日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

便利さに潜むリスク

2014-06-30 21:51:34 | アラカルト

毎日新聞のWEBサイトに、驚く様な記事があった。
毎日新聞:POS:ウイルスまん延 レジと一体、カード情報危険に
おそらく、クレジットカードを使って買い物をされている方は多いと思う。
実際、週末の夕方買い物に出掛けレジに並んでいると、クレジットカード払いのお客さんを多く見かける。
支払そのものが翌月(または翌々月)であること。ポイントが貯まることなどの理由で、クレジットカード払いをするお客さんは年々増加傾向にあるのではないだろうか。

そんな便利なクレジットカードだが、先日政府案として「ビッグデータの活用のために、本人から了解を得ずに個人情報を加工し、利用できる様にする」というニュースがあった。
おそらくこの時に使われるデータの多くは、クレジットカードなどによる個人情報なのでは?と言う気がした。
もちろん、キャッシュカードなども含まれているとは思うのだが、今のクレジットカードには「様々な生活情報」が含まれている。
買い物履歴からは、その利用者の生活志向や生活リズム、家族構成などが分析をすれば判るはずだ。
その様なデータを、本人の了解も得ずに「利用する」というのは、相当乱暴な気がした。
しかしその前に、POSデータが流出しているとすれば相当問題だと思う。
問題と言うだけではなく、怖さを感じる。

ところで、若い人達を中心に人気(と言うか、生活の当たり前)になっている「LINE」。
この「LINE」のアプリをダウンロードする時の「同意事項」を、しっかり読まれた方はどれほどいらっしゃるのだろう。
私自身は、ガラケーを使っているので「LINE」を利用することはないのだが、知人から聞くと「同意事項」には、「LINE」を提供している企業が、その「利用データを使ってビジネスに活用する」と言う一文があるという。
確かに、楽天やYahoo、Amazonなどのショッピングサイトなどでも、商品の購入時には同様の「同意事項」の確認がある。
ショッピングサイトの場合、購入履歴などからある程度「おすすめ商品」の案内があっても仕方無い・・・、と思っている人は、案外多いのでは無いだろうか?

それに対し「LINE」の場合、その様な「同意事項」があると言うことを理解せず、自分の情報だけではなく通信をした相手の情報まで勝手に利用されている可能性が高い。
考えて見れば「LINE」そのものは、無料アプリなので提供する側としては収益を上げるため何らかの方法が必要だ。
それが「LINE」接続の情報の企業提供、と言うことになるのだと思う。
問題なのは、その様なことを理解せずに利用している人、特に若年層に多いと言うことだ。

「便利なモノには、リスクがある」そのコトを十分理解する必要がある、ということなのかも知れない。


株主総会で、株主の意見は何故通らないのだろうか?

2014-06-29 19:59:56 | 徒然

毎年6月の第4週は、「株主総会集中週間」になる。
以前ほどではないが、だいたい同業種企業は同じ日に株主総会を開く傾向がある様だ。
今回は、東京電力・中部電力・関西電力など、電力会社がほぼ同じ日の開催だった。

その中で特に注目を浴びたのが、関西電力の株主総会だったのではないだろうか。
理由はご存じの通り、関西電力の筆頭株主である大阪市長である橋下さんの発言だ。
ネットなどで確認すると、橋下さんの言っていることには一理ある。
2年前の株主総会で指摘したとおりのことが、現実となってしまったからだ。
現実を見れば、2年前の橋下さんの指摘は正しかった、と言うことになる。
不思議なのは、筆頭株主から指摘されたことを2年も放置していた、と言うことだ。
それだけではなく、日本の株主総会では「株主の意見は否決」ということが、総会前から決まっている。

確かに、日本の株主総会は「シャンシャン総会」が、総会として一番良いと思われている(既に過去になってしまったかも知れないが)。
総会の時間が短ければ短いほど、「良い(何を持って「良い」というのかわからないが)総会」と言われていた。
10年ほど前、海外の投資家が日本の企業の株を積極的に買い、株主総会が荒れたことがあった。
この時の海外投資家の意見というのは、「自己利益」しか考えた内容でしかなく、批判されても仕方の無いものだった。
その当時は「もの言う株主」という言葉が、流行した。

その「もの言う株主」という考えは、日本国内の株主にも影響を与えたのか?以降、積極的に意見を述べる株主が登場し始める。
これまで配当だけにしか興味の無かった株主たちが、経営に対しても興味を持ち始め積極的に発言をし始めたのだった。
この傾向は、良い傾向だと思う。
株主は、企業の経営には直接参加はできないが、株主総会という場でその考えや意見を述べる権利(と言うと大袈裟な気がするが)があるのだから。
当然、会社側もその意見に対して真摯に受け止め、意見を交わす必要があると思うのだが、会社側が考えたシナリオ通りにすすめることしか、考えの無い会社としては簡単に「否決」という方法をとってしまう。

これまでのように「シャンシャン総会」が、良い総会という考えの時代であればそれで良かったかも知れないが、今の様な社会環境の中では、シナリオ通りに進まない総会の運営能力、と言うことも経営者の能力として見られているのでは無いだろうか?
そう考えると、今回の電力各社のような「すべて否決」と言うのは、この様なニュースを聞いた生活者から観ると「柔軟性に掛け、時代感を持っていない経営者」と見られてもしかたない様な気がする。
そのコトに、気づかない経営陣というのは、やはり将来のビジョンが描けない経営者なのかも知れない。


やはり「祖父の思い」が、亡霊のように生きている?

2014-06-27 16:45:40 | 徒然

養老孟司さんの新刊「自分の壁」を、読了。
養老孟司さんの「バカの壁」、「死の壁」に続く「壁三部作」というコトになるのだろうか?
本そのものは、今月出たばかりなので感想は控えたいのだが、その中で気になる一文があった。

それは、安保闘争のコトを書いていらっしゃる部分。
安保闘争は1960年に起き、当時東大の学生だった樺美智子さんが亡くなられている。
今の「脱原発」や「憲法九条を守れ!」といったデモよりも、過激なデモであったことは確かだろう。
樺美智子さんが亡くなられたコトや、日に日に激化するデモに対して当時の総理大臣は「それでも、後楽園は人でいっぱいだ」と、国会で答弁をしている。
と言う、一文だ。
この一文は、本の内容とは関係が無いのだが、当時の総理大臣の発言がとても気になったのだ。

お若い方にはわかり難い話だと思うので、一応説明すると・・・。
当時子ども達に大人気だったのは「巨人、大鵬、玉子焼き」と言われ、その巨人軍の本拠地である「後楽園球場(現在の東京ドーム)には、巨人戦を観戦する人で一杯になっている。デモに参加しているのは、極々一部の人達で、世論に影響を与える程ではない」と言う様なニュアンスで、話したと言われている。
その発言をした当時の総理大臣というのが、岸信介。
今の総理大臣である安倍さんの祖父である。

日米安保の道筋をつけたのが、安倍さんの祖父である岸信介というコトなのだ。
そして、国民の不安をよそに安倍さんは集団的自衛権の行使に突き進んでいる。
与党としてのパートナーである公明党のキャッチフレーズは「平和の党」だったと思うのだが、その「平和の党」である公明党に対しても「解釈変更で大丈夫」と説明をし、公明党も了承した様なカタチになっている。

安倍さんは集団的自衛権について、「祖父からの思い」と言う趣旨のことを話していたが、それが「日米安保」では達成できなかった(?)集団的自衛権の獲得なのだというコトを改めて理解をした。
と同時に、安倍さんの背後に祖父である岸信介の亡霊がくっついている様にも思えてきた。
一部の人達が感じる「嫌な感じ」というのは、この様な「思い」だけで語られるコトへの違和感なのではないだろうか?
そして今回自民党がごり押しをした「憲法解釈」というコトに、不安を感じているのだと思う。

と言うのも「解釈」ほど、人によって受け止め方が違うモノはないからだ。
小学校の作文の授業で「句読点と助詞の使い方で、文章の意味は全く違ったものになるので注意」と、言われたことがある。
それほど、文章というのはあやふやなトコロがあり、それを読む人の受け止め方も様々だ、と言うコトだ。
それだけではなく、時代とともにニュアンスなどの受け止め方が変わっていく、と言うこともある。
実際安倍さんは最近になって、当初言っていたことよりも大幅に変更し始めている様に思える。
それも「解釈の違い」と言ってしまえば、それまでのこと。
一人の学生が死亡したコトよりも、自分の考えを通そうと後楽園球場に集まった人達とを比較する祖父・岸信介の感性を安倍さんは、引き継いでいる様に感じるのだ。


改めて思う「ネーミングは大事」

2014-06-26 21:02:45 | 徒然

今日、石原新党の党名が決まった。
讀賣新聞:石原新党、名称は「次世代の党」

記事に掲載されている、結党の写真を拝見しても「次世代ね・・・」と思ってしまう程の年齢の方もいらっしゃる様にお見受けするのだが、党名の由来(?)を読むと「なるほど」と思うトコロもある。
言わんとしているコトはわかるのだが、違和感を感じるのはやはり党員の方達が「次世代に繋げるだけの年齢的な力があるのだろうか?」と、感じるからかも知れない。
むしろ「次世代に繋げたい党」ではないだろうか?と思ってしまった。

この石原新党こと「次世代の党」が掲げる「若い人達が、人生の期待を持てるようにするのが、私達の責任」というのであれば、「若い人達に(政治の)道を譲る」と言う方法もあると思うのだが、まだまだ現役で頑張りたい!と言う思いのほうが強いのだろう。
そう考えると「次の世代も自分達が作りたい党」という感じに思える。

少なくとも、「次世代」という言葉に、政党がくっつくというのはとても違和感というか、変な気がする。
そもそも、この「次世代の党」の方達が考える政策が、今の若い人達が必要としている政策なのだろうか?と言う疑問がある。
この政党の党員となられた方達が、本当に今の若い人達に共感される様な「政治ビジョン」ができるのであれば、おそらく他の政党でもできるのでは?と、思ってしまうのだ。
もし、この「次世代の党」に、若い人達が共感する政策が出てくるとすれば、他の政党の怠慢でしか無いと思う。

結党の意気込みは感じるものの、「次世代の党」が本当に目指す政治とは、どのようなモノだろう?
「ネーミングは、そのモノ・コトを端的に表す」と言われているが、少なくとも私には「世代にも文句は言わせない、年配者の党」のように、見えてくるのだった。


「成果を問う前に」重要なコト

2014-06-25 21:02:09 | ビジネス

仕事の打ち合わせをしている時、「前回と話が違う様な・・・」と言う時がある。
前回、話を伺い確認をしているはずなのに「どこかズレ感がある」と、感じるのだ。
この様なケースは、珍しいとは思わない。
会社員時代でも、会議で内容を確認し、方向性が決まった!と思っていても、数日後上司から変更の話をされることもしばしばあった。

「変更」そのものは、戸惑いがあるものの余り気にはしない。
むしろ気になるのは、「ゴールが見えない」という場合だ。
「ゴール」というとわかり難いかも知れないが、事業のビジョンや方向性などの相互理解が出来ていないと、半分ほど進んでいた仕事が、やり直しになることも多い。

その度に思うコトは「非効率的だな~」と言うコト。
「非効率的=成果が上がらない」と言い換えられるかも知れない。
安倍さんが「成果による給与形態」を推し勧めているが、「成果」そのものの「物差し」というのは、何だろう?
上述した通り、成果を上げるために必要なコトというのは、「事業の目的」であったり、「社会的意義」、「採算性」、何よりも「自社の経営理念との整合性」がある。
それらについての共通理解が、トップから現場までされていなくては、「成果」そものの「物差し」が判らなくなってしまう。

特に現場で動くスタッフにとって、「成果を上げろ」とだけ言われて「成果を上げる」と言うのは、至難の業だ。
「成果中心の給与形態」というのは、実は経営トップから管理者までが、「どのような共通のゴールを描けているのか?」という点が重要なのではないだろうか?
そして「描けているゴール」についての説明をする力が、問われるのでは?

バブル経済が崩壊してから、日本の企業の多くが「成果主義」を謳うようになった。
しかし、それが定着したようには思えない。
むしろ、昔から言われている様な「日本型経営」のほうが良い、と言うコトも再三指摘されている。
「日本型経営」の基本というのは「家族型経営」とも呼ばれ、企業トップから現場までの距離感が近く、相互理解が得られやすい経営のカタチだったように思う。
ここ2,3年の間で復活傾向にあると言われる「慰安旅行」や「企業運動会」などは、その様な考えを反映してのコトだろう。

現場や中間管理職に「成果を上げろ」という前に、経営のトップ陣たちがまず全従業員とコンセンサスを図る、くらいの行動力がなければ、バブル経済崩壊後の「成果主義」と同じになってしまうのではないだろうか。


ビッグデータ化が進むと、業種の壁が無くなる?

2014-06-24 13:29:16 | マーケティング

先日「ビッグデータ活用の為に、本人の承諾無しで個人情報を活用できる様にする」という政府案についてエントリをした。
そもそも「ビッグデータに個人情報が必要なのだろうか?」というトコロから、疑ってみるとあくまでも個人的な意見だが「個人情報の活用は余り意味が無い」という気がしている。
むしろ、様々な業種がPOSシステムデータなどによって集められたデータを持ち寄り、活用していくコトのほうが利便性も高く、個人情報の漏洩、流失のリスクが減るのではないか?と、考えるのだ。

「POSシステムデータが無い」企業というのは、製造業が中心だと思うのだが、それでも販売店などを通して、自社の「売れ筋商品」やアンケートなどによる「ユーザーの声」などを吸い上げるコトは十分にできる。
しかし、それだけでは限られたデータということだけではなく、違う視点や発想が生まれにくい。
そこで必要になってくるのは、全く違う業種のデータだ。

例えば、女性向け通販を扱っている企業のデータを基に、自動車メーカーが「女性に使いやすいクルマ」の開発をする、とか、車いすなどの福祉製品を作っている企業と住宅メーカーが一緒になって「高齢者や障害者が暮らしやすい住環境」を研究する、といったコトだ。

その様な動きは以前からあったが、その様な企業が持っているデータを持ち寄り、新しい市場を共同で創っていく、と言う企業協力がこれから当たり前になってくるのではないだろうか。
既に企業が持っている、加工された(=分析が済んでいる)データを持ち寄るコトのほうが、遙かにスピードが速いだろうし、時には、異業種が一緒になって「街中リサーチ」を行い、それぞれに違った視点を話合うコトで、社内だけでは気づかなかった「コト・モノ」が見つかるはずだ。

そしてこの様なデータの活用は、むしろ地方の中小企業のほうがやりやすいかも知れない。
何故なら、企業そのものが小さいために「現状を打開したい」と考えている事業者が多いからだ。
むしろその様な「異業種間での、データの共有化」などに、力を入れる方が上述した通りメリットが高いと思うのだ。

「個人情報の活用」と言われると、抵抗感を持つ生活者は多いはずだ。
そんな生活者の気持ちや感覚を、理解せずに「活用」ばかりを言う企業は、生活者から「NO」を突きつけられる可能性もあるのでは?
そこまで考える企業からすれば、政府案の「個人情報の活用」などは、いくら「本人が特定できない様に加工してある」からと言っても、使いコトに抵抗感があると思う。
本当に「ビッグデータを活用する」というのであれば、業種の壁を越えて自社データ・他社データを活用するほうが、現実的のように思うのだ。


「言うは易し、行うは難し」

2014-06-23 18:55:50 | 徒然

「『セクハラ野次』を言った、都議が謝罪」と言うニュースが新聞各社のWEBサイトで、取り上げられている。
週末、自民党幹部などの相次ぐ「党としても、考えなくてはならない・・・」などの、発言に後押しされての謝罪、と言う印象しか受けないのだが、何となく「これで一見落着」という幕引きをした、と言う感じにも見える。
しかし、謝罪をした都議さんは「結婚についての発言はしたが、『子どもが産めないのか』の発言はしていない」と言っている。
と言うコトは、まだ「セクハラ野次」を飛ばした都議はいて、謝罪があったコトで知らん顔をしたいのではないだろうか?

ところで、この報道が始まった頃から「民間企業では、処分の対象となる暴言」というコトが、言われた。
確かに、言われた女性が公の場で公表をし、相手を名指しするコトが出来れば、厳しい処分対象となると思う。
思うのだが、問題なのは「公の場で公表し、相手を特定する」というコトだ。
現実としては、この様な問題が起きても「人事などが介入して、穏便に済ませる」というコトのほうが、多いのでは?と思っている。

「男女雇用機会均等法」が施行されてから、25年以上が経ったが、日本の企業では男女の賃金格差が狭まることも、役員の起用も進んではいない。
統計的に見る女性の賃金の低さは、パートタイマーなどの「非正規雇用が多い為」と言われているが、それだけではないと思っている。
言うなれば「言うは易し、行うは難し」なのだと思う。

その理由をつらつら書き述べても、余り意味が無い様な気がする。
と言うのも、今回「セクハラ野次」を飛ばした都議の年齢が、「男女雇用機会均等法」施行前後に社会に出た人だからだ。
頭で理解していても、『女、子どもが都議会の場にしゃしゃり出てくるな』と言う気持ちがどこかにあって、「生意気な!チョットおちょくってやれ」という、発言の重大さよりも本音が出たように感じるからだ。
そしてその様な場面は、至る所で見受けられるし、経験をする。

安倍さんと言うか、現内閣は「女性の活用」というコトを盛んに言っている。
でも「女性の活用」という言葉だけで、具体的なコトはほとんど述べられていない。
例え述べられても、法的規制がなければ「絵に描いた餅」となる可能性は高い。
何より、今の「男女雇用機会均等法」の考えは、「女性に歩み寄った考え」ではなく「女性も男性並に働く」コトを基本としている。
その上で、「子どもを産んで出生率を上げてくれ」と言うのは、無理な話。
法的な部分から「女性のライフステージ」に寄り添った発想にならない限り、「女性の活用」などは無理だと思う。


意外なトコロで「文化の違い」を発見

2014-06-22 20:30:50 | アラカルト

先日輸入食材を扱うお店で、珍しいパッケージのポテトチップスを見かけた。
「LAYS STAX」と言う青いプラスチックに入ったポテトチップスだ。
おそらく、輸入食品などを扱っているお店などでは普通に見かけたコトがある方もいらっしゃると思う。
お店のPOPでは「世界で一番売れているポテトチップス」とあった。

そもそも、ポテトチップスがプラスチック容器に入っていて、その容器に色がロイヤルブルーの様な青というのも、日本の感覚では無いな~と言う感じ。
珍しいパッケージや新製品を見かけると買いたくなってしまう、と言う「マーケター」の職業病だろうか?(笑)、比較的安価だったこともアリ、つい買ってしまった。
ポト手チップスそのものの味は、「プリングルス」と余り変わらないように感じたのだが、そのパッケージを見て、ビックリした。
「職場やお家で、いつでもどこでもエンジョイ・・・」というコピーがあったからだ。

 
このLAYS STAXと言うポテトチップス、原産国はメキシコ。
確かにジャガイモは、南米が原産国だったと思うので、メキシコの人達にとってジャガイモ料理の一つであるポテトチップスが、人気が高いことは不思議ではない。
ただ「いつでもどこでも・・・」というキャッチコピーは万国共通だとしても、「家で(「home」ではなく「house」というのも、気になったが)」よりも前に、「Office」が書いてあるのだ。
日本であれば、最初に書かれる言葉は「家で」だと思うし、その次は「お出かけやアウトドア」だろう。
それが、「Office=職場」が、最初にある。
と言うコトは、メキシコでは職場でポテトチップスを食べるコトが、一般的なのだろうか?と、考えてしまったのだ。

日本でも、グリコが「オフィス・グリコ」と言う、職場向けサービスを展開している。
実際、職場にお菓子を引き出しに置いている方もいらっしゃるだろう。
ただ、そのお菓子の多くは、飴やチョコレートなど、小さなパッケージの「小分け・少量」だと思う。
それが、このLAYS STAXは、ごく普通のサイズ(内容量155.9g)という大きさ。
流石に、このサイズのお菓子を職場の机において「バリバリ・ボリボリ」と食べる訳にはいかないと思う。

些細なコトかも知れないが「文化の違い」なのか?と、考えさせられるポテトチップスのコピーだった。


「数の論理」の危うさ

2014-06-21 20:52:05 | 徒然

今週話題になった一つに、「東京都議会におけるセクハラ野次」があった。
「議会の野次は花」と言うらしいのだが、「野次が議会の花」という発想は、どこからきているのだろう?
言葉の意味としては、決して褒められた態度とは言えない行為なのに「議会の花」と、言われる所以がわからない。
それに加え、「野次」の内容も品位を欠く様なもの。
野次られた女性議員の経歴などで、「野次られて涙する様な人ではない」ということも、ネット上では言われ始めているようだが、彼女の経歴と「野次の内容」は別に考える必要があるのでは。

その様な社会的な問題に対して、名指しをされた自民党都議側は何とも歯切れが悪い。
ただその「歯切れの悪さ」の理由を考えると、「数の論理」でうやむやにできる、と言う考えがあるように思える。
野次った本人からすれば、「チョット、おちょくってやろう」くらいの気持ちだったのかも知れない。
その様な気持ちになれるのも「最大会派」という、安心感の様なモノがあったからではないだろうか?
「どうせ、わからないだろう・・・」という、気持ちだ。

「最大会派」と言えば、国会での自民党を見ていても「数の論理」で、様々なコトを押し切っている様な気がする。
特に「集団的自衛権」に関しては、公約でも言わなかった様なコトの実現のために、邁進中!と言う印象を受ける。
それもこれも「数の論理」によってできるコトなのだが、「数の論理」と民主主義は本当に同じなのだろうか?と、考えてしまう。
と言うのも、「数の論理」で危うさを感じるコトは、「責任の所在があやふやになる」という点だ。
「責任の所在」と言った場合、多くは発言者にあるモノだが、発言者自身が「だって、みんなで決めたでしょ」と言ってしまうと、その発言の責任は「みんな」という「多数者」に変わってしまう。
安倍さんは「決してその様なコトは無い!」と、言われるだろうが、歴史を見ても「戦争」などを始めた人が自ら後始末をする、といケースはほとんど無い。
少なくとも、第二次世界大戦以降世界で起こった戦争や紛争の多くは、仕掛けた本人よりもそれを後押しした国民によって、戦渦が広がると言う傾向が見られる。

話を戻すと、今の状況は「野次った都議」に対して、厳しい状況になってきている。
都議という枠を超え、全国各地、東京とは全く関係の無い人達までもが、「野次った都議」を探しはじめ、つるし上げようとしているからだ。
この様な状況になると、「野次った都議」は「ごめんなさい」と言い出せ難いのでは?と言う気がしてくる。
元々の問題は「セクハラ野次」であり、野次った本人が謝罪をすべき問題であるコトには代わりないのだが、「つるし上げる」様な雰囲気は、決して良いものでは無いと思う。
これもまた違う「数の論理」の危うさという気がする。

個人的には、野次った都議の古色蒼然とした考えに唖然となったのと同時に、この様な発想をする人が都議会議員として務まるコトを考えると、案外、地方のほうが革新的な発想で自治運営をしようとしているのでは?と言う気がしたのだった。


政治がビジネスに与える影響

2014-06-20 19:28:15 | ビジネス

今週、ニュースのチェックを新聞各社のサイトでしていたら、「????」と思う記事が2つあった。
一つは、「携帯電話に税金を掛ける」という内容。
産経新聞:携帯電話課税で議連設立 自民党有志 この秋に提言
この自民党有志の皆さんは、「青少年の安全対策と財政再建」のために、提出することを検討しているようだ。

確かに、今や一人1台以上の保有となりつつある携帯電話(当然スマートフォンも含む)。
提出案によると、毎月100円程度の課税を検討しているらしいのだが、本当の目的は「財政再建」なだけで「青少年の安全対策」ではない様に思えるのだ。
と言うのも、問題になっている(?)「青少年の安全対策」と言うのは、昨今若年層で問題になっている「LINEいじめ」のような、SNSを使ったいじめや犯罪に巻き込まれることを防ぐことを目的としているのだと思うのだが、「LINE」をはじめとするSNSそのものに問題があるのではなく、ユーザー側の問題のほうが大きいからだ。
では、携帯電話に毎月課税されるからと言って、携帯電話を青少年が使わなくなるのか?というと、決してその様なことにはならないと思う。
上述した通り、ユーザー側の問題を課税という方法で、解決しようと言うのは現実的ではないと思うし、それによって増えた税収の使い道も、ハッキリしている訳ではない。
「財政再建」という、体の良い言葉で生活者を納得させたいのかも知れないが、安倍政権になってからのこれまで以上の「バラマキ状態」を考えると、「財政再建」に使われること無く、終わってしまうのでは?と言う気がしている。

そしてもう一つが、「ビッグデータの活用に個人情報を含める」という内容。
NHK NEWSWEB:検討会 ビッグデータ活用で大綱
ご存じの方も多い「ビッグデータ」という言葉。

「何となくわかっているつもり」なのだが、「個人情報を活用する」と言うことには抵抗感がある。
これまで「個人情報の流出事件」などが後を絶たないにも関わらず、いくら「本人と限定されないように加工された個人情報」といえども、本人の意思確認もなく活用する、と言うのは如何なモノだろう。
「個人情報」と言うことに敏感な方などは、クレジットカードを止め、ネットや通販の利用を止め、銀行などへの預貯金や企業への投資などに対しても積極的に行わなくなるかも知れない。
そこまでしても「個人情報」を自分で守ることはできない、と判っていても何らかの手段をとる人達が出てきても不思議ではないと思うのだ。

そう考えると、一番困るのはビジネスに活用をしたいと思っている企業側なのでは?
個人的には「ビッグデータ」は、あくまでも「社会の傾向」を見る為のものであって、大切なことは生活者の中に企業自ら入っていくことで、生活者と一緒に市場を創っていくと言う、行動と発想だと思う。
そんな企業がすべきことを、政府が旗振り役として行うと言うコト自体、とても気持ちの悪さを感じるのだ。