「クーリエジャポン」という雑誌が、以前あった。
今は、WEBのみとなってしまったのが残念だが、これも時代の流れということか?
そのクーリエジャポンに、ブルームバーグの記事があった。
日本の「クールジャパン」構想も、外から見ると随分的外れなところがあるようだ。
クーリエジャポン:日本はいま最高にクールなのに自国文化の売り方を知らない
副題に「電通や博報堂に任せた『クールジャパン』の失敗に学べ」とある。
この指摘の元となっているのは、「クールジャパン機構」の投資を含めた失敗のことを指しているのだと思う。
拙ブログでも指摘させていただいているのだが、クールジャパン機構の累積赤字は、2018年11月時点で97億円に膨れ上がっている。
そして再建の目途が立っていない事業もいくつかあるようだ。
電通や博報堂のマーケティングや事業戦略が、現実的なものではなかった、という指摘についてはなんとも言えない部分があるが、クールジャパンと言っても、様々なモノ・コトが「クールジャパン」だとすれば、個々の事業にあったマーケティングや事業戦略を立てる必要はあっただろう。
記事にある資生堂の戦略と飲食の戦略は、同じではないし、アニメなどとも違うはずだ。
何故なら、ユーザーとなる生活者が違うからだ。
日本のアニメファンが多いからと言って、そのマーケットと日本食のマーケットは違うはずだ。
大手広告代理店では、そのような「小回りの利いた」マーケティングや戦略が立てられず、「クールジャパン」のマーケティングとなっていたのでは?という指摘のようだ。
確かに指摘されているように「クールジャパン」の大枠のマーケティングは、電通や博報堂のような世界各国に支社を持っているような大手広告代理店は有利だと思うし、現地での市場調査などもお金をかけて実施することができる。
企業の持つスケールメリットが、このような場合有効になると思う。
にもかかわらず「失敗」してしまった理由は、上述した通り「クールジャパン」に含まれる様々なモノ・コトの市場が一つではないからだ。
総花的なマーケティングではなく、より細やかな視点と「何を伝えたいのか?」という強い考えを持つことが大切、ということなのだ。
何故なら「クールジャパン」は、商品を売るのではなく「カッコ良い日本文化を売る」のが、目的だからだ。
「文化を売る」ということと「商品を売る」ということは、単なる市場調査では難しいはずだ。
何故なら「文化を売る」ということは、売りたい文化の社会的背景や発展、今と未来という「設計図」のようなモノを描く必要があるからだ。
このような「設計図」を描くことができるのは、それぞの業界の人たちでなくてはできない。
逆にスケールメリットがある大手では、描ききれないということになる、というのがこの記事の指摘だ。
一番の問題は、日本では「大手広告代理店」の力が強すぎる、ということなのかもしれない。