讀賣新聞の「大手小町」と言う、読者欄がある。
時々読んでみると、「へ~」とか「おや!?」と思うことがある。
自分の常識が案外、好き嫌いから発生していると言うことを教えられたり、他人のモノの見方に意外性を感じたりするのだ。
今回は、「おしぼりで顔を拭きたい」と言う男性。
いつの頃からか「おしぼりで顔を拭く=オヤジくさい」と言う、イメージがついてしまった。
それがいつのまにか「恥ずかしい行為」と、見られるようになってしまった。
この男性の問いかけに、女性読者は意外なほど寛容だ。
確かに、誰かに迷惑をかける行為ではない。
食事の席などで同席者が「ポン」と、ナイロンのおしぼり袋を破り、「アァァァ~」と言いながら顔を拭くと言うのは、見栄えの良し悪しという点で「・・・」と言う女性は多いかも知れない。
だからといって、その行為そのものに対してそれほど批判的にはなれない、と言う感じなのだろ。
この「おしぼりで顔を拭く=オヤジくさい」と言うイメージの中心、「オヤジくさい」とということについて、もう少し分析(?)する必要がありそうだ。
(ありえないことではあるが)「もし、キムタク(ヨン様でも可)がおしぼりで顔を拭いたら?」と言う条件設定がされたとき、「見たくないけど、まぁ許せる」と言うコトになるかも知れない。
ところが「脂ぎったメタボ体型の(エッチそうな)オジサン」となると、一応に「ヤメテ!」となるのではないだろうか?
とすれば、「おしぼりで顔を拭く」と言う行為以前に、その行動をする人に対する「好き嫌い」で、行為そのものを否定してしまっているとも考えられる。
案外行為よりも先にその行為をする人の好き嫌いで、その行為そのものを否定すると言うことがあるのかも知れない。
「おしぼりで顔を拭くのはOKでも、首より下はOUT」と言うのは、人前で露出して欲しくないところだからだろう。
それは、女性が電車でお化粧をすることに、嫌悪感を感じるのと同じだと思われる。
男性のみなさん、これから「使い捨ての紙製おしぼり」を「アァァァ~暑い」と言いながら「さわやかに顔を拭く」と、周囲の女性も怪訝な顔をしないかも知れません。
もちろん、TPOをわきまえての事ですが・・・。
時々読んでみると、「へ~」とか「おや!?」と思うことがある。
自分の常識が案外、好き嫌いから発生していると言うことを教えられたり、他人のモノの見方に意外性を感じたりするのだ。
今回は、「おしぼりで顔を拭きたい」と言う男性。
いつの頃からか「おしぼりで顔を拭く=オヤジくさい」と言う、イメージがついてしまった。
それがいつのまにか「恥ずかしい行為」と、見られるようになってしまった。
この男性の問いかけに、女性読者は意外なほど寛容だ。
確かに、誰かに迷惑をかける行為ではない。
食事の席などで同席者が「ポン」と、ナイロンのおしぼり袋を破り、「アァァァ~」と言いながら顔を拭くと言うのは、見栄えの良し悪しという点で「・・・」と言う女性は多いかも知れない。
だからといって、その行為そのものに対してそれほど批判的にはなれない、と言う感じなのだろ。
この「おしぼりで顔を拭く=オヤジくさい」と言うイメージの中心、「オヤジくさい」とということについて、もう少し分析(?)する必要がありそうだ。
(ありえないことではあるが)「もし、キムタク(ヨン様でも可)がおしぼりで顔を拭いたら?」と言う条件設定がされたとき、「見たくないけど、まぁ許せる」と言うコトになるかも知れない。
ところが「脂ぎったメタボ体型の(エッチそうな)オジサン」となると、一応に「ヤメテ!」となるのではないだろうか?
とすれば、「おしぼりで顔を拭く」と言う行為以前に、その行動をする人に対する「好き嫌い」で、行為そのものを否定してしまっているとも考えられる。
案外行為よりも先にその行為をする人の好き嫌いで、その行為そのものを否定すると言うことがあるのかも知れない。
「おしぼりで顔を拭くのはOKでも、首より下はOUT」と言うのは、人前で露出して欲しくないところだからだろう。
それは、女性が電車でお化粧をすることに、嫌悪感を感じるのと同じだと思われる。
男性のみなさん、これから「使い捨ての紙製おしぼり」を「アァァァ~暑い」と言いながら「さわやかに顔を拭く」と、周囲の女性も怪訝な顔をしないかも知れません。
もちろん、TPOをわきまえての事ですが・・・。