日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

雑誌の記事を見て、考え込む

2013-02-28 12:19:28 | マーケティング
半月ほど前、Yahooのトピックスに東洋経済の記事がピックアップされていた。
その記事とは、「不二家の復活」に関する内容だった。
不二家、“どん底”からの復活
この記事を読んで、実は考え込んでしまったのだ。

覚えていらっしゃる方も多いと思うのだが、不二家は製造過程での品質管理を怠り、大きな事件を起こしてしまった。
消費期限切れの牛乳などを使い、お菓子を製造販売していたコトをきっかけに、次々と不祥事が発覚。
結果数ヶ月に及ぶ営業停止となった。
その間に、フランチャイズの販売店などは次々と閉店に追い込まれた。
我が家近くの不二家のフランチャイズだったお店も、閉店しいまではコンビニとなっている。

その後、営業再開となったわけだが営業停止の期間の長さや、フランチャイズの相次ぐ閉店などがあり、企業の経営が難しくなった。
その支援を申し出たのが山崎製パンだったわけだが、この記事の様に山崎製パンとの関係で商品の種類が増え、それが売り上げ増加に結び付き、結果として業績回復となった、と言う内容に、疑問を感じるのだ。

数字上で見ると、確かにそうだと思う。
だが、山崎製パンがそもそも不二家を支援する動機となったものは何だったのだろうか?と言う点を見逃しているような気がするのだ。
例えば、山崎製パンを通して「菓子パン」をコンビニに販売したからと言って、お客さんは簡単に買うだろうか?
そこには「不二家」というか、「ペコちゃん」がパッケージにあったから、買ったのではないだろうか?
言い換えれば、山崎製パンは「不二家」というブランド力と「ペコちゃん」というキャラクターの力に魅力を感じて支援を申し出、商品そのものの拡大を図ったのではないだろうか?

何故なら、「不二家の事件」が起きたとき、テレビのインタビュー取材などで「子どもの頃、ショートケーキと言えば不二家さんでした。不二家には子どもの頃の大切な思い出が、沢山ありますから、とても残念に思っています」という答えをされる方が、数多くいたからだ。
それは「不二家」という洋菓子店が、単なる洋菓子店では無く「子どもの頃の思い出」と結びついた特有の価値を持った企業で、その象徴がペコちゃんだった、と言うコトだと思うのだ。

そう考えると、数字上は確かに山崎製パンの支援が功を奏して、売り上げが伸びた、と言うコトになるのかも知れないが、その売り上げを作ったのは「不二家」というか「ペコちゃん」というブランド力があったからではないだろうか?




お寺も経営するのが、大変だ

2013-02-27 19:43:09 | 徒然
名古屋の方ならご存じの方もいらっしゃるかも知れないのだが、しばらく前に名古屋でも古刹といわれるお寺で、ある問題が発生している。
その問題とは、見習いのお坊さんを一人でお葬式に行かせた、と言うモノ。
お葬式を依頼した檀家さんは、相当高額なお布施を包んでいて、檀家さんは見習いのお坊さんが来たとは思っていなかったそうだ。

それだけでもビックリだったのだが、このお寺、何とハローワークで見習いのお坊さんを募集していたという。
お坊さんもハローワークで募集する時代?!と、言うコトだろうか?

そして今日、一部新聞に高野山真言宗でお布施などを元に資金運用をし、7億円弱の損失を出している、と言う報道があった。
高野山真言宗と言えば、真言宗の総本山。
それも1200年近く前に、空海によって開かれたお寺。
古刹中の古刹とも言える、いわば「お寺の名門」。
そんなお寺が、お布施などを元に資金運用をしていた、と言うのは何とも俗っぽい話だが、今の時代お寺もお布施などを元手にして、資金運用をするのが当たり前なのかも知れない。

ただ、この様なニュースを聞くと檀家さんだけではなく部外者の私でも、ある種の違和感を覚える。
一つは、お寺の主な収入源が「お葬式」になってしまっている、と言う現実。
もう一つは、宗教法人としてどうなのか?と言う疑問。
高野山にしても、名古屋の見習いお坊さんをお葬式に派遣したお寺も、敷地が広く国宝級の仏像などを所有している為、維持管理としての費用が必要となるのはわかる。
わかるのだが、どこかチグハグ感がある。
何故だろう?と考えてみると、「仏教と寺」という関係だという気がしてきた。

日本に伝えられている仏教は、「大乗仏教」と呼ばれる。
基本となっているのは、「他利と救済」だと言われている。
特に「救済」という点については、お経を唱えるコトで様々な問題を解決し、心の救済の役割を果たす、という考えがあったと思う。
「心の救済」のため、様々なコトをされていると思うのだが、現実は「葬式寺」と呼ばれる、お葬式や法事の時だけご用のあるお寺になってしまっている部分があるのでは?

もちろん、「葬式寺」とさせているのは生活者側にも問題があると思うのだが、そもそもお寺という存在が、遠くなってしまっていて「心の救済」を求める時には「カウンセリング」や「スピリチアルなんとか」と呼ばれる人を頼る人の方が多いのだと思う。
何故なら、私自身実家の菩提寺となるお寺に行くと、いつも玄関が閉まっていてとても声が掛けづらい。
そして、お寺から連絡があるのは、法事の案内かお金の話の時がほとんど。
「心安らぐ法話のお誘い」等を頂いた記憶が、無いと思う。

もちろん、積極的に人生相談のようなコトをされているご住職さんもいらっしゃると思う。
でもその数は圧倒的に少ないのでは?
そろそろ「お葬式寺」から、日本に仏教が伝えられた頃の「生活の中にあるお寺」へと変わらなければいけない時期にきているような気がする、お寺の報道だった。





ややヒステリックな方が、信頼できる?

2013-02-26 14:15:57 | アラカルト
昨日、youtubeにUpされた「子宮頸がんワクチン」についての映像を見ていた。
登場した女性は、熱く子宮頸がんワクチンの危険性を訴えている。
危険性だけでは無く、政府によるワクチン接種の勧奨および公費負担に対する反対、と言う内容だった。

拙ブログにきて下さる男性諸氏にとって「子宮頸がんワクチン」そのものは、余り馴染みの無いテーマかも知れない。
「子宮頸がんワクチン」の接種対象となる女性も小学校高学年から中学生と、年齢が低い
「子宮頸がんワクチン」を接種したからと言って、100%予防できるというわけでは無いが、「子宮頸がん」が感染型がんであるコトなどからワクチン接種による予防+20代からの検診によって、「子宮頸がん」で命を落とす女性が格段に減る、と言うコトが判っている。
何故なら、日本の場合20代後半から急激に罹患者数が増えてくるからだ。
国立がんセンター 統計データ2005年度調査

海外では先進諸国を中心に、「子宮頸がんワクチン」の接種は公的費用で行われ、結果「子宮頸がん」による死亡者数は減る傾向にある。
おそらく先進諸国の中で罹患者数が年々増えているのは、日本くらいだろう。
その様なコトもあり、ワクチン接種で命を落とす女性(実は、同じヒトパピローマーウィルス類の感染によるがんは他にもあり、亡くなる男性もいらっしゃる)のを減らすだけでは無く、罹患者数そのものを減らすコトで医療費の軽減を目指している。

映像では「ワクチン接種」による副作用などを中心に、件の女性は「子宮頸がんワクチン接種の危険性」を熱く熱く訴えているのだが、見ていると、その思いがヒステリックな様相を呈してくる。
話の内容の半分以上は、必要以上の誇大表現であったり、その女性の勉強不足が目立つ内容。
ただ、見ているこちらもなんだかその女性の言い分が、とても正しような気がしてきたのだ。

どうしてだろう?と考えると、女性の話よりもややヒステリックな話し方や不安材料の提示から「私の話しているコトは正しく、広く社会に知らせる使命がある」という、一種の錯覚を起こさせているのでは?と感じたのだ。

同じでは無いにしても、ヒトラーの演説なども話をしている内に熱を帯び、ややヒステリックな話し方になり、それに群衆が熱狂する。
そんな印象を、件の女性にも感じてしまった。
とすれば、多くの人を説得する時はややヒステリックな話し方と不安を煽るコトで、理解を得やすいと言うコトだろうか?
本当は、受け手がその雰囲気に飲み込まれない、「醒めた感覚」がとても大切だと考えたのだった。

「丁寧さ」が重要

2013-02-24 20:21:01 | ビジネス
Yahooのトピックスに、「ロート製薬が大学生の採用に脱ネット」という内容の毎日新聞の記事を紹介している。
毎日新聞「大学生/就活:ロート製薬、あえて脱ネット 「思い」を持つ学生と本音で対話」

この記事を読んで、いくつかのコトを考えてしまった。
一つは、「就職氷河期」と言われ久しく、就職活動そのものが大変な時代だというコトは判っていても、一人の学生が100社を超える企業に、エントリーシートを提出し、それでも決まらない、と言う点だ。
企業に勤めながらの転職活動とは違い、学生の就職活動そのものはある意味「短期決戦」。
その中で100社を超える企業に、自分のPR文と履歴を書いた(正しくは「入力した」だろうか)エントリーシートを送る、と言うコト自体至難の業という気がしたからだ。
100社を超えるとなると、送る学生自身「自分はどんな企業に勤めたいのか?」とか「どんな仕事をしたいのか?」という、当たり前のコトすら判らなくなってしまい、「とにかく就職」という気持ちで、それこそ「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」的な、就職活動に陥っているのでは?と言う、気がしていたからだ。
逆に、その様な就職活動を経て、就職はしてみたモノの「自分とは合わない」という理由で、就職後数ヶ月に満たない状況で、あっさりと退職してしまうのでは?と言う気もしていたのだった。

一言で言えば「ミスマッチングな就職」というコトになるのかも知れないのだが、この様な就職活動そのものに、やや疑問なトコロがあった。
と言うのも、日本の場合短期で職を変わると言うコト自体、決して良いコトではないからだ。
例え就職した企業が「ブラックな会社」であっても。

もう一つは、企業側にとってもメリットのある方法だろうか?と言う疑問だった。
確かに数多くの学生が応募をするので、自社に合った学生を採用することができる確率は高いと思う。
思うのだが、その「自社に合った学生」が数ヶ月しない間に辞めてしまうのであれば、企業側としては、採用に掛かった時間や労力などを考えれば、決して良い採用ではないのでは?と言う気がしたからだ。

その意味で、今回のロート製薬の脱ネット採用、と言うのは一見時間と労力が掛かりそうだが、その実仕事に対しての意識が高く、定着率も高くなるのではないだろうか?
結局のトコロ、採用時に時間と労力をかけた方が、様々なメリットがある可能性が高いように思うのだ。

ネット社会になってから、インターネットによって情報などを得たりお取り寄せなどの買い物が、とても便利になった。
反面、「丁寧さ」という点ではどうなのだろう?
モノを見る為の「審美眼」的な努力。溢れる情報から選び出す為の力。それだけでは無く、人やモノなどに対する「愛情」のような気持ちなど、「丁寧にものを見る」というコトよりも、スピードや利便さのようなモノだけに価値がある様な思考になってはいないだろうか?

そう考えると、これからのビジネスには「ある種の丁寧さ」が、とても重要になっていくような気がするのだ。
何故なら、ネット社会で感じられる「便利さ」に満足できない、生活思考が生まれてきてもおかしくないからだ。


地方から考えるコト

2013-02-23 20:08:37 | 徒然
母の命日にあわせ帰省し、戻ってきた。
帰省の度に思うコトなのだが、地方の元気の無さは加速度的になってきている、と言うコトだ。
全国紙、特に経済紙などで「アベノミクス以来、株価が上昇し日本経済も明るい兆しが見え始めた」的な記事を読むと、それを実感できるのはある程度の都市部であって、過疎率が全国でも1位2位を争うような地方では、実感するコトは無い。

昨年11月に一度、父の用事で帰省した時以上に感じたことは「経済の回復を暗闇の中を手探りで探している」という感じでは無く、ある種の諦め感が出始めているのでは?と言うコトだった。

自民党が与党に返り咲いてから、公共事業への投資が増えたコトで「公共事業への期待感」というモノはあるのだが、それがどれほど地方経済に影響するのか?と言う期待感が余り感じられない、と言う感じなのだ。
言い換えれば、公共事業は期待しているが、それが長期的雇用に結び付き、安定的な事業になれば嬉しいが、一時期的なモノであれば、期待薄という感じだ。
だからと言って、積極的に自分たちで産業を興し雇用を創る、と言う意識は持っていない。

もう一つ感じたコトは、大阪の橋下さんや名古屋の河村さんが「地方が元気にならないと、日本はダメになってしまう」という危機感を、地方は感じていない、と言うコト。
「いずれ政府が何らかの方策を考え、やってくれる」と言う感覚が、未だに強いと言うコトだ。
首長と呼ばれる人たちが革新的なコトを言っても、実務を担当する人達が、動こうとしないというか、動く理由が分からない、と言う感じなのだ。

「だから、地方がダメになる」と言うコトは、余り言いたくは無い。
ただ、政治にしても経済にしても「自分たちが参加している意識」が、希薄なのだ。
もしかしたら、地方にあるこの「自分たちが参加している意識が希薄」というコトが、日本の閉塞感の一つなのでは?
地方にいるからこそ、都市部よりも意識的変革をする必要がある様に思いながら、戻ってきたのだった。

進化する?カップヌードル

2013-02-15 18:54:52 | マーケティング
夕飯の買い物に、近所のスーパーへ出かけた。
冷凍食品売り場に、「おすすめ品」として並べられていた。
どんな商品があるのかな?と思って、見てみると「カップヌードルおにぎり」という商品があった。
昨年、大ヒットして生産が追いつかず販売を一時期中止していた、と言う程の人気商品らしい。
「らしい」と書いたのは、我が家の近所にある3、4件のスーパで見たことがなかったからだ。
バブル期以前の新興住宅地は、新製品をいち早く出すには魅力が少ない地域となってしまった、ということだろう。

その「カップヌードルおにぎり」のパッケージを見てみると、「カップ入りのカップヌードル味のご飯」を冷凍おにぎりにした商品のようだ。
「カップ入りカップヌードル味のご飯」は、日清が発売しているカップ麺のご飯シリーズの一つ。
「日清のごはんシリーズ」
フリーズドドライしたお米に、具材とお水を入れレンジで作る、と言う商品。
その発展形として、この「冷凍おにぎり」が登場したのでは?と言う気がしたのだった。

このようなカップヌードルから生まれた派生商品が、次々と登場すること。
そしてそれらの商品が、ヒット商品となること、等を考えると、「カップヌードル」という商品そのものの、ブランド力というか商品力の強さというものを感じる。

ただ強い商品力を持っていると言うだけでは無く、新しい提案をし続けている、と言うコトもヒットする理由なのかも知れない。
と言うのも「カップヌードルおにぎり」のパッケージを見ると、「電子レンジで○分温める」と言う説明だけでは無く、「温めたおにぎりをお茶漬けにして食べても美味しい」と、お茶漬けの作り方(と言う程では無いが)も一緒に書いてある。

個人的には、カップヌードルの麺だけ食べた後に、ご飯を入れて食べるのとどう違うのか?と言うコトが気になったのだが、カップヌードルを食べた後でお茶漬けを食べる、と言う人はあまりいないだろうし(食欲旺盛な方は違うかも知れないが)、粉末スープでご飯を調理したい、と言うニーズが以前からあったのかも知れない。
そのニーズを商品化している、とすれば「カップヌードルの進化」を進めているのは、日清という企業では無く、生活者というコトになる。
だからこそ、生産が追いつかない程のヒット商品となったとも考えられる。
単なる派生商品として見るのか?はたまた「進化形」としてみるのか?そのどちらなのだろう?と、気になりながら帰ってきた。

お知らせ
明日から数日間、帰省のためにブログをお休みさせて頂きます。




日本の美しい村の一つが消えようとしている

2013-02-14 17:28:39 | 徒然
以前、フランスの「美しい村」という活動をエントリした。
そして、調べ物をしていたら日本でも同様の活動をし始めているコトを知った。
「日本で最も美しい村」HP
この「日本で最も美しい村」は、北海道美瑛町の町長さんの呼びかけで2005年から、7つの村からスタート。
現在参加している村は39村で、中には世界遺産にも登録されている白川村に隣接する東白川村も含まれている。

あくまでも個人的な感覚なのだが、これから先、日本の美しい原風景と地域の伝統芸能は、とても大切な観光資源となっていくのでは?と、感じている。
「何も無い田舎」と言うのは、ショッピングやアミューズメントパークが無い、と言うだけで、旅慣れた欧州の人達にとっては、むしろ新しい日本の魅力と感じられる要素が沢山あると、考えるからだ。

ただこの参加リストの中には、「美しい村」と呼ぶことができなくなりつつ村がある。
福島県の飯舘村だ。
ご存じの通り、東京電力福島第一原子力発電所事故により、避難地域に指定され村民の多くが強制的に退去させられた村だ。
現在は、解除地域と避難地域が混在する状況になっているようだが、かつてのような美しい日本の原風景となる村の姿はおそらく見るコトが難しいのでは?と思っている。
震災前の「飯舘村」(「日本で最も美しい村HP 飯舘村」より)

飯舘村に限らず、この会に参加している村々の風景や伝統芸能など、日頃すっかり忘れてしまっている日本の良さ。
その良さを持っている村を失いつつある、と言う事実を知らないまま過ごしている、と言うコトに、やや愕然としたのだった。
その視点で「福島第一原子力発電所事故」を見て見ると、地域の人達が失ったモノは土地や家屋、仕事と言ったコトだけでは無いのだな~。
祖先から引き継いできた、伝統芸能などの伝承や村人達が誇りに思っていた「景色」そのものも失わせてしまったのだ。

失ったモノの大きさに、改めて愕然とし無念な気持ちになる。





スポーツのお手本となる?アイスホッケー女子日本代表

2013-02-13 12:46:36 | スポーツ
昨年暮れに起きた大阪市立桜宮高校での「体罰」に端を発した、一連のスポーツの指導のあり方。
遂に日本のお家芸の一つである柔道の日本代表選手にまで発展し、「スポーツにおける指導のあり方」というコトが、真剣に問われる様になってきた。
そんな中、昨日アイスホッケー日本女子代表チームが、早々とソチオリンピックの出場を決め、帰国した。

アイスホッケーというスポーツそのものが、マイナーというか地域限定的なスポーツというコトもあり、日本で人気のあるスポーツだとは言い難い。
以前テレビドラマで、SMAPの木村拓哉さんが主演した「ヒーロー」で、一瞬注目をされたような気がするのだが、それ以降余りスポーツ紙などでも取り上げられるコトがほとんど無いスポーツだと思う。

そんなアイスホッケーだが、スポーツとしては「氷上の格闘技」と呼ばれる程激しいスポーツ。
男子選手などの体格を見ても、筋骨隆々だけではなく体そのものが大きく無くてはできないスポーツだという気がする。
そんなアイスホッケーに女子チームがあり、しかもオリンピック種目だとは知らなかった。
何でもソチオリンピック出場は、長野オリンピック以来だという。
長野オリンピックの時は、「開催国枠」での出場。
そう考えると、今回の出場決定というのは大変な快挙だとも言える。

その快挙を成し遂げたチームのキャプテンは、何と!21歳になったばかりの大澤ちほ選手。
これまで、チームスポーツのキャプテンと言えば、サッカー日本女子代表の宮間あや選手や澤穂希選手の様に、チームをグイグイ引っ張っていくような印象が強い。
と言うよりも、その様なキャプテン像が一般的なのではないだろうか。
それに対して、大澤選手はまだ21歳と若く、年長者が多くいるチームの中で、キャプテンという責を果たしている。
予選前に収録されたと思われる、インタビューをFM番組で聞いたコトがあるのだが、極々普通の20歳の女性(と言うよりも「女の子」という印象だった)で、「みんなと一緒にソチ(オリンピック)を目指したい」と、話をしていた。
その印象から、もしかしたら大澤選手は新しいタイプのキャプテンのタイプなのかも知れない・・・と、思ったのだった。

そして選手達を支える監督やコーチなども、これまでのような「縦関係」ではなかったのではないだろうか?
これはサッカー日本女子代表にも言えるコトだが、監督と選手の関係がある意味フレンドリーで、一体感があるのでは?と感じている。
それを感じさせるのが、出場を決めた直後に撮られた写真だ。
選手達のはじけるような笑顔を中心に、監督やコーチ達が取り囲んでいる。
その後、選手達は女性コーチを呼び、みんなで胴上げをしている。
「監督やコーチがいたから、頑張れた」という内容のコメントを読むと、女子柔道のような監督・コーチと選手の関係では無かった、と言うコトがわかる。
とすれば、アイスホッケー日本女子代表チームの強化プログラムに、スポーツ指導のヒントが隠されているのではないだろうか?


今年のバレンタインは、いつもと違う?!

2013-02-11 21:22:07 | ライフスタイル
今週木曜日は、バレンタイン。
この三連休、百貨店を中心にチョコレート売り場は、賑やかだったことだろう。
余り気にしていなかったのだが、昨年バレンタインのチョコレート売り上げNo.1だったのは、名古屋JR高島屋だったそうだ。
名古屋の女性は、しっかりとチョコレートを用意していた、と言うコトだろうか?

そんなバレンタインのチョコレート商戦だが、今年はチョッと異変が起きていると言う。
今朝FMを聞いていたら、DJの女性が「昨日東急ハンズに買い物に出かけたら、チョコレート売り場(と言っても、東急ハンズの場合は「手作りチョコ売り場」となるのだが)にきているお客さんに男性が多かった。特にお嬢さんとお父さんという組み合わせが目立っていた。以前なら、彼女と彼氏ばっかりだったのに・・・」という話をしていた。

それを裏付ける様に、バレンタインのチョコレートを誰に贈る?と言う調査では、1位が友達、2位がお父さん、3位が彼氏となっていた。
江崎グリコ「バレンタイン事情2013」

このデータを見ると、3位の彼氏よりも2位のお父さんのほうが6ポイント以上高い。
半数とまでではないにしても、随分高いと言う印象がある。
かつて「お父さんの下着は別洗濯」などと言われ、家庭内での存在が薄いのでは?と言う指摘がされていた頃とは雲泥の差、と言う気すらしてくる。

このような女性の意識変化を一体どう見たらよいのだろうか?
実は、ここ数年「クリスマスを誰と一緒に過ごすか?」と言う調査でも、彼氏と一緒に過ごす、と言う回答よりも友人や家族と答える女性が増えてきている。
バブルの頃、クリスマスは何が何でも恋人と一緒に過ごす!と言う時代を知っている世代としては、随分変わったな~と言う気がする。

意識変化が顕著になったのは、一昨年からだと言われている。
「東日本大震災」という未曾有の震災が、家族の絆を再認識させたのでは?と言う指摘もある。
もちろん、その影響は大きいと思うのだが、何となく「バレンタイン」や「クリスマス」と言ったイベントに、生活者が踊らされなくなってきたのでは?
普段なかなか話せない相手に対して、イベントを上手に利用してコミュニケーションを図る、と言う意識変化があるのでは?と、感じている。
イベントはコミュニケーションを円滑にする為のツールとなってきている、と言う気がするのだ。

ただ来月のお返しは、それなりに準備をされた方が賢明だとは思う。

社会の変化とベネフィティング

2013-02-10 21:22:19 | マーケティング
週末大漁に折り込まれる新聞チラシ。
その中には、マンションの広告も含まれる。
毎週の様に入ってくるマンションのチラシを眺めながら、様々なコトを考える。

その一つが「浴室温風乾燥機」。
ご存じの方も多いと思うのだが、バブル全盛期の頃に登場しバブル崩壊後しばらく見るコトが無かった新築マンションのオプション設備。
最近では、この「浴室温風乾燥機」が標準設備となりつつあるようで、マンションの広告などを眺めていると、普通に掲載されている。
とは言うものの、広告で掲載されるということを考えれば、当然その設備そのものは付加価値性のある設備と考えられているとも言える。

そんな「浴室温風乾燥機」だが、この設備が登場した頃のキャッチコピーは「雨でも安心・しっかり(洗濯物が)乾く」という内容だった。
ここ10年くらいは、このコピーも季節によって変わるようになってきた。
梅雨の季節は「雨でも安心」なのだが、立春を過ぎたあたりから4月上旬までは「洗濯物に花粉が付かない」とか「花粉の季節でも安心」という内容に変わるようになった。
今年からは「中国からの大気汚染対策」というコトも、含まれてくるだろう。
とにかく、花粉以上に室内に持ち込ませない!という意識が、主婦を中心に高くなりそうだからだ。
そして冬になると、今度は「乾燥機」がメインではなく「温風」という点がポイントとなってくる。
暖かい部屋から寒い浴室に移動することで起きやすくなる「脳梗塞」などの病気を防ぐのに効果的な「暖かい浴室」という点をPRするのだ。

「浴室温風乾燥機」という設備には、「洗濯物を乾かす」というベネフィティングだけではなく、「花粉や大気汚染対策」、「健康」というベネフィティングがある、というコトも見えてくる。

「顧客ベネフィティングを考える」というのは、マーケティングでは当然のことではあるが「浴室で洗濯物が干せる」という機能に対して考えられるベネフィティングが、社会変化でいくつも考えられる、というのは面白いな~と思いながら、マンションの広告を眺めていた。