日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「メンター」の大切さ

2011-01-30 21:15:48 | 徒然
昨年3月に乳がんの手術をした私は、定期的に経過検診を受けなくてはならない。
と言っても、私の場合「術後の治療は特に必要が無い」というレベルの「超早期乳がん」だったため、一般的に言われている「乳がん患者」さんとは随分と違う立場にある。

そんな中、病院へ行くと感じることがある。
それは「メンター」というコトだ。
「メンター」の意味は、ご存知の方も多い通りビジネスの世界では「良き指導者」とか「良き相談者」と言った意味で使われる。
何故その様なビジネス用語「メンター」という言葉を、病院で感じるのか?と言えば、今乳腺外科を志す女性医師が多くなりつつあるのでは?と、感じるからだ。

私が手術を受けた病院は、「がん治療の中核病院」と指定されている大きな病院。
と言うよりも、そのくらいの規模の病院でなくては、乳腺外科の専門医がほとんどいないというのが現実だ。
それだけに、乳腺を専門としているトップレベルの医療チームがある病院でもある。
そんな環境の中で、高い志を持った女性医師たちが集まってきているようなのだ。

その理由は、トップレベルの医療技術だけではなくその現場で働くコトで、「良き指導者」「良き相談者」としての先輩医師との一緒に仕事ができる、と言う思いの強さがあるように感じている。
と同時に、彼女たち(もちろん彼ら)の医療に取り組む強く高い志や意思と言うモノを感じる。
医療現場という特殊な場所と言うコトもあるのだろうが、そのような現場を見ていると日本の医療崩壊の原因は、もっと違うところにあるのでは?と言う気がするコトもある。

ところで、一般的な企業内に「メンター」と呼ばれる人たちは、どれだけいるのだろうか?
「最近の若い者は・・・」という前に、様々な経験を積んだ先輩たちが「自分たちは、良き指導者・良き相談者だろうか?」と、自問自答したことがあるのだろうか?
企業内が停滞化しているのは、もしかしたら「良きメンター」となる人材が育っていない、と言うコトがあるのではないだろうか?
言い換えれば、「目標となる人材がいない企業」と言うコトだ。
企業が人の集合体だと考えれば、「目標となる人材が多い企業は、他社から目標となる企業」でもあるのでは?

果敢にチャレンジする企業文化をもった企業は、新しいチャレンジを促す。
それは何も、新興企業に限ったことではない。
むしろ老舗企業のほうが、「社内代謝」が活発なコトもある。
それが可能となっているのは「目標となる人材が、チャレンジの背中を押す」コトができるからだろう。
とすれば・・・今の日本に足りないのは「目標となる素敵なチャレンジ精神を持った大人がいない」ことなのかも知れない・・・。

日本企業の変化の年になる?

2011-01-29 23:00:12 | ビジネス
昨日、新聞各紙に掲載された「レノボとNECのパソコン事業の合併」。
今日になって、レノボ側が株を全面的に取得すると言う記事が掲載されている。
掲載記事の詳細を読むと、「NECの同意を得て将来的には全株を取得」と言うコトのようだが、このような記事がメディアに流れてしまうと「NECが将来的にパソコン事業から全面撤退」というイメージだけではなく「NECが、レノボという中国企業に飲み込まれてしまう」という印象を与えてしまう。
もしかしたら、レノボ側の狙いがそこにあるとするとすれば、NEC側にとってこの合併はプラスとなる合併と言うより、マイナス面の方が多いのではないのか?と言う気がしてくる。
特にNECのパソコンと言うのは、日本オリジナル的な発展をしてきた部分が強い印象がある。

その理由は、現在では一般的になってしまったWINDOWSだが、それ以前(1980年代後半~1990年代前半)は、NECの98と呼ばれた独自のアーキテクチャのパソコンがあり、「国民的パソコン」と呼ばれていたからだ。
そのようなNECパソコンの歴史と言うモノを考えると、今回の「将来的にはレノボが合併会社の株を全面的に取得する」というのは、とても複雑な感じがする。

そもそもレノボ自体が、オリジナルと言う訳ではなくIBMのパソコン事業を引き継いだ企業と言うコトもあり、尚更そのように感じるのかも知れない。
ただ、IBMのようにパソコン事業は撤退したがサーバーなどのIT関連事業の中でも得意分野に特化して、事業を伸ばすと言うのであれば、それもまた当然と言う気がしないわけではないのだが、果たしてNEC側にそのような気があるのか、今の状況では分らない。
むしろ、レノボ側の先走りと言うか目論見のようなモノばかりが見え隠れするようで、不気味と言うか不快感を持っている。

パソコン事業ではないが、今日、もう一つ注目するニュースがあった。
それは、サントリーが第3のビールなどの開発を止めるというニュースだ。
ビール市場全体から考えれば、発泡酒や第3のビールなどが占める割合は、年々大きくなってきているはずだ。
背景にあるのはもちろん「デフレ」感による、節約傾向だろう。
その中で、サントリーは昨年とても特徴的な商品を発売し、話題を呼んだ。
カロリー・アルコール・糖質0を謳った「オールフリー」という、ビール味飲料だ。
「オールフリー」よりも前に発売され、話題を呼んだキリンの「フリー」などがあったのだが、発売直後は品切れ状態が続いていた。
発泡酒や第3のビールなどを狙い打ちしたような酒税の変更など、企業努力が報われないと言うコトもあるのかも知れない。
他にも原材料となる小麦や豆類などの高騰により、利益が出にくくなっているのかも知れない。

もう一つ考えられるのは、「プレミアムモルツ」の好調さと言うコトも考えられる。
発泡酒や第3のビール開発にお金を掛けるのではなく、好調な「プレミアムモルツ」などに傾注することで「デフレ路線」から脱却をし、「プレミアムビールのサントリー」というイメージ付けや市場の獲得を考えている様にも感じる。

いずれにしても、今年は日本企業にとって大きな変化がおきる年となるような気がしている。


問われているのは、名古屋市民かも

2011-01-28 20:44:13 | 徒然
2月6日は、愛知県知事選・名古屋市長選・名古屋市議会の解散を問う選挙が行われる名古屋。
連日のように、新聞やテレビではこの話題を取り上げている。
それだけ、興味関心が高いと言うことだろう。

メディアが取り上げるのは、候補者や市議会の意見や考えが中心。
それぞれの考えや言い分があり、冷静に考えれば考える程感じることがある。
それは「今回の選挙は、名古屋市民が問われているのではないか?」というコト。

例えば、「減税」。
名古屋市の恒久減税について、本当に名古屋市民は期待をしているのだろうか?
むしろ市会議員の報酬額半減を先に求めているのではないか?
だから「恒久減税」にメディアが言及すればするほど、市議会が「反対」と言えば言うほど、「違うんだよね~」という気がしてくるのだ。
恒久減税の前にあるはずの「市会議員の報酬額半減」なのでは?
そこを言わないで、次のステップである恒久減税ばかりを言うのは、争点のズレになってしまうのでは?
そんな懸念をしている。

なぜなら候補者も市会議員側も、「その財源は?」というコトばかり話しているからだ。
議員報酬を半減したからと言って、恒久減税の財源とするには足りないとは思っているが、財源の足しにはなるだろう。
少なくとも「恒久減税実施と議員報酬半減」は、セットとなるべき政策なのでは?

そんな話ばかりが伝わる中で、名古屋市民は次の地方政治の在り方を考えなくてはならない。
特に市議会解散の是非を問う投票は、リコールが成立した現在、賛成・反対どちらも難しい判断をしなくてはならないだろう。
なぜなら、市会議員さんたちの多くは「リコールを指導したのが市長だから、民主主義に反する」という主張をしているからだ。
この「民主主義」という言葉が、とても便利に使われているようにも思われるし、(自分の意見が認められないから)市長がリコールを指導する、と言うのも違うだろう!と感じるからだ。

候補者と市議会の皆さんは、その選挙結果に一喜一憂すればよいだけだが、それを選択する名古屋市民は、どんな結果になろうともその結果を受け入れるしかない。
見方を変えると、一番問われているのは「名古屋市民が考える地方政治の在り方」のような気がする。

もっと注目しても良い?日本の映画界-モノづくりの意味を考える-

2011-01-27 21:49:19 | ビジネス
先日、米国アカデミー賞のノミネート作品の発表があった。
今回は、残念なことに日本の作品が選ばれなかったのだが、既にハリウッドではリメイクのオファーがきている作品が「日本代表」として外国映画部門のノミネート候補として上がっていた。
その作品と言うのは、昨年封切られ大ヒットした松たか子さんが主演の「告白」だ。

私は映画を見ていないので、ストーリーやその映像表現などは知らないのだが、公開時には相当の頻度でテレビCMを見たので、大ヒットした映画なのだろう・・・と、思っていた。
その作品を、アカデミー賞のノミネートされる前からハリウッドの映画製作会社が、リメイクするためオファーを出していた、と言うのは少し驚きだった。

しかし考えてみれば、日本の映画作品が米国でリメイクされ大ヒットした例は、過去幾つもある。
最近では、「リング」などの作品がリメイクされ、話題になった。
そのことを考えれば、さほど驚く必要はないのかも知れない。

そんな話題を聞いて感じたことがある。
それは「日本の映像表現のこだわり」や「ストーリー展開=物語性」など、とても凝ったモノが多いというコトだ。
今回の「告白」にしても「リング」にしても、映画としては「恐怖映画」と呼ばれるモノだろう。
ところが、日本の「スリラー映画」には、スプラッター映画のような場面がほとんど無い。
逆に「心理的恐怖」を与えるのが上手い、と言うのが日本映画の特徴なのかも知れない。
原作自体にスプラッター映画のような場面設定がされていない、と言うコトもあるとは思うのだが、「物語+映像美」で、観客の気持ちに訴えかけるような緻密さがあるのでは?と、感じている。

その様に考えると、「日本のモノづくり力」というのは、多面的且つ複合的に底力を持っているような気がする。
「モノづくり」というと、工業製品のようなコトばかり考えがちだが、映画などの得インタティメントの部分も「モノづくり」なのではないだろうか?
海外の市場で勝負するのであれば「工業製品」を中心とした「モノづくり」でばかりない・・・と言うコトを考える必要があるように思う。



多様性観

2011-01-25 22:19:59 | ビジネス
昨夜、NHKのクローズアップ現代で取り上げていたテーマ「異能」
今の閉塞感漂う日本の社会を、打開する力を持っている「能力」なのかも知れない。
そんな取り上げられ方をしていた。

番組では、「フェイスブック」のマーク・ザッカーバーグを、番組冒頭で「異能者」として紹介をするようなカタチとなっていたが、彼は米国の名門中の名門ハーバードの学生だった。
日本的なイメージからすれば、「何でもできる優秀な学生」という感じなのではないだろうか?
もちろん、ハーバードに集まる学生が「何でもできる優秀な学生」ばかりではないと思う。
人には「得て不得手」というモノがあり、ハーバードに集まる学生たちはある一定以上の優秀さ+飛びぬけた得意分野というモノがあるのではないだろうか?

そんなコトを考えながら番組を見ていたのだが、「果たして日本はどうなのか?」という気がしてきた。
何もハーバードを目指す必要はないと思うが、今の日本の子供たちに求められていることの多くは、「ソコソコに優秀な学生」なのではないだろうか?
「ソコソコに・・・」というのは、人付き合いのような部分も含め、「誰からも嫌われず、勉強も全体的にソコソコできるが、特化した得意分野も無い」という意味だ。
そのほうが、いじめられることも無く、穏便に子ども時代を過ごすことが出来るからだ。

何故そんな「窮屈で面白みの無い社会」になってしまったのだろうか?
おそらく、そのほうが日本の社会では生き易いからだろう。
一方では「個性を伸ばす教育」と言われている。
「個性を伸ばす」為に遊ぶ時間を削って、イロイロなお稽古事に明け暮れている子どもたちも多い。
しかしそれは本当に「個性を伸ばしている」のだろうか?

むしろ大切なコトは、「多様性観」に対する「寛容性のある社会」であり、企業なのではないだろうか?
「異能者」と呼ばれる人材は、突然変異のように現れるわけではないと思う。
「人とはチョッと違う?」というコトに対して、認め合える社会の中でこそ「異能者」が生き易い社会であり企業なのではないだろうか?
そして企業こそ、そのような文化を育むことが、ビジネスチャンスを掴むコトになるのでは?




わずかながらも、景気回復の兆し?

2011-01-24 21:00:22 | ビジネス
今朝、FMラジオを聞いていたら「コンビニエンスストアーの売上が回復しつつある」というレポートがあった。
そこで気になってデータを調べてみると、確かに売上が微増ながら伸びている。
日本フライチャイズ協会「CVS2010年1月~12月売上」(注意:pdfファイル)
このデータを見ると1店舗あたりの売上だけではなく、客単価もわずかながら伸びている。

9月に売上が急増し、10月に落ち込んでいるのは「タバコの値上げ前の駆け込み需要」があったためだ。
11月になるとある程度売上と客単価が回復していることを考えると、「タバコの値上げの影響は???」という気がしてくる。

気になって、タバコの売上推移を(社)日本たばこ協会の平成22年度の紙巻たばこの売上(注意:pdfファイル)を調べてみると、10月の売上は9月の売上の約1/6以下にまで落ち込んでいるが、12月には前年とほぼ同じくらいにまで回復している。
10月の大幅な値上げで、禁煙をしたはずの愛煙家さんたちは、12月には挫折した・・・と言うコトだろうか?
それとも、9月に買いだめたタバコは、11月には既にほとんど吸い終わっていた、というコトだろうか?
いずれにしても「禁煙は難しい」というコトなのだろう。

横道に外れてしまったが、コンビニの売上が若干なりとも回復傾向にあると言うのは、生活者の節約志向が、少し変わってきたというコトなのではないだろうか?
もちろん、コンビニ自体の様々な努力があってのコトだ。
例えば、昨年ヒットした「コンビニ・プチ贅沢スィーツ」などだ。
コンビニの主流客は、男性と言うコトもありスィーツには力を入れてこなかったが、この「プチ贅沢スィーツ」によって、若い女性を顧客に取り込むことに成功した。
今は「男性向けスィーツ」の開発に熱心なようだ。
そればかりではない。
オリジナルのレトルト食品の開発などで、これまで「コンビニ利用者」と考えられていなかった生活者層も、取り込むような企業努力をしている。
その様な努力の甲斐もあり(?)最近ではコンビニ利用者の中心は、若年層から高齢者へと変わりつつあると言う指摘もある。

そのような変化を考えると、タバコの影響で顧客単価が若干上昇したと言うよりも、生活者の節約志向が少し緩んできたと考えた方が自然なのかも知れない。
その背景にあるのは、もしかしたら「価格以上の価値の提供」と言うコトなのでは?
「価格以上の価値の提供」という意味を考えるコトが、景気回復のポイントなのかも知れない。






政党って、なんだっけ?

2011-01-23 21:26:23 | 徒然
昨年秋頃から、何かと話題になっている名古屋市。
その話題の中心は「河村市長VS市議会」だった。
その河村さんも(一応)先週金曜日で、名古屋市長を辞められた。
そして今日、河村さんの辞任に伴う「名古屋市長立候補者」の受け付けがあった。

もちろん、河村さんも立候補されている。
その対抗馬として、立候補された方々がいる。
その中で一際注目を浴びているのが、民主党から出馬している立候補者。
この方は、元々民主党の衆院議員なので「河村さんの対抗馬として民主党が擁立した候補者」というコトになるのだが、ここへきてチョッと異変が起きている。

国会では「ねじれ国会」というコトで、自民党が「政権奪取」を声高に上げているが、今回の名古屋市長選挙では、自民党が民主党立候補者支持を表明している。
国会での敵味方が、同じ立候補者を支援する、と言うなんとも変わった状況になってしまったのだ。
それだけではない。
名古屋市長選と同じ日に行われる愛知県知事選では、元自民党の大村さんが元民主党の河村さんと仲良くタッグを組んで、「減税で元気な愛知を取り戻すと公約し、「中京圏構想」を言っている。
自民党は違う立候補者を支援しており、谷垣さんが選挙応援に来ていたようだ。
今や愛知県知事選と名古屋市長選は、国の政党とはまったく関係のない状態と言うか、独自状態となってしまっている。

もちろん、どちらの選挙でも既成政党から立候補または支持・支援を受けている立候補者はいる。
いるのだが、今回のダブル選挙(正しくは、名古屋市に限り「市議会解散を問う住民投票」もあるため、トリプル選挙)では、「政党ってなんだっけ?」という気がするくらい、既成政党単独の印象がない。
まるで「河村・大村コンビVSその他候補者」という感じだ。

もう一つは、立候補者の皆さんが「無駄を省き、地元産業の活性化・景気対策・生活者重視の地方政治」と言っていることだ。
「政策にさほど違いがない」と感じられるほど、「公約」がかぶっている。
候補者の皆さんが共通で上げている内容は、そっくりそのまま国政選挙の公約ともかぶる内容だと感じるのだが、そこには「政党色」というモノは感じられない。
とすれば、民主党だとか自民党と言う政党そのものが意味するトコロって?と、考えてしまうのだ。

先日の内閣改造で、元自民党(⇒たちあがれ日本)の与謝野さんが入閣をし、イロイロ言われているが、今と言う時代は「政党で政治をする時代ではないのでは?」と、今回の愛知県知事選と名古屋市長選を見ながら感じるのだ。
「「オール政治家」で日本を建て直す!」くらいでなくては、今の日本の閉塞感は打ち破れないような気がする。




美味しく食べることが、社会貢献になる時代

2011-01-22 22:21:04 | CMウォッチ
昨日、バレンタイン商戦で「女子会」などの「口コミ」利用について、エントリした。
バレンタイン絡みと言うわけではないのだが、今週ぐらいから製菓会社のテレビCMにもバレンタインを意識した内容のモノが登場し始めている。
その中で「オヤ!」と思ったCMがあった。
それが「森永ダース」の「1チョコ for 1スマイル」と言うキャンペーンのテレビCMだ。

このテレビCMを見たとき、思い出したテレビCMがある。
ご存知の方も多いと思うのだが、今や夏の定番キャンペーンとなりつつある「ボルビック1リッターfor10リッター」だ。
このキャンペーンが始まってから、イロイロな企業が同じようなキャンペーンを展開しているコトをご存知だろうか?

例えば、アサヒビールでは「うまい!を明日へ」プロジェクトと言う、日本国内の自然保護や文化保護を目的としたキャンペーンを展開していた。
こちらは、ビールを飲むとその売上から寄付されると言うモノだった。
お茶の伊藤園では「お~いお茶、お茶で日本を美しく」というキャンペーンを展開していた。
こちらも、自然保護などを目的に売上の一部を寄付すると言う内容のものだった。

これらのキャンペーンに共通していることは、「売上の一部を寄付する」というコト。
日本の場合キャンペーン対照は、商品と深い関わりのあると言う共通点もある。
「森永ダース」の場合は、チョコレートの原料となるカカオ産出国の子どもたちへの、教育支援。
アサヒビールや伊藤園は、飲料水やビールの原材料となる水を守るために、自然保護などを対象としている。

企業側としては、この様なキャンペーンをすることで「社会貢献に興味・関心がある」という姿勢が示される。
これから先、このようなキャンペーンを展開する企業が増えてくる可能性は、高いだろう。
もちろん、そのような「社会的参加姿勢を現す=PR」だけの目的ではない。
企業として、問題の提起という意味もあると・・・(信じたい)。




女子会、ツィッター・・・「口コミ」ツール?

2011-01-21 13:22:41 | ビジネス
3週間ほど後には、バレンタイン・デーがある。
今年は、月曜日と言うコトもあり「義理チョコ復活か?」とも言われている。
と言う訳でもないのだろうが、今年のバレンタイン商戦は昨年暮から既に始まっている。

一部百貨店や大手スーパーでは、既に店頭にバレンタイン向けチョコレートが並んでいる。
この様な「イベント先取り販売」が、年々早まっているように感じるのだが、「どうなんだろう?」という気がしないわけではない。

ところで、今年のバレンタイン商戦に意外なモノが注目されているようだ。
それが「女子会」。
先日、名古屋では「女性限定(?)バレンタイン用チョコレート試食会」が行われ、テレビのニュースになっていた。
この試食会で用意されたチョコレートは、いわゆる「高級チョコ」と呼ばれるモノ。
一粒400円とか500円するような、国内外の有名パテシェやチョコレート専門のショコラティエのチョコレートやホテルのチョコレートを自由に試食できる、と言うイベントだったようだ。

この時点で既に「バレンタイン商戦」の第一陣が始まっているのだが、このような「試食会」を開催した側には、「女子会」による「口コミ」を期待しているようだ。
実際、インタビューでは「次の『女子会』で、みんなに勧めてみたい」と答える参加者も、数多くいた。

「口コミ」による効果として、最近期待されているのが「ツィッター」だろう。
一つのテーマを立てることで、次々とフォローされそれが大きな動きとなっていく・・・と言う効果を期待し、様々な場面で「ツィッター」の「T」のマークを見ることができる。
それは映画の公式HPだけではなく、企業HPなどでも多く見られる。
多くの企業にとって「ツィッター」は、一つの広告宣伝のツールとしてみていると言う証拠だろう。

それに比べると「女子会」というのは、ここ1、2年のこと。
「女子会」そのものは、広告・宣伝のツールではない。
どちらかと言うと、「元同窓生の異業種交流会」であったり「趣味の集まり」だったりする。
その意味では「女子会」はビジネスとは、無関係な存在だと言える。
むしろビジネスとは無関係だからこそ、企業側としては「上手に使いたいネットワーク」なのではないだろうか?
「商売臭さがない」分、良くも悪くもその情報は一気に広がる。
下手なマス広告を打つよりも、効率面も含め魅力的なだろう。

ところで・・・「女子会」はあるのに、何故「男子会」と言う動きは起きないのでしょう?
拙ブログに来られる男性諸氏のみなさま、その理由をよろしければ教えてください。


日本でもブレイクするか?「フェイスブック」

2011-01-19 13:33:33 | トレンド
先日、アカデミー賞の前哨戦といわれる「ゴールデングローブ賞」の発表があった。
主要部門を総なめしたのは、「ソーシャル・ネットワーク」だった。
ご存知の方も多いと思うが、映画「ソーシャルネットワーク」には実在する人物がいる。
それが「フェイスブック」の創設者・マーク・ザッカーバーグだ。

実際の映画を見ていないので映画についての評はしないが、アメリカではインターネット利用者の2/3が「フェイスブック」に登録をし、その半数以上の人がほぼ毎日「フェイスブック」をチェックし、何らかのアクションをしている、と言われている。
その「フェイスブック」の波が、いよいよ日本にも上陸しはじめているようだ。
まるで映画の公開にあわせたように、一部の週刊誌などでは「フェイスブック」を取り上げている。
ちょうちん記事だとは思わないのだが、多くは「フェイスブック」のメリット記事が多い。
肯定的な記事が多いのは、ビジネス利用ができるなど、これまでのmixiなどのSNSでは出来なかった「人脈作り」が出来たりするためだろう。
それだけではなく、先のチュニジアで起こった暴動・政変の影には「フェイスブック」の影響があったといわれている。

とはいっても、決してメリットだけではない。
SNSの代表的なmixiなどは、紹介者が必要(現在は、不要)であるにも関わらず、実名ではなく、「ハンドルネーム」と言うニックネームで登録するコトでプライベートを完全に明らかにしていない。
その程度で、プライバシーを保護しているとはいえないかも知れないが、少なくとも実名を公開しないコトで、利用者の気軽さやプライバシーについての安心感的なモノがあるのではないだろうか?
それが「フェイスブック」の場合、実名公開を基本としているため登録する側にはそれなりにリスクがあると言うコトを理解し、納得した上での登録・利用が必要となる。
もちろん、実名を公開すると言うことは、その発言に対しての責任が明確に発生するし、それだけに気軽さは無くなる。
時には、事件まで起きているようだ。

それでも、アメリカをはじめ世界のネットユーザーは「フェイスブック」を利用し、ビジネスだけではなく趣味仲間を募ったりして、「人脈」を作っている。
果たして、この日本で「フェイスブック」が流行するのか?
とすれば、どんなカタチで拡がっていくのか?
とても興味がある。