日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

日本が(良い意味で)注目される年になって欲しい

2024-12-31 21:30:59 | 徒然

今日でいよいよ今年も終わり。
昼間、熱田神宮で行われた「大祓」に行ってきた。
「大祓」は、知らない間についてしまった穢れを祓う、という意味の神事なのだが、1年を通して個人的にはいろいろなコトがありすぎた年だった。
そのようなコトもあり、熱田神宮での大祓に行ってきたのだった。

気分一新ということではないのだが、来年は良い年になって欲しいな~と思いながら、Huffpostを見ていたら、世界から日本が期待される年になるのかも?という、印象の記事があった。
Huffpost:ガザを「引き続き注視」の態度で良いのか ジェノサイド予防の研究者が考える「砦」の日本が目指す立ち位置 

実は、中東の国々にとって日本という国は、親しみのある国として挙げられる事が多い。
いくつかの理由が考えられるのだが、一つは「宗教的理由」が挙げられるだろう。
日本の場合一神教ではない為、宗教そのものに対して寛容と言われている。
確かに、お正月に神社に行き、お盆にはお寺、クリスマスには教会…と、宗教に縛られない生活をしている。
今日出かけた熱田神宮にも、イスラム教徒と思しき女性グループを見かけたが、行きかう人達は気にすることなく歩いていた。
そして驚くべきことに、熱田神宮に参拝するのではなく、境内にある大楠に向かってお祈りをしていたのだ。
だからと言って、誰一人咎める人はいないし、不思議な視線を浴びせる人もいなかった。
この大楠には、来年の干支である蛇がいる、と言われている。
流石に冬の寒さで姿を見せることはないが、春先になると蛇を見ることがある。
イスラム教徒である彼女たちが、大楠の蛇にお祈りをする理由は不明だが、「祈り」という視点で考えれば、寛容な文化を持っている国が日本であり、世界でもこのような文化を持っているのは、おそらく日本だけだろう。

もちろん、石油産出国にとって日本は大事な輸出国ということもあるだろうし、他の先進技術等に対しても興味があると思われる。
そこには、長いあいだ日本の商社マンをはじめとする日本企業のビジネスマンが、信頼関係を築いてきた。
欧米とは違うビジネス慣習によって、日本は中東諸国と良好な関係を築きあげた結果、今問題となっているパレスチナとイスラエル、および周辺諸国との関係修復に対する期待がされる、ということは随分前から言われてきたことだ。
そして再び、その期待が日本に向けられている、ということなのだと思う。

他に考えられることは、来年米国ではトランプ政権が復活する、という点もあるだろう。
以前からトランプ氏の考えの中心は「自国主義=アメリカ中心主義」と言われてきた。
既に「世界の警察ではない」ということであれば、武力以外の方法でガザの問題を解決していかなくてはならない。
現在欧州は、ウクライナ・ロシアという問題を抱えている。
日本も対中国や台湾という問題を抱えているが、対中国となると経済的な面で対米国ということも関係してくる。

これらのことから「ジェノサイド=集団的殺害」を止めることができるのが、日本なのでは?ということなのだろう。
「ジェノサイド」は、人的殺害だけではなく、人が守らなくてはならない固有の文化も含まれるようになってきた。
集団的殺害によって、殺害された側の人たちの文化が失われる、というだけではなく自国文化を捨てさせるような教育や制裁を行うことも、今では含まれるようになってきている。
だからこそ、日本文化が持つ「寛容さ」が注目されるようになるのでは?
そして、来年はそのような「国際社会の中での日本文化の寛容さ」が、世界に貢献できるようになって欲しいと願っている。

拙ブログにお越しくださる皆さま、良いお年をお迎えください。


「おせち」が届かない!報道に思うこと

2024-12-29 19:10:03 | マーケティング

Yahoo!のニュースに「おせちが届かない」という、記事があった。
「毎年のように『おせち』トラブル」が、発生するな~と思いながら、この記事を読んでいた。
毎日新聞:年末年始のおせちのトラブル 過去には「スカスカ」「偽キャビア」 

諸般の理由から、年末年始は帰省せずに自宅で過ごすようになった。
1人で過ごすお正月は寂しいでしょう?と思われるかもしれないが、元々一人暮らしなので日々の延長でしかなく、特段寂しいという気持ちは起きない。
もう一つ寂しくない理由が、元旦から大手スーパーがお店を開けてくれるので、おせちなどのお正月料理を用意しなくても、困らないからだ。

とはいえ、2,3品はおせちまがいの料理を作るようにはしている。
お煮しめなどは、おせちでなくても普通に食べられるお惣菜だし、栗きんとんなどはさほど手間がかからず、お正月気分が味わえるからだ。
なにより「ひとりおせち」をつくると、材料費だけでもバカにならないし、買うにしても「一人用おせち料理」等が、通販を含め販売されてはいないからだ。
とはいえ、世間では「おせち」を通販で購入する家庭が増えているのだろう、11月位から通販サイトで「おせち予約」の文字を見かけることになる。
そして、毎日新聞の記事のように毎年この時期になると「おせちトラブル」が、発生する。
「重箱に、商品が入っていない」とか「偽キャビア」等は論外だが、通販サイトで購入したおせちが遅延する、ということは、ある程度想定できるのでは?という気がするし、逆に「名店の高いおせち」でなくても、デパ地下でおせち料理を購入して、自宅のお重に詰めてもよいのでは?という気がしている。
というのも、クリスマスケーキも同じだが、ある特定の日にちや期日にしか「商品価値がない」という商品を、通販で購入するということは、購入者側にとって、リスクが高いからだ。

例えばクリスマスケーキなどは、予約を受け付けた通販サイトから製造する企業は、12月の初め頃から製造を始めないとクリスマスに間に合わないと、言われている。
そんなに前から作っていたら、傷んでしまうでしょ!と怒る方もいらっしゃるかもしれないが、今の冷凍技術とクリスマスケーキで使われる主な材料である生クリームなどは冷凍ができ、新鮮な果物を後乗せしたり、別途でつけるという方法があるからだ。

元々「おせち料理」は、お正月三が日位は火を使わなくても食べられるように、と「日持ちする料理」として考えられたものでもある。
今の冷凍技術を考えれば、食品工場でおせち料理をつくり始めるのは、相当早いのでは?と思っている。
逆にそれくらいの日程で造り始めないと、この年末にはつくり終わらないだろう。
例え出来上がったとしても、それを運ぶ運送会社にとっても、この時期は高速道路などの渋滞が起きやすい時期でもある。
当然のことながら、お届けの遅れが出やすい。
そのようなコトを考えると、通販は便利だがそれなりのリスクを取る、という買い物の仕方をする必要がある、ということでもある。

日本の運送企業は、とてもまじめで時間に正確だと言われているが、運送会社は個人の荷物を一つだけ運んでいる訳ではない。
大量の荷物を運び、個人宅へ届ける為に係る労力とリスクを考えれば、時期限定の食品を通販で購入する、というリスクが見えてくるのでは?
生活者も、自分のことだけ考える時代ではない、ということだという気がする。


石破首相に伝えたい、「民主主義」と「全体主義そして独裁政治」

2024-12-28 19:27:46 | 徒然

昨日だったか?石破首相が何やらぼやいているそうだ。
産経新聞: 「新聞は褒めてくれない」「ネットを見たら悲しくなる・・・」石破首相ガボヤキ節 

この記事を読んだとき、「あ~~、石破さんが首相で良かったかもしれない」という気がした。
確かに、故安倍首相に比べ、強いリーダーシップが感じられない、というのは多くの有権者が感じていることだろう。
そして「強いリーダーを求める」という社会の現状もわかる。
というのも、生活者が社会に対して「不安定感」を感じる時に、「強いリーダー像」を求めやすい傾向があるからだ。
今の日本は、経済は衰退の一途をたどり、社会保障費も実質的には下がり続けている。
多くの生活者は、日々の生活の中に「不安」を持ち、その「不安」が「不満」へと変わりつつある、と感じている。
「失われた30年」と言われ続け、その闇のようなトンネルから、いつまでたっても抜け出せそうな雰囲気すらない。
にもかかわらず、様々なモノが値上がりし、その上増税の話まで出てきている。
生活者の暮らしは、日々お金のやりくりの戦いなのだ。

この状態の時に、生活者にとって「起死回生の一打」となるような政策が打ち出せれば、良いのだろうが、今の政治も官僚にもそのような政策を打ち出すことができていない。
だからこそ、「褒めてくれない」し「SNS等で批判的内容」を、数多く見ることとなり「悲しくなる」のだろう。

おそらくご本人は、「こんなに一生懸命にやっているのに!」という思いがあるからこそ、このようなボヤキが出てくるのだと思う。
だからこそ、多くの国民の声に耳を傾ける、ということが必要なのでは?
「褒められない」という現状を無視して、生活(者)を犠牲にするような強引な政策を推し進めるような国のトップを、誰も望んではいないのだ。
まずそのことを、石破首相には考えてもらいたいのだ。

政治が強引に推し進められようとするとき、社会ではどのようなコトが起きるのか?と言えば「全体主義」的な思考が、自由でイノベーティブな考えを押しつぶしてしまう。
そのような事例は、歴史を見ればいくつもある。
そしてその結果「独裁者」を生み、一つの国だけではなく周辺諸国を巻き込むような、悲劇を引き起こすことになるのだ。
日本の「失われた30年」から脱却するためには、まず風通しの良い政治が必要だと思う。
その第一歩として、石破首相は「褒めてもらう」ことを考えるのではなく、「褒められる為には何が必要なのか?」ということを考えてもらいたいのだ。
それはとりもなおさず、「国民の声を聞く」ということであり、それこそが「民主主義」の始まりなのでは?
自由闊達な社会から、社会を変革するようなイノベーションが起きてくる、ということは過去の事例を見ればわかることだ。
その為には、「平和な民主主義」社会でなくてはならない。
その基本というか、原点に戻るつもりで「褒めてくれない」ことに、耳を傾けることをされてみてはいかがだろう。



韓国の自動車メーカーと災害連携協定を結ぶ、横浜市

2024-12-26 19:42:06 | アラカルト

Huffpostを見ていたら、「なぜ?」と思う記事があった。
Huffpost:ヒョンデ、横浜市と災害連携協定を締結。EV車を貸与、電力供給などで協力 

この記事を読んで、実は強烈な違和感を感じたのだ。
既に撤退したとはいえ、神奈川県には日産自動車の生産工場があったはずだ。
なにより、かつて「横浜国際スタジアム」と呼ばれていたスタジアムは、現在「日産スタジアム」として、広く親しまれている。
日産自動車は、横浜市にとって様々な恩恵を提供してきた企業ではなかったのか?という、気がしたからだ。

そして災害連携協定の内容のEV車の貸与という点でも、ここ10年位日産自動車は積極的にEV車を販売してきた、という実績もある。
同じエコカーでもトヨタが推し進めているHV車ではなく、EV車に力を入れてきたという印象が強い。
もちろん、HV車を蔑ろにしてきたわけではないが、現在ネット広告などで見る限り、日産はEV車に力を入れている、という印象があるからだ。
にもかかわらず、韓国の自動車メーカー・ヒョンデ(漢字表記「現代」)と、このような協定を締結するのだろうか?

ヒョンデのEV車の方が、日産よりも勝っている、ということなのだろうか?
それとも、日産側が横浜市の申し出を断ったのか?
そのどちらなのかは、記事を読む限り不明だが、ただ「なぜ、韓国企業なのか?」という、疑問ばかりが残るのだ。

確かに、ホンダと日産の統合持ち株会社の話が先週(だったと思う)持ち上がり、本格的協議が始まろうとしている状況なので、横浜市からの申し出に対応できないという判断をしたのかもしれない。
まして今の状況は、日産の企業評価価値はホンダの1/4とまで言われるほどで、日産側とするとホンダの軍門に下るような気持ちなのかもしれない。
とはいえ、ホンダは一般的なEV車ではなく、同じエコカーではあるが、これまでホンダが開発に力を入れてきたのは「水素自動車」だったからだ。
今年7月には、「CR‐V : eFCEV」車の発売を始めている。
ホンダ:新型燃料電池自動車「CR-V : eFCEV」を発売 

言い換えれば、日産のEV車とホンダの新型燃料電池自動車とは、当面の間市場のすみ分けができる、という状況にあるのだ。
ホンダと日産の統合持ち株会社の話は、水面下で進んでいて横浜市が知らなかったにしても、何故信頼関係があったはずの日本の企業ではなく、韓国の企業なのか?

日本の名だたる自治体だからこそ、日本企業を応援する意味でも日本企業を選定して欲しかった、というのが偽らざる気持ちだ。


「権力の座」という、魅惑と疑心

2024-12-25 20:31:08 | アラカルト

今年の9月頃から、いろいろ問題が取りざたされてきた、兵庫県庁内における「内部告発」の取り扱いの問題。
いわゆる、県知事である斎藤知事のパワハラに対して、当時の局長が「内部告発」を行い、それを確かめるという理由で、尋問などを行った上「内部告発者」である局長が自死を選んだ、という事件(というべきか?)だ。
このことで、兵庫県知事は県議会から辞任要求をされ、選挙の結果再び斎藤元彦氏が兵庫県知事に再選した、というのがこれまでの流れ、ということになると思う。

この事件に大きく関わっていると言われていたのが、当時の副知事であった片山さんだ。
辞任される時、「知事を守ることができなかった」と涙ながらに会見をされた方だ。
そして今日、百条委員会で片山さんの証人尋問が行われ、一般紙でも取り上げられている。
朝日新聞: 「クーデタと解釈して良い」前副知事、正当性を主張 兵庫県百条委 

「内部告発」を「クーデタ」と解釈していたことに、まず驚いた。
実際の内部告発文を読んでいる訳ではないので、わからないのだが「クーデター」と解釈する、というのは随分飛躍し過ぎた解釈なのでは?という、気がしたからだ。
一般的に「クーデター」というのは、武力行使などを伴うことが多く、決して穏やかな話し合いで起きるものではない。
まして「内部告発」で「クーデター」が起きるほど、自死された局長さんは密に徒党を組むために曲内外の職員たちを集めていたのだろうか?

おそらく自死された局長さんの立場から、局内の不満を「内部告発」をして出しただけであって、その目的は「改善要求」だったのでは?
それを「クーデター」と解釈をするほど、局長さんの存在は前副知事にとって脅威なものだったのだろうか?
言い換えれば、前副知事よりも局長さんの方が人望があり、県庁内で慕われていた、ということになるのでは?
逆に「クーデター」を感じた前副知事は、その人望などが脅威であり、自分の座(=県副知事という権力の座)から引きずり降ろされる、という危機感を抱いていたのではないだろうか?

と同時に、自分を副知事に任命してくれた斎藤知事に対しての恩義のようなモノがあり、「知事に対するネガティブな情報は、早く潰す必要がある」と考え、執拗に追及し、個人のPCなどまで調査対象とし、あら捜しをしながら相手を心理的に追い詰めていったのでは?と想像してしまうのだ。
そのことを放置し、注意をすることもしなかった知事の責任は大きいモノがあるし、「内部告発」を「自分を陥れる策」だととらえるコト自体、「自分の県知事としての権力を脅かす」という思考が働いていたような気がするのだ。

今年行われた、東京都知事選で話題になった石丸伸二さんは、元広島の安芸市長の職を辞しての立候補だったが、選挙後は「石丸構文」等とその発言内容を揶揄されるようなコトが起きた。
そして、今回の斎藤兵庫県知事にも同じような「構文」を感じるのだ。
それは、「絶対的自分の正しさの強調」という感じと言えば、わかっていただけるだろうか?
そのような考えだからこそ、その考えに心酔できる人からは崇められ、共感できない人達からは徹底的に嫌われるようなことになるのではないだろうか?

何となくだが、故安倍元首相に感じた「自分が正しい」押し売りをする人達が、社会的・政治的力を持った時、その犠牲になる市井の人達が増えるような気がするのだ。


昭和という時代は、社会全体にバイタリティーがあった(のかもしれない)

2024-12-23 12:53:23 | アラカルト

朝日新聞のWebサイトを見ていたら、なんとも懐かしい写真があった。
朝日新聞:&物価が高すぎる! 安売り、抗議…消費者はいつも必死だった 

記事としては、「写真で振り返る社会」という企画になるのだと思う。
今回の写真は、昭和45年頃から始まった「物価高」に対する主婦を中心とした抗議行動や、1円でも安い野菜を買い求め、お店に殺到する主婦の姿などを捕らえている写真だ。

これらの写真を見て、気づくことは無いだろうか?
今の日本と同じように、景気が悪く物価高に苦しんでいるのに、生活者一人ひとりの顔は、決して暗くない。
暗くないというよりも、「この物価高に対して、何等かの行動を起こさなくては!」という、勢いのようなモノが感じられないだろうか?

今のように、便利な社会とは言えずご近所付き合いも案外大変だった時代だ。
逆にその大変なご近所付き合いの中から生まれたのが、しゃもじを持っての霞が関での抗議だったようにも思える。
失礼を覚悟でいうなら、どこかユーモアさを感じるところがある。
「米価値上げに反対する」というのは、当時は「食管法」という法律の元、米価そのものが政府によってコントロールされていたからだ。
今同様の動きが起きないのは、やはり仕事をしている人達が多く、社会との連帯がつくりにくいからだろう。

そして、若い人達から見ると滑稽にも思えるのが、トイレットペーパーの表示と実態の長さチェックの為に、スーパー(と思われる場所)の通路に、トイレットペーパーが巻解かれて並べられている、という写真かもしれない。
この滑稽とも思える写真のような行政チェックがされたことで、トイレットペーパーをはじめとする日用品の表示の厳重化がされるようになったのだ。

このような市民運動によって、社会的に大きく動いたのは「石油元売り各社のカルテル」の規制だったかもしれない。
トイレットペーパーのように、その価格と製品を比べることができない石油の価格に対して、元売り各社がカルテルと呼ばれる価格協定を結び、値段を釣り上げていた、ということに対して国側が行政指導を行った、ということがあった。
上述したように、この写真が撮影された時代(=昭和40年代)は、高度成長期の終焉を感じさせるような出来事が、数多く起こった時代でもあった。
それでも生活者は、そのような社会環境の中でも積極的に動い、社会をわずかながらでも動かすように、社会に働きかけてきた。

単純にこのころが懐かしい、というのではないのだが、今の日本社会を見て見ると、この写真から感じられるような生活者の力強さのようなモノをあまり感じられない。
人との繋がりが弱くなった、生活スタイルの変化、等様々な要因があることは十二分に理解できる。
とはいえ、生活者は物価高・公共サービスの低下などの中でも暮らしていかなくてはいけない。
その暮らしを良くしたい!という気持ちまで、そがれるような感覚に陥ってしまっているのが、今の日本の社会だとしたら、日本の経済復帰はもっと時間がかかるようにも感じる。

生活者一人ひとりが、力強く生活を豊かにするために政治に訴えるという行動そのものが、とても大変でパワーを必要とすることだと考えると、その力すら奪うことに成功した日本の政治家と官僚は、なかなかの策士かもしれない。


イメージ一新どころか、逆戻り?‐自民党・政党支部長選出‐

2024-12-20 20:23:17 | アラカルト

朝日新聞のWebサイトをチェックしていたら、「イメージ一新どころか、逆戻り?」と感じる記事があった。
一応、日経や毎日等の全国紙のWebサイトもチェックしたのだが、朝日のWebでしか見られなかったようなので、朝日のスクープなのか?と、思いながら、記事を読んでみた。
朝日新聞:萩生田光一、平沢勝栄両氏を政党支部長に選任へ 自民が方針 

今年10月に石破さんが、それまでの自民党を変える!という意気込みで総裁選に出て、総理になった。
その時、多くの有権者は「これまで石破さんは、旧来の自民党を批判してきたのだから、自民党内部から変えてくれるのでは!」という、期待があったと思う。

しかし、早々の総選挙を実施したり、総選挙の時には公認をしていなかった俗に言われる「裏金問題議員」についての公認などについて、大きく揺れた総選挙となってしまった。
その結果として、総選挙後の支持率は低迷している、と言ってよいだろう。
このことは、総理になった直後から「前言撤退」のような発言が度重なったことも大きく影響しているのだと思うのだが、弱小与党という状況では仕方ないのかもしれない。

そこに、この朝日新聞の記事だ。
これでは「選挙で、有権者が選んだのだから禊は終わった」と、言っているようなモノではないか。
「石破さんになって、自民党が大きく変わるのでは?」という、思いを持っていた人たちからすれば、「石破さんも同じ」と思われても仕方ないだろう。

ただ、この一連の流れを見ていて感じることが一つある。
それは、石破さんが「全幅の信頼を寄せている」と言われる、森山幹事長をはじめとする石破さんの政治的ブレーンの存在だ。
このブレーンの人たちは、本当に「自民党を一新させる気があるのだろうか?」と、感じることが多々あるのだ。
そもそも総選挙を進言したのも森山幹事長だったのでは?という、噂があったような気がする。
自民党結党以来の逆風の中、それでも与党にとどまることができたのは、自民党という政党が持っていた盤石な基盤がモノを言ったのと、意外にも若い世代での自民党支持があったためだと言われている。

とはいえ、世間的には石破さんに期待していたことは、「脱自民党・新しい自民党」だったのでは?
にもかかわらず、ここで裏金議員として名前が挙がっていた人物を政権には登用しなくても、政党の支部長にする、という方針はいかがなものだろう?
少なくとも、「新しい自民党。裏金疑惑からの脱却」からは、相当後退した印象を持たれても、仕方ないのでは?

この決定は、内閣とは関係が無い自民党内でのコトとはいえ、ますます「自民党って変わらないな~。結局裏金かよ」という印象を持たれることを、想定していなかった、ということになるだろう。



プロ野球のセリーグは、変わるのか?

2024-12-19 19:14:04 | アラカルト

今日、お昼にスマホに表示された速報を見て、「ご高齢でしたからね~」と思わずつぶやいてしまった。
速報の内容は、讀賣新聞の主筆である渡辺恒雄氏の訃報だ。
色々なコトが言われているが、一応発行部数日本一と言われる讀賣新聞社及びグループ会社のトップだった、ということになる。

子の訃報を聞いた時、頭に浮かんだことは「これで日本のプロ野球、セリーグが変わるのかな?」ということだった。
野球ファンではない私ですら、プロ野球のセリーグにおける「読売ジャイアンツ」偏重ということを実感しているほど、セリーグは読売ジャイアンツという球団が支えているのでは?と、感じている。
もちろん、関西であれば「阪神」、広島であれば「広島カープ」と、地元で根強い人気球団はある。
ただ名古屋に関していうなら、コアな中日ファンはいるものの、隠れジャイアンツファンも多い、という事実がある。
なぜなのか?と考えると、やはり圧倒的に「ジャイアンツ戦」のテレビ中継が多いからだろう。

この「ジャイアンツ中心のテレビ中継」が、読売ジャイアンツというチームのイメージつくりに大きく影響したのは、間違いないと思う。
特に昭和30年代後半から昭和40年代は「長嶋・王」という、当時の野球界に2大スター選手が在籍し、セリーグだけではなくプロ野球のトップオブトップのような存在であったことも、大きな要因だろう。
このようなスター選手が在籍することで、対戦相手のチームにプレッシャーを与えられる事が優位にはたらき?ジャイアンツはV9という、9年連続日本一に輝いている。
一言でいうなら、長い間日本のプロ野球は読売ジャイアンツを中心に動いてきた、ということなのだ。
だからこそ、ドラフトで逆指名として、ジャイアンツの名前を上げる選手たちも多かったのだ。

そのようなジャイアンツ人気に陰りが起き始めたのは、やはりサッカーのJ‐リーグの影響かもしれない。
読売ジャイアンツの他、読売サッカークラブ(現・ヴェルディ川崎)を持っており、J‐リーグのチェアマン・川淵三郎氏が「地域名をチーム名に付ける」という方針に大反対をするだけではなく、現在のJ1のチーム数が増えること、開催方法などでも反対し続けたからだ。
渡辺氏は、サッカーというスポーツのことを良く知らないどころか、野球というスポーツについても、どれだけ理解があったのかは、未だに不明な部分がある(と言われるゆえんである)。
渡辺氏にとって、野球もサッカーも新聞社の宣伝の一環であり、試合に勝てば新聞の売り上げが伸びる、と考えていたようだった。

新聞社の主筆とはいえ、プロスポーツ界にこれだけの発言力が持てたのには、それなりの理由がある。
それは渡辺氏が、正力松太郎氏の後継者であった、ということだろう。
正力松太郎氏は政界にも影響力を持ち、戦後の自民党の大物議員たちと懇意な関係にあった。
表沙汰にしなくても、暗黙の了解のようにその関係は知られていたし、そのことで盾を突くような人物もいなかった。
そのコネクションをそっくりそのまま引き継いだのが、渡辺氏だったのだ。

そう考えると、テレビ中継などを管轄する現在の総務省などにも睨みを利かせることなど、たやすいことだっただろう。
結果、プロ野球中継は対ジャイアンツ戦ばかりになっていったのもわかる気がする。
そのような巨大な影響力を持っていた、渡辺氏がこの世を去ったことで、プロ野球のセリーグはどのようになっていくのだろう?
かつてのような「ジャイアンツ一強」という時代ではない、ということ。
何より、スポーツ中継の中心がテレビ中継からDAZNなどへ移行していることなどを考えると、渡辺氏が考えていた「スポーツは新聞を売るための宣伝の一つ」という、考えは既に終わっているのだと思う。
果たして、来シーズン以降のセリーグ(の地上波中継)は、どのように変わるのだろうか?


トヨタグループvsホンダ・日産連合?‐自動車業界の再編成か‐

2024-12-18 11:35:38 | ビジネス

今朝、朝のFM番組を聴いていたら、日経新聞のスクープとして、ホンダ・日産が持ち株会社を設立、その後三菱自動車も加わる、というニュースを知った。
日経新聞:ホンダ・日産が経営統合へ 持ち株会社設立、三菱自動車の合流視野 

ホンダと日産が経営統合の協議をしている、という話もビックリしたが、何よりも驚いたのは日経新聞の企業名の並び順序だった。
これまでなら「日産・ホンダ」という並び順だったのでは?
それが「ホンダ・日産」という並びになっている、ということはこの話は日産ではなく、ホンダ側が主導的、あるいはホンダ側優位で進められてきた話なのでは?という、想像がつく。

では、何故ホンダ側が日産にこのような「経営統合」や「持ち株会社」の話を持ち掛けたのか?
一つは、トヨタ一強のように言われている日本の自動車業界に、風穴を開けたい、という気持ちがホンダにも日産にもあったのでは?ということだ。
確かにここ10年ほどの間で、トヨタはダイハツをはじめいすゞなどの自動車メーカーを傘下に収めることに成功している。
結果ダイハツは今でも軽自動車の分野の市場を確保しているが、いすゞは自家用車事業から撤退し、いわゆる大型商用車に完全にシフトしている。
トヨタはこれまで自社の不得意で市場的優位性のない分野の企業を傘下に収めることで、一大トヨタグループをつくることに成功してきた、という経緯がある。

当然、ホンダや日産はそのことに対して危機感を覚えていたはずだ。
日産の場合、経営不振に陥った三菱自動車を傘下に収めたことで、三菱自動車は息を吹き替えしつつある気がする。
ただ、解せないのはホンダが何故日産との経営統合を進めるのか?という点だ。

若い方はご存じないかもしれないが、1960年代~1970年代、日産は「技術の日産」というキャッチコピーで、企業の強みを訴えるCMを出していた。
それに対して、ホンダは創業者・本田宗一郎の精神を引き継ぎ「チャレンジする企業」というスタンスだった。
トヨタのような「ファミリーカーのトヨタ」という、位置づけではなかった、という点では共通している。
とすれば、ホンダ側も日産側も「これからの自動車、モビリティーとは?」という発想を、多角的求めているということなのかもしれない。
だからと言って、企業の独自性を失いたくないからこそ、持ち株会社をつくることで資金面での強化を図ることを考えたのか?ということも考えられる。

とすれば気になるのは、軽自動車のスズキとバイクのヤマハ発動機の動きだ。
この2社は、実はトヨタ自動車が一定数の株を保有している。
それだけではなく、ヤマハ発動機についてはトヨタのスポーツカーのエンジンを供給してきた、という実績を持っている(トヨタ自動車の知人は、全力で否定していたが)。
トヨタ側は様々な面で経営というよりも技術面での協力を得たい為に、株式の保有率を上げようとしているようだが、いずれも断っている、と言われている。
バイクという分野に限って言えば、スズキとヤマハ発動機は、ホンダのライバル企業ということになる(この点については、小・中学と浜松で過ごしてきたので、実感として持っている)。

ただ、トヨタが自社の弱い事業分野の企業を次々と傘下としてきたことが、果たして日本の自動車産業にとってプラスだったのか?という、疑問もある。
そして今回のように、ホンダと日産の経営統合によって、日本の自動車産業の再編がされることが、日本の自動車産業にとってプラスばかりではないような気がするのだ。
もちろん「自動車産業・オールジャパン」として、来年発足する米国のトランプ政権等に対抗することや、新興企業となる中国やインドなどの自動車メーカーなどに立ち向かう為には、必要なことなのかもしれない。
ただ、それぞれの自動車メーカーのオリジナリティや創業の精神だけは忘れずにいて欲しい、と願うのだ。


「ネイチャー・スポーツ・ツーリズム」という考え

2024-12-16 15:10:25 | マーケティング

毎朝聞くFM番組に「My Olympic」というコーナーがある。
タイトル通り、オリンピック出場を目指す若いアスリートやオリンピアンと呼ばれるオリンピック出場経験のあるアスリートへのインタビュー番組だ。
時間もわずか5分程度なので、一人のアスリートを2週間ほど特集する、という構成になっている。
そして今月の前半は、ソフトボール女子で活躍をされた髙山樹里さんが、ゲストになりソフトボールの話やその後チャレンジをされたスケルトンなどの話をされていた。
そして今日のお話が「ナチュラル・リュージュ」という、日本では聞き馴染みのないウィンタースポーツの振興に携わっている、というお話だった。

髙山さんがソフトボールを引退された後で始められたスケルトンという競技も、冬季オリンピックで話題になることはあっても、毎シーズン話題になるような冬のスポーツではない。
理由は、競技人口と競技場所の少なさだろう。
スケルトンをはじめリュージュもいわゆる「そり競技」ということもあり、北欧などで盛んなスポーツということになるのだろう。

ただ髙山さんのお話を聞きながら、フッと思ったコトがある。
それが「ネイチャースポーツ・ツーリズム」だった。
この言葉自体は、私の造語(とさせていただきたい)なので、認知されている訳ではないのだが、この「ナチュラル・リューズ」は、特別なコースをつくるのではなく、林道などに積もった雪を踏み固め、そこに水をまき凍らせたコースでリューズをするというスポーツだからだ。
日本の林道は、林業そのものの衰退で北欧のように整備されていない可能性が高いのだが、降雪地帯であればこのような日本では馴染みが無くても海外では一般的なスポーツを紹介しながら、日本独特の地形を楽しみながらそり遊びをする、ということができるのでは?と、考えたのだ。
夏になれば、急流の多い日本の川をラフティングのようなスポーツで楽しむ、ということも考えられるだろう。
他にも、晩秋から初冬にかけてなら「雲海を見る為に、山に登る」という考えもあるかもしれない。

スポーツと言っても、野球やサッカー、陸上競技のようなモノに限る必要はないと思う。
事実、最近のオリンピック種目は以前に比べ随分バラエティに富んでいる。
むしろ、「遊びから始まったスポーツ」が、新たにオリンピック種目となっているように感じる。

「ツーリズム」というと、しっかりとしたホテルを用意して、観光地をPRして…と考えがちだが、せっかく日本には海外では見られない特徴的な地形を持っている。
その地形と自然をスポーツ感覚の遊びをツーリズムの一環として、考えても面白いのではないだろうか?
幸いなコトに、このような地域には統廃合で廃校となってしまった小学校などの校舎が残っている場合が多い。
小学校の校舎の構造は、それなりにしっかりしているので、アスベスト対策をきちんとすればそれなりの宿泊施設として転用できるのでは?
そしてそれが、災害時の避難所と活用できるのではないだろうか?