日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

現実と乖離している文部科学省の「教育プラン」

2006-10-31 22:11:51 | 徒然
昨日のエントリにコメントを下さった兵庫県の・・・さん、ありがとうございました。
今日の動きでは、「レポート提出でも可」という動きがあるようですが、履修すべきモノは、履修して欲しいですね。
第一、アウシュビッツや1960年代のアメリカ公民権運動、マーティン・ルーサーキング牧師の「私には夢がある」で始まる有名な演説も知らない、法学部の学生が生まれ様では困ります。そういう学生達が将来法曹界で活躍するようになるということは、想像もしたくない・・・でも、現実にありえそうな話。
法学部などは、こういう問題を受験に出題すべきだと思いますがね。
共通一次以降、大学受験だけではなく採用試験などもマークシートなど「型にはまった試験」が多くなりましたから、「受験テクニック優位」なんでしょうね。
そして、トラックバックをくださった「ちきゅうちゃん」さん、ありがとうございました。
お題目は立派なんですけど、内容と現実が伴わない文部科学省と言う感じですね。

昨夜の「報道ステーション」で、公立高校(普通科)1年の時間割表をフリップで説明していた。
それで初めて知ったのだが、高校生にもなって「総合学習」というのは・・・一体何を考えているのか?
で、文部科学省の考える「総合学習」というのを、見てみた。
「生きる力を育成する」コトを目的としているらしい。
「生きる力を育成」ですか・・・なら、全国各地で頻発している「いじめ」って何なんでしょう?と、ツッコミを入れたくなりました。
だから学校サイドは、「いじめはない」と、いうのでしょう。
「いじめによる自殺」ということになれば、各学校で実施しているはずの「総合学習」を否定することにもなりかねませんから。

もし、高校で「総合学習」をするのであれば、それこそアウシュビッツだとか公民権運動、ガンジーの「非暴力運動」みたいなことを教えて欲しい。
歴史の中にある「権力と迫害」そういう凄まじい事柄を知り、そこから何を感じ、(自分なら)どう行動するのか?ということを、徹底的に考え抜いて欲しいからだ。
それで、世界史の単位として振替るのであれば、何の問題もないと思うのは、私だけだろうか?

「受験」って特別なこと?

2006-10-30 15:03:34 | 徒然
公立高校の「世界史」を履修せず単位不足で、卒業できなくなる可能性がある高校生が、日に日に増えている。
当初は、地方の公立高校が予備校的役割も果たさなければならない為と言う、指摘があったのだが、今日の産経新聞WEBサイトをみると、決して地方の公立高校だけに限ったことではないようだ。

この問題が発覚してから、思うことがある。
それは「受験の為、仕方なく」という言葉だ。
世界史の授業を普通にやっていたら、週2コマ程度の授業だったのではないだろうか?
それを、他の授業に振り替えたところで、大した受験対策になっているとは思えないのである。
むしろそれを「受験勉強・受験対策の効率化」と、とらえるほうが怖く感じる。
と言うのも、直眼的モノの見方ばかりが優先され、長期的視野でモノを見る力がなくなっていくような気がするからだ。
高校の履修と言うのは、授業を受け定期考査(と、出身高校では中間・期末テストのことを呼んでいた)の結果で、認定されるモノ。
そんなに「受験」の名のもとに、カリカリしなくても・・・と思うのだ。

「今の大学受験は、そんなに簡単ではない」と、言われるかも知れないが、では「何故、大学に進学をするのか?」ということを聞きたいのだ。
「就職に有利」だとか「人生の選択肢が増える」というのは確かにあるけれども、有名国公私立大学に進学したからと言って、その後の人生の保障などはない。
「何故、大学に進学したいのか?」という動機がなければ、進学後は「受験の開放感」から勉学よりも他のコトに気がいってしまい、本来大学で身につけているはずの専門知識も社会的常識もない、学生ばかりが増えてしまうのではないだろうか?
実際、「効率的」とか「合理的」という名のもと「HOW to」ばかりを追い求め、自分で創造する力が劇的に低下している若年者が多いように感じるのだ。

それにしても、日本は「お受験(有名私立小学校受験)」に始まり、「大学受験」まで「受験」ということに対して、「特別視」し過ぎるのではないだろうか?
確かに「受験をする」ということは、その時々で重荷で大変なことだ。
でも、社会に出ればそれよりも、もっと大変で重たい責任がある。
大学受験などは、「自分が一体何を学び、どんなことをしたいのか?」ということを、自問自答し、考える時間としてとらえたほうが、良いように思うのだが・・・。
その後、進路変更をすることが可能と言うのが、「再チャレンジ」の第一歩なのでは?

地下足袋が新しい?

2006-10-29 21:49:55 | トレンド
しばらく前に新聞に入っていた折込チラシに、少し驚いた。
チラシは、近くのスポーツシューズ店のモノだったのだが、そのチラシに「地下足袋」のようなデザインのスポーツシューズがあったのだ。
それが、プーマの「タビア」という商品。
よくよく見ると、踵近くには「こはぜ」があるのが分かる。
一見布製のスニーカーの様に見えるのだが、全体のイメージは「地下足袋」だ。
だいぶ前、アシックスが開発した「宇宙靴(?)」も「地下足袋風」だ。

京都にある「SOU・SOU」は、とてもカラフルな地下足袋を出して、人気を博しはじめている。
他にも、通販などでも「地下足袋型ガーデニングシューズ」や、つま先が割れている「ウォーキングシューズ」等が販売されている。
「SOU・SOU」は別にして、ガーディニングシューズやウォーキングシューズ等は、中高齢者を対象にした要素が高いように見受けられる。
それほど、デザイン性という点では「目新しさ」や「ファッション性」というモノが、感じられないのだ。

以前、ある老人保健医療施設の事業プランを以来されたことがあるのだが、その時目をつけたのが「地下足袋」だった。
と言うのも、「地下足袋」を履いてロッククライミングなどをしているアスリートがいたからだ。
リハビリ用として良いのではないだろうか?と考え、問い合わせをしたのだが・・・当時は、メーカーさんもその気がなく、終わってしまった。
もし、インソールなどを含め従来の「地下足袋」とは違う、オシャレなリハビリ用のモノが、開発されていたなら・・・と残念に思う。

数年前から「五本指ソックス」が、話題になった。
その後は、「足袋型ソックス」が登場した。
こちらは、男性用というより女性用が主なのか、デザイン等が可愛らしい。
デザインはともかく、いずれも「健康は足から」という健康ブームによるものだ。
まぁ、女性の場合これからのシーズン、ブーツを履く機会が増えることで「フットケア」が重要になってくる、と言う理由もあるのだが・・・。

ビジネスでは「地下足袋シューズ」という訳にはいかないだろうが、ランニングシューズやウォーキングシューズなど、カジュアルシューズとしての「地下足袋」が人気となるかも知れない。
いずれもキーワードは、「健康」だ。



観客の姿にも注目-野球の応援-

2006-10-28 22:54:27 | スポーツ
コメントを下さったカミナリ弟さん、ありがとうございました。
今日の中日新聞の夕刊一面「ニュースインサイド(WEB版での記事掲載はなし)」でも、日本ハムの北海道人気について掲載されていた。
記事のアタマでは、敗れた中日ファンが「にわかファンばかり」というコメントをしていたが、ファイターズが北海道に移転してきてからわずか3年。これからもっと野球の楽しさを知り、チームを応援するようになるだろう。
それに比べ・・・名古屋=中日ファンというイメージがあるようだが、実は「隠れジャイアンツ、タイガース・ファン」が多い。
周囲の野球ファンの半数以上は、ドラゴンズ・ファンではない。
対戦カードによって、名古屋ドームの観客動員数が大きく変わる、と言われていたと記憶している。
それが、セ・リーグの特定球団の人気におんぶに抱っこしてきた結果なのだろう。
何より、観客の姿に注目してほしい。
と言うのは、札幌だけではなく福岡などの試合を見てみると、実に女性や子供たちの姿が目立つのだ。
特定の私設応援団が応援を仕切り(多くの場合、仕切り役は中年の男性)、自由に応援の輪に入っていける雰囲気がなかったのが、これまでの野球の応援スタイルだった。
そのことを考えると、ファイターズなどの応援の雰囲気は、異質な感じがするのではないだろうか?

確かに、ファイターズの場合新庄選手と言う「スター選手」が、チームの人気を牽引してきたはずだが、今では『劇団ひちょり』とも言われる森本選手など、「新庄チルドレン」(こういう、言葉があることを知らなかった・・・恥)と呼ばれる若手選手にも人気が集まりはじめ、何より球場に来てコンサートのような臨場感」を楽しむことを多くの人が知ってしまったのが、ファイターズ等、地方のパ・リーグチームの強みなのではないだろうか?

一つ思い出したことがある。
それは、Jリーグ・アルビレックス新潟のファンの姿だ。
「サッカー不毛の地」だった新潟だが、今や熱狂的なサポーターで知られる浦和レッズよりも、ホームスタジアムである新潟スタジアムでの観客動員数を上回っている。
レッズと大きく違うのは、観客の大半が家族連れであるということ。
おじいちゃん、おばあちゃんに連れられて小学生が、試合を観戦に来ているという姿が、実に多い。
決して、スター選手がいるわけではない。
でも、新潟の人にとっては「アルビレックス」と言うチームが誇りであり、その応援をホームスタジアムでするということは、コンサート以上の臨場感ある素敵な場所なのだ。

アルビレックスがJリーグに昇格した頃、「新潟現象」とまで言われた。
それまでの、「サッカーは、若い人たちが観戦するモノ」という意識を大きく変えからだ。
同じことが、ファイターズやホークスなどに起き始めているのではないだろうか?
「スポーツ・マーケティング」という視点からみれば、とても興味深い「現象」が起き始めているように感じる。




北海道のみなさま、おめでとうございました。

2006-10-26 23:05:41 | スポーツ
野球の日本シリーズで、「北海道日本ハムファイターズ」が優勝した。
北海道のみなさま、おめでとうございました。
本来なら「ファイターズファンのみなさま」なのでしょうけど、あえて「北海道のみなさま」と言いたい。

昨年、日本一になったのは「千葉ロッテマリーンズ」だった。
記憶間違いでなければ、マリーンズの応援には「鳴り物」と呼ばれるラッパなどの応援が禁止されていたと思う。
だから、マリーンズファンは球場で精一杯の声を出し、球場が揺れんばかりの応援をしていたはずだ。
同じような風景が、今年の札幌で見ることが出来た。
今年パ・リーグのプレーオフに進出したのは、ファイターズ、ライオンズ、ホークスだった。
ライオンズの本拠地・所沢を地方と言っていいのか分からないが、いわゆる「地方」の球団が、ここ数年結果を出してきた。
そして、どの球団も地元にシッカリ根付いて、地元ファンの力強い後押しで「日本一」になっている。

セ・リーグのように、ある特定球団がリーグを引っ張るということがなかった分、全国人気で観客動員、ファンの拡大が出来なかった。
それが、パリーグの人気薄となったように長い間言われていたと思うのだが、それを打開する方策が、地元ファンをシッカリつくることだった。
むしろ、特定球団がリーグを引っ張ることがなかったことが、今のファイターズやホークス、マリーンズなどの人気に繋がっているように感じる。
一見地味で、即効性がないように思われる方法だが、その実とても強力で効果的な方法だったようだ。
スター選手を集めてつくられる全国規模の人気チームよりも、ファンというスタジアムの演出家と一緒になって創りあげる「スタジアム・ドラマ」の方が、今という時代にあっているのだろう。

もう一つ感じることがある。
それは、日本のスポーツの楽しみ方が変わり始めたかもしれない、ということだ。
以前、ある調査では「スポーツ観戦は好きだが、テレビ観戦が主」という人たちが70%以上あった。
それが、地方で野球やサッカーのようにプロスポーツや、ラグビーのトップリーグなど、日本でもトップクラスのスポーツが身近にみられるようになったことで、それまでスポーツそのものに縁がなかった人たちが、興味を持ち、スタジアムに足を運ぶようになったのだ。
下手な行政主導の「余暇提案」等よりも、遥かに経済的効果もあり、地方が元気になる要素がいっぱいあるハズだ。
スポーツの持つ力は、もっとイロイロなモノがあるように考える。
それが、地方を元気づけるのではないだろうか?

計画とおりにはいかない、介護の現実

2006-10-25 22:53:00 | 老親介護
讀賣新聞のWEBサイトをチェックしていたら、とても気になる記事があった。
療養病床削減計画、実施すれば「介護難民」4万人にだ。

厚生労働省が「療養病床削減計画」を発表してから、親介護をしている友人などは不安を口にしていた。
というのは、厚生労働省が発表した計画と現実が大きく違っているからだ。
例えば「脳梗塞」等の疾患でリハビリが必要となったとき、3ヶ月で回復するコトは患者それぞれで大きく違う。
個々の症状も違えば、介護をする家族が期待する回復した姿もそれぞれ違うためだ。
でも、計画の上では一律の回復が出来ることになっている。

実家の母の場合、くも膜下出血で倒れそのまま亡くなってしまったのだが、同じくも膜下出血で倒れても3割程度の人たちは、助かるといわれている。
しかし、その後現れる身体的障害と度合いは1人として同じではないといわれている。
だからこそ、個々の患者さんにあったケア・プランが必要なのだ。
でも、それを考えてしまえば、厚生労働省の考えるような病床削減プランなど出来なくなってしまうのは、目に見えている。

「机上の理論」と「現場で起きている事実」は、大きく違う。
現実に直面していない時には「計画とおり」が当たり前であっても、現実は「計画とおり」ではない。
産婦人科の統合によって、地元で出産できない女性が全国的に増えている。
これも「机の上では、合理的で費用削減」なのかも知れないが、「現実には非合理的で、費用が膨大にかかる」という例ではないだろうか?
紙の上では見えないモノ・コトを、まず最初にみてほしい、と思うのは介護をしている多くの人たちの思いではないだろうか?

ますます肩身が狭くなる喫煙者

2006-10-23 21:00:50 | トレンド
産経新聞のWEBサイトにAIU保険、“禁煙宣言”で火災保険割引に という、記事が掲載されていた。

確か、火事の原因の1位は「不審火」だったと思う。
2位か3位くらいに「寝タバコ」が、あったのではないだろうか?
決して少ない件数ではない。
ただ、年々トータル的な喫煙者数は、減少傾向にあると思う。
問題となっているのは、若年層における喫煙が増える傾向にあることだった、と思うのだが・・・。
他にも増加傾向にあるのは、女性だったと記憶している。

喫煙の問題は、以前から取りざたされている。
生活習慣病の原因の一つといわれ、「喫煙の有無」によって保険料が変わるという、生命保険商品もあったように思う。
「それが遂に、火災保険まで・・・」という感じがする。
そこで気になるのが、世帯主はタバコを吸わなくても家族、特に中高校生が親に隠れてタバコを吸っているという場合だ。
保険契約者である親はタバコを吸わないのに、子供の寝タバコによって火事になった場合は、どうなるのだろう?
記事内容からすると、保険の支払い対象とはならないようだが。
もちろん、中高校生の喫煙は禁じられている行為だが、社会全体が暗黙の了解のようになりつつある。
とすれば、記事中にあるような「禁煙の意識を高め、推進する」というよりも、中高校生の喫煙の抑止効果があるようにも思える。
本当のトコロはどうなのだろう?

そしてこの記事を読んで思ったことなのだが、自動車保険の引き受けにも「飲酒をしない(体質的にお酒が飲めない)」という条件で、保険料が安くなる日が早晩やってくるかも知れない。


最近起こったイロイロなこと

2006-10-21 22:04:12 | 徒然
コメントをいただいた、兵庫県の・・・さんありがとうございました。
マーケティングという仕事をしていて感じることですが、「モノ・コトを提供することは、ある種の哲学というか理念が必要なのかもしれない」ということ。
それがブレない軸となって、企業文化を創っていくのではないだろうか?

今年のノーベル平和賞を受賞については、久々に素晴らしい受賞のように思った。
今年から発表されなくなったとはいえ、昨年までの高額納税者リストには、消費者金融の経営者が名を連ねるコトが珍しくなかった。
メガバンクは統合を繰り返し、税金を投入し経営再建を果たしたが、本当のところはウヤムヤになってしまった感がある。
そんな中、「お金を貸す・お金を借りる」という本質とは何か?ということを改めて教えられたように感じた。
そんなことを感じたのは、決して私だけではなかったようだ。
毎日新聞のWEBサイトで掲載されている、記者署名の「発信箱」に金貸しの原点=中村秀明という、コラムがあった。
識字率だけではなく、女性の社会的地位も低い中で、貧困から脱却し経済的自立を図る努力というのは、並大抵のことではないはずだ。
「援助」という方法ではなく、「事業をサポートする為の金融」というやり方には、批判があっただろう。
厳しいやり方かも知れないが、厳しいからこそ「事業に対する真剣さ」が生まれ、「お金を借りること」に対しても、「真剣」になるのかも知れない。

もう一、今週話題になったことが「いじめ」だろう。
拙ブログでもエントリしたが、「いじめ」そのものはカタチを変え、なくなることはない、と考える。
というのも「子供は、未熟な人」だからだ。
だからこそ、家庭でのしつけ、地域社会のサポートや学校での勉強(=知識や教養)が必要なのだ。
今日の中日新聞には、「学力低下の要因が家庭にある」と考えている学校関係者は、90%近くになるという、記事が掲載されていた。
最近創刊ラッシュが続く、「家庭向け教育雑誌」等を見てみても、「家庭力=学力のバックボーン」という内容が目に付く。
学力のバックボーンには、年齢にあった「社会的協調性、理解と寛容」があり、それを創る環境は家庭にあるのかも知れない。

機能と使い易さ、そして・・・

2006-10-20 22:34:08 | マーケティング
兵庫県の・・・さん、お久しぶりにコメントをいただき、ありがとうございました。
その中で、昨日のエントリのコメントが一つの提議をされているように感じました。

この秋、クルマのテレビCMを見ていて気が付くことがある。
それは、クルマの「多機能化」を謳ったもの。
分かりやすいところで言えば、「女性が苦手な車庫入れ」を、クルマがやってくれる。というモノ。
確かに女性が苦手な車庫入れが、簡単に出来たらキット女性ドラバーから支持を得ることが出来るだろう。
他にも、「クルマのキーを差し込まずに、エンジンがかかる」という機能も、徐々に一般化しつつあるような気がするのだ。
と言っても、クルマを運転しない私が、アレコレ言う必要のないことではあるのだが・・・。

ただ、「便利な機能が、本当にクルマとして必要なのか?」ということなのである。
おそらく、兵庫県の・・・さんが指摘されたコトは、このことではないだろうか?
「飲酒運転」という、モラルや社会通念として問題視されているコトを、守ることが出来ない人は後をたたない。
飲酒運転は、ある日突然何の落ち度もないまったく関係のない人を巻き込み、被害者となることが問題なのだ。
それを「クルマを運転する」という技術で、補えないのであれば「クルマを快適にする」という技術で、カバーするしかないということになるのではないだろうか?
だが、「クルマを快適にする」という技術は、キーを差し込まずにエンジンがかかるといったことではない。

「クルマ」のベネフィテング=顧客利益は、イロイロある。
「好きなときに、行きたい所へ」という自由さや便利さ。
人によっては、自分の隠れ家的場所ということもあるかも知れない。
でも、「クルマ」の「ベネフィテング=顧客利益」は、クルマを運転しない人たちにとっても「利益」でなくてはいけないはずだ。

「便利な機能が、時には不愉快な機能となる」といわれて久しいが、「一体誰が使うのか?」。そしてそのモノ・コトは、「社会にそして人に優しく、快適な幸せを提供できるのか」ということを、考える必要があるのかも知れない。


自動車メーカーはどんな広告を打つのか?-飲酒運転-

2006-10-19 21:32:21 | CMウォッチ
先日、キリンビールのテレビCMの最後に出るテロップ「飲酒運転は法律で禁止されています」という内容のエントリをした。
今週に入って、キリンだけではなくアサヒがビールのテレビCMの最後に同様のテロップが出されるようになってきた。
サントリーは、「オールド」等洋酒のテレビCMの最後。
これで、お酒を造るメーカー各社が「飲酒運転禁止」を訴えることになった。

となると、気になるのは自動車メーカーの反応だ。
バイクや自転車なども、お酒を飲んで運転をすれば「飲酒運転」なのだと思うのだが、社会的影響力が強く、テレビや新聞。チラシなどで積極的な販売活動をしているのが、自動車メーカーなので、どうしても「飲酒運転禁止」キャンペーンの中心となるだろう。

だいぶ前、ボルボは「私たちの自動車は、公害を出しています」という内容の見出しの新聞広告を打ったことがある。
とてもセンセーショナルなキャッチコピーだったのだが、よくよく広告を読むと「だから、環境に優しいクルマづくりを目指しています。まだまだですが・・・」という一種の「環境企業へ生まれ変わる」という宣言をした広告だった。
今現在ボルボを、自動車メーカーでありながら環境企業として、どれだけ社会認識されているのか分かりかねるが、当時としては、とても興味深い広告でありボルボという企業姿勢が感じられるモノだった。

業界をリードするエクセレントカンパニー「トヨタ」が、一体どんな動きを見せるのだろうか?
日産や三菱自動車は、「飲酒運転を防止するシステム」は技術的に可能だという趣旨のコメントが、以前新聞に掲載されていた。

果たして「飲酒運転がまねく悲劇を技術で解決し、人と環境に優しい企業」という広告を打つ、最初の企業はどこだろう?