朝日新聞に「日系農家も貢献、アサイー人気」という記事の一部が紹介されていた(全文購読のためには、購読登録が必要)。
朝日新聞:日系農家も貢献、アサイー人気
この「アサイー」だが、サッカーファンの間では、随分前から知られていたように思う。
理由は、「ブラジル人選手のお気に入り」ということが、前からいわれていたからだ。
ただ、「アサイー」そのものが、日本ではなかなか手に入らない(今でも、冷凍されたものか、粉末に加工されたものでしか手に入らない)ということもあり、「どんな果物?」という半ば「謎の果物」のような存在だった。
それが、日本で生活をする日系ブラジルの方が増えたこともあり、ブラジルの食材が輸入されるようになることで「アサイー」そのものが、知られるようになってきた。と同時に、「アサイー」の持つ高栄養に注目が集まり、ダイエットと結びついて、現在のブームになっている。
それだけではなく、「アサイーボウル」や「アサイーを使ったスムージー」など、若い女性から注目されるような食べ方が一緒に紹介されたという点も大きいのではないか?と思っている。
「アサイーボウル」というのは、ハワイで人気の朝食メニューで「ハワイアンパンケーキ」の人気とともに、注目、人気となったメニューだ。
「アサイーボウル」の人気となった理由は、アサイーさえあればヨーグルトやバナナなどの果物とシリアル(グラノーラなど)を用意するだけで作れるので、その手軽さが人気となったのではと考えている。
「アサイー」だけではなく、海外の珍しい果物が注目され、ブームになるというのは、いつの時代にもある。
ブームというほどではなかったが、「ビタミンCの宝庫。美白果物」と言われたのが「カムカム」という果物もあった。ブルーベリーなどは「目に良い」といわれてから、ブームからすっかり定番化した果物だろう。
となると、「アサイー」の次となる果物は何だろう?と考えてしまう。
一つ気になっているのが「マルベリー」だ。
「マルベリー」というと、ハイカラな印象を受けるが、「桑の実」のことだ。
かつて日本で養蚕が盛んだったころ、桑畑が日本各地にあった。
養蚕の衰退とともに、桑畑も減少しているのだが、最近、地方の物産品として「桑の実ジャム」とか「桑の実ソース」などの加工品として、見かけることがある。
実際食べてみると、「アサイー」よりもブルーベリーに近い味で食べやすく、栄養価という点でも、「アサイー」並の栄養があるようだ。
旬の食材百科:桑の実/マルベリー(英)/ミュール(仏)の栄養価と効用
昨年世界遺産登録された「富岡製糸場」の頃のような、養蚕産業の復活は難しいかもしれないが、「桑の実」を使った地方の活性化は、可能だと思う。
日本にある「アサイー以上のミラクルフルーツ」として、もっと注目されても良いような気がする。
先日、「原発事故などの危険な場所向けのロボットコンテスト」が、米国で行われ日本チームが散々な結果であった、という報道があった。
exciteNews:ロボットコンテスト 韓国1位、日本は10位のトホホ<週刊朝日>
この記事だけを読むと、日本の準備不足のような印象を受けるのだが、どうやら実情は違うらしい。
記事中に、「予選トップで通過した東大発ベンチャーSCHAFT社がGoogleに買収された」という一文がある。
ご存じの方も多いと思うのだが、1位通過したロボットを製作したSCHAF社は、昨年の暮れGoogleに買収されている。
日経新聞:Google、ロボット事業に参入 東大発VBを買収
日経の記事では、Googleの新規事業の一つとして買収をされたようにも思えるのだが、実は経産省などからの支援が受けられず、Googleの買収に応じた、という話がある。
このような情報に詳しい知人によると、経産省側が「ロボット開発については、一区切り」という判断がされ、支援が中止になった、という背景がありGoogleからの話に乗らざる得なかった、というのだ。
この話を聞いて「ロボット開発や産業化の将来性」という視点が、経産省には欠けていたのかな?という気がしたのだ。
今回は「災害ロボット」というペンタゴン主催のコンテストだったが、これから先「災害」という点だけではなく、様々な分野でのロボットの活用が求められてくるはずなのだ。
その大きな理由は、日本の「人口統計(=人口ピラミッド)」を見れば、一目瞭然だからだ。
国立社会保障・人口問題研究所:人口ピラミッド
統計としてよく使われる「人口ピラミッド」だが、この「人口ピラミッド」を見ることで、ある程度日本の将来像が予測できる。
今現在でも問題になっている「少子高齢化」が、ますます進んでいくということが、この「人工ピラミッド」からわかるはずだ。ということは、様々な分野での「人手」が不足(今でも、人手不足といわれている事業分野はたくさんあるのは、ご存じのとおりだ)が予測される。
一方、増えてくるのは現役世代を退いた高齢者だ。
この「現役を退いた高齢者」を、どうみるのか?というのが、重要な点だ。
例えば、医療という面で考えて見ると、現在、認知症の人が80代になると4人に1人とか、5人に1人という割合になっている、といわれている。
認知症の高齢者を介護する家族の苦労は、想像以上のもので、一昨年、認知症の男性が線路に入り人身事故を起こし、遺族に高額な賠償金を請求する判決があった。
中日新聞:認知症男性、電車にはねられJR遅延 波紋呼ぶ賠償命令 (その後、減額はされたが「家族が見守りを怠った」という指摘はそのまま。遺族の介護状況などを踏まえた内容にはなっていない)
このような現状を解決する一つの方法として、ロボットの活用ということを考えれば、経産省が支援継続をする意義は十分にあったと思う。
「限定的な発想」が、支援の打ち切りとなったように思われると同時に、「先を見通す」ために様々なデータを読み解く力がなかったのでは?という気がする。
「先を見通す」と言っても、占いのような方法ではなく、様々な公的機関から発表されているデータを読み解くことで、予測することができる。
それを、「事業分野に生かすことができることはないか?」という発想や視点が、重要なのではないだろうか?
年明けごろから、徐々に目立つようになってきたファッショントレンドがある。
「ボタニカル・ファッション」だ。
「ボタニカル」といわれても、ピンとこない方もいらっしゃるかもしれない。
いわゆる「植物」のことだ。
その中でも目を引くのは「花などをプリントした柄」だ。
今年の夏フェスなどでは、「花冠のアクセサリー」などが注目されるのでは?と、言われている。
そして「ボタニカル・ファッション」は、レディースだけではなく、メンズにもその傾向が見られる。
先日名古屋のH&Mの前を通ったら、大胆なボタニカルプリントのメンズパンツやTシャツなどが、ディスプレイされていた。
ファッションのボーダーレス化という意味よりも、時代と今の社会が「ボタニカル」的なモノを求めているのか?という、印象を受けたディスプレイであった。
ディスプレイを見ながら思い出したのは、1969年の「ウッドストック・フェスティバル」と「フラワー・チルドレン」だった。
当時のアメリカh「ベトナム戦争」が泥沼化していく中で、「花」を一つの象徴として、ファッションのモチーフとしていたのが「フラワー・チルドレン」であり、彼らの多くが「ウッドストック・フェスティバル」のような、カウンターカルチャーの担い手であった。
そう考えると、今の社会もその当時のような「空気感」があるのでは?という、気がしている。
ISのような、狂信的過激派の躍進。
ロシアのクルミア半島への侵略、中国のウィグルやチベットへの弾圧・・・世界各地で、様々な紛争や弾圧が行われている。そして日本でも、怪しい雲行きの「集団的自衛権行使のための動き」。
世界各地で多くの人たちが、「平和」の難しさを感じ、それでも希望を捨てずに何とかしよう、とする気持ちがファッションの一つとして、あらわれ始めているのかな?とも感じ取れるのだ。
1970年代の「フラワーチルドレン」のファッションに比べると、今年のトレンドである「ボタニカル・ファッション」は、相当おとなしめで、当時のようなポップでカラフルな感覚ではないが、洗練された感(?)がある。
逆にそれだけ、多くの人が着やすいように思う。
ファッションは、時代時代の空気感を敏感にキャッチする。
社会に「Bad News」が多いからこそ、ファッションだけでも明るく心癒されるような「ボタニカル」が、人気になるのかもしれない。
WEB新聞チェックをしていたら「なぜ???」と、思うような記事があった。
朝日新聞:女性活躍の重点方針に「トイレの行列解消」転換の象徴
記事を読むと、「女性活躍の重点方針」の一つとして「トイレの行列解消」ということ目指す、ということの様なのだが、なぜ「トイレ」なのだろう?
「オフィスのトイレをきれいにする」というのではなく、「トイレの行列を解消する」というのが、よくわからない。
というのも、オフィスの女子トイレが混雑する時間というのは、朝と昼食後で目的は「化粧直し」だからだ。
トイレとは別に「化粧室を造る」というのであれば、なんとなくわかるのだが・・・。
確かに、百貨店の女子トイレなどは「化粧直し」ではなく、本来の目的としての「トイレ」で行列ができることがある。
観光地などで女性客が、トイレで行列しているのも、度々見かける光景だ。
男性が多い職場の女性のために、トイレの数を増やす、というのはわかるのだが、それと「女性の活躍」が、どう関係するのだろう?
単純に「トイレの数を増やせば、女性が活躍できる場が増える」という発想なのだろうか?
記事全文を読んではいないので、十分理解している記事ではないが、「トイレの数を増やす」前にやることはいっぱいあるのではないだろうか?
そもそも「男性中心の職場に女性を増やす」ということは、女性の雇用を増やす必要がある。
その準備として「トイレの数を増やす」というのであれば、まず「雇用を増やし、男女の待遇格差を解消する」ということが先だと思う。
職場そのものに魅力がなければ、「働きたい!」という女性は増えない。
その視点は、どこへ行ってしまったのだろう?
「女性が働きやすい職場」というのは、「女性が育児・子育てがしやすい職場」のはずだ。
もちろん、出産のために一時職場を離れても、職場復帰しやすい制度などがあることも、重要だと思う。
それだけではなく「男性の育休」も取得しやすい、ということも重要だ。
何より、「(職場でも家庭でも)男女が一緒になって、社会を創っていく」という、社会全体の理解がされていなければ、難しいのでは?
自民党の中には「男女の社会的役割分担」に、こだわる方が多いように感じている。
「男は外・女は家庭」という考えであれば、何も「職場の女子トイレ」を増やす必要はない。
「女子トイレ」を増やせば、「暮らしの質が向上」するわけではない。
いくら「象徴」としてのスローガンであっても、的外れ感たっぷりな気がするのは、私だけだろうか?
バブルの頃だったと思うのだが、「地ビールブーム」と呼ばれるような時期があった。
全国各地に「地ビール工場」ができ、話題になったのだが、その後ブームが去ると資本力のなかった「地ビール工場」は、次々に閉鎖されたように記憶している。
今現在残っている「地ビール」は、それなりの資本力と固定ファンをつかむことができた、ブランドということになると思う。
おそらくその筆頭は、沖縄の「オリオンビール」と岩手の「銀河高原ビール」ではないだろうか?
もちろん、今でも「オリオンビール」や「銀河高原ビール」ほどメジャーではなくても、「生産地のみ販売」という「地ビール」もあるだろう。
そんな「地ビール」にも、「クラフトビール」の波がやってきているようだ。
日経WEB:静岡県産ミカン使ったビール好評
2,3か月ほど前だったと思うが、「今年はビール各社が、クラフトビールに力を入れている」という話題があった。
ご存じの方も多いと思うのだが、ベルギービールに代表される「クラフトビール」が飲めるお店が、随分増えてきている。
お店だけではなく、ディスカウント酒店などでも独自の輸入ルートで「クラフトビール」を、販売しているところもあるようだ。
それだけ「クラフトビール」が、定着し始めているのかもしれない。
もちろん「ビール」そのものは、国内メーカーだけでも新商品が登場するが、多くの新商品は「年内に姿を消す」といわれているので、「クラフトビール」そのものが、一般家庭の「家飲み」に定着するまでには、時間がかかるかもしれない。
それでも、地方の「地ビール」メーカーが、「クラフトビール」を生産するメリットは高いかもしれない。
というのも、「クラフトビール」は産地の差別化がしやすいからだ。
普通の「ビール」と違い、地元の果物を使うことができるので、紹介したような「静岡のミカンを使ったクラフトビール」と言えば、受け入れられやすいと考えられるからだ。
今後「山形県・さくらんぼクラフトビール」とか「福島・献上桃クラフトビール」というような、産地名を使ったクラフトビールが登場するかもしれない。
通常の「ビール」に比べ、「口当たりもよく、フルーティーで飲みやすい」といわれ、女性に人気だといわれている「クラフトビール」は、「地ビールブームよ!再び」という感覚ではなく、「新しい市場を作り出す」という視点を持って考えれば、地方の活性化にもつながる要素があるようにも思う。
梅雨の一休みで蒸し暑くなった、名古屋。
暑くなると欲しくなるのは、「氷菓」ではないだろうか?
コンビニなどの氷菓のショーケースを見ると、今年の新作が並んでいる。
その中で気になったのが、ロッテの「爽 Theスイカ」だ。
ロッテ:爽 商品情報
随分前から、ロッテには「スイカアイスバー」という商品はあった。
その進化系?というコトになるのだろうか?
今回の「爽 Theスイカ」は、果物のスイカを食べるときのように「塩をかけて食べる」とより、甘味を感じるようになっているようだ。
そして、先日VOGUEのサイトを見ていたら、「コメダ珈琲店にかき氷の新作『すいか』『はちみつレモン』『ミルクキャラメル』が登場」という記事があった。
VOGUE:コメダ珈琲店にかき氷の新作「すいか」「はちみつレモン」「ミルクキャラメル」登場
コメダ珈琲店と言っても、東海地区以外の方にとってはなじみがないかもしれない。
ここ数年で、関東・関西にも積極的に進出するようになった、名古屋発の珈琲チェーン店だ。
個人的に驚いたのは、VOGUEといういわゆる「高級ファッション誌」に、おしゃれとはいいがたい(?)珈琲チェーン店が紹介されていたことだ。
店舗のおしゃれ度、洗練度から考えれば、スターバックスやタリーズのほうが、遥かに高い。
名古屋でも、コメダ珈琲店に来るお客さんの多くは、家族連れやご年配の方が中心だからだ。
そのコメダ珈琲店のかき氷が、VOGUEに紹介されていただけではなく、一番のおすすめとして「すいか」を挙げていたコトだ。
こちらのかき氷も「塩を振って食べる」と、より甘味を感じておいしい、ということのようだ。
ロッテの「爽 Theスイカ」にしても、コメダ珈琲店のかき氷「すいか」にしても、斬新というか、これまでにない提案というのが「塩を振って食べる」ということだ。
単に「スイカ味の氷菓」がトレンドというのではなく、「塩を振る」という食べ方が新しいのだ。
果物のスイカの収穫量などは、実は減少傾向にあるという。
果物ナビ:スイカ(西瓜)の産地 栽培面積 収穫量
農家の高齢化ということもあると思うが、それよりも家族構成の変化や冷蔵庫の多ドア化の影響もある、といわれている。
実際スーパーなどに行くと、昔ながらの大きなスイカを丸ごと売っている光景はほとんど見ない。
「カットフルーツ」として販売されることのほうが多く、最近では「ひとりじめ」という名前の、小玉スイカ位が丸のまま売られている。昔ながらの大きなスイカを丸ごと買っても食べきれるだけの家族がいない、ということと冷蔵庫に様々な機能に合わせたドアになることで、スイカを入れるスペースが逆になくなっているようなのだ。
だからこそ、お手軽に「スイカを食べた気分」になれる、「氷菓・スイカ」が注目されるのかもしれない。
一昨日、ソフトバンクが「家庭用ロボット・ペッパー」を発売した。
6月分販売台数1,000台は、1分で完売したようだ。
日経新聞:ヒト型ロボ「ペッパー」1分で完売 ソフトバンク
このニュースを聞いたとき、ソニーの「イヌ型ロボット・AIBO」の発売当時(1999年)を思い出した。
ソニーの「AIBO」も、その当時としては最新の「人工知能」を搭載しており、飼い主の接し方で「AIBO」の性格などが生まれ、成長するという内容だったと思う。
当時は、マンション住まいなどでペットが飼えない人の「ペット代わり」という、とらえられ方をしていたと思う。
もちろん、本物の犬を飼っていらっしゃる「犬好き」の方も、購入されたと思う。
その後「AIBO」に続け!とばかりに、「動物型ロボット」が次々と登場し、高齢者などの「癒しアイティム」としても、注目されるようになった。
その理由は、それまでの「お返事人形」のような、すでに内臓されている音声装置で、決まった返事をするのではなく、相手に合わせた動きや、返事をする、という「コミュニケーション」が高齢者の「癒し(とボケ防止)」になる、という傾向が見られたからだ。
もちろん、ホンダの「アシモ」のような二足歩行のロボットも注目されていたが、「アシモ」はあくまでも一般家庭ではなく、企業やイベント向けのロボットという位置づけだったように思う。
それが、ソフトバンクは、いきなり(?)一般家庭に「ヒト型ロボット」を普及させようというコトらしい。
「AIBO」や「アシモ」という先輩ロボットがいたからこそ、一般家庭でも受け入れられるのだと思うのだが、果たして今回(今後も含めて)「ペッパー」を購入した人たちは、どのような目的で購入したのだろう?
コマーシャル映像を見る限り、様々な家庭での使われ方を想定しているのがわかるのだが、ピンとくる部分が少ない。
「ペッパー」が悪いのではなく、おそらく私の中で「ヒト型ロボットのある暮らし」が、想像できないからかもしれない。
そして「ペッパー」の一般発売で、注目されるようになった「人工知能」は、私たちの生活にどのような変化をもたらすのだろう?
昨年「今後人工知能にとって代わられる職業」というリストが発表され、話題になった。
そのリストの中には、証券アナリストのような意外な職業も含まれていた。
おそらく「予測・分析」という部分では、「人工知能」のほうが優秀、というコトなのだろう。
とすると、人のできるというよりも「人でなくてはできないモノ」は、いったい何だろう?と考えていく必要がある。
「ロボットのある暮らし」というのは、「人でなくてはできないモノ・コト」を考える暮らしなのかもしれない。
昨日、トヨタ自動車の豊田社長が、一昨日逮捕された女性役員についての緊急記者会見をした。
新聞だけではなく、テレビなどのメディアでも取り上げられた内容については、改めて書く必要はないと思う。
ただ、記者会見の様子をネットで見ながら感じたことは、「いかにも日本的」ということだった。
豊田社長は「社員は、家族である」ということを、記者会見で話されていた。
(かつての)日本企業の多くは「従業員は家族と同じ」という、考え方があった。
だからこそ「親睦」目的の、旅行や運動会などが会社の福利厚生の一環として、行われていたのだ。
それが崩れたのが、バブル経済の崩壊後だと思う。
企業そのものが、そのような福利厚生費に回す余裕がなくなり、積極的なリストラによって何とか利益を出すようになってきてからだ。
日本には、もともとそのような素地があったことを考えれば、豊田社長の話は何となくわかるような気がする。
これがもし彼女が以前勤めていたゼネラルモーターのような、米国企業だったら対応は違っていたのでは?という気がしたのだ。
まず社長が記者会見を行っただろうか?行ったとしても、その内容は「彼女は、私たちの信頼を裏切った」という内容だったのではないだろうか?当然そのあとに続く言葉は、「辞めさせる(もしくは、退職勧告)」のような気がするのだ。
それだけ米国では、企業のイメージを優先させるだろうし、「企業の新しい顔」として迎え入れたはずの役員が警察沙汰になる、というのは問題だからだ。企業イメージを悪くさせないためにも、早い段階でそのような手続きをするのでは?
そのような文化の違いが果たして、トヨタにとってプラスになるのか?というのは疑問だ。
ただ、今日の夕方の新聞各社のWEBサイトを見てみると、この事件に関して触れている新聞社はない。
少なくとも全国紙と地元紙では、朝刊記事としてはあるものの、その後の続報となるものはない。
そして、この事件が報道されるようになってから、Yahooなどのトップに表示されていたトヨタの広告が、すっかり姿を消した、ということだ。
たまたま偶然なのかもしれないが、前日まで「LEXUS」やキムタクが登場する「祝!カローラ販売台数1000万台(だったと思う)」など、見飽きるほどヘビーローテーション(というべきか?)で表示されていた広告が、ピタッと無くなってしまった。
我が家にはテレビがないので、テレビCMの状況がわからないのだが、トヨタの迅速な対応というものを感じてもいる。
今、日本の企業は外国人役員を招へいすることに積極的だ。
背景には「今後のグローバル化とダイバーシティー」に対応するためだと思うのだが、女性役員の登用ということであれば、何も何億円というお金をかけずとも、自社で一生懸命仕事をしてきた女性社員をまず登用すべきだったのでは?「そのような人材が社内にいなかった」とすれば、それはトヨタ自身が「女性社員を育ててきていなかった」ということを社内外に示した、ということだと思う。
それもまた、日本との文化の違いのような気がする。
昨日、衝撃的なニュースとして報じられた「トヨタ自動車、女性役員麻薬成分は含まれる鎮痛剤輸入による逮捕」は、ある衝撃だったのではないだろうか?
中日新聞:麻薬をネックレスと申告 逮捕の女性トヨタ役員
今日になり、彼女が国際小包として、どのように持ち込んだのか判明し始めたが、今回の事件で、注目されるようになった「医療麻薬」について、余りよくないイメージを持たれるようになってしまったのでは?と、懸念をしている。
先日大腸がんのために亡くなられた俳優・今井雅之さんは「がんのために、舞台を降板する」ことになった時の記者会見で「モルヒネを投与して、殺してくれ」と言ったというお話を聞いた。
ご存じのとおり「モルヒネ」は、麻薬として知られている。
ただ今井さんが話されたように「モルヒネを投与すれば、亡くなる」というわけではない。
むしろ現在は、「がんの疼痛緩和」を目的として、使われている。
これが「医療麻薬」と呼ばれるモノで、終末期のがんは、体のあちらこちらにがんが転移している場合、相当の痛みを感じる状態になる。それは「七転八倒」の痛みで、眠ることもできないほどだという。
このような状態になると、積極的な治療をしても治療効果が期待できないため、今では疼痛管理をしながら「患者の生活の質の維持」を目指すコトになる。
これは決して医療放棄ではなく、患者の生活の質を維持することで「その人らしい最期を迎えるようにする」というコトが、目的の医療だ。
その時に使われるのが、「医療麻薬」なのだ。
日本ではあくまでも、緩和ケア専門医が患者の状態に合わせて、管理し処方をしている。
今回のトヨタの女性役員の様に、気軽に処方されるモノではない。
厳しく管理・処方される「医療麻薬」だが、日本では「病気(=がん)の痛みは、我慢するモノ」という認識が、まだまだ根強くある。
「痛みに耐え」てがんが消滅するのであれば、「痛みに耐える」コトもできるかもしれない。
しかし上述した通り、終末期の治療というのは「死に向かう時間を、その人らしく過ごす治療」だ。
痛みを緩和することで、ぐっすり眠ることができたり、自由に動くことができるようになり「自分らしい人生の終末を過ごす」ことを手助けしているのが、「医療麻薬」なのだ。
医師の管理下で処方されるので、「薬剤依存」の心配もないというのが、日本の「医療麻薬」の使われ方だ。
確かに「鎮痛剤」として使用するつもりだったのだろうが、国際小包として持ち込む方法に問題があると思う。
わざわざアクセサリーケースの中に入れるというのは、ある種の罪悪感のようなモノがあったからこそ、「ごまかそう」としたのでは?
彼女のビジネスキャリアは、華々しく実績も素晴らしものだ(と思う)。
だが、今回の事件でこれまでの華々しい実績もキャリアも、すべて失ってしまったように思う。
彼女だけではなく、彼女を役員として迎え入れたトヨタも、大きなイメージダウンになってしまった。
この事件で一つ感じたことは、米国だけではなくこの日本でも、「処方薬」による「依存症」という問題が、これからクローズアップしてくるのでは?という点だ。
医療費の中でも、薬剤が占める割合は決して少なくない。
このような問題も、これから考えていく必要があるのかもしれない。
昨日、選挙権が18歳に引き下げらることが、参議院で成立した。
早ければ、来年の参議院選挙から適用される。
朝日新聞:18歳選挙権、成立 来夏の参議院選挙から適用へ
このニュースを聞いたとき、「選挙権だけ」のことだろうか?と、考えたのだった。
まず選挙についていうなら、「18歳でも十分理解できる言葉」で選挙をしなくてはならない。
今までのように、「連呼型選挙戦」では若者の関心を引くことはできないだろう。
だからといって、Twitterなどで積極的に発信しようとしても、今の選挙制度では難しい。
何より、十分大人であるはずのオバサン(=私)が街頭演説を聞いていても、「何が言いたいのかよくわからない」というコトが多い。選挙向けの言葉ばかりを並べて、耳障りの良い言葉を言っているだけで「何が言いたいの?」という部分が、伝わってこないコトが多いのだ。
その意味では、選挙とか政治の言葉から「普通の言葉」に翻訳する必要がある。
それだけの技量を持った政治家が、どれだけいらっしゃるのだろう?
もう一つは、「高校生」をどう見るのか?という点だ。
この点は、むしろ親御さんや社会全体の問題としてかかわってくるような気がする。
今日の朝日新聞の天声人語に、今回の「18歳の選挙権」(会員専用サイトにつき、全文が読めません)について書かれてあった。
その中に英国の動物行動学者のデズモンド・モリスの「18歳は完全におとなになる年」で、「(親元など)生まれ育った環境から自分の根っこを引っこ抜く年である」という一文を紹介している。
イギリスと日本では、「子ども」に対する考え方が違うとは思うのだが、今の18歳に「生まれ育った環境から、自分の根っこを引っこ抜く」という感覚はあるだろうか?というよりも、親にそのような覚悟というか、考えがあるのだろうか?
なぜなら日本の親御さんは、お子さんに対して「手をかけ過ぎ」ているのでは?と、思うことがあるからだ。
子ども側はどう感じているのかわからないのだが、子離れできない親が増えてきているのでは?という気がするのだ。
そして「(手をかけすぎる親に対して)自由にさせてよ」と、反発するお子さんも減ってきているような気がする。
なんとなくだが18歳という年齢は、20歳という大人になるまでの助走期間の始まりで、「自分と親・社会・文化と格闘する時期」でもあったように思う。
でもそのような「格闘する時期」が無くなってきているというか、「格闘させなくなってきている」ような気がする。
それだけ社会全体が、過保護になりつつある反面、ゆとりがなくなってきている様にも感じるのだ。
「選挙権が18歳に引き下げられる」というのは、選挙権だけではなく、大人が「18歳の若者たちのコトをどう考えるのか?」という問いかけでもあるような気がする。