日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

株主総会と外資ファンド

2007-06-30 23:06:13 | アラカルト
先週末から今週にかけて、大手企業を中心とした「株主総会集中」週間だった。
3月期決算の多くの企業が、この時期に株主総会を開催することになる。
以前のような「集中日」の代わりに、「集中週間」が今年傾向のようだ。
今年の新たな傾向がみられたのが、外資ファンド会社による議案と、日本企業の敵対的買収防衛策だ。

外資ファンドの提案といっても、その多くは配当の増配を求めるモノが多かったようようなのだが、それでも、議案は日本企業の多数派工作が功をそうしてか?ことごとく否決されてしまった。
そのときの日本の株主の多くは「長期的な企業発展を考えれば、増配よりも将来的投資を優先したい」という、コメントが幾つも聞かれた。
もしかしたら、このコメントが日本の株主の考えなのかも知れない。
それは、ある意味外資ファンドの多くが言っている「株主利益」とは、相反するモノなのかも知れない。

このような日本の株主たちの考えが、海外からの投資気分を控えさせるのではないか?という指摘もあるようなのだが、果たしてそうなのだろうか?
確かに、企業合併という名の「買収」が今では一般化してきた。
だが、二つあるいは幾つモノ企業が一つになるというのは、違う(企業)文化を一つにするということでもある。
違う文化を一つにすることで、企業内にイノベーションが起こり、それまでとは違う市場を創造できる可能性もある。
忘れてはならないのは、異質の文化がぶつかりあうことで起きる「摩擦」や「拒絶」があるということだ。
決して外資ファンドが言うような「買収」が、異質の文化をもった企業が一つになることで、「企業価値が上がる」とは限らないのだ。

AOLがワーナーを買収したとき、「小が大を飲み込んだ」と言われた。
そしてAOLは、一躍時代の寵児企業となり一気に「企業価値(=時価総額)」が上がったように言われた(と、記憶している)。
時が流れ、今ではAOLはワーナーグループの一企業になってしまっている。
「小が大を飲み込んだ」としても、その企業のアイデンティティや文化を大切にし、イノベーションを起こすことができるのであれば、「買収」もプラスとなる。
その視点を忘れたかのような、目先だけの「企業価値」であれば、それは市場にとっても株主にとっても、幸せなコトではない。

日本の株主が安易な買収策を拒否する姿勢を示したとすれば、良識のある外資ファンドからすれば、今後の投資対象として理解されるのではないだろうか?





広告はオシャレでも・・・

2007-06-29 21:12:52 | トレンド
朝日新聞のWEBサイトasahi.comに、名古屋のバス停、おしゃれに変身中 仏広告会社手がけるという記事が掲載されている。
確かに、名古屋の中心部・栄などにはオシャレなバス停広告を目にする。
目にするのだが・・・問題なのは、その広告が街の風景に溶け込んでいるのか?というトコロだ。

ここ数年の間に、公共交通機関では「ラッピング車両」が多くなってきている。
それは、都市部だけではなく田舎であっても同じだ。
車両ごと、広告として企業宣伝などとして使うコトだが、その「ラッピング車両」なかなかセンスが問われる広告でもある。
目立つことを優先させれば、「目立つだけ」で終わってしまう。
それでなくとも、ラッピング車両というのは「動いている」時間のほうが長い。
そのため「目立つコト」を優先させてしまうのだが、過去見たラッピング車両で「え゛」と引いてしまったモノも少なくない。
それほど、動いている時と停まっている時の印象を考えないと、企業・商品イメージに影響を与えてしまうのである。
そこが、ラッピング車両の難しさでもあるのだ。

そして、今回のバス停なのだが・・・。
名古屋・栄の中心部の一部は、百貨店や海外有名ブランドなどのショーウインドを工夫したり、1階に欧州の有名ケーキショップやカフェを作ったり、一部大通りには街路樹や植栽があるので、そのような所はこのような広告もステキに見える。
問題は、そのような場所ではないところにある広告である。
広告ばかりが、ステキすぎて街に溶け込んでいないという、悲しい現実もあるのだ。
これをきっかけに、街全体がオシャレに変わっていけば良いのだが、その期待はあまりない。
これはあくまでも個人的な印象なのだが、街中にあふれている集客目的の幟や看板など、撤去してもイタチゴッコで無くならないように感じている。

もう一つ気になるのは、肝心のバス停だ。
バス停そのものが、この広告に負けないくらいキレイでなくては、広告効果も半減してしまう。
つまり、利用する生活者にもマナーと美意識が求められる広告でもあるように思うのだ。

いずれにしても、街が華やかにキレイになると言うコトは歓迎したい気持ちに変わりはないのだが。

砂糖に群がるのはアリ、利権に群がるのは?

2007-06-28 22:45:52 | 徒然
産経新聞に掲載されていた、【歪みの構造 社保庁問題】(下)年金に群がるアリ という記事が掲載されていた。
既にイロイロといわれている「年金問題」なのだが、結局のところ利権に群がる人たちが、勝手に使い込んで、知らん振りをしている、というコトだけが露見したような気がする。

問題なのは、この「利権に群がる人たち」は反省も何もしていないということだろう。
なぜなら、自分には関係の無いことだから。
自分に関係するコトといえば「利権」だけ。
その「利権」も、それぞれの意味が違う。
それが、この「年金問題」を余計分かりにくくさせているように思うのだ。

例えば、政治家にとっては「選挙対策」だろう。
官僚からすれば、天下り先の確保ということになる。
「グリーンピア」建設だけではなく、年金のシステム開発及び管理などに関わった業者にとっても、甘い仕事だったのだろう。
官僚と呼ばれる「キャリア組」だけではなく、自治労などの労働組合などにとっても「仕事をする」という意味においては、仕事らしい仕事をしないで大企業並の給与や賞与を享受できるようにしていたということだろう。

すなわち、年金問題は、政治家や官僚、関係業者にとってはそれぞれに甘い利権があり、そこには年金を受給される人たちのコトなどは一切関係が無かったのだ。
それを今問われても、政治家には政治家の甘い利権を手放さなくてはならないし、官僚や社会保険庁関係者や自治労などは、一般企業のような厳しい仕事をしなくてはならなくなるコトでもある。
関係業者からすれば、金額に似合ったシステム開発や管理をしてきたのか?というコトを問われる問題に発展してしまう。
それぞれの思惑からすれば、これ以上年金問題を大きくしたくないし、追求されたくないのだろう。
その「落しどころ」を探っているだけなのでは、ないだろうか?



ジョンはどこへ-インテルのテレビCM-

2007-06-27 22:25:43 | CMウォッチ
今月から変わったテレビCMの中に、インテルのCMがある。
前回のCMは、小学生のタカシ君が、タカシ君のお父さんの会社の偉いジョンと入れ替わりっていた(タカシ君のお父さんは、ロサンゼルスに本社を置く外資系企業に勤めていて、ジョンはその企業の偉い人のようだ)。
それが今回、小学生・タカシ君になったジョンがバレリーナのマリエさんと入れ替わってしまった。
だが、タカシ君になったジョンは、「タカシ」とお母さんから呼ばれていたようなのだ。
となると・・・気になるのは、ジョンと入れ替わった小学生のタカシ君だ。

話の展開からすると、小学生のタカシ君は、その後ジョンとしてタカシ君のお父さんの偉い人となって、仕事をしているはずなのだが・・・
そしてジョンの奥さんは、小学生のタカシ君をジョンとして生活しているのだろうか?
その後の話の展開がますます気になる、テレビCMではある。

実は、このようなストーリー展開を持ってなされているテレビCMは、他にもある。
日清のカップヌードル「フリーダム」も、その一つだ。
2006年4月に登場して以来、テレビCMの変更時期になるたびに新たな話が展開している。
インテルのテレビCMよりも、スケールが大きくストーリー性の高いテレビCMだが、シーズンにあわせ、一つの話からストーリーが展開をしている点では同じだといえる。

このようなストーリー展開のある、テレビCMの難しさは話に凝り過ぎて、生活者に何を訴えるのか?というCMの基本から外れてしまうことだ。
インテルの場合、話が突飛過ぎて「だから何?」というコトにもなりかねないような気がしないわけではないのだが、そのくらい「突飛で凄い」というコトを訴えているようだ。

もう一つは、その話が生活者から飽きられてしまうという、リスクがある。
テレビCMが生活者から飽きられる理由は、いくつかある。
例えば現在の「docomo2.0」のテレビCM。
「直感ゲームなどは、だから何なの?」というよりも、「そんなゲームなら、Wiiです
るよ」という気にさせてしまっている可能性が高い。
携帯電話の利便性・強み・docomでなくてはならない理由などがわからないばかりか、CMそのものの興味を削いでいる可能性もある。
下手にCM展開すればするほど、興味が無くなってしまっている可能性だ。

インテルのテレビCMのジョン=小学生のタカシ君は、今度は一体誰と入れ替わっているのだろう?
少なくとも、そんな興味を持たせつづける必要がある。

返納したいなら、返納すれば!それより職務を真っ当するほうが先だけど

2007-06-26 21:17:39 | 徒然
「年金問題」で、安倍さん以下イロイロな方が「夏季賞与(=ボーナス)を一部返納」する、と言っているようです。
あくまでも「返納希望者」だけかと思っていたら、社保庁職員、賞与返納しなければ…再雇用拒否も 官房長官示唆 という、ことのようです。
(総ての職員とは言いませんが)さほどビジネススキルがあるとは思えない、社会保険庁のみなさまとすれば、「これは一大事」というコトになるのかも知れません。
ただポイントは「一部返納」でしょう。
支給された夏季賞与の10%なのか、50%なのかは本人に委ねられるのですから。
悪く言えば、100円戻しても「返納」ということになってしまう。

大手企業中心に見れば、今年の夏のボーナスは過去最高額だったように言われていますが、中小企業の中には「社員にボーナス支給ができなかった」というところもあるはず。
特に、訪問介護事業者などを取り巻く環境は、とても厳しいと聞いている。
ところが、官僚の給与及び賞与の基準は大手企業となっているらしい。
「仕事も満足にできなくて、大手企業基準の給与と賞与を得ている」とすれば、「全額返納したっておかしくない」というのが、生活者感情だろう。

反面、既に起きてしまったことの後始末の悪さといったら・・・。
フリーダイヤルの相談窓口を設けたが、その実態は派遣会社からの電話オペレーター経験のあるスタッフだったりして、肝心の職員は???という状態のようだ。
おそらく職員さんたちは、電話オペレーターの監督者としているだけで、実労・実務ということは、殆ど関与していないのだろう、と想像してしまう。
とすれば、その監督者として休日出勤をしている職員さん達には「休日出勤手当て」なるモノが、加算され支払われるのではないだろうか?
言い換えれば、電話オペレーターの派遣費用も、休日出勤、残業手当も、私たちの税金でまかなわれているということになってしまうのでは?
これでは「盗人に追い銭」ではないだろうか?

歴代の社会保険庁長官の退職金返納という話は、一部ではあったようだが、その話は頓挫したまま。
現役の社会保険庁職員だけに、その責任を負わせるカタチとなっている。
今回の問題は、10年以上前から現在に至るまでの話とすれば、そのことに関わった総ての人たちの責任で、税金を使うことなく問題を処理して欲しいと、私などは思ってしまうのである。

一生の間に「死ぬほど仕事をした」という、時期があっても良いのでは?社会保険庁の皆さん。
もちろん、休日出勤手当ても残業手当もナシで。



ライトアップは必要か?

2007-06-25 21:24:17 | 徒然
昨夜、東京タワーをはじめ全国各地で、「ライトダウン」が行われた。
目的は、地球温暖化をアピールすることらしい。

ところで、日本各地イロイロな所でライトアップされている。
観光名所のライトアップだけではなく、電飾看板やビルの屋上にある看板を照らすライトなど、光があふれている状態だ。
それだけでも消費電力は、物凄いと思うのだが、対費用効果となるとどうなのだろう?と疑問に感じたことはないだろうか?
いわゆるネオン街(=歓楽街)とは違い、ショッピング街などのビルの屋上にある看板を見るためには、空を見上げるか、それなりの距離が必要となる。
ところが、今の都市部におけるビルの屋上看板は、消費者金融の看板が多く、それ以外の看板であっても、改めて見上げたいという気を起こす看板を見たことがない。
それを、夜あたらためてライトで照らすというのは「労力・費用・時間・エネルギーの無駄」なのではないだろうか?

以前、全国各地のライトアップや電飾看板など、地上が明るくなりすぎたことで、夜空に瞬く星が見えなくなってきている、ということを聞いたことがある。
もちろん、生態系にまで影響を及ぼすこともあるようだ。
とすれば、ライトアップは地球温暖化という問題だけではなく、生態系にまで影響を及ぼす環境問題でもあるはずなのだ。

もう一つ気になるのは、どこかでライトアップをしているとなると、我も我もとライトアップをはじめることだ。
その結果、単にライトに照らされただけの街が出来上がってしまう。
あくまでもライトアップというのは、周囲の暗さがあってこそはじめて引き立つ、光の演出のはずなのだ。

東京タワーのライトアップは、確かに美しいように思えるのだが、その下は光の洪水状態だ。
電飾看板だけではなく、普通の看板を照らすライトなどなど、行き交うクルマのライトとあわせると、東京タワーのライトアップされた姿は闇に浮かび上がる美しさではないと、感じるのだ。

そろそろ無駄なライトアップ、電飾看板や看板を照らすライトなど、止めてみてはどうだろう?
その代わり、住宅地の街灯だけはシッカリと歩く人を照らすようにするのだ。
同じエネルギーを使うなら、有効な使い方をそろそろ考えてみる時期にきていると思うのだ。






侮れない企業HP

2007-06-23 23:43:58 | トレンド
先日来より気になっていることがある。
それが、サントリーの「ザ・プレミアムモルツ<黒>」の発売だ。
私自身は、湯上りにビールという生活をしていないので、冷蔵庫にビールのストックがあるというわけではない。
まして、ディスカウント酒店でビールをケース買いするということもない。
その意味で私にとってのビールは、あくまでもテレビCMという媒体を通してみる、社会のあり様だったり、トレンドチェックの対象でしかない。
だが、この「ザ・プレミアムモルツ<黒>」だけは、どうしても気になってしまうのだ。

このタイミングで限定発売ということは、3年連続モンドセレクション・ビール部門最高金賞受賞の記念だけとは思えない。
おそらく、お中元を見越しているのだろう。
そこで、HPをチェックしてみたのだが、企業HPとは言うもののなかなか侮れないと、感じた。
驚くほど、コンテンツが充実しているのだ。

子供向けの内容もあれば、サントリー美術館のミュージアムグッズの販売や、ウィスキーの樽を使った木工製品などの販売も行っている。
特に目を引いたのが、子供向けの内容の充実度だ。
子供向けといっても、子供の夏休みの自由研究のテーマになるようなモノから、意識調査などがある。
意識調査などについて言えば、ベネッセの「次世代育成研究所」などが、有名なところだが、同様の研究をサントリーもしているのだ。
もちろん、その視点は違うのだがその違いこそ、企業の持つ社会的アプローチの違いであり、面白さだと感じる。

仕事柄様々な企業のHPを見る事があるのだが、情報発信の上手な企業は、生活者を巻き込み、新製品の開発や旧商品の見直し、リ・ニューアルが上手いと感じる。
特に食品・化粧品関係の企業は、その仕掛けが上手い。
それは単に「毎日使うモノ」という身近な商品ということだけではなく、「生活者への提案力が常に求められている」というコトも大きな理由なのではないだろうか。

普通に見て楽しい・面白いと感じる企業HPは、生活者に対しての提案力という情報発信力があり、生活者の声を生かす術を知るために上手に活用しているように思えるのだ。

ただ、サントリーさんにお願いすることがあれば、1970年代、新聞広告に連載していた「鳥シリーズ」の図鑑を作って欲しい。
HP上で見られるとか、壁紙としてダウンロードできるようにして欲しい。
あのシリーズは、図鑑としてだけではなく、美術画としても十分価値のあるモノだったように思う。
子供の頃に見たあの広告の美しさは、30年以上たった今でも忘れることができないほど美しい広告だった。



「他人事思考」蔓延中

2007-06-22 21:06:34 | 徒然
今日の産経新聞に、年金の未統合記録、首相が知ったのは昨年暮れ という記事が、掲載されている。
この記事が、正しいとすれば安倍さんや塩崎さんは、半年近く国民を騙し続けてきたということになる。
この事実を知ったときから、何らかの行動を起こしていればもっと状況は違っていたはずだ。

そして、ミートホープ社による「偽装ミンチ事件」は、当事者はもとより監督官庁でも責任逃れのようなことが起こっていたようだ。
1年以上も前に内部告発があった時、監督官庁でもある農水省は北海道の農政事務所に書類を持っていったとか受け取っていないという話が出ている。
いずれにしても、この問題に関して「注意の対象となっていなかった」ということだけは、ハッキリしてきた。

先日の渋谷で起きた女性専用高級スパ施設爆発事故についても、様々な省庁が「自分のところの責任ではない」と言いはじめているようだ。
「掘削に関しては」、「温泉の届出は」、「施設については」と、自分たちの責任の範疇は「ここまでです」と言っているに過ぎない。
それは、スパを経営している企業も、施設管理をしている企業も同じで、そこから委託され実質的管理をしている企業も、「私たちはこの仕事しか依頼されていません」と言っている。
施設管理をしている企業の場合、委託した企業に「丸投げ」状態だったようにも思える。

今週起きたことだけを取り上げても、事件の当事者のコメントはどこか他人事のようなことばかりだ。
それによって、被害を受けている人は数知れない。
女性専門高級スパ施設に関して言うなら、亡くなられた方もいるのにだ。

「官僚と政治家の想像性がないのは、昔から」と言ってもよいのかも知れないが、それにしても、その想像性の劣化度は加速度的に酷くなっているようだ。
安倍さんは「国民のみなさまにとって、大切なこと」という言葉を、頻繁に使うし、それは安倍さんだけではなく、他の政治家や官僚の皆さんも言う。
そろそろハッキリ言ってみては、どうだろう。
「国民のことなど考えていませんし、想像もしていません。自分たちがよければ日本はよい国だと考え、行動しています」と。
そして、たびたび起こる生活者を欺くような事件を起こす企業のトップも「お客様より、企業(利益)のほうが、大切でした」と。
そのほうが、私たち生活者もイロイロな場面での取捨選択がしやすい。

あまりにも「他人事」のように、平然と自己弁護をする人たちを見ていると、今の日本には「他人事思考が蔓延している」という気がしてくる。


「株主総会」集中日迫る

2007-06-21 21:02:28 | アラカルト
3月期決算企業の、株主総会が今週末~来週にかけてある。
いわゆる「株主総会集中日」だ。
その先陣をきってというわけではないだろうが、今日カゴメの株主総会があった。

カゴメといえば、名古屋に本社を置く優良企業の一つだが、そのカゴメが「買収対抗策」を提案していたようだ。
今年に入り、スティール・パートナーズのような海外ファンドによるTOBが、盛んに行われている。
それを見越してのコトだろう。
実際、共同通信によるとスティールパートナーズは議決権行使助言会社を使って、投資者(企業や海外の年金基金)に反対するようにアドバイスを送っているようなのだ。
それだけ、スティールパートナーズも必死なのかも知れない。
「議決権行使助言会社」という企業があるコト自体驚きなのだが、米国ではそれだけ企業買収が一般化しているということなのだろう。
そして、買収された企業は一体どうなっているのか?個人的には、気になるところでもあるのだが、そのような企業を使ってまで自分たちの主張を通そうとするファンド会社の意図は、一体なんだろうか?
「株主利益」とは、一体なんだろう?
高配当を得ることなのだろうか?

今日、株主総会を行ったカゴメの場合、株主から不満が出たのは、株主総会後、恒例となっていた「懇親会」が中止になったことだった。
スティールパートナーズなどのファンド会社からすれば、「何をバカな」という気がするだろう。
なぜなら彼らの主張する「株主利益」とは、「高配当」が目的だからだ。
もしくは、買収策を打ち上げ株価を吊り上げ、高値が買い戻させることだろう。
だが、日本の多くの個人株主(=安定株主)は、決して高配当やデイトレーダーのような、その場限りの利益を求めているわけではない、ということなのだろう。

日本の企業が、ハゲタカと呼ばれるファンド会社から、企業を守るためには企業を成長させてくれる日本の安定的株主(特に個人株主)に対して、どれだけ誠実な企業であるのか?ということかも知れない。





スパブームの陰で

2007-06-19 22:21:23 | アラカルト
今日の夕方以降のニュースのトップは、渋谷で起きた女性向高級スパ施設の爆発事故となった。
ここ数年、都市部では「スパブーム」というか、「温泉ブーム」となっている。
特に、これまで温泉が出るとは思えなかったような都心部で、次々と温泉が湧き出るようになった。
その筆頭が、お台場にある「大江戸温泉物語」だろう。
身近にいける日帰り温泉として、それ以前の「スーパー銭湯」ブームに拍車をかけたような状態だ。

それが「温泉」から「スパ」と名前が変わることで、若い女性の「エステ・リラクゼーション」という機能が加わった。
それも、高級施設化すればするほど、その人気は上がってくるのだ。
高級化といっても、手を伸ばせば体験できる高級というのがポイントでもある。
週に1回とか、月2回といった、「頑張っている自分へのご褒美」高級感だ。
その意味で、今回の爆発事故を起こした施設は、よく考えられた事業だったように感じる。

しかし、それは「表」のこと。
爆発した施設を観てみると、どこかチープ感がある。
何よりも、地方の温泉施設などは源泉の上に、あのような建物は建ってはいないはずだ。
その理由は、あの建てこんだ立地にもあるのだろう。
あれだけの密集地に、温泉を掘り、様々な施設を建てること自体、無理があったのではないか?そんな気がするのだ。

時々東京に行くと、「ある種の貧しさ」を感じることがある。
大通りに面した所は、近代的でオシャレな建物がいっぱい目に付くのに、一歩路地裏のようなところに入ると、余裕のない敷地いっぱいに建てられた住宅が並んでいる。
それらの住宅が煤けて見えるのだ。
都市計画などとは無縁に造られた、「張りぼての街」という印象が拭えないのである。

「身近な温泉」は、魅力的だ。
だが、都市部に何でもあることが、便利ということなのだろうか?
どうも今の日本には「何でもある」が便利で、それらが都市部になくては、我慢できなくなってきているような気がする。
高速道路がいたるところに張り巡らされても、それは田舎から都市部に行く道であって、都市部から田舎へ行く道ではない。
地方新幹線も同じだろう。

東京近辺には、箱根など古くから知られた温泉地が、幾つもある。
本当なら「頑張った自分へのご褒美」として、近場の温泉やスパリゾートを当たり前に楽しめることのほうが、大切なのではないだろうか?