日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

5月から始まる「COOL biz」、それとも「節電biz」?

2011-04-29 18:45:05 | ライフスタイル
新聞各紙のWEBサイトを見ていると、どうやら今年は5月から「COOLbiz」が始まるらしい。
「COOL biz」というより「節電biz」と言う話もあるようだが、その「節電」を含めて、何とか涼しいスタイルで仕事をしなくてはならない夏になりそうだ。

実はこの「COOLbiz」対策を考えた商戦は、既に始まっている。
ユニクロの別名「エアコンインナー」と呼ぶ「シルキードライ(男性用)」と「サラファイン(女性用)」のような、機能型下着が大手スーパーのプライベートブランドでも、一斉に発売されている。
これまで「暑い=下着を着用を控える」という発想から、「暑い=下着で爽やか」という提案がここ2,3年目立ってきている。
猛暑だった昨年、密かにヒットした男性下着は「ステテコ」だった。
それも、チョッと見「ステテコ」とは思えないほど、カラフルで派手なプリントのモノがヒットした。

一方、雑誌などでは「ポロシャツなどが仕事場でも大丈夫なのか?」という特集が、既に組まれていたりしている。
ポロシャツそのものは、やはりカジュアルなモノなので営業職のサラリーマンには向かないと思うし、一歩間違うと「ゴルフのおじさんスタイル」にも成りかねない。

個人的にオススメしたいのは、リネンの開襟シャツだ。
開襟シャツというと、カジュアルな印象があるかも知れないが、昭和30年代の頃は夏のスタンダードスタイルだった。
「ネクタイを締めなくてはダメ」という、社会的雰囲気ができ始めたのは職場にエアコンが普及し始めた40年代後半~50年代だと思う。
「節電のために、エアコン利用をセーブする」というのであれば、エアコンがまだまだ普及していなかった頃のファッションに戻るのが一番だと思う。
もちろん、下着はシッカリ着て欲しい。
汗ジミができたリネンのシャツは、見た目良くない(印象が悪い)というのが理由だ。

スーツが必要ということであれば、リネン素材やサマーウールなどの自然素材のものや、家庭で洗濯ができる化繊素材の夏モノを上手に着こなせば良い。
「COOLbiz」の代表のように言われている「かりゆしシャツ」を着ることが、「COOLbiz」では無いと、毎年のように拙ブログではエントリしてきたが、その地方独特の夏素材の織物を上手に取り入れるコトも、大切だと思う。

考えてみれば、「ネクタイを締めなくてはダメ」という社会的雰囲気が、今の夏の営業ファッションを作ったのだとすれば、「夏は開襟シャツで過ごすのがおしゃれ」という社会的雰囲気を作り出せば良いので?
ファッションそのものが、その時代をあらわすアイコンなのだから。



i-Pad2の発売

2011-04-28 21:23:28 | ビジネス
昨日、メディアが一斉に「i-Pad2明日(=本日)発売」と伝えていた。
本来であれば、先月末発売予定だったのだが、「東日本大震災」の影響で、発売時期を延ばしていた。
発売時期が延びていただけなので、「いつ発売されてもおかしくない」状態だったとは言え、個人的には「早い」という気がした。
そのため「唐突だな~」という印象があったのだ。

そして、今日発売された「i-Pad2」を買い求める行列が、銀座の「アップルショップ」ではできたようだ。
「i-Pad2」がどのようなスペックで、初代「i-Pad」とどう違うのか?というコトは、専門サイトやIT関連サイトでチェックしていただくとして、私としてはこの時期に発売されたことで、どのような経済というか消費の変化が起きるのか?というコトを、考えてみたい。

「東日本大震災」が発生してから、日本全土を覆っている「何となく買い物したくない」という雰囲気。
発生直後に起きた「お花見などを自粛しましょう」という「自粛ムード」があった。
その背景には、地震発生直後起きた都心部でのミネラルウォーターやトイレットペーパーの買いだめ騒動があった。
「必要以上の買いだめは、差し控えましょう」という、「買い物自粛」だ。
もちろん、あれだけの震災場面を繰り返しテレビで流れれば、ある種の虚無感のようなものが起きても当然だろう。
「モノへの価値観」の変化が起きているのが、今なのだと感じている。

そんな中で、「i-Pad2」が発売されたことで、「チョッと、空気が変わるのでは?」と、期待をしている。
というのも、「i-Pad」という商品の持っている「ワクワク感」や「今までと違う何か」という「付加価値」が、「使ってみたい」という気持ちを起こしてくれるのでは無いか?という気がしているからだ。
もちろん、それは日本の製品であっても良いのだけれど、同じ昨日ソニーが発表した「新型タブレット」は、数ヶ月あとの発売を予定しているという点で、やや出遅れ感がある。

だからと言って「i-Pad2」が、消費の起爆剤になるとは思っていない。
むしろ、「i-Pad2」が何故この時期に、発売を決めたのか?というコトを考える必要があると思うのだ。
そして「3.11以降の生活者マインド」というコトを、シッカリと見ていくポイントとなるのでは?と、思っている。

ユニリーバジャパンの新聞広告

2011-04-27 15:57:23 | ビジネス
今日の新聞にユニリーバジャパンの全面広告が掲載されていた。
「ユニリーバ東日本大震災募金」
「小さな積み重ねが、未来を創る大きな力に」という、キャッチコピーが使われている。

この広告を見て「時代だな~」と感じた。
それは、「1クリック・1ツィート」で、募金ができる仕組みになっているからだ。
「一人1日1回」という制約があるが、企業側としても決して「募金」だけを目的とはしていないような気がするのだ。

その理由は、1クリックするためにはユニリーバのサイトに行かなくてはならない。
そして、ツィートするにしても見当はずれな「○○なう」では、チョッとつぶやきにくいのでは?
もちろん、フォローする側も「場の雰囲気」に合わせた内容になるはずだ。
当然、内容は「東日本大震災」の応援メッセージか、この募金に付いての「つぶやき」となるだろう。
その拡がりを考えれば、新聞やテレビなどのメディアに取り上げられない募金方法であっても、ユニリーバという企業を知ってもらい、企業の社会活動に理解をしてもらえるという仕組みでもあるのだ。
むしろ、生活者にダイレクトなカタチでユニリーバの社会活動に賛同をしてもらえるという仕組みだといえる。

もう一つこれまでと違うと感じるのは、募金を託す相手だ。
「ユニセフ」のように一般的に知られている団体だけではなく、「OXFam Japan」という、(大変失礼ながら)余り知られていない団体もある。
共通しているのは、「子供と妊婦さん」などを対象としていることだろう。
「未来を創る大きな力に」という、キャッチコピーにも大きな意味をもっているコトになる。
逆に、この募金に参加するのであれば、「子供や妊婦さんを支援したい」という気持ちを持っている人向きだといえる。

震災発生から、1ヵ月半が過ぎた。
日本赤十字などに集まっている募金額は、これまでに無いほどだという。
そのスピードでも、「阪神淡路大震災」を大きく上回る。
1日も早く、それらの義援金を被災者の元へ・・・という気持ちが高まる。
しかし、余りにも甚大すぎるために集まった義援金だけでは、長期的な支援は難しいとも言われている。
もしかしたら、「義援金」の使い方・募金の集め方の第二段階に入ったのかも知れない。

この広告を見て、思ったことがある。
それは「日本人にとって、折鶴は祈りと平和の象徴」だというコトだ。
広告の背景色の青い空に舞う鳥たち(鶴である必要は無い)のように、自由に子供たちが駆け回われる日がくることを願うばかりだ。

塩害耕作地の利用法を考える

2011-04-26 13:16:43 | ビジネス
「東日本大震災」で、多くの被災地の田畑が津波によって耕作地としては不適格な土地となってしまった。
海水による塩害ということなのだが、このような土地を手放すのではなく、他の野菜などを育てるという方法は無いのだろうか?と、考えた。

昨年、知人からとても変わった野菜を頂いた。
野菜の名前は「アイスプラント」(紹介HPは佐賀農協のもの)。
南アフリカ原産の多肉植物。
葉全体に、プチプチとした塩分を含んだ水の粒がついている。
和え物やサラダなど、和洋問わずに使える野菜ということで、イロイロなお料理で美味しく頂くことができた。

実はこの「アイスプラント」、栽培地が普通の農地では難しいらしい。
日本に苗か種が輸入された目的も、有明海の塩害対策だった。
一般的農地ではなく、塩害のある農地向きの野菜ということなのだ。
とすれば、今回津波で被害にあった農地などは「アイスプラント」向きの農地ということになるのでは?と、思ったのだった。
もちろん、海底からのヘドロも一緒に上がってきているので、ヘドロの除去が必要だと思うのだが、津波による塩害農地を諦め他の土地へ移転するのではなく、このような方法で違う作物を作るという方法もあるのでは無いか?というコトなのだ。

「アイスプラント」という野菜自体、新顔野菜ということや「メタボ対策野菜」として注目されていることなどを考えると、「アイスプラント」でまち興しということもできる。

もう一つは、私の実家がある鳥取県で作られているお米が、チョッとユニークな方法で作られている(日南町は、実家のある米子市の隣接町)。
それは「塩藻」を堆肥として使った「美里米」というブランド米。
ブランド米と言ってもまだまだ有名とは言えず、出身者としては「美味しいお米なのに・・・残念」という思いをしている。
今回の場合は、「海藻」を堆肥にできるわけでは無いが、これまでと同じ野菜を同じように作るのではなく、変わった付加価値性が高く、話題となる野菜を農地改良をしながら育てるなどの方法で、慣れ親しんだ土地を手放さない方法もあるのでは?
そして、そのような付加価値性が高く、話題となる農作物を育てることで、まちが復興していくのでは?



世界に通じるモノづくり

2011-04-25 19:15:31 | ビジネス
一部新聞に掲載されていたのだが、兵庫にある小西酒造が作ったビールが、権威あるイギリスのコンテストで、最優秀金賞を受賞したとあった。
小西酒造と言っても、思い浮かばない方も多いかも知れない。
ブランド名は「白雪」。
そして今回受賞したビールの名前も、「白雪スノーブロンシュ」。

小西酒造株式会社HP
「白雪スノーブロンシュ」The Brewing Industry International Awards (BIIA 2011)にて最高賞"チャンピオンビール"を受賞

日頃ビール(を含む発泡酒や第3のビール)を飲まないので、ビールの味に付いてはよくわからない。
だが、ドイツと並ぶビールの本場とも言えるイギリスで、このような賞を受賞するというのは、誇らしい気持ちにもなるし、飲んでみたいという気持ちになる(味がわかるとは思わないが)。

ただそこで気になるのは、何故日本酒のメーカーである小西酒造がビール生産に携わるようになったのか?という点だ。
その理由の一つは、日本酒の消費量の低下だろう。
そのため新しい商品として、ビール生産を考えたのでは?と思うのだが、日本には既にキリンを始めプレミアムビールの先駆けとなったサントリー、「ドライ」という市場を創ったアサヒなどがあり、小西酒造が割ってはいるような状況ではなかったと思う。
それでも、そのビール市場に参入した、というコトに興味が涌く。

もちろん、キリンを始めとする日本のビール市場に参入するだけであれば、勝ち目は無いと思ったからこそ、オレンジピールやコリアンダーなどのスハーブなどを入れた、ベルギースタイルのビールということになったのだろう。

もう一つ興味深いのは、このビール製造が始まったのが、1995年ということだ。
この年「阪神淡路大震災」が起きている。
小西酒造のある伊丹市でも、甚大なる被害が出た。
その意味で、「東日本大震災」が起きた今年に、このような世界に冠たる賞を受賞したということは、被災地の酒造メーカーさんたちにとっても、大きな勇気となるのでは?と、感じている。
ビールと日本酒とでは、原料から製造の違いはあるにしても、新しいことにチャレンジをし、18年という歳月で世界に認められるほどの技術も情熱は、大きなエールとなるのでは。

日本では、余り馴染みの無い「スパイスの入ったビール」だが、このGWに飲んでみてはいかがだろう。

電力コストを考える

2011-04-24 20:48:46 | ビジネス
東京電力の「福島第一原子力発電所事故」発生以来、各地で「原発反対」とか「原発停止」デモが広がっている。
今だ収束の見通しが立たない状況なので、仕方のないといえるだろう。
もちろん、東京電力自体収束に向け現場では、身の危険を顧みず絶え間ない努力が続いているはずだ。

このような状況に対して、ソフトバンクの孫さんが「自然エネルギー財団」を設立をいち早く発表した。
素早い動きには、驚くばかりだが「自然エネルギー」といえども、それなりの投資が必要となってくる。

これまでの「電力コスト」というと、設備投資や石油などの原材料などを中心に考えられてきたのではように思う。
その意味で、原子力発電はCO2を排出しない「クリーンなエネルギー」であり、「(プルサーマルなどを利用すれば)コストの安く抑えられる」という、メリットが高いエネルギーだったはずだ。
「安定的供給とコスト安」でなくては、日本の産業の発展にも影響が大きかったからだ。
だから東京電力「福島第一原子力発電所」を始め、日本の原子力発電は「石油後の電力」というコトを考えて、官民一体となって推進してきたという過去がある。

ところが今回の「福島第一原子力発電所事故」のようなコトが起きるという想定は、されてこないように思う。
それを表すのが「原発安全神話」と呼ばれるモノだろう。
東京電力としても、「事故があった場合の修理保全」という意味でのコスト意識はあったと思う。
しかし、「放射能汚染」という「健康被害や風評被害」というリスクまでは、想像していなかったと思う。
そして、その「健康被害や風評被害」が、「事故発生時の修理保全」にかかる費用よりも、膨大だということが、今回初めてわかったのでは無いだろうか。

とすれば、現在全国各地で稼動している原子力発電にも同じコトが言えるのでは?
一旦事故を起こせば、施設の修理保全に掛る費用よりも遥かに膨大な「損害賠償費用」が発生する、という現実だ。
電力会社+政府+金融機関が一緒になって、基金を設立したところで、支払わなくてはならない金額の多さと、その被害の広がり方を考えると、原子力発電所がとてもリスクの高い事業ということになるのでは?

もしかしたら、現在盛んに行われているデモに影響されるのではなく、「福島第一原子力発電所事故」の「損害賠償額」によって、各電力会社が原発の運用と建設の見直しをするコトになるかもしれない。
その意味で、これまでの原子力発電リスクというの「パンドラの箱」を開けてしまったのが、今回の「福島第一原子力発電所事故」だったのかも知れない。


GWのお出掛けは、国内で・・・

2011-04-22 16:59:56 | ビジネス
来週の今頃は、GWが始まっている。
例年であれば「海外脱出組み」などのコピーと共に成田や羽田、名古屋であればセントレアの出国ロビーが映されるニュースがトップを彩る。
「遅ればせながら」という感じで、新聞などには海外旅行の刷り広告が目立つようになってきた。
この時期の広告なので、GWを対象としたツアーでは無い。
それでも旅行の広告を見ると、チョッとウキウキした気分になる方も多いのでは無いだろうか?

でも、そんな広告を見ながらフッと考えてしまった。
「今、旅行に行くとすれば海外ではなく国内では?」と、思ったのだ。
海外旅行と言っても、日本の航空会社を利用して海外に行くなら、旅行会社の手数料などを含め国内経済にプラスになるのでは?という部分はあると思う。
確かに、旅行会社にも日本の航空会社にもお金は落ちるのだが、「(宿泊費を含めた)現地で使うお金」という点で考えると、やはりこのGWや夏休みなどは積極的に国内旅行に出かけるほうが、国内経済というか景気にとってプラスとなるのだ。

特に30代以上のアクティブな女性は、積極的に国内旅行に出かけて欲しいと思っている。
東北だけではなく、自分にとっておきの「癒しスポット」を探す国内旅行をしてみてはどうだろう。
経済的に余裕のあるおじいちゃん・おばあちゃんにおねだりをして、家族揃ってチョッとリッチな家族旅行もある。
大切なコトは、「旅行先でお金を使う」というコトだ。
その理由は、おわかりだと思うのだが「旅行」という非日常的な場所では、「何となく気分が開放的になり、お財布の紐が緩くなりがち」ということ。
近場であっても、普段では使わないお金の使い方をするのが、旅行という非日常の生活場面なのだ。

例年であれば、京都の葵祭りなどの有料席などは既に完売となっているのだが、どうやら今年はまだ余裕があるようだ。
何より、ホテルなどが満室になっていない。
東北であれば、角田や弘前の桜が見頃になる。
ゆっくりと、お花見ができなかった方は、足を伸ばして普段見られない東北の桜を見に出かけてみてはどうだろう。



シンプルな力強さ-「復興の狼煙ポスタープロジェクト」-

2011-04-21 11:22:20 | アラカルト
見るばかりのfacebook。
相変わらず「お友達」は、殆ど増えていません。
チェックだけはそれなりにするので、「お友達」がどんなことに、「いいね!」をポッチとしているのかくらいは分ります。
そんな中に、「これは!」と思うような情報も。

今日は、そんな情報を得てエントリ。
「復興の狼煙ポスタープロジェクト」について、紹介されている方がいらっしゃった。
私は、このプロジェクトを知らなかったのだが、ポスターを見て「あぁぁ、人って凄い」と単純に感じたのだった。

「被災者」という言葉を使うとき、心のどこかで「可哀相な人たち」という気持ちは無いだろうか?
意識をしていなくても、心の奥底で「自分(たち)ではなくて良かった」という安堵感と共に、そんな気持ちを持っているような気がする。
でも、実際に被災された方々は過酷な状況の中でも前を向き始めている。
それも、私たちが想像するよりも遥かに力強く、前を向き動きはじめている。
「可哀相な人たち」と思うコトが、恥ずかしく感じさせるポスターだ。

正面を見据えた被災者の方々の表情だけの写真と、シンプルなコピーだからこそ、こちら側(=受け手となる私たち)にグッとくる迫力と力強さを感じさせる。
「東北人の力強さ」という言葉ではなく、「人としての力強さ」というモノだ。

もう一つ、このプロジェクトHPのトップにある言葉に注目してもらいたい。
「3月11日  地球が小さな呼吸をしました。」という言葉で始まっている。
あれほどの被害を起こした大地震、その後の津波に対して恨み言をいっていないのだ。
そこにあるのは、ただただ悲しみ。
自然の脅威に対して、謙虚でありながらそれを乗り越えようとする人たちの姿。
支援した全国、全世界への感謝のメッセージとなっている。
その意味では「広告のお手本」にもなりそうな、ポスターでもある。
おそらく東京の代理店が企画し、作製したらこのようなポスターは作れなかったように思う。
被災地のことをよく理解しているからこそ、作ることができたポスターだと思う。

今、百貨店やスーパーなどでは「Buy東北キャンペーン」が盛んに行われている。
できれば、このポスターを貼って、キャンペーンを展開して欲しい。

それにしても、覚悟を決めた人たちというのは、なんとカッコ良いのだろう。
東京で覚悟も無く、頭を下げたり党利党略にいそしんでいる人たちが、かすむのも当然か・・・。


スマートフォンというコミュニケーションツール

2011-04-20 11:36:14 | アラカルト
本日のタイトルを見て、「そんなの当たり前」と思われる方ばかりだと思う。
なぜなら「スマートフォン」は「携帯電話の進化系」だから。
携帯電話そのものが、コミュニケーションツールなのだから、当然スマートフォンもコミュニケーションツールということになる。
ただ、今回あえてこのようなタイトルにしたのには、訳がある。
それは、「障害者にとってのコミュニケーションツール」という点だ。

先日、福祉関係のテレビ番組を見ていたら「スマートフォン」を取り上げていた。
「スマートフォン」を使って、自閉症などの知的障害をもった子供たちが、障害を持っていない人たちとコミュニケーションをしながら買い物をしたり、障害者同士で何かモノを作ったり・・・。
非障害者にとってできて当たり前の事が、障害者にはできないコトが多くあり、スマートフォンを活用するコトで、協力しあってモノを作ったり、一人で出かけたりするコトが可能になる、という内容だったのだ。
非障害者が「スマートフォンを使う」というコトと、障害者が「スマートフォンを使う」という意味が、違うということに気が付いたのだった。

と言っても「スマートフォン」に、何か特別なオプションを付加しているわけでは無い。
通常のアプリケーションを、使う側なりに工夫するコトで「コミュニケーションツール」としているのだ。
だから、彼ら障害者にとって「スマートフォン」は、携帯電話でもパソコンでもない。
彼らにとって、自分の意志を相手に伝え・受信するためのツールなのだ。
場合によっては、「自己管理ツール」となるコトもあるようだ。

その中でとても興味深かったのは、「スマートフォンのカスタマイズ化」という点だ。
一般的な「スマートフォンのカスタマイズ化」と言えば、音楽配信などのダウンロード内容イメージするのだが、障害者にとっての「カスタマイズ化」とは、一般的なアプリケーションを使って、コミュニケーションツールとするコトなのだ。
そのために、必要なことは障害者自らが「一般的アプリケーションを使いやすくする提案」というコトになる。
それだけではなく、障害者目線でのスマートフォンのカスタマイズ化というのは、高齢者や子供たちにとっても使用メリットが高い場合が多い。
そんな視点で考えると、「障害者参加」のアプリケーション開発があっても良いのでは無いだろうか?
知的障害をもった人たちも積極的に社会参加をしてもらう機会を与える、というコトも重要な点なのだ。

その理由は「知的障害者」は、協調性などが無いと思われがちだが、彼ら自身も「人から見とめてもらいたい」という思いは強くある。
しかし残念ながら、障害があると言うコトで多くの場合周囲から認めてもらえない、という状況になってしまっている。
彼らにとって「周囲から認めてもらう」というコトは、とても大きな意味を持つ。
なぜなら、「周囲から認めてもらう」とで初めて社会との関わりということを実感し、学ぶことができるからだ。

そのためのツールとしての「スマートフォン」という位置付けに、考えさせらたのだった。

3.11ショックと購買心理

2011-04-19 13:13:39 | ビジネス
「東日本大震災」から、1ヶ月と1週間が過ぎた。
被災地では、復興への動きも少しではあるが見えはじめたようだ。

震災当時、日本全土を覆っていた「自粛ムード」も、今月に入ってからは「被災地応援のためにも過剰な自粛はやめよう」という動きになってきた。
拙ブログでも「Buy東北」というコトを、積極的に言ってきた。
そのような動きがある反面、「3.11ショック」とも言えそうな、「購入意欲が湧かない」という心理状態の方がいらっしゃるようだ。

「被災地の方々の姿を見て、贅沢はできない」という方も多いと思うのだが、津波で押し流される家屋や車、その後の基礎だけ残った家や押し流されて潰れた車など、被災地の現状をテレビのニュースなどで繰り返し見ることで「ある種の価値観の変化」が起きているように感じている。

単に、「買い物や外食に行かない」というのではない。
「興味が無くなった」という部分も少なからずある、という点が問題なのだ。
その背景には「いくら高いお金をかけて、流行のファッションに身を包んでも、震災にあってしまえば関係ない・・・それどころか、失うモノが多すぎる」とか「外食にかけるお金を違うモノに・・・」という感覚があるのでは無いだろうか?
逆に考えれば、「内省型消費」へと向かいつつあるのかも知れない。

以前から、「欲しいモノが無い型消費」と言われていたのが、日本国内の市場だった。
それを「手を変え品を変え」で、何とか消費に結び付けていたという部分が無かったわけではない。
その「手を変え、品を変え」が生活者に通じなくなってしまった、というのが「3.11ショック」なのかも知れない。
だからと言って、いつまでもこの状態が続くとは思えない。
いつかは戻ってくると思う。
ただ不安なのは「いつか」が、「いつなのか分らない」コトだ。

だからと言って「被災地復興のためにも、経済建て直しの買い物を」と言っても、心というか気持ちが追いつくわけでは無い。
一種の「バーンアウト」状態なのかも知れないのだ。
そこで考える必要があると思うのは、「生活者が生活サイズを縮小しても、売れるモノ」という発想だ。
「生活サイズを縮小しても、売れるモノ」というと、食料品や日用品など生活に必要なモノばかりを思い浮かべるかも知れない。
「家族で過ごす」など、価格では計れない価値を提案するコトのように思うのだ。

「3.11ショック」は、ビジネスの発想も変えるコトになるのかも知れない。