先週開幕したパリ五輪だが、未だに開会式の演出について批判の声がおさまらない、という状況が続いているようだ。
先日エントリをした、「マリー・アントワネットの斬頭演出」に続いて、今回はダ・ビンチの「最後の晩餐」をもじった(?)演出だ。
産経新聞:パリ五輪開会式の余波収束せず「最後の晩餐」連想の演出にキリスト教団体「愚弄」と反発
マリー・アントワネットの演出は、フランス革命との関連があるので、演出の手法とアイディアの問題はあるにせよ、フランスという国の在り方がそれまでと違うカタチとなった、という点では理解はできる。
マリー・アントワネットの出身国であるオーストリアからの反発もある程度想定していたかもしれない。
しかし、今回の「最後の晩餐」と出演をしたLGBTQの人たち(?)との関連は、感じられない。
「性的問題」をそもそもオリンピックという場所で、訴える理由がはっきりと伝わらない。
この演出を考えた人達は「自由・平等・博愛」という、フランスの精神を表す為に、一番わかりやすいLGBTQの人たち(と思われる人たち)を起用したのかもしれないが、世界の現状を見ればもっと違う人達を起用する、という方法もあったのではないだろうか?
例えば、現在も戦禍にある地域や国の人たちや、イデオロギーなどの問題により自由を奪われている人達、もっと身近なところでは移民という問題もあるのでは?
確かに、フランスだけではなく欧州において移民の問題は、社会的問題となりつつある、と言っても過言ではないかもしれない。
そのような社会的背景があるため、見た目がわかりやすい演出をした、ということもあったのかもしれない。
ただ、もっと違う表現で「自由・平等・博愛」というフランスの精神を表現することを検討すべきだったのでは?ということなのだ。
かつてパリには世界の芸術家や作家たちが、その「自由」を求め集まっていた時代があった。
米国の作家・へミングウェイやヘンリー・ミラーなどだ。
「自由の国・アメリカ」ではなく、彼らはフランスのパリだったのか?ということを考えることで、改めてフランスやパリンの魅力を見つけることができたのでは?ということなのだ。
それよりも、わざわざそのような演出が必要だったのか?という、気もしている。
サッカーファンであれば、ご存じの方も多いと思うのだが1998年FIFワールド杯フランス大会で優勝したのは、開催国フランスだった。
その中で活躍をした、ジダンはアルジェリアからの移民の子だ。
同様にデサイーは、元フランス領・ガーナ出身だ。
サッカーにおけるフランス代表は、まさに様々な国と民族が集まっているチームなのだ。
そのようなコトから、ジダンが聖火リレーに登場した時には、「フランスの多様性も見せているのだな~」と感じたのだが、演出を考えた人は違っていたようだ。
もう一つ解せないのは、フランスそのものはキリスト教を信仰している人たちが多い国のはずだ。
とすれば、ダ・ビンチの「最後の晩餐」が示す意味、ということは十分に理解していたはずだ。
いくら若い世代で宗教離れが進んでいたとしても、何故?という疑問だけが残る演出だった。
日本時間の深夜2時に行われた、パリ五輪の開会式。
選手団がスタジアムに入場するのではなく、セーヌ川を船で渡り登場した。
他にも開会式では、フランスのトリコロールカラーを演出の中心にしているのでは?と、思われる場面もいくつかあったような気がする。
とはいっても、私の場合ダイジェスト版をネットのニュースサイト等で見ているだけなので、おそらく2時間以上あったであろう、開会式全体を見た訳ではないので、印象が違っているかもしれない。
その演出の中で、いくつか印象的な場面があるのだが、特に目を引いた演出というのが、生首を持った王妃らしき女性の人形の登場とともに、会場周辺の有名な建物から、血を感じされるような真っ赤なテープが次々と流れ落ちる、という場面だった。
中日スポーツ: 「日本でやったら1発でアウト」パリオリンピック開会式仰天演出「マリーアントワネット」トレンド入り「攻めてる~!!」「知る限り最狂」
「マリーアントワネット」と言えば、「フランス王」と呼ばれたルイ16世の妻である。
そして、「フランス革命」により、コンコルド広場で大衆の前で、斬頭台の露となった王妃でもある。
この話とともに、民が貧しくパンも食べれない状況にあると知った時「パンが無いならケーキを食べれば」と、言ったというエピソードも有名な話だろう。
この「ケーキを食べれば」という発言の真偽については、現在で「ウソであった」ということが確認されている。
Buzzfeed:マリーアントワネットの伝説はウソだった。
とはいえ、強烈な印象を残す話である、ということと「フランス革命」というフランスの歴史の一大転機となるエピソードとしては、「王政を倒した」という象徴的な物語として、付け加えられたのだろう。
パリ五輪の開会式の演出に話を戻すと、このマリーアントワネットの場面=フランス革命ととらえることができるのでは、ないだろうか?
このフランス革命が起きた時、民衆が行進をしながら歌ったのが「ラ・マルセイエーズ」だと言われている。
そして画家・ドラクロワが描いた「民衆を導く自由の女神」の中で、女神が持っているのが、現在のフランス国旗なのだ。
とすれば、現在のフランスを形作った過去の中で、マリーアントワネットの存在は欠かすことができない、象徴の一つである、ということになる。
その後、ナポレオンの登場により、フランスは再び「王政復古」となるのだが、ナポレオンとフランス王・ルイ16世との大きな違いは、ナポレオンは生粋のフランス人ではなくコルシカ戦争で戦績を上げ、新貴族の位を得た人物だ。
一方、ルイ16世は長い間フランスを統治してきた、代々貴族家系でありフランス全土に私有財産を持っていた。
その歴史を見ても、ルイ16世とマリーアントワネットの斬頭台での処刑は、大きな意味を持っている。
「フランス革命」が起きたことで、フランスは「自由・平等・博愛」を民衆が勝ち取った、ということでもあるのだ。
そう考えると、パリ五輪で幾度となく演出で登場したフランス国旗のトリコロールカラーとマリーアントワネットは、切っても切れない関係にあった、ということが分かる。
それにしても、壮大な開会式であったな~というのが、ダイジェスト版を見ただけでも感じ取ることができた。
フランス五輪に関わる人達の並々ならぬ熱意を感じさせてくれるには、十分すぎるものであった。
今日、フランスのTGVの複数の線路で火災が発生し、TGVの運行だけではなく関連する駅でも混乱が起きている、というニュースがあった。
朝日新聞:フランスTGV、複数の路線で火災の情報 五輪開会式は予定通り実施
毎日新聞:仏TGV路線で放火・破壊 鉄道網狙う大規模攻撃か パリ五輪開幕直前
これら報道だけを見ると、時期的にパリオリンピック開催に反対する人達の、過激な抗議行動のような印象を受ける。
しかし、現時点で抗議団体などからの声明などが無く、犯行そのものの動機などはまだ不明なままだ。
ただ、これまでオリンピックとは関係が無いのだが、フランスをはじめとする著名な美術館や観光施設に対して、ペンキやジュースなどを作品に投げ付けるという行為が、環境保護団体などが行ってきている。
彼らと関係があるのかは、上述した通り犯行声明のようなものが出ていないので、わからないのだが、過激さから考えるとなんだかの意図があり、フランスの鉄道網を攻撃し、混乱に陥れたい、という意志のようなものは感じる。
ブラジルのリオ五輪の後、東京・パリと先進国での五輪開催が続いている。
しかも、初開催ではなく、過去にも五輪を開催した都市での開催だ。
このような過去に開催をしたことがある都市開催に対して、何等かの不満を持つ人達がいてもおかしくはないだろう。
「なぜ、同じ都市で何度も開催するのか?」という、疑念だ。
ただ、五輪の開催は先の東京五輪でもわかる通り、当初予算の何倍ものお金がかかる。
ある程度の都市規模と、経済力がある都市でなくては、開催そのものができない、というのが現状だろう。
もちろん、開催することで観光誘致ができたりすることはできるのだが、今現在はその観光誘致などは都市にとって魅力なのだろうか?
それよりも、魅力があるとすれば、様々な企業から支払われるスポンサー料などでは?という、気がしている。
財政難というのではなく、都市開催が基本となる五輪では開催運営に携わった団体=開催都市に、膨大なお金が落ちる、とも言われている。
このビジネスモデルの始まりは、1984年のロサンゼルス五輪で、それまでの五輪は開催すれば、必ず赤字、という状況だったと言われている。
それを聖火ランナーをスポンサー企業を絡め、募集し一般ランナーが参加できるようになった。
現在では、このスタイルが定着し、スポンサー企業の名前の入ったTシャツを着て、一般ランナーが高々と聖火トーチを掲げ走る光景が定着した。
しかもスポンサーランクのようなものがあり、飲料水メーカーはコカ・コーラ社、クレジット会社はVisa、自動車はトヨタの「ミライ」というように1業種1社と決められている。
スポンサー契約を獲れること自体、企業にとっては広告宣伝だと考えれば、それなりのメリットがあるがその額は開催毎に高騰している、と言われている。
今や、クーベルタン男爵が言われたような「参加することに意義がある」という五輪の姿ではない、と言っても過言ではないだろう。
TEAM JAPAN:クーベルタンとオリンピズム
そう考えると、今回のTGV路線を狙った放火や破壊行為は、行き過ぎた商業主義五輪に対する、抗議のようにも思えてくる。
選手やスポーツ関係者、観客や住民の方々には、関係が無いが、美術館を襲撃する過激な団体の姿を見ると、そんな気がしてくるのだ。
日経新聞のWebサイトに、なかなか興味深いインタビュー記事があった。
「私のリーダー論」という、企画連載だ。
今回は、東京芸大・学長の日比野克彦さんだ。
日経新聞:東京芸術大学長・日比野克彦氏 自分らしさは他者が生む(上)
日比野克彦さんと言えば、1980年代には「段ボールアート」として、話題となった人物だ。
そして、当時から積極的にメディアに登場し、作品についての情報発信をされてきた方でもある。
当時は、日比野さんだけではなく、現在はルイ・ヴィトンとコラボレーションをしている村上隆さんや、「不機嫌な女の子」という作品で一躍注目されるようになった、奈良美智さんなどがいらっしゃる。
日比野さんや村上さん、奈良さん等よりも少し上の世代では「うまへたイラスト」として話題になった、安西水丸さん等が挙げられるかもしれない。
当時は、学校で習うような美術館で静かに鑑賞する芸術ではなく、共感をしたり違和感を感じながらも「なぜ?」と感じるようなアートが、日常的に話題となった時代でもあったような気がしている。
その意味で、日比野さんをはじめとする芸術家たちは、「アートを身近にした」のでは?と、感じている。
その日比野さんも、出身大学の学長をされるようになった。
そして、今回の「自分らしぃさは他者が生む」という言葉に、共感できる部分がある。
芸術の世界は、常にその「評価」は他者にゆだねられてきた。
言い換えれば「自分らしさの表現は、他者の眼・価値観によって決められる」という分野でもあるのだ。
「自分の好きなコトをしていれば、それでよい」という訳ではない、ということでもある。
このような表現をすると「芸術を冒とくしているのか?」とか「商業主義的である」と、指摘されると思うのだが、後世に残る芸術作品は他者がその価値を感じ・認め続けてきたからこそ、今現在も芸術作品として残っている、のではないだろうか?
そう考えると、数年前「自己啓発セミナー」のようなところで盛んに言われた「セルフブランディング」って、何だったのだろう?と、思ってしまうのだ。
この時流行ったのは「自己価値を見つけ、他者との差別化をし、自分の価値を高める」というニュアンスがあったのでは?と、感じていた。
個人的には、個人で仕業をされている方にとっては「セルフブランディング」という考えは、必要だとは考えていたが、当時のように一般企業に勤める人たちにまで「セルフブランディング」が必要なのか?という、疑問を常に持っていた。
というのは、企業という組織の中で「自分の得意分野はこれです!」と言われても、その仕事を担当てきるのか?ということとは、別だからだ。
いくら自分で「この仕事をやりたいです」と、手を上げても、それを決めるのは本人ではなく、上司であったり周囲の人達だからだ。
むしろ「自分の得意分野」に執着してしまうと、自らの可能性を狭めてしまうことに繋がってしまう、と考えていた。
人というのは、とても複雑な思考と行動から成り立っている。
そしてより複雑な思考を持つ為には、「自分の可能性を狭めない」ということもまた重要なのだと思う。
とすれば「自分らしさ」を自分から強調するあまり、自分の可能性を狭めてしまうのでは?
日比野さんが言われる「自分らしさ」の中には、他者が感じ・認める未来の可能性も含まれているように考えるのだ。
因みに企業における「ブランディング」は、「提供する商品・サービスの在り方」から、「他の商品やサービスと差別化を図る」という意味を含んでいる。
商品・サービスが企画された時から「理想や市場での在り方」の方向性を、ザックリと決めているのだ。
それができるのは、市場という大海原に出ていない(=他者とのかかわりがない)ためだ。
昨日、日立がエアコン事業から撤退する、という報道があった。
Bloomberg:日立、JCIとの空調合併株の保有分をドイツボッシュに売却‐1950億円で
Bloombergの記事を読むと、日立は既に空調事業について、米国の電機大手のジョンソン・コントロールズ・インターナショナル(JCI)と、空調事業において合弁会社をつくっており、その合弁会社の取得株40%を、ドイツのボッシュに売却する、というのが今回の株式売却の意味であって、日立が手掛けている空調事業を完全にドイツのボッシュに売却する、という訳ではない、ということが分かる。
日本の家電メーカーの中でも「モーター関連であれば、日立」と言われた企業が、合弁企業株とはいえドイツの企業に売却ということは、大きな話題になるのは当然だろう。
なぜなら、日本の家電メーカーの事業売却などが、これまで話題になることが多かったからだ。
理由はともかく、東芝は上場廃止と同時(だったと思う)に、展開をしていた事業の分割・売却をしている。
シャープは、台湾の企業の支援を受け、事業継続はしているが、それでも液晶テレビなどは撤退状態になっている。
家電の大手であっても、安泰ではない、というのが今の日本企業の状況なのかもしれない。
安泰ではないからこそ、日立は米国の大手電機企業と合弁会社をつくり、経営的な安定を目指していた、ということのようにも思える。
しかし、それほど簡単な話ではないかもしれない。
Bloombergの記事を読むと、事業としての協力関係は株式の売却先であるボッシュとブランド契約を結び製品提供を行う、ということになるからだ。
そしてこの株式の売却とブランド契約先が、ボッシュであった、ということに若干の安心とボッシュの目的のようなものが、わかるような気がしている。
「ボッシュ」という企業名を聞いて、何を作っている企業なのか?すぐに思い浮かべられる人は、どれほどいらっしゃるのだろう?
もしかしたら、男性よりも女性の方が「ボッシュは知っている」という方は、多いかもしれない。
というのも、「食洗器」のメーカーとして、日本でも人気があるからだ。
そのようなコトから、既にボッシュという企業名は、ある程度日本で認知され、信頼を得ている、ということになる。
何より、「質実剛健」という言葉が似合いそうなドイツの企業という点でも、株式の売却先とブランド契約先としては、日本の生活者に安心感を与えることができると思う。
それは株式を取得するボッシュ側にとっても、同様のことが言えるのではないだろうか?
日立の持つ企業イメージと日本の置けるボッシュの企業イメージが比較的近い、という点で日立のステークホルダーにとっても反対が起きにくいのでは?という、判断もあったのではないだろうか?
何より、某隣国の企業ではなくてよかった、という感覚をお持ちの日本の生活者もいるのでは?
日立のような日本企業の中でも創業が古く、日本経済を支えてきた企業がこのようなコトになると、「日本の白物家電は大丈夫なのか?」と生活者は不安になる。
しかし、これからより進んでいくと考えられる、経済のグローバル化は金融だけの問題ではなく、このような製造メーカーなども含まれることなのだ、ということだろう。
ただ、生活者として注目していかなくてはいけないのは、「相手企業はどんな企業なのか?」という点だ。
新興企業が悪いわけではないが、日本の技術を盗んでお払い箱!というような企業が相手なら、ますます日本経済は落ち込んでいくだろうし、そもそも生活者からの信頼も失いかねない。
これからの企業は、そのような生活者の反応も考える必要があるかもしれない。
それにしても、日本のメディアの見出しは、どうなのだろう?
あの見出しでは、日立が空調事業においてボシュに買収されるような印象になるのでは?と、心配をするのだ。
日本時間の今朝、米国現大統領で貼るバイデン氏が、大統領選からの撤退を表明した。
Reuters:バイデン大統領、米大統領選からの撤退を表明 後継に「ハリス氏支持」
数日前までは、大統領選への出馬意欲を見せていたと思うのだが、週末民主党内で色々な話し合いがされたのだろう。
結果、現在の副大統領であるカマラ・ハリス氏を後継者指名をした。
バイデン氏に対しては、高齢に伴う心身の不安が強くあり、言い間違いやスピーチの内容を飛ばすなどがあり、民主党内からも「撤退」を要求する声が上がっていた。
それだけではなく、共和党のトランプ氏は先日の牛劇事件という悲劇を味方につけ(?)「私はこのようなテロ行為には屈しない。強いアメリカを取り戻す」という姿勢を打ち出し、米国民から多くの共感を得るような状況になった。
これらの状況を考えると、バイデン氏では到底選挙に勝てるとは思えず、勝てないだけではなく、トランプ氏圧勝!という状況も考えられる、という判断をする民主党員も多かったのでは、ないだろうか?
それが結局「バイデン降ろし」へと繋がり、今回の撤退ということになったのだろう。
そして、バイデン氏から後継者として指名されたカマラ・ハリス氏だが、どうやら前途多難のようだ。
その理由は、バイデン政権の下でハリス氏の活躍が感じられることが無かったこと。
もっと言ってしまえば、米国内においてはともかく、国際舞台ではバイデン氏の存在そのものがあまり強くない、という印象がある。
強烈な個性と発信力を持っていたトランプ氏の後だとしても、バイデン氏の活躍は目立つものではなかった、という印象がある(のは、私だけだろうか?)。
当然、大統領の印象がそのようなモノであれば、副大統領の存在感はもっと薄い印象となってしまうのは、仕方ないだろう。
バイデン氏と指名争いをしていた頃の方が、活動的で様々な政策提案をしていたという印象があるほどだ。
もう一つは、ハリス氏が「女性で有色系」である、という点が挙げられる。
トランプ氏の前の大統領であったオバマ氏は、黒人というハンディはあっても、今や米国社会において黒人は、マイノリティとは言えないほど、各方面で存在感を発揮し始めている、と言われている。
一方、ハリス氏は黒人とインド系の両親という家系である。
その意味でオバマ氏よりも、抵抗感がある人達がいる可能性がある、と言えるだろう。
それはアジア系と黒人系という、人種間の問題ともいえるのかもしれない。
勿論、人種問題をまとめるという点では期待が持てるかもしれないが、なかなか難しい問題なのでは?と、想像している。
そして、日本よりもジェンダーの問題に対して積極的なはずの米国であっても、女性の大統領に対して抵抗感がある人達が少なくないのでは?という懸念だ。
オバマ氏の前に敗れ去ったヒラリークリントン氏だが、その時ヒラリーしは「ガラスの天井」という言葉を使い、敗戦の言葉とした。
問題なのは、ヒラリー氏が大統領選に臨んだ時よりも今の米国社会は、より保守的になっているのでは?という気がしている。
その象徴の一つが、熱狂的に迎えられるトランプ氏の選挙活動の会場の状況だ。
「強いアメリカ。父権的アメリカ。1950年代~1960年代(泥沼化となる前のベトナム戦争の頃)のような、古典的な家族制度の中での白人中心の米国社会」という、ノスタルジックというか古臭いが「世界のアメリカ!!」を標榜するトランプ氏は、米国の世界的地位を中国に奪われるのでは?という人達の不安を煽ることで、強い支持基盤を作り始めているからだ。
そこに有色系で女性のハリス氏が登場するということになれば、今のハリス氏では「バイデンよりましかもしれないが、トランプに勝てるのか?」というくらいになってしまうのでは?
そのようなコトを考えると、民主党候補はもう一度波乱の候補者指名が起きるかもしれない。
梅雨が明けた東海地方。
梅雨明け直後から、連日の猛暑が続いている。
梅雨の中休みの時の、最高気温40℃に迫るような暑さではないが、それでも37℃近くあれば、何もしたくない!という気持ちが出てくる。
まぁ、私が怠惰なだけなのかもしれないが…。
何とかこの暑さから逃れる方法は?と考えていたら、Huffpostの記事が目に入った。
米国で実施されているという「サマーフライデー」という、働き方だ。
Huffpost:夏の金曜は働かなくてもいい、アメリカで浸透する「サマーフライデー」は、企業にもメリットがある
この「サマーフライデー」という働き方、米国で1960年代に始まり、現在では55%くらいの企業に浸透しつつある「働き方」のようだ。
記事を読むと、ニューヨークなどのビジネスマンたちが、ニューヨーク近郊にあるリゾート地に行くため、自然発生的に生まれた「働き方」のようだ。
確かにニューヨークの近郊には、リゾート地と呼ばれるところがいくつかある。
随分前に読んだ、物理学者のリチャード・ファインマン博士の自伝「ご冗談でしょ、ファインマンさん」の中に、夏の間子どもと母親は近郊のリゾート地で過ごし、毎週末父親がそのリゾート地にきて、一緒に過ごす、という場面があった。
子ども達は、自然豊かな場所で遊び、週末は父親と自然観察を楽しむ、という中から「既成概念にとらわれるのではなく、物事を観察することでその本質を知る」ということを、父親から教わった、という趣旨のことが書いてあった。
勿論、ファインマン氏が子どもの頃ということは、1930年代の頃のアメリカの中産階級の暮らしぶり、ということになるだろう。
(ご存じの方もいらっしゃると思うのだが、ファインマン氏は「原爆開発計画・マンハッタン計画」に、生来有望な物理学者として、20代前半に参加している)。
そう考えると、米国のニューヨーク州などに住むビジネスパーソンは、元々このような「サマーフライデー」のような生活習慣があったのでは?と、考えることができる。
では、日本で「サマーフライデー」を導入するとなると、どうなのか?ということを考えてみたい。
まず、暑すぎる夏から何とか逃れたい!という気持ちが、あるはずだ。
とすれば、夏の間だけ避暑地で仕事をする、ということを励行してもよいのでは?
「コロナ禍」で、リモートワークも経験しているビジネスパーソンにとって、このような季節限定の2拠点生活は、決してハードルが高い働き方ではないと思う。
特に、バブル期に開発され、現在「限界リゾート地」となってしまった、リゾート地は関東を中心に、いくつもあるはずだ。
特にひどい限界リゾート地となってしまったのは、軽井沢周辺だと聞いたことがある。
とすれば、そのような場所を活用して、家族そろって避暑生活と「サマーフライデー」という働き方を提案してみてるのも、一興のような気がするのだ。
「中学受験」を目指すお子さんがいるご家庭であれば、学習塾丸ごと避暑地移転ということを考えてもよいかもしれない。
とにかく「受験」に向け、暑い都市部から逃げて勉強する環境を整える、という発想も必要かもしれないからだ。
「地球沸騰化」と呼ばれる現在、自然の涼を求めて移動する暮らし方によって、環境に優しい暮らし方にしてみる、ということも必要な時代になってきているような気がする。
今日、Windowsを搭載したPCが、トラブルを起こす、という事件があった。
既にトラブルの原因は、ある特定のセキュリティーソフトによって引き起こされたもの、ということが判明しているが、問題なのは、その影響を受けたPCが世界規模である、という点だろう。
朝日新聞: 【随時更新】トラブルは世界各地に影響 Windows異常停止
このようなシステムについて、知識があるわけではないので、理解が違っているかもしれないのだが、このような事態が発生すると、現代社会は全世界で連鎖的に機能不全に陥ってしまう。
今回の場合、ある特定のセキュリティーソフトをインストールしているWindowsに限定されている、ということだが、今のセキュリティーソフトそのものが、ネットワークを通じて個々のPCにインストール、アップデートをされるようになっている。
そのことを考えると、問題となったのは1つのセキュリティーソフトであったかもしれないが、そのセキュリティーソフトをインストールしている・していないに関わらず、ネットワークでつながって、仕事をしている人達にも影響を与えた、と考える必要があるのでは?
事実、朝日新聞の記事にあるように、飛行機の搭乗などに影響が出て、20便が欠航するという事態に発展している。
と考えると、特定のソフトウエアの問題だけとは言えない、というのが現在の「ネットワーク社会」ということになる。
問題となったセキュリティーソフトの名前を聞いても、ピンとこなかったのだが、インストールをしているWindowsユーザーは多いのだろうか?
気になって、問題のセキュリティソフトを提供している企業のサイトを見て見ると、どうやら個人向けのセキュリティーソフトを提供しているのではなく、企業向けに展開をされているようだ。
逆にその為に問題がこれほど大規模になり、深刻な状況を招いてしまったのだろう。
とはいえ、サイバー攻撃のような理由で問題を起こしたのではなく、プログラムの修正で対応ができる問題、ということのようだ。
この点については、一安心といったところなのだが、今回のような「セキュリティーソフト」によって、このような問題が起きてしまうと、セキュリティーソフトそのものの信頼を、考えるようになってしまう。
例えば、先日米国が発表したロシアのPCセキュリティーソフト企業「カスペルスキー」の使用を停止する、という発表をしたからだ。
この背景には、ロシア企業だから信頼がおけない、という米国の判断が大きいのだと思うのだが、中華PCと呼ばれる中国製PC(やスマホ)、SNSの一つであるTikiTokなどから、中国が国ぐるみで利用者の個人情報を吸い上げている、という指摘が再三されてきている。
特に若い世代で人気のあるTikTokなどは、欧州諸国でも米国の判断を支持・追従する動きを見せている。
おそらく20年ほど前であれば、このような事件やセキュリティーの考えはなかったのでは?と、考える。
理由はそこまで個人が情報端末を持ち歩き、気軽にネットワークを通して世界中に繋がる、という社会ではなかったからだ。
今では、PCやスマホなど世界とつながる様々なツールは、生活インフラの一つであり、だからこそ高いセキュリティーが求められるし、その運用についても慎重でなくてはならない、ということだと思う。
現在政府は、マイナンバーカードと健康保険証との紐づけに躍起になっているが、果たして今回の事故のようなコトをデジタル庁は想定しているのだろうか?
何か一つ不具合が起きれば、システムそのものが全面停止してしまい、社会機能が不全に陥る、という現実をしっかり受け止めて欲しい。
昨日の名古屋は雨が降ったり止んだりの1日だった。
夕方からは、雷が鳴り激しい雨が降る、という状況だった。
このような雷と共に激しい雨が降ると、亡くなった母などは「もう梅雨明けだね」などと、話をしてくれていた。
その話通り、今日、東海地方は梅雨明けが発表された。
梅雨明けと同時に、真夏の太陽がギラギラと照り付ける1日となり、最高気温もグングン上昇。
夕方になっても、昼間の暑さが続いている。
それにしても今年の梅雨は、変な梅雨だった。
「梅雨の中休み」と言えば、気温が低かったりしたような気がするのだが、今年は最高気温が40℃に迫るような「酷暑」ならぬ「殺暑」の暑さだった。
実際、「熱中症」で救急搬送された方も全国では、数多くいらっしゃったようだ。
まだまだ、本格的な夏の暑さに体が慣れていないところに、突然の殺暑だ。
体調を崩す人が続出するのも当然だろう。
このような暑さは、決して日本に限ったことではなく、イスラム教の聖地巡礼=メッカ巡礼では、50℃を超す暑さの中で巡礼者が数多く亡くなられた、という報道もあったほどだ。
NHKニュース:サウジアラビア メッカ巡礼者1300人超死亡 気温50度を超える猛暑
昨年だったか?国連のグテーレス事務総長が「今の地球は、地球温暖化ではなく、地球沸騰化だ」と発言をしている。
まさに、「地球沸騰化」を実感するような出来事が、今年に入り続いていると、実感せざる得ない。
このような中で、日本では中高校生を中心に様々なスポーツ大会が予定されている。
特に世間で注目されるのは、「高校野球」だろう。
今年から、大会運営の見直しがされ、昼間の一番気温が上がる時間帯を避け、試合スケジュールを組む、という話もあるようだが、今年は無理だとしても来年からは、開催時期そのものを秋にずらすような検討が必要な気がする。
勿論、他のスポーツ大会も同様だ。
参加している選手だけではなく、応援に借りだされる応援団や吹奏楽部、生徒や先生なども「命の危険」にさらされている、と認識する必要があるだろう。
それは、今年開催予定の「パリオリンピック」も、同様の懸念がされているようだ。
Huffpost:暑さで「命を落としかねない」パリ五輪を前に選手らが訴え。過去には熱中症の影響で五輪の夢が散った日本人も
「地球沸騰化」という状況は、いきなり止めることができないにせよ、少なくとも夏のスポーツイベントや野外フェスなどを見直すことで、「命を守る」ことができるのでは?
生徒や学生の夏休みだけではなく、社会人特に道路や工事や建築の現場で働く人達もまた、命の危険にさらされていると認識する必要があると思う。
「暑くても、海水浴やプールで遊ぶ夏休みは、楽しかった」という話は、過去の話になっているのが、今なのかもしれない。
日経新聞のWebサイトに、興味深い記事があった。
それは、日清食品が現在発売をしている「完全メシ」についての記事だ。
日経新聞:日清食品ホールディングスが女性向け完全メシ 第2のカップヌードルを狙う
日清食品が発売している、「完全メシ」という商品を、ご存じだろうか?
カップヌードルのような形状になったドライカレーやレトルトのかつ丼や牛丼(全て具材の身)、冷凍のパスタや焼きそば、ドリンクなどなかなか充実のラインナップとなっている。
日清食品:完全メシ公式
商品カテゴリーとしては「最適化栄養食」と呼ばれるようだが、1品で1食分の栄養をまんべんなく摂れる、ということも目的とした商品だ。
長期保存が可能なコトや商品のバラエティーさ等から、「コロナ禍」では隔離されている感染者の家族の方が、買い求めるということもあったようだ。
その新しい商品として「冷食おにぎり」が、ラインナップに加わる、というのが、日経の記事になる。
そしてこの「おにぎり」は、女性を主な購入者として想定しているようだが、あくまでも想像の範囲だが購入者であり実食者は、女性よりも学生や若いビジネスマンの方が多いような気がしている。
何故なら、「おにぎり」そのものが、「フィンガーフーズ(手づかみで食べられる食品)」の代表だからだ。
「手づかみで食べられる食品」は、サンドウィッチやホットドッグなどもあるが、おにぎりは食べ飽きることがほとんどない。
その理由は、おにぎりのご飯そのものに味をつけることができるだけではなく、水分の多い具材や傷みやすい食材以外であれば、ほぼ具材を選ばない、という汎用性(というべきか?)があるからだ。
「手軽さ・食べやすさ・具材を選ばない」という点で、常にコンビニの食品売り上げの上位にあるのが「おにぎり」でもあるのだ。
そう考えると、「朝食を抜きがちな女性」というよりも、その購入対象者はもっと幅広い、ということが分かる。
それだけではなく、意外に思われるかもしれないのだが、独居の高齢者向きの商品なのでは?という、気がしている。
というのも、実家の独居老人状態の父が、一時期「食欲が著しく低下」したことがあった。
宅配弁当などを手配するものの、なかなか食が進まない。
そこで「完全メシ」のような「栄養最適食品」などで、3食の内1食だけでも栄養のカバーをすることを考えたからだ。
幸い、父はその後食欲も回復し、宅配弁当なども完食できるようになったのだが、その時「栄養最適食」の需要の幅広さを実感したのだ。
そのような経験から、実は「栄養最適食」の市場は、案外幅広いだけではなく、日常食としての需要も高いような気がしている。
特に、1日の内十分に食事が摂れない人達にとっては、「栄養バランスがよく、長期保存ができ、手軽に食べることができる『食事』商品」は、魅力的だと思うし、災害時にも役立つのでは?と、考えられる。
当然、日清食品以外の食品企業も、この市場に参入してくるだろうし、液体のフリーズドライ技術を持った「アマノフーズ」等も参入してくる可能性があるように思う。
このような「食の技術と発想」は、日本が世界に誇るべきモノの一つのようにも感じる。