日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

データと実態

2012-11-29 20:24:03 | アラカルト
野田さんが衆議院を解散すると発表する少し前に、ある裁判の判決があった。
覚えていらっしゃる方も多いと思うのだが、「一票の格差」に対する「違憲状態にある」という裁判の判決だ。
その直後に解散となったため、この裁判を起こした弁護士さんたちは「違憲状態のまま選挙をするコトに問題がある」と、訴えている。

先日、実家に帰ったときこの問題に対して実家の父が不満げに「違憲状態というなら、人口の少ない地域に、裁判を起こした弁護士さんたちが家族ごと引っ越してきて、格差を小さくすると言う考えは無いのだろうか?」と話していた。

確かに、有権者数の数で「票の重み」が違うと言うのは、国政に国民の意見を反映させると言う考えからは問題だと思う。
しかし、有権者数が少ない地域も様々な問題を抱え、結果として「一票の格差」が生じてしまっているのだ。
好きこのんで、この様な格差を生んでいる訳では無い。
むしろ「地方と都市部の人口の違い」による、格差だと言える。

そんな父の愚痴のような一言を聞きながら、思ったコトがある。
それは「有権者数以外で、『一票の重み』を考える」というコトだ。
と言うのも、この「票の重み」が「有権者数」を基にしているからだ。
人口が多い地域の票は、人口の少ない地域よりも「一票の重さ(=有権者の考えを国政に反映させやすい度)」が軽い、と言われている。
しかしその様な地域ほど、「選挙に行かない人」もまた多い。

「選挙に行かない」というコトも、一つの投票行動だと考えるコトもできるのだが、投票をしない人達の考えを国政に反映させるコトはできない。
「有権者の考えを国政に反映させる」という前提が、既に意味のないものとなっているのでは?と、考えたのだ。
皮肉なコトに有権者数の少ない=一票の重みがある地域ほど、高齢有権者が多いと言うコトもあって(?)投票率は高い。
当然のコトながら「有権者の考えを国政に反映させやすい」と言える。
いくら有権者数が多くても、実際に投票した人の考えしか国政に反映させるコトはできない。
「投票率が悪い」と言うコトは、「有権者数が少ない」のと同じ要素となるのでは?

そう考えると、「一票の格差」を単なる有権者数で決めるのは、難しいような気がするのだ。
むしろ過去の統計などから、「有権者数と投票率による票の格差」が、「国政に反映される票の格差」と考えるべきなのでは?

議員定数を決めるのは、法律で定められているコト、様な発想はできないのかも知れない。
ただ、この様な「データと実態」がかけ離れている、と言うコトも知る必要があると思う。
「選挙」という場合だけでは無く、ビジネスにおいてもこの様なコトは時々起きているはずだと感じている。



地域限定広告と企業の社会貢献

2012-11-28 14:04:20 | ビジネス
昨日、実家のある米子から戻ってきた。
実家へ帰省する時利用するのが、近鉄と高速バス。
昨日近鉄に乗り換える時、何気なく購入したペットボトル入り緑茶のパッケージを見て、考えるコトがあった。

私が購入したのは、伊藤園の「お~いお茶」。
パッケージを見たところ、通常のものと変わりないような感じがした。
電車に乗り込み、一服!という感じで飲もうとしたところ、いつもとパッケージが違うコトに気がついた。
関西限定の「お茶で琵琶湖を美しく」と言う、キャンペーンボトルだったのだ。

伊藤園がこの様なキャンペーンを5年も続けている、と言うコトを関西に住んでいない私は、知らなかった。
気になって伊藤園の本社をパッケージで確認すると、関西では無く東京。
では何故、琵琶湖なのだろう?
そんなコトが、次に気になったのだ。

サイトを見ても、その理由となるモノは無い。
茶葉の契約農家が滋賀県にもあるようだが、理由としては弱いような気がする。
心当たりとなるのは、「琵琶湖」が抱えている問題とその水系で暮らす人達の多さだろうか?
日本のお茶文化の発祥とも言われる京都は、琵琶湖水系から取水していたと記憶している。
ご存じの方も多いと思うのだが、「琵琶湖」は日本の環境問題の縮図のようなトコロがある。
一つは「外来生物」による、日本在来種の危機的状況。
もう一つが水質汚染。

伊藤園が取り組んでいるのは、水質汚染を葦を植え、管理するコトで浄化するというコトのようだ。
「自然の力を利用して水質浄化を進める」と言う発想は、食品を扱う企業ならではだろう。
他にも「茶殻リサイクル」に取り組むなど、食品を扱う企業らしい取り組みもしている。
そう考えると、伊藤園と琵琶湖を結び付けているのは「美味しさをはぐくむ」というコトなのかも知れない。

「琵琶湖」という、日本一大きな湖というだけでは無く、その水系で暮らす人達の多さを考えると、水が美味しさの決めての一つとなる緑茶飲料を作っている企業として、大きな意味のある活動のように感じる。

この伊藤園のように、地域限定の社会貢献と言うのもこれからの企業活動においては大切になっていくだろう。
特に事業規模が大きく無い企業にとって、自分たちの企業の地域での社会貢献は、とても重要になるだろう。
なぜなら、企業そのものが地域から愛されるような存在にならなくては、企業そのものが社会活動をするコトが難しくなってきているからだ。
決して大きな活動である必要は無いと思う。
むしろ、地域の人達と一緒になって行う社会貢献が、その企業を大きく育てると思う。

それにしても、何故琵琶湖なのかやはり気になる・・・。



女性が鍵を握る?総選挙

2012-11-22 18:51:55 | 徒然
野田総理が解散を発表してから、経済の話題よりも政治の話題が中心になってしまった。
安倍さんの発言で、一時期円安に動いた様だが日銀が安倍さんの発言に対して否定的な考えをシメしたコトで、市場が落ち着いてしまった様だ。

一方、大阪の橋下さんと東京の石原さんが一緒になったコトで、真ん中の名古屋の河村さんがはじき飛ばされ、愛知県知事の大村さんが手を差し伸べる・・・元々河村さんと大村さんは所属政党が違っていても、地方自治に関わる様になってからは「共同隊」のようなトコロがあったので、元の関係に戻ったと言う感じだろうか?
ただ、橋下さんの「維新の会」に対しての期待度は急速にしぼんでしまった様だ。
パートナーとなる相手を選んで欲しかった!と言うのが、支持をし応援してきた人達の思いかも知れない。

何でも今回の総選挙で活動する政党は、14もあるそうだ。
一体いつの間にそんなに沢山の政党ができていたのか?と、驚く部分もある。
既存政党に飽き足らず、新しい政策を打ち出す政党があってもおかしくは無いと思うのだが・・・。

そんな中、新しい政党がもう一つできたようだ。
大阪で立ち上がった政党の名前は、「全日本おばちゃん党」(紹介記事は毎日新聞)。
活動場所は、Facebookなどのネット上の政党らしい。
Facebook:「全日本おばちゃん党」

先進諸国の中で、女性の社会進出が一番遅れていると言われている日本。
大手企業の役員はもちろん、国会議員なども女性議員は少ない。
少ない上に、「政治家」としてよりもある種の「政治タレント」的な役割を期待されているトコロがある。
それは政治の世界だけでは無く、社会全体がその様な役割を求めているような気がする。
そのため、EUなどで言われる「国会議員の40%は女性議員であるコト」という理想は求められにくいのかも知れない。

だからと言って、女性が政治に興味が無いわけではない。
民主党のマニフェストであった「減税」が、反故にされ逆に増税路線に舵を切った時、一番反発をしたのは家計を預かる女性だったと思う。
東京電力の「フクシマ事故」についても、ヒステリックな対応はともかく、男性よりも女性のほうが関心度も高く、脱原発への動きも実は女性が中心となっていると感じている。

その様に考えると、「全日本おばちゃん党」ができるのも自然の成り行きかも知れない。
それも東京では無く、関西で立ち上がったと言うのも興味深いと思うし、もしかしたら大阪の橋下さんは、彼女たちのような支持者を失ったかも知れない。
想像だが、東京ではこの様な「政党」ができるコトは無いのでは?
政党の立ち上げ理由が「おっさん政治はもう飽きた!」と言うのが面白いし、「成り行き」というノリも、関西というか大阪のおばちゃんパワーかもしれない。

明日、大阪市浪速区民センター決起会合?がある様だ。
参加者に「アメちゃん(大阪の方は、何故か「飴」のコトを「アメちゃん」と呼ぶようだ)」をプレゼント、と言うのも大阪らしい。
Ustreamでも配信されるようなので、興味のある方は是非。

追記:明日からしばらくの間、季節外れの帰省のためブログをお休みさせて頂きます。
   29日頃再開予定。

「共感性」と言うキーワード

2012-11-21 20:45:42 | マーケティング
以前大流行した「脳トレ」。
実際に、ゲームとして楽しんでいらっしゃった方も多いかも知れない。
その「脳トレ」を監修された川島教授と電通が「共感性」をキーワードとした、商品開発をする、と日経新聞のWEBサイトにあった。
詳細はWEB会員では無いので読んではいないのだが、「人って、そんなに単純なのかな~」というのが、率直な感想だ。

随分前から、マーケティングの世界では「共感性」の重要性というコトが、言われてきた。
よく言われるのは「水面に一滴の水を落として拡がる波紋」のような、広がりが大事、と言うコト。
いわゆる「ブーム」と呼ばれる流行の中には、この「一滴の水が起こす波紋」のような広がりを見せるモノがある。
メディアがつくり出した「話題」では無く、ゆっくりと時間をかけながら人気となっていく商品やサービスなどだ。

ゆっくりと時間をかけながら拡がっていく過程で得られるモノの一つこそ、「ブランド力」だろう。
多くの人が「共感し、信頼とその価値を認める」というコトでしか得られるコトがないのが「ブランド」であり、得られた時に「力」となるのだから。

それを「脳科学」という視点で研究をする、と言うのは、とても面白いテーマだと思う。
思うのだが、「脳科学で得られたコトを商品化に結び付ける」と言う発想に、躊躇してしまうのだ。
「人って、そんなに単純なの?」、「様々な考えだけでは無く、気持ちが一人ひとり違うから、面白いんじゃない?」そんな、気持ちがあるからだ。
余りにも杓子定規に考え、「科学的根拠」ばかりを重視すると、人の気持ちが置いてきぼりになってしまうような気がするのだ。
「脳科学」の視点で見れば、「心は脳にある」というコトらしいのだが・・・。

もう一つは「人の揺れ動く感情」と言うコト。
何か大きな買い物をする!時、朝出かけた時と違うモノを買っている、と言うコトは無いだろうか?
逆に考えると、その様な提案ができる売り場が、これから先とても大切だ、というコトだと思う。
「頭で考える」だけでは無く、その場の雰囲気や第六感的な感覚、と言うのもとても大切な感覚だと思うし、むしろその様な「皮膚感覚的」なモノに左右されている部分が大きいのでは?

今の様になかなかモノが売れない時代だからこそ、「脳科学を活用した商品開発」という発想が生まれるのかも知れない。
でも、それでは面白みのある商品、遊び心のある発想というのが生まれにくいような気がする。
その様な問題も「脳科学が解決する」というコトなのかも知れないのだが・・・。
人の心や感情って、そんなに単純なのだろうか?

企業文化は大事だと思う

2012-11-20 12:39:48 | アラカルト
大阪の橋下さんの「維新の会」と、東京の石原さんの「太陽の党」が一緒になった。
このニュースを聞いたとき、「随分考え方の違う党同士がくっついたな~」という印象を持った。
大阪の橋下さんは「地方分権を促進させ、地方から元気にならないと日本はダメになる」と言う考え方だったと思っていた。
一方の石原さんは、東京都を一地方都市と見れば「地方分権推進」の様に見えるが、現在の日本の首都が東京であるコトを、フルに活用して「東京の発展」ばかりを考えている、と言う印象が在る。
「地方」と言いながら、「中央の顔」のような人だ。
そのお二人が、一つの党を作り国政に打って出る!と言うのは、何となく無謀な気がした。

昨日のYahooのトピックスだったか、新聞社のWEBサイトだったか忘れてしまったが、この「合体した党」の公約らしきものの中心は、「維新の会」では無く「太陽の党」のモノになるらしい。
コレまで「維新の会」を応援してきた人からすれば、がっかりだったのでは?
「維新の会」が人気だったのは、確かに橋下さんご自身のキャラクターというか「歯に衣着せぬ発言」が魅力だったからだと思う。
特に「地方が豊かにならなければ、日本は豊かにならない」という発想は、地方に住む人達にとって大きく頷くトコロがあったと思うのだ。
だから「国政に出る」と聞いたとき、大きな期待をしたのだと思う。
ところが、石原さんと合流し出てきた内容が随分違ったモノとなりつつある。
ある種の失望感を持っている支援者もいるのでは?と、想像している。

ビジネスの世界でも、この様なコトは起きるコトがある。
周囲からすれば「水と油」程では無いが、随分考え方の違う企業同士が業務提携をしたり、場合によっては合併をする場合などだ。
多くの場合、異質な企業文化を持った企業同士が一緒になることで起きる「化学反応」のような、シナジー効果を期待しているのだが、残念なことに成功した事例を思い浮かべるコトができない。
「異質な企業文化」を持っているからこそ、摩擦が両者の間で起こり、険悪な状態へとなりやすいのだ。
合併当初は、50vs50の関係のつもりであっても、いざ一緒になるとそれまでの些細な手法の違いなどで衝突をしてしまうコトが度々起こり、それがシナジー効果を生むどころか空中分解のような状況に陥るコトも発生する。
「些細な違い」の積み重ねが、軋轢となるコトも当たり前のようにあるのだ。

「維新の会」と「太陽の党」は、どうなるのか?
ビジネスと言う視点でも、興味深いと思っている。


選挙に向けて動き始めたからこそ考えたいコト

2012-11-18 06:16:48 | 徒然
週末の朝、よく聞くFM番組がある。
「感じて、漢字の世界」と言う番組。
お話をされているのは、山根基世さん。
抑制の効いた、穏やかな話しぶりは「さすが!」と言うしか無い。
昨今の、局アナ出身のタレントまがいさんと違い、「ことば」に対してキチンと向かい合っている感があり、聞いている私も安心感があり、清々しい週末のスタートになる。

今回番組で取り上げられていた漢字は「男」。
漢字を習い始めた頃「田んぼで力仕事をするから・男」と習ったような記憶が、よみがえってきた。
番組を聞いてみると、その覚え方で間違いはなさそうなのだが、本来はもっと深い意味があったようだ。
番組のfacebookに、その内容がUpされている。

「男とは、単なる力仕事ができると言うだけでは無く、稲作に対しての知識があり、率先して働き、一緒に働く人達を統率し、時には収穫した米を他の集団から取られない様に守るコトができる人物。他者の為に働くことができる人物」。
当然、その頃は性別で「男」という言葉では無かった・・・。


この話を聞いたとき、私が思い浮かんだ言葉が「政治家」というコトだった。
特に「他者の為に働くコトができる人物」というのは、政治家そのものに求められる資質では無いだろうか?
行政に関わる「公務員」と呼ばれる人たちも、「他者のために働く」コトが求められてはいるが、やはり中心となるべき人と言えば、政治家だろう。

そう考えると、今の政治家に「男」と呼べる人物はどれほどいるのだろうか?
「労を惜しまず、国益が脅かされない様に守り、他者のために働くコトができる」人たち・・・もちろん、そこには性別など関係はない。。

今回の選挙は、「既成政党VS第三極」と言うよりも、私達選挙民の「政治家を見る審美眼」のようなモノが求められる選挙かも知れない。


形勢逆転となるか?docomoクロッシィ

2012-11-17 19:02:21 | ビジネス
今日の新聞広告で一際目立っていたのが、NTTdocomoのクロッシィの広告だった。
先日発表された携帯電話会社の契約動向などを見ていると、NTTdocomo一人負け状態。
「狩り場状態」となっている。

スマートフォンのOSの状況を見ると、確かにAndroidのほうが多い。
だが、冷静に考え無くてもiPhoneのOSは、iPhoneにしか搭載されていないと言うコトはわかりきっている。
一方Androidは、iPhone以外のスマートフォンに搭載されている。
搭載されている機種の数が全く違うのだから、データとして同じだと考えるには難がある。
逆に言えば、一機種のみ(もちろん、iPhoneシリーズという意味だが)で、多機種のAndroidより多い、と言うコトに注目すべきだと思っている。

そのAndroidのみを発売しているdocomoが、力を入れているのが上述した「クロッシィ」という、通信システム。
システムの内容となると理解しているとは言いがたいのだが、どうやら「超高速通信」を謳っているトコロをみると、docomoとしては「通信速度の速さ」で攻勢をかけたい、と言うコトのように感じる。
決してAndroidとかiPhoneと言った、プラットフォームで利用者を獲得(言い換えれば「奪回」か?)したいのではなく、「通信速度」というトコロで勝負に出たいと言うコトのようだ。

とすれば、docomoはauやSoftBankとは違う土俵で、勝負に出ると言うコトのように思える。
もちろん、auやSoftBankも「高速通信化」には力を入れているはずだが、プラットフォームという、利用者のスマートフォンやタブレット型PCの操作性ではない、と言う点でチョット考えるトコロがある。
言い換えるなら、docomoはAndroidと言うプラットフォームに魅力が無い、と判断し始めたとも考えられるからだ。

「通信速度が速くなる」というコトは、利用者にとってアクセス時間の短縮というコトになる。
それはそれで、とても魅力的なコトだと思う。
しかし利用する側である生活者は、一体何でスマートフォンやタブレット型PCを選択しているのだろう?と言う視点が、抜け落ちているような気がするのだ。
例えば、Androidに関して言えば、過去何度も情報の流失が問題になった。
利用する側として、情報が漏れやすいと言うのは、×な選択肢だと思う。
いくら「高速通信」ができても、情報が「高速」で漏れてしまっては意味が無い。
そんな判断をする生活者がいても、おかしはないだろう。
スマートフォンの場合、電源を入れる=電波を発信・受信しているという状態なのだから。

「高速通信」は魅力的ではあるが、それだけで利用者が大きく伸びるとは思えない。
docomoの考えは判らないでも無いのだが、どことなくちぐはぐな印象が在る。


ボジョレーも「家飲み」?

2012-11-16 20:32:05 | ライフスタイル
昨日は、「解散・総選挙」の話題ですっかり忘れていたが、ボジョレーヌーボーの解禁日でもあった。
ワインにも興味が無く、もちろん味もよく分からないので「ボジョレー解禁だからなに?」という感覚だったのだが、以前と違う傾向が出てきている様だ。

日本で「ボジョレーヌーボー」が一般的になったのは、おそらくバブルの頃だと思う。
「ワインの新酒解禁だからって、そんなに大騒ぎをしなくても・・・」と、思うくらいの大騒ぎぶりだった。
一番多かったのは、解禁時間にあわせて、ボジョレーを抜き軽食を食べる、と言うホテルの企画だったと思う。
解禁時間が深夜のため、当然このプランの基本は宿泊付き。
ホテル側としては、飲食+宿泊という願ってもないプラン。
参加者側としては、帰宅時間も飲酒後の心配も無く心置きなくボジョレーが楽しめる、と言うプランだった。
飲食代を含めて、15,000円程度は普通のプランだったと記憶している。
バブルが終焉を迎えても、この様なプランを企画するホテルは多かったし、むしろ宴会などの利用が減っていたホテル側としては、食事などにコストが余りかからず、集客ができるというメリットが高い企画だったような気がする。

今でもこの様な「ボジョレー宿泊プラン」は、様々なホテル(多くの場合は、宿泊代がチョット高いホテルが中心)で企画されているようだが、今年目に付いたのは「家飲み」を提案しているスーパーや量販店だった。
ワインそのものを楽しむ人が増え、「ソムリエが選ぶ」と言うよりも、自分の好きな銘柄をゆっくり自宅で楽しみたい、と言う傾向が生まれつつ有る様な気がしたのだ。
バブルの頃にあった、ホテルのボジョレーの宿泊プランでも「軽食」だったのだから、ボジョレーに合わせる料理と言っても、凝ったフランス料理である必要はない。

そう考えると、「ボジョレーヌーボー」というワインの新酒の飲み方が、日本に定着してきたとも思える。
残念に思うのは、せっかく日本には「日本酒」というお酒が在るのだから、こちらも美味しく楽しむ人が増えても良いと思うのだが・・・。
美味しいお酒には、美味しい料理という「美味しい関係」が、自宅では難しいのだろうか?



逃げ出す人達をよく見ておこう!

2012-11-15 14:52:10 | 徒然
党首討論の場で突然出た感のある「解散・総選挙」。
自民党からすれば、願ったり叶ったりなのだろうけど・・・本当にそうなのだろうか?
今回の選挙は、「既成政党VS第3極」とも言われているらしい。
「第3極」というのは、大阪の橋下さんや先日「太陽の党」を立ち上げた石原さん、名古屋の河村さんたちのコトを指す様だ。
石原さんはともかく、大阪の橋下さんや名古屋の河村さんたちが考えているのは、「地方から政治を変えたい」というコトだろう。
東京中心の政治では、様々な事情を抱える地方のコトまで行き届かない。
だからと言って、地方が主体的に何かをしよう!とすると、「中央の壁」がある。
二重行政、三重行政を解消しようにも、中央にお伺いを立てないと動けない、ならば、自分たちが中央の政治を変えよう!と言うコトなのだと、理解している。

そんな元気のよい「第3極」に対して、既成政党の代表格である与党・民主党から離党する議員さんたちが出始めているらしい。
もしかしたら、自民党からも出てくるかも知れない。
国会議員さんに限らず、議員という職の人達は自分たちのコトになると、とたんに鼻が利くようだ。
「勝ち馬に乗る」のが上手い、と言ってしまえばそれまでだけど。

だからこそ、選挙民としてしっかり見ておきたいと思うのだ。
何故離党するのか?大義名分にあっただけの行動や考えを、常日頃してきたのか?
「国政政治に関わっていなくては、国会議員として職責を果たせない」などという言葉の裏に在る?本音というものをしっかり聞いておこう!

師走の忙しい時、本当に「先生」と呼ばれる人たちが街中を駆け巡る今回の「総選挙」。
忙しくても、「勝ち馬に乗るために逃げ出した人」たちだけは、チェックをしておきたい。



ユニバーサルなコトって何だろう?

2012-11-14 11:49:01 | ライフスタイル
以前、よく聞いた気がする「ユニバーサルデザイン」という言葉。
最近、余り聞かなくなったような気がする。
私達の生活に根付いてきた、と言うことだろうか?
確かに、新しく建てられたビルやマンション、時には個人住宅などの玄関先にはスロープが付けられているのが、当たり前になってきた。
車いすを利用する人に対しての配慮、と言うコトだろう。

街中を歩いて見ても、福祉車両マークを付けたクルマを多く見かける様になってきた。
デイケアサービスの施設のクルマなどがほとんどだが、一般ユーザーと思われるクルマでも、ずいぶん増えてきたと言う印象がある。
実際、新聞社のサイトなどには「福祉車両」の広告が、何が無くあったりする。

その「福祉車両」の広告を見る度に、不思議に思うコトが在る。
私自身が、経験をしていないので不思議に思えるだけなのかも知れないのだが、車いすで生活をしている人が、広告で見られるような福祉車両の椅子に移動するのは、大変な力仕事なのでは?と思うからだ。
助手席が降り回転するコトで、障害を持った方が乗りやすくなる、と言うのは判る。
判るのだが、その降りて回転した助手席へ車いすから移動させる、と言うのは相当な力仕事なのでは?
介護をする人にとって相当な力仕事だと考えると、介護をされる側の人にとっては、転倒したりしないか?と、短い時間であっても不安な時間となっているのでは?
助手席に乗せた後それまで使っていた車いすをたたみ、クルマに積み込む、と言う作業も重労働なのでは?と、想像するのだ。
介護する側にとっても、介護される側にとっても「不安が在る・重労働感がある」と言うコトであれば、せっかくクルマで出かけると言う気持ちにもブレーキが掛かってしまうのでは?

クルマの魅力の一つは、時間や周囲を気にせずに出かけられる、と言う点が在ると思う。
とすれば、助手席が電動で降りてきて椅子が回転するよりも、車いすで直接乗り込むコトができた方が、良いのではないだろうか?
むしろ、日ごと使っている車いすの座り心地をソファー並の快適さにし、自宅のソファーでお出かけ!と言う位の発想で、福祉車両を考えた方が本当の意味での「ユニバーサル」というコトになるのではないだろうか?

車いすを作っている企業そのものは、決して大きいとは思えない。
なぜなら、車いすそのものを利用する人のサイズや障害にあわせてつくる必要があるからだ。
だからこそ、自宅でリラックスできるような車いすである必要があると思うし、その椅子ごと移動させる、と言うコトのほうが介護する側・される側にとって「安心」なのでは?
クルマのコトだから自動車メーカーの発想、と言うのではなく、使う人の心地よさを考えたコラボレーションが、発想の段階であっても良いと思う。

これから先、日本はますます高齢化社会になっていく。
クルマは便利で安全性も進化している。
本当の「ユニバーサルなクルマ」というコトを考えるのであれば、自動車メーカーの発想では無い発想力が重要な気がする。