日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

デジタルとフィルム

2006-02-28 21:59:16 | アラカルト
昨日のエントリーにコメントを下さったTOMOZOさん、ありがとうございました。
まだまだ心の整理はできませんが、元気に笑顔で仕事をすることが、母への何よりの供養だと思っています。

母の葬儀は、世間一般的に多いであろう葬儀社に、お願いをすることとなった。
派手な葬儀をするつもりは一切なかったのだが、葬儀社の言うがまま、その時になって「エ!」となる場面もあった。
ひとつが、「故人を偲ぶVTR」である。
そのVTR作成のために、バタバタしている最中、家中のアルバムを引っ張り出す騒ぎとなった。
元々写真嫌いだったため、写真そのものが極端に少ない。
それでも、写真を見ながら思い出話をしながらの作業となった。
写真を選び出しながら、長兄が「こんな写真は、今では無理だろうな~」とポツリといった。
その写真は、町内の敬老会で行ったハイキングのもの。
父の後ろを追うように歩く、母の姿だった。
なんとも微笑ましく、自然で50年余りの時間を一緒に過ごした老夫婦の姿。
おそらく、ご一緒した誰かが、両親に内緒で撮ったスナップ写真なのだろう。
カメラを意識することもなく、決めポーズもない歩く姿だ。

個人情報保護の観点などから「肖像権」ということが、盛んに言われるようになってきた。
その背景のひとつには、「写真を撮る」ということがとても、身近で簡単なコトへと変化したことも、関係あるのではないだろうか?
今では、修学旅行などに行っても、スナップ写真を撮ることができない、と聞く。
その為、撮る写真の多くは「決めポーズをとった」モノとなってしまうらしい。
デジタルカメラだけではなく、携帯電話でも写真が撮れる時代なのだから「肖像権」は、大切な問題ではある。
しかし、その瞬間でなくては撮ることができない人の表情までも、奪ってしまっているような気がしたのだ。

それだけではない。
フィルムであれば、現像をして見なくてはどのように撮影できたのか分からない。
出来上がった写真を見て、「上手く撮れた!」、「失敗作だ~」という思いをしながらも、シャッターを切った瞬間のことを思い出すことができるのではないだろうか?
デジタルカメラは、その場で失敗ショットを取り消すことができ、一定以上の写真が撮れる。
しかし、その手軽さゆえにシャッターを切る瞬間の「思い」が軽くなっていると言うことはないだろうか?
そして、デジタルで記録された映像は、総てプリントされることなく消去されることも多くあるような気がする。
「見るつもりで録画しておいた、テレビドラマを見ることがない」のと同じだ。

デジタルカメラは、写真をとても身近なモノにした。
でもフィルムには「その瞬間の思い出」という「記憶」が、一緒にプリントされている。
そんな気がしている。


最期の日

2006-02-27 21:50:31 | 徒然
1週間余り、ブログをお休みしていました。
その間、アクセスして頂いたみなさま、ありがとうございました。

実は、18日の夜、実家(鳥取県米子市)の母がくも膜下出血のため救急病院へ搬送され、19日に亡くなりました。
23日が80回目の誕生日だったのですが・・・。
「くも膜下出血で倒れた」と言う連絡を受け、急遽実家へ帰ることになり、ブログの更新もできない状態でした。

18日の夜、父から連絡を受け19日の夕方病院へ駆けつけたときは、まだ母の息があり最期のその時一緒に過ごせたことは、とても良かったと思っている。
何よりも、倒れる前も倒れた後も母が、大好きで一番大切に思っていた父がずっと付き添い、手を握り締めその時まで一緒だったことが、何よりも幸せだったのではないか?と考えている。

母は数年前から老年性認知症の症状が現れ、現在と過去、夢の区別がつかない状態が続いていた。
その状態の母を、父は強く認識しながらも穏やかに一緒に過ごしていたようだ。
認知症という状態を「人格的崩壊」と捉えるのではなく、「老いの症状」というのだろうか?ある種の開き直りのような思いがあったという。
その為、家事全般を積極的にこなしながら、二人で買い物や町内会の行事に参加。
傍で見れば「仲の良い老夫婦」だったようだ。

その後、通夜、葬儀などバタバタと過ごし、落ち着く間もなく様々な手続き。
名古屋へ帰った今、やはり、年老いた父一人残すと言うのは、どこか申し訳ないような気がしている。
おそらく、地方から都市部へと生活の場を変えた人たちが抱える問題なのかも知れない。
そして、それは現実として様々な問題があると言うのが、実感だ。

同時に「地域社会の中で生活をする」と言う、重要性も感じた。
と言うのも、子供と同居している老人世帯は、地方・都市部関係なく増えてくると想像できるからだ。
日本社会の高齢化は現在進行形の問題だが、このとき問題になるのが「誰が、老親の面倒を見るのか?」ということだ。
最終的には、子供が何らかのカタチで面倒を見ることになるのだが、老親が住んでいる地域社会とかかわりを殆どもたない子供が、いきなり老親の地域社会の中へ入って行くのは難しい。
その為、子供が老親の地域社会の中で生活する猶予期間が必要となっていく。
それは、子供の生活圏へ入っていかなくてはいけない老親にとっても、同じことが言える。
それを柔軟に受け入れる猶予期間となる時間と場所を提供してくれるのが、地域社会なのではないだろうか?

考えが上手くまとまらないので、とりあえずここまで。



これもW杯の前哨戦?

2006-02-18 22:31:47 | アラカルト
マルセルさん、コメントありがとうございました。
おそらく「テレビを見る」というは、日常生活の当たり前過ぎるのにテーマとしては取り上げやすいのかも知れませんね~。
特に今回の「地上デジタル放送」については、二転三転しながら実施されることになっているのに、最大のお客様である視聴者には余り情報が開示されていなかったと言うか、興味の対象とはならなかったのに、突然専用受信チューナーが必要と言われて「そんなこと、聞いていないよ~」と言うところもあるのでは?

Yahooのトピックスに、「ナイキ社がアディダス社を提訴」と言うロイター通信のニュースがあった。
ナイキの特許とアディダスのa3と言うものとどう違うのか、その内容が分からないのでなんともいえないのだが、まるで今年行われるサッカーW杯の前哨戦のような感じだ。
サッカーファンというか、ユニフォームヲタと言われる人は気が付いていると思うのだが、W杯における各国のユニフォーム争奪戦は熾烈と言われている。
そしてその両雄と言われるのが、アディダスとナイキの2社なのだ。

本社がドイツにあるアディダスは、当然ドイツチームのユニフォームを提供している。
他には、フランスもアディダスを使用している。
日韓大会での優勝国・ブラジルはナイキだ。
ポルトガルもナイキだったと記憶している。
アジアでは、日本がアディダスを使用しているが、お隣韓国はナイキだ。

もうひとつこの提訴には、意味があるような気がするのだ。
ここ数年盛んになってきている、スポーツメーカーとデザイナーとのコラボレーションだ。
有名なところでは、山本耀司とアディダスだろう。
最近流行っている、ヨガを通じてコラボレーションをしているのは、元トップモデル・クリスティー・ターリントンとプーマのヨガウェアーは、クリスティー本人のライフスタイルとマッチしたコラボレート企画だ。

W杯と言う舞台は、スポーツメーカーにとっても一種の桧舞台なのだ。
それは今行われている、トリノオリンピックも同じだろう。
ウェアーやシューズは、日進月歩の進化を遂げている。
そこで注目をされ、優位にたつことが市場を拡大するチャンスともなるのだ。
その意味でも、今回の行方気になる。


テレビの視聴スタイル

2006-02-16 22:25:38 | ライフスタイル
毎日新聞のWEBサイトに「テレビが消える日」と言う記事が、掲載されている。
2回にわたる読者参加の企画記事なのだが、おそらく今回意見を述べているような生活者は、多いのではないだろうか?

我が家のテレビは、18年前に購入した古いテレビ。
だからと言って、困ることはない。
実際にテレビの視聴時間など、1日3時間もあればいいほう。
PCのように、OSが進化して困ると言うものでもない。
まぁ、今度買い換えるなら「地上デジタル」が受信できるものにしよう、という程度なのだが、まだまだ、地上デジタルを受信できるテレビは高価だし、完全放送までには時間があるので、それまで今のテレビが持ってくれれば良いな~と言う程度なのだ。
それだけではなく、今年に入ってからPCでも地上デジタルが受信できるタイプのものが、発売された。
木村拓哉さんと石田純一さんが出演している、CMのPCだ。
当然、他社も追従するだろう。
とすれば、テレビそのもののあり方を考え直す時期とも考えられるのでは、ないだろうか?

先日もNHKが「受信料未払い者」に対して訴訟も辞さないと言う報道があった。
何度も拙ブログで書いてきているが、NHKの前提である「テレビを見る人は、NHKを見る人」があるからだろう。
でも、私などはNHKをまず見ることがない。
何故なら、つまらないからだ(正しくは、ニュース以外)。
まぁ、ニュースくらい・・・といっても、夕方7時のニュースを見る機会がないのだから、いつ見るのか?ということになってしまうし、今やインターネットでニュース映像などを見ることもできる。
この春、話題になっている携帯電話の一部は「ワンセグ」と呼ばれる「多機能型携帯」で、その内容は「モバイルPCの携帯電話版」と言えるほどなのだ。
やはり、根本から「テレビ」というモノを見直す必要があるのだ。

何れテレビは「地上デジタル」が、当たり前となってくるだろう。
だからと言って、「テレビを見ている」とは限らない。
そもそも「地上デジタル」によって、何が変わるのだろう?という疑問が、生活者の中にはあるような気がする。
「ビジネスチャンスが増える」と考えるのは、企業サイドの思い。
それをどう受け止め、価値を感じるのか?というのは、生活者。
そのギャップは、今まだ埋まっていないように感じる。

どこか、生活者の気持ちを置き去りにしてはいないだろうか?
ちなみに、NHKについては「ニュース及び教育専用」の放送局となることと、国会で予算を了承得ない完全独立となれば、それなりの受信料を払っても良いと思うこの頃だ。

企業って何だろう?

2006-02-15 23:02:53 | ビジネス
今日、JALの役員以下部長クラスの署名を持って、社長、副社長及び専務の退任を迫っていたことが、分かった。
既にニュース番組やYahooなどで配信されているので、ご存知の方も多いことだろう。
このニュースを聞いて、20年以上前三越百貨店で起きた社長退任を迫った事件を思い出した。
もちろん、今回のJALと三越百貨店ではその理由はまったく違う。
ただ、社長自身が企業の中でどのような評価?評判を受けているのかまったく知らなかった、という点では同じような気がする。
とすれば、「企業ってなんだろう?」「企業経営とは、どんなことだろう?」ということについて、常に考えていなくてはいけないのは社長やCEOと呼ばれる役職にある人たちなのではないだろうか?
一見当たり前のような気がするが、日々の事柄に忘れてしまいがちなことのような気がするのだ。

今回のJALの場合、昨年からトラブル続きが最大の要因だろう。
ライバル企業ANAは業績好調なのに、JALは一連のトラブルで客離れが激しいようだ。
単純ではあるが「旅客輸送とは何か?」ということが、JALに関わるすべての人々にどれだけ徹底的に、認識され「JALの提供するサービス」の意味が共通理解されていないために起こっているトラブルのようにも思えるのだ。
もちろん、業務の効率化などの御旗元、現場と机とのギャップと言うものがあるのかも知れない。

もうひとつ、今日話題になっているのがディスカウントストアー「ドンキホーテ」が、チェーン展開をしているお弁当屋「オリジン東秀」の敵対的買収だ。
既に一般市場から46%以上の株を取得したようなのだが、何故ディスカウントストア-の「ドンキホーテ」が、お弁当屋さんなのだろう?
以前、何かの雑誌で日産のカルロス・ゴーン氏のインタビューを読んだことがある。
その時、ゴーン氏の言葉で印象的だったのは「敵対的買収は、ほぼ失敗する」だった。
ゴーン氏は「企業には、『企業文化』と言うものがあり、その文化を創っているのはお客様だけではなく、従業員一人ひとりも大きく関わっている。それを理解しないで買収に乗り出しても、成功はしない」という内容のものだったと、記憶している。
「オリジン東秀」が展開しているお弁当屋さんが、名古屋にないため?どのような事業展開をしているのか把握していないのだが、やはりディスカウントストアーとは企業文化が違うのではないだろうか?
それじゃなくても、「ドンキホーテ」は、ビルの屋上にジェットコースターを設置しようとして(実際に設置したようだが)、周辺住民から反対をされている。
どことなく、客商売をしながらお客様のことを考えていない企業のようにも思えるのだ。

「企業って何だろう?」「企業経営をすることは?」ということは、企業人であれば常に考えていることだと思うのだが、最近は「儲けるには?」ということばかりに熱心な経営者が目立つようになってきている気がする。

美の基準は、時代を映す鏡?

2006-02-14 22:14:21 | トレンド
昨日の夕刊フジに「美穂から美咲へ」という記事が、掲載されていた。
Yahooのトピックスでも取り上げられていたので、読んだ方も多いのではないだろうか。
この記事を読むと、女性の「なりたい顔のイメージ」というのがわかる。
まぁ、調査をした会社が整形美容の関連だから当然といえば、当然なのだが・・・。

調査結果を見ると、全体的に「元気な雰囲気のある顔」という気がする。
「美人」の基準は、時代を映す鏡とも考えられるのだが、女性の多くが「元気な雰囲気」を求めているというのは、ポジティブ思考の現れなのだろう。
やはり、男の子よりも元気な女の子ということなのか?
ただ、数年前に一世を風靡した?藤原紀香さんの名前が上位にない。
「元気な雰囲気」という点では、伊東美咲さん以上に元気な雰囲気があると思うのだが、優しい感じにやや欠けるのだろうか?

先日、コンビニエンスストアーの雑誌コーナーで立ち読みをしていたら(お店の方、すみません)、ふたり組みの女子高校生がティーン向け雑誌を読みながら「ねぇ、この子可愛いよね~。眉毛太いのに・・・」と話をしていた。
見ていたのは、長澤まさみさんか綾瀬はるかさんだったようだ。
数日前には、倖田来未さんを見ながら「カッコ可愛いよね~」と、話をしていた。
女子高校生にとって「可愛い」のひとつの基準が、「細い眉毛」だったようなのだが、それを覆している存在が、長澤まさみさんや綾瀬はるかさんなのだろう。
この春には、ナチュラル太眉の女子高校生が当然のごとく、増えるかも知れない。

トリノオリンピックでの活躍が期待されている、ミキティーこと安藤美姫選手。
昨年の大会でのメイクは、「・・・」という気がした。
そんなに濃いアイメイクをしなくても、若い美しさをアピールすればもっと素敵だと思うのだ。
やはり、時代と共に年代の「美の基準」があっても良いのではないだろうか?
そんな気がする、調査内容だった。

胸を張って帰ってきて欲しい

2006-02-13 06:55:08 | スポーツ
トリノオリンピックが、開幕した。
メダル期待の競技が、次々と登場し、深夜~明け方の試合を観戦した人も多いかも知れない。
しかし・・・なかなか日ごろの努力が、実っていないようだ。
特に、スノーボード男子の成田選手などは、チョッとしたミスで下位に・・・。
泣きじゃくり、悔しがっていた。
モーグル女子の上村愛子選手についても、上村選手しかできない「大技」はほぼ成功したのに、メダルにはとどかなかった様だ。
メダル獲得ができなくても、胸を張って帰ってきて欲しい。

メダルにとどかなかった理由は、イロイロあると思う。
ただ、メディアの取り上げ方にも・・・という気がしている。
以前ほどではないように思うのだが、注目スポーツや選手にはメディアが殺到し、「メダル、メダル」という傾向がある。
メダルを逃した、上村選手の場合「彼女しかできない大技で、メダル確実」のような報道がされていた。
現実は、「技」よりもスキー本来の「スピード」の方が、メダル獲得には必要だったのだ。
もちろん、報道をする側には「スピード」という前提があった上での、記事だったのかも知れない。
だが、「オリンピック大好き」日本人にとっては、多くの競技は普段接することがないため、競技の基準となっているものが分からないまま、メディアから提供される情報だけで「そうなのか~」と、過剰な期待をしてしまっているのではないだろうか?

普段、世界のトップレベルで競技をしている選手たちは、メダルにとどかなかった理由を既に自分なりに分析をしているだろう。
そして、それを次のステップとして受け止め始めているのではないか?
どうか、胸を張って帰ってきて欲しい。

今週の出来事から

2006-02-10 22:22:47 | アラカルト
堀江さん逮捕から、10日以上経つのに連日メディアを騒がし続けている「ライブドア事件」。
「堕ちた勝ち組み」にトラックバックくださった「わたしさくらんぼ」のさくらんぼだいおうさんが、指摘されているとおり「時代の寵児」と言われるためには、メディアや政財界の支持がなくては、言われないこと。
確かに、堀江さんはメディアや政財界の力を利用して「自社株の時価」を上げることに成功したと思うが、それを利用したメディアや政財界という姿もあったはず。
案外庶民は、そのような人たちに対して「何を今更、手のひらを返して・・・」と冷静に思っているのかも。

それにしても、キーマンといわれる野口さんの自殺には暴力団が関わっているのでは?というゴシップ的な報道から、「粉飾決済」、「マネーロンダリング」、「海外の借口座」や「隠し財産」等など、IT企業というイメージとは相当かけ離れた古めかしい言葉が並ぶ。
まるで、高層インテリジェンスビルの外装をした、安普請の古い雑居ビルというイメージすらある。
その雑居ビルに入居していた人(M&Aで子会社化された企業)の一部が、既に出たいと言いはじめている。
それはそれで、仕方のないことだろう。
むしろ「ライブドア」という名前が企業名にあるだけで、企業イメージは悪くなるばかりなのだから。

意外な進展を見せたのが「耐震強度偽装問題」。
今度は、九州で見つかった。
盛んに言われた言葉が「非姉歯」という言葉。
「姉歯」という言葉は、「耐震強度偽装問題」における、一般名詞(?)となってしまったようだ。
今回の問題は、昨年11月に「姉歯一級建築士による、耐震強度偽装」が発覚する前に、既にマンション住民が、提訴していること。
もし、今回問題となったマンションの事件が大きく取り上げられていたら、「耐震強度偽装問題」も、もっと早く分かったかも知れない。
そうすれば、強度不足と分かっていながらマンションを引き渡すなとど言うことも、防げたのではないだろうか?
日本の建築業界・・・信用・信頼失墜です。

先日の秋篠宮妃殿下の第三子ご懐妊のニュース。
ニュース速報のほうが先で、秋篠宮殿下はニュース速報の後で知った、という事実。
皇室報道における、日本のマスコミは「ウォーターゲート事件」以上のシステムを持っているのだろうか?「壁に耳あり障子に目あり」どころの騒ぎではない。
これでは、皇太子ご夫妻の第二子というのは、難しい気がする。
いっそ、海外でマスコミの目のないところで、ご家族が過ごされるほうが「コウノトリ」のご機嫌も良くなるのでは?
そして、「木偶の妄言」brotherjin さんが、指摘されているように「第三子=男子」という妄想を抱いている人が、いるようなのだ。
ご懐妊といっても、まだ6週目。性別も何も分かる状態ではない。
にも関わらず、男子誕生のようなことを言ってしまうのは、何故だろう?
それほどまでに「男系男子」を守らなくてはいけない理由は?
「日本の文化・伝統を作ってきたのは、男性」だと言うことらしいのだが、本気でそう思っているのだろうか?
世界最古の「長編小説」は、紫式部の「源氏物語」だと記憶している。
また、かな文字をつくり・使いはじめたのも平安の女達だったのでは?
「男子男系」を支持する国会議員のひとり、平沼赳夫衆議院員が「愛子様が、将来海外留学をされ、そこで恋に落ち、ご結婚でもなされたら『青い目の天皇』が、誕生するやも知れぬ」と、何かの席で声高に話している姿を見たときは、余りにも飛躍しすぎた妄想に笑ってしまった。
そこまで心配をするなら、学習院の中・高等学校を男女共学にすることを提案したほうが、まだ現実的な話のように思うのだ。
常に、それなりの家柄の男性に囲まれていれば、「青い目の男性」と恋に落ちる前に、男性を見る目が養われ、「それなりの家柄」の男性と結婚される可能性が、高くなるのだから。

面倒見の良い大学?

2006-02-08 21:28:01 | アラカルト
毎日新聞のWEBサイトに社会人基礎力:実行力や協調性など育成へ 経産省が対策という記事が、Upされている。

この記事を読むと「産業界の悲鳴」に大学が応える、ということのようだ。
もちろん、このような「実践向け社会教育」を大学で行うことで「就職に強い大学」というアピール力を大学も持つことができる。
毎年一般週刊誌や経済雑誌には、このような大学ランキングが登場する。
でも、そんなところまで大学が面倒を見る必要があるのだろうか?
そもそも、大学は専門的な知識を得るところであって、学生の就職にまで口を出すところではないと思うのだが・・・。

それよりも記事中にある、「協調性がない」、「実行力ということが身についていない」ということは、就職云々ではない問題のような気がする。
こういうことは、小学生の頃から言われてきたことでは???と思うのだ。
確かに「みんなと仲良く」と言っても、なかなか上手くできるものではない。
私自身、みんなと仲良くできるどころか、やや問題児的存在だったと思っている。
その中で「どうしたらいいの?」と一生懸命に子供なりに考えて、行動することで「人の気持ち」を知ったり、生理的にどうしても合わない人と上手に距離を置くということを学んできた。
それは決して「ノウ・ハウ」があるわけでもなく、当然マニュアルなど存在しない。
そのような過程を踏むことが、社会に出てから役に立つのだと思う。
それを、産学協同で教えるというのは、違うように思うのだ。

「個性を大切に」ということが、いつのまにか「ワガママ」や「エゴ」を容認するという意味にすりかえられてしまったのでは、ないだろうか?
「個性を大切にする」というのは、「互いの長所・短所を理解しあい、尊重する」ことではないだろうか?
自分のことばかりを言うというのは、我儘というのではなかったか。
そんなことを、どうして二十歳を過ぎた大学生に教える必要があるのだろう?

確かに、協調性のない、場当たり的でお調子者のような新社会人はいる。
社会に出て「それは違う」ということを知り、幾つモノ壁にぶち当たりながら成長していくのが、若さではないだろうか?
「そんなことをすれば、挫折感から引きこもりになってしまう」というのでは、余りにも過保護的な気がする。
そして企業も、厳しくも暖かい眼差しで、新入社員たちを見守って欲しいと思う。
なぜなら、彼らが企業の未来的価値を高める人材だからだ。

慶事ではあるけれど・・・-秋篠宮妃第三子ご懐妊-

2006-02-07 20:21:58 | 徒然
「東横イン」についてのエントリーにトラックバックを下さった「BYPASS」さん、ありがとうございました。
昨日の東横インの社長さんの謝罪記者会見をニュースなどで見て「どうせ、後で『テヘッ』て、舌を出しているんでしょ」と、感じた人が多かったのではないでしょうか?

昨日の天気予報は、大きくハズレ相変わらず、寒い一日となった。
気象庁には苦情が殺到したようだ。
雪が降った後、いきなり気温が15℃もこの季節に上がるというのは、どう考えてもおかしい。
「それはないだろう?」という予報を出した気象庁や気象予報士は、いなかったのだろうか?
そちらのほうが、不思議な気がする。

今日飛び込んできた「秋篠宮妃の第三子ご懐妊」のニュース。
慶事ではあるけれど、どこか素直に「おめでたい」と思えない、自分がいる。
いわゆる「出産準備品」を扱う企業などの株価が、上がっているようだが、投資家にとってはこのようなニュースも「投機」の材料のひとつとなるのだろう。
この背景には、「皇室の慶事にあやかろうと、出産する人が増えるのではないか?」という期待感があるといわれている。
でも本当だろうか?
皇太子の第一子である、愛子様がお生まれになった年、前年よりも出産する人が増えただろうか?
記憶がない状態なので断言できなが、さほど変わらなかったのではないだろうか?
それよりも、現在不妊治療に当たっている人たちの実態は、もっと深刻な気がするのだ。

そしてもうひとつ気になるのが、「皇室典範」。
この問題は、一般的には「女性天皇」支持が多かったのだが、年が明けてから急に「男系男子」にこだわるような発言が増えてきた。
何でも「(世界に類をみない)万世一系」ということらしい。
将来「何処の馬の骨とも分からないような家系を、天皇家に入れてはいけない」ということのようなのだが、それは男女関係なくあることなんじゃ・・・と思うのだ。
様は、天皇家に繋がる子々孫々は「正当な天皇家に繋がる血を持つものでなくてはいけない」ということなのだろう。
でも、この春学習院幼稚園に入園される愛子様のクラスメートは、既に「それなりの家」のお子さんばかりが集められているのではないだろうか?
間違って、「何処の馬の骨とも分からない」ような家庭のお子さんが入園しても、クラス分けなどで、振るいにかけられるはずだ。
むしろ、旧皇族とか旧華族の家系を引き継ぐような同世代のお子さんが、集められているのではないだろうか?
もし、旧皇族の家系の男性と愛子様が将来結婚されれば、「男系男子」という問題もあやふやになる。

そして「男子」ということばかり声高に言われることで、現在病気療養中の皇太子妃雅子様の病気が悪くなることや、第二子(=男子)期待論などが復活することを、懸念するのだ。