今日所用で出かけたとき、いきなり「青い看板」が目に飛び込んできた。
以前駐車場だったところを、整地して新しい建物を建てているのだ。
その建物に上がっていた看板が「青い看板」だったのだ。
ただ、一瞬「あれ?お店を移転させるのかな?」と思って、よくよく見たら違う会社。
私が見ていたのは、紳士服店の「青山」の看板だったのだ。
そして「移転?」と思ったのは、紳士服店の「AOKI」。
「AOKI」の隣に「青山」が、新しい店舗を造っていたのだった。
私が一瞬勘違いをした理由は、お分かりだと思う。
どちらも、看板の色が「青」なのだ。
現在「AOKI」がある場所は、以前名古屋の地元の紳士服店「トリイ」があった場所だ。
その「トリイ」が、「AOKI」に吸収されるカタチで、現在の店舗が「AOKI」になった、という経過がある。
その意味では、現在の「AOKI」店舗そのものは、随分(たぶん20年位前から)あり、大学生協と提携をしていることもあり、就活時期になると学生さんたちで賑わっているようだ。
また週末になると、若いサラリーマンと思しき人の姿を見ることもある。
その隣に、同じ業種の「青山」ができるのだ。
同業種が、隣同士というのはメリットもある。
いわゆる「相乗効果」のようなコトが、起きるコトがあるのだ。
一つの店舗では、お客様の集客が芳しくない場合、同業者が近隣に進出することで、商品を購入する人に対して「選択肢が増える」コトで、人が集まりやすくなる、という場合があるのだ。
実際、週末に入る紳士服店の折り込みチラシを眺めてみたのだが、比較的近い場所に同業者の店舗がある、という場合は少なくなかった。
もちろん、メリットばかりではない。
取り扱う商品が同じ(この場合は「紳士服」)なので、どちらの店舗の商品も似たり寄ったりになり、逆に「選択肢を狭める」という結果になるコトもある。
それだけではなく、店舗が違いがために集客のために「ディスカウント合戦」に陥り、人は集まるが収益が上がらない、というケースも出てくる。「共倒れ」ということだ。
「AOKI」も「青山」も、取り扱う商品はほぼ同じ。
価格帯もほぼ同じ・・・となると、果たして「相乗効果」となるのだろうか?
それとも「共倒れ」となってしまうのだろうか?
看板の色だけではなく、店舗の造りも似ている両社。
果たしてどうなるのだろう?
「青山」のオープン後、しばらく注意して見てみたい。
2020年東京オリンピックの、エンブレム問題。
大会組織委員会が、28日「オリジナルと確信」している、という記者会見を開いている。
毎日新聞:五輪エンブレム:「オリジナルと確信」・・・組織委員、原案発表
記事の見出しだけを見ると、「修正を加えたために、今回の問題が起きてしまった」と読むことができる。
しかし問題の本質は、そこではない(=修正後)ではないと思う。
というのも「オリジナル」であるならば、本来修正を加える必要があってはならないからだ。
記事の内容をよく読むと、「原案に近いデザインの商標登録がされていた」から、修正をする必要があった、という。
問題の発端となったのは「既に商標登録をされているデザインと似ていた」という点であり、組織委員会としては、そのようなデザインを選出する、ということ自体問題であった、ということだと思う。
大企業の多くには「法務課」とか、それに類似する仕事を担当する部署があると思う。
私のような立場であっても、「商標」に対してはとても厳しい見方をして、仕事をしている。
それは、企業にとっての「財産」であるだけではなく、他者の利益を侵害する危険性があるからだ。
「他者の利益を侵害する」ということは、侵害をした側が意図的ではなかったにせよ、それなりの賠償を支払う必要がある、ということを意味している。
侵害された側は「似ている」というだけでも、賠償を請求してくるコトもある。
そのために、大企業などは「国際特許事務所」と呼ばれるような、特許を専門に扱うところで、申請前に国内だけではなく海外の商標を含め、高額な費用を出して調査依頼をしているのが普通だ。
もう一度、組織委員会の記者会見の内容を、よく読んでみてほしい。
「オリジナルであると確信」しているのに、その「オリジナルに手を加える」ということを依頼している。
理由は「他に似た商標があったから」だ。
本来であれば、「似ている」と判明した時点で、その作品は選考から落とされる必要がある。
例えそのデザインを創った人が、いくつもの広告の賞を受賞している、著名なデザイナーであったとしてもだ。
その部分においては、有名・無名関係なく「公平」でなくては、選考そのものの意味が無くなってしまう。
一部で「出来レースではなかったのか」と、言われても仕方ないことを選考委員会がしているのだ。
ここまでくると、デザインの製作者である佐野氏だけの問題ではなく、「似た商標がある」という問題を直視せずに選考したという、選考委員会そのもの基本的な能力の無さ、商標などに対する認識の甘さ(というよりも、「認識の無さ」というべきだろう)を感じる。
いくら選考後「オリジナルである」と思っていても、その前の段階で選択を間違ってしまっているのだから。
やはり、もう一度広くエンブレムデザインを公募するほうが、良いのではないだろうか。
最近、Yahooに表示される広告で、随分目立つのが「自動車各社」の広告だ。
それだけ、勢いがあるのだろう。
表示される広告を見ていると、各社それぞれのカラーがあってなかなか面白い。
その中で、このところ目を引くのが、日産の広告かもしれない。
日産自動車:ブランドCM動画
目を引く大きな理由は、イメージキャラクターとして起用しているのが、矢沢永吉さんだからだろう。
矢沢さんの場合、何もしなくても圧倒的な存在感を持っている。
その矢沢さんが「やっちゃえ、NISSAN」と言っている。
矢沢さんがいう「やっちゃえ」というのは、先進技術で日本の自動車産業のイノベーションをする、という日産の思いを行動に移す、ということを指している。
考えてみれば、1960年代~1970年代にかけ、トヨタと日産は国産車メーカーとして、ライバルとしてしのぎを削ってきた。
ただしそのアプローチは、正反対だった。
トヨタは「パプリカ」の発売以来、「ファミリーカーのトヨタ」というイメージを創ってきた。
カローラにしても、「家族のクルマ」、「家族の真ん中にカローラがある」という、アプローチをしてきたように思う。
それに対して日産は「技術の日産」と、自ら言い切ってきた。
トヨタが市場優先(というべきか?)だったのに対して、日産は「先進技術を搭載した車」を選んできた、という部分がある。
その結果は、ご存じの通りである。
だからと言って、日産の自動車がトヨタよりも劣っている、というわけではない。
トヨタのほうが、市場をキャッチアップするのがうまく、それを上手にビジネスとして展開することができた、ということだと思う。
その日産が、改めて「技術の日産」ということを、打ち出した。
ハイブリッド車では、トヨタから大きく遅れを取り、市場的にも大きく引き離された感がある。
そのような状況の中で、日産が改めて「技術の日産」ということを打ち出したのには、わけがあるとおもう。
それは「クルマ」という移動ツールに求められるコトが、以前を多く変わり始めている、という点だろう。
CMを見るとよくわかるのだが、日産の見据えている市場は今ではなくおそらく数年後~十数年後だろう。
18歳で自動車免許を取り、以来クルマの生活が当たり前になっている、現在の50~60代の元気な世代が、いずれ「免許返納」を検討する前に、「今よりももっと快適で安全なドライブ」の提供、ということを念頭に置いているような気がするからだ。もちろん、現在の50~60代には矢沢さんのファンも多い。
当然、そのころ中心となるドライバーは「家族が中心」ではない。
むしろ「個人や夫婦」へと移っているだろう。
しかも主なユーザーが、高齢者になりつつあるとすれば「ファミリー」というイメージよりも、「安全・安心の技術」というイメージのほうが、社会的に受け入れられやすい。
そんな考えがあるからこそ、原点に戻った「技術の日産」ということを、打ち出しているのではないだろうか?
サントリーが「ご当地コーヒー」の新発売を兼ねたキャンペーンをしている。
コーヒーに「ご当地」というものがあるのか?と、ビックリしたのだが、コーヒー豆のご当地ではなく、コーヒーの味の「ご当地」だった。
サントリー:ボスレインボーマウンテンブレンド ご当地ブレンド飲み比べ
この新商品を見ると、「たかがコーヒー、されどコーヒー」という気がしてくる。
例えば、私の地元東海・北陸限定は「すっきりしたコク」だそうだ。
それが関西になると「コクとミルクの旨み」となる。
7地域のうち、「ミルク」という言葉があるのは、関西だけだ。
関西の方は、ミルク好きの方が多いというコトだろうか?
もちろん、異議を唱える方もいらっしゃると思う。
それだけ「個人の嗜好」が強い飲み物ではないか?と、思っている。
ただ、この「ご当地コーヒー」という発想は、全国でチェーン展開をしているカフェやコンビニコーヒーなどには、無い発想なのではないだろうか。
缶コーヒーだからこそ、このような「ご当地コーヒー」という商品が、できたような気がしている。
全国でチェーン展開をしているカフェやコンビニコーヒーは、「全国どこへ行っても同じ味」という事がとても重要で、そのためのマニュアルや商品パッケージが最初から作られているからだ。
一方、缶コーヒーはもともと製造地域と販売地域が、ほぼ同じ地域で限られている。
だからこそ、その地域の人たちの嗜好にあった味を、出すことができる。
そして今回のサントリーの「ご当地コーヒー」という発想は、地方の小さなコーヒー専門店にとっても、ビジネスのヒントを与えているような気がする。
それは「ご当地」ではなく「我がショップの味」という点だ。
もう少し進んだ発想をするなら「(お客様の)私の味」という、お客様(もちろん常連客)の好みに合わせたコーヒーを提供することができる、という事だ。
以前から、「お気に入りのカップで、美味しいコーヒーをどうぞ」という、コーヒー専門店はあった。
しかし「自分好みのブレンド」というのは、なかったような気がする。
そこまでコーヒーにこだわる方が、どれほどいらっしゃるのかはわからないが、コーヒー専門店という地域に密着しているからこそ、できるビジネスだと思う。
「第3のコーヒー」と言われる、「ブルーボトルコーヒー」の原点は、日本の喫茶店だといわれている。
とすれば、全国各地の「喫茶店」は、原点に立ち戻ったビジネスを展開するだけのことなのだ。
何も奇をてらったようなコトではない。
真摯にお客様と向き合い、丁寧に1杯のコーヒーを淹れ、提供する・・・という、基本を誠実にするということだけのコト。
サントリーの「ご当地コーヒー」は、マスではないビジネスもある、というヒントを与えているように思う。
お盆の頃から始まった、中国発の株価の乱高下。
このようなニュースを聞くと、中国経済とは関係ない生活をしていると思っていても、その実関係しているのだな~と、実感せざる得ない。
それがFXとか海外投資をしていなくても、様々な商品が中国のみならず様々な国から輸入され、生活をしているという実感だ。
昨日だったと思うのだが、上海では10ポイント以上も下落した、と金融市場関係者は青ざめ、そのテコ入れ策を政府がする必要があるのでは?という、与党の動きがあるようだ。
毎日新聞:世界同時株安:与党に補正待望論 アベノミクス失速警戒
確かに今回の株価は、リーマンショック以来の下げ幅となっているのは事実だ。
そしてリーマンショックの時のような、デフレに対する不安がある、というのも本当だと思う。
だが、少し落ち着いてみる必要もあるのでは?
というのも、ここ1、2年日本企業の一部は、中国から生産拠点を他の東アジアの国へ移し始めている。
その関係でもないとは思うのだが、中国経済の先行き懸念というのは、随分前からあったはずだ。
何よりも、リーマンショックのような「訳の解らない金融商品」による、経済ショックではない。
株価そのものは上下するのが、当たり前。
その株価が上下するたびに、一喜一憂するのはいかがなものだろう?
政府が懸念する材料の一つは、中国人観光客による「爆買い」が無くなることで、国内消費が減るのでは?という事かもしれない。
しかし「爆買い」で儲かっている企業というのは、一部の小売であって、国内全体の小売が「爆買い」に依存しているわけではない。
「『円高』になって、日本経済が失速する」という事を言われる方もいらっしゃるようだが、円が100円を切ったわけではない。
2、3年前までは、100円を切っていたのが当たり前だった。
むしろ、円高になることで、原材料などを輸入→加工製造している中小企業にとっては、メリットが高いかもしれない。
とすると、与党からこのような声が出る、というのはあくまでも「自分たちのため」という事だろう。
元々、「政治が経済に口出しすると、ロクなことがない」と、思っているので、このような補正予算を組むという事は、安保法案などで苦境に立たされている安倍政権+自民党のイメージアップと、安保法案などから国民の注目をずらすことが目的という事だろう。
今の経済は、それこそ「グローバル」に展開しているので、経済大国になった中国とはいえ、中国一国だけを見て、大騒ぎする必要はないと思う。
むしろ大切なことは、中国経済が他のアジアの国々にどのような影響を与え、それが日本にどう関係してくるのか?という、大局的なモノごとの見方なのでは?
その上で、日本の経済政策をどうするのか?という発想が、政治家には求められると思う。
拙速な、補正待望論は税金の無駄遣いとなるだけではく、様々な企業の基礎体力低下を招くような気がするのだ。
今朝朝食を食べながらFMを聞いていたら、箸を落とさんばかりに驚いたことがあった。
なんでも原宿あたりでは、スカートを穿く男子がいるという。
もちろん「ファッション」として、10代後半~20代前半の男子が穿いているという。
しかも「ブームの兆し」だという話だった。
実は昨年だったと思うのだが、休日地下鉄を利用して出かけたとき、その地下鉄で「スカートらしき物」を穿いている男子を見かけたことがあった。
その時も、相当びっくりしたのだが「これもファッション・・・」と、解釈したコトがあった。
その時は、ブームになるとは思ってもみなかった。
なんでもその「スカート」は、「バンダナスカート」と呼ばれているらしく、実際画像を見ても大判のバンダナを2枚縫い合わせたような感じだ。
WEAR:バンダナスカートのコーディネート(画像)
女性が穿くスカートとは違い、「バンダナスカート」の下には、スキニーのような細いパンツと組み合わせて穿いている。
全体的な印象は、昨年私が地下鉄で見かけた男子も、同様のスタイルだった。
考えてみれば、今では女性のファッションとなっている物が、かつては男性の、しかも貴族のファッションであった、というアイティムが数多くある。
例えば、ハイヒールなどはヒールの高さが富の象徴のように言われた時代があった。
「太陽王」と言われた、ルイ14世の頃だ。
その頃は、フリルやリボン、レースといったモノが、富の象徴であり豪華に着飾ることが「イケテル男子」の基準だった。
そう考えれば、ファッションの先祖返りのようなモノなのかも知れない。
実際、これまでもパリやミラノ、ロンドンなどのメンズコレクションでも「男子のスカート」というのは、登場している。
ただそれらは、「アバンギャルド」という冠が必ずついていたし、あくまでも「コレクションの一部」でしかなかった。
それが、普通の(と言っても、相当ファッションに興味があり、それなりの着こなしができる)男の子が、街中で着るようになるとは思わなかった。
だからと言って、男子の草食化が進んでいる、とは思ってはいない。
むしろ、このようなファッションを受け入れられるほど、日本が平和な国という事だと思っている。
ちなみに、この「バンダナスカート」だが、1着6,000円~8,000円程度するようだ。
そのスカートが、入荷待ち状態になっているという。
裁縫の心得のある方なら、大判のバンダナ2枚を用意して、両端(=脇)を手で縫っても十分な気がする。
色違いや柄違いのバンダナを組み合わせて、手縫いすればもっと個性的で、おしゃれ(かどうかはわからないが)なコーディネートができるのではないだろうか?
そのほうが、ずっと安いだろうし、いざとなったらバンダナとして使う事もできる。
バンダナではないが、手ぬぐいを使って「和風バンダナスカート」という発想もあるのでは?
ただし、一歩間違うと「前掛け」の様に見えてしまうので、「ファッションセンスがある」と思っていても、30代以上の方向きではないようなので、ご注意を。
昨年に引き続き、今年のお盆も実家から名古屋へ帰るのに、JRを利用した。
お盆以外は、高速バスを利用するのだが、さすがに昨年、今年のカレンダーを見たとき、とてもではないが高速バスを利用すると、いつになったら実家のある米子から大阪まで到着できるのか不安だったからだ。
そして今年、新幹線を利用して気づいたことがある。
それは、小さなお子さん連れの利用者が多い、という事だ。
昨年も利用しているので、おそらく同じような感じだったのでは?と思うのだが、今回は私が利用した車両に、乳児を連れたご家族が、数家族乗車されていた。
当然のことながら、長時間の移動で赤ちゃんはぐずったり、授乳の時間があったりする。
今は、授乳ケープと呼ばれる赤ちゃんグッズなどもあり、座席で授乳される若いママさんの姿も見かけることもある。
私などは「赤ん坊は、泣くのが仕事」と思っているので、ぐずったり、泣いたりしても苦痛だとは思わないのだが、社会全体の目として「赤ん坊の泣き声」や「幼稚園(や保育所)での園児たちの声」を騒音だと、苦情を言う人も少なくない。
そのような社会的な雰囲気があるからだろう、赤ちゃんがぐずり始めると、困った顔をして席を立ち揺れている新幹線のデッキで赤ちゃんをあやすお母さんたちの姿を、何人か見かけた。
最近の新幹線には「多目的ルーム」と呼ばれる、ちょっとした個室が設けてあったりするようなのだが、利用される方が多すぎるのか?「使用中」ということが多いようだ。
以前、新幹線には「個室車両」があったと思う。
2階建て新幹線の1階部分を個室としていたと記憶しているのだが、お盆やお正月のような繁忙期だけでも良いので、そのような車両を運行する、という事は出来ないのだろうか?(既に廃車となってしまっている可能性が高いが・・・)。
1個室500円位の割増料金で、利用できるとなるとお子さん連れの方には、周囲を気にすることなく移動できるというメリットがあり、それなりの利用はあると思う。
他にもビジネスで利用される方であっても、「移動中でもじっくり考えながら仕事がしたい」という、ニーズがあるかもしれない。
大切なことは「周囲を気にせずに、何かをしたい」という人を対象とした、サービスとしての「個室車両」という点だ。
東海道新幹線の「のぞみ」は無理でも、「ひかり」での利用ができるとなれば、時間ではなく「個室車両」というサービスで利用する方もいらっしゃるかもしれない。
一番良いのは、赤ちゃんがぐずっても周囲の人から「迷惑そうな顔」をされることなく、安心して赤ちゃんをあやせることだと思うのだが、今の社会全体の雰囲気(?)から考えると、なかなか難しいような気がする。
とすれば、そのような視線を感じることがないような、方法やサービスを考える必要があると思う。
2020年の東京オリンピックのエンブレムデザイン騒動は、いろいろなところへと波及し始めている。
私にとって身近な「名古屋東山動植物園」のマークまで、疑惑をもたれているようだ。
HUFFPOST:佐野研二郎氏デザインのマーク、東山動植物園が調査に乗り出す
佐野氏のデザインパクリ?問題が、発覚する前から今回のエンブレムデザインは、イマイチ評判が良くなかった。
このエンブレムデザインよりも不評なのは、オリンピックでの「観光ボランティア」が着用する、ユニフォームだった。正しくは、東京都「街なか観光案内」ボランティアの制服という事らしいのだが、確かにデザインを見てみると「なんだかな~」という気になってしまう。
東京都:報道発表資料「おもてなし東京」東京観光ボランティアのチーム名、ユニフォーム決定!
このユニフォーム発表直後に法被のデザイナーさんが発表したデザインの法被のほうが、評判が良いという話もある。
しかし考えてみれば、行政が関係するイベントで「素敵なデザインだな~」と思えるような、デザインというのは案外少ないのではないだろうか?
それこそ、1964年の東京オリンピックのポスターデザインをした亀倉雄策さんくらいで、その他となるとイベントそのものは覚えていても、エンブレムデザインだとか(スタッフ)ユニフォームなど印象に残っているものは、ほとんどないと思う。
ではなぜ、そのようなことになるのか?と考えると、行政が行うイベントだからこそ、そのような結果になってしまうのでは?という気がするのだ。
一番の理由は、「誰からも文句が出ないような、著名な人に依頼する」という事があると思う。
「誰もが知っている著名な人がデザインをした」となると、「反対する人が少ない」と考えるからなのでは?
「著名なデザイナー」というだけで、「素晴らしい!」と思う人はある程度いらっしゃるし、それが悪いわけではない。何よりコトを進めるうえで、重要な点は「反対者が少ない」という点なのではないだろうか?
言い換えれば「トラブルを回避して、通りやすくする」ために、著名なデザイナーを起用するメリットがあるのだと思う。
もちろん「著名なデザイナー」に依頼したからと言って、そのデザイナーがデザインを起こすわけではない。
多くの場合、デザイナーさんの事務所のスタッフが、ある程度のデザインを起こした上で、大先生が手を入れる、というケースがほとんどだろう。
そうしなければ、大先生自身の仕事が停滞してしまうだろうし、事務所で働いている若いデザイナーさんたちの経験の場にもならないからだ。
その結果として、高額なデザイナー料を支払うことになるのだが、支払うにしても「著名なデザイナー」という、ある種の肩書は、周囲から納得が得やすい材料になっているはずだ。
ただしそのような方法が有効だったのは、20年位前の話だろう。
というのも、PCによるデザインが主流となりつつある現在では、ある程度PCで絵を描いたりデザインすることができる人であれば、ある程度センスの良いデザインを起こすことができるからだ。
もう一つは、様々なビジュアルの情報が増えたことによる、影響があるのでは?と、考えている。
それを使ってしまったのが、佐野氏のサントリーの懸賞バッグという事になると思う。
これから先、行政が様々なイベントでシンボルマークのようなデザインは、おそらく「公募」になっていくのではないだろうか?
そして選考そのものも、市民参加型になり、選にもれたとしても、それなりの理由がわかるような形式になっていくような気がする。
イベントの準備段階で、市民に参加を呼びかけることで、イベントそのものへの関心も高まるだろうし、ボランティアなどの募集もスムーズに行える・・・などのメリットがあると思われるからだ。
Yahooのトピックスに、楽天が最短20分、24時間対応の宅配サービスを始める、というニュースが取り上げられていた。
Yahoo:ImpressWatch「楽天、最短20分、24時間対応の即時配送サービス「楽びん!」
東京の中でも4区に限ったサービスのようだが、このサービス本当にどれだけの人が必要としているのだろう?
確かに、注文をしてから20分で注文をした商品が届く、というのは便利なサービスだと思う。
思うのだが、このようなサービスそのものは、既にある。
しかも、随分前からあるサービスだ。
しかし、そのサービスそのものは、時代の趨勢により、すっかり見かけなくなってしまったサービスでもある。
「御用聞き」というサービスだ。
食べ物でいえば「出前」というサービスだ。
「御用聞き」というサービスの基本は、実店舗があり、常にある程度の在庫を抱えている必要がある。
何より、定期的にお客様のところへ伺い注文を受け、配達をする必要がある。
いうなれば、在庫管理と人の労力がかかっている商売なのだ。
当然のことながら、このような商売を楽天が始める、という事は4つの区内で楽天に出店している事業者が確保できている、という事。
そして注文を受けた商品をお届けする配達専用スタッフの確保ができている、という前提が必要だ。
以前の「御用聞き」であれば、実店舗で商売をしながら(しかも多くの場合は、家族経営だった)手を空いている人が、商品をお届けする、ということが可能だった。
働く人そのものが、配達のために待機しているわけでもなく、商売の合間に限られた商区内で配達をする、というのが基本だった。
しかし「楽天」の場合、参加店の多くが商品を販売するだけで、配達となると宅配業者に委託をする、という形態をとっている。
一番の問題は、配達を任される宅配業者にそれだけの余剰人員がいるのか?という点だ。
実際、宅配事業者は人の確保がなかなかできず、慢性的な人手不足となっている。
それに拍車をかけているのが、1個当たりの配達単価(?)が安い、という指摘がされている。
まして、一般的な宅配事業者の配達時間は、大体夜の9時までになっている。
それを24時間にするとなると、当然のことながらこれまで以上に宅配事業者に大きな負担がかかる、という事になる。
いつ注文が入るのかわからないため、商品を提供する出店企業も商品出しのための人材を確保しておく必要がある。
当然、深夜の仕事は「割増」の賃金を出す必要がある。
そのためには、通常よりも3割増し以上の価格設定が必要のはずだ。
確かに、ユーザーのニーズは重要だと思うのだが、過剰なサービス提供はどこかで破たんするのではないだろうか?
「楽天」そのものは、宅配事業者でもないし、出店企業でもないので、痛い思いをすることはないかもしれないが、事業者としてパートナーとなる相手の事業のことも、十二分に考える必要があるのではないだろうか?
それが事業者間の信頼を生むことにもなるだろうし、互いに信頼して仕事を任せられるような関係になると思う。
ビジネスのスタートというのは、そのような信頼関係がなくては、できないと思うのだが・・・。
2020年の東京オリンピックは、何かに取りつかれたような感じで、トラブル続きになっている。
「新国立競技場」の建築費の問題に始まり、今現在はエンブレムデザインが問題になっている。
確かにベルギーの劇場のデザインと見比べてみると、素人目には「似ている?似過ぎ?!」という感じがする。
「シンプルなデザインは、どこか似る部分がある」と、言われているが「似過ぎ」となると「パクリ?」と思われても仕方ないかもしれない。
問題は、その後このエンブレムデザインをしたデザイナー(と事務所)が過去にデザインしたものが、次々と「パクリ?」と思われるようなモノであった、という点だろう。
ここまで「パクリ?」といわれるようになると、やはり仕切り直しをしたほうが良いのでは?という意見が出てきてもおかしくはないと思う。
国際的なイベント開催で、このようなトラブルが続くというのは「縁起が悪い」という気がするからだ。
そんな中、俳優の田辺誠一さんがエンブレムデザインを非公式で発表した。
ご存じの方も多いと思うのだが、田辺さんは以前テレビに出演されたときにその絵心の無さというか、独特の絵画センス?で、一部のネットユーザーからは「田辺画伯」と呼ばれている。
田辺さんはそのことを逆手にとって?次々と作品をネットなどに投稿し、LINEのスタンプデザインまでされるようになった。
その田辺さんが、エンブレムデザインをTwitterで発表したのだ。
NETGEEK:俳優の田辺誠一が非公式でオリンピックエンブレムをデザイン
五輪のマークを横に並べるという発想は、プロではないからできる発想だと思う。
もちろん、IOCから了解を得られるとは思えないが、デザインをするうえで考えた「平等・平和」という理念は、東京の「T」で十分表すことができるだろう。
何より、1964年のオリンピックエンブレムをデザインした、亀倉雄策さんのオマージュの様にも見える。
そして田辺さんの「平等・平和」という言葉で、思い出したことがある。
それは1964年の東京オリンピックが、エポック的な大会であったという点だ。
今では当たり前の光景となった、閉会式で選手たちが国や地域を超え肩を組み自由に入場する様になったのは、東京オリンピックが最初だった。
偶然に起こったことだったようだが、今ではオリンピックの象徴のような光景となっている。
もう一つは、冷戦時代であった当時、東西に分かれていたドイツが、一つの国として代表選手を送っていたことだ。
冷戦時代、このようなことがあったのは後にも先にも1964年の東京オリンピックだけだった。
それだけオリンピックという世界的イベントが「平和」と「平等」の象徴であると、IOC自身も考えているのではないだろうか?
もちろん、誘致のポスターで使われ今現在の評価が高いデザインも含め、仕切り直しをしてみてはいかがだろう。
既にオフィシャルサプライヤーとして契約をした企業側にとっては、印刷物などを含め損害部分もあると思う。
それでも「いわくつきデザイン」を使うよりも、企業側も安心するのではないだろうか?