日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

モバイル市場は、どうなる?

2014-10-31 20:02:34 | ビジネス

今年に入ってから、新に通信事業に参入する企業が出てきている。
今月には、楽天がモバイル市場に参入する、と発表をしている。

そんな中、ドコモの中間決算が発表された。
日経新聞:ドコモ、4~9月14%減益 通期予想を下方修正
同じ通信会社である、KDDIの中間決算の記事も直ぐ下に掲載されている。
日経新聞:KDDI純利益42%増、データ通信料収入増 4~9月
SoftBankの中間決算が発表されていないので、何とも言えないが数字だけを見ていると「ドコモの一人負け状態」が続いている様に見える。

そこに上述した通り、新に通信事業に参入する企業が出てきている状況を考えると、「モバイル通信事業」の市場獲得競争が激化し始めるのかな?と言う気がしてくる。
今年新たに参入した企業の、セールスポイントは「今までの通信費を安く」という点だ。
その為、新規参入企業が打ち出した戦略も、それぞれ違っている。
「楽天でんわ」に関して言うなら、「携帯やスマホだけでは無く固定電話への接続も安い」というのがセールスポイント。
楽天の前に参入をしたAEONは、どちらかと言えばスマートフォンの通信料を値下げる、と言うのがセールスポイントのようだ。
他にもYahooが、ウィルコムとイー・モバイルを合併して「Yahooモバイル」と言う会社を立ち上げ、ヨドバシカメラなども参入している。
まるで、「(携帯電話を含む)モバイル事業、参入ラッシュ」という感がある。

しかし、冷静になって考えてみるとこれ以上のモバイル市場の拡大が望めるのだろうか?と言う疑問が湧いてくる。
確かに、小学校高学年くらいからスマートフォンを使い始めると言われ、いわゆるガラケー利用者が減っている、と言うことを考えると、スマートフォンの市場はある程度拡大していくだろう。
だからと言って、今までのような速度で拡大していくのか?と言うと、違うのでは?と言う気がしている。
理由は「急速に拡大した市場」だからだ。
市場の拡大が速さよりも、市場のニーズというかパイが拡大しているのであれば、問題無いかも知れない。
今の現状は、果たしてその様な状況になっているのだろうか?と言う点だ。

そう考えると、ドコモの不振は既存だけでは無く新規参入をした通信会社の将来の姿かも知れない。
もちろん、選ぶ方もそれなりのメリット・デメリットを十分理解する必要があるだろうし、サービスを提供する側も「安い・速い・つながる」だけの説明では、生活者は満足出来なくなってくるだろう。


「お米は食べるだけ?」-視点を変えると違ってみえる-

2014-10-30 16:26:58 | マーケティング

朝夕、随分肌寒さを感じる様になってきた。
今年は、冬の訪れが早いようで北海道では既に初雪が降っった。
今くらいの時期になると、ドラッグストアの入り口付近には、「風邪薬」や「うがい薬」と並んで、ハンドクリームなどが置かれる様になる。
ハンドクリームの商品棚を見て、「なるほど!」と思った商品があった。
「ライスオイル」という商品だ。
ハッキリ言えば「米油」のこと。
もちろん、調理用ではなく化粧用として、精製された「米油」だ。

今年の米価は、例年に比べ安いと言われている。
そうは言っても、お米のブランド化が進み、米価とは関係なく高い価格で取引されるお米も数多くある。
その筆頭は「魚沼産コシヒカリ」だろう。
一方「米余り」 と言う状況が、長い間続いている。
「米離れ」だけでは無く、日本の人口減少などの影響もあり、消費量そのものが減ってきる。

その様な状況から対策を考えると、その第一歩は「米の第6次産業化」だろう。
流通だけでは無く、農家や農協自らが「米製品を作り、販売をする」というコトになるのだが、それで「米=食」とみているだけでは、消費の限度がある。
だからこそ「米=食」という考えを一回、リセットする必要があるのではないだろうか?
その一例が、上述した「化粧用米油」なのだ。
と言うのも、ここ2,3年話題になっている(?)「γオリザノール」という美容成分が、お米だけに含まれているらしい。
「おいしいお米」は、夏でも水が冷たく1日の寒暖差がある様な地域に限定されるが、「γオリザノール」という美容成分を含んだお米、と言うのであれば、お米の味にこだわる必要はないはずだ。
むしろ、日の光をタップリ浴びたお米のほうが「UV効果」が、あるかも知れない。


昔から美容効果があると言われている、「(白)ぬかぶくろ」などがある様に、元々お米を様々な用途に使ってきた。
「減反」というコトを言う場合、「米=食」として考えるために「減反」という発想になるのだと思う。
「米」そのものの持つ様々な栄養素などを、食としてではなく様々な分野(スキンケアやヘルスケア)の素材として考えれば、全く違った市場が見えてくる。
「米油」にしても、「食用」なのか「美容」なのか、はたまた「バイオ」なのか?と考えれば、意外な分野での使われ方があるかも知れない。
米油を絞った絞りカスにしても、土地改良の材料として使うことができるかも知れないし、輸入に頼っている「飼料」の代わりとして使えるかも知れない。

「米価が下がった、大変だ!」、「減反で大変だ!」で思考を停めるのでは無く、これまでとは違う発想での、「6次産業化」をする必要があるのではないだろうか?




 


「ゴール」はどこ?

2014-10-28 21:00:23 | 仕事のコツ

HUFF POSTに「サイボウズ式:資料を何度も作り直させるのは三流以下の仕事」、と言うタイトルの記事がアップされている。
HUFF POST:サイボウズ式 資料を何度も作り直させるのは三流以下の仕事

この記事を読んで「そうだ、そうだ」と頷く人もいれば、「上司の指示なのだから、やって当然」という考えをもたれる方もいるだろう。
中には「三流以下、とは酷いな~」という感想を持たれた方もいらっしゃるかも知れない。

「三流以下」かどうかは別にして、「上司から再三指示が変わる」と言う経験は、おそらく数多くのビジネスパーソンが経験をしているコトだと思う。
その原因は何か?と言うと、おそらく「ゴールが判っていないから」なのでは?と言う気がしている。
「ゴール」というと、わかり難いかも知れない。
要は「その仕事の使命」ということが、一緒に仕事をしているメンバー全員に共通理解がされているのか?と言うことだ。
さらに大切なことは「目的が使命になってはいけない」というコトだ。

マネージメント職に一番求められるのは、実はこの「ゴール(=仕事の使命)を分かり易く、端的に伝えるコト」だと、考えている。
その為に「伝える力」が必要になると思うのだが、「伝える力」以前に必要なことは「相互理解を深める力」だと思う。
最近流行の言葉でいうなら、「コミュニケーション能力」と言うことになるかも知れない。
ただ残念なコトに、日本のビジネスマンは「飲みにケーション力」は優れていても、「コミュニケーション能力」が十分だとは言えないと言う気がしている。
特に私と同世代以上の男性などは、「言わなくてもわかるだろう・・・」とか、「そのくらい察して欲しい」という気持ちが強い様に感じている。
その「察する力」というのは、よほどの人間関係が出来ていなくては、なかなか発揮することができない。
それほどの人間関係が出来てないにもかかわらず、そう思ってしまうのは、指示を出す人自身が「ゴールが判っていない」からだ。

そしてマネージメント職で大切なことは「目的が使命にしてしまわないコト」だろう。
わかりやすい例を挙げるなら「売上げ目標」だ。
例えば。ビジネスの使命は、「商品やサービスを提供するコトによって社会全体が良くなる」と言うことだとしよう。
その為には具体的な目標として「売上げ目標」という目的が、設定される。
ところが、いつの間にか「売上げ目標を達成する」ことが、「事業の使命」になってしまい、本当の「社会全体が良くなる」というコトが忘れ去られてしまう、と言うことがよくある。
その様な経験は、多くの方がされていると思うし、実際、私もその様な経験がある。
そうなると「ゴール」そのものが、全くちがったモノになってしまう。
と同時に、チーム全体の動機付けや達成感、時には「(仕事に対する)社員満足度」の尺度が全く別のモノになってしまい、社員が混乱してしまう。
その様な混乱が、企業にとって「目に見えないリスク」となっている可能性は、HUFF POSTで指摘されている通りだ。

マネージメント職は「管理する」のが目的では無く、チームスタッフや社外の取引先と一緒に「事業の使命は何か?」というコトを共通理解させるのか?と言うことが、重要なのだと思う。





嫌な感じの広告

2014-10-27 19:20:30 | マーケティング

Yahoo!のトップに表示される「広告」。
大体は、大手企業の広告が表示されるコトが多い。
特にクリスマス前などになると、毎年の様に「カルチェ」や「エルメス」などの海外有名ファッションブランドが、華やかな広告を出している。

新聞広告で言うなら、真ん中の全面広告くらいの影響力がありそうな広告場所だと思うのだが、その様な場所に「政府広告」が表示され、驚いた。
広告を通して鋭く今の社会を軽妙なコラムとして書かれていた、天野祐吉さんが見られたら激怒するに違いない!と思う様な広告だったからだ。
その広告とは、内閣府の「社会保障と税の一体改革」と言うもの。
内閣府:特集-社会保障と税の一体改革

天野さんは、以前から政府が意見広告を出すコトに疑問を呈してこられた。
「言論の自由」と言う視点で考えれば、政府であっても「意見を広く知らせる(=意見広告)」はあっても問題はないかも知れない。
しかしその「広告費の出所」は、国民の税金なのだ。
「税金を使って、政府が意見を述べる」と言うのは、「国民に政府に対して反論する機会がほとんど無い」という状況を作り出している。言い換えるとすれば「国の意見に国民は従え」と言うことを「広告」という一見優しい表現で、言っている様なものだ、と天野さんは指摘されていた。

そして今回の「社会保障と税の一体改革」というインターネット広告を見たとき、「10%増税をする為の言い訳的な広告」という印象を受けたのだ。
と言うのも、この春消費税が3%アップして社会保障の充実が図られたのか?と言うと、その様な印象はほとんど無い。
むしろ、増税分は「昭和型公共事業」へとまわり、どれだけ「子育て支援」とか「福祉の充実」などの社会保障に使われたのだろう?と言う疑問しかないからだ。

マーケティングの要素としてあげられる「4つのP」の一つである「promotion」は、広告をするだけのコトを指している分けでは無い。
広告をすることによって、社会がより良い方向性をもって動くコトを考えているはずなのだ。
自分の都合の良い宣伝をするコトは、「promotion」では無いと考えている。

もう一つ言うと「政府が積極的に宣伝をする」時には「プロパガンダ」という言葉が使われる、と言うことも考える必要がある。
今回のインターネット広告が、「プロパガンダ」だとは言い切れないが、内容を見る限り生活者実感とはかけ離れた「実績」ばかりが述べられている様に感じる。
その「違和感」こそ、このインターネット広告の「嫌な感じ」なのだ。


庶民のささやかな楽しみが・・・

2014-10-25 20:11:35 | アラカルト

「湯上がりに一杯」というシーズンではなくなったと思うのだが、これからの「鍋シーズン」に向けビール各社は、様々な販促を考えていたコトだろう。
特に、最近は「ビールの仲間」も増え、自宅飲みでは日頃は「第3のビール」、週末や給料日などは「プレミアムビール」と使い分け(というか、飲み分け)をされている方も多くいらっしゃるのではないだろうか?
週末、近所のディスカウント酒店の前を通ったりすると、「第3のビール」をケース買いされている方の姿を見かけるコトは、当たり前の様になってきた。
それだけ「第3のビール」が、生活の中に溶け込み、支持をされている、と言うことなのだと思う。

そんな庶民のささやかな楽しみが、どうやら無くなりそうだ。
中日新聞:ビール類の税率一本化 政府が検討

そもそも「第3のビール」が登場した背景には、バブル経済崩壊後の経済の低迷があり、好景気と言われた「小泉内閣」時代でも、生活者の景気実感は決して良いものではなかった。
その様な社会環境の中で、「第3のビール」は登場したのだ。
「プレミアムビール」のような美味しさは無いが、「ビールを飲んだ気分」は十分味わえる、と大人気になった。
特に「発泡酒」の酒税が上がった直後に登場した「第3のビール」は、ある意味ビール各社の「意地」のようなカテゴリー商品だったのかも知れない。
その「意地」とは、生活者にとって「手軽に気持ち良くビールを飲む生活を提供したい」というコトだったように感じる。
そして「第3のビール」は大ヒットした。

ここ数年は、SUNTORYの「プレミアムモルツ」が、国際的な食品のコンクールで数年連続の「金賞」を受賞するなどして、「プレミアムビール」という新しい市場も登場し、「ビール類市場の2極化現象」が起き始めていた。
おそらく「2極化現象」といっても、上述した通り生活者の使い分け(飲み分け)が進んだために起きた、と考えられるので、ビールメーカー各社は「プレミアムビール」に力を入れる一方で「第3のビール」の開発にも積極的だった。
その「第3のビール」開発に水を差したのが、今年の春に起きたサッポロの「極ゼロ」だったと思う。

今回の報道を見てみると、「極ゼロ」の問題は、「第3のビール」に対する酒税アップの始まりだったのかも知れない。
考えて見ると、安倍政権になってから庶民の楽しみが少しずつ増税の対象になってきている様な気がする。
消費税Upの理由は、社会保障の充実だったような記憶があるがその様な報道はほとんど聞かれないし、安倍内閣ができる原動力となったはずの「アベノミクス」という景気回復実感も無い。
確かに「景気回復の気」はあったかも知れないが、「気」というものは気ままなモノ。
いつまでも続く訳ではない。

昔の自民党政権と同じ様な「公共事業」の発想で景気回復とか、「円安で輸出産業が日本経済を引っ張る」という時代ではない。
政治家が「やればできる」的な精神論で、言われても生活者はついてこない。
最近の政府の政策をみていると、生活者の気持ちからはどんどん離れていっているような気がするのだが・・・。


ドラフト会議とブランド力

2014-10-24 18:12:30 | スポーツ

昨日、プロ野球の「ドラフト会議」があった。
その結果は、ご存じの通り。
今回一番の注目の選手が、どの球団が交渉権を得た、などのニュースが新聞やスポーツ新聞大きく報じていた。
この報道を見て「?」と、思ったコトがある。
それは、ドラフト指名選手が最近ある特定球団の入団のために入団を辞退したり、ドラフト会議前から「○○球団に入りたい」というコトを言わなくなった、と言うことだ。

ある特定球団というのは、ご存じの通り「巨人軍」のことだ。
随分前「江川問題」とか「空白の1日」などと言われたことも、あった「巨人軍」への入団。
その後も「巨人軍」に入団したいが為に、辞退をし1年海外の大学へ「野球留学」をした選手もいたように記憶している。
「逆指名」ができる様になると、ドラフト有望選手がこぞって(?)「巨人軍」を指名。
その結果、他球団が最初からその選手を指名から外す、と言うこともあったと思う。

それが、ここしばらくは「逆指名」が出来なくなったコトも影響していか?「何が何でも巨人軍」という選手が、減ったというかいなくなった様な気がする。
今回、複数の球団から1位指名をされた選手は「ドラフト1位指名が夢だった。その夢が叶った」と、コメントをしているようだ。
何より、人気という点では、圧倒的にセリーグの方が人気があるように言われていながら、今回話題になった選手がパリーグの球団からの指名を、ネガティブに受け止めていない、と言う点に大きな変化を感じている。

元々野球ファンではないので、認識間違いがあるとは思うのだが、長い間日本のプロ野球は「巨人軍」という圧倒的な強さを人気を誇るチームによって牽引されてきた。
その為「巨人軍」を頂点とする、セリーグのほうが何かと注目を浴び、人気も高かった。
一方、その様な圧倒的な人気と強豪チームを持たない、パリーグのチームは実力は別にして人気という点では、観客動員も少なく、空席が目立つ様な状況が長い間続いていた。
その様な状況だったからこそ、野球少年達が目指す頂点は「巨人軍」だったのかも知れない。
もちろん、「阪神ファン」もいれば「広島ファン」、「中日ファン」や「横浜ファン」、「ヤクルトファン」もいるのだが、基本的には圧倒的な人気を誇り、ドラフトの話題も「誰が巨人に入るのか?」というコトだったような気がする。

その流れがいつの間にか、大きく代わりパリーグのチームの試合の観客動員は増え、テレビなどでの野球中継では無く、ファンが球場に足を運び観戦する、と言う「観戦スタイル」が定着。
と同時に、ドラフト会議のような場所でも指名をされた選手が交渉辞退をすることなく、入団をする様になってきた様に感じるのだ。

そう考えると、圧倒的に強いブランド力のあった「巨人軍」のブランド力は、どうなってしまったのか?と言う気がしてくる。
おそらく「巨人軍」のブランド力が低下したのではなく、他の球団のブランド力が強くなってきただけなのだと思う。
特にパリーグのチームが、積極的に観客動員を増やすために様々な方法で、チームの魅力を発信し、努力を積み重ねてきた結果が、ここ2、3年に見られる様な「ドラフト会議、指名選手のコメント」に繋がっている様な気がする。
結果として「巨人軍」のブランド力が、霞んでしまった(?)という気がした、今回のドラフト会議だった。


日本の国土保全は、大丈夫?

2014-10-23 19:27:24 | アラカルト

先日、200の治水ダムなどがその機能を果たすコトができず、逆に洪水などの被害をつくりだす懸念がある、と言う報道があった。
Yahooトピックス時事通信:ダム200カ所で管理不備=土砂堆積、治水機能低下も―検査院
この調査報告にも驚いたが、その理由が「維持管理の為の経費不足」。
物を造れば、維持管理は当然のことながら発生するはずなのだが、どうやら見落としていたらしい。
これでは、本末転倒と言うことになってしまう。

もう一つ気になったのは、昨日の朝FMを聞いていた時に知った「自然災害リスクが高い都市第一位が東京」というコトだ。
その理由は、元々地盤が低い土地であったことに加え、地下水などの汲み上げで地盤沈下が進んでいる、と言うことのようだ。
場所によっては、江戸時代から4mくらい地盤沈下したところもあるという。
私にとって、東京の洪水のイメージは、多摩川の堤防が決壊した時の映像。
テレビドラマ「岸辺のアルバム」のオープニングでも使われた映像なので、ご存じの方も多いかも知れない。
ところが、この映像のような大洪水によるリスクよりももっと問題なのが、上述した「地盤沈下による災害」というコトのようだ。

その理由は、潮の満ち引きだけでも水没してしまう様な地域が実際にはあり、その様な地域は地盤沈下がわかる度に、防波堤を上へと伸ばし続けてきた結果、先の尖った様な防波堤になってしまっている、と言う。
防波堤としての強度そのものに疑問がある様な、防波堤の中で暮らしている人達がいる、と言うのだ。
それだけではなく、水門などで守られている様に思われるかも知れないが、その水門などの一部から「漏れ」が起きてしまった場合、些細な潮流、それこそ潮の満ち引き程度で相当の地域が水没してしまうリスクがある、と言う。
地震や大雨などによる「自然災害」ではなく、自然の営みの中で「自然災害が起きるリスクがある」というのが、東京だというのだ。

それに加え、治水ダムの機能低下や水力発電用ダムのダム湖に堆積している土砂などの問題など、様々な問題が日本の国土保全という視点で考えると、問題が起きていると言うことが指摘されるようになってきた。
「一度出来てしまった物は、仕方無い」という考えだけでは、日々の生活の中に潜む「災害リスク」はどうしようも無い。
またこれから税収が減ることを考えた、「高い維持費を必要としない自然とのつきあい方」を、真剣に考える時期のような気がする。
その中で、日本独特の「国土保全」と言うアイディアが生まれてくるように思う。


感染症の予防の基本は、当たり前過ぎる方法かも

2014-10-21 21:30:34 | アラカルト

西アフリカでの「エボラ出血熱」の感染が、世界へ拡大している。
「パンデミック」と呼ぶ状況の数歩手前、と言う話もある様だ。
その一方で、終息宣言が出された地域もある。
ロイター:WHO、ナイジェリアのエボラ熱終息を宣言

ロイターが掲載していた「学校の入り口で手を消毒する児童」の写真を見て、「手洗い・うがいが、感染症の予防の第一歩であり、基本」ということを改めて知った様な気がした。
感染症すべてが、「手洗い・うがい」で予防できる訳ではない。
しかし、インフルエンザにしても今回のエボラ熱にしても、感染が拡大する前の予防は「手洗い・うがい」だったような気がする。
特に空気感染ではなく、接触感染による感染症には「手洗い」などの衛生習慣が効果的、と言うことを再認識した。

エボラ熱の感染が急速に拡大した地域は、飲料水だけではなく生活水全般の衛生環境が、余りよくない地域だ。
その様な地域で、今すぐ衛生環境を整えると言うことは難しいと思う。
ただ、今後と言うことを考えると、高い日本の衛生技術(と言うべきか?)を本当に必要としている地域は、この様な地域だと思う。

おそらく世界中で一番「除菌アルコール」を(当たり前)に見る国というのは、日本だけのような気がする。
病院だけではなく、公共性の高い施設の出入口、スーパーの出入口などなど、日に何度か「除菌アルコール」が置かれているのを見かける。
実際、使われている・いないは別にしても、当たり前の様に「除菌アルコール」が様々な場所に置いてある、と言うのは上述した通り、日本くらいなのでは?
それだけではなく、ドラッグストアーに行けば、多種多様な「除菌製品」が置かれている。

そう考えると、日本の様々な「除菌グッズ」を、是非とも治験中と言われている富士フイルムの関連会社・冨山化学工業が開発したインフルエンザ薬「アビガン錠」と一緒に提供する、と言うこともできるのでは?と、素人には考えてしまうのだ。
もちろん、治療者向けというのではなく「予防習慣」の目的のためだ。
そんな「貢献」も、日本だからできる貢献策という気がした、ロイターの写真だった。


女性閣僚辞任に思う

2014-10-20 20:28:47 | 徒然

今日、女性閣僚が2人辞められた。
ひとりは、松島法務大臣。
もうひとりは、小渕経産大臣。
このニュースを聞いて「安倍内閣、肝いりの女性閣僚だっったのに・・・」というのが率直な感想だった。
「残念」という気持ちは、余りない。
理由を挙げるとするなら、最初から「この人で大丈夫?」という気がしていたからかも知れない。

松島法務大臣は、国会の議場のストールは「ファッションのマナーを知らない」程度のコトで済む話だったが、その後から出てきた様々問題には、「何だかな~~、やはりこの人で適任だったのだろうか?」という疑問が次々にでてくる様な内容だった。

一方、小渕経産大臣に関しては「小渕さんの問題なのかな~?」という気がしているが、それ以前に経産省という日本の経済や産業全般に関わる政策を担当するだけの技量はあるのかな?と、思っていた。
別に小渕さんが女性だからではない。
それまでの小渕さんのキャリアなどを考えると、難しいだろうな~と言う気がしていたと言うこと。
経産省の大臣というのであれば、テレビ局のようなやや特殊(?)な経験よりも、メーカーや商社などの経験がある方のほうが、向いているのでは?と思っていたからだ。

ただ、上述した通り小渕さんの場合「小渕さんだけの問題だろうか?」という気がしている。
と言うのも小渕さんの様に、親から様々なモノ・コトを引き継いで政治家になった場合、親の「地盤・看板・お金」をそっくり引き継いでいるのでは?と、考えるからだ。
もしかしたら、亡くなられた父である小渕総理の後援会をそっくりそのまま引き継ぎ、実務面については父親であった小渕総理の頃からの「番頭役」の様な方が、小渕総理の頃と全く変わらない考えでやっていたのでは?と言う気がするからだ。
「大臣適齢期」と言われながら、大臣になれなかった方から、雑誌社にリークでもされたのでは?と言う気がしている。
もちろん、想像なので確証となるものはないが、「女性の嫉妬より、男性の嫉妬のほうが質が悪い」と言うことを実感しているので、その様な嫉妬心というかやっかみのようなところから、話しが出たのでは?と想像している。

今回の女性2閣僚の辞任で安倍さん肝いり(?)だった「女性が活躍できる社会」のモデルが、いとも簡単に辞任されたコトで、安倍内閣の「女性が活躍できる社会づくり」というビジョンは、崩れ去ってしまった。
だからと言って、女性議員に能力が無かったのか?と言うと、それは違うと思う。
あくまでも「女性議員の起用」の前に、「性差に関係の無い適材適所」ではなかった、と言うことだと思う。
安倍さんが考えた「女性議員の活用」と言うのは、何となく「客寄せパンダ」のような、起用だったのではないだろうか?


「ノーリスク社会」が、阻む社会リスク

2014-10-19 19:48:06 | ビジネス

実は、今月名古屋では「サイエンスフェスティバル」という企画が、名古屋市内だけではなく、愛知県下でも行われている。
「街なかサイエンス」という、企画も目白押しだ。
その「サイエンスフェスティバル」の目玉企画が、今日名古屋大学であった。
テーマは「iPS細胞による網膜再生-再生医療研究の最先端」。

登壇されたのは、iPS細胞の山中先生ではなく一緒に研究をされ、先月「加齢黄斑変性」の患者さんへiPS細胞を使っての手術を世界で初めてされた高橋政代先生。
iPS細胞や加齢黄斑変性の話は当然のこと、基礎研究と応用研究の狭間にある様々な問題についても高橋先生は、言及をされていた。
そして、日本が欧米よりも医療の分野で遅れをとる最大に理由は、医療関係者の問題よりもむしろ日本人が持っている「ノーリスク志向」が阻んでいるのでは?と言うことだった。

「ノーリスク社会」というのは、「リスクが無い社会」という意味ではない。
「現実にあるリスクを見よう(知ろう)としない社会」のコトだ。
それが顕著に現れるのが、医療と言う「人の生と死」が行き交う場所と言うことらしい(と感じた)。
例えば、新薬などの開発には「治験」が必須となっている。
「治験」を行う為には、政府の厳しいガイドラインが定められ、そのガイドラインに沿った「(治験のための)委員会」が実施病院には設置され、慎重に「治験の実施」が検討される。
患者の選定においても、様々な条件をクリアした患者が選定されて行われる。
もちろん、様々なリスクはあり治験に参加する患者側にも、治験の意味とそのリスクの理解が必要になる。
そこまで慎重に検討され、実施する治験ではあるが、未だに「治験=人体実験」の様なイメージで捉えている人が数多くいらっしゃる様だ。

今回のiPS細胞を使った移植手術にしても、「これ以上の安全性は確保できない」と言うくらいの安全性を確認しても、「本当に大丈夫なのか?」と言う疑問を呈する人がいらっしゃったと言う。
それが、医療関係者であれば高橋先生も納得されるところなのだが、その様なコトを言うのは医療関係者ではなく、iPS細胞のコトはもちろん、眼科医療についてもよく理解されていない人がその様な指摘をする傾向がある、と言うお話だった。

最大限のリスクを避けながらも、リスクの可能性を考えチャレンジしているのが、医療における応用研究というコトなのだと思う。
と同時に、日本の様々な分野の研究者たちは「自分の研究が、社会に役立つためには、どうしたらよいのか?」というコトを一所懸命に考え、実現をさせたいと言う熱意を持っている、と言うことも高橋先生の言葉から感じられた。
むしろ、臨床医とiPS細胞の研究者という「2つのわらじ」を履いているからこそ、「早く実現させたい」というお気持ちが強いのだろう。

考えて見れば、私達の生活で「ノーリスク」というコトは、あり得ない。
いつ何処で怪我をするのか判らないし、病気のリスクは常にある。
企業に勤めていれば「リストラ」と言うリスクはあるし、公務員でさえ最近では「自治体破綻」で失業をする、と言うことはある。
天災によるリスクなどは、人知で図るコトができない最たるモノかも知れない。
東京電力の「フクシマ事故」などは、今にして見れば何の根拠も無い「安全神話」だった、と言うことになるだろう。

「フクシマ事故」のように、根拠の無い「安全神話」ではなく、根拠のある「リスク」を理解するコトだと思う。
応用研究が十分出来る技術と研究者がいながら、欧米に後れを取る、と言うのは日本の社会的リスクという気がした。