Yahoo!のニュース動画で、なかなかの発言だな~と思うモノがあった。
TBSニュース:小泉進次郎氏「それ違う!」JA全農幹部を厳しく批判
このニュース、なぜか一般紙で取り上げているのだろうか?という、気がしたニュースでもあった。
このニュースの前に、スポーツ紙のWEBサイトでこの記事を読んだからだ。
日刊スポーツ:小泉進次郎氏、全農幹部の発言に「誤っている」と喝
一般紙で取り上げてもよさそうな内容だと思うのだが、WEBサイトでのチェックでは見つけることができなかった。
この記事で、小泉進次郎氏は「農協は、誰のためにあるのか?」という、問題を提議している。
農家からの手数料収入は、農協にとって大きな収入源ではあるが、その「手数料が、職員の給与になっている」という、話はどこかズレている。
「職員の給与」という部分だけについて考えるなら、確かに「(農家からの)手数料」は、農協にとって大きな収入源であり、その収入源から職員の給与などが支払われるのだから、一見正しいように思える。
問題なのは、「農協」という事業者の「事業目的とは何か?」という点を小泉氏は、指摘しているのだ。
本来であれば、農協が農家に対して様々な「農業経営」という提案がされ、それによって農家の収入が増え、手数料が増える・・・というサイクルが、一番良いはずだ。
ところが、農協幹部から出た言葉は「手数料を下げたくない」という、内容だった。
それも「職員の給与が減る」という理由だ。
そこには「手数料を増やすために、農家に対してどのようなコトをする必要があるのか?」という、目的意識も問題意識も無い(と、感じられる)言葉だった。
企業ではよく「事業の目的」ということが言われる。
「事業の目的」の中には、「利益を上げる」ということも含まれるが、他にも「社会に貢献する」とか「生活を豊かにする」という内容も含まれているはずだ。
むしろ「利益を上げる」ということだけを「事業の目的」としている企業は、「ブラック企業」と呼ばれる企業だと考えたほうがよいだろう。
それほど、社会の目は企業に対して厳しい見方をしている。
理由は、公的組織ではないからだ。
ところが、農協のような公的要素の高い組織になると、この「事業の目的」があやふやになってしまう傾向がある。
本来であれば、社会性を持った組織であれば「事業の目的」が、組織全体で認識され、活動をしていかなくてはならないはずだ。
にも拘わらず、そのような認識がされず、活動できない理由は「誰によって、その組織が維持できているのか?」という、トップから現場に至るまで共通認識されていないからだろう。
「農家の収入を増やすため」という考えで、様々な提案をしている農協職員もいるだろう。
しかし、幹部クラスがそのような意識が持てないコトが問題であるということを、このニュースは教えてくれているような気がする。
今日、スウェーデンの「Spotify」のサービスが、日本で始まった。
「世界最強の音楽サービス」を提供していることが、強みの定額音楽配信サービスだ。
アクティブユーザーも1億人を超えている、と言われている。
これまでも「音楽配信サービス」は、あった。
Amazonなどは、その筆頭だろう。
では、AmazonになくてSpotifyにあるサービスとは、何だろう?
Spotifyの特徴は、ダウンロードのサービスではなくストリーミングのサービスである、と言われている。
その時の気分に合わせて、音楽を選曲しスマホで聞くことができるように、提供楽曲そのものも4000万曲以上ある、という。
ここ数年音楽市場では、CDの売り上げそのものが低迷してきている。
某アイドルグループのような「握手券」などの「オマケ」というか、CD本体よりも魅力的な特典が付かないと、CDそのものは売れにくくなってきている。
その代わりに増えてきているのが、上述したストリーミングだ。
音楽サイトからのダウンロードそのものも、以前ほどの勢いは無くなってきている、と言われ始めている。
そうなると、ストリーミングに適したツールは「スマホ」ということになる。
ストリーミングが音楽を聴く一般的なスタイルになれば、当然スマホの機能も変わる可能性はある。
「スマホ」の買い替え需要としてこれから先重要になっていくのは、もしかしたら「音質」になるかもしれない。
新機種が出たばかりのiPhoneだが、次の機種では「ハイレゾ」対応を検討しているかもしれない(あくまでも、想像の範囲だが)。
Spotifyの強みの一つが、「おすすめプレーリスト」の自動作成だと言われている。
確かに便利なサービスだと思うのだが、Amazonで検索をしたために見当違いな「あなたにおすすめリスト」が表示されるように、見当違いな「おすすめプレーリスト」の可能性もあるのでは?
それだけではなく「CD1枚分を通して聴く」ということが無くなり、音楽そのものが一時の楽しみになってしまうのでは?という、懸念もしている。
「歌は世につれ、世は歌につれ」という言葉があるが、世代を超えたヒット曲がますます生まれにくくなり、音楽の個人化が進むのかもしれない。
「Spotify」のサービス開始で、既に起きている「ダウンロード」から「ストリーミング」という、音楽の聴き方に拍車をかけるコトだけは、間違いなさそうだ。
米国の大統領選を占う「TV討論会」が、開かれた。
「TV討論会」で、世論を味方につけたと言われるのは、ケネディー大統領だった。
その時負けたのは、その後大統領になるニクソン氏である。
確かに、「見た目」ではニクソン氏よりもケネディー氏のほうが、良い印象を受ける。
明るさや若さなど、テレビを通してPRする材料が多かったのは、おそらくケネディー氏だっただろう。
以来、米国大統領選挙において「TV討論会」というのは、選挙戦を占ううえでの重要な要素となってきている。
この「TV討論会」での支持率が、予備選以上の意味を持つと考えられるからだ。
ウォールストリートジャーナルでは、さっそくこの「TV討論」のついての寸評を掲載している。
ウォールストリートジャーナル:米大統領選TV討論、際立つ両者の強み
このTV討論の内容は、記事に任せるとして個人的に目を引いたのは、両者のファッションの違いだった。
ヒラリーさんは、真っ赤なパンツスーツというスタイル。
一方、トランプさんは紺系のスーツに、青いネクタイ。
トランプさんのファッションが、スーツを基本として限られるのは、ある意味仕方のない部分だが、青いネクタイをしている、というところがポイントなのだと思う。
これまでトランプさんは、「歯に衣着せぬ発言」で人気を博してきた部分がある。
支持層の不満を代弁している、という点での人気があった。
これまでのトランプさんであれば、おそらく「赤系のネクタイ」を選んでいたのでは?と、思っている。
それが「青いネクタイ」を選んでいることを考えると、これまでの「暴言・放言を自重せねば!」と、思ったのでは?という気がしている。
「青(系)」の色は、「誠実・冷静」をイメージさせる色だからだ。
これまでの数々の「暴言・放言」を慎み、「大統領候補らしく振舞う演出」という、意識のほうが強かったように思えるのだ。
一方、ヒラリーさんは女性ということもあり、ファッションの選択肢は多い。
その中で、パンツスーツを選んだことは、「行動力」ということをアピールしたかったのだろう。
というのも、この「TV討論会」前の「9.11追悼式」では、肺炎のため欠席をしている。
このコトで、一気に「健康不安」ということがささやかれたからだ。
「私は、元気です!」というアピールのためにも、「行動的な印象」を与える必要があったはずだ。
そしてトランプさんと対照的な「赤」という色を選んだことも、「行動力」や「実行力」というアピールにつながっているはずだ。
その意識が顕著に表れたのが、「私は、大統領になるために準備をしてきた」という言葉だったのでは?
どうやら、今回はヒラリーさんのほうが一枚上手だったような気がする。
実年齢よりも、若く見える40代、50代のキレイな女性を指す言葉だ。
実際、自分の母親世代の40代、50代の頃と比べ、今の40代、50代は随分と若々しく見える。
ファッションにしても、メイクにしても「おばさん」という言葉が、似つかわしくない女性のほうが多い。
女性向けファッション誌や週刊誌などを見ても「いつまでも若々しい」という言葉が、キーワードとなった特集が組まれることも多々ある。
「でも、それってどこか変じゃない?」という、気がするコトも多い。
確かにファッションやメイクで「若々しく見えても、その中身はどうなの?」という、疑問なのだ。
そんな疑問を持つのは、私だけではなかったようだ。
毎日新聞に「アンチエイジング」大嫌い!という、特集が組まれている。
毎日新聞:「アンチエイジング」大嫌い! 小泉今日子さんらの発言に共感の輪
年齢を重ねてくると、「体力の衰え」だったり「代謝の悪さ」を実感するコトが多くなる。
それだけではなく、以前に比べ「柔軟な思考」ができなくなってきたのか?とか、「既存の観念にとらわれている」のでは?など、発想や思考などの柔軟性の衰え(というべきか?)を感じるときがある。
私にとって、この「発想や思考の柔軟性の衰え」のほうが、外見的衰えよりも怖いと感じている。
というのも、今の美容器具や美容家電、もちろんスキンケアなどの進歩はすさまじく、外見的「美魔女」ということだけなら、ある程度カバーする方法があるからだ。
むしろ今年起きた「美魔女」と呼ばれる女性の詐欺事件などを考えると、「外見的美魔女」というのは、すでに時代遅れになっているのでは?と、感じるのだ。
毎日新聞の記事が指摘するように、世間では「容姿の衰え」を「劣化」と呼んだり、女性の「賞味期限」を云々する。
ではその「劣化」や「賞味期限」ということを言っている人たちは、自分たちに「劣化」や「賞味期限」が無い、と思っているのだろうか?
なんとなくだが、いずれ訪れる自分の「劣化」や「賞味期限(切れ)」に、漫然と不安に思っているのではないだろうか?
現実には、「超高齢者社会」に突入し始めているにも関わらず、日本の社会文化の中には「若さ=美徳」のようなところがある。
「超高齢者社会」になりつつあるからこそ、逆に「若さ」が求められるのかもしれない。
残念ながら外見的「劣化」や「(若さの)賞味期限」というモノは、いずれ訪れる。
それが「生きている」ということだからだ。
ただ、「生きている」中で、「劣化」や「(若さの)賞味期限」が無いモノがある。
それは、上述した「思考や発想の柔軟性、好奇心」などだ。
とすれば、これから先の「美魔女」の基準は、「外見的美魔女」ではなく「生き方としての柔軟的思考」へと変わっていって欲しいと願っている。
新聞各社が、「電通」の過大請求を報じている。
日経新聞:電通、2億円過大請求、ネット広告に冷や水も
この記事を読んだ時、最初に思い浮かんだ言葉が「焦り」だった。
ご存じの通り、電通をはじめとする大手広告代理店の重要クライアントは、いわゆる大手企業だ。
その大手企業のテレビCMなどを、クライアントが希望する時間帯や番組(=視聴者層)に合わせて、CMを流す時間を用意し、その時間枠を企業に販売する、というのがこれまでのCMの取引の大きな流れだった。
その内情(というほどではないが)をコミックにしたものが、ビックコミックスピリッツに掲載されている「気まぐれコンセプト」だ。
噂では「電通」ではなく、「博報堂」をモデルにしている、と言われているが、大手広告代理店の仕事としては、「電通」でも「博報堂」でも変わりはないと考えたほうがよいだろう。
日本のテレビCMの多くがテレビ番組と共存するようなカタチでつくられてきたため、提供されるテレビ番組そのものの魅力が無ければ、そのテレビCMは見られないということになる。
だからこそ、広告代理店はマーケティングに力を入れ、生活者をカテゴリーわけし、そのカテゴリーに合わせたイメージのテレビCMを制作してきた。
マーケティングで言われる「F1(=20代~30代前半の女性)、M1(=20代~30代前半の男性)」など、世代の志向に合わせたテレビCMを制作し、その層にあったテレビ番組でCMを流す・・・というのが、これまでの広告代理店の「広告」という仕事だった。
CM制作そのものにも、人気タレントさんや俳優さんを起用し、相当額の費用をかけるのが当たり前だった。
何故なら、世代志向に合わせた「(商品)イメージ」を伝えるのが、日本のテレビCMの基本(というべきか?)だったからだ。
しかし、ネットが一般化してくると、そのような世代層による生活志向が見えにくくなってくる。
インターネット広告をYahoo!などのバナー広告として見たとき、「邪魔!」と思っても「面白い」と感じる生活者は、どのくらいいるのだろう?
別に人気タレントさんや俳優さんが起用されていなくても、「面白い!」と感じる広告であれば、バナーをクリックするだろうし、逆に「面白くない(興味が無い)」と思えば「✖」をクリックして画面を消してしまうだろう。
それだけではなく、YouTuberと呼ばれる人たちの登場は、「映像制作に膨大な費用は必要ない」ということを、示してしまった。
大手広告代理店に頼まなくても、WEB会社がネット広告をつくることができるようになったのだ。
言い換えれば、これまでのテレビCMのような広告づくりが通用しない、というのがネット広告なのだ。
そして、これまで「電通」が得意としてきたテレビ広告の売り上げは、右肩下がりの状態になりつつある。
代わりに伸びてきているのが、ネット広告だ。
だからこそ、「電通」もネット広告に力を入れていたのだと思うのだが、どこか「焦り」のようなモノがあり今回のような不祥事を起こしてしまったのでは?という、気がしている。
ご存じの方も多いかもしれないのだが、実は愛知県は「交通死亡事故」が10年以上ワーストとなっている。
事故が多発する理由はいろいろあるようだが、いずれにしても名誉なランキングではない。
そんな交通事故を減らすべく!ユニークな企画が始まった。
日経新聞:トヨタとコメダ、「ながらスマホ」で異色タッグ
スマホにアプリをダウンロードをし、運転中は平らな場所(多くのユーザーは、運転席前だろう)にスマホを伏せて置き運転をする、という方法。
その状態=スマホを動かしていない=ながらスマホをしていない状態の走行距離(これはGPSなどによって計測するらしい)によって、名古屋の喫茶店文化の象徴であるコメダのコーヒー1杯分のチケットがもらえる・・・という仕組みになっているようだ。
平らな場所に置くだけという方法も簡単だし、コーヒー1杯分というのも参加するハードルとしては、ちょうど良いくらいだと思う。
ただし、使えるスマホはauの機種のみ。
今回は、社会実験を兼ねての愛知県限定、期間限定のサービスなのだが、発想としてはなかなか面白いと思う。
もちろん、使える機種がauのみとか、コメダのコーヒーという点で、不満を持たれる方も少なくはないと思う。
元々トヨタは「ツーカーセルラー(現在のau)」の代理店(出資関係があったと記憶している)だったので、au限定というのは仕方ないだろうし、スターバックスではなくコメダというのも、愛知限定なのだから、話を進めやすさがあったのでは?と、思っている。
いわゆる「大人の事情」ということだ。
それでも、この企画というか社会実験が成功すれば、「ながらスマホ」はある程度減るのでは?と、考えるのだ。
コメダだけではなく、スターバックスやタリーズのような全国展開をしているカフェが協力し、携帯電話各社が参加するようになると、より魅力的な「ながらスマホ防止アプリ」になるだろう。
もちろん、カフェの無料チケット欲しさに、「ながらスマホ」を止めるというという人は多くはないかもしれないが、動機づけという点ではある程度の効果があると思うからだ。
むしろこの企画の目的は「ながらスマホをしない」という習慣づけ、なのだと思う。
上述したように、その切っ掛けづくりとしての「動機づけ」の企画だと考えるほうがよいと思う。
実際このような企画で、愛知県の「交通死亡事故」が、劇的に減るとは思えない。
この企画の中心である(と思われる)トヨタは、自動車メ―カーとしての社会的責任という部分で、積極的に他社への参加を呼びかけるかもしれない。
その点で考えれば、auのほうが社会的責任は大きいのかもしれないし、docomoやソフトバンクも乗ってくる企画だと思う。
それは「スマホ」を提供する企業の社会的責任だからだ。
先日、FMを聞いていたら聞きなれない言葉を聞いた。
「グランピング」という、言葉だった。
番組のテーマは、「秋こそ、キャンプシーズン」という内容だったので、キャンプに関する何かかな?とは思ったのだが、これまでイメージしてきたような(少なくとも、私のイメージのキャンプ)では無いようだ。
「秋こそキャンプシーズン」というのは、なんとなくわかる気がした。
「夏こそキャンプシーズン」と思われがちだが、夏のキャンプは①暑い②虫刺されが嫌③天候の心配、などがあるからだ。
それに比べ、秋は①、②の心配は随分と軽減される。③についても、10月になれば晴天の日も多くなり、場所によっては紅葉も楽しめる。
そう考えれば「秋こそキャンプシーズン」というのは、正解かもしれない。
とはいうものの、夏のキャンプとは違い夕方~夜にかけては、それなりの準備が必要となる。
そのような問題を解決(というべきか?)し、なおかつこれまでのようなキャンプの不自由さを無くした施設が「グランピング」だという。
RETRIP:海外で注目の贅沢キャンプを日本でも!話題の「グランピング」スポット6選
紹介されている施設を見るとお分かりになると思うのだが、テントを張って寝袋で過ごすキャンプではない。
テント内には、ベッドなども用意され「野外宿泊コテージ」のような雰囲気だ。
私の中では、「欧州の富裕層が、アフリカなどで過ごすキャンプ」というイメージだ。
そしてこのような「グランピング」の写真を見て思ったことが、自然豊かな地域こそこのような「グランピング」が向いているのでは?ということだった。
実際、実家のある米子に帰省する度に、大山の裾野で夜満天の夜空を見ながら過ごしたら、日ごろの憂さも忘れそうだな~と、感じることがある。
観光地としての「地域資源」が少ない地域であっても、「体験」という観光資源を見つけることができれば、このような「グランピング」という提案が、可能ではないか?という気がするのだ。
もう一つ「グランピング」の魅力を考えるなら、「キャンプ道具を必要としない」という点だろう。
施設側が、すでにベッド付きのテントを用意しているだけではなく、バーベキューなどの道具も用意しているのだ。
「グランピング」の基本的な考えは、「(豪華)野外宿泊コテージもしくは、野外ホテル」なのだ。
過疎地で問題となっている、空き家があればそこを「ケータリング施設」として、活用しながらキャンプ場に地元の食材を生かした食事をデリバリーする提案もあるかもしれない。
そのような視点で考えると、「グランピング」は地域の活性化策として使えるのでは?という、気がするのだ。
リオパラリンピックが閉幕した。
オリンピックと違い、パラリンピックの扱いは小さい。
連日連夜放送があったオリンピックとは違い、パラリンピックはE-テレなどで「その日のハイライト」くらいを放送する程度。
メダル獲得ともなれば別だが、新聞の扱いなども、同様に大きく取り上げられることは少ない。
ただ、時折ニュースなどで取り上げられる選手たちの姿は、オリンピック選手とは違う「凄さ」を感じさせる。
両腕のないエジプトの卓球の選手は、足でボールを上げ口でくわえたラケットで打ち返す・・・超人的なプレーを見せてくれた。
AFP:両腕のないエジプトの卓球選手、離れ業でリオ・パラリンピックを席巻
他の選手たちも同様に、アスリートとしてのすばらしさをプレーで見せてくれたのでは?と、思っている。
一方、障害者が活躍する姿をドラマチックに報じるコトに対して、「感動ポルノ」という批判も起き始めている。
「感動ポルノ」とは、コメディアン兼ジャーナリストであったステラ・ヤングさんが「健常者と障害者との関係」についてあらわした言葉で「障害者は健常者の感動を生むための存在ではない」という指摘をしている。
TED:私は皆さんの感動の対象ではありません、どうぞよろしく ステラ・ヤング
おそらく、パラリンピックに出場した選手たちもステラ・ヤングさんと同様に「感動を与えるために、プレーをしているわけではない」と、思っていることだろう。
事実、パラリンピック出場を目指す村上清加選手は、あるラジオCMのインタビューで「足が無くて何秒で走れてすごいね、と言れても、私にとっては全然すごくないんです」と、言っている。
そして、元トップアスリートである為末大さんは、新聞のコラムで「カッコイイとかわいそうは、両立しない」と書いている。
上述したエジプトの卓球選手にしても、障害を持つ彼のプレーを見て感動したのではなく、一つ一つの真剣勝負のプレーに、私たちは感動したのではないだろうか?
4年後のパラリンピックは「感動ポルノ」的な意識ではなく、閉会式での「東京プレゼンテーション」のような、カッコイイアスリートたちの活躍を見たい!という気持ちになった。
今回のプレゼンテーションの演出には、組織委員長の森さんが関わっていないだろうな~という、演出であったことも良かったのでは?と、感じている。
「豊洲市場」の問題が表面化してから、その問題はますます広がりを見せている。
特に①盛土がされていなかった②盛土の代わりにコンクリートの空間があった③そこに水が溜まっていた、という「豊洲市場」という場所そのものの問題だったのだが、ここに来て違う問題も浮上してきている。
それは「誰が、盛土ではなくコンクリートで空間をつくるように」と、指示をしたのか?という点だ。
最初の複数の問題は、「豊洲市場の環境整備」という点での問題になると思う。
当初の説明通り、盛土をしないとベンゼンなどの汚染物質を閉じ込めることができなかったのか?という点が、コンクリートで固めるコトで、解決できたのでは?という、新たな疑問が出てくる結果となっているように思える。
そして「環境整備」として、実際に行った工事の内容が違えば、当然「工事費」という問題が出てくる。
当初の計画に合わせた「工事費」での、入札であればその工事内容にあった工事費でなくてはならない。
しかし現実は、違う工事内容になっており、積算された工事費の根拠は一体何だったのか?という、疑問が当然起きてくる。
場合によっては、予定とは違う工事を行ったことから、JV事業者(大手ゼネコン)が、返金をしなくてはいけないのでは?という、指摘がされてもおかしくはないだろう。
「盛土」の問題が発覚した時、着工時の都知事であった石原さんは、当初「(都職員に)だまされた」という内容の話をされていた。
ところが翌日くらいから「事前に話は聞いていた」になり、なぜか今日になって「(コンクリートにするよう)指示をした」という、内容に変わってきている。
ここまで話が変わってしまうと、「誰が設計変更の指示を出し、工事費の積算のやり直し指示をしなかったのか?」という、疑問が出てくる。
そもそも、石原さんの鶴の一声で「コンクリートにする」と言ったところで、汚染物質の影響を無くすコトができると判断できないと思うのだ。
そのために、専門家による「プロジェクトチーム」があったはずなのだが、その「プロジェクトチーム」が機能していなかった?ということだろうか?
そう考えると、今回の「豊洲市場」の問題は、
①「豊洲市場」という場所についての問題
と
②計画変更指示を誰が行い、計画変更に伴う費用の積算はされなかったのか?
という、2つの問題が絡み合っていると考えたほうがよさそうだ。
小池さんは、新たに検証チームを発足させ、違う問題を一気に片付けるようだが、「豊洲市場の問題」とまとめて考えるのではなく、問題の内容を分けそれぞれの責任を明らかにすることが、必要だと思う。
既に大手ゼネコンが中心となった、JV企業への支払いは終わっているとは思うのだが、工事内容が違うのであれば、返金をするよう求める必要があると思うし、求めなくては都民が納得しないような気がする。
先月くらいから、ネットで話題になっていた一つに「うなぎパイ」があった。
突然「うなぎパイ」と言われても、ピンとこない方もいらっしゃると思う。
実は、5カ月ほど前からJR名古屋駅のお土産売り場から、「うなぎパイ」が姿を消していたのだ。
それが、ネット上で話題となっていた・・・という話なのだ。
多くの方が知っているように「うなぎパイ」は、浜松の製菓メーカーさんが作っている。
当然「浜松土産」となっているのだが、実は浜松駅よりも名古屋駅のほうが売り上げが大きかった。
大きかっただけではなく、JR名古屋駅で扱う「お土産品」としても、人気のある商品だった。
そのような「人気商品」だとわかっていても、なぜ「うなぎパイ」の販売を取りやめたのか?
それは「名古屋のお土産品を中心にするため」だった。
確かに、お盆休みで帰省するときJR名古屋駅のお土産売り場には「うなぎパイ」は、販売していなかった。
代わりに「名古屋土産」と銘打ったお菓子が、所狭しとおいてあった。
そして伊勢名物「赤福」も(そのため、浜松の「うなぎパイ」はダメなのに、伊勢の「赤福」がOKなのは、解せない、というSNSの書き込みもあったようだ)。
JR名古屋駅なのだから「名古屋土産」だけが、販売されるコトには問題はない。
人気がある・なしは別問題だが、「販売企画」という点で考えれば、むしろ優先されることかもしれない。
しかし「うなぎパイ」がJR名古屋駅のお土産売り場から消えたコトで、残念がる人が多くいたのだ。
それがSNSなどで話題となり、今日販売再開となった。
中日新聞:「うなぎパイ」販売再開 JR名古屋駅構内の売店
実はSNSで話題になった頃から、知人から以下のような指摘があった。
「「うなぎパイ」って、美味しいだけではなくお土産の鉄則である①軽い②数がある③日持ちがする、をクリアしたいるもん。JR名古屋駅を利用する人の中には、(「のぞみ」が停車しない)浜松に出張して、名古屋経由で帰る人は案外多いんじゃない?JR名古屋駅を利用する人すべてが、名古屋だけに関係している分けじゃないんだから、販売取りやめ自体おかしいよね!?」
という指摘だったのだ。
知人の言う通り、JR名古屋駅を利用する人すべてが、名古屋だけに滞在している分けではない。
そして「お土産の鉄則条件」というのは、実際自分がお土産を買うときの一つの基準となっていることも確かだ。
とすれば、JR東海の関連会社・東海キヨスクの「販売中止」の判断は、生活者の需要と大きくずれていた、ということになる。
記事には、「販売状況なども勘案して、中止を決めた」とあるが、知人が指摘したような「生活者の視点」が欠けていた、ということになる。
「販売状況」という数字に隠れた「モノ・コト」を見つける・・・このコトが、重要だという一例だと思う。