先日来から、昨年開催された「東京オリンピック2020大会」に関する談合事件で、広告代理店の立ち入り調査が続いている。
日経新聞:五輪談合事件の捜索8社に 広告業界全体に拡大 (ニュース動画)
ことの始まりは、電通と招致委員会との癒着だったはずだが、現在は広告業界全体を巻き込むような事件へと、発展している。
このようなニュースを聞いても、個人的には特段驚くことは無い。
というのも「スポーツと広告代理店」という関係は、随分古くからあるからだ。
そもそも国際的なスポーツイベントが、広告代理店の力を借りるようになったのは、1984年のロサンゼルスオリンピックの頃からだろう。
この大会は、それまでの「アマチュアスポーツの総合国際大会=オリンピック」から、「商業オリンピック」へと変わった大会だったからだ。
現在カタールで開催されているFIFAW杯カタール大会だが、以前、広報活動から大会運営まで中心的に行ってきたのがISL社という会社だった。
記憶されている方もいらっしゃると思うのだが、このISL社が1998年のFIFA W杯フランス大会開幕前に、破綻をしてしまう。
結果として、フランス大会の観戦ツアーに参加はしたが、観戦チケットが手に入らず、スタジアム周辺のパブリックビューイング会場で、試合を観戦した、というサッカーファンが続出したのだった。
このISL社に出資していたのが、ホルスト・ダスラー氏と日本の電通だった。
ホルスト・ダスラー氏というのは、ドイツのスポーツメーカー・アディダスの2代目社長だった人物であり、今でもFIFAやUEFAなど、アディダスが関係するサッカーイベントの中心的スポンサーの基礎をつくった人物でもある。
NEWS PICKS:電通とダスラーが出資したISLの功罪
電通は、倒産前のしばらく前に撤退をしたため、電通そのものは大きな損失を計上することは無かった。
このように、国際的な大規模スポーツイベントでは、広告代理店の力はとても大きい。
「大きい」というよりも、今ではスポーツイベントを開催する為の重要なパートナーとなっている、と言っても過言ではないと思う。
そしてスポーツイベントそのものが、巨大化し商業要素が強くなればなるほど、広告代理店の果たす役割は幅広くなり、広告代理店にもたらされる利益も巨額なモノになる。
そのようなスポーツイベントとスポンサー、そして広告代理店という関係を知れば知るだけ、今回の事件は起きて当然という気がしている。
それだけスポンサー企業にとって、自社を世界的にアピールする場としてのスポーツイベント効果は絶大であり、その為の仕切りをする広告代理店の力は強い、ということだからだ。
今回の「談合」は、法律的な意味の問題ではあるが、むしろ「商業化したスポーツビジネス」という問題を提議しているような気がしている。
今朝、FMを聞いていたら「AIがキャッチコピーなどをつくるサービス」が人気になっている、という話題を取り上げていた。
そのAIサービスの名前が「Catchy(キャッチ―)」というようだ。
この話題を聞いた時、「いやはや、キャッチコピーもAIがつくる時代になるのか?!」と、驚くというよりも不安になった。
ただ、番組で作ったお試しの番組キャッチコピーを知って、少し安堵した。
というのも「普通」だったからだ。
「普通」というのは、言葉を繋げたキャッチコピーという意味で、「可もなく、不可もなく」というモノだったからだ。
キャッチコピーの目的は、「受け手となる人をハッとさせる」という役割がある。
この「ハッとさせる」ということが、とて重要なのだ。
人を商品やサービスに気を向けさせる、という役割がキャッチコピーにあるからだ。
となれば、言葉をつなぐだけでは、商品やサービスをアピールする、ということにはならない、ということにもなる。
その反面「文章を書くコトが苦手」という方は、ビジネスパーソンに限らず案外多い。
そのような方の文章を読むと、おおよそ「わかりにくい文」ということが、多い気がしている。
ポイントとなる点がまとまっていなかったり、5W1Hの意識が低かったり、という文章を書く基本がわかっていない、ということなのだ。
そのような、文を書くことに対して苦手意識のある方にとって、AIが生成してくれる文章というのは、ある意味失敗がない文章である、ということも言える。
番組では、「AIに対してより多くの情報を与える事で、もっと人の気を引くことができるキャッチコピーができるのでは?」という、話をしていたがAIに与える情報そのものが、作ってもらう側の「適切な情報と届けたい相手に対するイメージ」等が、まとまっていなければ難しいのでは?という、気もしたのだ。
ということは、AIに与えるキーワードを選び出す力、というモノが必要になってくる、ということでもある。
そのようなキーワードを選び出す力がある人であれば、おそらく「キャッチコピーを書く力」そのものを持っている人、ということになるのでは?
紹介をされたサイトを見ると、気軽に文章がAIによってつくることができる、という印象を持つのだが、思いつく言葉を並べただけではAIがつくる文章に満足できるのか?という気がしてくるのだ。
しばらく前だが、AIが作った楽曲が話題になったことがある。
素人が作曲をするよりも、遥かに素晴らしい楽曲ではあるのだが、どこかモーツァルトっぽかったり、バッハのパクリ?という印象を持ってしまう楽曲になってしまう、という。
それは、AIに与えた情報がモーツァルトやバッハだったからだろう。
まだまだ、現段階ではAIの力というのは、そこまでということになるのだろう。
とすれば、「クリエイティブ」という部分では、AIよりも人の方が有利である、ということになると思う。
ただ、AIのライティング機能を使うことで、助詞や句点の使い方を学ぶことはできると思う。
そのような、使い方からAIと付き合うことくらいが、丁度良いのかもしれない。
イーロン・マスク氏が、Twitter社を買収して約1ヵ月が経った。
その間、毎日のようにTwitter社についてのニュースがあったような気がしている。
その中でも群を抜いて多かったニュースは、Twitter社従業員に対する「解雇」という、問題だろう。
一部報道では7,500名いた従業員が、現在では2,700名程度になってしまっている、という。
ただ、システム管理をしていたエンジニアも解雇対象となったため、Twitter上では既に一部のシステムが壊れ始めている、という報道もある。
Yahoo!ニュース(日テレニュース):大規模な人員削減 ツイッター解雇の社員「エンジニアが解雇され、一部のシステムが壊れ始めている」
他には、前米国大統領だったトランプ氏の凍結していたアカウントを解除したり、マスク氏が「Twitterは日本が中心」であると、会議中に発言した内容が取り上げられるほどだ。
日経新聞:イーロン・マスク氏「Twitterは日本中心」社内会議で言及
マスク氏が言う通り、Twitterは英数半角で280文字という規制があるため、一つの漢字で意味を持つ漢字は、確かにTwitter向きの言語だと言えるだろう。
それだけではなく、日本ではSNSを新たな広告(=RT参加型広告)として、ユーザー参加型の広告を展開しているということも、関係しているのでは?という気がしている。
もちろん、米国などでも同様に企業がキャンペーンにTwitterを利用しているのでは?と、想像をしているが、企業が規模の大小を問わず、新商品や新しいキャンペーンなど、Twitterを活用している。
その企業がTwitterからどんどん撤退をしているため、一部では「倒産」という言葉さえ、聞かれるようになってきている。
President on-line:従業員にも広告主にも見限られた・・・「ツイッターはもう倒産するしかない」と指摘される理由
マクロン氏が買収する前、Twitter社は相当額の赤字を抱えていた、という話はマクロン氏の買収話が始まった頃から、指摘をされていた。
おそらく、利益の柱となる「広告収入」に対して、支払われる人件費が超過してしまう、という状況はあったのだろう。
その点で、大幅なリスト策は必要な経営判断だっただろう。
問題なのは、「誰をリストラするのか?」ということだったのでは?と、考えるのだ。
メディアで伝わる限りの印象では、やみくもに人事に手を付けた結果、プログラミングやシステム管理のエンジニアのような専門職の解雇により、上述したような「システムが壊れる」という状況は、IT企業にとって命とりとなるようなことだからだ。
「システムが壊れ始めている」という状況については、専門家ではないので実際のところはわからないが、このような「噂が立つ」ということそのものが、広告主が手を引く要因になるのだ。
広告主が撤退をするということになれば、「倒産」という現実味も増し、ますますTwitter社は苦境に陥ることになる。
一部で言われているような「GAFA」の一角であるFacebook(現在のMeta)やGoogleなどでもリストラが始まった、という話がある。
実際マクロン氏がTwitter社のリストラを発表してから、MetaやGoogleはリストラ計画を発表している。
だからと言って「GAFA」のビジネス的な影響力が減るのか?と言われれば、これまで以上の「バリアフリー化」した発想があるシステムが登場するのか否かで、変わってくると思う。
一つ言えることは、システムをつくり・運用をするのは人である、ということだ。
マクロン氏のような闇雲に解雇をする、という方法は企業にとってプラスではないだろうし、何より「社会的企業イメージ」を下げる可能性が高いように思うのだ。
Huffpostを読んでいたら、「新しい時代の人事」という印象を持った、記事があった。
Huffpost:ニューロダイバーシティで誰もが働きやすくなる職場を。発達障害を含む「脳の多様性」を尊重する職場づくりプロジェクトが発足
この記事そのものは、企業のPR記事なので一般的な社会記事として読む必要はない、と思う。
ただ、企業の中にはこのような「脳の多様性」に注目している企業がある、ということは知る必要があるのでは?と、考えている。
というのも、いわゆる「生きづらさ」を抱えている人たちが、年々増え続けているからだ。
このような「生きづらさ」を抱えている人たちの多くは、国の社会保障費の中から生活費を提供されることが、多い。
というのも社会人になってから、いわゆる「大人の発達障害」が判明するようになった方が増える傾向にあり、社会的に問題となりつつあるからだ。
子どもの頃から「支援学級」等で学ぶことができれば、社会的支援も得やすい(と言っても自立できるだけの経済力を得る事は難しい)が、大人になってから判明すると、職を失い一気に「生活保護」を受けなくては生活が成り立たない、という状況になってしまう。
また、「発達障害」と言っても、その障害は様々で一人ひとりの問題となる障害と周囲が向き合う必要がある。
それを職場に導入する、ということは人員の問題があるだけではなく、職場全体の理解が十分でなければ、難しいはずだ。
重要な点の一つが「理解が十分」という点ではないか?と、考えている。
「頭でわかっている」という「理解」ではなく、「腑に落ちた」というところまで落とし込む必要があるからだ。
「腑に落ちる」という状況は、「脳の個性はあって当たり前」ということを受け入れ、自然にふるまうことができる、という状態のことだ。
まして、今の日本はOECD諸国の中でもジェンダーギャップが100番台と、低迷をしている状況にある。
その内容を見てみると、「女性の様々な地位での職場進出の遅れ」と「政界での女性の人数の少なさ」という、いわば「大人の社会」の中にある問題だ。
学生の頃までは、ジェンダーによる様々な問題を感じない女性が、社会に出たとたん「性差」という問題の壁に当たる、というのが現実である、ということでもある。
同様に、社会人になってから「発達障害」がある、ということが判明したら、上述したような「社会的弱者」へとなってしまうだけではなく、社会から受け入れられていない、と実感することで起きる精神的な問題もあるのでは?と、想像する。
このPR記事を出しているのが、製薬企業ということを考えれば、他業種に比べ理解があるのだろう。
ただ、このような「脳の個性」を認め合う社会となることで、今ある社会的問題の一部が解決する可能性は高く、それが社会的企業価値を上げる事に結び付くようになるのだろう。
買い物に出かけたら、近所のコンビニの幟の文字に「おや?!」と、思った。
その幟には「ベトナムカカオ」と、書いてあったからだ。
Gourmet Watch:ミニストップ ベトナム産カカオを使ったチョコソフトなど「食べる観光 ベトナムフェア」発表
「おや?!」と思ったのは、カカオの産地がベトナムだったからだ。
私の中では、カカオの産地としてベトナムというイメージが、無かったからだ。
しかし考えてみれば、ベトナムに近いインドネシアは、カカオの産地としてコートジボアールの次に多い国だ。
外務省:カカオ豆の生産量の多い国
生産量だけを見た時、1位のコートジボアールの半分くらいではあるが、日本人の多くがカカオの生産地として思い浮かべるガーナよりもわずかだが、多い生産量を誇っている。
日本人が「カカオ=ガーナ」と思い浮かべるのは、製菓会社のチョコレートの商品名に使われているからだろう。
しかも、その商品そのものが、超が付くほどのロングセラー商品だからだ。
ただ、数年前から「チョコレート危機」ということが言われるようになった。
東洋経済on-line:2020年「チョコレート危機」は本当に来るのか
理由は、地球温暖化やカカオの栽培の難しさ、新興国の消費増加などが挙げられていた。
カカオ豆の生産第2位のインドネシアなどは、カカオの栽培は多いものの「カカオ豆」という製品として市場に出す技術がなかった、と言われている。
その技術的援助を積極的に行い、日本ではほぼ独占的にインドネシア産のカカオ豆を使ってチョコレートを製造販売しているのが、京都のチョコレート専門店「Dari K(ダリケー)」だ。
拙ブログでも過去何度か、取り上げてきているのでご存じの方もいらっしゃるかもしれない。
品質の高いカカオ豆を製品化することで、インドネシアのカカオ農家の経済的基盤を整えるだけではなく、子どもたちの教育支援に結び付けようという考えを基にインドネシアでの事業を展開してきた企業でもある。
おそらくミニストップを傘下としているイオングループも、安定的なカカオ豆の供給ができる地域として、ベトナム産を扱うようになったのでは?という気がしている。
イオングループとしては、安定的で質の高いカカオ豆を手に入れる事ができれば、PVブランドそのに「新たな製品のものがたり」が創れるようになる。
「ものがたり」というと、イメージが付きにくいかもしれないが、「カカオ栽培からチョコレートになるまで」様々な人達が携わり、それが世界に結び付く貢献として、企業が役に立っている、という「ものがたり」だ。
もちろん、そのような商品をイオングループでしか購入できない、という付加価値も加わるし、購入する人もまた「世界と結びつく貢献をしている」という、ことになる。
当然のことながら、上述したような「チョコレート危機」を回避することもできる、という訳だ。
とすれば、生活者もまたそのような情報を基に「自分好みのカカオ産地」を見つける、という新たな嗜好が起きるかもしれない。
今の「チョコレート市場」を支えているのは、「お菓子」と「健康」の2つの側面がある。
そこに「産地」が加わることで、世界とつながる「日常生活の貢献」が、加わるかもしれない。
先日、東洋経済のWebサイトを読んでいたら、とても興味深い記事があった。
東洋経済on-line:「世界から”色”が消えている」衝撃事実の驚きの訳
記事を読んで面白いと感じた理由は、情報過多になればなるほど「情報を伝える為」に色や個性あるロゴよりも、単純でシンプルなモノの方が、メッセージが伝わりやすい、という点だ。
確かに、ここ数年でファッション関連の企業のロゴなどは、「わかりやすい」ロゴへと変わってきたように思う。
ただ「わかりやすい」と、認知されやすいと同じではない、と思うのだ。
今から30数年前、日本の企業は「CI」にとても熱心だった。
「CI」とは「コーポレーションアイデンティティ」の略で、多くの上場企業がロゴを変え、コーポレートカラーをつくり、それらを基にCMなどの広報活動に使っていた。
一目見ただけで、企業名と企業らしさが伝わる為の「企業イメージ戦略」だった。
その結果として、テレビCMなどは様々な企業の「色」にあふれていたように思う。
それが今のような「シンプル」な色やロゴがあふれるようになると、「企業の個性=らしさ」というものが、逆に伝わりにくいのでは?という、気がしてくるのだ。
それは企業だけだろうか?と考えると、社会全体が、「シンプル」な思考になっているようにも思えてくる。
「シンプル」と言えば、聞こえは良いが「単純化」あるいは「考えない」ということにも、繋がっているような気がするのだ。
もっと突き詰めて言うなら「短絡的」ということになるのかもしれない。
と同時に「同調性の強い社会」ということにもなるのでは?という気もしている。
掛け声は無いけれど、暗黙の了解のように「右向け右」のような、個人の考えや思考よりも集団の声の大きさあるいは「家父長制」のような権力者に従うような社会になるのでは?という、ことなのだ。
そのような社会が、豊かな社会なのだろうか?という気がするのだ。
逆にカラフルな色で思い浮かべるのは、「LGBTQフラッグ」だ。
別名「レインボーフラッグ」と呼ばれているモノだが、様々なカラフルな色は「多様性」をあらわしている、と言われている。
「多様性を認める」象徴として、カラフルな色の旗を掲げているのだ。
何より「色」には、様々なメッセージが込められている、と言われている。
先日行われた米国中間選挙を見ればわかるように、共和党の党カラーは「赤」だ。
「赤」という色には、勝利や情熱などを感じさせると、言われている。
一方民主党の党カラーである「青」は、冷静さや誠実などをイメージする色と言われている。
とすれば、「色のない社会」は、情報過多の中でのメッセージを伝える為ではなく、「個性もメッセージもない社会」ということになってしまうように思えるのだ。
先週行われた、米国の中間選挙。
ご存じの方も多い、「バイデン大統領の中間テスト結果」のような位置づけとも言われている。
以前、拙ブログでも書かせていただいたのだが、この2年間バイデン政権で世界的に話題となるような政治的な話題は、あまり聞かれなかったような印象を持っている。
その一つの理由は、ロシアのウクライナ侵攻などにより、注目の中心が米国ではなく欧州であった、ということも関係しているのかもしれない。
もちろん、バイデン政権はウクライナ支持をいち早く表明したが、実質的な介入は避けてきた。
そのため?「世界の警察・米国」というイメージは、無くなりつつあるような気がしている。
それは「強い米国」というイメージから、「先進諸国の一つ・米国」になった、という印象を与えたようにも思える。
それが良い・悪いというのは、今後の国際政治などの中で、判断されているのだろう。
もう一つは、バイデン大統領が高齢であるがために、認知力に問題があるのでは?という指摘がされていた、という点だろう。
実際、中間選挙前には既に亡くなられた方の名前を公的な場で呼ぶ、ということもあった。
この報道がされた時、懸念されたのがバイデン大統領の認知力の問題だった(と、記憶している)。
そのため、今回の中間選挙では「レッドウェーブ」が起きるのでは?という、見方が多かった。
「レッドウェーブ」というのは、「共和党圧勝・トランプ氏の復活」ということを指していた。
理由は、共和党のイメージカラーが赤だからだ。
トランプ氏が、常に赤いネクタイをしていたことを、記憶している方も多いだろう。
トランプ氏が、党カラーだからという理由だけではないと思う。
「赤」という色は、情熱などを示すだけではなく勝利をイメージさせる色でもあるからだ。
そのため、「レッドウェーブ=共和党の勝利」ということが、中間選挙前に言われていたのだ。
NHK News:アメリカ中間選挙2022【詳細】
しかし、上院での結果では「レッドウェーブ」が起きなかったようだ。
その理由として、今現在挙げられているのは、今年の夏連邦最高裁が「中絶に関する女性の権利」を覆したからだ。
JETRO:米最高裁、女性の人工中絶権を認めた1973年の判例を破棄
この時の連邦最高裁の判断は、全米の女性から、相当な批判が沸き起こった。
というのも、この最高裁の判断をした一人がトランプ政権下に選ばれた人物だったからだ。
元々米国中間選挙では、与党となっている政党支持者は中間選挙そのものへの関心は低く、実際の投票に行く支持者は多くない、と言われてきた。
ところが上述したように、トランプ政権下で選ばれた最高裁の判断を覆す為には、選挙に行き自分たちの意思を示すのが、一番効果的だからだ。
最高裁判事は、終身なので選挙に行ったからと言って、判事が罷免されるようなことにはならない。
ただ、9人いる判事のうちこの「中絶に関する判例を破棄した」保守派の判事には、良い意味での「圧力」を掛けることができる。
このようなことが、「レッドウェーブ」が「さざなみ」程度に終わってしまった、ということに繋がったとすれば、改めて「選挙に行く意味」の大切さを実感するのだ。
今日、法務大臣の葉梨法務大臣が辞任をした。
「辞任」と言えば、責任をとってご自身の判断で辞められたような印象だが、その実は「更迭」ということのようだ。
「更迭」された理由は、「法務大臣の仕事」についての発言だ。
発言内容については、改めて拙ブログで説明する必要もないと思う。
それにしても、岸田政権の閣僚たちの発言は、これまで問題発言とされてきた国会議員たちの中でも群を抜いて「軽い」という気がする。
それは先日辞任した山際経済再生担当大臣の「記憶にない」発言も、同様だ。
「経済再生」を担当する大臣が、健忘症のような発言をされていては、とても経済政策などできるはずがないからだ。
もちろん、経済政策の骨子をつくるのは大臣や大臣秘書ではなく、財務官僚がつくるのだが、大臣が自分の都合の悪いことになると「記憶にない」と国会等で答弁されては、政策の骨子をつくる側も信頼できないだろう。
そして、辞任から数日後自民党の新型コロナウイルス対策本部長に就任している。
この党人事に関しては、旧統一教会問題を抱えている萩生田政調会長が、決めたということらしい。
共同通信(Yahoo!ニュース):山際氏起用「私の判断で指名」党コロナで萩生田政調会長
そもそも山際氏が経済再生担当大臣を辞任するに至った理由は、旧統一教会との関係を問題視したからだ。
その調査を担当するのが同じく旧統一教会との関係を問題視されている萩生田政調会長、ということになっている。
「この人事、どこかおかしくないですか?」と、世間の多くの人たちはツッコミを入れているにもかかわらず、このような人事を平気で行ってしまっているのが、岸田政権ということになる。
そこに、今回の葉梨法務大臣の辞任という名の更迭だ。
これまでも、「残念な内閣」はいくつもあったように思うのだが、今回の岸田内閣ほど「残念な内閣」は無かったような気がしている。
「大臣」という職務や責任ということをよりも、「大臣」という肩書だけが重要で、職務や責任というものを感じていないのでは?と感じる程、発言が軽いのだ。
ご本人は、軽いジョークのつもりで話されているのかもしれないが、その的の外れ具合が半端ではない。
そのように考えると、任命責任者である岸田首相自身もまた、職務や首相という責任ではなく「肩書」だと思っているのでは?という、気がしてくるのだ。
結果、内閣そのものが「残念な内閣」になってしまい、そのことに対しての責任を感じていないのでは?という、印象を持ってしまうのだ。
今日、米国では「中間選挙」が行われている。
バイデン民主党の2年間を選挙民はどう感じ・どう考えているのか?ということを、示し一つに指標となる選挙でもある。
そして、早い段階で「民主党、苦戦」という類の論調が多い。
確かに、この2年バイデン大統領の功績は?となると、目立った政策は?という疑問符を持つ人も多いのでは?と、感じている。
ただ、バイデン大統領にとって不幸(というべきか?)だったのは、前トランプ大統領の時から続く「新型コロナ」の世界的大流行があり、ロシアのウクライナ侵攻など、国際政治での不安材料が数多くあった、ということだろう。
選挙で投票するのは、米国民で選挙民登録をしている人に限られているので、国際政治云々に関しては関係がないにせよ、国際政治の対応が国内政治の足を引っぱった可能性は少なからずあるのでは?と、想像している。
何よりバイデン大統領よりも期待があった、ハリス副大統領の存在があまり感じられなかったような印象を持っている。
バイデン大統領というよりも、ハリス副大統領に対する期待感の方が高かったのでは?という、印象を持った2年前を考えると、マイノリティー出身女性の活躍を期待していた層は、とても大きかったのでは?という気がするからだ。
米国内での活躍はわからないにせよ、海外に向けての報道が少なかったということが、ハリス副大統領の存在を薄くしてしまっているような気がしている。
そして、我が国の岸田政権だ。
「先の参議院選挙後3年間は安泰」と言われていた中で起きた、旧統一教会問題。
この問題の解決策の道筋も、中途半端な状態の中で起きた急激な円安。
もちろん、「新型コロナウイルス」対策に翻弄されている、という状況が続いている、とも言えなくはないが、「新型コロナ」の感染拡大が始まったのは故安倍首相の頃で、それから菅首相→岸田首相と首相が変わったが、その間、基本的な対策に大きな変化があったわけではない。
強いていうなら、「行動規制」が段階的に無くなりつつある、ということと海外からの観光客の受け入れ緩和、というくらいだろうか?
海外からの観光客受け入れ緩和をしつつも、いまだに感染症2類扱いをしている為、国民側は自主的に様々な「制限を自分に課す生活」を継続している、というのが現状だろう。
経済政策でも「円安」に対する対応策そのものもはっきりとせず、10月には「覆面介入」を日銀が行い、その時の額が1兆円前後だったのでは?と言われ、表立った「為替介入」は1、2回?という印象だ。
「円安」により、国民生活が苦しくなるということで、打ち出した政策はあったが、何となく的外れな印象を持っている。
国民が求めているのは「多少の円安になっても、安心して暮らせるだけの経済基盤を整えて欲しい」ということだと思うのだが、1世帯当たり補助金を出すとか、ポイント付与のような小手先にもならないような、政策を打ち出しているように感じるからだ。
反面、静かに増税がヒタヒタとやってきている。
PRESIDENT on-line:値上げ地獄でも「増税」を押し付ける・・・日本人をますます貧乏にする岸田政権の危うさ
問題を一つづつ解決するにしても、首相としての岸田さんの動きが遅すぎるように感じている。
岸田首相が、すべきことは「政権」という組織を使って問題を解決する、ということだとすれば、組織の長である岸田さんの考える「新しい資本主義」とは、「国民生活基盤を整えるだけの経済力と社会的安心」ではないのでは?と、感じるのだ。
我が家にテレビが無くなってから、10年以上になる。
その間、テレビCMそのものが見られない、という環境になっていたのだが、最近随分面白いCMをYouTubeで見ることが増えた気がしている。
その一つが、広島県観光連盟のCMだ。
広島県観光連盟のCMは、広島出身のPerfumeが広島弁のナレーションと楽曲を使い、以前から人気観光スポットだけではなく、今まで注目をされてこなかった自治体の魅力を伝えるような内容になっている。
CMそのものは、「コロナ禍」での行動制限が解除されてからなので、YouTubeでの公開も今年の初夏位からということになる。
広島観光連盟:「やっぱ広島割じゃ」
おそらくこのような地方自治体CMの先駆けとなったのは、宮崎県小林市の移住促進PRだと思う。
宮崎県小林市:移住促進PR
ある外国の男性が、小林市ののどかな風景を見ながら市内を散策する、という内容のCMでフランス語を話しているのかと思いきや、実は小林弁で話をしていた、というオチがあるCMで話題になった。
10年ほど前から、地方自治体がこのようなCMをつくるという発想はなかったのでは?と思うのだが、今地方自治体が積極的に地域活性化の為に様々なアイディアでCMを制作し、YouTube動画として公開するようになってきている。
もちろん、テレビCMとしてテレビでも放映されているはずなのだが、全国ネットでテレビで放映するとなると相当の費用が必要になるはずだ。
それがYouTubeとなれば、放映する為の費用が変わってくる。
その理由を説明するまでもないだろう。
実は、もう一つ気になったCMがある。
一般社団法人軽自動車協力連合会のCMだ。
軽自動車協力連合会:日本の原動力、軽自動車、リレー篇
車のCMというのは、昔も今もメーカーがするものだ、と思い込んでいたらメーカー各社の軽自動車が登場し、「あれ?」と思い注目をしたのが始まりだ。
海外では「小型車」はあっても「軽自動車」という、分類は無いといわれている。
その中でも「軽トラ」という発想は、日本独特で最近では海外人気が高まっている、と言われている。
ベストカーWeb:アメリカの牧場でも大活躍⁉現地で軽トラ&軽バンが人気な理由
このような世界的評価の高まりもあり、日本ではセカンドカー扱いとなっている軽自動車の魅力と現状を伝える、という内容のCMを関連団体が制作をし、YouTubeにあげているのだ。
テレビのように、具体的な購買層を限定しないYouTubeだからこそ、幅広く「軽自動車の魅力と現状」を伝えることができる、という判断があったのでは?という気がしている。
その軽自動車繋がりで面白いと感じたCMが、ヤマハ発動機の「Field Born」だ。
ヤマハ発動機:Field Bron Vol.1 人をつなぐモビリティ
こちらはあくまでも企業CMなので上述した2件のCMとは違うのだが、タイトルにある通り「今の社会的問題を自分たちはこう考え・解決したい」というものが伝わってくる内容だ。
このような内容は、テレビCMでは時間的制約や飛ばされる可能性も高い為、テレビの中では流しにくい。
飛ばされるのはYouTubeでも同じだが、「テレビCM候」というつくりではない為、何かのドキュメンタリーのような感覚で見ることができる。
テレビ局で流すテレビCMを、否定するわけではない。
ただ、個性的でメッセージ性がある内容は、YouTubeという場所に代わりつつあるのでは?という、ことなのだ。
テレビ局で放映してもらう費用を、制作費に充てる事で面白く興味深いCMをYouTubeを利用し、(あわよくば)チャンネル登録をしてもらうことで、固定的なファン獲得をしたい、そんな企業や自治体、団体が増え始めていると実感している。