日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

1枚の写真が映し出す、理想と現実

2021-11-30 19:39:21 | アラカルト

Huffpostを見てたら、掲げる理想は素晴らしいかもしれないが、現実は・・・という記事が、掲載されていた。
Huffpost:金融21社が共同署名、社会課題解決に「意図」を持って取り組む。男性ばかりの会見に「ジェンダー平等、タイムラグはあるが実現されていく」

この記事の見出しの通り、記者会見の為に集まった金融21社の面々は、全員男性だった。
この記者会見は、「社会課題を解決するための事業、企業に積極的に金融投資をする」という目的の為に、金融21社の役員が集まったものだった。

「社会的課題を解決するための事業、企業へ投資する」するファンドのことを、「インパクト投資ファンド」と呼ぶのは、数年前から聞いたことがあったのだが、「インパクト投資ファンド」という投資商品を自社で作り、投資募集をする日本の金融企業を聞いたことが無かった。
これまでの「企業経営の為の投資を目的」とせず、「貧困」や「環境」等野「社会的問題解決をする」という明確な投資目的を持った商品、という点が大きな違いだと言える。

もちろんその中には「ジェンダーギャップの解消」あるいは「女性の自立支援」等も含まれているのだが、写真を見ての通りひな壇にズラリと並んでいるのは、全員男性(役員)ばかりだ。
これは、日本の金融業に女性の役員がいない、ということを示しているだけではなく、ジェンダーギャップ121位という不名誉な現実をまざまざと見せつけているような気がする。

そこで出た言葉が「ジェンダー平等、タイムラグはあるが実現されていく」という、問題解決に導くとは思えない消極的な発言だったようだ。
共同で「インパクト投資ファンド」をつくっていく、という理想は十分わかるし、積極的に社会的問題解決を行っている企業に投資をしたい、という投資家も少なくない。
中長期的視点で上手に運用できれば、そのリターンも小さくないと言われている。
その視点で考えれば、「インパクト投資ファンド」をつくることは、未来への投資を金融企業としてアピールできる点でもある。

上述したように、「インパクト投資ファンド」の中には「女性の地位向上」という内容も含まれている。
現実は日本の働く女性の給与は、男性の7割と言われており、この傾向は男女雇用機会均等法が施行されても続いている、というのが現状だ。
それだけではなく、例えば「育休」に対して、「キャリアを外れる」という見方をされることも多いため、男性の育休取得が進まない、あるいは取得育休期間が短いというのが現状だろう。

しかし視点を変えれば「育児」という期間は、「子どもについて考える時間」であり「子どもを通して社会的問題を見つける機会」でもあるはずなのだ。
決してネガティブな「キャリアを外れる」という時間ではない。
にもかかわらず、「育休=キャリアを外れる」という(社会的)認識が強いのは、男性視点で考えているからだろう。
それを女性に当てはめて考えると、「育休」そのものが足かせとなる、ということに繋がっているのでは?

「女性を優遇せよ」というのではない。
「女性の視点が入ったインパクト投資ファンド」が、つくれるのか?という問いかけなのだ。
ただ現実として、まだまだ男性中心の企業風土を、この1枚の写真から感じてしまうのだ。
「隗より始めよ」という言葉があるように、この21の金融企業は「女性視点の問題解決」の投資をすることから始めて欲しい。



前回、前々回の轍を踏まなかった岸田さん

2021-11-29 20:59:14 | アラカルト

先週ごろから、「新型コロナ」の変異株が再び世界に広がりつつある、というニュースが出ていた。
「これまでの変異株とは違っているのでは?」とWHOなども、戦々恐々としているようだ。
毎日新聞:オミクロン株でWHO、世界規模リスク「とても高い」と警告

今回のオミクロン株とそれ以前の変異株との大きな違いは、「オミクロン株がどのように変異したのか?」ということがまだ分からないからだ。
それ以前の変異株は、比較的早い段階で「変異の内容(というのだろうか?)」が判明したため、「ワクチン接種が2回済んでいれば、感染をしても軽度で済む」というような情報を発信することができた。

この「情報発信」というのが、とても重要で、「何がどう変異したのか?」という専門的なことよりも、生活者に大きな安心感を与えた。
その上で、マスクの着用や手洗いの徹底など、以前と変わらない生活をし続けたことで、諸外国に比べると日本は「感染の収束に向かっているのでは?」という位の感染者数、重症者数、死亡者数になってきた。
そこへ新しい変異株の登場で、再び社会が不安になりつつある。

そんな時、今日岸田総理は海外からの入国禁止を発表した。
毎日新聞:入国禁止「当面1ヵ月」オミクロン株 日本人も隔離や自宅待機

「新型コロナ」の流行が確認された時の安倍元総理や、感染拡大の収束が数字として表れる前に「Go Toキャンペーン」を開始した菅前総理に比べ、動きが早かった。
前回、前々回の総理の「失敗の轍は踏まない」という、意識があったのかもしれない。
何故なら、安倍さんも菅さんも「新型コロナ」対策の初期対応に失敗をし、国民から批難の声が上がったからだ。

歴史を振り返ってみると、実は良い先例がこの日本にあったのだ。
和楽Web:23万人の検疫を2か月で実現!迅速な感染症対策に震災復興。今必要なのは「後藤新平」だ

時代が今とは違うとはいえ、当時の日本の人口を考えると、23万人の検疫というのは相当大規模なものであっただろう、と想像することはできる。
それを2か月という短期間で実施するにあたっては、反対する人達も多かったのではないだろうか?
そのような反対を押し切ってまで実施することができたのは、後藤新平が医師であったということが大きいはずだ。
だが、今は後藤新平という良いお手本があるのだ。
この時の検疫方法に今の社会事情に合わせ、(日本が誇る)スーパーコンピューター「富岳」を活用し、シミュレーションを行い、それを基に新たな政策を立てていくという方向性を発信すれば、再び「ロックアウトという状況になるのでは?」と懸念されている諸外国とは違う結果を、導きだす事ができるのではないだろうか?

「新型コロナ」に関する「富岳」の活用については、「ウレタンマスクと不織布マスクによる飛沫シミュレーション」などが公開されているが、「富岳」の力をもっと活用し公益性をPRするのであれば、このような「ロックアウトを回避する」ためのシミュレーションなどではないだろうか?
それによって、生活者が得られる安心は大きいと思うし、安倍元総理や菅前総理の時よりも好意的で協力的になるのでは?と考えるのだ。


テレビ局も変革の時代?

2021-11-28 20:25:31 | ビジネス

例年に比べ、季節の移り変わりが「突然」やってきている気がする、今年の晩秋だ。
そのためか?風邪を引いたような倦怠感があり、お休みをさせて頂いた。

その間に、フジテレビが50代を対象とした、リストラを発表している。
MONEY VOICE:バブル入社組に希望退職を迫るフジテレビ。前回リストラ時には「退職金1億円」の報道もあり、就職難の世代にくわえ同世代からも同情の声は皆無か

見出しのタイトルが長いのだが、今回のフジテレビの「希望退職者」の対象となっているのは、1989年頃~1991年頃のバブル期に入社した世代が対象のようだ。
バブル期に新卒で入社していれば、年齢的には50代半ばということになるだろう。

ただ、この見出しを見て「バブル世代」のリストラに対する2つの世代の考えがある、ということを示している。
一つは「超氷河期」と呼ばれた、バブル経済が終わった頃から数年にわたっておこった「超氷河期」と呼ばれた就職難世代の感じ方だ。
「バブル期」の時の新卒者は、1人で内定通知を10社、20社ともらい、「選び放題」だった。
そのため、企業によっては「新卒研修」と称して、稀ではあるが、入社前に内定者をリゾートホテルに囲い込むということまでするという企業すらあった。

その後バブルが崩壊した途端、手のひらを返したような採用状況となり、内定率が急激に落ち込んだ。
「団塊の世代」の退職時期には、一時的に内定率が回復したが、バブル期のような「夢のような内定」が起きることは無かった。
結果として、フジテレビだけではなく「バブル期入社」の社員が数多くいるのに対し、「超氷河期世代」から下の世代の社員数は圧倒的に少ない、という状況になっている。
当然、企業内で用意される「ポスト」も数が限られている為、関連会社への出向などで対応していたはずだが、それでも用意できない50代半ばの社員が数多くいる、という状況なのだろう。

と同時に「同世代からも同情の声が無い」、という点も注目する必要がある。
「バブル期入社=仕事に難あり」ではない、ということなのだ。
フジテレビのようないわゆる「業界」と呼ばれる業種の就職には、一般採用試験で入社する人達とは別に「縁故入社」と呼ばれる人たちの数が圧倒的に多い。
大口スポンサー企業役員からの紹介ともなれば、カタチばかりの入社試験をして採用をする、というのはフジテレビだけではない。
そのような「縁故入社」組は、仕事よりもコネクションが重要ということになる。
とはいえ、50代半ばになれば、入社時の縁故もさほど意味がなくなってくる。
だからこそ、「希望退職者」の対象として、企業から退いてもらいたい、という意思があるのでは?ということなのだ。

このような事情を抱えているのは、フジテレビだけではない。
キー局と呼ばれるテレビ局は、大なり小なり同じような悩みを抱えているのでは?と、考えている。
何より、テレビ番組の視聴形態が様々になり、Tverのような「見逃し配信サイト」の登場によって、キー局で製作されていない、ローカル局の面白い番組が見られるようになってきた。
他にも、NetflixやDisneyplusのようなオリジナル番組や過去の名作映画などが、手軽にみられるようになってきた。
以前の様に「楽しくなければテレビじゃない(フジテレビのキャッチコピー)」という、時代ではなくなったのだ。

テレビ局自身が「テレビって何だろう?」というところから考え直さなくては、テレビ局そのものの存在意義が問われるようになってきている。
「希望退職者募集」というリストラによって、テレビ局が危機感を持ち変革の切っ掛けとなるのだろうか?



ホリデーシーズン広告に失敗した?ディオール。

2021-11-25 19:41:54 | マーケティング

海外では、「感謝祭」を過ぎる広告は、ホリデーシーズン向けになる。
ホリデーシーズン=クリスマス商戦の本格化、という訳だ。
この「ホリデーシーズン」の広告をめぐって、ディオールが中国から批難を浴び、広告そのものを取り下げるという事態が起きている。
BBC News Japan:ディオールの「小さな目」の写真に批判、写真家が謝罪 中国

確かに、印象的な写真だと思う。
思うのだが、カメラマンを見据えるような目は、「小さい目」というよりも「目力」があるような印象がある。
あくまでも私個人の印象なので「東アジアの女性特有の小さい目だな~」と、感じる方もいらっしゃると思う。
思うのだが「小さい目」であるコトが、悪い事なのか?という、疑問がある。

何故なら、この写真を撮ったのは中国人の女性写真家だからだ。
中国人として「小さな目」を屈辱だと感じているのなら、あえて「小さい目」を強調するような写真を撮影するのだろうか?
何より、彼女は独特のファッション写真の表現(「小さく細い目の女性」の写真)で、一躍注目されるようになった、というキャリアを持っている。
それはリンク先のBBC Newsで紹介している他の写真を見てもわかるはずだ。
当然、ディオール側はそれを承知して起用したはずなのだ。

おそらくディオール側は、この女性ファッション写真家の中国女性の写真を見て「エキゾチック(あるいは東洋的)」と考えたのではないだろうか?
今から40年以上前、海外で活躍する日本人ファッションモデルの先駆者となった、故山口小夜子さんはそれこそ世界中のマネキンの顔を変えた、と言われる程の魅力を持っていた。
その魅力として挙げられたのが、ミステリアスでエキゾチックな目であり、黒髪のおかっぱだった。
おそらくその「ミステリアスでエキゾチックな目=アジア女性の魅力」と、今でも欧米ではとらえられているのかもしれない。

しかしながら、ディオールと同様のトラブルが、過去にも中国で起きている。
2018年、ドルチェ&ガッバーナの上海で予定されていたファッションショーの予告動画だ。
長い菜箸のような箸を使い、パスタを食べる東洋の女性という広告で、中国から批判を受け謝罪ということがあったことを覚えている方もいらっしゃるのではないだろうか?
今でも日本や韓国、中国に対する風刺画には、細く吊り上がった目・出っ歯などが誇張されて、描かれる事が多い。
それがステレオタイプ化された「アジア人」なのだろう。
そのために、このような事態が起きたのだと思うのだが、ディオール側としては、ホリデーシーズンという、一番売上が伸びる時期に合わせて、中国的(=エキゾチック)な広告を出した(つもりだった)のではないだろうか?

中国からの批判とディオール側の思惑との相違が、太平洋以上に広く深かったために、このようなことになったのでは?という気がしている。
「ディオールだから素晴らしい」というブランド信仰を持たない中国人のプライドの高さを感じつつも、「欧米人の考えている(旧来的な)エキゾチックさ。欧米風の美への賞賛への疑問」というものに対しての、理解も必要なのでは?という、気がしている。

ちなみに、2022春夏のコレクションで世界一多くののブランドに登場したのは、美佳さん。
最注目のモデルの一人として挙げられたのが、樋口可弥子さんだった。
WWDJapan:モデルの美佳がショー出演数で世界一位に パリコレで躍進した注目モデル4人

彼女たちは、アジア系という縛りではなく世界のトップモデルの中で、活躍をしておりアジア系の容姿そのものを自分の魅力としているような気がしている。


問題の本質が分からないのか?、問題のすり替えなのか?

2021-11-23 21:43:26 | アラカルト

昨夜、世間を騒がしていた東京都議の木下富美子議員が、辞職会見をした。
時事通信:木下都議が辞任、無免許運転「猛省」

時事通信の見出しは、「無免許運転」に対して反省をしている、という印象があるのだが、記事そのものを読むと「猛省しているのかな?」という、印象を持ってしまう。
その理由が「交通法規に順法精神が弛緩していた」という言葉だ。
何だか、難しそうな言葉が並んでおり、最後に「猛省している」と話してはいる。
ただ、前に並べられた難しいことばの羅列から、「猛省している」という印象が、無くなってしまっている。

その次に、「選挙活動に頭がいっぱいで…」という内容が続き、「ひき逃げ事故を隠す気はなかった」という話をしている。
この部分を読んだとき、「この人は、自分が犯した問題の本質を理解していない」ということが、わかる。
在宅起訴となった内容は、ひき逃げ事故ではない。
短期間に7回も無免許運転をしていた、という事実があり、「無免許の意識がありながら運転を続けていた」という悪質性が、在宅起訴の理由となっている。
にもかかわらず「起こした事故を隠ぺいするつもりはなかった」と、釈明をしている。
彼女が、1回目の無免許運転で交通違反の切符を切られた時に運転を止めていれば、ひき逃げ事故を起こすことも無かったなずだ。
ということは、彼女の中では「無免許運転」という「交通法違反をしている」をしている、という意識はほぼ無かったのでは?
それは「弛緩=緩んでいた」のではなく、「罪の意識がない」ということでもある。

この都議の様に、問題の本質の理解ができていないと、チグハグな行動と言葉が出てしまう、ということは、過去様々な人達が実証している。
このような事をする人は、男女年齢に関係がないのも事実だ。

もう一つ考えられるのは「保身」の為に、問題のすり替えをしようとしている、ということだ。
それが分かるのが、他の都議が反発をし自分が所属する委員会などが開かれず、「議員として、十分に仕事をさせてもらえず、理不尽な現実に悩んだ」という言葉だ。

そもそも彼女が長期間にわたり、議会を休むようになったのは「事故が発覚した直後」からだろう。
(「事故を起こしたことが発覚」したことがすっぽりと抜け落ちたために)理由も分からず自分が批難されるようになり、「理不尽な現実に悩んだ」という思考の繋がりなのだろう。
「理不尽な現実」とは、客観的にみれば「自分が起こした交通事故で批難される事」ということになる。
このような発言は保身のためのであり、「自分は悪くない!」という主張への、すり替えとなっている。
見方を変えると、「他の都議や世間からいじめられる、可哀想な私」という、アピールの様にも受け取れる。
このような思考はつい先日、宮家を出て結婚をされた元内親王の思考も同じなのでは?と、感じ取れる。

「いじめられる可哀想な私」をアピールすることで、保身と同情を引こうと(無意識に)しているのだと思うのだが、このような態度は、自分に対しての冷静かつ客観的に見ることができない、とみられるようになってしまうのが今の社会状況でもある。
時代の変化があるとすれば、今まで疑問に感じても声を出す事が無かった生活者が、SNSというツールを使うことで「違う!」という声を上げるようになった、ということも影響しているのかもしれない。
ただ、保身のために下手な同情を引くようなことは、イメージダウンになることはあっても、イメージアップにはつながらず、むしろ「問題の本質が分からず、逃げ回っているだけ」という印象を与えるだけである、ということを認識する必要があるだろう。
それは女性・男性関係がないし、このような行動をおこしやすのは、社会的ステータスがある人達が多いような気がしている。


化石燃料大国日本とグリーンマネー

2021-11-22 20:31:17 | ビジネス

毎日新聞のWebサイトに「再生エネルギー」について、興味ある記事があった。
毎日新聞:再考エネルギー「グリーンに染まる世界マネー 金融市場は世界を変えられるか」

今月初め、「気候行動ネットワーク」という国際的な団体から、3回目の「化石賞」という賞を日本は受賞した。
「賞を受賞した」と言っても、ノーベル賞やイグノーベル賞とは違い、余り有り難い賞ではなさそうだ。
KYODO:COP26首相演説に「化石賞」 石炭火力継続理由

確かに、日本は国として「自然エネルギー利用」について、具体的な施策を海外に向け発信しているとは思えない。
この団体がいうように、今だに火力発電に頼っている、というのも現実だ。
そのために、このような有り難くない賞を受賞することになったと思うのだが、では先日「原発建設再開を決めた、フランスはどうなのか?」という、疑問を個人的には持っている。
2010年、東日本大震災により「東京電力福島第1原子力発電所事故」が起きた時、原発先進国と言われた欧州の国々は、一斉に原発の建設や運転を停止させた、という経緯がある。

それは単に「放射性物質の放出」という問題だけではなく、「環境問題」にも関係するという理由だったのでは?
フランスではないが、フランスの隣国ドイツはこの事故を受けいち早く「原発に頼らないエネルギー」を打ち出した。
それに追従するかのように、欧州各国が「自然エネルギー」へとシフトチェンジするようになっていった、と記憶している。

確かにいち早く「EV車の普及」について言及し、「何年までにどのくらい普及させるのか?」という具体的な方針を発表した中国などに比べると、随分見劣りする感じがあるにせよ、発信力の無さもあってなのか日本の立場は厳しいという印象がある。
このような傾向が、世界的な金融投資という点でも流れが出てきている、ということなのだが、そう簡単に金融投資の流れが変わるのか?というと、どうなのだろう?

「グリーンマネー」というのは、「社会的問題を解決する」という大きな流れの一つであって、「グリーンマネー」に吸い取れるということは無いのでは?
むしろ問題なのは、上述した通り「日本の発信力」なのではないだろうか?
何より、日本の場合「循環型社会のエネルギー選択」という点では、様々な研究が進み「太陽光発電」や「風力発電」だけではない。
下水汚泥などから発生した「メタンガス」や「アンモニア」等を活用した、複数の「グリーンエネルギー」の技術があるはずはずなのだ。
そのようなトータル的な「グリーンエネルギー」を「化石エネルギー」の代替としてでない施策を、(国があてにならないのなら)企業や地方自治体が世界に向け発信することが重要なのだと思う。


成功事例ばかりではない、失敗事例から考える

2021-11-20 22:23:03 | ビジネス

日経新聞のWebサイトに「道の駅」が、地域再生を担う拠点となっている、という記事があった。
日経新聞:道の駅、磁力ます「年商10億円以上22施設

有料会員の記事なので、全文を読むことはできないがこの見出しだけを見ると「道の駅」の存在によって、地域活性化に役立っている、という印象を受ける。
ところが、記事をよく読むと「道の駅」そのものは、全国で約1200施設ある、という。
22/1200≒1.83%の施設が、年商10億円以上ということになる。
この1.83%という数字を見た時、どのように感じただろうか?

ビジネス本は、成功事例を紐解きながら「こうすれば、成功する!」という内容が多い。
しかし、現実に目を向ければこの「道の駅」の様に、成功事例というのはごくごくわずかで失敗事例のほうが多く、むしろ失敗するのが当たり前、ということになる。

確かに「成功事例に学ぶ」とは、意味のあることだと思う。
思うのだが、「成功事例」を列挙されているビジネス本を読んで、「成功した!」という方はどれほどいらっしゃるのだろう?と、常々疑問に感じている。
何故なら、「成功事例」と自分の仕事とは状況も内容も、違うからだ。
とすれば「失敗事例」から学べる事の方が多いのでは、無いだろうか?

「失敗事例から学ぶ」メリットとして考えられることは、「失敗の原因を見つける」ということが重要になってくるからだ。
「失敗の原因」というのは、実は「汎用性の高い問題点」でもある。
「〇〇だからダメだった」という視点ではなく、「○○という失敗の要因は何か?」という視点で分析をしていく、ということなのだ。
「成功」にも「失敗」にも、何らかの要因があり、その要因を分析していくことで、自分の仕事と関連する問題点の発見もまたある、という場合は多い。

それだけではなく「問題点の発見」は、「イノベーションの素」となる可能性もあるのだ。
日本では、「イノベーション=社会を大きく変革させる」というイメージが強いが、そのような変革を生み出す事例は数少ない。
数少ないからこそ、社会から注目を浴びるのだ。
しかしながら、そのような「大きなイノベーション」は、数多くの失敗の中から見つかった「小さなイノベーション」の集合体だと考えられないだろうか?

社会の価値観が変わるようなイノベーティブな製品やサービスが、ある日突然誕生するのではなく「小さなイノベーションの集合体」が、ある日突然姿を現しているような気がするのだ。
それは「社会の問題を解決する(あるいは利便性を向上させる)」からだ。

「成功事例」ばかりに注目し、それを真似てもそれは「新しさ」が感じられないばかりか、「厳しい市場競争」の中に飛び込んでいく原因になるだけなのでは?
「成功事例」を真似るのではなく、「なぜ成功したのか?」ということを分析し自分に当てはめてみなくては、「成功事例に学んだ」ことにはならないし、市場を創造することにもならない。
だからこそ「成功事例」ばかりではなく「失敗事例」から学ぶ方が、イノベーティブな発想が生まれやすいのでは?と、思うのだ。



福祉作業品と一般商品の価格

2021-11-18 20:12:25 | マーケティング

先週末から、独居老人の父の「ご機嫌伺い」という名の、様子見の為に帰省をしていた。
実家の父は、強力なご近所力支援などで元気な様子だった。
そして、今年のお盆が雨続きでお墓参りができていなかったので、お墓参りもしてきた。
その帰り、いつものようにお土産を買いに、駅構内のお土産店が並ぶショッピングモールで買い物をしていると、見慣れないコーナーがあった。

「朝食コーナー」と銘打った売り場なのだが、「ご飯派の方はこれ!」「パン派の方へのおすすめ!」とそれぞれ、お勧め商品があり、地元の食材を使った瓶詰やジャムなどが、小さな売り場ながら分かりやすく、手に取れるようになっていた。

その中で特に目を引いたのが、「トマトのジャム」だった。
そもそも「トマトのジャム」という商品を見たことが無かった、というのが大きな理由なのだが、このトマトを作っているのが、就労支援を行っている「アグリプラント甲斐の木」という農業団体で、ジャムを作っているのが県外の同じく社会福祉法人だったからだ。
ちなみに販売者が、江津市のコンクリート工業だったことも、衝撃的だった。

この「トマトのジャム」だが、値段としては決して安価ではない。
これまで福祉施設などでつくられた商品というのは、通常よりも安価であることがほとんどだった。
それは、「障害者が働く=一般商品と同等ではない」という、社会通念のようなモノがあったからだ。
そのような価値観が、変わろうとしているのだな~という気がしたのだ。

そのような動きは、この就労支援を行っている農業団体だけではない。
愛知県豊橋市に本社を置く、チョコレート専門店「久遠(QUON)」も、生きづらさを抱えた障害者たちが、美味しいく特徴的なチョコレートを作っているが、決して安価な値段で販売をしていない。

これらの企業に共通しているのは、「障害者が一般流通商品と同等もしくはそれ以上のモノをつくっている」という思いがあり、それが価格に反映しているのだ。
確かに、どちらも美味しい商品であるコトには変わりなく、購入する生活者からすれば、つくっている人たちが障害を持っている人か否かということは関係が無い。
生活者が「適正価格である」と判断できる商品である、ということが何よりも重要なのだ。

今後、このような福祉型就労支援が全国に広がっていく可能性は高い。
その時、これまでの社会通念で「福祉作業所の商品」という目で見るのではなく、目の前にある商品そのものの価値が分かるような生活者となっていく必要があるだろうし、そのような市場の仕組みを作っていく必要があるのでは?と、感じている。




一時的な給付金ではなく、継続的な支援

2021-11-11 19:54:31 | アラカルト

昨夜、第2次岸田内閣が発足した。
その中での目玉政策が「18歳以下給付、年収960万円未満 10万円相当」という未成年がいる世帯への給付金だ。
朝日新聞:10万円給付、公明に配慮しスピード決着「先進国に例ない」の先に

この政策のついては、数日前に吉村大阪府知事をはじめ、維新の会の橋下さんなどが「所得制限が無いまま給付するのはいかがなもの?」と、疑問を呈していた。
中日スポーツ:吉村知事「僕だって30万円もらえる」18歳以下一律10万円給付案への疑問ツイートに意見相次ぐ

そのような批判を受け?所得制限を設けたカタチとなったようだが、年収960万円は平均年収よりも随分多い。
結果として約9割の世帯が対象になる、ということらしい。
そして10万円の内現金で給付されるのが5万円で、後の5万円はクーポンのようなカタチで給付されるという。
10万円現金で給付なら、何かと物入りな新学期なら使い道が様々あるだろう。
それが現金とクーポンのような2段支給となってしまうと、給付を受ける側にとって「使い勝手が悪い」のでは?という気がする。

この「10万円給付」という政策は、一つのアイディアとしては良いのかもしれないが、本当に支援が必要な人への経済的サポートとなっているのだろうか?という、気もしている。
例えば、ひとり親家庭や非正規で働くシングルマザー世帯などに対して、継続的な支援制度にしたほうが、まだ良かったのではないだろうか?
また「コロナ禍」により、就学継続が難しくなった奨学金生、現在学生時代の奨学金を払っている非正規者など、「経済的困窮」に陥っている家庭や学生に対して、一時の支援ではなく継続的な支援をすることの方が、経済を動かすという点でも効果的な気がするのだ。

年収960万円を得られる世帯と非正規雇用のシングルマザーとでは、毎月の家計における固定費が占める割合が違っている。
もちろん、年収が多ければそれに似合う家賃や住宅ローンを支払っているとは思うのだが、元々給与そのものが低い世帯において水道代や光熱費などの支出額はさほど大きな違いはないのでは?
とすると、毎月固定的に支払わなくてはならない費用相当額を継続的に支援するほうが、「生活への安心感」へと繋がっていくのでは?と、考えるのだ。

と同時に、雇用環境を整えるための企業支援もまた、必要なのではないだろうか?
菅前総理は「自助」を強調したために、「自助」ではどうしようもならないために、苦しい生活を強いられていた人たちがいる。
政府ができること、企業がすべきこと、自治体で支援すること、それぞれの役割があり、それらが連携して機能していかない限り、日本の経済は復活しないだろうし、一時期的な手当てだけでは「バラマキ」で終わってしまうだけではないだろうか?




経団連が政府に申し入れることなのかな? テレワークの見直し

2021-11-09 19:53:01 | ライフスタイル

昨夜、Twitterの注目トレンドに、テレワークについてのワードが入っていた。
内容は、朝日新聞などが報じた経団連の「テレワーク見直し」を政府に申し入れた、ということだった。
朝日新聞:テレワークなどで出勤者7割減「見直しすべき」経団連が政府に申し入れ

この記事を読んで、丁度1年半ほど前のことを思い出した。
「新型コロナウイルス」の感染拡大が止まらず、著名人が亡くなり、予定されていた学校行事などが次々と中止になるなど「新型コロナウイルス」に対する不安が蔓延していた。
そのような状況の中で「感染拡大防止のため」という理由で、政府から「極力テレワークなどを活用し、出勤などを控えるように」というお達しが出た頃だった。

日本の特に都市部での通勤光景などは、正に「3密」状態。
不特定多数の人たちが、密に接する場所は通勤電車だけではなく、通勤路、何より職場そのもので「クラスター」が発生してしまった場合、企業活動そのものが立ち行かなくなる可能性もあり、経団連なども「テレワーク推奨」という方向へと動いた。
その結果、不慣れながらも「ZOOM」等の会議を実施したり、「働き方」そのものの見直しがされるようになった。
それは「職場で仕事をする意味」への問いかけ、ということに繋がったようにも感じている。
例えば「ダラダラ残業」と言われるような、「職場の雰囲気で行われていた残業」等は、一掃されることになっただろうし、中には「いかに短時間で効率よく仕事をし、自分の時間をつくるのか?」という発想の転換を促した方もいらっしゃったのではないだろうか?

逆に「テレワーク」を不安視していた人たちの多くは、いわゆる「役職者」と呼ばれる「仕事の指示を出す側」だったのではないだろうか?
「仕事の指示の理解、進捗状況の報告」等、対面コミュニケーションでなくては、分からないという不安な気持ちを持っている人たち、だったのではないだろうか?
実際昨夜のTwitterの中には「職場に出勤しないと、部長などの肩書で呼ばれないコトに不安を感じている」という揶揄をしたイラストがあった。

ただそれは1年前の話だ。
この1年でエンターテイメント企業である「アミューズ」は、本社機能を東京から山梨へ移転させた。
管理部門中心の本社であれば、東京にオフィスを構える必要があるのだろうか?という、問いかけのような移転だった。
「アミューズだからできた」のではなく、「本社」だからできたと考えれば、様々な情報がネットで繋がり、決済などもネットで出来るようになってしまえば、「東京に本社がある必要があるのか?」という考えを持つ企業が出てきてもおかしくはないだろう。
ネット環境という点では、都会よりも地方の方が接続がしやすいという状況があることを考えると、通勤時間の混雑を経て会社に出勤して仕事をしなくても、地方に住みながら仕事をしても良い、と考える人達が登場してもおかしくはないだろうし、コスト面などから「テレワーク」を推進する企業が出てくるのは当然だろう。

とすれば「経団連」という組織が、政府に「テレワーク推進見直し」を提言する意味はないのでは?
それぞれの企業が「テレワーク」という働き方を、どのように考え・運営していくのか?と、考えれば良いだけのことだと思う。
個々の企業が「テレワーク」という働き方を考えた時、それが「働き方改革」へと繋がっていくこともあるだろうし、「出産・育児・介護」等の理由で「出勤そのものが難しい人たち」の働き方になっていくかもしれない。
その判断をするのは、経団連ではなく個々の企業なのではないだろうか?