオを聞きながら過ごすというコトも無い。
なぜなら、FM番組そのものも「・・・・」という気がする時があるからだ。
その理由は、音楽中心で番組そのもののバラエティさが無いからだ。
かかる音楽も、似たような音楽ばかりがかかってしまう。
AMラジオの方が、番組の方がバラエティに富んでいるかも知れない。
そのようなこともアリ、夏の夜は夕涼みをしながら玄関灯の下で本を読んで過ごしている。

そんな生活をし始めた頃、新聞に「視覚障害の方々が、地デジで困っている」という内容の記事を読んだ。
視覚障害の方々がテレビ?という気がしながら、新聞の記事を読むと・・・。
現在の地上波テレビとFMの周波数が同じなので、FMラジオでテレビ番組を聞いている、という。
それが「地デジ化」により、FMラジオでテレビ番組を聞くコトが出来なくなり、困っているという内容だったのだ。
この記事を読んで、「地デジ化」は中止できないコトではあるが、FM局は新しいビジネスチャンスなのでは?と思ったのだ。

上述した通り、テレビを見ない生活をし始めたが、だからと言ってFMを聞く生活とはなっていない。
その理由も上述した通りだ。
FMの良さは、AMに比べ格段に音質がよいこと。
その音質の良さがあるからこそ、音楽番組中心となるのだが、ソコにAMのようなバラエティさが加われば、視聴覚障害をもった方々にとっても「FMを聞くコトが楽しくなるのでは?」と思うのだ。
放送局の新規開設そのものは、許認可が必要なので新しい放送局を作るのは難しいだろう。
でも、番組構成の見直しで随分と変わるのではないだろうか?

「音質がよいから音楽番組」という発想ではなく、「音質が良いからこそ、バラエティに富んだ番組構成」なのでは?
ローカルなミニFM局などは、特にそんなチャレンジをするコトで、新たな魅力を創りだせるようのでは?と、考えるのだ。


自民党のマニフェストとエネルギー政策

2011-07-21 18:40:57 | 徒然
今日の新聞に、自民党が昨夜発表したマニフェストの一部が掲載されている。
すべてでは無いので、マニフェスト全体について云々できるわけでは無いのだが、「原発堅持」というのには、チョッと驚いている。

自民党がマニフェストを発表した前日、菅さんは「原発のコスト計算の見直し」という内容のことを話している。
その背景にあるのは、ご存知の通り「福島第一原子力発発電所事故」がある。
単純に、ウランなどの原材料の費用及び「万が一」のリスク(=今現在の状況が「万が一のリスク状態」だといえる)などを考えた場合、本当に火力発電所などよりもコスト安な発電所なのか?というコトを言っている。

これに対して、昨夜自民党が発表したマニフェストにはそのような「万が一のリスク」を考えたような内容なのだろうか?
今、国民の多くが関心を持っているのが、この「万が一のリスクが発生」した時のことであると同時に、今が「万が一のリスクが発生している」状態なのだ。
この説明無しに、「原発堅持」といわれても、ピント来ないのは私だけだろうか?
何より「万が一の場合」再び、国民にツケを回すようなことが、許されると思っているのだろうか?
むしろ「原発堅持」の理由をもっと明確にした、「日本のエネルギービジョン」のような内容でなくては、とても国民の理解が得られないような気がするのだ。

それでなくても、今の世論というか日本国内に蔓延している「放射能の恐怖感」や「崩壊した原発神話」に対する内容がまったくないことに、このマニフェストがどこ向けの内容なのか?というコトを疑ってしまうのだ。
おそらく、「原発の早期再開」を求めている経済界や財界、「原子力ムラ」における利害関係者向けなのだと思うのだが、そのようなコトを生活者が薄々感じ取ってしまうと、逆に経済界や財界に対して、国民の不満が向けられるようになる。
そうなると「原子力ムラ」の解体を、国民は求めるだろうしそのようなことを発言する企業のトップの製品を生活者は購入しなくなるのではないだろうか?

最近思うコトに、政治家のみなさんだけではなく経済界の偉い方々も、国民の方へ顔が向いていないように感じる。
だから、このような生活者感と大きくかけ離れた「原発堅持」などという、マニフェストを出してくるのだろうし、「原発の早期再開」を求めるのではないだろうか?
生活者は、既に「新エネルギー」を求めはじめていると言うのに、旧態然とした発想で政治を行うような人たちには、この「新エネルギーを求めている生活者像」が見えていないのだろう。
そんな人たちに政治を任せてよいのだろうか?という、疑問が生活者の中に拡がりつつある、という感覚も無しに、マニフェストに掲げてしまう。
一体この国の政治家は、何を見ているのか?
その「ズレ感」と、「新エネルギー政策」という発想や考えが無い、というコトだけは充分に理解できる自民党のマニフェストだ。



見習うべきポイント-なでしこと政治家-

2011-07-19 17:06:36 | アラカルト
今日「なでしこジャパン」のメンバーが揃って帰国した。
今回の優勝で、日本だけではなく世界各国から「なでしこ」たちに賞賛の声が集まっている。
もちろん、国内からも「東日本大震災」の被災地の方々や所属チームの地元を始め、政界などからも賞賛の声が集まっている。

その中で、政治家のみなさんが「なでしこジャパンを見習いたい」というコトバを口にするのは良いのだが、どうもそのポイントがチョッと違うような気が・・・。

菅さんは、「なでしこ」たちの粘り強い試合運びに、「私も・・・」と言っているようだし、みんなの党の渡辺さんは、「なでしこのような一体感が現政権には無い」と言っている。
確かに、「なでしこジャパン」の粘り強い試合運び、諦めない姿はとても素晴らしいモノがあった。
でも、それは「自分たちは出来る」という、信念のようなものがあってのこと。
そのために、彼女たちはとても恵まれているとは言えない環境の中で、プレーし続け、おそらくこれからも続けていくのだ。
その意味で「ある種の覚悟」のようなモノがあり、「自分たちの努力が、後輩たちを育てる」という強い気持ちがあってのことだろう。

そして、選手一人ひとりが互いに思いやり、相手チームにも敬意を払うことができたからこそ、決勝戦で闘ったアメリカチームの選手からも、祝福の言葉が出たのではないだろうか?
それを表すように「なでしこジャパン」は、今大会の「フェアプレー賞」も受賞している。
「フェアプレー賞」ばかりは、獲ろうと思って取れる賞では無い。
また、優勝チームが「フェアプレー賞」を受賞する、というコトもまた珍しいことなのだ。

帰国後の記者会見でも、キャプテンを務めた澤さんを始め選手、佐々木監督も「みなさんが、応援してくれから優勝できた」というコトを話している。
その謙虚さもまた、「なでしこ」らしさではある。

その様に考えると、政治家のみなさんが「なでしこを見習いたい」というコトバが、とても軽軽しいモノのように聞こえてくるのは、私だけだろうか。
「なでしこジャパンを見習う」というのであれば、与野党関係なく「今すべきことに、全力で取り組む」というコトなのでは?
自己欲的なモノを排除し、粉骨砕身で一丸となるコト。
それも、利害関係など関係なく「フェア」に。

上っ面の賛辞など、なでしこたちには必要ない。
もし、本当に「見習いたい」のであれば、それを行動にすべきなのでは?
そうすれば、国民の政治家に対する考えも変わるかも知れない。