日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「働き方改革」の目的は、何だろう?

2019-03-29 19:56:01 | ビジネス

本年度もあと2日。
とはいっても、明日・明後日は土日となるため、今日が実質的な年度末日ということになるだろう。
そして週が明ければ、新年度。
様々な制度が変わる日でもある。
その中で働く人たちに一番関係するのが、「働き方改革」だろう。

既にニュースなどでは「働き方改革」で、有休の何日間を計画的に休ませるようにしなくてはならない、と話題になっている。
先進諸国の中でも有休消化率が低い日本だが、政府としては何とか有休消化率を上げる策の一つとして「働き方改革」の中に盛り込まれたような気がしている。

そんな「働き方改革」だが、有休を取得することが「働き方改革」という考えなのだろうか?
確かに政府から言われていることは「有休消化」なのだが、本来考えなくてはならないのは「働く人たちの生活環境に合わせた働き方を推進する」ということなのではないだろうか?
ニュースなどで伝えられる内容は、企業から働く人たちを見た「働き方改革」のような気がするのだ。

確かに有休消化は、大事なことだと思うのだが「働き方」という意味では、働く人たち一人ひとりが様々な状況にあり、その状況に即した休み方や仕事の仕方ができていない、という「働く人から見た働き方改革」を、企業がどうサポートし推進するのか?ということの方が、もっと重要なのではないだろうか?

例えば、子育て中の共働き世帯の場合、子どもが病気になったりしたとき仕事を休むのは、女性であるコトのほうがはるかに多い。
それを、男性も休みやすいような職場にすることが「働き方改革」なのでは?
それは子育てに限らない。
これから先もっと大きな問題となっていくであろう「介護」については、女性・男性関係なく関わっていく問題だと思うのだ。
そして「子育て」や「介護」などによって仕事を休みやす環境をつくっていくのは、企業にとってもメリットが多いのではないだろうか?

バブル経済が崩壊してから、日本の企業は「成果主義」と言う言葉の基、働く個人に無理を強いてきたように思う(と同時に「自己責任」ということも盛んに言われるようになったように感じている)。
その結果、突発的に仕事を休まざる得ない人が出てくると、仕事そのものが停滞し、周囲の人に迷惑がかかるようになってきたのではないだろうか?
「周囲に迷惑がかかるから、休みにくい」という職場環境が、以前からある「日本的滅私奉公的働き方」を、より厳しいものにさせたように感じるのだ。

「日本的滅私奉公的働き方」と言っても、バブル前は「チームでカバーしあう」という部分があった。
悪く言えば「連帯責任主義」的な発想にもなるのだが、「チームで仕事をする」ことで、誰かが突発的に休まざる得ない状況になっても、仕事のカバーができた、ということも事実だろう。
とすれば、「働き方改革」の中心となる考え方は、「有休消化日数」や「残業時間の制限」を設けることではなく、「様々な生活状況(あるいは生活環境)にある働く人たちを、周囲の目を気にすることなく、子育てや介護、病気治療で休める環境を、創っていくのか?」ということだと思う。
もちろん、リフレッシュやスキルアップの為の休みも必要なことは、言うまでもない。





「ネガティブ社会」を生み出しているのは、誰?

2019-03-28 20:24:58 | 徒然

日経のコラムCOMEMOに「結婚しない人が増えてきた理由」というタイトルに、「オヤ?!」と感じた。
COMEMO:結婚しない人が増えてきた理由

コラムを書いている池永さんの意見に全面的に賛成!というわけではないが、何かにつけ「不平・不満が渦巻く社会になった」という実感はある。
その「不平・不満」の原因の多くは、おそらく「不平・不満を持っている人自身にある」という点も、なんとなくわかる。
要は「他力本願」的な、「私を幸せ(あるいは満足させてくれる)のは、よそ様が提供してくれるモノ」という、思い込みというか社会的刷り込みがある、というのもなんとなく理解できるのだ。
例えば、自分の思い通りにいかないとやたらと威圧的な態度をとる、という人がいる。
そして威圧的態度をとっている相手というのは、自分よりも若い人であったり、社会的上下関係にある下の立場(と思い込んでいる人)であったりする。
少なくとも社会的立場が上の人物には、威圧的態度を示すということはまずないだろう。
「下の者は、自分に尽くすのが当然」と思っているからだろう。

その一方で日本の社会は「横並び(の意識が高い)」とも言われている。
いわゆる「同期」という仲間意識だ。
その中で「出世」などという、競争が始まるとその関係は一気に崩れてしまう。
「同期の中に上下関係」が起きてしまうからだ。
違う言い方をするなら、「勝者と敗者」のような関係だろうか?

しかし「勝者」であったはずが、いつの間にか「敗者」になってしまっていることもまた多い。
時代の流れや社会の変化についていくことができず、古い社会的観念から抜け出せずに、自分が「勝者」であった頃の価値観を持ち続けていることに気づかない、という場合だ。
「勝者であったはずの自分が、敗者になっている」という事実を認めたくない時、多くの人は他者に対して威圧的態度を示すようになる、と感じている。

そして今の日本の社会は「バブルの頃はよかった」的価値観の人と「バブルなんて知らない。努力しても社会からの恩恵など無い」という価値観の人との「断絶した意識社会」のような気がしている。
そして「平成」という時代は、そのような「断絶した意識社会」でもあったのでは?と感じている。
このような「価値観が断絶した社会」こそ、「ネガティブ社会」を生み出しているのではないだろうか?

「ネガティブ社会=不寛容社会」だと考えた時、社会を変える為に必要なことは池永さんがコラムで書いていらっしゃるような「感謝」ということのような気がする。
「ありがとう」と言う言葉を言う時、多くの人は笑顔になる。
そして「ありがとう」と言う言葉を受け取った人もまた、笑顔になる。
その笑顔は些細なことであっても、「ネガティブ社会」を少し「(多様性を認め合う)寛容性の高い社会」を創っていくのではないだろうか?

 


熾烈な開発競争となり始めた「免疫療法」

2019-03-26 21:29:07 | ビジネス

今日付けの日経新聞のWEBサイトに、「がん免疫療法」についての記事が2つあった。
同じ日に同じテーマの違う記事が重なってある、というのはとても珍しいような気がする。
日経新聞:ノバルティスがん治療薬、日本で承認 米で5000万円超
日経新聞:武田、新型がん免疫薬「CAR-T」の治験へ

ノバルティスも武田も「CAR-T(=キメラ抗原受容体T細胞)」という、細胞に着目した新しい免疫治療薬であることには変わりない。
ただノバルティスの場合、血液のがん(=白血病)を対象としているのに対し、武田をはじめとする他の製薬企業は「固形がん」と呼ばれる、乳がんや肺がんを治療の対象としている、という点で大きく違う。
確かに対象としているがんは違うのだが、治療の基本的な考えは同じだと思う。
そして今なぜこの「CAR-T細胞」による免疫治療が注目されているのか?と言えば、これまでの抗がん剤治療に比べ遥かに副作用などが少ないと言われているからだ。
昨年聞いた「CAR-T細胞療法」の講演会では、骨髄移植をしても効果が無かった白血病(お子さんに多い「急性白血病」)患者のお子さんに、この「CAR-T細胞療法」の治験を行ったところ、午前中の治療で、午後には通常通りの食事などを一般病室ですることができた、というレポートもあった。
これまでの抗がん剤治療であれば、激しい副作用と戦いながら2週間程度の治療を受けなくてはならない。もちろん免疫機能そのものが低下しているために、無菌室で過ごさなくてはならない。
それほど、体力的にも精神的にも負担が少ない、と言われているのが「CAR-T細胞療法」ということのようだ。
何故なら「CAR-T細胞」による治療は、患者本人の細胞を使うからだという。

そしてこの「CAR-T細胞療法」は、ノバルティスのような企業だけではなく、中国の製薬企業なども参入しているという。
実はこの「CAR-T細胞」についての治療に向けての研究は、米国と中国が競い合っている、という話も講演会ではあった。
それほど国レベルで熾烈な研究・開発競争をしているのが「CAR-T細胞」による免疫治療薬だともいえるのだ。
もし、日本の企業にとって優位な点があるとすれば、「固形がん」に対する「CAR-T細胞療法」である、という点かもしれない。

今後のがん治療は「CAR-T細胞療法」のような、免疫療法へと変わっていく可能性は高いだろう。
ただその過程においては、治療への期待とは裏腹に、製薬企業間・国の研究への投資など、多くの市民には分からない熾烈な闘い(のようなもの)があり、そう簡単ではないと思っている。




GoogleMAPの不具合とゼンリン

2019-03-24 22:14:01 | ビジネス

Goolge Mapからゼンリンの名前が無くなった途端、ゼンリンの株価が下落した。
Bloomberg:グーグルマップから社名消えた、ゼンリン株が東証上場来の大幅安

そしてこの株安のニュースとほぼ同じくして、グーグルマップの不具合が起きたようだ。
日経新聞:グーグルマップに不具合、ゼンリンとの契約変更か

Google側は、ゼンリンとの契約変更による不具合を否定しているようだが、ゼンリンの住宅地図などを利用したことのある方なら、ゼンリンの地図の正確さは、十分に知っているだろう。
ご存じの方も多いと思うのだが、ゼンリンの住宅地図などは調査担当者が一軒一軒調べ、作成をしているため、相当詳しい地図となっている、と言われている。
言い換えれば、人が足でコツコツと得た情報を基に作られた地図、ということになる。

一方、GoogleMAPは衛星写真などを基に作られている、と言われている。
そのため、地図としての正確さは、どうしても甘くなってしまう、という想像はつく。
そして今回のグーグルマップの不具合は、ゼンリンからGoogleオリジナル(?)のデータによるもの、という指摘もされている。
それだけゼンリンの地図は正確であった、ということにもなる。

米国のような広大な国では、多少のズレがあっても地図全体からすれば大きな間違いと、受け止められずに済むだろう。
しかし日本では、「地図」そのものに対する情報の正確さに対して、大きな信頼を得ている為このような不具合は「地図として使えない」ということになってしまうのでは?と、思っている。

ただ、Googleがゼンリンの地図データを外したことで、この先どうなるのだろう?と疑問に感じる点がある。
それはGoogleが開発をしている「自動運転」の自動車だ。
GPS機能などを使って、自動運転をナビゲーションするということは可能だと思う。
「自動運転」をさせる為の出発地や目的地を入力する為には、地図データが必要なのでは?
その地図データが正確でない場合、自動運転の自動車は暴走してしまう可能性もあるような気がするのだ。
実際、Yahoo!などのコメントの中には、「自分の家が道路の真ん中に建っている!」という内容のものも幾つかあった。
正しくは「表示された道路が、自分の家の上にあるように表示される」ということになるのだが、地図データが違うことで起きるであろうトラブル(で済めば良いが)が、ある程度想像がつく。

とすれば、日本の自動車メーカーなど「自動運転」技術の開発には、正確な地図データが必要でその技術を日本の企業(=ゼンリンなど)が持っている、ということにもなるのでは?
今「自動運転」についてはMaaSと呼ばれるシステムばかりが注目されているが、正確な地図データが無くてはMaaSそのものも稼働させる為には必要なのではないだろうか?




今年の花見は「エア花見」がトレンド?

2019-03-21 12:25:44 | トレンド

昨日所用の帰り、名古屋城近辺から繁華街の栄まで歩いた。
かつて「お堀の電車」と呼ばれた電車の路線跡地の桜の蕾は、まだまだ固かった。
それが栄近くの枝垂れ桜は、わずかに開花しており、春の近づきを感じさせてくれた。
そして今日、東京では平年よりも早く桜の開花宣言があったようだ。
開花宣言とともに、「花見」も気になるようになるのは、私だけではないと思う。
その「花見」だが、今年はやや違うようだ。

今や国民病となった(?)「花粉症」に悩む人たちのために、「エア花見」が話題になっているという。
「エア花見」と言っても、2パターンがあるらしい。
大きな窓などから(夜)桜を楽しむ「エア花見」と、飲食店内に桜の木を設置する「エア花見」だ。
室内から夜桜を楽しむ「エア花見」というのは、なんとなくわかる。
花寒でも、雨降りでも室内で快適に「花見」が楽しめる。
ただ残念ながら、どこの飲食店でも楽しめる「エア花見」ではない。

それに対して、飲食店内に桜の木を設置する「エア花見」は、ある程度の広さのある飲食店であれば可能となる「エア花見」だ。
設置する桜の木と言っても生の桜の木を設置するだけではなく、造花を設置するというところもあるようだ。
生の桜の木とは違い、「花見イベント」が終了すれば撤去もしやすいし、桜の花びらがひらひら舞落ち床を汚す心配もない。
風情は欠けるが、それなりの雰囲気を楽しむということはできるだろう。

このニュースを聞いたとき、「窓から桜を楽しんだり、造花で花見をする」というのは「エア花見」というのだろうか?と、思ったのだ。
「エアギター」のように、「無いものをあるように見せる」というのが、「エア〇〇」という意味だと思っていたのだが、違うのだろうか?
壁一面に「全国の桜の名所」を、プロジェクションマッピングのように見せるほうが、「エア花見」なのでは?
建物などに風景などを映し、時には音と同期させるプロジェクションマッピングなら、桜前線に合わせて全国の桜の名所を映し出すこともできるだろうし、場合によってはチョッとした旅気分が演出できるかもしれない。
何より、桜の木を撤収する必要はない(もちろん、プロジェクションマッピング設置の費用は必要だが、紅葉の頃には紅葉の風景を映すということもできるだろう)。

いずれにしても、満開の桜の下で親しい人たちとお弁当を持ち寄り、一緒に楽しむという時間はとても楽しい。
風に揺れ、はらはらと舞い落ちる桜もまた情緒がある光景だ。
それが「エア」であっても、同じなのかもしれない。


これからは、専門性を磨く為に複数の分野の知識

2019-03-20 22:34:11 | アラカルト

Yahoo!のトピックスにも取り上げられていた「数学のノーベル賞・アーベル賞」を初めて女性の研究者が、受賞した。
CNN.co.jp:「数学のノーベル賞」にアーレンベック氏、女性の受賞は史上初

学生時代、数学が苦手だった。
微分積分などは、チンプンカンプンでそれらの数字が意味するところが分からず、数式の前で唖然茫然と立ち尽くしていた。
マーケティングは数字を使う仕事ではあるが、数式を解くのではなく統計などのデータの背後にある社会や生活者の思考などを読み解く仕事なので、高校などで習う数学はまず必要ない。
「数学が分かる」というだけで、尊敬をしてしまうのだ。

アーレンベック氏のキャリアを見てみると、「数学」という専門分野だけではなく、物理、幾何学、量子論などでも活躍をされ、キャリアを積まれているという。
「理工系」の分野と一括りにしてしまうことはできるが、それでも「数学」だけに偏らず、幅広い分野の知見があったからこそ、専門である「数学」という分野で成果を出すことができたのでは?という気がするのだ。

10年余り前だったと思うのだが、「数学上の未解決問題」の一つ「ポアンカレ予想」が、ロシアの数学者グレゴリー・ペレルマンによって解かれたと、話題になった。
「ポアンカレ予想」が、どのような内容なのか?そしてペレルマンが解いた内容なども全く理解ができないのだが、注目すべき点はペレルマンもまた、数学的アプローチではなく、物理や幾何学などからこの「ポアンカレ予想」を解いた、という点だろう。
ペレルマンが解くまで、何人もの著名な数学者が挑戦をし、解くことができなかった問題を、数学ではなく他の分野の視点からアプローチをして、解いているのだ。
これはアーレンベック氏と同じような発想による、「未解決問題の解決法」という気がするのだ。
もっとも、アーレンベック氏よりも前にペレルマンが、「数学者」なのに数学以外の知識を持ち、数学以外の発想で問題を解決しているので、順番は逆ということになるのかもしれない。

一昨年だっただろうか?「文系学部不要論」のようなことが話題になった。
確かに日本は、戦後「ものづくり」の力で高度成長を遂げることができた。
2000年代に入り、日本人ノーベル賞受賞者が急激に増えた。
ご存じの通りノーベル賞受賞者の方々は「医学・生理学」や「物理学」、「化学」と言った分野ばかりだ。
これらの分野でのノーベル賞受賞は、確かに素晴らしいものではあるが、受賞された方々は「専門分野」だけで活躍されていたのか?と言えば、決してそうではない。
2015年に「医学・生理学賞」を受賞した大村智さんは、女子美術大学の理事長の経験があるだけではなく、ご自身のコレクションを集めた美術館を設立している。
決して大村先生の専門である「薬学」の分野だけではなく、幅広い知識や教養を持っていらっしゃるのだ。

そう考えると、これからは「一点集中・特化型」ではなく、「幅広い分野の知識の上に専門を磨く」という、人材が求められるのではないだろうか?



テレビCMに見る、企業とテレビ局

2019-03-19 19:41:23 | ビジネス

Yahoo!のトピックスに「ハズキルーペ」がフジテレビからテレビCMを引き上げる、という記事があった。
文春オンライン:ハズキルーペがフジテレビからCMを引き上げへ

記事を読むと、フジテレビ側とハズキルーペ側とでは、見解が違うようだ。
フジテレビ側は、製作されたテレビCMの内容について、協議をし場合によっては差し替えをしたい、という話がもの別れになったようなニュアンスだが、ハズキルーペ側は「視聴率が悪いから」と、明快な理由のようだ。

フジテレビ側が言っている「内容を協議し、場合によっては差し替えたい」というのは、製作されたテレビCMで「女性がハズキルーペの上に(間違って)座っても、壊れない」という点を指しているようだ。
このテレビCMを見たことがあるのだが、子どもの頃見た「ゾウが踏んでも壊れない筆箱」を思い出したのだ。
あの頃のテレビCMには、同じような「製品のセールスポイントを(やや)誇張した内容」が多かった。
昭和30年代後半から40年代初めの頃なら、このようなCMでも良かったと思うのだが、平成が終わろうとしている今見ると「野暮ったい」という気がしている。
だからこそ、「なぜ、女性のお尻を強調するようなアングルなの?」という疑問はあった。
別に「丈夫なハズキルーペ」を強調したいのであれば、もっと他の表現もあったのでは?
ハズキルーペ側だけの問題というよりも、このCMを製作した代理店に問題があったのでは、ないだろうか?
もちろん、CMの放映を了承したのはハズキルーペ側なので、「セクハラCM」と言われたら、そのイメージは大きく下がってしまう。
テレビCMという広告媒体の社会的影響力などを、ハズキルーペ側が理解していたのだろうか?

一方、ハズキルーペ側は「視聴率があまり良くないから」という、明快な理由を挙げている。
「若い世代を中心としたテレビ離れ」ということも、視聴率に影響しているだろうが、ハズキルーペが提供してる番組はお昼の情報番組だ。
「笑っていいとも」が放送されていた頃とは違い、今のお昼の情報番組をどのような人たちが見ているのだろう?と、想像するとやはり専業主婦の方とか高齢者くらいしか思い浮かばない。
ドラマと違い、録画をしても見たい!というほどの番組でもないだろう。
所詮(と言っては失礼だが)、元々高視聴率が期待できる時間帯でもなかった、ということのように思えるのだ。

ただ、今回ハズキルーペが「視聴率」を理由にテレビCMを引き上げる、というのはこれまでの企業とテレビ局との関係を大きく変えてしまうかもしれない。
「視聴率」が取れる時間帯のCMの放送は高額で、大企業が押さえている。
ローカル企業や全国向けにテレビCMを出したいが予算が無い企業は、どうしても視聴者が少ないであろう時間帯枠になる。
とすれば、WEBの広告動画のほうが有効かもしれない。
テレビ局側は「視聴率」ではなく、「視聴者層」などについて分析をし、その「視聴者層」に合った提案を代理店を通して行う必要がある。
様々な企業からCMを流してもらう為には、「視聴率」から「視聴者層」へと、提案する内容が変わってきているという認識がテレビ局側には必要になってきているのではないだろうか?






NHKのワンセグ受信料徴収を考える

2019-03-15 21:12:06 | 徒然

先日「スマホなどでのワンセグでの視聴は、NHKの受信料を支払う」という裁判で、最高裁は上告を退ける決定をした。
時事通信: 「ワンセグ携帯も義務」確定=NHK受信契約、上告を退けるー最高裁 

このニュースを聞いたとき、iPhoneのようにワンセグ受信の機能がついていないスマホなどの市場拡大は、あるのだろうか?ということが思い浮かんだ。
もちろん、iPhoneにもワンセグの受信ができるアタッチメント(というのだろうか?)を取り付ければ、受信できるようになるらしいのだが、そこまでしてワンセグでテレビ番組を見たい!という人は、余り多くないのでは?
むしろ、androidを最初から選ぶのでは?という気がしたのだった。
とすれば、iPhoneをはじめとするAppleの商品は、基本ワンセグ機能が無いようなので、NHKのこのような受信料の徴収がまかり通れば、意外な影響をスマホやタブレット端末、PC市場に及ぼすのでは?と、感じたのだった。

この裁判では、スマホなどの携帯電話に対して受信料を支払え!と、NHKは言っているように思えるのだが、実はワンセグ対応のカーナビなども対象となるようだ。
くるまのニュース:「NHK契約」カーナビも?最高裁「ワンセグ付き携帯も契約義務」各社の反応は?

確かに、ワンセグ機能がついているカーナビも同様の判断をされるのは、容易に想像がつく。
ここまでくるとNHKの主張は、「映像を受信できる全ての機器は、受信料徴収の対象となる」ということのように思えてくるのだ。
今回の最高裁の判断は「ワンセグ」だったが、今後NHKが積極的に展開をしていきたい(と考えているように思える)ネット配信などについても、受信している・していないに関係なく「受信料の対象」と言い出してくるような気がしてならないのだ。

現在、NHKは「放送法」という法律の中で、受信料徴収を半ば義務のように言っているのだが、今では「映像を放送・配信している」のはNHKだけではない。
民放もそうだが、今後NHKが力を入れるであろうネット配信市場などは、NetflixやHulu、AmazonPRIMEvideoがあり、NetFlixに至っては製作した作品がアカデミー賞にノミネートされるほどの作品をオリジナルで作っている。
もちろん、Netflixをはじめとするネット配信サイトは、有料会員を対象としているのだが、これまでのNHKの主張が認められるようになると、ネット配信サイトの市場はどうなってしまうのだろう?

NHKは「全ての国民に豊かな娯楽と情報、公正な報道を提供する」ことを目的として、受信料を徴収するということになっている(という理由だったと思うのだが)。
そのために、(地デジ放送開始以前の)地上波の視聴困難地域に対する設備投資などを受信料で行う、ということだった。
そのような問題が、地デジ放送開始によってほぼ解消され、若年層を中心にテレビの視聴離れが進んでいる今、時代にそぐわないように思うのだ。


株価は、収益だけで動くの?

2019-03-13 18:30:36 | ビジネス

日経新聞のWEBサイトに、セブンイレブンが24時間営業を止めた時、どのようなダメージが起きるのか?という記事があった。
日経新聞:セブン&アイ、24時間やめた場合のダメージは?

会員向けの記事の為、記事全文を読むことはできないのだが、セブンイレブンが24時間営業を止めた場合、「連結の営業利益の約1割が押し下げられる」という試算となるようだ。
本当だろうか?

そもそも「セブンイレブンの24時間営業」の問題が起きてから、セブン&アイホールディングスの株価が下がった理由は、「オーナー店主に対するセブンイレブン本部の対応」に対してネットなどでの批判的発言が数多くあり、それらの批判を受けての株価の動きだったのでは?
確かに、セブンイレブン本部とすれば、深夜でもおにぎり1個でも売れれば、それなりの利益となる。
おにぎり1個の利益の為に、オーナー店主側が支払う人件費(深夜バイトが集まらず、結局はオーナー自身がレジに立つことになる場合が多いようだが)や光熱費などで大幅な赤字となるのは、想像ができる。
オーナー店主側は、24時間営業すればするほど赤字が増える、ということでもあるのだ。
そのような「営業指導」をして、セブンイレブン本部だけがヌクヌクと儲けている・・・ということに、世間は嫌気がさした結果、株価が下がった、という「原因」を見ていないような気がするのだ。

そして世間の多くの人たちは、「全国のセブンイレブンの24時間営業取り止め」を言っているのではない。
東京などの大都市部のような、24時間眠らないようなところについては、需要があるのだから問題は無い。しかし、住宅地や地方のコンビニは24時間営業は必要だろうか?ということに、疑問を呈しているだけなのだ。
その部分を読み間違えると、今回の問題の本質を見誤ってしまうのではないだろうか?

ただ今回のセブンイレブン本部の対応に対して、いくつかの疑問がある。
それはコンビニ(だけではないが)には、ポスシステムと呼ばれる「売上管理システム」が、導入されているはずだ。
今の「ポスシステム」は、それこそ時間帯別の商品売り上げ内容はもちろん、地域別・時間帯の売り上げ管理くらいできていると思うのだ。
そのようなデータをみれば、地域によって時間帯・商品や収納代行サービスなどの売り上げなどが、すぐにわかるのでは?
むしろそのようなデータ管理ができずに、コンビニオーナー店主に対してフランチャイズ料の中に含まれていると思われる「営業指導」などの名目費を徴収するのは、いかがなものだろう?

しかも、「直営店で、試験的に24時間営業を止める」というのも、どこかおかしな話だ。
直営店とフランチャイズ店とでは、店舗の収益形態が違う(はずだ)。
このような試験的営業をするのであれば、直営店とフランチャイズ店の両方を商圏別に同じ店舗数選びだすなど、偏りのない条件の中で実施しないと意味が無い。

そう考えると、セブンイレブンがオーナー店主側といっしょに「新しいコンビニ店とコンビニサービスの在り方」を、24時間営業に縛られずにつくり出していく姿勢が見えれば、世間の多くの人はセブンイレブンに対して好感を持つだろうし、それが売り上げにもつながっていくのでは?

セブン&アイホールディングスの株価が下がり、連結での営業利益が1割程度下がる、という試算を出すとすれば、それは24時間営業ではなく、セブンイレブンの企業としての問題のほうが大きいのではないだろうか?


災害復興住宅での「孤独死」を減らすには?

2019-03-12 22:10:33 | 徒然

昨日の「東日本大震災」の慰霊のニュースが目立つ中、災害復興住宅での「高齢者の孤独死」という問題も、クローズアップされていた。
仮設住宅よりも、災害復興住宅での「孤独死」のほうが多い、という内容だった。

「阪神淡路大震災」の時の反省から、「東日本大震災」の仮設住宅では「地域全体」を一つの単位として仮設住宅に入居する、などの配慮がされていたように思う。
これまで築いてきた地域社会のコミュニティーを極力継続させることで、孤独死を減らすということが目的だったと思う。
それが災害復興住宅では、活かされなかったようだ。
結果、災害復興住宅入居後の「(高齢者の)孤独死」が増えたという。

訪問による心のケアをするにしても、週何度も訪問できるほどのケースワーカーさんなどの人員確保も難しいだろう。
とすれば、何かしらの理由づけを高齢者に与えることによって、週のうち必然的に外出をする目的をつくることも必要なのではないだろうか?
高齢者に限らず災害復興住宅の人たちが、気軽に集まれる場所があれば、ある程度の問題解決になるように思うのだ。
例えば、「銭湯」だ。
おそらく災害復興住宅には、「家風呂」がある設計になっていると思う。
実際そのほうが、便利だし衛生面でもメリットがあるだろう。
反面、買い物以外で外出をすることが無くなった高齢者にとって、自宅で生活の多くが完結するのは便利な反面、家から出る機会を減らすことにもなる。
「家風呂」の掃除をしたするのは大変だし、場合によってはうっかりお風呂を焚きすぎてしまうという場合もあるだろう。
それが「銭湯」であれば、「銭湯に行くまで」が大変かもしれないが、風呂掃除の手間やお風呂を焚きすぎることで起きる火災の心配もまずないはずだ。
「銭湯」に行くことで、知り合いの顔を見たり、たわいもない話ができることが、「心のケア」に繋がっていくだろう。
高齢者の子育て経験が、若い子育て世代のサポートにつながっていくかもしれない。
何より、様々な年齢の人達と一緒に過ごすことで、「世代を超えたコミュニティー」が生まれてくるのではないだろうか?

一例として「銭湯」という、新しいコミュニケーション場所を考えてみたのだが、「銭湯」に限らず災害復興住宅に住んでいる人たちが、積極的に出かけ・集まる理由となる場所を創ることが「孤独死」を減らす一つの方法のような気がする。