日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「ルッキズム」考

2024-02-02 20:32:50 | 仕事のコツ

先月28日に麻生太郎副総裁が、福岡県芦屋町の講演会で「(上川外相について)そんなに美しい方とは…」と言ったという話題が、まだまだ続いている。
RKB(YouTube):上川陽子外相の容姿「そんなに美しい方とは」麻生太郎氏がまた……能力高く評価しつつ名前も言い間違え 

この報道がされ始めた頃、「麻生さんの暴言がまた…」という意見と「女性を容姿で判断する、古い価値観」と言った意見などがあったように思う。
いわゆる「ルッキズム(=容姿や身体的特徴などで人を判断する)」という批判だった。
それがいつしか、反論をしない上川外相にまで「なぜ反論しないのか?」という、意見まで出るようになった。

麻生さんの発言は、如何にも昭和のオジサンの言葉という気がするのだが、だからと言って反論をしない上川外相に「なぜ反論をしないのか?」という問いかけをするのは、筋違いのような気がする。
何故なら、昭和のOL達はそのような言葉を投げかけられても「常に、にっこり笑って、仕事で成果を出す」ということを、してきたからだ。
そのような体験があるからこそ、「どんな声もありがたい」という言葉で、回避しているのだ。
日経新聞:上川陽子外相「どんな声もありがたい」麻生氏の容姿発言に 

しかしそれは昭和という時代の話であって、今麻生さんのような発言をすれば「セクハラ」と言われることは目に見えているし、言われても当然だろう。
残念ながら、麻生さん位の年齢になってしまえば、「なぜこんなに言われなくてはならないのか?」という疑問を持っているだろうし、今日の謝罪の言葉にしても、今回の件を収める為の謝罪なのでは?と、感じている。
そもそも現在の自民党が置かれている立場は、「裏金問題」で追及され、岸田政権だけではなく自民党そのもの危機だからだ。
そこに、副総裁という役職者の「セクハラ発言」が加われば、自民党のダメージはより大きくなってしまう。
そのことを気にしての謝罪と考えるのが、妥当な気がする。

ところでこの「ルッキズム」ということについて、もう少し考える必要があるのでは?と、感じている。
それは、世間一般的にポジティブな意味で使われている言葉にも「ルッキズム」表現があるからだ。
例えば、見目麗しい男性に向けて使われる「イケメン」。
この言葉もまた、「ルッキズム」の象徴のような言葉なのでは、ないだろうか?
そして「イケメン」という言葉があるのであれば、当然対義語となる言葉もあるはずだ。
面と向かってそのような言葉を言う人は、少ないと思うし、例えショックを受けていたとしても、「男がそんな言葉で、くよくよするな」と、言われるのがオチだろう。

これらの言葉に共通することは、「発言者の主観によるところが大きい言葉」ということだ。
ということは、発言者が違えば同様の言葉を使わないかもしれない、ということでもある。
このような「主観による言葉」は、キャッチコピー等をつくる場合、用心すべき言葉でもある。
それは「受け手となる生活者に不快感を与えかねない」からだ。
まるで言葉狩りのように思えるかもしれないが、「主観による言葉」というのは、それだけ情報発信をするときにリスクの多い言葉である、ということなのだ。

「主観による言葉」は、一見素直な心の発露のようにも思えるのだが、実は思慮に欠ける言葉でもある。
コミュニケーションにおける最大の力となる「言葉」だからこそ、思慮が必要なのだ。


SNSで文章力を鍛える

2023-11-27 20:01:28 | 仕事のコツ

今やある程度の規模の企業であれば、SNSを活用していない企業はないのでは?と、想像している。
その中でも「X(旧ツイッター)」は、手軽な広告ツールとして活用している企業は多いと思っている。
他にもLINEやInstagram等のSNSを同時に活用している、という企業がほとんどかもしれない。
理由は、広告代理店に依頼してテレビCMを制作するよりも遥かに安価で、自分たちで作ることが可能だからだ。
勿論、動画等になると、プロのモデルさんや背景に溶け込むように流されるBGMの使用権等については、広告代理店の方が、様々なコネがあるとはいえ、制作費等はバカにならない。
そこで活用するのがSNSという訳だ。

X(旧ツイッター)等を活用し、自社の情報発信をしている企業の多くは、商品写真等を中心に1行程度の文章にまとめている、という企業が多いと思う。
そのような広告を見ながら、「もったいないな~」という気がしたのだ。

ご存じのようにX(旧ツイッター)は、全角140文字の投稿ができる。
この140文字という文字数は、実際に書くとなると案外ボリュームがあるような印象を持たれるのでは?
その一方で、「140文字ではとてもではないが、書ききれない」という広報担当の方もいらっしゃるのでは?と、想像している。
実はこの140文字という文字数は、絶妙な文字数なのでは?ということに最近気づいたのだ。
それは「広告としてのキャッチコピーとキャッチコピーの付属となる文字数」として考えた時、「文章をまとめる力」を身に着けるのには、丁度良い文字数なのだ。
キャッチコピー等は、一目で人の気持ちや関心を惹く為に印象に強く残る言葉を選ぶ必要がある。
しかし、それだけでは受け手となる生活者には「何を言っているのかわからない」ということに、陥りやすい。
印象強いキャッチコピーでも、何を訴えたいのかわからない、というのであれば、コピーとしては失敗作だろう。
そこで必要となるのは、短くも長くもない、90文字程度の訴求文章ということになる。

この「訴求文章」が、実はとても難しい。
「自分の伝えたいこと」ではなく、「生活者に伝わる為の文章」だからだ。
上述したように、その為には長くても・短くても「伝わらない」のだ。

最近、「文章を読むのが苦手。文章は極力読みたくない」という言葉を、耳にすることが多くなってきた(ように感じる)。
何となくだが、「文章を読むのが好き」な人と、「文章を読みたくない人」との二極化が進んできているのかもしれない。
そのような中で、印象が強く残るキャッチコピーだけでは、伝えたい意味を勘違いしてしまう人も出てくる可能性が高い。
だからと言って、長々とした文章は読んではもらえない。
その為の文章力が、今求められているのでは?ということなのだ。

そう考えた時、X(旧ツイッター)のように文字数制限があるSNSは、その文章力を鍛えるツールともなりえるのでは?
勿論、他のSNS等も同様だ。
Instagramのように、写真や動画があるから文章を創らなくてもよい、のではなく。
より写真や動画の魅力を生活者に伝え、興味を持ってもらう為の補助的文章というモノが、必要なのだ。

だからと言って、SNSを使う必要はない。
ただ、「自分がSNSに投稿した時、どのくらいの人たちがこの文章を読み、好感を持ってくれるのか?」ということを考えながら、文章をつくるということが重要なのだ。
SNSを上げた理由は、「炎上しない為の言葉遣い」ということも、書き手として考える必要があるからだ。
「炎上商法」を狙うのであれば関係ないが、多くの広告・広報担当者は「生活者に対する好感度を上げたい」と、考えているはずだ。
だからこそ、「短文で好感度の高い言葉を使い、端的に伝える」というトレーニングが必要なのだ。
その為のトレーニング要素が、SNSにはある、ということなのだ。


テレビドラマも視点を変えると、ビジネスのテキストになる?!

2020-07-09 19:57:35 | 仕事のコツ

日経新聞のWEBサイトに、東大大学院の学生が起業し、AIなどの分野で注目されている「グノシー」に続けという、記事があった。
日経新聞:グノシーに続け 東大「松尾研」に集う起業家の卵 (会員有料記事)

この記事は、連載記事なので内容を把握する為には、「東大スタートアップ」を読むと良いと思うのだが、この記事のタイトルを見ながら、ある種の違和感を感じている。
その理由は、「人はAIだけでは、理解できない部分を数多く持っているのでは?」ということだ。
「新型コロナウイルス」の感染拡大の為に、撮影が中断しやっと放送が始まった、TBSの「私の家政夫ナギサさん」を見ていた時に感じた「人の心に訴える」ということの大切さだ。

見逃し配信サイトTverで見ることができるので、見逃した方は一度チェックをして欲しいのだが、放送50分頃から始まる、クライアントである開業医と主人公の女性との会話だ。
ライバル会社の製薬会社との取引が決まりかけているのを覆そうと、必死になって自社のアレルギー薬(?)のセールスポイントを説明しようとする、主人公。
それに対して、クライアントである開業医は「お薬の効果という点では、ライバル社と大きな差はない」と、言い切ってしまう。
続いて「何故、ライバル会社に決めたのか」という説明を始めるのだ。
そこで語られるのは、「B2B」ビジネスで陥りがちな問題点と、「セールスポイントとベネフィティングポイント」の違いだ。

まず「B2B」ビジネスで陥りがちな問題点、というのは「B2B」ビジネスでは、顧客となるのは「企業」だ。
だが「顧客である企業」にとっての利益だけを考えても、「顧客である企業」の利益にはなっていない、ということが間々として起きる。
大切なのは「B2B」の先にある「B2B2C」の「2C」、すなわち、「顧客である企業の先にいる生活者の利益」を、どのようにとらえるのか?ということなのだ。

もう一つ、主人公がクライアント獲得のために行っていたことは「自社のセールスポイント」を訴えることだった。
今でも日本の企業の多くが、この「セールスポイント」を強調することが、実際の顧客メリットに繋がっている、と考える傾向があるように感じることが多いのだが、大切なことは「本当の顧客メリット=ベネフィティングポイント」を探し、提案することなのだ。
この「本当の顧客メリット=ベネフィティングポイント」を探す為には、AIのような情報の分析だけでは難しいのでは?と、考えている。
何故なら「人を動かす力」は、少なからず「こころの動き」がある、と考えているからだ。

上述したグノシーのようなAIを活用することで、情報の分析は早く簡単に行うことができるようになると思う。
だが、情報の分析だけでは「(人の)こころの動き」までは、分析することは難しいように考えている。
だからこそ「AI時代に必要なこと」の一つは「人のこころの動き」に寄り添う力であり、それは人にしかできないことなのでは?と、考えるのだ。

元々このドラマは「ラブコメ」と呼ばれるカテゴリーのドラマなので、わずか1,2分しかないこの場面に気を留める視聴者はさほど多くはないかもしれない。
だが、「ラブコメ」と思い込まずに、視点を変えてみることで、テレビドラマも「ビジネスのテキスト」になるのでは?という気がしている。



思考力をつけよう!

2020-06-15 20:54:17 | 仕事のコツ

ここ数日、考えることがある。
それは「思考力と思考速度」ということだ。
何故、そのようなことを考えているのか?というと、時々「答えが分かっているのに、何故考え込むのだろう?」と、感じる方と出会ったからだ。
決してその方の学力などが、劣っているわけではない。
にもかかわらず、「答えが分かっているのに、熟考するのか」不思議でたまらなかったのだ。

会社員時代に、あるマーケティングについての勉強会に、出席したことを思い出したのだ。
勉強会そのものは、1日をかけて3人くらいの講師の先生に登壇いただき「マーケティングの基礎~ビジネスにおけるマーケティング」という幅広い内容で、大学の先生から実際にビジネスパーソンとして活躍されている方まで、経歴も様々な方々だった。

その中で、大学の先生(=教授)が、「君たち、熱心に僕の話をノートに書いるが、ノートに書くことで勉強をして気になっているのではないか?」と指摘されたことがあった。
考えてみれば、私たち(の世代?)は小学校の頃から「教科書と先生が板書した内容をノートに書く」という授業を受けてきた。
そしてそのノートを読み返し、覚えることが「復習」だとされてきたような気がする。
それは小学校から大学まで、ほぼ変わることが無かったように思う。

その大学の先生は「僕の話を聞きながら、自分の会社はどうなのだろう?このような考えはできないのか?と、疑問を持ったり、僕の話から何かを感じて、考えるということはしないのかね?大切なことは僕の話ではなく、僕の話から何を感じ・考えたのか?ということだ」と、言われたのだった。
もっとも随分前の話なので、記憶が定かではない部分もあるのだが、話の趣旨としてはそのような内容だった。

おそらく「答えが分かっているのに、熟考してしまう」と感じてしまうのは、「答えを提示されていない為に、自分で考える為の時間が必要」ということなのでは?という気がしてきたのだ。
上述したように、小学校の頃から「考える」というトレーニングを、余りしてきていないのかもしれない。
実際、マーケティングの話をすると「How toを教えてくれるだけで十分」という方は、世代に関係なく案外多い。
ビジネスのフレームを作ってもらい、How toに沿って仕事をすれば、成功する!と、考えている方は少なくないようなのだ。

だが、これから先AIがごく当たり前のように使われるようになると、How toの仕事はAIがするようになるだろう。
何よりAIは、経験を学習しその学習から様々な場面や状況の中で、ベストと思われる選択ができるようにプログラムされている。
まだまだAIの「思考プログラム」が開発途上だし、そのプログラムを作る人によって、随分AIの思考そのものが変わってしまうという問題もある。
BUZZFEED Japan:Microsoftの人工知能は、なぜ虐殺や差別を「支持」するようになったのか……

しかしながら、コミュニケーションという部分ではなく「データベースから推測し、ベストな答えを導き出す」という、部分に限って言えば、How toにしか興味のない人よりも遥かに短時間でその答えを導きだすだろう。
そう考えると、ビジネスという場面だけではなく、本や新聞を読みながらでも「背景となるモノは何?」とか「問題の本質はどこにあるのか?」という、思考をめぐらすトレーニングが必要なのではないだろうか?

最初に「答えが分かっている」と書いたのは、私が同じ話を聞きながら「何故?解決策はどこ?」と考えていたからだ。
そしてそれは、日々の「思考トレーニング」によって、身につくことでありこれから先のAI時代には、必要な力のような気がする。


「学び続ける」ことの大切さ

2020-06-07 20:17:32 | 仕事のコツ

スポーツ紙に、意外といっては失礼だが、面白い記事があった。
スポニチ:吉村府知事の”名参謀”大阪のコロナ対策を支えるスーパーウーマンは「いくつになってもチャレンジ」

大阪の吉村府知事といえば、政府がなかなか発信しない「新型コロナウイルス対策」に対して、積極的に発言をし独自の支援策や対策を次々と打ち出し、今や首相の安倍さんよりも存在感のある政治家として、注目されている。
その吉村さんを支えるブレーンの一人が、この記事で紹介されている「健康医療部」の部長・藤井睦子さんだ。

藤井さんの経歴を見ると、流石の出身大学!と思うところは十分にあるが、それ以上に素晴らしいのは、行政職として常にその職場で最大限の力を発揮し続けていた、ということなのだと思う。
最大限の力を発揮するための、努力は大変なモノであったのでは?と、想像することはできる。
その「努力」の一つが、学び続けるという姿勢なのだと思う。

随分前、日経新聞が「諸君。学校出たら、勉強しよう」という広告を春に出したことがあった。
宣伝会議:日経新聞のコピーから読む「勉強」のこと

「諸君。学校出たら、勉強しよう」という広告が掲載されたのが、1982年。
今から38年前ということになる。
長い社会人生活の中で、不思議に思っていることがある。
その一つに「社会人になると、勉強をしなくなるのは何故か?」ということだ。
日経の広告が、今でも見る人に強く訴えかける力があるのは、この広告がでた頃から「社会人が変わっていない」からだろう。
もちろん、この広告が出た頃は「就職すれば、一生安泰。年功序列で定年までにそれなりの経済保証はある」という時代だ。
何より企業側も「学生時代に学んだことは、一旦リセットし改めて企業にあった人材教育をする」という、時代でもあった。
社会人になれば、積極的に学ぶ必要は無く、ある程度は企業側が用意した「営業の仕方」等のノウハウを理解すれば、それで大丈夫だったのだ。
だからだろうか?社会人になると途端に「職務に必要な勉強とは何か?」ということを、考えることなく惰性のように会社員生活をする人は多かったように感じる。
そしてそれは、男性が多かったように感じている。

理由は、女性が男性と同じ土俵で仕事をするためには、それ相応の覚悟と実績を残す必要があったからだ。
そのため女性の方が、職務を果たすための勉強を欠かすことなく、全力で取り組む必要があった、という点が大きいように実感している。
私自身、マーケティングという仕事に携わるようになると、「一般教養」と呼ばれる芸術文化の分野はもちろん、経済や社会情勢、時には「クラスター分析」を理解するために高校生の時以来、物理を学び直すということまで、当たり前にしてきた(物理はすっかり、忘却の彼方に去ってしまったが・苦笑)。
それが「偉いでしょ!」という気は、さらさらない。
仕事をするのだから、当然のことだろう(と考えていた。のだが・・・どうやら違うようだ、とここ数年で気が付いた)。

性差でも飛びぬけたセンスも関係ない。
藤井さんのように、新たな職務を任命されれば、それを「チャレンジ」と受け止め勉強し続けることができる人が、これから先必要な人財となっていくのでは?と、感じている。




ボンヤリとする時間をつくろう

2019-08-19 20:10:02 | 仕事のコツ

今年も、酷暑というよりも殺暑と言ったほうが良いのでは?というほどの暑さが続いている。
このような殺暑の中のお盆休みとなった訳だが、帰省する電車や高速バスの中でフッと思ったことがある。
それは「思考力と読解力」ということだった。

ここ2,3年人の話を聞いていて「え!」と思うことがあった。
それは「本を読む」ということと「考える」ということが、結びつかないという方が案外多いということだった。
「本を読みながら、考える」と言ったほうが、分かりやすいかもしれない。
人にはそれぞれの読書スタイルがあるので、どのような読み方が一番良いと言い切れるわけではない。
ただ、「本なり新聞(最近はネットニュースなど)を読みながら考える、あるいは考えながら本や新聞(ネットニュース)を読んでいる」という人が、少ない(あるいは少なくなってきている)のでは?という気がしたのだ。

今から40年以上前、受験生だった私はこの時期「英語の長文読解」に、悪戦苦闘をしていた。
教科書に掲載されている英文が受験に出ることは無いので、とにかく長文を読みこなすことが受験の近道と言われていたからだ。
そうすると、英文を読みながら日本語を考え、分からない単語が出てきても前後の単語や文全体から理解する必要となる。
分からない単語一つに、躓いている場合ではないのだ。
元々、現代国語の授業でも文章全体を読み、その内容の概略的なものを理解した上で、文をバラバラにし、分かりやすいように組み立て直す、ということをしてきたので、もしかしたらそのような思考で英文の長文を読んでいたのかもしれない。
ただ、ぞのころに身に着けた「読みながら考える、考えながら読む」という習慣が、思考力と読解力を鍛えたように思う。

そしてこの「思考力」を単発的なもので終わらせない為の作業が、「思考を重ねる」ということになる。
「思考を重ねる」というと、どこか難しそうな印象を持たれるかもしれないが、「単発の思考を広げ・重ねる」ことで、より思考力は深まっていく。
一つのアイディアを広げる為に、キーワードをノートに書き足していくのと同じ作業を繰り返すのだ。
それをノートに書き起こすのか?自分の頭の中で展開するのか?の違いなだけなのだ。
ノートに書く方が、忘れることが無いのでお勧めしたいのだが、移動中のバスや電車の窓からボンヤリと風景を眺めている時に、思い浮かぶことが多い為、とりあえず頭の中で展開することになるのだ。

しかしこの「読みながら考える(あるいは考えながら読む)」ことが苦手な方は、ボンヤリとした時間を持つことも苦手なようで、すぐに正解を求める傾向があるようだ。
確かに、様々な情報が飛び交い判断力を求められることも多い現代社会だが、案外瞬時の判断力が求められる時というのは、ルーティンでは対応できないような時のほうが多いのでは?
とすれば、ルーティン以外のことをしている時は、時々ボンヤリする時間を積極的につくり、自分なりの「思考力を鍛え、思考を重ね、思考の文脈」をつくるようにしてみてはいかがだろう?

「AIが活躍する時代だからこそ、ボンヤリする時間をつくる努力が必要なのでは?」と、高速バスの車窓から見える夏雲を見ながら思った、お盆休みだった。




分野を超えて、学ぶことの大切さ

2018-01-19 16:38:07 | 仕事のコツ

朝日新聞のWEBサイトの健康関連サイト「apital」に、面白い記事が掲載されていた。
記事を書かれているのは、「がんの代替療法を科学する」ことをテーマに研究をされてきた大野智先生(「『嵐』の大野さんとは別人の大野智」です、とご自身の自己紹介をされることもある、ユーモアのセンスたっぷりの先生)だ。
apital:選択のパラドックス 選択肢が増えることは良いことか?

日本人の多くが、「がん」と診断され真っ先に思い浮かぶ治療の一つが、「抗がん剤」による治療だろう。
そしてこの「抗がん剤」に対する、自分の容姿が著しく変わる脱毛や、苦しい嘔吐などのマイナスイメージが、患者を「代替療法」や「民間療法」へと向かわせる要因の一つともなっているのでは?と、感じることが多々ある。
それだけではなく、患者にとって「治療の選択の余地がない」ということも、「代替療法」や「民間療法」へと向かわせる理由となっているのかもしれない。
上述した通り大野先生は、「がん治療」の中でも「代替療法」と呼ばれる、「科学的根拠」が明らかにされていない治療について、研究をされてきている。
だからこそ、「代替療法」や「民間療法」などへ向かいやすい、がん患者の気持ちが良く分かるのでは?と、感じている。
大野先生は、そのような患者さんに対して「良いガイド役」として、この記事を書かれている(と思っている)。

詳しい内容は、紹介の記事を読んでいただくとして、考えなくてはならないのは「人は常に判断をしている」ということだろう。
その「判断」によって、「失敗をした」とか「成功した(あるいは満足)」と感じる。
がん治療の場合、その時々の「失敗(あるいは満足)」が、大きく左右されることも多いのが、現実だ。

今のように様々な情報が氾濫する社会では、「判断をする」ための理由が、感情(というかその時の気分)に左右されることが多くなる。
「選択の自由」はあった方が良いが、「自由があり過ぎても判断に困る」という現実がある、ということになる。
だからだろう、以前から「商品をお客様に勧める時には、3点以内。お勧めする商品が多すぎても、お客様は目移りばかりして、決められない」ということが言われている。

昨年のノーベル賞の経済部門は、「行動経済学」の第一人者であるリチャード・セイラ―教授だった。
そして大野先生の記事は、この「行動経済学」という視点から書かれた内容なのだ(だと感じている)。
医療者だから、行動経済学のことは知らなくても良い、という時代ではない、ということだろう。
もちろん、大野先生ご自身が様々な視点を持ち、勉強家であるということには違いないが、それはどのような領域の仕事であっても同じなのではないだろうか?

好奇心のアンテナは高く張り巡らし、情報をキャッチしながら、専門分野とは違う領域のことも学んでいくことが大切な時代なのだと、大野先生の記事は教えてくれているような気がする。


異なる分野から、刺激を受ける

2016-05-31 20:23:37 | 仕事のコツ

マーケティングという分野は、特に限定された業種だけを対象として、仕事をする訳ではない。
むしろ、意外な接点から、まったく違う視点で発想するコトが大切かもしれない。
「AとBの関係性」は、まったくないように思えてもそこに「C」という関係が加わるコトで、「A-C-B」という関連が見つかるコトがある。
むしろ、そのような関連を見つけるコトが、マーケティングの発想には必要かもしれない。

そんな内容を、まったく違う視点で述べてある記事があった。
ただし、「A-C-B」という関連は全くないのに、さも関連があるかのように述べられている、という視点で書かれた記事だ。
朝日新聞(アピタル):これって効きますか?「離婚率」と「マーガリンの消費量」の近くて遠い関係

実は、この記事を書かれた大野先生の講演を以前聞く機会があった。
とてもユーモアに富んだお話しで、「腫瘍と代替療法」の難しい話とは感じない内容だった。
「がん」という病気に関していえば、実はこのような「因果関係」と「相対関係」が、混同して述べられるコトが多い。
特に「代替療法」に関しては、「因果関係」と「相対関係」を上手に混ぜ合わせて、高額で効果のない民間療法をさも効果があるかのように謳うところが多い。
何より、藁にもすがる思いで「効果が無いかもしれない」と患者は思いながらも、高額な民間療法を「あなたのためよ」勧めるのは患者家族ではなく、親戚とか知り合いなので始末が悪い。

ただ「がん」に関する「代替療法」とは違い、ビジネスでは「因果関係」と「相対関係」の両方を分析していくコトで、生活者の「生活観の変化」や「余暇時間の過ごし方」などを、知るコトができる。
「カラーテレビの普及」と「女性の平均寿命」の関係の中には、「料理番組の普及」ということがあったかもしれない。
それらの番組を通して、日本の食生活に少なからず影響を与えたかもしれない・・・などと考えると、次に調べることは、食事メニューや消費される食品など「食全体の変化」という視点が必要になってくる。

さすがに「マーガリンと離婚率」の因果関係は無いはずだが、実はマーケティングで大切なことの一つは「C」となるモノを見つけるコトだと考えている。
その「C」となるモノは、まったく違うトコロにあるコトが多いため、様々な情報のストックをしておく必要がある。

今回大野先生の記事は、「因果関係と相対関係の違い」を知る良い材料だと思ったのだが、このような情報を見つけることもまた「C」を見つけるのと同様に大切なことであり、異なる分野からも学べるという格好の材料だと思う。


「ゴール」はどこ?

2014-10-28 21:00:23 | 仕事のコツ

HUFF POSTに「サイボウズ式:資料を何度も作り直させるのは三流以下の仕事」、と言うタイトルの記事がアップされている。
HUFF POST:サイボウズ式 資料を何度も作り直させるのは三流以下の仕事

この記事を読んで「そうだ、そうだ」と頷く人もいれば、「上司の指示なのだから、やって当然」という考えをもたれる方もいるだろう。
中には「三流以下、とは酷いな~」という感想を持たれた方もいらっしゃるかも知れない。

「三流以下」かどうかは別にして、「上司から再三指示が変わる」と言う経験は、おそらく数多くのビジネスパーソンが経験をしているコトだと思う。
その原因は何か?と言うと、おそらく「ゴールが判っていないから」なのでは?と言う気がしている。
「ゴール」というと、わかり難いかも知れない。
要は「その仕事の使命」ということが、一緒に仕事をしているメンバー全員に共通理解がされているのか?と言うことだ。
さらに大切なことは「目的が使命になってはいけない」というコトだ。

マネージメント職に一番求められるのは、実はこの「ゴール(=仕事の使命)を分かり易く、端的に伝えるコト」だと、考えている。
その為に「伝える力」が必要になると思うのだが、「伝える力」以前に必要なことは「相互理解を深める力」だと思う。
最近流行の言葉でいうなら、「コミュニケーション能力」と言うことになるかも知れない。
ただ残念なコトに、日本のビジネスマンは「飲みにケーション力」は優れていても、「コミュニケーション能力」が十分だとは言えないと言う気がしている。
特に私と同世代以上の男性などは、「言わなくてもわかるだろう・・・」とか、「そのくらい察して欲しい」という気持ちが強い様に感じている。
その「察する力」というのは、よほどの人間関係が出来ていなくては、なかなか発揮することができない。
それほどの人間関係が出来てないにもかかわらず、そう思ってしまうのは、指示を出す人自身が「ゴールが判っていない」からだ。

そしてマネージメント職で大切なことは「目的が使命にしてしまわないコト」だろう。
わかりやすい例を挙げるなら「売上げ目標」だ。
例えば。ビジネスの使命は、「商品やサービスを提供するコトによって社会全体が良くなる」と言うことだとしよう。
その為には具体的な目標として「売上げ目標」という目的が、設定される。
ところが、いつの間にか「売上げ目標を達成する」ことが、「事業の使命」になってしまい、本当の「社会全体が良くなる」というコトが忘れ去られてしまう、と言うことがよくある。
その様な経験は、多くの方がされていると思うし、実際、私もその様な経験がある。
そうなると「ゴール」そのものが、全くちがったモノになってしまう。
と同時に、チーム全体の動機付けや達成感、時には「(仕事に対する)社員満足度」の尺度が全く別のモノになってしまい、社員が混乱してしまう。
その様な混乱が、企業にとって「目に見えないリスク」となっている可能性は、HUFF POSTで指摘されている通りだ。

マネージメント職は「管理する」のが目的では無く、チームスタッフや社外の取引先と一緒に「事業の使命は何か?」というコトを共通理解させるのか?と言うことが、重要なのだと思う。





今年は、発想を少しずらしてみよう

2014-01-06 19:46:08 | 仕事のコツ

今日から仕事始め、と言う方も多かっただろう。
「仕事はじめ」とは言うものの、まだまだお屠蘇気分が抜けず、本格的な仕事始めは来週14日からという感じかもしれない。

ならば!今週は「ちょっと発想を変える週間」と、考えてみてはどうだろう?
先日紹介した「抹茶シャンパン」を提案していたのは、京都の老舗茶舗・一保堂茶舗さん。
その関連で京都の日本酒のサイトをチェックしていたら、「桃の天然水スパークリングと日本酒を合わせて、カクテルのようにして・・・」という一文を見つけた。
カミング:上京区で唯一の酒蔵佐々木酒造さんをたずねて
余談だが、この「佐々木酒造」さんは俳優の佐々木蔵之介さんのご実家だ。

「老舗だから冒険的で大胆な発想が生まれる」と言う部分は、若干なりともあると思う。
自分の事業となる基礎がしっかり出来ているので、何かあれば原点に戻り、また新しいことにチャレンジするコトができるからだ。
しかし、何も老舗でなくても、発想を変えるコトはできると思う。
変えるコトは出来なくても、「少しずらしてみる」と言うことはできるのではないだろうか?

例えば「寝台特急」をテーマに揚げてみる。
ご存じの通り、「寝台特急」は廃止の一途を辿っている。
残るのは、いわゆる「走る高級ホテル」のようなタイプだけだ。
廃止される理由の一つが、新幹線に代表される「高速化」。
それに拍車を掛けそうなのが「リニアモーター」ということになるのだが、「高速化」を進める大きな理由はなんだろう?と、考えると「昼間の長距離移動の時間短縮」ということになると思う。

「昼間の長距離移動の時間短縮」と言う点だけで考えれば、確かに「寝台特急」は向かない。
しかし「寝ている間に長距離を移動できる」と考えると、また違った需用が起きてくるのでは?
これまでの様な2段ベッド(3段ベッド)の「ベッドを座席と考える」のではなく、「一つの部屋」の様に考え「ファミリータイプ」の座席にすれば、このお正月休みの大渋滞に巻き込まれることもなく、運転手役のお父さんもラクだろうし、子ども達も周囲に気兼ねなく、旅行を楽しむことができるのではないだろうか?
場所と時間によっては、自然を満喫できるロケーションや朝食サービスとして沿線の名物を提供すると言う方法もあるのでは?

ファミリー向けと言うだけでは無く、ビジネス向けとしても「寝ている間に移動できる」というのは、魅力的だと思う。
もちろん運賃などの問題も大きいが、移動先で十分楽しむ・仕事をするため「時間を買う」と言う発想になれば、それも違ってくると思う。

「寝台特急」といのは、あくまでも思いついた一例。
仕事の合間に、この様な「(無駄な?)発想トレーニング」をして、仕事に向かってみてはいかがだろう。