日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

いまどきの子育て事情

2008-05-31 21:23:51 | ライフスタイル
今日の讀賣新聞のWEBサイトに、手間よりエコ!「布おむつ」ママたちに広がると言う記事が掲載されている。

しばらく前から、女性の間で「布ナプキン」が話題になっている。
「布ナプキン」で検索をすると、様々な通販ショップが出てくる。
街中のオーガニックを扱う雑貨店などでも、普通に目にする事が多くなってきた。
ネットで検索した通販ショップでの、お客様レビューなどを読んでみて驚くのが、「子供が生まれたら『布おむつ』を使いたい」という、コメントが多いことだ。

「布おむつ」といっても、私の世代で使ったような「おむつ」ではない。
「布ナプキン」などを扱っているサイトをみてみると、実におしゃれだ。
一見すると、紙おむつと何ら変わらない。
問題なのは、その「手間」だろう。
それでも昔の「おむつ」に比べると、だいぶラクになってきたようだ。
讀賣新聞の見出しのように「エコVS手間」というところが、「使うか使わないか」の分かれ道なのかも知れない。

ただ問題なのは、子育てママがそれだけの「手間」をかけられないと言うことだろう。
「家では布おむつ、外では紙おむつ」と、使い分けている子育てワーキングママもいるのかもしれない。
そして、今の「布ナプキン」のように、外出先や勤務先でも手軽に替えられるような「防臭、つけおき洗いポーチ」が、売られるようになるのだろう。

最近、近所の「コミュニティーセンター(昔の公民館)」で行われている「育児教室」に集まる若いお母さんたちが、おしゃれだと感じるコトが多くなった。
彼女たちは、ネールをしてはいないし、雑誌に登場するような「セレブママ」のような格好をしているわけではない。
むしろ「子育ての今の時間を大切にしたい」という、雰囲気をもっているのだ。
色とりどりの「スリング(抱っこ布)」に子供を抱き入れ、ジーンズにTシャツやセーター、スニーカーと言うスタイルでも、「育児教室」という新米ママサークルの中で、様々な情報交換がされ、保健婦さんの力を借りて一生懸命子育てをしているその姿が、とても微笑ましく、素敵に見えるのだ。

それにしても、「スリング」という抱っこ布などは、ここ3、4年の間にお母さんたちの間で急速に使われるようになってきた。
他にも「スタイ」と呼ばれる「涎掛け」も、おしゃれに機能的なモノが多くなってきている。
新しく機能的で便利なモノ・コトを積極的に取り入れることで、子育てそのものが大きく変わっていくのかもしれない。
もちろん、男性と企業、社会の意識変化が一番重要だ、ということには変わりない。



お花を見に出かけませんか?

2008-05-31 14:27:07 | ライフスタイル
近くの公園に、大きく硬そうな葉の間から真っ白い大きな花が咲いている。
つぼみも大きいが、花はもっと大きい。
一体どんな名前の木なのか?と思って、いろいろ調べてみると「泰山木(あるいは大山木)」らしいと言う事が分かった。
雨降りの中、携帯で撮ったのであまり上手く取れていませんが・・・いかがでしょう?
「泰山木」

この他にもこの公園にはイロイロなお花を見ることができ、街中のチョッとしたオアシスと言う感じだ。
最近では、動物園や水族館などと共に、それぞれの地域で特色のある植物公園なども人気があるようだ。
何よりも、「無料」で入園できる植物公園が、アチラコチラに作られるようになってきたことだ。
もちろん、高い入園料を徴収する所もあるが、おおむねこの東海地方にある植物公園はリーズナブルなようだ。

今日は、雨降りの1日だったが、明日はお天気が良さそうである。
お弁当を持って、近くの公園や植物公園に出かけるのも良いのでは?



CMに騙されるな

2008-05-30 22:08:22 | CMウォッチ
過激なタイトルのようだが、決して過激な内容ではありませんのでご安心を。

この2週間ほどの間で、気になっているテレビCMがある。
それが、トヨタの「エコ替え」だ。
同様の内容のCMを、日産もやっている「のってカンガルー」だ。

この2つのCMは、どちらも「自動車の買い替え需要の掘り起こし」を狙っている内容のCMだ。
日産のCMは、「給油の度に、ガソリン代が気になる」という切り口でのCMとなっている。
これほどまでに、ガソリン代が値上がる前からオンエアされているCMで、最初見たとき「なかなか、生活者の気持ちを捉えているな~」と、思っていた。
変にタレントを使わないことで、ガソリン代という直接的な表現が、若干なりとも和らいでいる。
何よりも、このCMは「燃費の良いクルマに、試乗しませんか?」というアプローチとなっているため、「買い替え需要の掘り起こし」というニュアンスが薄らいでいる。

一方トヨタの「エコ替え」だが、「買い替え促進」見え見えのCMだ。
個人的に性質の悪さを感じるのは、「買い替え需要の掘り起こし」を「エコ」とすり替えてしまっていることだ。
確かに、トヨタは「プリウス」をはじめとする「ハイブリッド車」に重点を置きはじめているようだ。
だからといって「エコ」=環境問題を持ってくるのは、いかがなものか?

単に「CO2削減」というのであれば、もっと他のアプローチがあるだろう。
ましてCMでは、「まだ乗れるけど、エコのために買い換え」と、ハッキリ言っているのだ。
その前にやるべきことが、いっぱいあるのではないだろうか?
クルマという資源を、大切に使うということも一つのエコだと思うのだ。
もちろん、古い車の方が燃費が悪くCO2の排出量が多いのかもしれない。
だが、古い車でも燃費の良い運転の仕方があると思うのだ。
それだけではなく、このCMを見る限り古いクルマといっても、20年も前の車を対象にしているようには思えないのだ。
せいぜい10年以内というイメージが、どうしてもついてくる(あくまでも、私個人のイメージ)。

現在の自家用車を取り巻く環境は、プラスだとは言いがたい。
ガソリンの値上げをはじめ、環境問題などを考えれば、自動車の販売台数が伸び悩むのは、ある意味仕方のないコトかもしれない。
だからと言って「エコ」を持ち出して、「クルマの買い替え需要を掘り起こそう」と言うのは、今の生活者マインドとはかけ離れているように思うのだ。
だからこそ「CMに騙されるな!」と、言いたいのである。





プリントゴッゴと年賀状

2008-05-30 15:12:14 | ライフスタイル

日経新聞のWEBサイトを見ていたら「理想科学・プリントゴッゴ、出荷終了」と言う記事が掲載されている。

年賀状=「プリントゴッゴ」と言う一種の法則が、かつての日本の家庭にはあった。
今では、デジカメ、PCと家庭用プリンターが一般化したため、すっかりその姿を見ることがなくなったのだが、「プリントゴッゴ」の凄さ!と言うのは、「家庭で印刷ができる」という画期的なアイディアだった。

元々理想科学という企業は、企業向け印刷機を販売していた。
その印刷技術を、家庭向けにしたものが「プリントゴッゴ」だったのだ。
それまでの年賀状と言えば、スタンプや版画と言うのが主流で、絵心のない私などは、年賀状作りは、憂鬱なコトだった。
その問題点を一気に解決してくれたのが、「プリントゴッゴ」だったのである。

「プリントゴッゴ」によって、もう一つ変わったのは「年賀状作りを家族で楽しむ」という、提案があったことだ。
スタンプや版画などの制作となると、アレコレと家族で相談しながら年賀状を作ると言うわけにはいかない。
家族一人ひとりが、自分の年賀状を作ると言うことになるのが普通だった。
間違っても、「お父さんが印刷屋さんにお願いした年賀状を、娘が使う」と言うことは、ありえなかったのだ。
その理由は述べるまでもないだろう。
その様な「年賀状」を、家族で手作り、家族で使えるという提案が「プリントゴッゴ」にはあったのだ。

その「プリントゴッゴ」によって、年賀状そのものの意味も変わってきたように思うコトが多い。
と言うのも「写真プリント年賀状」というのが一般化するようになるのは、しばらく後で、まして子供の成長記録のような年賀状が、当たり前になるのは大分後になってからなのだ。
当然のことながら、デジカメ→PCレイアウト→家庭用プリンターが一般的になったのは、ここ数年なのではないだろうか?

その意味で「プリントゴッゴ」は、「日本の年賀状文化」を新しく発展させた道具だったように思うのだ。
その「プリントゴッゴ」が、出荷終了と言うニュースはどこか寂しさを感じる。
これもまた、時代の趨勢と言ってしまえばそれまでなのだが・・・。

 

 


政治指導力を発揮して欲しい・・・-クラスター爆弾全面廃止-

2008-05-29 15:01:29 | アラカルト
現在開かれている「オスロ・プロセス」
ここでは、クラスター爆弾の全面廃止に向けての話し合いが続けられている。

ご存知の方も多いだろうが、今世界に埋まっている地雷の多くはこのクラスター爆弾によるものだ。
目標物に当たれば、爆発し甚大な被害を及ぼす事ができ、目標物に当たらず地上に落下した場合には、地雷となり長期に渡り大規模な危険地帯を作ることができるという「兵器」である。
そのため、このクラスター爆弾からの地雷による被害者は増えることがあっても、減る事がないと言われる。
故ダイアナ妃は、積極的に地雷除去活動に参加されていたが、問題なのは今でもこの兵器が作られ、使われていると言う事だろう。

2、3年前から、この地雷の問題に対して積極的な欧州の年金基金運用会社などでは「クラスター爆弾を製造・兵器ビジネス関連企業への(資産運用のための)投資を止める」という、動きが活発になってきている。
それは「年金」と言う、「老後の生活を豊かにするための基金」を運用する会社が、多くの人に悲劇を与えるような企業に投資する事は、企業のあり方として問題だろう。と言う考えからだと言われている。

それに対して、日本の動きは遅い。
「米中の顔色を窺いながら」と言う感じだ。
だが、それでイイのだろうか?
日本は、世界で唯一「戦争放棄」を謳った憲法を持っている国なのだ。
「戦争をしない」という考えの中には、「戦争をさせない」と言うことを他の国に積極的に話しかけていくということが、含まれているのではないだろうか?
ならば、ここは支持を表明して、現在日本が保有している(のだろうか?)クラスター爆弾の廃棄処理を宣言すべきだと思う。
訳のわからないコトに、税金が使われるのなら大いに文句を言いたいところだが、このようなコトで税金を使うのであれば、それはそれで納得をする国民は多くいると思うのだ。

民衆の支持があってのこととはいえ、いつの世も、暴走するのは時の権力者。
その暴走理由も、自己益の追及とその権力を失いたくないと言う、くだらない理由。
武器を持たなくては、平和な生活ができないのではなく、武器を持たなくても平和な社会にする、という発想が今求められていると思うのだ。

洞爺湖サミットで、手一杯な福田さん。
ここは、政治指導力を発揮して「日本も全廃」と宣言して欲しい。
それでなくとも、福田さんの支持率低下の要因の一つには、福田さんの「なにもしない」コトなのだから。

 

高齢者と授産施設で地域活性化

2008-05-29 14:13:39 | ビジネス
通販のカタログを何気なく眺めていると、「布製わらじ」がここ2、3年売られるようになってきた。
もちろん、「布製わらじの作り方」という本も出ている。
このような「布製わらじ」は、昨今の健康ブームもありなかなかの人気のようだ。
それだけではなく、高齢者のビジネスともなっていると言う。
それはそうだろう、今時「本を見ないで、わらじが作れる」という人は、田舎の高齢者くらいだろう。

それを見ていて、中小のアパレル製造会社とジョイントで残布を使って「布製わらじ」を授産施設で作ると言うシステムはできないだろうか?と思ったのだ。
できれば、伝統の布を作るメーカーさんの参加協力があれば、地域全体の活性化にもつながるような気がするのだ。
それだけではなく、近隣に温泉宿泊施設などがあれば、館内でお客様持ち帰りができるような「布製わらじ」を提供すれば、よりビジネスとしては成功する可能性が高まるように考えられる。

もう一つ、しばらく前から「何故、一般商品化できないの?」と思っているモノがある。
それが「梨あめ」だ。
私の実家のある鳥取の名産品の一つに、「20世紀梨」がある。
実は「20世紀梨」の他にも「晩三吉」、「新興梨」などがある。
もっとも、「晩三吉」や「新興梨」などは、鳥取・島根だけではなく全国で生産されているようなのだが、一般的には広範囲で流通されていないようだ。
そのためなのか?、販売対象とならない規格外の梨を含め流通できない梨は、農家のおばあさん達が「梨あめ」(芯をくりぬき、すりおろしてに詰めて作る「梨エキス」)を作っている。
この「梨あめ」、漢方の世界では気管支などのトラブルに効果があるらしいのだ。
実際、気管支の弱い長兄は実家の父が、生産農家の方からいただいて作った「梨あめ」で、大分ラクになったと話をしていた。
その時「ネットでイイから、市販してくれれば・・・」と、残念がっていたのだ。

毎年のように襲う台風などで、出荷できない果物がある。
この梨のように、生産地域では昔から作られている規格外の果物を使った「隠れた名品」がある。
このような「名品」を、高齢者のリハビリ施設や授産施設などで作って、ネットなどで直接販売をすると言うことは考えられないだろうか?
障害者の支援策も、実質は医療・福祉費の削減目的であったということが判明した今、地域のモノを使って、広く売り出すようなシステムを作り、福祉施設そのものが高収益を得られるようなモノ・コトを開発していかなくてはならない。
そのためには「プレミアム」や「数量限定」などの付加価値も必要だろうし、何よりも大手企業がなかなか手を出すコトができない、「手作り」を大切にしたモノ・コトである事が大切だろう。
その意味で、地域伝統の「隠れた名品」は一つのアイディアだと思うのだ。


船場吉兆廃業に隠れた問題点を考える

2008-05-28 20:30:25 | アラカルト
賞味期限の改ざんや牛肉などの産地偽装で、一時期営業を休止していた船場吉兆だったのだが、相当の負債額を抱えての再スタートから、今月お客様が手をつけなかった食事の「使いまわし」が発覚した。
「使いまわし」をキッカケに、客足が落ち込み今日の廃業となった。
このような一連の事件と廃業にいたる経緯は、多くの方々が既にご存知の事だろう。
「何を今更」と、思われる事だろう。

比較的、このような「生活者=お客様の信頼を失う」ような事件に対して、反応してきた拙ブログだが、今回の廃業に追い込まれた直接的原因「使いまわし」については、エントリをしてこなかった。
それには、一つの理由があったからなのだ。

アクセスしてくださる方の中には、料亭と呼ばれるようなトコロで食事を楽しまれる方も、いらっしゃるのではないだろうか?
実は、先月父と(初めて)1泊2日の京都旅行に行った。
そのため、食事の場所としていくつかの料理店をピックアップしたのだが、どう考えても食事の量が多いのだ。
80歳近い父から、
「おいしい食事を楽しみたい」
「できれば、きれいに全部食べたい」
「食べたいのだが、コース料理では食べきれない」
と言うコトを言い始めたのだ。
これでは、折角楽しみにしている食事も、楽しめそうもない・・・ということになってしまったのだ。
結局、予約をした料理店で訳を話し対応をしてくれた女将さんが、「少量でもお食事が楽しめるように考えましょう」と言ってくださり、当日様々な配慮をしていただいたこともあり、父も私もとても楽しく食事をする事ができたのだ。

おそらく船場吉兆で出されたお料理も、いわゆる「コース」と呼ばれるお料理で、年齢や性別、もっと言えば個人の好みなどまで考え、提供していなかったのではないだろうか?
そのため、お客様によって「手をつけない料理」が出てきたため、(料理店としてはありえない発想である)「もったいない」から「使いまわした」のではないだろうか?

もちろん、一度お客様に出したお料理の「使いまわし」などあってはならないコトだが、現実には殆ど手をつけられる事もなく、廃棄される料亭のお料理も相当あるのではないだろうか?と、考えていたのだ。

お料理と提供する料亭、その料亭を選ぶ人、その間でコミュニケーションを取る必要もあるだろう。
だが、「料亭だから、決められたコースでなくてはいけない」と言う発想も、変えなくてはいけないのではないだろうか?
それは料亭側にも利用する側にも、求められるコトのような気がするのだ。
料亭の食事は、おいしいだけではなく「楽しい贅沢な時間」の提供もあると思うからだ。




81/13221 NHKの暇な人々?

2008-05-27 21:46:22 | 徒然
昨日の新聞各紙にNHK職員による、勤務中の株取引調査報告が、掲載されている(紹介記事は、毎日新聞)。

この記事を読んで、どのように感じられただろう。
個人的には「NHKには、仕事中株取引ができるほど、暇な人が81人いたのだな~」という感想を持った。
この人数が多いか、少ないかはイロイロだろう。
なんと言っても、調査対象は13221人なのだから。
「81/13221」と言うのは、決して大きな数字ではないし、もしかしたら仕事中にネットで仕事とは関係のないサイトへアクセスとして、「仕事をしているフリ」をしている人の方が、現実としては多いかもしれない。
その分、仕事のしわ寄せがきて大変な思いをしている人が、周囲にはたくさんいるのだろうが・・・。
本人はお構いなし!と言ったところだろう。

ただ問題なのはNHKは、受信料という方法によって経営をされ、その予算については国会承認を必要とする半官半民的企業であると言うことだ。
普通の民間企業であれば、仕事をしない人がいても周囲の人にとっては、大迷惑ではあるのだが、社外の人にとっては経済的にも政治的にもまったく関係のないコトになる。
しかしNHKの場合は、同じではないと言う点で問題なのだ。

このようなニュースがでるたびに、NHKの受信料支払いを拒否したくなる人が増えるのは、当然のコトだろう。
それは81人と言う人数に対して多い・少ないと言っているのではない。
その様な体質をNHKが持っていながら、「みなさまのNHK」と言うコトに不満を覚えるのだ。
商業取引で発生する「利益」とは別に、税金とか半ば強制的に徴収されるお金だからこそ、使う側の高いモラルが求められるのだ。

暇な81人の方は、即辞めていただいて(普通の企業なら、就業時間中にサイドビジネスをするなど、もっての外!処分対象となっても当然)、投資家への道を歩んでいただきたいものである。

今日になって、14億円追徴課税と言う、記事まで掲載されている。
なんとも「トホホ」なNHKである。

流通システムを変えるのか?-イオンの直接仕入れ-

2008-05-27 20:59:21 | ビジネス
日経新聞のWEBサイトに、イオン、直接仕入れ5倍に・年5000億円、卸通さず と言う記事が掲載されている。

大手スーパーの安価商品と言えば「PB」と呼ばれる「プライベートブランド商品」だった。
これは、大手スーパーが中小含めたメーカーに一括生産依頼をし、買取をすることで流通コストとメーカー側の売れ残りリスクを減らすコトで、価格を下げる事ができた商品である。
もちろん、中小のメーカーばかりではない。
大手メーカーの商品も含まれている。

今回の「直接仕入れ」と言うのは、いわゆる大手メーカーの名前で販売することと、メーカー販社と呼ばれることが多い(かつて、私が勤めていた会社も「メーカー販社」だった)メーカーの卸専門会社を通さずに商品を一括仕入れる、と言う内容になっている。

インターネットの発達と普及によって、PCなどは「販社」と呼ばれる卸会社を通さずに、直接顧客の要望にあわせた「カスタマイズPC」を販売することが当たり前のようになってきた。
米国のPCメーカー・ゲートウェイ、HPやデルなどはその先駆け的存在だろう。
ところが、食品などに関しては日本の商慣習にあわせ、卸会社を通じて小売すると言うのが、一般的であり、むしろPBのような商品は「二級品」扱いをされる傾向があった。
「二級品」と言っても、あくまでもそのイメージなだけで、商品そのものの品質は一般のモノと何ら変わりは無い。
最近では、食料品や日用品の高騰により、PB商品の人気が高くなってきている。

イオンのように、様々な名前のスーパーを展開し、最近ではダイエーなどもイオンのPB商品「トップバァリュー」を販売するようになったため、その販売スケールから考えれば、ネスレなどのメーカーにとっても、メリットがありと判断したのだろう。
もちろん、イオンとしても、PB商品だけでは商品の魅力やそれこそ「ブランド力」と言う点で、物足りなさを感じていたのではないだろうか?
メーカー側も、スケールメリットがある=生活者の反応を捉えやすい、という魅力があったと考えられる。

総てにメリットがあるように思われる今回の直接仕入れだが、卸売りという部分で仕事をしてきた私としては、やや寂しいと言う気持ちもある。
ただ、このことを危機感として捉え、「卸売り」と言う立場だからこそ見えてくるモノを、キチンとメーカーと小売店に提案をして欲しいと考えている。
なぜなら昔の「卸業」は、市場の調整役と言う仕事もあったはずなのだから。



「ブランド」の言葉に弱いのか?

2008-05-26 15:37:00 | アラカルト
先日、地下街でチョッと買い物をしていた。
その時、カバン屋さんの前で私より若干若いと思われる数人の女性グループが、布帛のショッピングバッグの品定めをしていた。
見ると、なかなか洒落たデザインの商品である。
お店の人も、購入意思アリ!と思ってか接客にも力が入っているようだった。
値段も驚くほど高いモノではなく、PTAの会合などの書類を持って歩くのに良さそうな大きさである。
だが、どうも女性グループの一人は、イマイチ買う気が起きないようなのだ。
ところが、店員さんが「この商品、人気ブランドの商品なんですよ!」の一言で、
「エ~、ブランド品なの?」と、俄然買う気になったようなのだ。

このやり取りを、何気なく近くで見ていて「『ブランド』と言う言葉に、女性は弱いのかな?」と、思ってしまった。
もちろん、「ブランド」と言う言葉に惑わされる事なく、自分の価値判断を持っている女性ももちろん多い。
だが、「ブランド」と言う言葉に弱い女性が多いということも、また事実だろう。
なぜなら、私の世代以降は「ヴィトン」や「グッチ」と言った「ブランド品」を雑誌「JJ」などで初めて知り、同時にハマトラなどのファッションを生み出しながら「キタムラ」や「ミハマ」と言った、地域ブランドを全国ブランドにした世代だからでもあるからだ。

拙ブログでは「ブランド」について、イロイロ述べてきた。
企業にとって「ブランド」は、「同業他社との差別となる名前」であり、「社会からの信頼と社会との(品質)保障」でもある。
だからこそ、昨今の企業の不祥事は生活者への裏切り行為となり、企業の信頼とともに「イメージ(=ブランドイメージ)」を大きく傷つけることにもなるのだ。
見方を変えれば「ブランド」は、生活者にとって企業への「安心手形」のようなモノなのかも知れない。
創業間もない企業にとって「ブランド構築」は、それだけ重要なコトだし、そのために躍起になるのである。

一方、私たち生活者は最近「ブランド」に、頼りすぎてはいないだろうか?
「ブランド」とか「有名」と聞くと、その実態・現物を見ることなく、飛びつくと言うコトはないだろうか?
それでは本当の「ブランド」は、育ってはいかない。
「ブランド構築」と言うのは、企業だけが一生懸命になってもできるモノではない。
また、生活者が「ブランド」だとか「有名」と言う言葉だけで、できるものでもないのだ。

「ブランド」を育てるのは、企業であり、生活者でもあるのである。
そのために、生活者はもっとシビアーであたたかなモノ・コトを見る目を養う必要があるように思うのだ。

因みに、その「ブランドバッグ」は、クラウンマークでお馴染みのグリーティングカードなどで有名な「Hallmark」のライセンス商品であった。