日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

人口流動データから見えてくるもの

2023-01-31 20:20:25 | マーケティング

日経新聞のWebサイトに、人口流動のデータについての記事があった。
日経新聞:地域の人口どうなった?名古屋市は初の転出超過 

この記事を読んだとき、思い浮かんだ事がある。
それは「コロナ禍」になる数年前、「名古屋の新卒女性は東京就職」という趣旨の内容の記事だった。
おぼろげな記憶なのだが、この時の記事の内容は「大学を卒業した女子が、地元名古屋(周辺を含む)ではなく、東京に就職をしている」というモノだった。
そして、「大卒女子が就職したい、と思える地元企業がほとんどない」というまとめが、されていたように記憶している。

この記事のまとめを読んだとき、「実態だよね~」という感想を持った。
理系の学部を卒業した女子であれば、メーカー系の企業への就職はまだ多いはずだ。
ところが、女子が多く在籍している文系となると、その就職先はガタンと減ってしまう。
銀行や証券といった金融などは、年々採用が厳しくなっているだけではなく、地元の金融機関そのものがバブル崩壊後、企業統合により地元企業ではなくなってしまったため、採用そのものが東京中心へとなってしまったのだ。
という状況になると、文系卒の女子の希望就職先のアンマッチが起き、東京に軸足を置いた就職活動をするようになり、運よく東京で就職が決り、東京へ転出してしまう、という現象が起きている、ということなのだ。

当然のことながら、東京に就職をした女性が名古屋に戻って新しい世帯をつくるのか?となると、難しいだろう。
確かに、名古屋の女性の実家依存度は、他の都市部に比べ格段に高い、と言われている。
そもそも親御さんが、名古屋で就職できないのなら、花嫁修業をして、適齢期になったらお見合いで結婚をし、実家近くに住んで欲しいということを願っている。
全ての実家依存度が高い世帯とは言えないが、実家依存ができるということは、経済的に恵まれた家庭だともいえる。
その願いがかなえられるご家庭も減ってきているので、東京での就職ができるようになってきた、ともいえるのだ。

何となくだが、新卒の文系男子についても同じようなことが、起きているのでは?と想像している。
男子の場合、女子と同じような訳にはいかない。
就職先がないのであれば、就職先があるところへ行くということは、自然なことだ。

このような事が話題になるのは、名古屋が「三大都市」と言われていた、都市部だからだ。
同様の「地元に就職先がない」という現象は、地方であれば40年以上前から起きている。
特に、文系卒者が就職できる企業そのものが、地方に行けば行くほど少なくなる。

「コロナ禍」になり、大手企業の多くが「リモートワーク」を推奨するようになった。
揺り戻しのような状況も生まれてきてはいるが、「リモートワーク」そのものを活用し、本社機能の一部を地方に移す企業も出てきた。
地方行政に携わる人たちが、積極的に考えなくてはならないのは「リモートワーク」の普及により、これまで地方になかった仕事を作っていくようにすることだろう。
生まれ故郷に愛着のある人であれば、地元で仕事ができれば地元に帰り、社会に貢献したいと考えている人たちが、ある一定数いるのではないだろうか?


的外れな発言が提議した問題

2023-01-30 20:31:39 | ライフスタイル

先週末、岸田首相が「育休期間中のリスキング(学び直し)を後押しする」という発言が、批判を浴びている。
毎日新聞:岸田首相「育休の学び直し」答弁に批判 「育児をしていない人の発想」 

そもそも育児休暇は、乳児である子どもを育てる期間なので、その期間を利用して「学び直し」を後押し、という発想は「違うだろう!」という批判が出ても仕方ないと思う。
まして乳幼児という期間は、決められた時間に出社して仕事をする、というようなスケジュールが組めるわけではない。
幼稚園に上がるくらいまでは、親としての時間はあってもビジネスパーソンという時間は、ほぼないに等しいはずだ。
そして長い間、この期間に男性が時間を割いて乳幼児と過ごす、ということは「ビジネスパーソンとしてあり得ない」という、社会的慣習が当たり前とされてきた。
いくら岸田首相が「育児をしたことはある」と言われても、この発言を聞く限りでは「育児って、気が向いた時に抱っこした程度なのでは?」と、思われても仕方ないような気がする。
朝日新聞:子育て「私も経験した」岸田首相、育休中のリスキング発言を釈明 

岸田首相の「育休期間にリスキングを勧める」というのは、育児の現実が分かっていない、と思うし批判も当然の事だろう。
ただ、視点を変えて「リスキング」という点について考えた時、「社会人が学ぶ」ということの重要性という指摘は、あながち間違っていないのでは?という気がしたのだ。

これまでのような「年功序列」で勤め人人生が終わるのであれば、ある程度の規模の企業や公務員に就職すれば「安泰」ということになる。
バブル経済が崩壊してから、「年功序列」という時代は終わり、「成果主義」へと転換した。
その「成果主義」という名前のもと、企業は「リストラ」という首切りを躊躇なくするようになった。
今や大企業に勤めていても、「将来安泰」という時代ではなくなったのだ。
加えて、一昨年あたりから「副業禁止」としてきた大企業が、方針転換をし「副業歓迎」ということを打ち出した。
「副業歓迎」の狙いには、一つの企業にいるだけでは物事の考え方が偏るのでは?という危機感と給与そのものを上げる事が難しくなってきたので、副業で生活費維持をしてください、ということがある、と言われている。
企業側の本音は、はっきりとしないがおそらく後者の考え方が本音で、建て前が前者なのだろう。
建て前の部分だけを読めば、日本のビジネスパーソンは就職してしまえば、自らスキルアップのための学びに投資をしていない、ともとれるのだ。

確かに、大手企業では従業員のスキルアップを目的とした「通信教育講座」を推奨し、受講者には一定の補助金を出している。
これらの通信講座の目的は「資格取得」であり、リスキングと言ってよいのか?という気がしている。
よりアカデミックで専門的な知識を得よう!とすると、やはり大学や大学院のようなところで、学びたい!というビジネスパーソンもいるのでは?と考えた時、日本の大学や大学院で社会人が学ぶハードルが高い。
授業料の高さもさることながら、「一括入試」と言われるように、年1回の受験時期に合わせて受験をしなくてはならない。
だからと言って、休職をしてまで大学や大学院に通わせてくれるような企業などは、ほとんどないだろう。

そう考えると、岸田首相の言う「リスキング」の機会は、ほとんどないということになる。
もし、岸田首相が本気で「リスキング」ということを考えるとすれば、それは「育休期間」ではなく、全ての社会人を対象として考えるべき事なのだ。
その管轄となるのは、厚労省ではなく文科省なのではないだろうか?




「日本のモノづくり」 を支える企業考

2023-01-29 20:30:04 | ビジネス

YouTubeやその他のSNSを見ていると、様々な広告を見る事がある。
その広告のバラエティさという点で考えれば、おそらくテレビCMよりも多いのでは?という気がしている。
テレビCMとは違い、放送時間帯によってCMを流す料金が違うなどの理由もあるとは思う。
そのため、SNS上で見る事ができる企業の多くは、メジャーと言われるような著名な企業ではない。
むしろ、大手企業の下請けだったのでは?という、印象を持ってしまうこともある。
その中で特に目を引くのが、家電関連だ。

多くの方がご存じの通り、日本の大手家電メーカーは組み立ては日本で行っていても、多くの部品などは海外から輸入をしている。
時には「Made in China」という文字を見る事もある。
それが悪いと言っているわけではない。
Panasonicに吸収された三洋電機の場合、もともと兄弟関係にあった企業ということもあり、スムーズな吸収合併だったように言われた。
それでも、三洋電機という企業を去り、中国系企業・AQUAへ移籍した三洋電機出身の技術者は少なくない、と言われている。
News Pickup:【直撃】中国傘下で復活。三洋電機・AQUAの「尖った」DNA 

このような記事を読むと、「日本のモノづくりの象徴」の一つであった、家電製品は既に過去のモノになってしまったのか?という気がしてくる。
ところが、上述したSNSで表示される家電の企業広告の中には、堂々と「日本でのモノづくり」をPRする企業を目にする事があるのだ。
その一つが、新潟県燕三条市に本社を構える「ツインバード」だろう。

例えば、大型化が進む冷凍冷蔵庫だ。
家電量販店に行けば分かるのだが、冷凍冷蔵庫の高さが180㎝を超えるサイズも少なくない。
このサイズになると冷蔵庫の一番高い所に、手が届く人は冷蔵庫を頻繁に開ける女性ではなく男性ということになる。
大型化を目指したため、実質的な利用者である女性には使い勝手が良い、とは言い切れなくなりつつあるのが、多くの家電メーカーが作っている冷凍冷蔵庫、ということになる。
そのため、ツインバードが提案しているのは「(女性でも)十分に手が届く冷凍冷蔵庫」だ。

この広告を見た時「かつての『目の付けどころがシャープでしょ』と同じだな~」という、印象をもった。
現在のシャープ云々の話ではない。
「使い易さ」などを重視した結果、他者とは違う視点で創られた家電製品、という点でシャープのようだ、と感じたのだ。
まして今のような「食品ロスを減らす」という、社会的気運がある中、冷凍冷蔵庫内に「手が届かない為」に傷んでしまう食品がある、とすれば本来の冷凍冷蔵庫の役割としては、本末転倒ということになる。
そのような視点で考えても、「今時らしい冷凍冷蔵庫」と言えるのかもしれない。

決して大きな企業ではないが、今の家電製品はかつてのような大手メーカーよりも、規模は大きくなくてもデザイン性や使い易さで市場を獲得しようとしている企業が多くなりつつあるのでは?と、SNSに表示される広告を見ながら感じている。

 


「映え」る時代は終わりつつある?

2023-01-26 19:25:10 | トレンド

SNSの一般化に伴い、頻繁に言われるようになった言葉がある。
「映え」と「リア充」だ。
ご存じのように「映え」というのは、InstagramやTikTokのような映像や動画のSNSに投稿する時、「写真映え(動画映え)する」という意味のことだ。
「見栄えの良さ」をお求めて、飲食店などに行き注文をした食べ物が運ばれてくると、まずスマホで写真を撮り、ツイッターなどのSNSへ投稿する、というのが今では当たり前のようになっている。

この「映え」ているのは、写真などを撮ったり動画にしたりするときの対象物(例えば、食べ物など)を、いかに美しく・時には美味しそうにスマホで撮影をするのか?というのが重要なポイントだと言っても過言ではないだろう。
その一方、最近ではすっかり聞かなくなった感があるのが「リア充」かもしれない。
「リア充」というのは、「自分の充実した生活の一コマ」を切り取り、SNSに投稿するということを指していた(と、記憶している)。

この「リア充」状態を SNSに投稿するコトは「素敵な私を見て!」という自己アピールの一つだと言える。
「リア充」は、SNSの投稿者の生活を切り取り、SNS仲間に自分をアピールするための事であった、ということは違いないだろう。
その「リア充」アピールをするために、経済的にも相当無理をしていた人も少なくなかった、という話があった。
個人的には、「何故そこまでして、『リア充』アピールをしなくてはならないのか?」わからなかったのだが、もしかしたら最近の言葉でいう「マウント」をとりたかった、だけなのかもしれない。

とはいえ、「虚構のリア充」などは、すぐに見破れれらてしまう。
そんな「リア充」のSNSが、パタリと無くなったのは「新型コロナ」の感染拡大が始まった頃のような気がする。
社会的行動が規制された事で、「リア充」を撮る場所が無くなってしまったのだ。
強いてあげるなら「盛る」と言われるような、スマホのアプリで写真を加工する程度になったのだ。
とはいえスマホのアプリで「盛る」のも、限度があるしそもそも「盛るためのアプリを使ってSNSに投稿している」と、分かることがカッコ悪い事のように感じる人達が増えたように思う。

そのような社会変化の中で登場したのが「BeReal」というSNSだ。
Huffpost:”盛らない”SNS「Be Real」は、”映え”社会の救世主なのか 

上述したように「映え」を求めて「盛った」画像や動画をSNSに投稿する、ということに飽き始めた人たちにとって「Be Real」というのは、目新しさがあるSNSだと思う。
だからと言って、例えば「寝起きの顔」をInstagramなどに投稿できるのか?と言えば、それは無理だろう。
「寝起きの顔」等は、日々の生活の中でもプライベート度が高いからだ。
むしろ「寝起きの顔」を不特定多数がアクセスするSNSに投稿できる人がいるとすれば、相当強靭な精神の持ち主だと思う。
とすれば、「Be Real」でつながる相手というのは、相当親密度が高い相手に限定される、ということになるのでは?
まして今は「Digital Tattoo」という言葉がある通り、SNSなどに投稿されたものが拡散され、自分の知らないところで保存され、拡散され続ける、というリスクがあるのだ。

「映え」るために「盛る」必要はなくても、SNS上では様々なリスクがある、ということを考えれば、「Be Real」は企業向きなのかな?という、気もする。
少なくとも「素の自分」であっても、「本音と建て前」のような使い分けがSNSには、必要なのではないだろうか?




岸田首相の「次元の異なる少子化対策」考

2023-01-25 14:54:01 | 徒然

昨日の新聞各社の朝刊一面は、昨日の岸田首相の「施政方針演説」だったのでは、ないだろうか?
新聞各社がどの内容について、一面扱いにしているのか?という点を見れば、その新聞の傾向がおおよそ判断できる。
全体的な内容を読んでみると、「総花的」ということになるのでは?という、気がしている。
「施政方針演説」そのものが、「今年の重点項目はこれ!」と、表明している部分があるので、具体性よりも政府としての「今年の方向性」とか「今年力を入れる政策」ということを、表明するのが「施政方針演説」だと考えれば、ある程度総花的な内容になってしまうのは、仕方ないことだと思う。

その中で「そうれって、どうなの?」という気がしたのが、今朝の朝日新聞で伝えている「少子化対策」についてだ。
朝日新聞:「次元の異なる少子化対策を実現」、岸田首相施政方針演説 

「次元の異なる少子化対策」として挙げているのが、「子育てに対する予算を増やす=次元のことなる少子化対策」ということのように思える。
確かに、日本は長い間OECD諸国の中でも「国が子どもにお金を掛けない国」と言われてきた。
Eduwell Journal:日本の最重要な国策は、公的教育財源の倍増! 

教育関連のサイトなので、見出しなどからも相当積極的に子どもの教育に財源を充てるべき、という論調になってはいるのは割り引いてみても、欧州諸国に比べると、子どもに対する教育費負担割合が私的が多いということが分かる。
就学前教育(小学校入学前)の教育に対しても数値が高いことを考えれば、日本は「子どもに対して教育熱心な国」ということが分かる。
その教育を十分に受けさせたい、と思う反面そこまでの教育を受けさせる事ができないのでは?という、経済的不安から子どもを持つ事に躊躇している親が増えている、とも読み取れるのでは?

OECDの「教育」についてのデータだけを見ると、そのような見方ができるのだが、その一方で「子どものいる世帯構成」は、「両親+子ども2人」である、というデータもある。
逆に言えば、子どもがいる世帯構成はあまり変わってはおらず、変わったのは「未婚独身者世帯が増えた」ということになる、という指摘もされている。
「未婚独身者世帯」が増えた事で、少子化が加速度的に進んだのではないか?という、指摘である。

とすると、「未婚独身者世帯」を減らすことが、少子化対策の第一歩ということになる。
だからと言って、「国を挙げて婚活」等ということではない。
背景の一つには「経済的理由」ということがあるのでは?ということなのだ。
非正規が増えれば、当然経済的な安定は望めない。
「世帯主=男性」である必要はないが、日本の社会はいまだに「男性有利」な社会だ。
「子どもがいる単身世帯」の多くは、シングルマザー世帯であり様々な面で男性よりも不利な経済状態となっている。
そしてこのような状況に陥った場合、日本の社会で言われる言葉は「離婚を選んだ自己責任」という、心無いことばだ。

この「自己責任」という言葉によって、様々な事を諦めている社会を創り出しているのでは?
岸田さんの前に首相をされていた、菅さんは「公助よりもまず自助」という趣旨のことを言われていた。
しかし今の日本経済は「自助」できる程、生活者は豊かではない。
そこに、岸田さんは目を向けて「次元の異なる少子化対策」ということを話したのか?甚だ疑問なのだ。



 


「座礁資産」とは、なかなかのネーミング

2023-01-23 20:31:00 | アラカルト

Huffpostに、「なかなかのネーミングセンス!」という見出しがあった。
Huffpost::「座礁資産になるような”無駄な”投資はやめて」”産業革命以来の大転換”GX基本方針案に若者団体が提言 

この若者たちの提言については、リンク先の記事を読んでいただくとして、「座礁資産」とはなかなかのネーミングだと思う。
言葉のイメージとしては、「浅瀬に乗り上げ航行不能となった船のように、資産そのものが意味をなさないものに投資される」ということなのでは?という気がした。

考えてみれば、いわゆる「政治家案件」と呼ばれそうな、公共事業などが過去に数多くあり、頓挫したものもあれば完成はしたが、時代の変化と共に用途が無くなり朽ち果てていくのを待つばかり、というモノもある。
中には、一部利権者にとってのメリットだけでその他大勢の人達にとってはデメリットしかなく、そのデメリットを補填するために補助金を出す、ということもあったような気がしている。
これらの「公共事業」によって造られたものなどは、まさに「座礁資産」の具体例ではないだろうか?

背景にあるのは「選挙に勝つため」の公約の一つとして、特定の人達向けに行われた公共工事だからだ。
公共工事が行われている間は、特定の人達に膨大な利益を与える事になるのだが、その公共事業が終わってしまうと、その地域経済はとたんに落ち込む、ということが繰り返されてきたのでは?という、気がしている。
結果として、それらの地域そのものが「公共事業頼み」となり、自ら産業を創り出すという意欲をなくしてしまっているのでは?ということなのだ。

「公共事業頼み」の自治体が増える事で起きる事を、国として、あるいは国会議員として、想像してみた事があるのだろうか?
なんとも刹那的な考えで、それらの「公共事業」が計画されてきたのでは?
「それらの公共事業が、もしかしたら地方を疲弊させているとしてら?」と、考えてみる時代になっているのでは?という、気がしている。

ただ、この記事に取り上げられているGX(グリーン・トランスフォーメーション)について、旗振り役の政治家さんたちがどれだけ理解をしているのか?という疑問を感じている。
耳障りの良い、英語などの外国語を使っているが、その実言葉の本質を理解していないような、気がしてならないからだ。
タイトルとして、ハッと目を引いてもその中身が無ければ、「絵に描いた餅」にもならない。
現在の「デジタル庁」肝いりの「DX(デジタル・トランスフォーメーション)」等を見ていると、そう感じてしまうのだ。





「新型コロナ」の2類相当から5類へと変わる事で、生活も変わるのか?

2023-01-20 20:35:56 | ライフスタイル

昨夜から、岸田首相が「現在の新型コロナに対する2類相当から5類への移行を検討指示」という、ニュースが世間をにぎわしている。
日経新聞:コロナ、この春にも「5類」移行 岸田首相が指示

5類というと「季節性インフルエンザ」と同じ(医療)対応、ということになる。
これまでのように、「体調が悪ければ、最寄りの診療所(やクリニック)に行き、医師が直接診察をし場合によってはPCR検査や抗体検査を行う」というレベルに引き下げる、ということでもある。
リンク先の日経新聞Webには、わかりやすい「2類相当と5類」についての表があるので、詳細はそちらで把握していただく、ということになる。

このような政府の動きに対して、日本医師会からは「ワクチンやPCR検査などは、これまでと変わらず国の負担にすべき、という意見が出たようだ。
TBS News DIGITAL:日本医師会・松本会長、岸田総理にコロナ「5類」見直し後も公的負担継続を要望 

積極的に「新型コロナ」の陽性者を受け入れてきた病院は、ベッド数のようなハード面だけではなく、医師や看護婦の不足ということが、再三言われえてきた。
そのような病院に対して、政府は「補助金」を出してきた。
結果として、赤字続きであった病院が黒字化する、ということもあったようだ。
朝日新聞:コロナ補助金 病院黒字化 病床使用5割以下でも交付も 会計検査院 

この調査の対象となった多くの公立病院にとって、「新型コロナ」の感染拡大は経営という側面だけを見れば、良かったのかもしれない。
しかし、このような報道が出てしまったことで「新型コロナで生活者は苦しい思いをしているのに、病院が儲けるなんてどういうことだ!という、怒りのようなものを持つ人達がいることも、確かだと思う。
そのような生活者感情を考えれば、今回の医師会の要望は受け入れらるのだろうか?という、疑問を持ってしまう。

と同時に「新型コロナ」の感染拡大によって、「新しい生活様式」なるモノがすっかり浸透してしまった今、「5類になったので、屋内でのマスクは不要になります」と、言われたところでマスクを簡単に外す事ができるのだろうか?という、気がしている。
私のように「マスクをすると頭痛がする」という人にとって、マスクを外すことは歓迎すべき事ではあるのだが、マスクをする生活に慣れてしまった人の中には「自分の顔を晒す」ということに抵抗感を持つ人もいるのでは?
事実、昨年の春ごろ感染者が減った頃に「暑くなる前にマスクを外したらどうか」という、話題があった。
この時「マスクを外す勇気がない」とか「お化粧をするのが面倒くさい」などの理由で、「新型コロナが収束した後でもマスクを外したくない」という人達が、一定数いた。
人は一度見についてしまった「便利な事」を手放す事が難しい、ということなのだと思う。
おそらく、「新しい生活様式」の中で推奨された事の一部(例えば、体調が悪い時には無理をせず休むなど)は残り、生活で不便を感じるようになった行為が、ゆっくりと無くなっていくのだろう。
それで良いと思うし、国や周囲から強制されるものではない。
ただ「自分と違う」ことで、非難をすることだけは止めて欲しいものだ。



ユニバーサルデザインからインクルーシブデザインヘ

2023-01-19 20:47:58 | ビジネス

日経新聞のWebサイトに、聞きなれない言葉の記事があった。
それが「インクルーシブデザイン」だ。
日経新聞:ソニー、全商品で障害者・高齢者配慮 開発のルールに 

会員限定の記事なので、全文を読む事はできないのだが、読める範囲の中に「インクルーシブデザイン」という言葉がある。
どうやらこの記事のキーワードは「インクルーシブデザイン」ということらしい、ということは理解できると思う。

では、この聞きなれない?「インクルーシブデザイン」とは、どんなデザインなのだろうか?
参考になるサイトがあったので、リンクを貼っておくが、「ユニバーサルデザイン」と似て非なるデザインの考え方のようだ。
NIJIBOX BLOG:インクルーシブデザインとは?ユニバーサルデザインの違いや原則を事例も交えて解説!

「ユニバーサルデザイン」という言葉が盛んに言われたのは、おそらく2000年代に入ってすぐの頃だったような気がする。
「ユニバーサルデザイン=誰もが使いやすいデザイン」という考えは、その後の「バリアフリー」という言葉へと置き換わっていったような気がするのだが、この時の「ユニバーサルデザイン」は、デザインをする人が「障害のある人も使いやすい」という考えを反映したデザインのことだった。
そして「障害の有無にかかわらず、生活がしやすい」という考えが「バリアフリー」ということになるだろう。

これらの「誰もが使いやすい」という点では「ユニバーサルデザイン」も「インクルーシブデザイン」も、ほぼ同義語ということになると思うのだが、「ユニバーサルデザイン」が障害を持った人や子どもや高齢者の事を考えて、デザインをするのに対して、「インクルーシブデザイン」は、実際に障害のある方や高齢者などが、商品企画のの段階やデザイン企画の段階から参加をしてもらい、意見を反映させたデザイン、という違いがあるようだ。

「ユニバーサルデザイン」が、「健常者が考え」ているのに対して、当時さである「障害者や高齢者」など実際に使うことに不自由さを感じている人を、中心に企画アイディアを出してもらう、ということになる。
企画の中心者が障害を持った人や高齢者(あるいは子ども)という、違いがある。
そしてソニーがそのような人達を、商品企画や開発の中心にするのか?という理由を考えれば、それは「日本の社会が抱えている問題」を解決する一つの方法だと、考えているのでは?ということになると思う。

ご存じのように、日本では「高齢者社会」が差し迫っている。
「2025年問題」と言われているように、2025年になると戦後のベビーブームの頃に生まれた方々が「後期高齢者」へと突入する。
「高齢者が使いやすいデザイン」というのは、ものづくりにおいて必須条件ともいえるのだ。
実際、帰省した折父と買い物をしていると、今まで違和感なくできていた何気ない動作(物を掴む、物をより分けるなど)が、想像以上にできていない、ということに気づかされる。
本人は「あれ?!」という感覚で、何度か繰り返しやっとできる、ということが歳を経るごとに増えてくるのだ。
「それが老い」ということなのだと思っても、本人としては面白くないだろう(と、想像している)。
「高齢者が不得意な動作」というのは、それまで当たり前にできていた事ができにくくなる、ということでもあるのだ。
そしてその「できにくくなった動作」は、個人差があり、どれか一つという訳ではない。
おそらく障害を持った方も「やりにくい動作」は、個人差があるはずだ。
とすれば、「やりにくい動作」の最大公約数的な部分をデザインでカバーし、個人に合わせたカスタマイズという仕組みを作っていくことが「インクルーシブデザイン」なのかもしれない。







「職場環境」と仕事のモチベーション

2023-01-18 13:40:43 | アラカルト

Presidenton-lineを読んでいたら、面白い記事があった。
President  on-line:トイレ紙が尽き、フロアに悪臭が立ち込める・・・ツイッターの米国本社が荒れ放題になっている根本原因 

「IT企業のオフィス」というと、これまで洒落たCafeが社内にあり、自由な雰囲気でスタッフの交流がある、というイメージがあったのではないだろうか?
少なくとも、私の中でのイメージはそんな感じだった。
というのも、Appleやツイッターの米国本社だけではなく、日本のオフィスもそのような紹介がされてきたからだ。

ところが、現在のツイッター米国本社内は、そのようなこれまでの「IT企業のオフィス」とは、かけ離れた状況のようだ。
記事の中にある「食べた器などが散乱」などという記事を読むと、「自分で食べたものくらい、きちんと片づけようよ!」という気がするのだが、それは日本の企業で仕事をしてきたからだろう。
日本人の性質というべきなのか?食べた物はきちんと自分で片づける、という習慣が子どもの頃から身についているからこそ、感じる事であって米国でも同じ、とは限らない。
むしろ、昨年開催されたFIFA W杯で、日本人サポーターの試合後の清掃姿が、FIFAを通して世界中に伝えたように、その行動は世界的には珍しいことだったのだ(日本人サポーターのために付記させていただくが、日本人サポーターは前回、前々回の大会でも同様の清掃活動を行い、世界から称賛されている)。

「国が違えば・・・」ということになるにしても、「仕事をするための環境づくり」という点では、「衛生管理ができているオフィス」というのは、とても重要である、という証左のような記事でもある。
「衛生環境」という表現をしたのは、上述したような「おしゃれなカフェがある」というような次元の話ではないからだ。
「衛生管理」が整った上で、「おしゃれなオフィス」ということが成り立つのだから、今のツイッター米国本社の状況は、「衛生管理ができていない」という表現の方が、適切だと思う。
「劣悪な不衛生な環境」では、仕事のモチベーションも上がらず、期待されるような成果も生み出さないであろう、ということが分かる記事でもある。

と同時に、イーロン・マスク氏にとって「衛生環境」は、重要ではないという意識を持っていなかった、ということだろう。
重要どころか、不要と考えていたようにも思える。
確かに日本の中小企業のように、始業前に社員全員で清掃をし、仕事を始める、という企業文化であればまだよかったのかもしれない。
しかし、ツイッター社にはそのような企業文化が無く、代わりに清掃スタッフを雇い入れていた。
他者に仕事を依頼するコトで、その職場環境が保たれていた、とすればそれは人員削減の対象とするべきではなかった、ということでもある。

もう一つ不思議なのは、イーロン・マスク氏はこれまでどのような職場環境の中で仕事をしてきたのか?という疑問だ。
実業家であり投資家なので、自宅で仕事をしているのかもしれないが、その自宅が悪臭漂う環境で仕事に専念できたのだろうか?
ハウスキーパーのような家事サポートをする人を雇っていたとすれば、企業における社外清掃スタッフは、自宅におけるハウスキーパーと同じだ。
その程度の理解もできず、人員削減や経費削減を行っていた、とすればイーロン・マスク氏にとってツイッター社のスタッフは、利益を生み出すためのロボットのような「動く機械」という感覚だったのではないだろうか?
それでは、働く人達のモチベーションは下がるばかりだと思う。

先週末から体調不良に陥り(コロナに感染した訳ではない)、しばらくお休みをしていました。
本調子には程遠い感がありますが、徐々に復帰していきたいと思います。
拙ブログにお越しくださる方も、ご自愛ください。




サクセスストーリーとして読んではいけない

2023-01-13 21:52:52 | アラカルト

Huffpostに、「若い社員のサクセスストーリー」が掲載してある。
Huffpost:コーヒーでもエナジードリンクでもない。「第3の選択肢」を。これが”甘酒の令和版”だ。 

社内起業としてのサクセスストーリーとして、読み応えのある記事だと思う。
その過程についても、比較的細かく書かれているので、わかりやすいという印象を持っている。
何より、日本人ビジネスパーソンの大好きな「サクセスストーリー」だ。
多くの人たちが、このような記事を読むと「そうか!」と、共感をするのでは?という気がしている。

話の内容として、商品開発の苦労話や奮闘する姿、そのような苦労や努力が実を結び、ヒット商品が生まれる瞬間などがまとめられている。
しかし、この話に共感するのは良いのだが、自分の仕事として置き換えた時共感できる部分だけではないはずだ。
共感どころか、「違うな~」と感じるところの方が、多いのでは?
それは当たり前のことなのだ。
このサクセスストーリーは、この商品開発に携わった彼の話であり、読者のサクセスストーリーではないからだ。
同時に「そんなこと、わかっている」と、言われる方の方が多いと思うのだが、街中にあふれる「成功本」と言われる内容と、このサクセスストーリーは大差ないのでは?ということなのだ。

では、何故「成功本」や「成功のためのhow-to本」に目を向けてしまうのか?ということなのだ。
一つは「どうすれば良いのか?」ということが、わからないからだろう。
成功のknow-howなどの方法論がある訳ではないが、そのknow-howを求めてしまうのは「楽がしたい」という気持ちとともに、「自分がやらなくてはならない本質」が見えていないからなのでは?ということなのだ。
これはどのような場合でも当てはまるのでは?と思うのだが「事業のGoalがわからない」のでは?という、気がしている。

今回の場合は、「甘酒の新規顧客となる市場の開拓」ということになる。
「自分が甘酒が苦手だから…。」という視点ではなく、「甘酒が苦手な自分のような人たちは、社会に多いのでは?その人達に美味しいと言ってもらい、定期的に購入してもらう」ということが、具体的な市場の開拓の考えになるだろう。
言い換えれば「甘酒が苦手な人達の問題解決」ということになるかもしれない。

メーカー側が「甘酒」の市場の見直しをする、ということを考えたのには、数年前から若い女性の間で「甘酒人気が起きている」という市場調査があったのでは?と、考えている。
しかし、「甘酒を飲み続ける」というところまでには、なっていないはずだ。
その理由は、様々なだろう。
この商品開発をした彼のようなアプローチもあれば、私のように「甘酒って、どこかお味噌のような味を感じる」という人もいるのでは?
また「お米の粒粒が苦手」という人もいるはずだ。
「体に良い」と、わかっていても市場規模がある程度のところで止まっている、という場合は「テコ入れ策」が必要になる。
「テコ入れ」をしなくては、市場は縮小していく可能性が高いからだ。
その「テコ入れ策」として、若い世代に受け入れられる「甘酒」という考えが必要になる、ということだ。

そのような考えの段階を踏みながら、商品開発が進められたという話なので、自分ならどうする?何を重要視するだろう?と「自分ならどうだろう?」という、落とし込みが必要なのだ。
サクセスストーリーを読み、それをなぞるようにすれば成功する、などということは無く、そのエッセンスをいかに「自分なら?」という置き換えをしながら読んでいく、ということが重要なのだ。