日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

ことばの重さ、ことばの軽さ-政治家や官僚、そして企業のトップの発言-

2007-10-31 20:49:09 | 徒然
今週から、鳩山法相の「友人の友人が、アルカイダ」という発言に、国会がゆれ始めている。
このニュースを聞いた時、「鳩山さんは、一体何が言いたいのだろう?」という、印象しかなかった。
鳩山さんの言っている内容そのものが、「なぜ、この時、この場所で言うコトなのだろうか?」と、感じたからだ。
今日再び、鳩山さんが「私が若い頃(故田中角栄総理の私設秘書時代)、ペンタゴンから毎月のように鰻や天ぷらをご馳走になっていた」という話をしている。
鳩山さんが言いたかったのは、「情報などもっていなさそうな私のような若造からも、情報収集のために、ペンタゴン=米国国防総省は、お金を使っていた」というコトらしいのだが、引き合いに出した「鰻や天ぷらをご馳走してもらっていた」というのは、なんとも場違いな話のような気がする。
「(場の)空気が読めない」というのではなく、TPOそのものを理解していないような話のような感じなのだ。

福田さんが、総理大臣になってから様々な場面で発言している内容を聞くと、どこか他人事のような印象がある。
そんな印象をもっているのは、私だけなのかも知れないが余りにも「達観」したような発言は、「この人にとって、国民の存在は何?」という印象をもってしまう。
そしてそのような印象を与える発言は、C型肝炎などで問題になっている官僚の答弁でも感じられる。
「人の痛みが分からない」というよりも、「分かろうとしない」発言なのだ。
「厄介なコトが回ってきたな~、何ぜ、自分がこんなことやらなくっちゃいけないの?」というニュアンスさえ感じるコトがある。

昨日、福沢諭吉の言葉から、その言葉の重さと教えられることを、エントリさせていただいたが、今の政治家にしても官僚や企業のトップにしても、その「ことばの重さ」というコトを感じていないような気がする。
むしろ多弁な分だけ、「ことばが軽い」という印象を与える。
決して、「話さないことが良いことだ」と、言っているのではない。
「自分のコトばかり言っている」が為に、そのことばが「こころに届かない」と言っているだけなのだ。

「ことばの軽さ」は、「人のために仕事をする」と言う意識も気持ちも無い現れ、という気がするのだ。


先人たちの言葉にこころ傾ける

2007-10-30 23:17:52 | 徒然
先日読んでいた本に、福沢諭吉の『学問のすゝめ』の一文が掲載されていた。
その文章とは
『独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼するものは必ず人を恐る、人を恐るる者は人にへつらうものなり。常に人を恐れ人にへつらう者は次第にこれに慣れ、その面の皮鉄の如くなりて、恥ずべきを恥じず、論ずべきを論ぜず、人をさえみればただ腰を屈するのみ』
 という一文だ。

この文章を読んだ時、フッと連日テレビのニュースで「申し訳ありませんでした」というコトバを言って、頭を下げる偽装企業の経営陣の姿を思い浮かべた。
もちろん、この文の意味はもっと違うということも分かっているツモリなのだが、例えば「独立の気力」というのを、「間違ったコトに対して、間違いであるといえる気力」と置き換えることができるのではないだろうか?
いわゆる「長いモノに巻かれろ」的思考からの脱却という意味だ。
「人を恐れる」というコトにしても、「人のもっている権力に恐れる」と考えれば、様々な利権に群がる政治家や企業、人の姿とも感じ取れる。
また、同時にそれらの「権力や利権を手放すコトを恐れ、本分を忘れている権力者の姿」とも重なるような気がする。

その繰り返しが、いつしか慣れとなり、当たり前のコトとなっていく・・・そんなコトへの警告のような気がしてならないのだ。 
今のような「経済優先(というよりも自己利益優先の金儲け)の何でもアリ」という風潮のある社会では、先人たちの言葉に、こころを傾ける必要があると感じるのだ。

企業優先思考や官庁のピラミッド型思考は、行き詰まり感がある。
企業や官庁などの前に、人優先という思考がなくては、今後も企業や官庁のトップがアタマを下げるようなニュースは、無くならないだろう・・・そんな気がする。

遠距離介護の味方?-高齢者世帯生活見守りシステム-

2007-10-29 21:26:07 | 老親介護
先日、日経新聞の地方版に、「東邦ガスなど、高齢者見守りシステムを実証実験」という記事が、掲載されていた。
拙ブログでも、何度かエントリさせて頂いているのだが、我が家にも遠距離独居老人=父がいる。
父が元気でいることを確認するには、電話という手段位なのだがそれでも心配なことは多い。
父を一人実家に残しておくことに、最初どうしたら良いのか?考えることがあった。
真っ先に思い浮かべたのは、象印マホービンの「みまもりほっとラインi-Pot」だった。
システムとしてはとても良いのだが、夏場はポットの熱いお湯でお茶を飲むというコトがない実家の父には、「夏場はどうする?」という点で問題があった。
そこが、サービスを受けるか否かという検討のポイントでもあった。
もう少し、日常的に使えるモノ・コトでその安否が分かるような「見守りシステム」があれば、もっと充実したサービスとなるだろうと思っていたのだ。

その意味で、このサービスは都市ガス・電気の使用状況を「見守りシステム」の中心としているので、シーズン的な問題もなく利用できるサービスのような気がする。
問題なのは、我が家のように東海圏以外に老親がいる場合だ。
全国でのネットワークというには、まだまだ超えなくてはいけない問題点がある。
と同時に、使える携帯電話会社がドコモ1社というのも・・・。
auやソフトバンクに対して「反撃」を開始しているはずなのだが、その「反撃」効果がみられない。
ドコモだけのサービスから、今後新規参入を予定している携帯電話会社総てで利用できると、もっと使いやすいのではないだろうか?

携帯電話そのものも「高齢者向け」というと、文字や音設定がやや大きいという程度。
子供向け携帯電話は、見せたくないインターネットコンテンツやメール制限、防犯ベルが標準装備されているのに、高齢者向けとなると心拍数や血圧といったデータがかかりつけ病院などに転送されるようなシステムや、出先で倒れた時の防犯ベルのような緊急ベルがついているわけでもない。
実は、このようなシステムや装備が「高齢者向け携帯電話」には必要なのではないか?と考えている。
他にも、認知症が進み徘徊などの症状のある高齢者には「Losewayサービス」=GPS追跡システムなどがあれば、より安心だろう。

このようなシステムを立ち上げる時、様々な検証がされているはずだがもう一歩踏み込んだ「遠距離老親介護者」のアイディアを積極的に取り入れることがポイントなのではないだろうか?
といってもこの「見守りサービス」は、まだまだ実験段階。
これから、より良い使い勝手の良いサービスとなってくれれば、と期待している。

今年の「カイロ」は、使い捨てない

2007-10-28 21:00:54 | トレンド
秋の気配が、大分感じられるようになってきた。
シーズンごとに送られてくる通販カタログも、「真冬号」が送られてくるこの頃だ。
通販カタログを見ていると、どうやら今年のトレンドは「エコロジー」のようだ。
衣料カタログなどでも、「冷え性対策」がメインとなった下着が目立つ。
もちろん、「毛糸のパンツ」や「腹巻」も以前より充実している感がある。
リビングカタログとなると、その傾向はもっとハッキリとなる。

2、3年前から「湯たんぽ」などが掲載されるようになってきたが、今年は高価な銅製の物から、陶器製や充電式の保温材ジェルタイプのものなどバラエティに富んでいる。
他にも、代謝熱を利用したフットウォーマーなど「繰り返し使えて安価な熱源」を使ったモノが中心になってきている。
そんな「エコ暖房具」が注目される中、唯一「使い捨て」が主流となっているのが「カイロ」だろう。

「使い捨てカイロ」の商品ラインナップの充実度は、なかなかで一般的な「手のひらサイズ」のモノから、靴下に貼るタイプや座布団までイロイロある。
それだけ「使い捨てカイロ」の需要と使われる場所が、多いともいえるのだ。
そんな中、チョット注目したい「カイロ」が、通販カタログに掲載されていた。
それがサンヨーの「エネループ・カイロ」だ。

サンヨーの「エネループ」といえば、充電式乾電池を思い浮かべる方も少なくないだろう。
その「エネループ」を使ったカイロが「エネループ・カイロ」だ。
手のひらサイズのなかなか可愛らしいデザインで、「カイロ」として女性が持ってもおかしくない。
靴下に貼ったり、座布団にはならないが、「ハンドウォーマー」としては十分だろう。
温度調節ができるコトを考えれば、これからの受験会場などでは便利かも知れない。

サンヨー電機といえば、このところ明るい話題が余りない。
しかし、「エネループ」のヒットをはじめ、空気(オゾン)で洗う「アクア」という洗濯機など「エコロジー」をイメージする商品が他社よりも多い(という印象がある)。
確かに、半導体事業など他社に比べ力がないかも知れないが、「エコロジー」という視点をもっと充実させ、その半導体事業などに結びつけるというコトはできないだろうか?

個人的には、「ソーラーパネルの『エネループ』」が、携帯電話などに使えるようになると、とても嬉しいのだが・・・。

シニア市場とファミレス

2007-10-27 20:55:43 | ライフスタイル
先日、「夕方の女子高校生の会話」について、エントリをした。
女子高校生の元気な会話は、様々なことを考えさせてくれるチャンスを作ってくれたが、そのファミレスのレジには、「シニアのための食事バランスガイド」という、小冊子が置いてあった。

「食事バランスガイド」というのは、この春盛んにテレビCMで流れていたので、覚えている方も少なくないだろう。
「日本型食事による、栄養バランス」という趣旨で考えられた、一種の栄養ガイドのようなモノだ。
もちろん、メタボリック症候群や生活習慣病予防のための「食事ガイド」という面もある。
これまでのような一般的ファミレスメニューからすると、「食事バランスガイド」向きなメニューは少なかったように思う。
まぁ、ファーストフード店などに比べれば、はるかに「食事バランス」は取りやすいとは思うのだが、それでもファミレスの中心メニューというと、お子様大好きなハンバーグやパスタといったメニューを思い浮かべるのではないだろうか?
それが厚労省と農水省が共同して、このような「栄養バランスガイド」のようなモノを作り、ファミレスなどが積極的に活用するようになっているのだ。

団塊の世代と呼ばれる人たちが、定年退職をし自由な時間とお金を手にするようになってきた。
豪華客船での海外旅行だけではなく、週末は身近なウォーキングやトレッキングなどを楽しむという人たちも少なくないはずだ。
その人たちにとって、何よりも関心のあるのは「健康」だろう。
食材にしても、無農薬やオーガニック食品などを積極的に購入をし、「プチ・スローライフ」を実践している人もいるのではないだろうか。
そんな人たちが、ファミレスに来るとは余り思えないのだが、専業主婦だった奥さんにとっては、毎日いる夫が煩わしいだろうし、そんな時の息抜きにはファミレスで食事ということも、ありえるだろう。
そんなところに、目をつけたのが「シニア向け食事バランスガイド」のような気がする。

もちろん、それに連動するようにファミレスメニューも、様変わりをはじめている。
ランチメニューなどでは、白米だけではなく、雑穀米などが選べるようになっているし、いわゆる「定食メニュー」も充実している。
ハンバーグやステーキ、パスタなどのメニューが中心とはいえ、一昔前では考えられないような「和食メニュー」の充実度だ。

「シニア向け食事バランスガイド」という小冊子は、農水省の外郭団体・(財)すこやか食生活協会というところが作っているのだが、その考えやメニュー作りに積極的になっているのがファミレスなのだ。
「ファミレスメニューで考える、食事バランス」というのは、市場的規模が大きいと考えられるシニア層に向けて動きはじめている。
その動きは、「キレナイ子供・食事バランスガイド」など各世代向けへと、発展していくかも知れない。
そんな気がする、ファミレスの「(シニア向け)食事バランスメニュー」だ。

「ここでしか買えない」ことに価値がある

2007-10-26 19:44:12 | マーケティング
今日、知人から「ポポー」という名前の果物を頂いた。
印象は「黄色いあけび」という感じなのだが、食べると濃厚なカスタードクリームのよう。
調べてみると、「幻の果物」だとか「森のアイスクリーム」、「森の(カスタード)クリーム」と呼ばれているらしい。
戦前は、その高い栄養価などで積極的に栽培されたようなのだが、今は果物として生産されている場所が限られているようだ。
「傷み易い」という理由もあり、なかなか流通しないのだろう。
私が頂いたものは、信州産のポポーだった。

最近のグルメブームで、様々なお土産の銘品が全国の百貨店で、販売されるようになってきた。
今回「製造年月日偽装」で問題になった「赤福」でも、以前は名古屋の特定百貨店か近鉄の売店だけだった。
それが、いつのまにか東京の百貨店でも販売されるようになったのは、冷蔵技術などの発達などによるところが大きいのだろう。
それでも、全国の「老舗」の中には、全国展開を拒否し続ける「お店」がある。

実家のお墓のある松江にある「風月堂」というお菓子屋さんは、「棟方志功の書」がさり気なく飾ってある「老舗・和菓子店」なのだが、百貨店どころか駅のキヨスクにも出していない。
インターネットなどでの販売も、していない(HPすらない)。
販売しているお菓子も「八雲小倉」と「萬寿(まんじゅう)2種」、「カステラ」、「羊羹」「最中」だけ。
夏になると「琥珀糖」というお菓子が増えるのだが、朝作ったお菓子が売り切れたらそれで閉店というお店である。
接客をしてくれる女将さんは、「昔と同じ作り方をしているので、量産できない。常連のお客さんに迷惑をかけると申し訳ないので、お店と電話注文しか受け付けられない」と言っていた。
その代わり、お店に行くたびに「ご主人さんは、元気でしたか?」とか「お子さんも大きくなられましたか」という会話が普通にされる。
最近では、旅行のガイドブックなどで紹介されることも多くなり、以前とは客層も相当変わってきたようなのだが、それでも「お客さん一人ひとりと向き合う」姿勢は、変わっていない。
いずれも日持ちのしないお菓子なので、松江に行かなくては買うことができない。

風月堂の女将さんを見ていると、「無理に全国展開をする必要はないのでは、ないだろうか?」という気がしてくる。
「知名度を上げる」という意味では、全国展開は有効な手段だ。
反面、無理をしてしまう可能性も高い。
それが、今回の「赤福」なのではないだろうか?
「赤福」は、積極的に全国展開をしていた反面、「お伊勢参り」の賑わいを創りだそうとしていた。
「お伊勢参り」=「おかげ横丁」などのように、「そこに行かなくては買えない」という価値を、もっと考えても良いのではないだろうか?

ちなみに、頂いたポポーは4個入り200円程度で、農協の直売所で販売されていたらしい。
だが、馴染みのない果物ということもあり、余り売れていなかったようなのだ。
もし「森のカスタードクリーム、幻の果物・ポポー」というコピーをつけ500円くらいの値段だったら、立ち寄った観光客は興味を引いて買っていたのではないか?と、思うのだが・・・。

企業に都合の悪い人を雇おう-ワーク・ライフ・バランス-

2007-10-25 20:46:38 | Weblog
先日夜のテレビを見ていたら、「ワーク・ライフ・バランス」を取り上げていた。
「ワーク・ライフ・バランス」と、言われてもピンッとはこない人のほうが多いだろう。
特に「企業戦士」と呼ばれる人たちにとっては、「仕事が第一、家庭は第二」という結果になってしまっている人が少なくないだろう。
これまでの様々な意識調査では、「男は外(=仕事、会社)・女は内(=家庭)」という考えの人は、男女ともに減少傾向にあるという結果が出ている。

政府が試算する「平均的家庭=両親に子供二人」という家庭は、圧倒的に少なくなってきているはずだ。
増えているのは、「シングル・マザー、シングル・ファザー」と呼ばれる「片親世帯(差別語でしょうか?)」だ。
私のような独身世帯や、高齢者夫婦世帯、要介護世帯などその形態はひと括りできるような時代ではない。
だからこそ、「働く形態」も様々であって良いはずなのだ。
ところが、企業は今でも「企業戦士」を求めているような気がするのだ。

確かに「企業戦士」は、企業にとって使いやすい人材」かもしれない。
女性の社会進出といった時、必ず壁になるのが「女性は戦力になりにくい」ということだった。
なぜなら、女性には「出産・育児」という「ライフサイクル」があるからだ。
戦力として充実した頃(出産で)職場を離れ、(育児期間中は)「子供が熱を出した」とか「子供の行事」で会社を休むからというのが、その理由だった。
しかし、様々な家族形態が当たり前になりつつある今、企業にとって「都合の悪い人」を雇用することが、むしろ当たり前になっているはずなのだ。
企業の理論や考えで、生活者は動かなくなってきている。
むしろ、生活者を中心にした発想が、必要となってきている。
企業そのものが、発想を変え「都合の悪い人」を雇うことが、むしろ企業にとってプラスになる要素が高いのではないだろうか?

男女・年齢を問わず労働の質が同じであれば、同じチャンスが与えられるコトが大切だろう。
給与そのものも、時間当たりの給与も同じでなくてはオカシイだろう。
「ワーク・シェアリング」というコトが、言われて久しい。
様々な生活価値観をもった人たちが、自分の生活を大切にするためには「ワーク・シェアリング」の実施も必要だろう。
子育てをしているお父さん・お母さんだけではなく、老親介護をしている人たちにとっても、仕事にプラスになる制度なのではないだろうか?

これまでのような「企業中心の雇用形態」ではなく、「生活する人中心の雇用形態」へシフトすることが、「思考不全化した企業組織」を活性化するのではないだろうか?

静かに忍び寄る「アタマの生活習慣病」-学力テストと思考力-

2007-10-24 21:16:47 | ライフスタイル
今日、小6・中3年生を対象に実施した「全国一斉学力テスト」の結果が発表された。
全体的には「記憶力」については高い結果となたが、思考力が必要となる「応用力」では、問題のある結果となった。

この類の問題は、以前から指摘されていたと思う。
「方程式を解く力はあって、方程式の成り立ちは理解できていない」というコトだ。
考えてみれば、受験だけではなく各種資格試験の殆どは「覚える」コトで、ある一定の成果がでる。
むしろ、変に考えるよりもポイントを覚えて、テキパキとマークをチェックするテクニックのほうが、何かにつけて優位だということだろう。
しかし、それでよいのだろうか?

先日、ある雑誌を立ち読みしていたら「思考停止=アタマの生活習慣病」と、いう記事を見つけた。
記事の内容は、ビジネスなどの場面における「思考停止」ということが書かれているのだが、この「思考停止」は、日常生活でも間々として起きているような気がする。
会議などの場面では、「声の大きい人の意見が通る」と言われることがある。
他にも「耳障りの良いコトバ」や「有名な人のコトバ」「(なんとなく理解しているツモリの)カタカナ語」などを酷使することで、一部の人の意見が通ってしまい、他の人たちは、その間「思考が停止」しているという場面もある。
他にも、「最初から考えることを止めてしまっている」というコトもあるだろう。
分かりやすい例が、今回のような「学力テスト」での「方程式にあてはめる」コトだ。

今までの様にトップダウンで、モノゴトを決めるような時代であれば良いだろう。
大量生産・大量消費という時代であれば、問題ないだろう。
しかし、多品種少生産、一人ひとりに対して「カスタムメイド」のようなサービスや商品を求められるような今では、思考停止をしていては難しいのだ。
そのような「思考力」が求められている時代に、「思考不全」のような子供たちが増えることが、決して将来的なプラスになるとは思えないのだ。

有名大学や高学歴を誇っていても、マニュアル化されたモノの丸覚えでは何も見えてこない。
今の政治にしても、官僚、大企業のトップにしても、使うためには「思考力停止・思考放棄」をした人のほうが使いやすいかも知れない。
それでは、生活者=ステークホルダーを考えた企業倫理も必要がない。
大人も子供も、もっと「思考力を高める必要がある」のではないだろうか?

キリンの先手を打ったアサヒ?-発泡酒「あじわい」のCM-

2007-10-23 20:17:53 | CMウォッチ
10月に入ると、ビール業界は「冬モノ商品」へと変わっていく。
20年くらい前までは、冬にビールの新商品というイメージは余りなかった。
強いてあげると「鍋とビール」だろう。
そのための新製品というコトも、なかったように記憶している。
ところが、最近では「冬ビール」と呼ばれる市場が出てきた。
先陣を切ったサッポロの「冬物語」やキリンの発泡酒「冬麒麟」などだ。

現在、キリンは主力商品・ラガーのテレビCMでユーミンで展開している。
その前は、YMOだった。
それより前はチューリップ。
70年代を代表するアーティストを起用して、同世代の人たちの共感を得るという戦略展開だった。
確かに、この世代の人たちにとって「初めてのビール」=キリン・ラガーだっただろう。
2世代くらい下の私でさえも、「初ビール=キリン」だった。
当時、キリンはビールシェアで60%くらい占めていたのではないだろうか?
だからこそ、その世代に対しての訴求効果を狙ったのだろう。

そして今日から流れ始めた(=本日発売)アサヒ「あじわい」という発泡酒のテレビCMを見ていて、懐かしさとともにキリン・ラガーの対象層を狙っているように感じたのだ。
出演タレントはネプチューンの原田さんだが、使われている楽曲は「はっぴいえんど」の「風をあつめて」だ。
何度かリ・メイクされているので、ご存知の方も多いだろう。
「はっぴいえんど」というバンドそのものは、活動期間もとても短かったのだが、その後日本のJ-POPシーンに影響を与えた人たちで作られたバンドでもあった。
青春時代に、ユーミンやチューリップを聞いていた人たちは、「はっぴいえんど」も聞いていたはずなのだ。
「あじわい」という商品は、その世代の人たちの「毎日のお疲れ様、発泡酒」を狙っているような気がするのだ。

以前、テレビのランキング番組で「お給料日の夕飯」というモノがあった。
「お給料日だけは、ビール。平日は発泡酒や第3のビール」という回答をした家庭は、多かった。
お給料日にはビールでも、毎日の晩酌には発泡酒というお父さん、家計を預かるお母さんにとって共通の懐かしさがある「はっぴいえんど」の起用は、そんな狙いがあるように思うのだ。

世知辛いというか・・・身勝手生活快適者増加中

2007-10-22 18:59:16 | ライフスタイル
いつものように新聞チェックをしていたら、「こんなコトでクレームをつける人がいるの?」と思うような記事を見つけた。
それが読売新聞の、子供の声「騒音」の時代、自治体への苦情増加という記事だ。

小中学校近くに住んでいる住民から、様々なクレームがくるらしい。
そのクレームとは「子供の声」。
小中学校なのだから「子供の声」というのは、当たり前にあるモノのはずなのだが、それを「騒音」としてとらえる人たちが増えているようなのだ。
30年程前、マンションなどの集合住宅で「ピアノの練習音がうるさい」という理由で、隣人トラブルになったという事件があったと記憶しているのだが、その後も同様の隣人トラブルはあった。
表面化しないだけでむしろ、少しづつ増えてきたともいえるかも知れない。

我が家のような築30年近くの古い集合住宅では、同じ住宅に住んでいるお宅の赤ん坊の泣き声などが、普通に聞こえてくる。
私などは、「あ~、赤ちゃんが泣いている」程度にしか思わないし、それまで元気に泣いていた赤ちゃんの声が聞こえないと「大丈夫だろうか?」と、いらぬ心配をしてしまう。
「赤ちゃんは、ミルクを飲んで・寝て・泣くことが仕事」だと思っているので、泣き声そのものはまったく気にならない。
ところが、このような生活音に不快感を覚える人が増えているのか、時折お母さんらしき女性から「赤ん坊が泣いて、ゴメンナサイ」と言われることがある。

それが発展したのが、「子供の声」ということになるのだろう。
「子供の声が気になる」のなら、「引越しをすれば良いのでは」と思うのだが、自分が引っ越すことよりも、「子供の声がうるさい」、「部活の声や音がうるさい」と、クレームをつけるというのは・・・なんとも身勝手で自己中心的な「生活快適者」なのだろう。

以前、「落ち葉焚き」についてエントリしたとき、○○県の・・・さんから「『ご近所から煙の臭いなどが洗濯物につく』というクレームから、禁止されるようになったのでは」という指摘があった。
このような記事を読むたびに、世知辛い世の中になったな~と感じる。
そして、そのような自分の都合優先ばかり考えているのは、「偽装表示」を平気でする企業や、人の年金保険を勝手に使い込む自治体や社会保険庁職員と同じだと思うのだが。