日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

好き嫌いの範囲?-「おしぼりで顔を拭く」-

2007-08-31 10:47:07 | アラカルト
讀賣新聞の「大手小町」と言う、読者欄がある。
時々読んでみると、「へ~」とか「おや!?」と思うことがある。
自分の常識が案外、好き嫌いから発生していると言うことを教えられたり、他人のモノの見方に意外性を感じたりするのだ。

今回は、「おしぼりで顔を拭きたい」と言う男性。
いつの頃からか「おしぼりで顔を拭く=オヤジくさい」と言う、イメージがついてしまった。
それがいつのまにか「恥ずかしい行為」と、見られるようになってしまった。
この男性の問いかけに、女性読者は意外なほど寛容だ。
確かに、誰かに迷惑をかける行為ではない。
食事の席などで同席者が「ポン」と、ナイロンのおしぼり袋を破り、「アァァァ~」と言いながら顔を拭くと言うのは、見栄えの良し悪しという点で「・・・」と言う女性は多いかも知れない。
だからといって、その行為そのものに対してそれほど批判的にはなれない、と言う感じなのだろ。

この「おしぼりで顔を拭く=オヤジくさい」と言うイメージの中心、「オヤジくさい」とということについて、もう少し分析(?)する必要がありそうだ。
(ありえないことではあるが)「もし、キムタク(ヨン様でも可)がおしぼりで顔を拭いたら?」と言う条件設定がされたとき、「見たくないけど、まぁ許せる」と言うコトになるかも知れない。
ところが「脂ぎったメタボ体型の(エッチそうな)オジサン」となると、一応に「ヤメテ!」となるのではないだろうか?
とすれば、「おしぼりで顔を拭く」と言う行為以前に、その行動をする人に対する「好き嫌い」で、行為そのものを否定してしまっているとも考えられる。
案外行為よりも先にその行為をする人の好き嫌いで、その行為そのものを否定すると言うことがあるのかも知れない。

「おしぼりで顔を拭くのはOKでも、首より下はOUT」と言うのは、人前で露出して欲しくないところだからだろう。
それは、女性が電車でお化粧をすることに、嫌悪感を感じるのと同じだと思われる。

男性のみなさん、これから「使い捨ての紙製おしぼり」を「アァァァ~暑い」と言いながら「さわやかに顔を拭く」と、周囲の女性も怪訝な顔をしないかも知れません。
もちろん、TPOをわきまえての事ですが・・・。


「美しい国」の現実

2007-08-29 20:36:25 | 徒然
今日の新聞各紙に、救急車事故:搬送中の妊婦流産 大阪と言う記事が掲載されている。
見出しだけを見ると、救急搬送中に事故にあって流産したように思えるのだが、本当の問題は、事故による流産ではない。
搬送するために、10箇所もの病院に連絡をしたにも関わらず、受け入れをしてくれる病院がなかったことだ。
昨年の今ごろ、同じように緊急を要する妊婦さんが病院をたらい回しにされ、亡くなっている。
これが、今の日本の医療の現実だろう。

このような事件があるたびに、「少子化の陰の要因の一つは、このような現実なのではないか?」と思うことがある。
小児科の減少など子供を育てるための医療環境が、著しく悪くなっているような気がするからだ。
価値観の変化による、出生率の低下ばかりがクローズアップされるが、子供を産み・育てる環境の基本的なコトに不安があれば、価値観にも影響を及ぼすのではないだろうか?
女性雑誌などが取り上げる「セレブ出産・子育て」などではなく、ごく普通の人が安心できる子育て医療環境の充実が急務だと言うことなのだと思う。

もう一つが、先日起こった女性拉致殺害事件だ。
携帯電話の「闇サイト」を使った事件と言うだけではなく、その短絡的な思考が当たり前のようになり始めているような、危機感があるのだ。
それを現実と感じさせるのが、今日の毎日新聞の闇の職安:制限なき犯罪の温床 すぐ返信「女の子襲う」と言う記事だ。
記者自らが、直接アプローチをした記事内容なのだが、「女の子を襲い、金品を奪う」という、メールし仲間を集めるコトに抵抗感がないように感じるのだ。
「倫理観」とか「道徳心」などと言うコトではなく、「人としてやってはいけないこと」と言う当たり前のコトが思考できなくなり、自分のコトだけしか思考しない大人が普通になってきているように感じられるのだ。
もちろん、子供もそのような価値観の社会の中で育ては、同じような価値観を持つだろう。

一体いつから、こんな日本になってしまったのか?
そんな不安とともに「美しい国」の現実に、不安を覚えるのだ。

緑茶も「プレミアム」?

2007-08-28 20:53:54 | トレンド
日経新聞のWEBサイトに、飲料各社が「プレミアム緑茶」・高品質で販売テコ入れと言う記事が掲載されている。

サントリーの「プレミアム・モルツ」以降、ビール業界では「プレミアム・ブーム」が続いている。
このプレミアム路線は、この「秋ビール」も継続中で、その一例がサッポロの「贅沢モルト」だろう。
他にも、カルピスは「ザ・プレミアム・カルピス」を販売している。
もちろん、お値段もやや高めだ。
そんなビール、飲料水の「プレミアム・ブーム」が、緑茶ペットボトル飲料にまできているようなのだ。

この傾向は今年の春あたりから、少しづつ現れはじめていたように思う。
それがキリンの「生茶」だ。
かの有名な陶芸家であり書家、また美食家としても有名な北大路魯山人を出し、「旨みは甘味」と言うコピーで、展開していた。
夏には、「醍醐味」と言う商品まで出している。
現在の「生茶」が、これから発売される「プレミアム緑茶」と、どれだけ対抗できる味なのかは分からない。
だが、市場として「おいしいお茶が飲みたい」と言う需要がある、と言うことなのだろう。

今回、日経新聞で紹介されている「プレミアム緑茶」の共通点は、有名な老舗お茶屋さんのお茶葉を使っている、と言うコトだ。
老舗お茶屋さんのお茶葉を使っていると言う点では、サントリーの「伊衛門」がある。
ところが、サントリーがこの秋発売するのは「ほうじ茶」だ。
お茶そのものを、家庭で淹れるコトが少なくなったので、緑茶=煎茶ほうじ茶の違いは、お茶葉の色くらいにしか思っていない若い方もいるかも知れない。
ほうじ茶は、煎茶のように高いお茶ではない。
煎茶が来客用のお茶だとすれば、ほうじ茶は普段使いのお茶なのだ(だから、「伊衛門」のテレビCMでは、「実家に帰ってきた宮沢りえが、父親と一緒に縁側でお茶を飲む」と言うシーンになっている)。
その意味で、サントリーはこの「プレミアム緑茶」とは、まったく逆の戦略をとっているようにも思える。

ただ、個人的にはお茶は淹れ方一つで美味しくなったり、違ったりすると言う気がする。
急須にお茶葉を入れ、湯のみを暖めるなどして、丁寧に入れたお茶は、茶葉の値段に関係なくおいしい。
むしろそんな時間を見つけることのほうが「プレミアム」なのでは?

それと・・・キリン「生茶」が今展開している「水出し緑茶」は、あくまでも夏限定と言う気がするのだ。
実際「伊衛門」の夏バージョンのテレビCMで「水出し緑茶=碾茶」として、紹介済みなのだが・・・。



この秋は、メンズに注目

2007-08-27 20:59:23 | トレンド
今日、第2次安倍内閣の閣僚が決まった。
今ごろ、燕尾服やロングドレスを着た新閣僚が、ひな壇写真をとっているのだろうか?
この「新閣僚のひな壇写真」は、何かと話題になる。
ポジション取りだとか、女性閣僚のファッションだとか・・・。
一生の間で、燕尾服やロングドレスを着る機会は殆どない。
閣僚と言えども同じだろう。
そのため、どこか不恰好になってしまうのも仕方のないことだろう。

そんなことが話題にもなる今日、毎日新聞と朝日新聞に「メンズ(ファッション)」の話題が掲載されている。
まず毎日新聞だが、「ラペルピン」が紹介されている。
ラペルピンといっても、ピンッとこない男性諸氏も多いだろう。
タレントの関口宏さんなどが好んで背広の襟につけている、メンズアクセサリーのひとつだ。
大分前から、ジュエリー業界やファッション業界などでは「一押しアイティム」と言われてきたように思うのだが、売上としては期待できるような結果ではなかった。
と言うのも、男性の場合「社章」をつける定位置とかぶるためだ。
それでも、週末のオシャレで着るジャケットなどには「社章」をつける必要はないし、むしろ何かつけないと間が抜けたような印象となってしまう。
あくまでも、週末のオシャレとしてのファッションアイティムだ。
「チャレンジしてみたいが、買うのはチョッと・・・」と言う方は、プッシュピン型のタイピンを代用してみるコトをお勧めする。
タイピンなどは、真珠などのジュエリーが使われていることが多いのだが、今では殆ど使われていないファッションアイティムなのだ。
団塊の世代以前の男性なら、箪笥の隅に一つ二つあるのではないだろうか?

朝日新聞に掲載されている「メンズの話題」と言うのは、伊勢丹メンズ館に男性専用スパ、8階をリニューアルと言う記事だ。
伊勢丹は他の百貨店に先んじて、「メンズ館」と言う売り場を展開している(丸井の「メンズ館」とは違う売り場アプローチと言う意味)。
そこに「スパ」や生花売場などを設け、「男性のファッション・オシャレ・ライフスタイル全般を提供する」と言うのだ。
その象徴的なモノが、「スパ」だろう。

「スパ」そのものは、エステや温泉の「癒しスペース」として人気がある。
男性の場合、女性のようにエステの延長として「スパ」を利用するコトに抵抗感もあるだろうし、温泉施設でも「メンズ専用スパ」があるところはまだまだ少ない(だろう)。
そこに目をつけたのが今回のリニューアルと言うことになる。
しかし・・・8階に「スパ」施設を設けるというのは、水周り設備には相当の費用が必要なのでは?と思ってしまう。
それほど、大胆なリニューアルだとも考えられそうだ。


遠くの親戚より・・・-高齢者と地域コミュニティー-

2007-08-26 22:05:50 | 老親介護
今日の毎日新聞のWEBサイトに、中越沖地震:入居2週間「仮設だってご近所さん」と言う記事が掲載されている。
以前、新潟を襲った「中越地震」や12年前の「阪神淡路大震災」などでは、高齢者の孤独死が問題になった。
その反省から、「仮設住宅であっても地域コミュニティーを作る」というコトに、配慮をした仮設住宅入居がされているようだ。

この「地域コミュニティー」と言う考えは、老親介護でも必要なのではないだろうか?と考えている。
と言うのも、昨年母が亡くなり、高齢の父がひとり田舎で生活をしていると言う状況が、我が家でもあるからだ。
一昔前なら、独身でもある娘(=私)が実家に戻り、父の面倒を看ると言うのが当たり前だっただろう。
実際、今でも周囲からは「実家に戻って、お父さんと生活をされたら?お父さんが、寂しがっていらっしゃるわよ」と、言われることもしばしばある。
しかし、私には私の生活と言うモノがあり、簡単に実家に戻ると言うことができない。
まず第一に、生活基盤である仕事をどうするのか?と言う問題がある。
「実家に戻ったら?」と言われる方は、私の仕事や生活基盤というコトよりも、「高齢の父がひとりで可哀想」と言う点でしか、みていないように感じるのだ。
「突然倒れて誰に見取られることもなく、孤独死を迎えたらどうするのだ!」と言う意見もある。
だからこそ、どうすれば高齢者の父がひとりで快適に生活をし、もし万が一のサポートを考えなくてはいけない、と常々考えている。

そこで考えついたのが、「地域コミュニティーの力」だった。
田舎と言うこともアリ、ご近所の付き合いはそれなりにある。
何よりも、町内の敬老会の人たちとは、毎日どこかのお宅で「お茶飲み会」が行われているようだ。
とにかく敬老会やご近所の方々とは、毎日のように父の姿を見てもらうコトが、万が一の時にプラスになると思い、ご近所付き合いのキッカケ作りが必要と考えたのが、毎月お菓子や旬の果物などを送ることだった。
もちろん、母の月命日のお供えを送るという目的もある。
その効果と言うわけではないのだが、お盆で実家に帰ったときご近所の方々からは「お父さん、元気ですよ」とか「心配されることありませんよ」と言う言葉とともに、普段の様子を知ることができた。

「遠くの親戚より近所の知り合い」とは、正にこのことなのだ。
ところが周囲に聞くと、このような発想は女性にはあるようなのだが男性からは余り聞かれない。
男性の場合「身内で問題解決」と言う思考が、強いような気がする。
それには「迷惑をかける」と言うことがあるようなのだが、「迷惑をかける」と言うのは、それこそ死後何日も経ってから孤独死として発見されることなのではないだろうか?
地域のコミュニティーでの生活は、生活価値観の違う子供やお嫁さんとの生活よりも快適なのではないだろうか?
言い訳かも知れないが、もっと地域のコミュニティーの力を信じ、上手に使うコトを考えることも「老親介護」としては、必要なのではないだろうか?




読書の秋-「独身手当」-

2007-08-25 21:23:56 | 徒然
先日の明け方の雨から、大分秋らしさを感じるようになってきた。
残暑が厳しい(厳しすぎるのだが)とはいえ、朝夕は大分涼しくなったように感じるし、蝉の声から鈴虫などの「虫のこえ」が夜には聞かれるようになってきた。
昼間見上げる空も、夏雲から秋空へとゆっくりとではあるが、変わりつつある。

昼間の暑さを逃れて涼しいトコロへと移動を図るのだが、そのときの「お供」はやはり本だろう。
最近話題になっている「独身手当」 を早速購入し、読んでみた。
詳細については、実際に読んで頂くとして「羨ましいぞ!国家公務員・地方公務員」と言うのが、民間企業に勤める人間の言い分だろう。
私なんぞは、「この本のタイトルになっている「独身手当」なるモノが民間にあるとすれば、真っ先に支給されたであろう・・・(爆)」などと、思ってしまった。

この本を読み進めていくうちに分かってきたことは、「平等」と言うことだ。
いわゆる「出世コースに乗った人」と「それ以外の人」との賃金格差を「手当」で補い、「給与面での平等化を計っている」と言うのが、公務員の給与支給の基本的な考えなのだろう。
問題は、そのような発想が民間では通用しないと言うことと、結果民間企業と大きな賃金格差が生じていると言うことになるのだろう。
しかし、その「格差」も「民間VS公務員」と言う図式から、「民間VS地方公務員VS霞ヶ関公務員」になってきているらしい。
「霞ヶ関公務員=キャリア官僚」よりも、オイシイのが「特殊法人」と呼ばれる、「官公庁の関連団体・企業=キャリア官僚の天下り先」と言うことのようだ。

この本を読んでもう一つ感じたことは、「平等を求めすぎると、発想力・想像力が低下する」というコト。
例えば、今問題になっている「医療費」。
削減を図るためにお役人さん達が考えたのは、「一番医療費がかかっている、介護老人病床を減らす」ことだった。
本当の医療費増大の理由を分析するよりも先に、「とりあえず目に見えるモノ・コトから手っ取り早く」的発想のような気がなんとなくしてしまうのだ。
もちろん、イロイロなデータから分析をしているとは思うが、本当の現場に行って必要なモノ・コト(=医療サービス)を見てきていない、頭デッカチな印象を受けてしまうのだ。
今の「何でも平等」的学校教育の弊害と、共通しているのかも知れない。

そういえば・・・公務員さんの間に起きる「格差」は「机(=キャリア)>現場」らしく、そこには「ガラスの天井」以上の「壁や天井」が存在するようだ。
そんな狭いトコロにいるから、発想も創造性も低下して当然か?




基本が大事-佐賀北ナインから学ぶコト-

2007-08-25 00:17:01 | アラカルト
夏の甲子園を制した、佐賀北ナインの話題が尽きない。
それはこの春問題(?)となった、強豪校と呼ばれる私立高校の特待生よりも、印象に残る試合をしたからかも知れない。
ナイター設備などがない公立高校でありながら、試合を重ねるごとに力をつけ、最後は劇的なカタチで優勝をしたのだから、当然と言えば当然なのかも知れない。

その佐賀北野球部が強くなった理由の一つとして上げられることが、「基礎体力の強化」だろう。
強豪校に進んだ選手たちよりも、高い技術などがあるわけではない。
それでも「ここ一番」と言う場面で力を発揮できたのは、それまでの走りこみなどによる基礎的体力強化があったからだといわれている。
当たり前と言えば、当たり前だろう。
でも、最近目立つのは「技巧的」なコトのような気がするのだ。
野球だけに限らず、サッカーなども「技巧派」と呼ばれる選手のほうが、何かと話題になり、スポットライトを浴びるような傾向があるようだが、本当は「基礎がしっかりあるから、技術的レベルも上がる」と言うことなのではないだろうか?
「炎天下の甲子園で試合をする=技術以上に体力が必要」と言うことなのかも知れない。
メディア的には、面白くもないし、話題作りにもならないとは思うが・・・。

それではビジネスにおいては、どうなのだろう?
「ビジネスの基本」と言うことだ。
個人的には、「あいさつ」ということになるような気がする。
と言うのも、しばらく前から電話応対で「あいさつ」が減ってきたように感じるからだ。
私が社会に出たばかりの頃、朝10時くらいまでの電話応対では「おはようございます」と言ってから企業名・部署名・自分を名乗りなさい、と研修などで教わったような記憶がある(し、今でもこの通りの電話応対をしている)。
その時間帯が終われば、「いつもお世話になっております」と言う「あいさつ」が必要だった。
ところが最近では、「あいさつ」ナシでいきなり企業名や自分を名乗る人が、多くなってきたように感じるのだ。
「効率」と言う点から考えれば、「あいさつ」の時間はムダなのかも知れない。
しかし、コミュニケーションと言う視点では、必要不可欠だと思うのだ。
それだけではない。
「ありがとう」と言う言葉も、随分と聞かれなくなってきたような気がする。
もちろん、買い物をすれば店員さんが「ありがとうございました」と、あいさつをする。
では買い物をした方から「ありがとう」と言っているだろうか?と言うことなのだ。
外で食事をしたとき「ごちそうさま」と言っているだろうか?
それとは逆に「ありがとう」や「ごちそうさま」と言ってもらえるような、サービス(接客など)がされているだろうか?

佐賀北ナインの活躍の清々しさが基本の上に成り立っているとすれば、ビジネスの心地よさも基本の上に成り立つのではないだろうか?
そんなことを感じ、考えさせられた今回の甲子園だった。

今年の秋は・・・-ニュースを読み解く力-

2007-08-23 21:29:55 | アラカルト
今日は、久々に涼しい1日となった。
と言っても、今朝の4時過ぎまではムシムシと蒸し暑い夜だった。
5時頃雷とともに大粒の雨が降り出し、一気に気温が下がった。
それで涼しい1日となったのだが、今月はとにかく暑い毎日が続いている。
そして、今日3ヶ月予想が気象庁から発表された。

ところがこの「3ヶ月予想」、新聞によって大分書き方が違う。
違うだけではない。
読み方によっては「まったく違う予想」になってしまうほど、違い印象を与える内容となっている。
一番顕著なのは、朝日新聞の9月は残暑続かず、冬の訪れ早い 気象庁の3カ月予報と、讀賣新聞の「ラニーニャ現象」継続、9月の残暑厳しく…3か月予報だろう。
見出しだけを読むと、正反対の予想を気象庁が出していることになる。
内容を詳しく読むと「①9月は短期的に天気が変わる②ラニーニャ現象の年は、厳冬になる可能性が高い」と言うコトなのだ。
それが、見出しとなるとここまで違った印象を受けてしまうのだ。

「表現のプロ」である新聞社でも、これほど「伝える」コトが難しいのだ。
企業の広報だけではなく、プレゼンテーションなど「伝えるコト」が多い。
ニュースを読み解く力は、「伝える力」をつける一歩かもしれない。

そういえば・・・夏の予想は「酷暑⇒冷夏~平年並み」と言う修正がされたが、現実は「平年並み~酷暑(と言うか「殺暑」のほうが、正しいか?)」だったよう感じるのだが、いずれにしても「予想」と言うのは難しいと言うことだ。

スポーツ!スポーツ!!スポーツ

2007-08-22 20:52:50 | スポーツ
今日は、1日中スポーツの話題で持ちきりだ。
まず、甲子園では高校野球の決勝戦。
この夏の高校野球は、目立つ選手は余り見かけなかったように思うのだが、反面プロ顔負け!と言うプレーや逆転につぐ逆転や延長戦、劇的なホームランなどが数多くあったように思う。
それだけ高校野球のレベルが向上したのかも知れないし、これまでのような「話題優先・規定路線ヒーロー」が生まれにくくなってきているのかも知れない。
と言うのも、今回優勝した佐賀北など開幕前には話題になっていなかったように思うのだ。
そんなチームが優勝すると言うのは、どこか心地よい面白さを感じる。

そして、夜にはサッカーの試合が2試合ある。
A代表は、カメルーンと大分で。
北京オリンピック出場を目指すU-22は、日本サッカーの聖地・国立競技場でベトナムと対戦する(している)。
A代表の対戦相手・カメルーンと言えば、旧中津江村を思い出すサッカーファンも少なくはないだろう。
そして、地元開催と言うこともあり旧中津江村からは500人を越す大応援団を送り込み、カメルーン代表を応援すると言うことだ。
5年前の日韓W杯で、キャンプ地に選ばれたことをキッカケに中津江村とカメルーン(サッカー協会)とは、今でも様々な交流があるのだろう。
当時、様々な自治体がキャンプ地の候補として名乗りをあげ、参加国の多くが日本国内でキャンプを張った。
開催前の短期的なキャンプから開催期間中という長期間のキャンプまであったはずなのだが、今でも旧中津江村のように交流を続けている自治体はどれだけあるのだろう?
中津江村では、当時の村長さんだけではなく村民総てがカメルーンの公用語であるフランス語を勉強し、一生懸命に歓迎したという。
その高いホスピタリティーが、今でも深い交流の原点となっているのではないだろうか?
ただ・・・「大人の事情」があったとは思うのだが、何故A代表の国歌斉唱がタレントの山田優さんなのだろう?
あの調子っぱずれな、国歌斉唱で私などは思わずチャンネルを変えてしまったほどだ。
「国歌斉唱」をする人選だけは、いただけないコトが多い。
U-22のほうは、北京オリンピック出場をかけた試合ということもアリ、秋川雅史さんが歌われるようなのだが・・・。

もう一つ、「朝青龍問題」にも触れておきたい。
と言うのも、問題の本質がズレ始めているように感じるからだ。
元々この問題は「疲労骨折」などを理由に夏巡業参加を断ったのに、母国・モンゴルでサッカーに興じていた。と言うことだったはずだ。
プロスポーツの世界で「骨折」をした選手を、所属するチームなり団体が入院もさせず、そのままにしておくと言うことがあるのだろうか?
その点から考えれば、相撲協会や高砂部屋の対応に疑問を感じる。
そして「「骨折」と言いながら、サッカー(モンゴルと言うのは問題ではない)に興じた」と言うことに対しての制裁だったはずなのに、いつのまにか病名や治療、果ては(力士のサイドビジネスは、問題だとは思うが)朝青龍のモンゴルでのビジネスばかりが話題になってしまっている。
これでは問題のすり替えと言うか、問題の本質を見失っているのではないだろうか?
このような「問題のすり替え」や「本質を見失う」と言うことは、企業においても起きることだ。
何らかのトラブル・問題が発生したときこそ、その「本質」を見極め、問題解決に全力を尽くす必要があるのにも関わらず、枝葉末節のことばかり気にして場当たり的な対処をすることの危険性を、今回の「朝青龍問題」から学ぶ必要があるように思う。


時代を創った人-山口小夜子さん-

2007-08-20 21:34:47 | アラカルト
今日の新聞各紙の「おくやみ」の欄に、山口小夜子さんの訃報が、掲載されている。
山口小夜子さんといっても、「誰?」と思われる方も少なくないのだが、70年代後半~80年代初めにかけて、一つの美の基準を創ったと言っても過言ではないほどのモデルさんだった。

彼女が世界にデビューしたのは、ニューヨークコレクションだったと思うのだが、この時の「おかっぱの黒髪に、切れ長の目」がセンセーショナルな話題となったのだ。
それまでの「ブロンドに大きな目」と言うバービー人形のようなモデルが、モデルのスタンダードだっただけに、市松人形のようなヘアスタイルに切れ長の目、プロポーションもバービー人形とはかけ離れた平板な体つきは、それまでのモデル像では理解できないような衝撃であり、それが「ジャパンビューティー」と呼ばれる一つの基準になったのではないだろうか?
その衝撃は、ファッションと言う枠には収まらずスティーリーダンの「彩(aija)」のジャケットを飾り、ロックと言う音楽の世界でも「日本の神秘美」として注目を浴びることとなったのだ。。
その意味で、ロックアルバムのジャケットを飾った初めての日本人女性でもあるのだ。

他にも、80年代初めのアメリカの服飾専門百貨店などのメインディスプレーには、山口小夜古風のマネキンが頻繁に使われていた。
もちろん、デビューはニューヨークコレクションだったが、直後にはパリコレクションに参加し始めていたKENZOのコレクションのメインモデル・ミューズとして登場し、ヨーロッパでも彼女の存在は一気に注目されるようになるのである。

ただ彼女の凄いトコロは、「日本人」と言うことを強調するのではなく「山口小夜子」と言う自分のキャラクター・存在感でそのトップの座を勝ち取ったことだろう。
現在パリコレなどで活躍する日本人モデルが、増えてきた。
しかし、彼女たちは山口小夜子風ではない。
それぞれが、自分のキャラクターを発揮し、厳しいオーディションで選ばれた人たちなのだ。
その道を切り開いたと言う意味で、山口小夜子さんの力は強く、大きいと感じるのだ。

ここ10年余り目立った活躍がなかった山口小夜子さんだが、その功績は「ジャパンビューティー」と言う美の枠だけではなく、「日本の美=神秘美」と言う衝撃を世界に与えた女性の死は、一つの時代の終わりのような気がする。