日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

電子申請とIT化-事業のムダを産む理由?-

2009-11-30 14:26:01 | アラカルト
朝日新聞のWEBサイトに、電子申請、19府県で休止・縮小 財政難が背景にと言う記事が掲載されていた。

「事業仕分け」で話題になった「スーパーコンピューター」の開発とは関係ないとは思うのだが、本来「電子申請」の実施・推進と言うのは「業務の効率化・コスト軽減」だったのではないだろうか。
ところが、多くの自治体では「業務の非効率化・コスト増」と言うコトになっていたようだ。

それも、1件あたりの費用が自治体で大きく違うコトも気になる。
最安値の愛知(67円)と最高額の沖縄(9万14863円)とでは、実に1360倍以上の差がある。
もちろん、申請件数に対する維持費などを含めた費用によって、大きく変わるものではあるし、申請される内容も特定申請者のリピート率が高い内容が多いだけでも、その数字は大きく変わるだろう。
だが、それにしても差がありすぎるような気がする。

確定申告の季節になると、いつも思うコトがある。
それは申告会場で勧められる「e-Tax」だ。
確かに、PCと申請用のカードとカードリーダーがあれば、24時間いつでも申請できて、便利だと言うのは分る。
しかし、年に1回しか使わない申請カードを取得し、カードリーダーを購入する「時間・労力・費用」を考えると、申告内容を自宅でまとめ、申請会場でやってしまった方がはるかに「時間・労力・費用」が少ないのだ。

とにかく、政府が考えたIT申請事業と言うのは、ユーザー側から見ると事前に用意するものが多く、そのための費用がかかりすぎるのだ。
それに対して、利用頻度が極端に少ない。
少ないだけではなく、汎用性も低いのも問題だろう。
例えば、パスポートを申請する場合、本籍地が遠方であれば、申請に必要な戸籍謄本(もしくは戸籍抄本)を郵便で申請する方法がある。
その際、身分証明書のコピー添付が当然のコトながら必要だ。
それだけではなく、現住所の住民票は市内の役所で取ることになる。
パスポート申請をするために、必要な書類を揃えるための申請が必要と言う感じなのだ。
もし行政の電子申請と言うのであれば、パスポート申請は別にしても、戸籍謄本(または戸籍抄本)と住民票の取得申請が一つの窓口で、できないものだろうか?と、思うのだ。
ところが、肝心なそのようなシステムは構築されておらず、利用者側としては自分たちとは余り関係のないコトだけが電子申請化されているだけに終わってしまっているように感じるのだ。

何となく感じることなのだが、「電子申請による申請の簡便化」と言う考えと、システム構築は重要だと思うし、必要なことだと思う。
だが、「利用者」を置き去りにしたシステム構築では、意味がないだけではなくムダな事業となるだけと言う典型と言う気がするのだ。


都市景観と都市計画

2009-11-29 22:16:50 | 徒然
今日、友人と一緒に日泰寺近くにある「揚輝荘」(ようきそう)の紅葉を見に出かけてきた。

日泰寺と言うのは、日本唯一の無宗派のお寺で、名古屋の著名人や経済界の方が亡くなった時などは、このお寺で葬儀が行われるほど名古屋では有名で大きなのお寺だ。
そしてその近くにある「揚輝荘」というのは、松坂屋の創業者伊藤次郎左衛門の別邸だ。
中には、かつて川上貞奴が暮らしていた、と言う建物も移築され、見る事ができる。
それだけではなく戦前の一時期、インドやタイからの留学生会館として使われていたコトもあったようだ。
その面影として、建物の壁画にはインドからの留学生が描いたインドの神様が残されている(今回は、見る事ができなかった)。
現在は、名古屋市に寄贈され市民の憩いの場となっていて、今日は「紅葉を楽しむ会」が会った。
「錦秋」というほどではないが、街中にこんなオアシスがあったの?と思うほど、クラシカルな建物とお庭に癒される時間を頂いた。

しかしこの「揚輝荘」、建築当時に比べると敷地が大幅に減ってしまっている。
日泰寺側はともかく、それ以外の三方はマンションに囲まれ、中には、折角の庭を分断するようにマンションが建っている。
建てられたマンションは、この「揚輝荘」周辺の緑や古くからのお屋敷町の雰囲気を、一つの売りとしていたのだろうな~というコトは、よく分る。
よく分るし、そのような所のマンションを購入したい!と言う、購入者側の気持ちも分らないわけではない。
この土地を、切り売りした方(松坂屋の所有ではなかった?)にも、それなりの事情があったと思う。

ただ、今もし昔のままの姿で見られたら、どんなに素晴らしい風景が見られたのだろう?と思うと、とても残念な気がするのだ。
周囲からの騒音も聞こえず、ただただ周囲の自然と凝った造りの庭、明治~大正にかけて贅を尽くして建てられた、今では見る事ができない建築物・・・。

高度成長~現在に至るまで、多くの都市は「新しいコト」に対しての価値評価はしても、「古いモノ」にたいしての価値評価をしてこなかったように思う。
それが、今のつぎはぎだらけの「まち作り」になってしまったのでは、ないだろうか?

そんなことを、マンションの裏道となってしまった、「揚輝荘」の庭を歩きながら感じたのだった。



身近にあった「補助金事業」-J-Start-

2009-11-28 14:50:18 | 徒然
昨日、1日仕事を休んで病院に行ってきた。
と言っても、今懸念されている「新型インフルエンザ」に罹ったというわけではない。
実は「乳がん検診」に行ってきたのだ。

女性の40~60歳までのがん患者で一番多いのが、実は乳がんだと言う統計がある。
だからこそ、早期発見ができる乳がん検診は、とても重要と言うコトになる。
しかし、理解はしていても「仕事や家事で忙しい」という理由で、受診されない人が多いのではないだろうか?
今回初めて受診をして、「忙しい」を理由に受診しないのは、理由にならない!と、実感した(乳がんが発見されたわけでは、ありません)。

受診しているとき、「J-Startプログラムに参加しませんか?」と、担当医から勧められた(サイトを開くと、音声が流れるので注意)。
対象となるのは40代の女性(私の場合は、ギリギリセーフ)。
過去乳がんになった事が無い、授乳中ではない、豊胸手術をしていないなど、いくつかの条件をクリアしていれば、プログラムに参加できる。
このプログラムの目的は、現在一般的になっている「マンモグラフィー」だけの検査では、見落としてしまう可能性のある乳がんを見つけるため「エコー検査の併用効果」を検証するためのモノだという。

この「J-Start」を実施しているのは、NPO法人「日本臨床研究支援ユニット(J-CRSU)」と言うトコロ。
案内文には「厚生労働科学研究費補助金(第3次対がん総合戦略研究事業)」とある。
確かに、このような実験調査を実施するためには、多くのサンプルが必要となる。
それだけではなく、その費用も膨大になるはずだ。
だからこそ、補助金が必要となる、と言うコトも十分理解できる。

そして、先日のノーベル賞受賞科学者の皆さんたちの言いたかったことは、こんなことだったのでは?と、思ったのだ。
スーパーコンピューターを作るのが目的ではなく、スーパーコンピューターを使って、科学技術を(飛躍的に)伸ばしていきたい、と言う思いがあったのではないだろうか?

今回の行政刷新会議「事業仕分け」の目的は、単なる予算の削減ではなく「何を目的としているのか?」というコトを、補助金を受ける側に対して明確にさせ、意識付けた上で「本当に必要なのか・否か」と言うコトを問いただすキッカケだったのではないだろうか?

盛んな議論をすれば良いのでは?

2009-11-26 12:30:40 | アラカルト
今週、行政刷新会議の「事業仕分け」の2nd.ラウンドが始まった。
1st.ラウンドでは、「仕分け人」の活躍が目を引いたが、今回は官僚も負けてはいないようだ。
その中で、昨夜「スーパーコンピューター開発費削減」に待ったをかけるため、錚々たるノーベル賞受賞者が集まり、緊急声明を発表した(紹介記事は毎日新聞)。

一部メディアなどは、あえて「仕分け人VSノーベル賞受賞科学者」と言う構図を描きたがっているように思える。
一種の対立構造を作ることで、興味を引きやすいというコトだと思うのだが、チョッと安直な気がしないわけではない。
ただ、個人的には、こういう議論はもっと積極的に展開された方が良いのでは?と、考えている。
と言うのも、ノーベル賞を受賞した科学者の皆さんたちが、本当に求めている費用内容が見えてくるからだ。

昨夜の緊急声明の記事を読んでみても、科学者の皆さんは「ハコモノを作ってくれ」と言っているわけではない。
『科学技術立国』である日本が、これから先も世界をリードするために予算を削らないでくれ!と言っているわけであって、スーパーコンピューターの開発費用を単純に減らす事だけに反対しているわけではないように思えるからだ。
もちろん、スーパーコンピューターの開発の遅れが日本のIT産業に与える影響が、どれほどなのか、門外漢の私にはわかりかねるのだが、むしろ『科学技術立国・日本』をどう考えているのか?と言う点を問われているように感じた。

もう一つ考えなくてはいけないのは、ノーベル賞を受賞できるような人材の育成と言うことだろう。
ここ2、3年問題になっている、「経済格差と教育格差」の問題だ。
経済的理由で進学を断念する子供たちの中には、将来のノーベル賞受賞者がいるかも知れないのだ。
ノーベル賞だけではなく、様々な分野で活躍できる可能性を持った子供たちの存在を忘れてはいけないだろう。
例え、世界1位のスーパーコンピューターの開発が今できたとしても、その後に続く科学技術が継続されなくては、意味がない。
その点を、ノーベル賞受賞者の人たちは言っているのではないだろうか?

今回の「事業仕分け」は、様々な論議を呼んでいる。
そして、自分たちの生活とは関係のないようなコトであっても、多くの生活者は注目をしている。
そのような中から、「今必要なコト。将来の日本に必要なコト」を、イロイロな人が考えるコトが、政府の国家戦略となっていくのではないだろうか?

原点に戻るコンビニ?

2009-11-25 21:09:35 | CMウォッチ
今週になって、「オヤ!」と思ったテレビCMがある。
ファミリーマートの「お帰りなさい」と言う一連のテレビCMだ。
その中でも、特に仕事帰りにコンビニ(=ファミリーマート)に寄って、できたてのコロッケなどのお惣菜を買い、夕飯の食卓に並べると言う内容のテレビCMに、「オヤ!」と思ったのだ。(訂正:エントリ後、偶然このテレビCMを見ましたら、ファミリーマートではなく、セブンイレブンでした。申し訳ございません)

コンビニができ始めた頃、盛んに言われてことがある。
それは、「コンビニが、冷蔵庫の代わりになる」というコトだった。
マーケティングを学んでいる方なら、聞いた事がある話だと思う。
コンビニの登場により、必要な食べ物を必要なだけ自分の都合に合わせて、買う事ができる。
その事で、冷蔵庫で野菜やお惣菜などを保存する必要が無くなる、と言うのがその理由だった。
事実、若い独身者にとってスーパーで家族向けサイズ・量のお惣菜を買うよりも、若干割高であっても、遅くなった仕事帰りに、自分の食べたい分だけのモノが買えるというコトで、都市部では冷蔵庫を持たない若い独身者も当たり前のようにいた。
もっとも、ビールのおつまみになるようなお惣菜とお弁当が、主な買い物となっていたようだ。

そのような状況だったのが、今から20年近く前のコトだったと思う。
その後、大手スーパーは営業時間を延長し、今では24時間営業と言うスーパーも登場してきた。
それだけではなく、お弁当などにも力を入れはじめている。
元々、お惣菜などを作るノウ・ハウがあるのだから、むしろスーパーのお弁当の方が、種類も多く、選べると言う点ではコンビニよりも、便利かも知れない。
もちろん、お惣菜なども少人数用・一人用の少量のモノや、少量のお惣菜を数種類集め、1パックとしたモノも、人気があるようだ。
その意味で、スーパーとコンビニとの差が無くなりつつある、といっても良いかも知れない。

その中で、今回ファミリーマートが打ち出した「お帰りなさい」というキャンペーンは、「作りたて・出来立て(のお惣菜)を必要なだけ、気軽に・便利に」というコトを打ち出している。
このテレビCMではないが、例えば中華まん1個をスーパーで買う事はできないが、コンビニであれば可能だ。
それも、スチーム器に入った熱々の中華まんを買う事ができる。
この季節なら、各社力を入れているおでんなども、そうだろう。

仕事で疲れて帰る人たちにとって、「必要な分(=少量)だけ、作りたて・出来立て・気軽に・便利に」というコトは、24時間営業のスーパーではできない点でもある。
その意味で、この一連のキャンペーンはコンビニの原点に戻ったテレビCMのように思えるのだ。





民間・元国営企業・公務員・・・恵まれているのは?

2009-11-24 21:18:18 | 徒然
夕方のニュースで、穴吹工務店の倒産が報じられていた(紹介記事は日経新聞)。
景気悪化に伴い、マンションの売上不振が要因というコトのようだ。
倒産までには至っていないが、厳しい経営を強いられている企業は、建設業だけではなくあらゆる業種に共通しているコトだろう。

一方、事実上の倒産状態にありながら倒産していない企業がある。
ご存知の通りJALだ。
昨日、現在年金を受給しているOBを集めての説明会が行われたようだが、どうやらOBの反発は、なかなかのもののようだ。

確かに、これまでの生活水準を大幅に下げることになるのだから、簡単に「そうですか。分りました」とは、言えないだろう。
だが、現実には倒産企業となっているのだから、その点だけは十分に理解して欲しいと思うのは、投入される税金を払っている納税者側の考えだろう。
むしろ、多くの生活者は「生活水準を下げる」と言うか「生活スケールを小さくして、生活をしている」というのが、現実なのではないだろうか?
それは年金生活者だけではなく、現役世代であっても同じだろう。
事実、先日「いい夫婦」の日に発表された夫婦のお小遣い調査では、夫・妻ともに減っていた。
様々な事情があるとは思うのだが、やはり恵まれているのでは?と、感じている人も多いのではないだろうか?

そして、もう一つ気になる話題があった。
それは、来年1月に廃止が決まっている、「社会保険庁職員」の再就職先のコトだ。
多くの社会保険庁職員は、この1月に発足する「日本年金機構」へ移る予定となっている。
しかし、分限免職となった職員については採用しない方針になっていた。
「分限免職」と聞いても、よく分らない気がするのだが、なんと言うことはない民間企業でいえば「職務不適格者」と判断された人たちのコトだ。
それが、今だ再就職先が見つからないその人たちを、年金機構などで臨時職員として雇用する(して欲しい)と言う。
このニュースを聞いたとき、「公務員と言う人たちは恵まれているな~」、と感じたのは私だけではなかったはずだ。

民間企業であれば、事業再編で真っ先にリストラの対象となり、「再就職は、自力でお願いします」と言われオシマイ、と言うのが当たり前だろう。
いくら労働組合が、頑張ったとしても「能力的に、職務に適さない人を雇えるほど、企業体力は無い」の一言で終わってしまう話だ。
今日、倒産をした穴吹工務店の社員さんたちからすると、「信じられない!」と言う気持ちなのではないだろうか?

そうやって考えると、やはり国に近づくだけ待遇などは恵まれている・・・と言うコトになるような気がする。
それで「生活者を意識した」政策も事業戦略も、無理と言う話だ。

連休の高速道路渋滞に思う

2009-11-23 22:28:28 | 徒然
今日が今年最後の、3連休最終日となった。
昨年は、友人と一緒に京都へ紅葉を見に在来線で出かけたのだが、行く先々で人が多かった。
唯一人が少なかったところは「霊鑑寺」くらいだった。

そして今年、高速道路1,000円が実施されたこともあり、各地の高速道路では大渋滞となったようだ。
これでは運転をするお父さんは、疲労を抱えたまま、明日からまた仕事に励むと言う状況なのでは?と、テレビのニュースを見ながら思ってしまった。

連休になるたびに、映し出される高速道路の大渋滞の映像を見ながら、時々思ってしまうことがある。
それは、休日どうしても出かけなくてはいけないのだろうか?というコトだ。
「連休=クルマでチョッと遠出=家族サービス=お父さんの役割」というコトなのだろうか?
個人的には、年に何度かある3連休のうち1回くらいは、電車で出かけても良いのではないだろうか?

確かに、一家揃っての遠出となるとクルマで出掛けたほうが、経済的には安価だと思う。
その分、遠出できる機会も増える、と言うのも分る。
だが、その「クルマでお出掛け」では身に付けなくてはいけないコトを、忘れてしまっているように感じるコトがある。
それは「公共性」というコトだ。
「公共性」というと大上段に構えた感じなのだが、決してそのようなコトではなく、例えば、騒いで、駆け回ってはいけない場所での過ごし方だとか、自分と家族以外の人たちとの接し方といった、ある種の「社会性」のようなコトだ。

ファーストフード店やファミレスなどで、大騒ぎをする子供たちの姿を見るたびに、親が叱らないだけではなく、自分と他人との関係と言う当たり前の事が分らないのでは?と言う気がすることがままとしてある。
「他人の目」の意識が無いというか・・・。
考えてみれば、クルマで移動すれば移動中どれだけ騒いでも、誰にも迷惑を掛けることはない。
しかし、電車で1,2時間移動するとなると、そういうわけにはいかない。
ワクワク楽しい気分を持ちながらも、静かにしなければ他の乗客に迷惑をかけてしまうからだ。

もっと、子供の頃から積極的に電車などで「社会性」を身に付けさせるコトも、大切だと言う気がするのだ。
そして、日ごろ仕事で疲れているお父さんにも、本当のお休みの日になるのでは?
クルマの運転では見落としてしまう、車窓の風景を見ながらイロイロな話をすると言うのも、電車での遠出の楽しみだと思うのだ。

何も新幹線に乗って、出かける必要はない。
各駅停車の遠出も、なかなか楽しいモノがある。

ネーミングの妙

2009-11-22 21:41:26 | マーケティング
今年最後の3連休。
紅葉狩りにお出かけをされた方も、多いのではないだろうか?
そして、遠出には「お土産」がつきものだが、そんなお土産のニューフェイスが話題になっていると、今日の讀賣新聞のWEBサイトにあった。
そのお土産が「タコぷりん」と言う、宮城のお土産だ。

「タコぷりん」と言っても、お菓子のプリンのようなカスタードのプリンに、タコが入っているのではない。
商品写真を見る限りプリンというよりも、キッシュのようなお菓子のようだ。
キッシュと言うのは、パイ生地の中に野菜やベーコンなどが入ったグラタンのような、お惣菜パイのコトだ。
フランス家庭料理として、人気のあるお料理でもある。
だいぶ前、キッシュ専門店がグルメ雑誌などに登場し、話題になったこともあったように記憶している。

このお菓子に似たお菓子が中国にもある。
名前は「蛋撻(タンター)」もしくは「鶏蛋撻(チータンター)」と呼ばれる、お菓子だ。
この名前を聞いて、どんなお菓子を思い浮かべるだろうか?
実は、この中国菓子の別名は「エッグタルト」。
「エッグタルト」と言われると、直ぐにどんなお菓子なのか思い出される方のほうが多いのではないだろうか?(男性は少ないかも知れないが・・・)。
私の場合、偶然中華街の点心専門店で初めて「エッグタルト」を食べた時、「蛋撻」という名前のお菓子として、紹介されたことと(発)音の面白さもあって覚えたが、今では「エッグタルト」の方が、一般的には知られている名前となっていると思う。

おそらく、このお土産を作った製菓会社もそれを考えたのでは?と、思ったのだ。
もしかしたら、キッシュと言うお惣菜パイを余り知らなかったのかも知れないが、それでも柔らかでフワフワした食感をイメージしやすいのは、キッシュではなくプリンのような気がする。
何よりも「タコ入りプリンって?」と、興味が湧く。
その意味で「ネーミングの妙」という気がするのだ。


高級品にもデフレ現象?

2009-11-21 20:59:12 | ビジネス
日経新聞のWEBサイトに、ブランド和牛値下がり、法人需要が不振 松阪牛7%、前沢牛20% と言う記事がUpされていた。 

昨日、政府が「デフレの状況にある」と発表したばかりだが、どうやらこのデフレ現象は高級品にも波及しているようだ。
この発表の前に、いわゆる高級海外ブランドであるティファニーが値下げを発表していた。
今回のティファニーの値下げは、昨年2月に続くモノだ。
ティファニーに限らず、海外の有名ブランドは苦戦を強いられ、値下げをするか日本撤退を進めている状況にある。
それだけ、日本の市場では厳しい状況にあると言うコトだろう(一方、一部の海外有名ブランドには「日本価格」と言う、やや割高な価格設定があるとも言われてはいたが・・・その是正とも考えられるかもしれないが)。

今度は、高級食材までデフレ状態になってきているようだ。
気になるのは「法人需要がなくなったため」と言うコトバだ。
バブルが崩壊してから、企業間の「お中元・お歳暮」などの贈答需要などは、既になくなっていると思っていたからだ。
と言っても、私の知っている範囲のコトなので、役員さん同士の間では慣例的に続いていたのかも知れないが・・・。

今回の政府のデフレ宣言で、「内需拡大」とか「緊急的雇用対策」と言われているが、それを求められているのは、政治というより経済界の問題なのではないだろうか?
バブルが崩壊してからも、高級食材を贈答用として法人需要としてあったとすれば、金額うんぬんというのではなく、何となく違和感を感じてしまうのだ。
政治に内需拡大のための政策を期待したとしても、最終的にそれを実行できるのは企業にあるのではないだろうか?
これまでの景気対策の中心が、安易な雇用対策となる道路などを造る公共事業になりやすかったのは、それも大きな理由のような気がするのだ。

昨年秋に起きた、いわゆる「リーマンショック」以前まで、散々言われていたはずの「生活実感のなかった、好景気」で、大企業の多くはそれなりに企業体力をつけていたはずだ。
にもかかわらず、生活者が好景気を実感できないまま低価格商品へと生活志向が流れていったコトを、日本経済を引っ張ってきたはずの大企業は、今一度考える必要があるのではないだろうか?
それだけ日本のデフレは、早い時期から始まっていたと考えるのだ。

もし「生活実感のない好景気」の頃、高級食材の法人需要があったと言うコトは、それはそれでやはりおかしな話だと感じるのだ。



ペットボトル入りワインはアリか?否か?

2009-11-19 21:00:33 | トレンド
今日が、ボジョレーヌーボーの解禁日だったようで・・・。
ワインと言うより、アルコール全般を殆ど口にしないので興味もさほどなかったのだが、今年のボジョレーヌーボーは、美味しさだけではなくイロイロな話題を提供しているようだ。

それが、「ペットボトル入り低価格ボジョレー」。
イオンやメルシャンなどが、1,000円を切るボジョレーを販売しているのだが、その価格を下げることが出来た理由が「ペットボトル」だったようだ。
通常のビン入りに比べ、当然のコトながら軽量化ができ、その分運送コスト+CO2削減が出来た、と胸を張るのは輸入元の企業各社だ。
当然のコトながら、今までの2/3~半額程度の価格で購入できると、ワイン好き(ボジョレーファン?)は、歓迎のようだ。

しかし、どうやら本国の生産者はさほど歓迎していないようだ。
今日の産経新聞のWEBサイトに、ヌーボーに冷や水?「ペットボトル入り禁止を」と生産地代表者と言う記事が掲載されていた。
生産者側の、「ビン入りでなくては、品質が維持できない」という主張も、わからないわけではない。
そしてペットボトルを採用した企業側の、「品質の劣化がないような容器を使っている」と言うのも、確かだろう。
何故なら、ワインは微妙な温度変化で、味が変わってしまうと言われているからだ。
ワイン好きの方などは、自宅にわざわざ「専用ワインセラー」の代わりになるような、「ワイン専用冷蔵庫」を持っている人も多いと聞く。
とすれば、この問題の本質的なトコロは「伝統と需要の掘り起こし」と言う、異次元の話によるモノかも知れない・・・と言う気がしている。

実際、お酒の量販店などに行くと紙パック入りの1lワインなどが堂々と売られているし、日本酒などもビン入りから紙パックまで様々な容器に入って売られている。
アルコール度数の高い焼酎などは、ペットボトルで売られている場合もある。
それだけ「手軽に買えるように」と言う、工夫の現れのような気がするのだ。

そして、今回のペットボトルを採用した背景には、一時のようなボジョレー熱が冷めたコトに対する、販売企業側の掘り起こし策だったように思えるのだ。
実際バブルの頃~10年ほどは、ボジョレー解禁にあわせ、ホテルなどで一種のお祭り騒ぎのような感じで、飲まれていた。
それが、厳しい経済状況とともに人が離れ、家飲みへと変化していく中での一つの策だったように思えるのだ。
事実、今日の夕方のテレビのニュースなどを見ていると、1,000円を切ったペットボトル入りボジョレーヌーボーを、2本・3本と買っていく人の姿が映しだされていた。
それが、今の日本のボジョレーの現実なのではないだろうか?

さてさて、今夜どれだけの人がボジョレーを開けているのだろうか?
私は、番茶を飲みながらこのエントリを書いているのだが・・・。