イオンが「転居なし新卒採用」を、来春入社採用者に対して行うという記事が朝日新聞に掲載されていた。
朝日新聞:イオン、転居なしの新卒採用 来春入社から、地元志向に
実家のある米子に帰省する度に、地元での就職先の少なさを感じている。
私が新卒で就職をするときですら、就職先は地元の銀行か市役所や県庁などの公務員くらいだった。
それから30数年たち、地方の産業は徐々に廃れ、都市部への集中がより進んでいる。
特に、東京への集中は激しく、ここ名古屋であっても女子の就職先が限られるため、地元名古屋での就職を諦め、東京で就職を目指す、ということもあるという。
そのような状況の中で、イオンの「転居なし新卒採用」というのは、地方出身者にとっては魅力的な採用方法だと思う。
何故なら、地方出身者で都市部の大学などへ通っている学生たちの中には、比較的高い割合で「地元で就職をしたい」という、希望があるからだ。
都市部の大学に進学しながら就職先の少ない地元へ帰りたい、という希望があることに、驚かれる方もいらっしゃるかもしれないが、都市部での生活に慣れないまま大学生活を送っている学生たちは、案外多いのだ。
実際、私の高校時代の同級生たちの多くは、「やはり地元での生活が、一番安心できる」と言って、地元就職を目指していたし、地元に就職をした同級生は多い。おそらくクラスの半数以上が地元就職を目指し、何とか地元で就職をしていたはずだ。
就職をする側は、上述した理由などでメリットは十分あると思う。
それだけではなく、イオンそのものにもメリットがあるのでは?と、考えている。
というのも、その地域のコトを一番知っているのは、その地域で生活をしている人たちだ。
イオンのような全国展開をしている大型スーパーであっても、出店している地域の特色や社会事情は無視できない。
そのような地域の特色や社会事情を、素早くビジネスに展開するためには、その地域のことを一番よく知っている人たちの意見を聞くことだろう。
イオンで働く人たちは、一歩職場から離れればその地域で生活をする人になる。
そのような「内なる生活者」の声を、売り場や商品展開に反映させることができる、というのは大きなメリットになるはずだ。
もう一つメリットがあるのでは?と思うのは、「地産地消」への切っ掛けづくりだ。
ローカル系のスーパーで最近目立つ売り場が、「地産地消」の売り場だ。
野菜などが中心なのだが、最近では鮮魚売り場などでも「地元産」を謳うようになり、なかなかの人気売り場となっていると実感している。
「地産地消」となれば、やはり地元のことをよく知っている人材が必要となる。
それが、イオンのように全国展開をしている大型スーパーであれば、「地産地消」から全国へと展開できるチャンスも生まれるだろう。
「地域産業の交流」という、ローカルビジネスの展開も将来的には生まれてくるかもしれない。
イオンがそこまで考えて、転居なし新卒採用を検討したのかはわからないが、地域の後押しも含め地域の活性化につながる可能性があるように思われる。
朝日新聞のWEBサイトを見ていたら、面白い記事があった。
マンガの紹介なのだが、記事は「女性(というより女子か?)の恋愛相手の変化」を、マンガで見るという内容だ。
朝日新聞:物静かで眼鏡なのにモテる!?「このマンガがすごい!」入選作にみる恋愛の流行
「容姿端麗男子」は、少女漫画だけの時代から、今のような成人女性が読む漫画が登場するようになってから、続く「正統派モテ男子」の像だと思う。
「容姿端麗」の中には、当然の事ながらスポーツ万能で秀才、あるいは仕事ができる心優しい男という要素が、含まれていることは説明するまでもないと思う。
「容姿端麗」には、女子から見る「理想」のすべてを含んでいることを示している。
その後、「不良っぽい」という要素が、加わってくる。
ポイントトなるのは「っぽい」だ。
本当の「不良」は✖で、「不良っぽい」の要素には「少年っぽい」とか「少年の心を忘れていない」といった、純真さや冒険心のようなものを含んでいる。
「容姿端麗」である必要はないが、やはり見た目の「カッコよさ」も重要であることには、変わりない。
その次に出てくる「オレ様系キャラ」というのは、おそらく「壁ドン」が流行していた頃の「理想の恋愛相手」ということだろう。
やや強引だが、心優しいところがあり「オレについてこい!」というタイプだ。
「オレについてこい!」と言っても、一歩間違うと「DV系オレ様」になりかねないタイプだ。
ここでも「見た目のカッコよさ」は、必要となっている。
それだけではなく、この頃のモテ要素には「経済力」という点も見逃せないと、思っている。
というのも、「壁ドン」が流行していた頃の女性マンガ雑誌の男性主人公の多くは、相当経済的に裕福な設定がされていたからだ。
むしろ「経済的に裕福だから、オレ様系キャラ」だから許されていたのでは?という気がしている。
そして今回紹介されているのが、容姿もふつう、オレ様系のような強引さは無く、不良っぽさもない、という「普通」の男子だ。
ただし「心のイケメン」という、容姿や経済力のような「外から見て分かり易い要素」ではない点が、モテ要素となっている。
この「心のイケメン」で思い出してほしいのが、昨年の秋から冬にかけ社会現象にまでなった(?)ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」の津崎平匡さんだ。
演じていた星野源さんの演技力もあり、とても魅力的な人物像となっていて、今の20代~30代女性の理想の男性像だったように思う。
京大卒という高学歴ながら、女性とうまく付き合うことができない、という設定でスタートしたのだが、モテた経験の無さから女性との付き合い方には戸惑いはあるが、会社では突然の設計変更依頼というトラブルが起きても、冷静に対応し同僚のSEをまとめるリーダー的役割をこなす、というコミュニケーション能力の高さを感じさせている。
決してコミュニケーション能力が、劣っていたわけではないのだ。
むしろ、ヒロインであるみくりさんと話す時は、まっすぐ相手を見て話をしているし、食事中であれば箸を置き、話を聞いている。
この「話を聞く」という姿勢が、「心のイケメン」の表れの一つだと思う。
現実問題として、このような「心のイケメン」が身近にいるのか?となると、難しいのかもしれないが、男子側から見れば「自分にもモテ要素が十分ある」と、気づくことができるのではないだろうか?
その視点で見れば、女子向け漫画を男子が読んでも参考になる時代になっているのかもしれない。
一昨日、トヨタ自動車が「レクサス」のブランド名で、船舶事業を展開するというニュースがあった。
TBS NEWS: 「レクサス」が船に、トヨタがコンセプトボート公開
トヨタ自動車が、20年前から船舶事業をしていたとは知らなかった。
ついクルマにばかり、注目がいっていた為あまり報道もされなかったのかもしれないし、トヨタ自動車全体の中では船舶事業は高い売り上げを持っていなかったのかもしれない。
この映像を見て感じたことなのだが、いくらコンセプトクルーザーとは言え、このデザインって・・・???というのが、率直な感想だ。
このコンセプトクルーザーを見て思い浮かんだのは、2,3日前から話題になっている「ビッグマウスサメ」だ。
その理由はクルーザーの形が全体的に丸みを帯びているように、見えるからだ。
今年1月に公開された上から見た状態の写真では、普通のボートのように見えるのだが、側面から見ると「・・・???」な印象を持ってしまう(のは私だけだろうか?)。
乗り物ニュース:海の「レクサス」世界初披露 クルマのエンジンを搭載したオープンクルーザー
レクサスブランドで展開する理由は、(おそらく)レクサスのエンジンを搭載しているからだと思うのだが、だからと言って、このデザインは「レクサスブランド」をイメージさせるデザインなのだろうか?
確かに「レクサス」は、ハイラグジュアリー車という位置づけのクルマだ。
ハイラグジュアリーということを追求した結果、このようなデザインになった、ということだろうか?
ボートやクルーザーだけではないが、「機能美」というデザインの美しさがある。
その物の機能を追求した結果、余分なモノを排除し研ぎ澄まされたシンプルな中にも美しさを感じるデザインだ。
その一方で、ファッションの世界のように装飾性の高いデザインに、高い感性を感じさせるモノもある。
どちらのデザインが優れているわけではないのだが、ボートのような乗り物には「機能美」が、優先されるような気がしている。
ここ2,3年「スポーツ」という言葉をキーワードに、トヨタはモデルチェンジをしたり新しい車種を展開している。
そのどれもが(あくまでも個人的には)、「・・・???」というデザインなのだ。
CーHRを見た時、日産のジュークのデザインを思い浮かべてしまったし、ハイブリッド車にしモデルチェンジをしたシエンタについては、購買顧客層の子育て世代に「スポーツ」というコンセプトデザインは、マッチしているのだろうか?と、感じていた。
実際ラジオCMなどを聞いていても、「スポーツ」ということにこだわりすぎて、こじつけのような内容になってしまっている感がある。
結果、訴求という点がボンヤリとなり「何が言いたいの?」という、ラジオCMになってしまっているように感じる。
元々、トヨタのデザインには「既視感」がある、と言われていた。
「既視感」があることが悪いわけではない、「機能美」を追求していくと同じようなデザインになってしまうことは、往々にしてあるからだ。
オフロードSUV車などは別にして、自動車メーカー各社のフロントデザインが「箱型」から「流線形」になってきているのも、「機能美」や「燃費効率の良いデザイン」ということを追及した結果だろう。
それでも、どこかしら「オリジナル感」があるデザインにしようとしているし、そのデザインがそのクルマの個性にも感じられる。
だが売り上げなどでは、トップを走るトヨタに限って「デザインは・・・???」という声が、少なくない。
少なくとも、私の周囲では「クルマとしては良いと思うが、デザインが・・・」という人は案外多い。
今回の「レクサスクルーザー」も、特徴を出すためにあえて丸みを帯びたデザインにしたのかもしれないのだが、クルーザーという乗り物の一般的なイメージから、「レクサスらしさ」を追求したほうが良かったのでは?と、感じる。
新聞各社が、ある商品の販売終了のニュースを報じている。
「ある商品」というのは、明治の「カール」だ。
日経新聞:明治「カール」、東日本での販売終了へ
約50年という長い期間、販売されてきたスナック菓子の「カール」だが、最近ではポテトチップス系のスナック菓子に押され、売り上げを落としていたことが、販売終了の理由のようだ。
売り上げがあまり良くない東日本~中部地区が、販売中止の対象となるという。
ご存じの方も多い「カール」には、「カールおじさん」をはじめとする人気キャラクターがいる。
それだけではなく、三橋美智也さんが歌われていたCMソングも、テレビCMの映像とマッチして人気が高かった。
youtube:いいもんだな故郷は 三橋美智也
このCM人気もあり、コンスタントな売れ行きがあったと、思っていたし、時々「〇〇味復刻」という商品が登場していた、ということを考えると、時代に合わせて味も変化をさせていたはずだ。
確かにスナック菓子市場での一番大きな市場を持っているのは、「ポテトチップス系」だろう。
参入している企業も多く、味のバラエティーも多い。
生活者側からすると、ポテトチップスという商品でありながら「(味の)選択肢が多い商品」ということにもなる。
それに対して、「カール」をはじめとする「コーン系スナック菓子」となると、参入企業もポテトチップスほどではないような記憶がある。
駄菓子系(というのだろうか?)の「うまい棒」、「キャラメルコーン」と「カール」くらいが、同じような食感を持っているコーン系スナック菓子で、同じコーン系スナック菓子と言っても「ドンタコス」のようなトルティーヤ系とは違う。
味覚という点では「キャラメルコーン」は、商品名の通り「甘いコーンスナック菓子」になり、「カール」とは違うことになる。
生活者側からすると、選択肢が少なく、食べる機会が限られてしまっていた、ということになるのかも知れない。
テレビCMとは別に、「(食べる)生活シーン」の提案などがあれば、市場を拡大することができたのかもしれないし、SNSなどを通して「カール、ちょい足しレシピ」のような、オリジナルな食べ方などを生活者から提案してもらうなどすれば、違っていたようにも思う。
そう考えると、やはりスナック菓子の市場である程度の市場規模を取ることができなかった、ということが販売中止の理由となってしまうのは、仕方のないことかもしれない。
ただ、約50年という長い間販売し続けることができた、という点で考えれば「ロングセラー商品」であったコトには、間違いないと思う。
ネット上でも「残念」とか「ショック」というコメントをたくさん見ることができるのは、それだけ多くの人から支持を得られていた商品であった、ともいえる。
「ロングセラー商品」を支える「商品(やサービス)に対する親しみ度」という点で考えれば、たやすく販売終了できる商品ではなかっただろうし、「カール」という商品のブランド価値は高かったのではないか?と考える。
CMで起用していた「おらが村」のキャラクターたちは残るようだが、できれば「期間限定」のようなカタチでも良いから、時々は市場に登場して欲しい・・・と思っている。
突然降ってわいたような印象のある「キッズウィーク」。
「お盆休みの混雑緩和+観光産業などへの振興」という趣旨のようだが、違和感があるのは私だけではなさそうだ。
ネットなどでの意見でも、余り歓迎されてはいない印象を受ける。
この「キッズウィーク」実施理由の一つに挙げられているのが「お盆休みの混雑緩和」らしいのだが、そもそも「お盆」で帰省する理由を安倍さんをはじめ、キッズウィークを考えられた方々は、分かっているのだろうか?
お盆休みで海外旅行などに行かれる方も増えていることは重々承知だが、もともとお盆休みに帰省する理由の一つは「先祖供養をするため」なのでは?
私の場合で申しわけないが、母が亡くなる前から「先祖供養」の為に帰省していた。
地域差はあるだろうが、地方に行けば行くほど「観光目的」ではなく、「お盆」という行事の為に帰省し、日ごろ付き合いのない親戚(多くの場合は「祖父母」ということになるのかもしれない)と過ごす、という目的なのではないだろうか?
その「お盆」は、日にちが既に決まっているため、動かしようがない。
そのために、「お盆の帰省ラッシュ」が各所で見られるのだ。
案として出ているのは、夏休みを少し早めに切り上げ、その代わりに秋振り替えるということのようだが、結局は「GWのような大移動ラッシュ」を各地でつくるだけのような気がするのだ。
もう一つ考える必要があるのは、全ての人が休めるわけではない、という点だ。
人が休みの間、働かなくてはならない人がいる。
人が動くために必要な交通関係だけではなく、小売り業なども「休み」はかき入れ時になる。
観光振興となれば、観光地で働く人たちにとっても同じだろう。
「キッズウィーク」を設けても、すべての人が休めるわけではなく、休めない親を持ったお子さんたちは、「どこへも行けない(寂しい)キッズウィーク」になってしまう。
連休中働いている人だけではなく、長期の休みで経済的不安を感じる人達もいるはずだ。
毎月固定的に給与が支払われる正規雇用者(正社員)であれば、労働日数が少なく満額の給与ということになるが、派遣社員のように時間給を基に給与が決まる人たちにとっては、長期の休みはそれだけ支払われる時給が減る、という意味になる。
非正規雇用が多いシングルマザーなどは、生活に直結する大問題だろう。
多様な労働形態という視点では、歓迎されない案ということになる。
確かに「家族そろって長期の休み」というのは、年休消化率に低い日本では必要なことかもしれない。
しかし「年休消化率」を上げ、「ゆとりある暮らし」というのであれば、違う発想が必要な気がする。
と同時に、生活者自身も「連休=どこかへ行く」という発想から、「どこかへ行かなくても充実した休み方」へ変えていく必要もあると思う。
先日、FM番組を聞いていたらパナソニックが「街の電気屋さん」の募集をしていた。
番組はパナソニックの提供なので、パナソニックの商品やサービスがラジオCMとして流れるのは、当たり前なのだが「街の電気屋さんの募集」に、何故だろう?と思ったのだ。
ご存じのように、家電の販売の中心は「家電量販店」になってきている。
他には「ジャパネットたかた」のような、ECサイトということになるだろう。
我が家の近所でも家電量販店はあっても、「街の電気屋さん」は見かけない。
にもかかわらず、パナソニックが「街の電気屋さん」を募集する・・・不思議に思い、パナソニックのサイトで確認をすると、家電量販店には無いサービスを提供することを目指しているようだ。
パナソニック:街のでんきやさん パナソニックの店
そして、私が聞いた「募集」のラジオCMはどうやら「従業員募集」ということだったらしい。
社名がPanasonicになる前の松下電器産業だったころ、業績を大きく伸ばす原動力となったのは、製品だけではなく「街の電気屋さん」と呼ばれる販売店によるところも大きかった。
松下の「街の電気屋さん」をまねて、家電各社が同様の販売店を全国展開をしていた時代もあった。
「街の電気屋さん」はご存じの通り、家電量販店の登場により激減し、今でも「街の電気屋さん」という販売店を持っているのはパナソニックぐらいだろう。
家電量販店が主流になっている今、あえてパナソニックが「街の電気屋さん」に力を入れ始めているのか?ということを考えた時、高齢化社会への対応ではないか?という気がしたのだ。
例えば、天井に備え付けてある照明器具の取り換えなど、高齢者になれば手が届かないとか、脚立に上って取り換えることに不安を感じるようになる。
家電量販店では、そのようなサービスをお願いしにくいが、顔見知りの「街の電気屋さん」であれば頼みやすい。
ついでに、避難袋の懐中電灯の乾電池もチェックしてもらったり、他の家電の不調も見てもらいやすいだろう。
「生活者からの親しみを持ってもらう」という資産は、どの企業にとっても欲しい価値の高い資産だ。
高齢者を対象として考えているとしても、継続的な付き合いの中で次の世代に引き継がれたり、地域全体に広がっていく可能性は高い。
街の電気屋さん側からすれば、「個人宅に上がることができる」ということは、大きなメリットにもなる。
なぜなら、そのお客さんの暮らしぶりがわかるからだ。
古いテレビを見ているなら、買い替えの提案もできるだろう。
何より、サイトを見てわかるのだが「住宅リフォーム」や「太陽光発電」のような、これまで電気店がしていなかったような提案を積極的にできるようになる。
そう考えると、パナソニックの考える「街の電気屋さん」は、家電商品を売るのはもちろんだが「暮らしの提案」をすることをビジネスの柱としているのでは?
事実ヤマダ電機などは、ハウスメーカーと共同で住宅リフォームや太陽光発電の販売をしている。
生活者にとって「店頭に行く」ということは、それなりの勇気(?)がいる行為だ。
だからと言って、1回の説明だけでわかるようなコトではない。
何度かは自宅に足を運んでもらい、細かな説明や打ち合わせがしたい、と考えるのも生活者の気持ちだろう。
そのような「きめ細やかな対応」が、「街の電気屋さん」であれば、日ごろの付き合いという「信頼関係」があり、スムーズに進めることができる。
パナソニックが「街の電気屋さん」に力を入れるのは、高齢化社会という社会変化の需要に対応するだけではなく、「信頼関係」という以前は当たり前だった資産を得ることのようにも思える。
先週、「受動喫煙」について様々な話題があった。
その中でも、自民党部会で「がん患者は働かなくてもいい」という野次が飛んだ、という報道には驚くというよりも「喫煙による健康被害」の実態を知らないことに、言葉を失った。
しかもこの部会は、厚生労働部会だったという。
東京新聞:がん患者は働かなくていい」受動喫煙議論 自民部会でやじ?
元々、自民党内では「受動喫煙」に対して、今のままで(というよりも、今よりも喫煙に対して緩和したい?)という意見が多かったように感じている。
それだけヘビースモーカーの議員さんが多い、ということなのだろう。
そして今回の「がん患者は働かなくてもいい」発言が、飛び出したわけだが、この野次った議員さんは「喫煙=(肺)がん」という認識しか持っていらっしゃらないのでは?という気がした。
しかも今現在、がん患者がおかれている立場や「がん対策基本法」などの内容も理解されていないようだ。
毎日新聞:がん対策基本法 改正案に「企業は雇用継続努力」
今や「日本人の2人に1人が、がんになる時代」と、言われるようになって久しい。
がんの治療薬の研究・開発は進んでおり、新薬などは1年間服用すると家1軒分の費用が必要と言われている。
高額医療制度などの利用で、患者の負担額は10万円/月程度になっても、国の負担は増えるばかりだ。
もちろん、月10万円の治療費負担は、患者や患者家族にとっても大きな負担となっている。
だからこそ、働かなくてはいけないのだ。
しかも極力正社員で、安定した収入が無ければ、がん治療そのものが難しくなってしまう。
治療費+生活費を国が全額負担してくれれば、働く必要はないかもしれないが、そのようなことをしたら現在の赤字財政がより酷い状況になってしまう、ということは火を見るよりも明らかだ。
医療費の問題だけではなく、「改正がん対策基本法」でも謳われている通り、がん患者の就労は生活基盤の安定だけではなく、患者自身の生きがいという点でも重要だからだ。
「余命〇〇」と告げられても、生きがいを持っている患者さんは告げられた余命よりも、随分長生きをされることがわかっている。亡くなる時も入院期間が短く、静かで安らかな最期ということも言われている。
その2つの点で、がん患者の「生きる」権利と国の財政を理解していないことで、「働かなくてもいい」が飛び出した、ということになる。
それだけではなく、喫煙による健康リスクは「がん」という病気に限ったことではない。
循環器系の病気である、心筋梗塞や脳梗塞の発症原因の一つが喫煙である、という指摘は随分前からされている。
日本人の死亡原因の1位はがんだが2位は心筋梗塞や脳梗塞のような循環器系の病気だ。
循環器系の病気もその治療費は高額で、脳梗塞などを発症し一命をとりとめたが、その後寝たきりになってしまう患者さんも少なくない。
当然、それなりの医療費が個人にも国にも掛かってくる。
また、最近では3次喫煙などの問題が、クローズアップされてきている。
患者数が増えていると言われる「肺気腫」も喫煙が主な原因とされ、喫煙環境から逃れた30年後、40年後でも発症する、と言われている。
野次った議員さんは30年後、40年後はないかもしれないが、議員さんの喫煙で30年後、40年後に様々な病気を発症するリスクを垂れ流している、ということを知ってほしい。
厚労省:喫煙の健康影響に関する検討会報告書
VOUGEのサイトには、なかなかユニークな文化の変遷をまとめたビデオが見られる。
その一つ、オフィスカジュアルのトレンド、100年の歴史を見ると、その時々の社会の雰囲気だけではなく、女性の働く意識の変化も感じられるような気がする。
VOUGE:ライフスタイル オフィスカジュアルのトレンド 100年の歴史
最初に紹介されるオフィスカジュアルのブランドが、シャネルだと知って驚かれる方が多いかもしれない。
今のような高級ファッションブランドとなる前、というよりもココ・シャネル自身が自分のブランドを立ち上げた時は、「働く女性たちの為のファッション」を創りたいと考えていた、と言われている。
そのため、それまで男性のカジュアルウェアの素材であった、ツィードを使ったり、スポーツウェアの素材であるジャージ(「伸縮性のある生地」という意味)を積極的に使うことで、女性たちが働きやすいファッションを提案していた。
もちろん、当時はファストファッションなどはなく、「オーダーメイド」という時代だ。
数多くの服ではなく、少ない服を上手に着まわすことも、オフィスファッションの重要ポイントだったに違いないだろう。
シャネルスーツは着回しがしやすいスーツとして、働く女性たちに受け入れられたと言えるのだと思う。
しかし、第二次世界大戦がはじまる前までの女性の外出着の基本は「帽子・手袋・小振りのハンドバッグ」ということを考えると、このような服装で仕事に行く女性の仕事は、今のような仕事内容ではないだろうな~と、想像ができる。
そのようなファッションが一転するのが、第二次世界大戦中のファッションだ。
それまで、穿かなかったパンツスタイルが登場する。
同じころ日本では、モンペが女性の服装の「基準服」だった。
最も、第二次世界大戦後次にパンツスタイルが登場するのは、1970年代に入ってからなので、戦争という時代は女性からファッションやおしゃれというモノ・コトを奪うことだということもわかる。
戦後になると、再びスカートが復活。
しかし、戦前には一般的であった「帽子・手袋」はCA以外の職業では、着用しなくなる(ジャクリーン・ケネディは別だ)。
戦後、女性がオフィスで働く、ということが一般的になり、帽子や手袋をして出勤するほど優雅な職場ではなくなった、ということだろう。
随分前に「9時から5時まで」という、米国映画があった。
この時、ジェーンフォンダが演じる、長い間専業主婦で離婚をしたため人生で初めて働くことになった女性が初出勤する場面では「帽子・手袋・小振りのバッグ」で登場し、職場の女性から失笑される、という場面があった(と、記憶している)。
映画公開が1980年だったコトを考えれば、それだけ時代遅れ感のあるファッションでの出勤、ということを大袈裟に表現していた、ということだろう。
女性のオフィスファッションが大きく変わるのは、1970年代になってからだろう。
パンツスタイルで仕事をする女性が登場するのと同時に、「ウーマンリブ」という社会の動きとリンクする。
1960年代から始まった、公民権運動やベトナム戦争に対する若者たちの反戦活動などもファッション全体への影響を与えていると思う。
と同時に「女性が働く」という意思と意味の、変革の始まりだったかもしれない。
それがより強く表れるのが1980年代、ということになるだろう。
女性が男性と対等に仕事をするのが、(米国では)当たり前になりつつあり、日本でも「男女雇用機会均等法」が施行されるのが1985年だ。
行き過ぎた平等意識は、女性自身のアイデンティティを揺るがすことになったのか?1990年代になると、揺り戻しのようなファッションになる。
とはいうものの、既に「女性が働く」ことが特別なコトではなくなり、大学進学率なども急激に増えるなど、仕事にファッションが影響を受けるのではなく、自由さを得たのが1990年代以降ということになるのかもしれない。
ファッションの変遷という視点で見るだけでも、女性の働く意識の変化を感じるのは「時代を映す鏡」として当然なのかもしれない。
その変遷を長いスパンで見ることで、「ファッション」という文化の変化と社会的影響も感じられる面白いビデオだと思う。
新聞各紙だけではなく、ネット上でも話題になっている「京大 VS JASRAC」。
ことの発端は、京大の入学式で総長の式辞にボブディランの「風に吹かれて」の一節があった、ということらしい。
京都新聞:式辞に歌詞引用、著作権料を 京大HP掲載でJASRAC
このところ、JASRACに関する話題というか、問題が多い。
今年2月、JASRAC側が「音楽教室」などで演奏する場合も著作権料を支払うように、とヤマハをはじめとする音楽教室を展開している事業者に通告をしてきたことに始まる。
この通告に対して、ヤマハ音楽振興会(「音楽教室」を運営している)などが反発。
「音楽教育を守る会」をヤマハや河合楽器などが結成し、新聞に意見広告などを出した。
今月に入り、ヤマハ側がJASRACを提訴する、という動きになっている。
「音楽教室 VS JASRAC」の場合、演奏するために購入した譜面には著作権料として既に支払われているので、この場合「演奏」によって発生する著作権ということになる。
想定されるのは「発表会」ということになるはずだが、「音楽教室」の目的は「音楽に対する知識や演奏技術を深め、音楽を楽しむ」ということだと思う。
その成果としての「発表会」を、プロの演奏と同じだと考えてよいのだろうか?ということになる。
「発表会」そのものも、観客としてきているのは生徒の家族程度で、「広く多くの人に聞いてもらう」というモノではない。
そのような状況というか事情を考える必要があるはずだ。
それに対して、京大での式辞は全く違う内容だ。
式辞で引用されたのは、「風に吹かれて」の一節。
それをHP上に公開した、という点が問題らしい。
とすれば、ネット上にたくさんある洋楽ファンの対訳付きブログなどは、アウトになってしまうはずだ。
もう一つ考える必要があるのは、式辞で述べた一節が著しく著作権を侵害しているのか?という点だろう。
「風に吹かれて」の歌詞を丸っと使ったわけではないし、歌ったわけでもない。
あくまでも一節を引用しているに過ぎない。
詞の一部の言葉を使うだけで、そこに著作権が発生するのだろうか?
普段使いなれている言葉が、何かの歌の一部として使われ、それを話しHP上にアップしたからと言って「著作権がある」と言えるのだろうか?
話はそれるのだが、最近メジャーデビューをしている10代後半から20代前半の話題のミュージシャンたちの一部は、ニコニコ動画などで自分たちの演奏を公表し、メジャーデビューを果たしている。
この夏、某日焼け止めクリームのCMに起用されている「ぼくのりりっくのぼうよみ」などは、その一例だ。
メジャーデビューをするにあたっては、レーベルがJASRACと何等かの契約をしているとは思うが、メジャーデビューする方法が、これまでとは全く違ってきているのだ。
言い換えるならJASRACが著作権云々を言う前に、彼ら自身が自分たちの音楽を配信し、場合によっては自分たちでYoutuberのように管理している可能性もあるだろうし、映像を見てコピーをする人達もいるだろう。
JASRACの手が届かない所で、音楽が生まれ育っているのだ。
今年に入ってからのJASRACの動きは、「著作権料」ということばかりにフォーカスしすぎて、本来の「著作者の権利の保護」という観点が抜け落ちているような気がする。
その最たる例が、今回の京大での式辞のように感じるのだ。
個人的には京大側が、JASRAC側と真っ向勝負(というと変な話だが)して欲しいと思っている。
トランプ大統領の迷走は、FBI長官をクビにしたころから表面化し始めたような印象を受ける。
もちろん、FBI長官をクビにする前から、様々なことを言われてきたのがトランプさんだった。
就任後100日は、メディアなども「様子見」として、新大統領のネガティブな話題や事件を積極的に取り上げることはなかったように思うのだが、今回のトランプさんに関しては、マスメディアに対して最初から喧嘩腰で「マスメディア=フェイクニュース」と切り捨てるような発言を繰り返してきた。
トランプさんが言う「フェイクニュース」の一つが、今回問題視されている「ロシアへの情報提供」だ。
しかし、トランプさんが「フェイクニュースだ」と言えばいうほど、信憑性の高いニュースへとなってきているようだ。
それが、今やトランプ政権のリスクとなっているのでは?と、感じられるほどで、これで弾劾裁判のようなコトになれば、ニクソン大統領を辞任に追い込んだ「ウォーターゲート事件」どころの騒ぎではないような気がする。
何故なら、この「ロシアゲート事件(と呼ばれているらしい)」によって、経済政策が停滞し始めているようだからだ。
経済政策の中でも最も注目をされていたのは、法人税の減税策だったと思うのだが、減税分の財政確保の説明がされていない(ような気がする)。
自分のことを悪く言うメディアに対しては喧嘩腰なのに、肝心な政策や経済対策となると、発言がおとなしくなってしまう。
少なくとも、公の場では口をつぐんでいるような印象がある。
TwitterのようなSNSでは威勢が良いのに、第三者を通して発信する言葉には、奥歯に何かしらのモノが引っかかっているような発言が目立つ。
これまで得意としてきた?企業に対してTwitterで、あれこれ呟いて圧力をかける、という手法も最近ではあまり効果がないようで、企業からの反応も話を聞かなくなってきた。
圧力をかけられた企業側は、「ロシアゲート事件」の様子見状態のようで、事件の進展によってはこれまでの圧力によって渋々?対応してきたことを見直すかもしれない。
もう一つ米国民が「リスク」として、トランプさんを見なくてはいけないのでは?と、感じることは「アメリカン・ファースト」と言いながら、結果が「アメリカン・ファースト」になっていない点だ。
「ロシアゲート事件」にしても、トランプさんの行動は「俺って、こんな情報を知っているんだぜ!凄いだろう」風の自慢話が発端になっているような印象があり、国家機密という認識は薄いような感じだ。
このような「国家機密」がたやすく外部、特にライバル国に対して流れてしまうと、それだけで自国に対する様々なリスクが高くなってしまう。
その意識の無さ(という印象を受けるのだが)が、「アメリカン・ファースト」から一番かけ離れ、「トランプ・リスク」を高めているような気がするのだ。
トランプさんが大統領を続けることが、アメリカにとってのハイリスクになりつつあるような動きが、既に株価や為替などが出始めているようだ。