日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

NHKのライバルは、Netflixではないだろうか?

2020-10-29 20:09:59 | ビジネス

昨日「日本のドラマが海外で評価されるようになってきている」という話題から、市場は日本国内にばかり目を向けるのではなく、アジアを中心とした海外に向ける必要があるのでは?という、内容のエントリをした。
「海外に目を向ける」ということになれば、当然収益形態も国内とは違うものとなる必要がある。
例えば、海外の放送局にドラマの配信契約をし、収益に結びつける、ということになると思う。

そもそも、今の若い人たちは「テレビで何を見ているのか?」という、視点が放送局側にどれだけあるのだろう?という、疑問がある。
今日のHuffpostには、Netflixが来年日本のアニメを次々と制作・放映するという記事があった。
Huffpost:「岸辺露伴は動かない」「極主夫道」等16作品。Netflixの2021年新作アニメが注目作揃い

ご存じの方も多いと思うのだが、ここ数年Netflixは過去のテレビドラマなどの放映からオリジナル作品映画などの放映が増えてきている。
昨年だったか?Netflixが制作した映画が米国アカデミー賞の作品部門(だったと思う)にノミネートされるなど、既成の映画会社と肩を並べるほど、作品を次々と発表している。
そして、日本で人気となったマンガなどの作品のアニメ化した16作品を、来年次々と放映するという。

日本のアニメの世界的人気の高さは、ご存じの通りだ。
そしてアニメなどを「クールジャパン」の核と位置づけ、積極的に展開をしていこうと日本政府は考えているはずなのに、実際はNetflixに軍配が上がりそうな勢いだ。

他にも、気になることがある。
それは「コロナ禍」によって、数多くのミュージシャンが積極的に「オンラインライブ」をするようになった。
しかも「オンラインライブ」をしているのは、有名ミュージシャンやバンドだけではない。
いわゆるインディーズレーベルと言われる、有名レコード会社に所属していないバンドなども、積極的に行っている。
そしてそれらの告知の一部は、英語など多言語で行うことで「ネット上の海外進出」を果たしている。
CS放送の中には、オリジナルの音楽番組を制作したり、過去のライブ映像を独自番組として放送をしたりしている。

「オンラインライブ」等は、基本PCやスマホなどで視聴することになるのだが、一部のテレビではNetflixやyoutbeなどに接続できるような機能を持っている機種もある。
CSとなれば、より手軽に多チャンネル番組を見ることができる。
あくまでもNHK(や既存のテレビ局)は、これまでと同じ地上波に目を向けているようだが、生活者側は「テレビを見る」こと自体これまでとは違ってきているのだ。

「みなさまのNHK」というキャッチフレーズは、確かに間違ってはいないだろうが、NHKの言う「みなさま」そのものがNHKを視聴の選択肢の中に入れていない、という可能性がある。
上述したように、Netflixは有料会員によってその番組制作を支えるような仕組みになっている、という点ではNHKと似ているかもしれない。
とすれば、「NHKのライバルは、アカデミー賞候補作品までつくりだすNetflixだ」という認識をしないと、番組制作を含め「ガラパゴスNHK」となってしまうのではないだろうか?

「今の大河ドラマで、米国アカデミー賞にノミネートされるのか?」そんな視点の番組制作の発想と収益形態が、求められる時代になってきているような気がする。


マーケットは、国内ではない-テレビドラマー

2020-10-28 17:41:11 | ビジネス

先日、女優の黒木華さんが「アジアコンテンツアワー」で、主演女優賞を受賞した、というニュースをFM番組で聞いた。
映画ナタリー:黒木華、ドラマ「凪のお暇」でアジアコンテンツアワード主演女優賞に輝く

アジアのエンターティメントの世界で、このような賞があることも知らなかったが、日本のドラマがこのような賞の対象となっていた、ということも知らなかった。

このニュースで一つ思い出したことがある。
4年前、大ヒットし社会現象まで起こした「逃げるは恥だが役に立つ(通称「逃げ恥」)」が、台湾でも放映され、「逃げ恥」のロケ地をめぐるツアーなども台湾では企画され人気ツアーとなっていた、という話題だ。
このように、日本で話題になったテレビドラマは、海外、特にアジアでも放映され人気となっているのだな~と、知ったのも「逃げ恥」だった。
今回、黒木華さんの受賞対象となったドラマ「凪のお暇」は、昨年の夏のヒットドラマだったはずだが、アジア各国でも時間差がありながらもアジア各国でも人気となり、それが受賞に結びついたということなのだろう。

「凪のお暇」は、上述したように昨年の夏のドラマだったが、この秋第1回分のみyoutubeでも公開をしたドラマが、海外で話題になっているらしい。
マイナビニュース:テレ東深夜のBLドラマ『チェリまほ』に海外から熱い反響!制作陣の思いとは

元々日本のBL(ボーイズラブ)をテーマにした漫画などは、海外でも人気が高い、と言われていた。
そのドラマ化なので、このような海外からの反響はある程度予測できるものだった、のかもしれない。
しかし、制作者側のインタビューを読む限りでは、海外からの反響は想定していなかったようだ。
あくまでもyoutbeでの公開は、海外での反響を意識したものではなかったようだ。
「反響があれば、いいね」という程度(と言っては、失礼だが)であったために、海外からの反響に逆に戸惑っているという様子が、インタビューから感じられる。

このように日本発のドラマが、海外で話題になるということを考えると、テレビドラマというコンテンツそのものについて、考え直す必要があるのではないだろうか?
例えば17年くらい前、日本でブームとなった「冬のソナタ」という韓国ドラマがあった。
この「冬のソナタ」のヒットにより、NHKは次々と韓国ドラマをBSで放送するようになった。
NHKだけではなく、民放でも韓国ドラマを買い付け(?)BSなどで放送をするようになった。
それが「韓流ブーム」という、大きなうねりに繋がったのだった。

「凪のお暇」にしても、「チェリまほ」にしても視聴者は日本国内を想定しているのだが、テレビドラマのコンテンツとしては海外を意識し、アジア地域全体での放映を考え、ネット配信などに力を入れるという時代が来ているのでは?という、気がするのだ。
特にNHKは、ネット配信に対して「受信料の徴収」を考えているようだが、ネット配信そのものは日本国内に限られるものではない。
むしろ海外での反響を考えた、収益構造を考える必要があるのではないだろうか?
そのような考え無しで、国内でのネット配信には受信料の徴収対象とし、海外では対応しないということで、日本国内でテレビを持たずPCなどでTverなどを使って、民放の番組を楽しんでいる人たちとの整合性が、なくなってしまうのではないだろうか?

ネットという時代だからこそ、日本で製作されたドラマが、海外でも受け入れられる時代になってきている、と考える必要があると思う。


菅政権の「再生エネルギーへの転換」政策について考える

2020-10-27 18:58:37 | ビジネス

ここ数日、PCの調子が悪くお休みをさせて頂いていた。
何とか復活してくれたようなので、本日から改めてアップしていきたい。

さて、昨日菅さんが総理大臣としての「所信表明演説」を行った。
今朝の新聞などでも一面で取り上げられていたし、当然新聞社のWEBサイトなどでもトップ扱いになっていたので、その内容については、ご存じの方も多いと思う。
時事通信:温暖化対策、高まる期待 菅首相「排出量50年ゼロ」-所信表明演説

所信表明演説の内容は、温暖化対策だけではなかったのだが「2050年、排出量ゼロ」が、インパクトがあったため他の内容の印象が薄くなってしまった感がある。

これまで安倍さんは「地球温暖化対策」に対して、余り積極的ではなかったような気がする。
そこには、電力各社だけではなく他のエネルギー産業に関わる企業などとの関連もあったのでは?という、想像ができる。
その安倍政権を引き継いだ菅さんが、いきなり「温暖化ガスの排出量0」という表明は、驚くモノだった。

この「温暖化ガスの排出量0」と聞くと、いわゆる「再生エネルギー」と呼ばれる太陽光発電や風力発電、小規模水力発電のような、自然エネルギーへ電力事業を移していくということのように思える。
しかし、本当にそれだけで日本の全世帯+企業の使用電力が、安定的に供給できるのだろうか?という、疑問がある。
ご存じの通り、「再生エネルギー」において供給量の安定という点では、疑問符が付くからだ。

「再生エネルギー」の代表的な太陽光発電の場合、曇天や雨では安定的な電力供給が難しい。
何より、一時期ブームとなった「太陽光発電」の弊害のようなモノも、表面化するようになった。
風力発電もあの巨大なプロペラが回せるような風が必要になり、設置場所についての検討なども必要になる。
それだけではなく、「再生エネルギー」で得られる発電量では、今のような電力網では難しい部分がある。
以前から言われている通り「再生エネルギー」そのものは「エネルギーの地産地消」という、事業の転換を現在の電力会社がしなくては難しい、という問題がある。

もちろん、工場のようなところでは自前の発電システムの設備投資をすることができるだろうし、太陽光発電や風力発電とは違う、工業的な方法(例えば、水素エネルギーをアンモニアなどから取り出す)による「再生エネルギー」という考え方もある。
「再生エネルギー」そのものは、これからの技術如何による部分も大きい、ということになる。
そのための目標設定が2050年ということになるのかもしれないのだが、本当にそれだけなのか?という疑念を持っている。

というのも、これまでの安倍政権時代には、今回の所信表明の中には無い「原発再稼働」も「排出量”0”」に含まれていたという記憶があるからだ。
どのような方法で「排出量”0”」にするのか?という、方向性が語られていないという点も含んで、考える必要があるだろう。
そのように考えなくては、「排出量”0”」という所信表明が、唐突過ぎるように感じている。

「所信表明演説」なので、そこまで具体的な内容である必要は無いのだが、これまでの政府方針とはずいぶん違う方針転換であったことを考えると、演説の内容とこれまでの政策との整合性を確認する必要があると思う。


「魅力度ランキング」に右往左往する必要は無いと思う

2020-10-23 20:57:30 | マーケティング

ここ数日、「都道府県別魅力度ランキング」の話題になっている。
「昨年最下位だった県が、上昇した」とか、「思いのほか、順位が低い」という担当者の声が、ネットニュースで話題になっている。
この「都道府県別魅力度ランキング」を発表しているのは、「観光経済新聞」といういわゆる業界紙だ。
観光経済新聞:地域ブランド調査2020 都道府県別の魅力度ランキング トップ3は北海道・京都・沖縄 ワースト3は栃木県・徳島県・佐賀県

おかしなもので、このようなランキングが発表されワースト3などに名前が上がると、名前が挙がった県の人たち、特に観光事業担当の人たちの心は、穏やかなモノではないだろう。
何事においても、ランキング付けをされ下位に名前が挙がるというのは、気持ちの良いものではない。

毎年のように発表されるこの「都道府県別魅力度ランキング」に関しては、ランキング付けで右往左往する必要は、無いのでは?という気がしている。
というのも、上位に挙がった都道府県を見て気づくことはないだろうか?
いわゆる「観光地」として、国内外で有名な都道府県だ。
魅力というよりも、知名度があり、多くの人が観光で訪れている地域、ということになる。
一方、今回下位となった都道府県に共通しているのは、観光地としての知名度がさほど感じられない、という県だ。

昨今の政府の「インバウンド政策」によって、各都道府県が観光政策に力を入れている。
だが、既に観光地として国内外で有名になっている地域には、観光客が訪れやすい環境にある、ということが言える。
当然、観光地として訪れる人も多くなり、このようなアンケート調査では有利になる。
だからと言って、すべての都道府県が「右へならへ」のようなインバウンド政策である必要は無い、はずだ。

昨年だったか?同じ観光に関する調査で、面白い結果があった。
文春オンライン:「日本人だけが知らない」鳥取県が外国人観光客をうなぎのぼりに集める3つの理由

この記事が掲載された時、鳥取県に実家がある私としては、「本当かな?」という気がした。
しかし記事の出典先となっているのは、日本人ではなく外国人を対象にツアーを企画している会社が、まとめたものだ。
ということは、日本人とは違う視点で「日本の魅力」を感じている人たちに対するアンケート結果、ということになる。

海外の人たちは、日本で有名な観光地よりも自然豊かな「日本らしい風景」を求めて観光に来ている(あるいは、観光目的にしている)ということになる。
だからこそ、過疎が進んでいる地域などが、このランキングの上位に入っているのだ。

そう考えると、日本国内を対象とした「魅力度ランキング」と海外の人たちから見た「魅力度ランキング」は、全く違うだけではなく、魅力と感じているモノも全く違う、ということがわかる。
ワースト3だからと言って、その県や自治体に魅力がないわけではない。
実際に住んでみると、生活費が安くコンパクトな街づくりがされているので、高齢になっても不自由さを感じない、という地域もあるはずだ。
このような地域は、住んでみて実感できる魅力であり、観光目的の魅力とは全く別ものだ。
とすれば、「魅力度ランキング」と一括りのランキングに右往左往する必要は、無いのではないだろうか?

「インバウンド政策」という視点で考えれば、今回の「都道府県別魅力度ランキング」には無い、それぞれの地域の魅力=地域資源を守っていくことの方が大事だと思うのだ。


ファッションと中国

2020-10-22 22:08:14 | アラカルト

WEBのみで展開している「コスモポリタン」に、興味深い記事があった。
コスモポリタン:私たちにできることは?ウイグル問題とファッションの関係性

雑誌としての「コスモポリタン」は、既に廃刊になっているのだが、WEBサイトでのみ記事が読めるようになっている。
雑誌形態の時には、過激?な内容で目をひくことも多かったような気がするのだが、米国コスモポリタンと契約をしている企業が変り、WEBサイトのみとなり一般向けの女性雑誌のようになった。
イメージとしては、日本のワーキングウーマン向け雑誌とファッション誌VOGUEの中間のような感じだ。
このような社会的問題とファッションを結びつけるような記事が、掲載することができたのも、雑誌形態ではないからだろう。

ところで「ウイグル問題」については、新聞などで報じられることはあるのだが、一般紙などでの扱いだけでは分かりにくいところが多い。
今回の記事では、中国の民族や宗教弾圧という問題にも踏み込んでいるという点では、なかなか読み応えがある。
そして意外に思われるかもしれないのだが、ファッションと人権的問題を結びつけるような記事は、年々増えてきているように感じている。
それは、ファッション産業そのものが、素材や縫製などで途上国と呼ばれる国々に依存している、という点がある。
途上国での問題の多くは、劣悪な環境の中、女性や子供が低賃金で長時間労働を強いられている、ということが問題となっている。

今回のウイグル問題と関係してくるのは、ファッション誌よりも通販カタログなどで目にすることが多い「新疆綿」がこのウイグル自治区でつくられているからだ。
「新疆綿」の特徴は、綿としての繊維が長く、しなやかで光沢のある綿織物、特にTシャツなどに使われる天竺と呼ばれる素材に使われることが多い。
今では「新疆綿」そのものが、ブランド化し高級綿素材として扱われることもある。
言わば中国にとって、大きな輸出産業の一つが「新疆綿」である、ということになる。

一方では、ウイグル族(中国そのものは多民族国家で、多くは少数民族であり自然環境の厳しい地域に住んでいる場合が多い)などに対する弾圧が年々厳しさを増している、という指摘が国際機関からされている。
そして表立っては言われていないのだが、随分前から中国はこのような少数民族を弾圧し、少数民族そのものの殲滅化(というと過激だが)を図っている傾向がみられる。
「三国志」等のように中国という国の成り立ちの歴史が、そのような政策を推し進める要因となっているのかもしれないのだが、その手段は荒っぽく、人権そのものを無視しているようなところがある、という海外からの指摘が再三されている。
それは、香港に対する統制などからも、わかるだろう。

ファッションに関する問題の中で、このように宗教や民族に関わる問題を取り沙汰されているのは中国くらいで、他の国々の場合は、上述した通り、途上国・劣悪な労働環境・長時間労働・就学世代の子どもを労働させているなどである、ということを考えると、ウイグル問題が、ファッション産業の中でも異質な問題である、ということが分かる。

そして今、世界中のファッション産業が「SDGs」や「エシカル」という方向に、動き始めている。
「ファッションもサスティナブルでなくてはならない」という、考えが広がり始めているのだ。
おそらくこのような傾向は、ますます広がり「ファッションの当たり前」になっていくだろう。
その時「あなたはワンシーズンで終わってしまうファッションを選びますか?人を犠牲にしてつくられる素材を選びますか?」ということも、問われるようになるのかもしれない。




ユニクロの「社会的責任」ー「ケア衣料」とアパレル業界ー

2020-10-21 11:31:13 | ビジネス

数日前になると思う、Yahoo!のトピックスに「ユニクロの160cmボディースーツ」という記事があった。
J castニュース:介助必要な子の親から、感謝の声が… ユニクロが「160cmサイズ」の子ども用ボディースーツを作ったきっかけ

「160cmの子ども用ボディースーツ」だけでは、どのような商品なのか分からない。
写真で見て初めて、新生児の頃から半年くらい(だろうか?間違っていたら、指摘をして欲しい)の間、赤ちゃんが着る肌着だということがわかる。
このような形状になっている理由は、首が座る前の赤ちゃんに肌着やロンパース(あるいは「カバーオール」)と言われる「つなぎの服」等は、寝ていても脱ぎ着がしやすいからだ。
盛んに動くようになっても、上下が繋がっているのでお腹や背中が出る心配がない、というある意味「機能子ども衣料」なのだ。
と言っても、このような肌着やロンパースを着る期間は、決して長くない。
そのため、出産祝いなどで購入すると案外高額なことに、驚くことになる。

ただ、このような肌着や服を必要としている人たちがいる、ということは社会的に知られていなかったように思う。
その背景にあるのは、おそらく身体的ハンディを持っている人たちに対して、社会的関心が低いということもあるだろうし、福祉衣料という発想が低かった(「市場が小さい」という思い込み)ということもあるだろう。

本当に市場が小さいのだろうか?
というのも、私が乳がんに罹患した時(10年前)、「日本人女性の15人に一人が乳がんになる」と言われていたのだが、今では「9人に一人」になっている。
もちろん、乳がん検診などの受診率が高くなりつつある、ということもあるとは思うのだが、冷静に考えれば相当高い確率で乳がんに罹患する人がいて、その人達の多くが「一生乳がんという病気と付き合いながら過ごす」ということになるのだ。

何故そのような話をするのか?というと、術後最初に問題となったのが「乳がん患者向けケアブラジャー」だったからだ。
私のように摘出した病巣が小さい場合(左乳房全体の1/6の摘出だった)、市販されているスポーツブラで対応することができたが、摘出した病巣が大きい場合は、ワイヤーの入ったブラは手術痕に接する為つけることができず、なおかつ「乳房パット」と呼ばれるものを入れて、左右のバランスをとる必要がある。
これらの「医療用ブラやパッド」は、高額で術後も放射線治療や薬物治療が続く患者さん達にとっては、経済的負担が大きいのだ。
私が乳がんに罹患した時ですら15人に一人だった患者数が、今では9人に一人になっている、と考えれば下着メーカーだけではなく、アパレル業界全体にとっても、決して小さな市場ではない、ということに気づくはずだ。

それは、がんに限らず他の病気の患者さんでも同じではないだろうか?
例えば、以前は「人工肛門」と呼ばれていた「ストーマ」をつけている人にとって、トイレで「ストーマ」を洗浄することは、大変な作業なはずだ。
高齢者が増えれば、今回ユニクロがつくったような形状の下着や外出着を必要とする人は、増えるだろう。
「高齢者だから、介護を必要としている人だから我慢しなさい」という発想ではなく、「その人がその人らしい生活をするには?」という視点で、様々な商品やサービスを提供しなくてはいけない時代が、既にやってきているのだ。

そう考えると、ユニクロ価格ほどではないにしても、既存のアパレルメーカーや下着メーカーにとっても市場規模は、決して小さいものではないだろうし、企業の社会的責任という視点でも、積極的に展開することが求められるようになってきているのでは、無いだろうか?


「フェイク情報」を何故、人は信用してしまうのか?

2020-10-20 22:30:30 | アラカルト

先日、偶然見つけた「ナショナルジオグラフィックス」の動画を見て、「人の認知」についてシリーズ化したものがあった。
これが中々興味深かった。
ナショナルジオグラフィック:どれだけの人がフェイクニュースを信じてしまうのか

この動画そのものは、「STAR TALK 3」という番組の中での一場面なのだが、SNSなどによってもたらされた情報の中に「フェイク(嘘)の情報」が多く、それらの情報を鵜呑みにしてしまうのは世代に関係なく多い、という内容になっている。
その背景にあるのは、「自分が共感しやすい情報」を優先的に選びやすいという傾向が人にはある、という指摘を、このトーク番組の中でもされている。
憶測やデマをどう見分けるのか ネットの中の現実性

問題となるのは、その賛同者(共感者)が多いことで、社会的世論が形成されていくということを、忘れてはいけないと思う。
そして考えなくてはならないのは、「新型コロナウイルス」の世界的感染拡大によって、世界全体が「得体の知れない不安感」が覆っている、という点だろう。

「不安感」が強い社会では、自分と同じまたは似たような価値観の考え(や主張)に、同調しやすくなりやすい。
何故なら「(自分の考えに)安心したい。自分を肯定されたい」という気持ちが、強くなりやすいからだ。
今、大統領選が行われている米国で「影の影響力」として注目されている、「陰謀説」を信じている「Qアノン」と呼ばれる集団もまた、このような社会的背景の中で生まれた集団なのではないだろうか?

もちろん、このような「安心したい。自分を肯定されたい」という気持ちは、社会不安が無い時であってもあるのだが、そのような欲求が強くなるが、今のような「得体の知れない不安が蔓延している」という状況であるということは、過去の歴史を振り返ってみてもわかるだろう。

ただ、過去から学びが無いのではなく、むしろ人の本能的な部分での「安心感、自己肯定の欲求」ということになるのかもしれない。
社会的不安が大きくなればなるほど、このようなフェイクニュースが受け入れられやすくなり、自分と共通する価値観があることに安心をし、それによって「自己肯定がされている」という、認識を持つのだろう。
そこから自分で考え(思考し)、異質な意見や考えを受け入れるのは、とても難しくハードルが高いものだと思う。
だからこそ(受け入れることが)難しいものだのだ、という故意的意識を持つことが、求められているのかもしれない。



「インフルエンサー」という存在は、ビジネスにプラスか?

2020-10-18 19:32:44 | マーケティング

一昨年あたりから問題になっている「インフルエンサー」について、面白い記事がHuffpostにあった。
Huffpost:「PRするからタダにして」にうんざり。ロンドンのケーキ屋、インフルエンサーを拒む4つの理由

Huffpostに掲載されている、とても可愛らしケーキを作っているのが、この「インフルエンサーを拒むケーキ店」のようだ。
確かに、これほど可愛らしいケーキであれば「インフルエンサー」等頼まなくても、評判になるだろう。
何より手が込んでいるので、下手に一見客ばかりが増えてしまえば、お店に出すケーキが作れなくなってしまうだろう。
そう考えると、このケーキ店が拒む理由も十分わかる。

ここ数年でビジネスで使われるようになった、「インフルエンサー」という言葉。
背景にあるのはTwitterやInstagramなどのSNSのフォロワー数が多い人達に、自社の製品やサービスを宣伝してもらう為に商品やサービスを無償で使ってもらう、という宣伝の方法が一般的になった、ということが大きいのだろう。
確かに、TwitterやInstagramなどは、有名タレントや俳優さんでなくても、数多くのフォロワーを獲得している一般ユーザーがいる。
そのような一般ユーザーだからこそ、使い心地や食味レポートなどが一般生活者の気持ちに届きやすいだろう、ということで積極的に活用をしてる企業が増えていた。

なんとなく、目新しい感のある「インフルエンサー」という手法の宣伝方法だが、マーケティングを勉強している人たちにとっては目新しい手法でも何でもない、ということに気づくはずだ。
いわゆる「口コミマーケティング=Buzz Marketing」と呼ばれる手法の、SNS版だからだ。
むしろ「口コミマーケティング」のほうが、仕掛けとしては難しく管理という点でも気を遣う必要がある。
それは「やらせ」であってはいけない、という点だ。
あくまでも「口コミ」という方法で、多くの人たちに知ってもらう為に、製品やサービスをその時々の生活者の嗜好や変化をとらえながら、向上させていく必要があるからだ。
尚且つ、一過性のブームで終わってしまっては「口コミ」にはならないからだ。

今回のケーキ店が懸念したことも「一見客が殺到し、固定客の足が遠のく」ということがあったからだろう。
まして、自分から「私はSNSのフォロワーが多いので、インフルエンサーとなりますよ」というだけで、実際のビジネスのことなど考えてはいない。
「インフルエンサーになります」と言ってきた人たちは、製品やサービスに愛着があるわけではなく、その製品やサービスをタダで欲しいだけであり、顧客になりたいという人達ではない。

逆に考えると、「インフルエンサーを使いたい」企業は、そのインフルエンサーが自社のファンであるのか?というところから考える必要がある、ということになる。
何故なら、SNSのフォロワーが多いからと言って、そのインフルエンサーが企業のイメージアップにつながるわけでもなく、広告・宣伝だけの付き合いで終わってしまえば、一過性の注目で終わってしまうからだ。
違う言い方をするなら、顧客との信頼関係ができているからこそ、このような広告・宣伝は上手くいくということなのだ。

有名なタレントさんなどを起用し、「○○さんをインフルエンサーとして起用」等という広告を出す企業は、「Buzz Marketing」の基本から学び直す必要があると思う。
何故なら、有名なタレントさんを起用して広告を出す、という方法はBuzz Marketingでも何でもないからだ。


菅政権と「レッドバージ」

2020-10-16 21:36:40 | 徒然

毎日新聞のWEBサイトを見ていたら、懐かしい言葉があった。
毎日新聞:異端狩りを始めた菅政権 日本学術会議への人事介入は「レッドパージ」の再来である

懐かしい言葉というのが、「レッドパージ」だ。
もちろん、私の世代では「レッドパージ」という言葉さえ使うことが無かったが、映画「追憶」では、この「レッドパージ」がストーリーの重要な点でもあった。
学生の頃、名画座と呼ばれる映画館で「追憶」を見た時、「あ~~、レッドパージとは、このようなモノであったのか」ということを、知ったのだった。

Wikipediaなどで「レッドパージ」と検索をすれば、その内容を確認することができると思う。
だが、検索で調べた内容よりも、米国での「レッドパージ」はすさまじいものだったような気がしている。
当時米国で活躍していた、喜劇王・チャップリンが米国を離れスイスに移り住んだのも、この「レッドパージ」がハリウッドに吹き荒れたからだ(と言われている)。
それほど「レッドパージ」は、一つの政治思想的なものから逸脱し、学術や芸術などの分野にまで影響を及ぼした「一種の思想狩り」だった。
日本では「赤狩り」と呼ばれ、いわゆる「共産主義者」と言われる人たちが対象となり、多くのメディア関係者が解雇・追放という処分をされた。

「レッドパージ」が、米国だけではなく西欧諸国、日本など「自由主義=西側諸国」を謳う国で行われた、というのはなんとも皮肉な話だが、「レッドパージ」が行われた背景には、米ソによる「冷戦時代」の始まりという、世界的危機感があったからだ。
ソ連(当時)が「共産主義国家」として、東欧を飲み込み核開発を積極的に行うことで、西側諸国にとっては様々な意味で脅威と映ったはずだ。
だからこそ「共産主義」らしきことを言う人物がいれば、その真意を確かめることなく告発され、職をはく奪されるということが行われていたのだ。

そのような悪夢を、思い起こさせているのが、現在の菅政権であるというのが、毎日新聞の記事になるのだが、菅政権になる前の安倍政権の時既に、このような芽が出ていたような気がする。
それが安倍政権末期(と呼んでよいのだろうか?)となる一昨年・昨年あたりから言われてきた「反知性主義」だ。

「反知性主義」の典型と言われるのが、現米国のトランプ政権なのだが、このトランプ政権に同調するかのような政治手法を取ったのが、安倍前首相だったように思う。
その安倍前首相の路線を引き継いだ現政権・菅政権そのものが、「反知性主義」的考えを持っていても何らおかしな話ではない。むしろ、当然のことだろう。
それが表面化したのが、今回の「日本学術会議」に対する任命拒否に対する説明をしない、という態度なのだと思う。
その結果として、安倍政権時代から続いている「自分とは違う考えを排除したい」という姿が、見え隠れするように感じる人達にとっては「菅内閣のレッドパージ」という言論統制と、感じるのではないだろうか?

ハリウッドに吹き荒れた「レッドパージ」によって、喜劇王・チャップリンは米国を去った。
同様に、安倍政権から続く「反知性主義的政治」によって、将来を期待されるような研究者が日本を去るような状況になるのは、日本にとってデメリットでしかない。
何より、そのような社会はごく普通に暮らしている私たちもまた、暮らしにくい社会なのではないだろうか?


時には、ビジネス書ではなく、ファッション誌を読んでみよう

2020-10-14 21:36:16 | アラカルト

VOGUEのサイトに、なかなか興味深い記事があった。
VOGUE Japan:マルクス・ガブリエル特別インタビュー。さあ、ポストコロナ時代の希望を語ろう!

インタビュー記事としては、相当長く内容も濃いものなので、気軽に読めるとは言い難い。
ただ、「新型コロナウイルス」の感染拡大が、全世界に広がり始めた今年の初め頃から、私たちは随分暗く後ろ向きな思考に陥っていたのではないだろうか?
今週に入り、J&Jが始めた「新型コロナウイルスのワクチン」の治験の中止となり、今日はイーライリリーが治験をしていた「抗新型コロナウイルス薬」の中止というニュースがあった。
これらのニュースは、「新型コロナウイルス」に対抗すべき薬剤などの開発・使用はまだまだ時間がかかる、ということを知らしめたような気がしている。

「新型コロナウイルス」と言っても、元々は「コロナウイルス」という風邪の一種であり、特効薬となる風邪薬やワクチンが存在しないのだから、早急な開発・使用が望まれても、現実は難しいということがわかる。
だからと言って、この「コロナ禍」を後ろ向きにとらえても、どうしようもない。
既に起きてしまった時計の針を、元に戻すことはできない、のと同じだからだ。

とすれば「ポストコロナ」と呼ばれる時代は、今までとは違う考え方や社会的規範(マルクス・ガブリエル氏は「道徳」と呼んでいる)が、必要となってくる。
ガブリエル氏が言う「道徳」のニュアンスは、どちらかと言えば「哲学的思考を持つ」というような意味のような気がしている。
そして「哲学」と言ったとき、日本では「プラトンの哲学」を思い浮かべ、身構えてしまいがちだが、ガブリエル氏の言う「道徳=哲学的思考」は、もっとシンプルなモノのような気がしている。
どちらかと言えば、故池田晶子さんが書かれた「14歳からの哲学」に近いような感覚を持っている。
「自分と他者との関係の中で、どうすればよいのか?」ということを、考え続けることで起きてくる、新たな関係性の発見であったり、自己をみつめることで生まれる自分自身への信頼というようなことではないだろうか?

その先にあるのが、新しい「生活スタイル」であったり、「ファッションやアート」ということになるのだと思う。
それはとりもなおさず、新しい視点と思考によって生まれるビジネスなのではないだろうか?

ファッション誌は女子供が読むものと思わず、ポストコロナ時代の何かを見つけるために読んでみてはどうだろう?
あの白洲次郎氏は、わざわざ米国版VOGUEを取り寄せて読んでいた、という話もあるのだから。